2013年03月31日

つぶやき

いま仙台です。

仙台の講演会や瞑想会には東北各県から参加してくれるのですが、澄んだ瞳や、お国訛りの話し方に、心がほっとします。


実は・・・

HDの容量を増やそうとして、重要なファイルを削除してしまい、手持ちPCのトラブルが多発しています。

今日もこんな時間になってしまいました (-"-;A ...アセアセ




「起きることが起きる」



はい。



それじゃ、講演会場に向かいます。



今日もいい日でありますように。




外に出てみたら、ゆ、雪だ(*^o^*)
  


Posted by Toshiro Abe at 11:14Comments(29)

2013年03月28日

心境 その5

先日、新刊の最終打ち合わせで担当者さんと話をしているとき、「死」についての話になりました。

肉体と精神構造がなくなっても、純粋意識としての存在が残ることは内なる体験から明らかであり、むしろ死は物質次元の束縛からの解放で、思われているような忌まわしい現象ではありません。


そんなことを話しながら、ふと思いました。

「でも死にたくない」


肉体が朽ちた後、意識としての命が存続するとしても、だからといって死にたいわけじゃない。

「そこんとこ、よろしく」


不死を理解すれば、潔く死を受け入れるなんて誰が言ったか知らないけれど、いやなものはイヤです。


以前は死にあこがれていた頃もありました。

いまでも、ちょっと嫌なことがあるとすぐに死にたくなりますが、でも本当に死ねと言われたら「イヤだ」と答えます。





生まれ変わって、また最初から人生やることもまっぴらと思っていましたが、最近はそれも変わってきました。

たしかに人生はくだらない面も多いけれど、そのくだらなさのおかげで真理の喜びが増しているし、青春期の熱病的恋愛も苦しいのが気持ちいいし、様々なトラップもそれなりに楽しいし、面倒ではあるけれど、またやってみたい気がします。

お金と名誉を追い求めて、「な~んだ、そこには何もないじゃないか」と再び気づくのも捨てたもんじゃありません。


現象界どっぷりで生きるのは疲れるけれど、スピリチュアルを気取るのも恥ずかしいし、普通が一番ですね

残された人生、とことん普通のオヤジを生きる所存です。





   


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【お知らせ】

31日の仙台講演会(いまここ塾)は、満席のためお申し込みを終了しました。

沖縄いまここ塾は4月3日(水)に開催します。

火曜ではなく水曜ですのでお間違いのないように。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:25Comments(68)

2013年03月27日

ハートチャクラ

昨日アップした画像を見て瞑想したら、深く入れたという方がいましたね。

あの画像はヤントラというよりは、ハートチャクラそのものです。


もちろん、チャクラは視覚できません。

チャクラは物質次元のものではないからです。

チャクラは第二身体のエーテル体に属しています。


したがって、外科医が胸の手術をした際に

「お~、立派なチャクラですねぇ。こりゃお父様ゆずりだ」

なんてことにはなりません。


それをあえて視覚化したら昨日の画像になります。

なんだか吸い込まれそうで、僕も時々眺めたりしています。


ハートチャクラの色は緑色(エメラルドグリーン)で、ハートヤントラ(瞑想に用いる幾何学図形)はピンク色、補色関係になります。

それにしても綺麗ですね。


ハートチャクラはすべてのチャクラの中心です。

チャクラの数は伝統によって異なりますが、7つにしろ、9つにしろ、13にしろ、必ずハートチャクラが中心になることは共通しています。

下部のチャクラは動物的チャクラ、上部のチャクラは霊的チャクラ、その要(かなめ)がハートチャクラです。


啓発は、ハートチャクラの開花から始まり、ハートチャクラで完結します。

頭頂のチャクラ(サハスラーラ)で1000枚の花弁が開いて啓発すると思っている人がいますが、実際にはそこからまた半分降りてハートで終わります。


ハートはα(アルファ)でありΩ(オメガ)なのです。

ボブさんの瞑想もハートチャクラを最重要として扱っています。


日常でもハートチャクラを開くことはとても重要です。

この部位には、恨みや悲しみなどの感情が溜まりやすく、そのことが、つい自分や他人に対して厳しくなってしまう原因になっています。

批判や不満が心の中で繰り返されることに成ります。

なるべく批判の心を持たないようにして、おおらかに過ごすことが大切です。





溜まってしまった感情は、瞑想で癒すことができます。

ボブさん流に言えばカルマの解放です。

昨日の画像は、みなさんの瞑想の役に立ってくれるはずです。


5月にマイケルハマーさんとボブさんの瞑想ライブも企画していますが、今回はチャクラのお掃除を目的にしています。

詳細が決まり次第お知らせします。



さて、ボブさんとのコラボ講演会ですが、東京第二部は満員のため締め切りとさせてもらいました。

その他の講演はコチラからお入りください。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:59Comments(20)

