2015年01月30日

天河詣で

この3日間、天河神社にいます。

ここは水の底のような場所で、来た瞬間から他の土地とは違う波動を感じる人も多いようです。

今日は僕が知る限りの天河神社の話をしましょう。

僕とのご縁については「随(かんながら)神」という本に書きましたが、当時(1989年)は、有名ミュージシャンや精神世界系の若者、あるいは霊能者たちが集まる、パワースポットのはしりみたいな場所でした。

細野晴臣氏は「天河は霊能者の六本木だ」と言っていました。


天河神社がこのころから急に有名になったと思っている人もいますが、それは全くの間違いです。


最も古い言い伝えは、神武天皇が熊野から北上するとき、天河社の磐座に額づき、そこで「ひのもと」という言霊を得たというものです。

その後壬申の乱に勝利した大海人皇子(天武天皇)が、神武の「ひのもと」から「日本」という言葉を国名にしたと伝えられています。


朝廷関係の言い伝えが多くありますが、宗教関係だけに話を絞れば、弘法大師空海が悟りを開いた場所として有名であり、その時に用いた「阿字観」の碑が大銀杏の木の下にあります。

そんなこんなで、修行の場として特に有名で、江戸時代まではこの狭い坪内地区(天河神社がある周辺)には80社もの、あらゆる宗派の仏教寺院があったようで、多くの修行者たちで溢れていたようです。


天河神社は日本三大弁天の宗家(筆頭)であり、吉野熊野本宮という名前もあります。

興味深い話として、白隠禅師が8日間不眠不休の荒行の3日目に、弟子たちに向い、

「その昔、弘法大師が、大日如来に

『仏教で最も尊いものは何か』、

と尋ねたところ

『護法の神、大弁才天である』

という答えが返ってきたという。

弁才天がいるからこそ仏法が守られているのだ」

と説法したと正式文書に記録されています。


弘法大師が問うたというのが重要で、ここで言う弁財天とは天河大弁財天のことだというのは想像に難くありません。


禅の歴史の中で最も偉大な功績を残した白隠禅師が、弁才天を崇め奉るというさまに、森羅万象の不思議を感じます。


僕は日本の心を取り戻すことの一環として、そして自らの仏性を思い出す人材を増やすために、禅の精神を生活の中に取り入れるTHE禅アカデミーを立ち上げました。

それで護法の神、天河弁財天に、ご報告にやってきたというわけです。

個人的にも大変縁が深い神社なので、感慨深いものがあります。

こうなることに決まっていたというのが素直な感想です。


THE禅アカデミーは今後、僕と向老師のライフワークになっていくプロジェクトで、この先また様々な人たちとの出会いによって発展していくものと思われます。


前回も話しましたが、明日はTHE禅アカデミー1000人の会員を代表して、100人の仲間たちと共に祈りをささげてきます。


明日(31日)午後1時から、柿坂神酒之祐宮司による神事が始まります。

お時間がある方は、1時間ほど祈りの時間にあててみてください。


「世界が平和でありますように」


ありがとうございました。



  


Posted by Toshiro Abe at 20:53Comments(45)