2013年03月26日

輪廻の話 ボブ・フィックスと共に

こうしてみなさんにお伝えしてきたメッセージは、現在はまだ一部の人にしか受け入れてもらえていませんが、この先、理解する人の数が飛躍的に増え、やがては当たり前の話になっていくと思います。


たとえば、我々は肉体ではなく意識体であり、一度も生まれたことも死んだこともなく、永遠のいまの中で、形を変えながら存在し続けているということ。

すなわち我々は死なないということ。

この一言を理解するだけでも、人生観を根底から覆す力があります。


近頃、東大医学部救急医学の矢作直樹教授が、「人は死なない」という本を出し話題になりました。

生死をさまよう無数の人を見てきた結果、「人は死なない」という結論に達したのでしょうか。


さらに同教授は、人智を超えた「大いなるすべて」が存在するということにも言及しています。

医療現場の最先端にいる人が、「神」の存在や、「不死」について公に語りだしたことは、これからの日本の意識変革にさらなる拍車をかけることでしょう。

見えない世界を頭ごなしに否定してきた科学が、その基本的立場を改める時代になったのです。





今回は、不死という真実を踏まえたうえで、さらに一歩先を行き、輪廻転生の秘密に踏み込んでみたいと思います。

敬愛する仲間、ボブ・フィックスさんの直観力と洞察力を借りて、みなさんを永遠の命の世界にお連れします。


さらに第二部では、大いなる知性とのコンタクト、いわゆるチャネリングについて、各自がその能力を開発するための入門講座を開きます。

チャネリングとは、誰もが持っている能力だとボブさんは言います。


ボブさんは80年代にハリウッドの富裕層の間で評判になり、やがては全米で活躍した有名チャネラーです。

20年前にタイに渡って仏教を学び、現在はタイで瞑想教師をされています。

深く真理を体得しているマスターで、一言でいえば、とても優しい人です。



日程は以下の通りです。


4月27日 名古屋

4月29日 東京

5月6日 大阪

5月12日 博多


詳細は、コチラからお入りください。

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僕のソロ講演会(いまここ塾)は、各都市名をクリックしてください。

3月31日 仙台(残り席わずか)

4月14日 名古屋

4月21日 東京







   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:35Comments(33)

2013年03月24日

3月24日の日記

桜の東京から、雪の札幌に来て3日目。

沖縄は汗ばむような暑さだと聞いています。


どの地域に伺っても、まるで家族のように迎えてくれる人たちがいます。

あたりまえのようにして出会っていますが、無数の出来事の組み合わせの中でこうして出会えているのですから、ただただありがたいことです。





生きている間に、いったい何人ぐらいの人と心の触れ合いを持てるのでしょうか。

同じ時代に、同じ国に生まれたとしても、一生すれ違いもしない人たちのほうが圧倒的に多いわけで、そう思うと、こうして出会えたことは、なんて素晴らしいことなんでしょう。

いつも目の前にある、ありふれた日常の背後に、たくさんの奇跡があることを忘れずにいたいものです。



今日はこれといって書くことがありませんでしたが、すぐに感謝を忘れてしまう自分へのメッセージとして書いてみました。


今日もここに来てくれて、ありがとうございました。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:29Comments(42)

2013年03月23日

B氏の告白

胸のあたりが、なんとなく息苦しい。

お腹のあたりが、なんとなく重い。


いや、別に病気なわけじゃないんです。

気がつくといつもそんな感じで、気分もなんとなく優れません。


以前は、お金のことが心配だからそんな気分なのかと思いました。

お金さえ手に入れば、きっと気分も優れて幸せになれると信じていました。

だから一生懸命に働いて、ある程度の財を築いてきたのです。


でも気分は同じようなものです。

いまは妻や子供との会話不足が問題です。
 
それさえ解決されたら、こんどこそ気分爽快になって幸せになれると思います。


もうひとつありました。

経営している会社が抱えている問題です。

相手の出方次第で、大きな損失を被るかもしれません。

最近はそのことが頭から離れず、あいかわらず胸のあたりが息苦しく、お腹のあたりが重い感じです。

きっとこの問題が解決すれば、気分は大きく変わるはずです。





振り返ってみると、私の人生は、いつも不快感が道連れでした。

すっかり慣れてしまって、普段は気づくことさえないのですが、立ち止まってみればいつも同じような重たい気持ちを抱えています。


私はいつも不幸の理由を見つけ、その理由の解決に奔走してきました。

でも、理由は後付だったのかもしれません。

もしかしたら、この感覚は私の一部であって、何かの原因で引き起こされたものではないのかもしれません。

そう思うと、この不快感ともいえる不幸な感覚は私そのものであり、その部分とどう付き合っていくかが生きるテーマになってきます。


いままで不幸の理由にしてきた外側の問題は、単なる状況に見えてきました。

どちらにせよ、私は不幸を道連れにして、これからも生きていくのです。


不幸が当たり前になれば、それはもはや不幸ではなく、私自身です。





【天の声】


そのとおり、不幸とは『私』自身のこと。

『私』とは分離感覚であり、その分離感覚が慢性的な不快感を及ぼしています。

『私』が消えれば不幸も消えます。


実際には、『私』など存在していません。


『私』は錯覚、『私』は幻想です。


このことを見抜くことが、人生ですべき唯一の仕事です。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(52)

2013年03月21日

独り言

人生で、叶った夢はどれくらいあっただろう。

人生で、叶わなかった夢はどれくらいあっただろう。


どちらもはっきりとは思い出せない。


ということは、どちらもいまの僕に、大した影響を与えていないということだ。

それなのに、なんであんなに大騒ぎしていたんだろう。


すべては移り変わっていく。


そしていつも、いまここに自分が在る。


何も得ていないし、何も失っていない自分が、いまもこうして在る。


それだけは変わらない。

  


Posted by Toshiro Abe at 11:17Comments(33)

2013年03月19日

クラウドアトラス・輪廻転生

誰にでも、人生を変えてしまうような出会いがあります。

長い人生の中で、僕にも何度かありましたが、その最も大きいものがボブ・フィックスさんとの出会いでした。


彼の事はすでに著書で知っていましたが、初めて読んだ時から、いつか会うことになるという予感を持っていました。

予感って不思議ですよね。どこから湧いてくるのでしょうか。


その後しばらくしてボブさんの瞑想に出会い、「世の中には凄いものがあるんだな」と思いましたが、他の活動が忙しくて、そのままで終わっていました。


さらにそれから10数年が経ち、ある日突然、その瞑想の事を思い出しました。

こうして突然思い出すというのも、タイミングも含めて不思議を感じます


マントラという波動を用いた瞑想で、その波動を直接インプットするための伝授と言われる儀式を経験していましたが、なにせ時が経っているので、もう賞味期限切れだろうと思いながらも一応試してみたら、またたく間に空(くう)の世界に入っていました。

「こりゃ凄い!」

というわけで、再び伝授をしてくれる人を探し、沖縄から上京して、新しいマントラを伝授してもらったわけです。

そこからチェンマイに会いに行くまでに半年もかかりませんでした。


さてボブさんと会うと、すぐに彼は言いました。

「ずっとあなたが来るのを待っていました。私たちは何万年も前からの仲間ですから」


こういう話は苦手です(笑)

でも彼は、会ってもいない僕の家族や子供の事を、言われてみて初めて思い当たることまで細部にわたって言い当てたので、人間には未知の力があるのだとは思いました。

彼が有名なチャネラ―だと知ったのは、その後の事です。

それからの僕と彼との活動はご存じの通りで、いまや兄弟以上の付き合いをしています。

あと何年生きられるかわかりませんが、これからも彼の瞑想を地道に伝えていく活動をしていくことでしょう。

やはり最初から決まっていたのだと思います。


今週から上映されている「クラウドアトラス」という映画を知っていますか?