2015年01月29日

1月29日の記事

禅僧でもない自分が、なにかに導かれるようにして、禅の普及に人生をかけてきました。

このブログもそうだし、それまで長年やっていたセミナーも同様です。


そこにはひとりのインド人(OSHO)の影響がありました。

天河神社にも縁があったその人は、亡くなる前の一年間は、日本の禅についてだけ話をしました。

昨日、友人の家で、彼のメッセージを見つけたので掲載しておきます。


中国では六百年間、仏教とはたんに頭の体操、いい運動でしかなかった。

しかしボーディダルマが中国に入って、禅についての見方をすっかり変えた。

人々は禅のことを哲学の一種のように考えていたが、それは違う。

それはマインドに対する反逆だ。


そして世の宗教や哲学は、みんなマインドの一部だ。

禅はマインドや自己に対する唯一の反逆であり、あなたを閉じ込めるあらゆる制限を取り払い、無の中へと量子的飛翔を遂げる唯一の反逆だ。

しかしその無は生命に満ちている。それは生であり「存在」だ。

それは仮説ではない。


あなたが飛翔するとき、その最初の体験は、自分が消えることだ。

そして最後の体験は、自分が全体になることだ。




余計なことだけど、一言つけ加えておくと、

最後の二行は、ほぼ同時に起きるということ。



いま天河神社でこの記事を書いています。

天河で暮らした月日は、バグワン(OSHO)の本との道連れでした。

いま四半世紀ぶりにここに帰ってきたような気持ちでいます。


31日はTHE禅アカデミー発足のご報告を兼ねて、ご神事と奉納演奏をさせてもらいます。

アカデミーの参加者は、きっかり1000名になりました。

26年前に一人でこの山を下りたけれど、こんどはTHE禅アカデミーを代表する100名の仲間と共に祈りを捧げます。



「ただいま戻りました」

そう伝えてきます。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:22Comments(90)

2015年01月28日

天河詣で

今日は僕にとって特別な日。

何年ぶりかで天河神社にお参りに行くのです。

辨財天は護法の神で、仏法の守り神であり、寺社の境内にはよく奉られています。

それがどういう意味なのか分かりませんが、図らずも歩むことになった随神(かんながら)の道は、まさに辨財天と仏法との出会いの道でした。


神社に神様が住んでいるとは思いませんが、もしかしたら本当に住んでいるかもと思う時があります。

一元論の世界からは、外側に神の存在を認めるというのもおかしな話ですが、この地には何かあるとしか思えません。


昨日、天河つながりの音楽家と話をしていたら、死んだらここ(天河)が何だったか分かるだろうかなんて言っていました。

彼にとっても天河は人生に重要な意味をもたらした地なのです。


誰にでもそういう心の故郷みたいな場所があるのでしょうね。

いつかみなさんにお声がけしますから、天河神社に集いましょう。



比叡山延暦寺会館のイベント

~魂の夜明け~

は、満席のため受付を終了しています。


これから最終調整をさせていただき、もし可能なようでしたら、また募集させていただきます。

たくさんのお申込みありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:26Comments(27)

2015年01月27日

思考

今日もたくさん考えるのかな。

人は一日に数万のことを考えるのだそうだ。

しかもその90%以上は、昨日考えたのと同じことだって。

なんか、笑っちゃうね。


その思考は、昨日も言ったようにやたら説得力がある。

何かをしようとすると止めるのも、油断すると悪いことが起きるとけしかけるのも、みんな思考の囁きだ。

そして僕たちはその声に忠実に生きてきた。


そしてどうなった?

相変わらずどこに行きつくこともなく、あのころより安全になったわけでもなく、いまもただ同じように思考の忠告に耳をかたむけている。


「君のいうことをずっと聞いてきたけど、ちっとも良くなってないじゃないか!」


なんて言おうものなら


「それはお前が私の言うとおりに100%頑張らないからだ。

まだ努力が足りないから相変わらずお前は不幸なんだ。

私の言うとおりにしなさい。

私はどうやったらお前が幸せになれるかを知っている」

とまた説得されてしまいます。


僕たちの幸せと、思考のアドバイスは、何の関係もありません。

むしろ、思考がない時に感じているのが、幸福感だったり満足感だったりします。


思考の言うとおりにしないと悪いことが起きるという感覚を少し静めてみましょう。


今日は一日、遊び気分で、思考が言うことをいちいち疑ってみませんか?

いつもは無条件で同化しているけど、今日一日だけそんな態度で思考の言うことを聞いてみましょう。


けっこう面白い体験をするかもしれませんよ。


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本日から3月7日・8日の比叡山リトリート、「魂の夜明け」へのお申し込みを開始します。

詳細はコチラから。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:00Comments(39)

2015年01月26日

直球

本当の自分(真我)とは、最初から自分に備わっているもので、努力して獲得するようなものじゃありません。

すでに実現されているものであって、この先に実現するようなものでもありません。


ところが偽物の自分(自我)は、自分の力で本当の自分を実現しようとします。

それが「さとりたい」という気持ちです。


既に得ているものを学ぶ必要はありません。

必要なのは直接認識だけです。


すぐにマインド(自我)が入り込んで、あれこれ忠告が始まります。

その話に耳を傾けないことが大切です。

マインドの言葉には説得力がありますが、真実ではありません。

真実は、あなたが直接体験して初めて認識し理解することです。


そんな気づきを促すのが、禅的生き方です。

禅とは直接体験、直接認識のことです


行為になりきるのも、そのひとつです。

そのとき、本当の自分(真我)があります。


難しく考えないことです。

すでにそれは、いまここに在るのだから。


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3月の比叡山のイベントは、明朝10時にお申込みを開始します。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:34Comments(46)

2015年01月25日

いつもおんなじ、あなたもぼくも

更新を待っていてくれる人もいると思うけれど、急に忙しくなってしまって、少ししたら落ち着くので、もうちょっと待ってください。


それにしても、60歳からが人生で一番活動するようになるとは思わなかった。

将来の予想ってハズレルわけだ。

だって子供のころ描いた60歳はヨボヨボのお爺ちゃんだったから、きっとそのころは縁側に座って、猫を膝にのせて、庭のツツジかなんか見ながら、婆さんと渋茶を飲んで団らんするような感じで描いていたから。


ということは、この調子で、いまから80代、100代を思い描いてもハズレルだろう。

もしかしたら100歳を過ぎて、「いまが一番忙しい!」なんて言っているかもしれない、マジで。


少なくとも、心の中がいまと何も変わらず、そしてあいかわらずこのままの自分だということだけはわかる。

ま、いつだっておんなじだ。

心の中は、いつもあるがままにあるだけ。

そこに喜怒哀楽が訪れ、そして去っていく。

きっとこれからもずっとおなじだ、あなたも僕もね。



今日は東京講演会です。

お寒いと思いますが、どうぞ気をつけていらしてください
  


Posted by Toshiro Abe at 09:13Comments(43)

2015年01月23日

2015年・春のイベント

堀澤さんの話が続きますが、この4年間に市民による覚醒の連鎖は広まる一方で、その現象を改めて堀澤さんに報告しようと考えました。

いま目覚め始めた我々の現状と、時代はどこに向かっていくのか、そして伝統仏教の継承者である堀澤さんが我々に残したいことは何なのか、そのことを明らかにする会を催します。

僕が親しくさせてもらっている若きメッセンジャーたちに集まってもらうことにしました。

全員アラフォー世代で、個性にあふれるスピリチュアルメッセンジャーたちです。


3月7日・8日(一泊二日)

比叡山延暦寺会館


今日は出演者のご紹介だけしておきます。



雲 黒斎

一流広告会社のデザイナーとして活躍していたが、多大なストレスからセロトニン欠乏症に陥る。

処方された薬の副作用などで地獄を経験中に、何の前触れもなく次元を超える体験をする。

その時に感得した高次の意識との対話を書籍にした「あの世に聞いた この世の仕組み」がベストセラーになる。



さとうみつろう

札幌の大学を卒業後、エネルギー系の大企業に入社し、現代社会が抱える矛盾点に気づき思い悩む。

2011年、「社会を変えるためには、一人ひとりの意識の革新が必要だ」と痛感し、“読むだけで魂が目覚める”文章を目標に、ブログ『笑えるスピリチュアル』を立ち上げる。