映画「マトリックス」の監督が、名優トムハンクスと組んで制作した映画です。



見たこともない映像美に引き込まれてしまい、3時間近い時間があっという間に過ぎてしまいます。

僕たちは何度も生まれ変わり、そのたびに何度も巡りあっているということが描かれているのですが、西洋の映画が真正面から輪廻転生を扱ったという点でもユニークな作品です。


実は試写会に招待していただき、コメントも書かせてもらいました。

公式サイトに掲載されていますのでご覧ください。


もしかしたらあなたと僕も、いろんな配役として各時代に出会っていたかもしれませんね。



さて、ボブさんですが、今年のGWに日本にお呼びします。

比叡山でも大好評だったマイケル・ハマーさんとのプロセス瞑想も、再び開催できる予定です。

楽しみにしていてください。



もう、すっかり春ですね(^o^)








   


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4月21日 東京講演会のお申し込みを開始します。

詳細はコチラから


3月24日の札幌講演会は、お申込み数が定員に達したため締め切っています。

ご都合が変わった方は、なるべく早くご連絡ください。

そのほかの講演会は以下の通りです。


3月31日 仙台

4月14日 名古屋
  


Posted by Toshiro Abe at 10:44Comments(64)

2013年03月18日

瞑想について

昨日の、学生さんからのコメント。


瞑想について質問があります。

瞑想をちょっと調べるとその危険性を説く方が多く見られます。

禅病になったり、瞑想でドーパミンが出過ぎて廃人になったり…等です

確かに私も瞑想中や、普段時々自分と言うものがなくなってしまうんじゃないか、気が狂ってしまったらどうしようという恐れを感じる事もあります。

阿部さんや皆さんはこういう点についてどうお考えでしょうか

是非教えて頂きたいです。




まず結論から言えば、瞑想に危険性はありません。

でも我々の自我は、恐れに訴える情報の方に引き寄せられやすいので、一度そのような考えを持ってしまうと、抜け出すのには時間がかかるかもしれません。


学生さんが言うように、瞑想中に自分が無くなってしまうような感覚は起こります。

無くなるのは、思い込みで自己同化してきた偽の自分(自我)であり、偽の自分が消えた時、本当の自分が現れます。

とても素晴らしいことが起ころうとしていますが、その時に先入観として恐れの情報を持っていたら、人によってはパニックなるかもしれません。

でもそれは瞑想のせいではありません。





瞑想とは思考の混乱を鎮めていく唯一の道であり、現代のようなストレスレス社会には必要不可欠のものです。

さらには大いなる存在への気づきや洞察を促す道でもあります。

洋の東西を問わず、真理に行き着いた人たちが異口同音に瞑想を奨励するのは偶然ではないのです。


ネット社会の危うさは、この10年間でたくさん経験してきました。

その中でも驚いたのが、瞑想に対する偏見と誹謗中傷です。


瞑想を否定するさる人気ブロガーは、僕が沖縄で瞑想会を始めた時、戦争での浮遊霊が多い沖縄で瞑想をすればみんなが気が狂うと言い切りました。

これなどは差別心に基づく無知の権化のような発言です。

そのときは、発言の矛盾点を論理的に指摘したら、それ以来攻撃は止まりました。

もちろんその後、沖縄の多くの瞑想者にそのような人は一人も出ていません。


攻撃する人たちの共通点は、その誰もが正体を隠した匿名であるということ。

誰一人、自分の発言に責任を取らないことです。


僕の周囲にいる、数百数千のボブさんの瞑想者や、仏教修行僧の中で、心身が健全化した人は無数にいても、気がふれた人は皆無です。

そもそも瞑想とは何なのかという僅かな知識があれば、このような子供じみた考えはなくなります。



さて、瞑想に対するもう一つの誤解は、瞑想が宗教と思われていることです。

僕の周囲にもそのような人がいましたが、先日NHKが瞑想の様々な効能を有名医師と共に取り上げてくれたことで、考え方が変わったようでした。



この先ますます瞑想へのニーズは高まっていきます。

その現象は、社会全体を健全化し、さらには人類規模での意識向上に貢献していくことでしょう。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:44Comments(54)