昨年発売された「神様とのおしゃべり」は記録的なヒットとなり、いまもなお売れ続けている。



阿(おか)純章

圓融寺住職

早稲田大学文学部東洋哲学専修卒業。

同大学院東洋哲学博士課程に進み、北京大学に中国政府奨学金留学生として留学。

その後、中国仏教思想史の研究に従事。

著書に「迷子のすすめ」



知井道通

脳こうそく(2回)、心停止、破産、などの経験から無常をさとる。

臨死体験で得たスピリチュアルの感覚をFXに活用することを思い立つ。

以来、スピリチュアル☆FXセミナー講師として活躍中。

その人柄にも人気が集まり、全国各地で大盛況が続いている。



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堀澤祖門

京都・三千院門跡第62世門主。天台宗大僧正。85歳。

京都大学在学中に比叡山に登り、叡南祖賢師のもとで出家得度。

その後、戦後初の「12年籠山行」に身を投じ、過酷な行を積む。

満行後、さらなる行を求めてインドを遍歴、ヨーガを学んだり、インドの日本山妙法寺に寄宿して新しい仏教運動に触れる。

比叡山に帰山後は、在家者の修行道場「居士林」や、僧尼の養成道場「行院」で指導にあたり、叡山学院院長を経て、三千院門主に就任。



近々、イベントの詳細をご紹介し、お申込みを開始します。

どなたでも参加していただけます。

  


Posted by Toshiro Abe at 11:04Comments(43)

2015年01月22日

徒然 2

昨日、堀澤さんのことを書いたら、丁度ご本人からメールが来ていて、昨日ここで紹介した論文を、今月と来月の二回にわたって三千院の機関紙の中で紹介するのだそうです。

読みたい人もいるでしょうから、どんな方法が可能か考えてみます。


ちょっと忙しくてブログ更新できていませんが、落ち着いたらまた書きます。


  


Posted by Toshiro Abe at 22:09Comments(32)

2015年01月21日

徒然日記

昨日から、THE禅スクールのあれやこれやで、とても忙しい時間を過ごしていました。

こんなに充実感を持った時間も久しぶりです。

仏教の深遠な教えに、身も心も洗われるようです。


仏教は本来、いわゆる宗教ではなく、人間の生きる根本的指針のようなものであり、西洋の一神教の争いを統合する可能性を携えています。

それは力によるのではなく、理解を通して実現していくので、まずは己からということが大切になります。

この流れは、伝統宗教や新興宗教という枠を離れて、個々の求道をサポートする形で広がっていくというのが僕の考えです。


日本仏教界の重鎮である堀澤祖門大僧正は、4年前、すでに民間でそのような動きが始まっていることを論文にまとめ、日本と韓国の仏教界に提出されました。

その文中で光栄なことに、僕のような者の活動を詳しく紹介してくれました。

そして拙書「さとりの授業」をお弟子さんたちに配布してくださり、権威を離れて、一介の市民の話に耳を傾けてくれたことに、いまもなお感謝の気持ちが絶えません。


今春に堀澤師と僕の仲間の若きメッセンジャーを交えたイベントを予定しています。


時代は変わっていく、そんな実感を持っています。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:07Comments(84)

2015年01月20日

新月の祈り

今宵は新月

そして今日はTHE禅スクールの開校日です。

まずは自分自身の意識を高め、周囲の人たちの幸福を、そして世界全体が幸せであるよう祈りましょう。


世界が平和でありますように。  


Posted by Toshiro Abe at 19:26Comments(41)

2015年01月19日

メッセージ

昨日のブログに書いたような内容は、日常の理性で捉えようとしてもできません。

過去と未来が、いま同時に起きているなんて、ただのナンセンスに聞こえます。


実は我々は「いま」を知りません。

「いま」とは過去と未来の中間点だと思っています。

それが思考の限界です。


何かの拍子に、完全に「いま」の中に入ることが出来たとき、誰もが存在の実相を目の当たりにして、人生と呼んでいたストーリーが消滅します。

自分が時間という幻想の中で、完全に眠りこけていたことを知るのです。

一瞬でも垣間見れば、あれこれの議論は終わりです。


「いま」を知るというのは、あらゆる苦悩からの救済になるので、おせっかいにもそのような次元が存在していることを伝えたくなります。

それは誰もの中にある可能性だからです。


この世に特別な人など存在せず、みんな同質の命によって生かされている同じ人間です。

肉体が朽ちても決して死ぬことはなく、永遠のいまの中に生き続けています。

もっと正確に言うと、「永遠のいま」こそが我々自身なのです。

ですから、メッセージというのは、違う姿かたちをした自分(あなた)への報告に過ぎません。

ちょっと先に見てしまった自分が、そんなことは夢にも思わない自分に言うのです。

「僕らはどこにも行っていなくて、最初からゴールにいて、それはこれからも同じだから、何があってもどんな時も大丈夫だから」って。


すべて決定しているというのは、すべての分離意識は必ず全体意識に帰ることが決められているということです。

本当は誰ひとり全体意識以外だったことは一瞬もないので、違う言い方をすれば、すべての分離という夢は終焉するということです。


Funtimeさんからの質問。

>過去未来同時に展開しているなら、予め決まっているなら、瞑想によってカルマ解消していく意義、カルマ解消の入り込む余地はあるのでしょうか。

>カルマの解消をして流れに乗るとは?

>ボブさんは人には自由意思はあるとおしゃっていたと思います。



教えというものは、それを受け取る人の段階に合わせて与えられます。

時間という幻想をリアルなものとして生きている我々には、カルマの概念は役にたちます。

カルマは時間の中に存在するからです。

でも、今日の話のように、完全に「いま」を感得する次元においては、カルマも、そして人生も、そしてあなたという個人も存在しません。


いきなりそんな話をされても、我々にはつかみどころもなく、何の役にも立たないことでしょう。

3次元に生きる我々にとっては、人生が存在しないなどという教えより、いかにいい人生を生きるかのほうが大切です。

それには、カルマの解消という概念が役に立ちます。

3次元において、それらは事実だからです。

したがって、よりよい人生を生きるために、瞑想によるカルマの解消は最も効果的な道となります。


ボブさんも今日の僕の話を理解しています。

彼も深い洞察を経験している一人です。

そしてボブが言うように、各々が自由意思で宇宙を創造しているというのも事実です。

この矛盾する両方が同時に起きている、まさに摩訶不思議な世界に我々は生かされているのです。


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さて、明日から念願のTHE禅スクールが開校します。

有名なお寺の住職さんや、何人もの経験豊かな僧侶の皆さんが、いち受講者として申し込んで下さいました。

とても立派な方ばかりで身が引き締まる思いです。

僕は仏教の専門家ではありませんが、まったく違う生き方を通して理解した仏教観を披露しながら、共に歩ませていただこうと思います。


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名古屋と博多の「阿雲の呼吸」にいらしてくれてありがとうございました。

みなさんにお会いできて嬉しかったです。

強行軍でしたが、昨夜遅く沖縄に帰ってきました。

今朝は、とても満たされた気持ちで目覚めることができました。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:01Comments(83)

2015年01月18日

全部決まっているのなら

昨日は寒い中、僕と黒斎くんの講演会に出かけてくれてありがとうございました。

いつもたくさんの人の前で話ができることの幸運を噛みしめています。


もう、随分前の話。

まだ僕の話を聞きたいという人が数人だった頃、

今と同じように熱心に、自分がした体験と、そこで見た天地がひっくり返るような真実を話す毎日でした。

仕事らしい仕事もせず、かと言って先の心配をするでもなく、このことを伝えるためだけに生きていました。

と同時に、この先時代が変わり、このような話に耳を傾ける人たちが増えてくるという予感めいたものもありました。

自分は非力ながら、たとえ一人の人にでも気づきの灯火が伝われば本望だと思っていました。


そしてあるとき考えました。

あの体験の中で見たように、ありとあらゆることがあらかじめ決まっているのだとしたら、いったい自分は何をしようとしているのだろうと。

あの瞬間に見たものとは、時空間を超えた次元です。

そこでは、ありとあらゆる過去と、ありとあらゆる未来が同時に「いま」存在していて、何ひとつ無駄もなく、何ひとつ偶然もなく、この世の現象が粛々と展開しているというものです。