2013年03月17日

春の気配

今朝は我が家に、瞑想のフォローを受ける方達がたくさん集まってくれました。

半年以上続けている人たちは、あきらかにエネルギーが穏やかに美しく変わっています。

そのことについては、ご自身でも実感されているようです。

日々の生活では、たくさんのストレスにさらされているのですから、それを解消する時間を持つのは必要です。


かく言う僕も、ボブさんとの出会いによって、ずいぶんと癒され、エネルギーも調整されていきました。

霊的な気づきをすると、その瞬間はすべてが解決したような気がして、すでに自分は到達したかのように思ってしまいがちですが、そんなことはありません。

そこからまた、生身の人間稼業が始まって行くのです。

大いなる気づきを得たという経験は、むしろその後の成長を妨げていたようにも思います。

プライドや特別意識というお馴染みの錯覚を、無意識にまた持ち運んでいた時期もありました。


いままた、ごくあたりまえの一個の人間として、あたりまえに生きている自分がいます。



いま講演会場に向かう車の中です。

今日もたくさんの人との出会いがあります。


この人生の流れに、心から感謝しています。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:56Comments(23)

2013年03月15日

聞いてほしい話

僕は動物が大好きです。

もしかしたら僕は、犬か猫の生まれ変わりかもしれません。

だって子供のころから、道路で動物が車に轢かれていると、人間の死以上に悲しい気持ちになったのですから。


そんなことは誰にも言えませんでした。

言ったら人でなしと思われそうだったからです。


子供のころから、いつもペットが一緒でした。

縁があって、道でばったり会った子たちです。


ちなみにこの子は、10年前に沖縄に越してきた直後、子供が見つけて連れてきたクミちゃんです。

家の中で、同じ境遇だった5匹の猫に囲まれながら、健気に生きています。

よく見ると、この写真にも猫のお尻が少し写っているのわかりますか?





人との縁と同じように、動物との縁も、最初から決められていたように思います。

そうとしか思えない不思議なエピソードがたくさんありますが、今日は違う話です。



あまり見たくない現実ですが、毎日のようにおびただしい数の犬や猫が、殺処分という名の下で殺されています。

しかも安楽死とは程遠い、炭酸ガスによる窒息死です。

そのあとはゴミと同じように焼却されるのですが、子犬や子猫は呼吸量が少ないため炭酸ガスでは死に至らず、その場合は生きたまま焼却されます。


これが、ペットブームと呼ばれるいま起きてる現実です。



犬や猫や、動物たちすべての命を尊重できるような社会になったらいいですね。

そんな感性が広まれば、きっと戦争もなくなっていると思います。



これは今朝、フェイスブックで見つけた写真です。


このポスターを張ってくれる場所を、募集していました。

すでに多くの学校や自治体が協力してくれているようです。


関心を持ってくれた人は、写真をクリックしてください。





ありがとう。





   


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【お知らせ】


4月14日 名古屋講演会のお申込受付を開始します。

詳細はコチラから。


3月の講演会は

17日東京 満席

24日札幌

31日仙台

です。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:16Comments(100)

2013年03月13日

予想って・・・

お先真っ暗と感じている時は、その「お先」を、何を基に想い描いているでしょう。

それは、現在の状況です。


未来の予想というものは、いまの状況や知識を素材にしているのです。

100年前に描かれた最も優れていたと言われる未来想像図には、たくさんの飛行機が上空を飛んでいます。

そこまではいいのですが、それらの飛行機は翼が左右に二枚ずつある、いわゆる複翼のプロペラ機です。

このあたりが予想の限界なわけです。





さて話を戻しますが、いまは袋小路だと感じていても、もしかしたら数時間後に誰かと出会い、そのことがきっかけで運勢が急上昇するかもしれません。

とにかく先の事はわからないのだから、クヨクヨ考えるだけ無駄です。

だからせめて今日一日だけは、幸せを感じていましょう。


それに、もしかしたらこの先の状況は、もっと悪くなるかもしれないのです。

だったら、せめて今日くらいは、幸せな気持ちでいましょう。


どちらにせよ、せめて今日一日だけ、みんなでワクワク生きてみましょう。


僕はそんなふうにして、30年間、「今日一日」を生きてきました。


ラッキー(^o^)








   


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4月14日(日)は、名古屋で講演させていただきます。

詳細はまた追ってご紹介します。


  


Posted by Toshiro Abe at 13:28Comments(58)