だとしたら、僕が真理を伝えようと伝えまいと変わらないわけで、この行為は単なる自己満足ではないかと思いました。

それでも伝えたいものは伝えたいのだからと、思いに忠実に生きていました。


それがある時、また新しいインスピレーションがやってきました。

なにかというと、自分がやっているあらゆる行為も、あるいはその時々の意志も、何もかも決まっているというものでした。

もし僕の言葉で気づきが早まる人がいれば、そのことも決まっていたし、もし僕が「どうせ決まっているのだから何もしない」と決めれば、それも決まっていたということです。


そうか、人間の意志さえもすでに決定済みなのか。

自分が決めているような気がしたけれど、そんな「自分」など存在せず、全ては宇宙意思の表れだったんだと、改めて気づいたのです。

それからは生きるスタンスが変わりました。

どうせ全部決まっているのならという半ば投げやりな態度から、決まっているのなら、どう決まっていて欲しいかを生きるようにしたのです。

結局は一周して元に戻ってきた感じです。

今までと同様、その時いちばんいいと思ったことをやっていこうということになりました。


そして今日もそんな気持ちで生きています。

これらのメッセージが正確に届くことを願いながら文章を書き、そして今日、寒い中を集まってくれる講演会参加者のみなさんに、新しいインスピレーションが訪れることを願い、自分ができることを精一杯していこうと思っています。


今日もここにきてくれてありがとう。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:41Comments(101)

2015年01月16日

黒斎くん

こんな時間に失礼します。


いま雲 黒斎くんのブログを読んだら、20日に開校するThe禅スクールのことを書いてくれていました。

やっぱり彼は天才です。

だって僕より上手に内容を説明するのだから(笑)


そういえば、僕が奨励してきたFF瞑想も、僕以上に分かりやすくみなに紹介してきてくれました。

一家に一人は雲 黒斎が欲しいところです。


明日は名古屋、明後日は博多で、僕とのコラボ講演会があります。

いつもより広い会場で、当日券もありますから時間がある人は来てください。


黒斎くんのブログはコチラ。  


Posted by Toshiro Abe at 22:33Comments(46)

2015年01月16日

変化ing

生きていれば、腹立たしいことや、イライラする瞬間もあるけれど、またそれも通り過ぎて、気がつけばいつしか、「まっいいか」になっている。

注意深く見てみると、一日中いろんな自分が出たり入ったりしていて、やっぱり固定された自分なんていないんだと思う。


これは自分が苦手だと思う相手だって同じで、相手もいろんな自分が出たり入ったりしているわけで、実際には相手そのものが苦手なのではなく、あの日あの時のその人が嫌だっただけだ。


その人自身も変わりつづけている。

でも、そうは見えないよね。

相手は苦手な相手のまま固定されている。

自分は固定されてないのに、相手は固定されている(笑)


だから相手からはいつも同じような香りしかしない。

それは相手が作っているんじゃなくて、こちらのマインドが作っているからだ。


人間だけじゃなくて、すべての現象が刻々と展開している。

変わらないのはマインドの決めつけだけ。



今日は昨日とは全く違う一日です。

マインドの決めつけさえなければね。


初めての一日のようなつもりで生きてみよう。


事実、今日は地球が誕生して以来、初めての一日です。



今日もいい日でありますように。


  


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(61)