2013年03月12日

3月12日の記事

ここ数日間の記事に、僕たちを悩ませ不安にさせている正体は、無力感だと書きました。

自分には解決できない、自分にはどうすることもできないという感覚です。

今日はその続きを書いてみます。





まず結論から言えば、あらゆる無力感は誤解です。

僕たちの内側には、とてつもない力が秘められているからです。

このことに例外はありません。


新たな困難や試練が訪れた時が、その力を発揮するチャンスになります。

人間はその一方で怠け者なので、チャレンジがなければ、眠っている力を呼び起こそうとはしないものです。


身体的な困難や、経済的な困難に打ち勝った人を見ると、その人が凄い人だからできたと思いがちですが、その人も平穏無事な人生を送っていれば、そのような力が自分の中にあることに気づかなかったかもしれません。

困難や試練は、自らの可能性を広げるための機会なのです。


RPGゲームの難易度は、プレーヤーの経験値に沿って上がっていきます。

その瞬間は、無理だ、できない、と感じる難しい状況も、必ずクリアできるようにデザインされています。

これは人生も同じで、自分に解決できない問題は決して起こりません。


もう一度言いますが、目の前に現れた問題の全ては、新しい力を発見するためのチャンスなのです。

「我に七難八苦を与えたまえ」という願いは、そのことを知った人から発せられています。


悩みや不安によって、いたずらにエネルギーを消耗させるのではなく、しっかり目を見開いて、肛門の括約筋をキュッとしめて、このゲームを受け止め、クリアしていきましょう。


そして、たとえ現象界(ゲーム画面)で何が起きようと、あなたの本質はまったく違う場所にいて、一切の影響を受けていないことも忘れずにいましょう。

最初から救われていることを忘れないでいられれば、どんなチャレンジにも向かっていけます。

そんな気持ちになった時、それまでの「問題」が、あなたの中で「課題」に変わっているのです。



何もしてあげられませんが、いつも応援しています。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(90)

2013年03月11日

問題と課題

beniさんからの質問です。

>自分が問題にしていることはわかってるんですけど、どれをどう課題にしていいのかわかりません。。。


とてもストレートな質問ですが、伝えたいことが補足できてありがたいです。

ここで言うところの「問題」と「課題」の意味を整理してみましょう。


「問題」と感じている現象の多くは、自分の力では解決できない、あるいは解決困難だと思っていることです。

もし解決できるのであれば、すでにそのことに取り掛かっていますから、それは「課題」だということができます。


ここまではいいですか?


ではなぜ自分では解決できないと感じるのでしょう。

そこにはいくつかの理由がありそうです。


代表的な理由は、その現象(問題)を作り出しているのは自分ではなく、自分以外の誰かだったり、周囲の状況のせいだったりと感じている場合です。

要は、誰かのせいでこうなってしまった、何かのせいでこうなってしまった、「この問題を作り出したのは自分ではない」と感じているのです。

自分は正しいのにこうなってしまったという被害者意識がどこかに隠れています。


だからと言って、自分のせいだと言っているのではありません。

「この問題を引き寄せたのは自分の波動だ」などという、いわゆるスピ系の話でもありません。

「問題」に対してとっている立場のことです。

その立場が被害者の立場である場合が極めて多いのです。


被害者の立場をとっていると、自分にはどうすることもできないという感覚になります。

その無力感が苦しみを生じさせるのです。






一方、その気になれば自分でこの問題を最小限にできるという立場も取れます。

そうなれば、すでに何らかの行動が始まり、「問題」は「課題」に変わっています。


僕たちがいまの現実に対して持っている不安や苦しみは、現実そのものが作り出しているのではなく、自分には解決する能力がないのではという無力感から生じているのです。




明日に続く(たぶん)









   
  


Posted by Toshiro Abe at 14:32Comments(52)

2013年03月10日

3月10日の記事

いま大変な思いを経験している人もいることでしょう。

困難に直面している人もいるかと思います。


なんの気休めにもならないかも知れませんが、ちょっと違う角度から伝えたいことがあります。


あなたは、そして僕もですが、いまの現状が何であれ、それを経験するために生まれてきたのです。

だから面と向かって経験しましょう。


そうすれば、問題は問題ではなく、課題に変わります。

問題には苦しみという感情がありますが、課題には感情はありません。


混乱した問題を、生きるべき課題に変える、そんな生き方を奨励します。  


Posted by Toshiro Abe at 10:55Comments(81)