2015年01月14日

求む・得意技の紹介

いちどマインドがマイナススパイラルに入ってしまうと、なかなか抜けられなくなってしまいますね。

マインドがどんどん狭まって、にっちもさっちもいかなくなってしまいます。

様々な考え方や可能性があるのに、いつまでも一つのことを中心に考えが堂々巡りするのです。

この世は幻想だなどと言い聞かせたところで、それさえもマインドの仕業なので何の解決にもなりません。


そんなときは、どうやって気持ちをチェンジしていますか。

このブログでもいくつか紹介してきましたが、あなたの得意技があったら教えてください。


そんなテクはいくつあってもいいですよね(^ ^)
  


Posted by Toshiro Abe at 12:23Comments(260)

2015年01月13日

がははの精神

人から言われた辛辣な言葉が、いつまでも心に残ったまま苦しんでいる人がいます。

誰かがあなたに何か言ってきたとしても、それはあなた自身のことではなく、その人が暮らすマインド世界の反映に過ぎないのに、言われたほうにしてみれば大問題。

たいていの場合すでに傷ついているので、ちょっとした言葉が傷口に触れ、痛みが倍増するのです。


あなた自身だって自分のことがよくわからないのに、他者があなたを分かるわけがないじゃないですか。

どんな言葉も、それを言った人のものであって、あなたが受け取らなければそれまでです。


批判や皮肉は、言った人が幸せでないことを表しています。

誰でも生きていくのは大変なことなので、そのことを分かってあげましょう。


そうやって自在に現象を見られるようになれば、問題は消えていきます。

現象を固定して捉えるから問題になるのです。


人は全く違う世界に生きています。

もし誰かの世界を覗くことが出来たら、あまりの違いに驚くことでしょう。

その世界に登場するあなたは、自分でも思ってもみないようなあなたです。


これが実際に起きていることです。

みんな思いこみの世界で一生懸命に生きているのです。

だからユーモアの精神と優しさを忘れないで生きていきましょう。


たまには社会から離れて、ことの全体を笑ってみませんか。

それくらいでちょうどバランスが取れます。


人の世のバカバカしさに気づいたら、あとは笑っちゃうだけです。


そういえば一休禅師は、腰に頭蓋骨をぶら下げて世の中を闊歩したとか。

みんなやがては死んでしまうのだから、誰が偉いもくそもあるものかってね。


人から言われた言葉に悩むには人生は短すぎます。

言いたい奴には言わせておけばいいのです。

そしてあなたは、がははのは(^o^)


何も失っていませんよ。

気楽にいきましょう。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:19Comments(111)

2015年01月11日

対象化

さとり、大いなる意識、目覚め・・・書けば書くほど遠ざかってしまう。

なぜかというと、そのようにして書いた瞬間、本来、極めて主体的なことなのに、それらを対象化してしまうからです。

論じた瞬間に対象化されます。

向老師は、この一点をとことん指摘します。


実は「自分」というものも同じで、自分を好きになるとか、自分を嫌うとか、自分を高めるとか、なんたらかんたらで、我々は自分さえも対象化して分かったつもりになっています。

このアプローチが目覚めへの障害になります。


結局戻ってくる場所は、いまを生きること。


でも、その「いま」も対象化され、観念の一部になってしまいます。


したがって残された手段はただひとつ。


黙して語らず。


昨日はそんな一日でしたがいかがでしたか?


またそんな日を作りましょう。

かと言ってブログは文字によって成り立っているので、この先も言葉なき世界を書き表す工夫をしていきます。

するとまた、その文章に対してあれこれ書く人が出てくるので、ますます遠ざかってしまいます。

したがって、みなさんのコメントが必要な時と不要な時があります。

そのあたりを踏まえて、読むときはほどほどに、そして瞑想するのが一番だと思います。



・・・・・・・


12日、阿雲の呼吸・大阪

25日、東京ソロ講演会

両日ともに満席のためお申し込みを終了しています。


名古屋と博多の阿雲の呼吸(阿部敏郎&雲 黒斎・コラボ講演会)は残り席わずかです。

名古屋 1月17日

博多 1月18日
  


Posted by Toshiro Abe at 15:22Comments(72)

2015年01月09日

目覚めるということ

いま、夜中の12時半です。

ふと感じたことがあるので書いておきます。


目覚めたい、悟りたいと思っている人もいるでしょうが、それは突然やってきます。

特に、いまはそういう時代です。


ただし、このことは忘れないでください。

目覚めるのは、あなたではありません。

大いなる意識が、「あなた」という夢から目覚めるのです。


あなたが大いなる意識に目覚めるのではなく、大いなる意識があなたから目覚めるのです。


ここはとても重要なポイントなので、あらためて伝えたいと思いました。


夜中だと読者登録している人に案内通知が行って迷惑かもしれないので、明朝9時に予約しておきます。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:00Comments(176)

2015年01月08日

近況

今日は個人的なことです。

僕は今年に入ってからウキウキ感が高まっています。

The禅スクールが開校するからです。

自分が発起人のはずなのに、いい意味で「やらされている」という感覚が強くて、だから最終的にはお任せの境地で、ここまでお任せしてみたら絶妙のタイミングで絶妙な流れができているので、この先も楽しみなのです。


他のイベントとしては、久しぶりの「阿雲の呼吸」(阿部敏郎・雲 黒斎コラボ講演会)をやらせてもらいます。

12日の大阪会場は残り席僅かとなっています。


それともうひとつ、3月7日8日に、比叡山の延暦寺会館でちょっと面白いことします。

後日詳細をお知らせします。


いまさら何ですが、今年もよろしくお願いします(^o^)


・・・・・・・


阿雲の呼吸

大阪 1月12日 

名古屋 1月17日

博多 1月18日


お申し込みは上記都市名をクリックしてください。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:11Comments(52)

2015年01月07日

どん底

昨日のどん底野郎さんみたいな気持ちを持ったことある人もいるでしょう。

僕もこの先どうなってしまうかと心底震えたことがあります。


たぶんそのころに、いまを生きるという感覚を身につけ出したと思います。

それは時間という錯覚から目覚めたわけではなく、明日が絶望的だったのでいまを生きるしかなかったのです。

完全にいまを生きることはできませんでしたが、少なくとも「今日一日を生きる」という姿勢だったと思います。

頭の中から明日以降のことと昨日までのことを締め出す努力をしました。


その前にまず、自分に訪れるかもしれない最悪の状態をしっかり描いて、もしそうなるなら受けて立とうという覚悟を持ちましました。

どの道そうなるなら、じたばたしても仕方ないのであきらめました。


僕が想像した最悪は、住む家もなく、飢えと寒さで一人路上で死んでいくというものでした。

もしそれが、天が望んだこの身の宿命なら見届けようと思いました。


僕が幸いだったのは、たとえそのような身の上になったとしても自分という価値はいささかも損なわれないことを知っていたことです。

身分や財産などの格差は人間社会のことであり、存在の価値は皆等しく同じだという感覚です。

もしこの感覚がなければ、身体的な苦しみのほかに、屈辱感や敗北感を抱えて、二重三重に苦しんだと思います。


さて、そうやって最悪の状態を描き、その覚悟を持てたとしたら、もういままでの無力感とは違います。

たいていの場合は、そのような状態になったとき、自分はその現実に対処できないのではないかと考えます。

それが恐れの正体です。

将来の状況そのものが怖いのではなく、無力感が恐れを生むのです。


そして、その最悪状態を少しでも回避するために「いまできること」・・・それが気分転換のための散歩でも、ダメ元で就活することでも、なんでもいいからするのです。

とにかく、いまできることをする。


そんな感じだったと思います。


いつか悟れば楽になるとか、そんな期待はさっさと捨てて、お腹が減ったら食べ物を探して生きることを選ぶのです。


やがて、それも過ぎ去ります。

どんな幸せも、どんな苦しみも、やがてはその姿を変えていきます。

この世は無常です。


たいした力づけにならなかったかもしれませんが、同じような心境になったら思い出してください。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:07Comments(92)