2013年03月09日

花粉

ホテルの中だというのに、どこから入ってくるんだろう。


目が・・・かゆい・・・


鼻が・・・ハナが・・・


くしゃみが・・・止まらない・・・


前に住んでいた浜松は、花粉学者が研究のために移り住んだと言われるスギ花粉の名所(?)でしたが、転居した沖縄には杉がないので、ずいぶん楽な思いをしていました。

引っ越しした最初の年は、「あ~、なんて有難いんだ!」って感謝したけれど、慣れてくればあたりまえになって、そんなことは忘れてしまう。

まったく人間ってやつは、うまくいっていることや恵まれていることは、そのうちあたりまえになってしまい、うまくいかないことや足りないことばかり考えて、「なんでこんなに大変なんだ!」って、騒いでいるような気がします。



それはともかく・・・

この写真は、たったいまの大阪の街。





黄砂の影響もあるのでしょうか、晴れているというのに、なんとなくどんよりしています。


外出の際はお互い十分気をつけましょうね。




さて今日も、

せめて今日だけは軽快な気分で過ごすとするか(^o^)








   


・・・・・・・・・


3月講演会、大阪と東京は満席です。

ありがとうございました。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:41Comments(46)

2013年03月07日

お誘い

今日をどんな気分で過ごそうと、ただ起きることが起きていきます。

だとしたら、どんな気分がいいですか?


いつも重たい気持ちを引きずっているという人がいたら、せめて今日一日だけは軽快な気分で生きてみませんか。


未来に期待していた幸せを、いま味わっちゃいましょう。


そして今日味わう予定だった重苦しい気分を、未来に先延ばしするんです。



するとね・・・未来はやってこないんだな、永遠に。



ラッキー(^o^)














   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:04Comments(76)

2013年03月05日

つぶやき




なんと多くの人が、そうとは知らずに、真理の次元を垣間見ていることか。

でも自分に何が起きたのか判らず、「気のせいだろう」で済ませてしまっている人もいます。


もし自分の身に起きたことが、大いなる祝福だったと知れば、人生観や自分観が変わるのではないでしょうか。


みなさんのコメントを読んでいて、そんなことを思いました。








     


Posted by Toshiro Abe at 11:55Comments(52)

2013年03月04日

万法に証せらるるとき

昨日いただいたメールの中から、いくつかピックアップして解説してみます。


コンチさんのコメント

24日の講演会で、自分の肩書きを横に置いて、ただ呼吸をしていることに意識を向ける瞑想を教えていただき、家で実践していた時に、数秒ですが自分も含め、すべてのものの「名前」が消えて、ただ「在るもの」がありのままに静かに動いているという感覚になりました。

感覚なのでうまく説明できないのですが(笑)

「自分がいなくても世界は完璧に動いている」と、ほんの少し近い感覚だったのかなって思います。




これはまさに、リアリティーに一歩近づいた体験です。

もともと何一つ名前などありません。

それらはすべて人間が勝手に付けたものです。

そうやって人間は、周囲の現実を整理して、すべてを把握していると思っていたいのです。


その整理の中には、多分に思い込みが含まれています。

たとえば対人関係だけを見ても

あの人は頑固な人

あの人は優しい人

あの人はいい人

あの人は悪い人・・・などなど

これらも名前の一種で、自分を取り巻く世界を把握するのに一役買っています。


そうやって決めつけた現実を固定して、それを世界と称し、その中で生きています。

しかもそれを生きている人(自分)のことも、決めつけて固定化しています。

あなたも、僕も、そしてあなたが知っているすべての人も、「この人はこうだ」と決めつけられるようなものは何一つありません。

すべての人は、そしてすべてのものは、刻々と変化する流れの中に在るのです。

いまはそのように見えても、明日はまったく違う形かもしれません。


それなのに、名前はすべてを固定化してしまいます。

山や川とて同じことです。


いまはそのような状態ですが、何万年後かには、すでに違うものになっているかもしれません。

すべては、「いま~~している」という、現在進行形が正しい言い方です。


だからでしょうか、中近東のとある地方では、名詞が一切なく、ほとんどを動詞で表すそうです。

「山」という言葉はなく、「山している」という言葉があるのだそうです。

面白いですね。


僕たちは、決めつけの世界を生きる、決めつけられたキャラクターです。

せめて一日に何回かは「誰でもない人」になって、「あるがままの現実」を感じたいものです。







続いて、じゅんたまさんのコメント

はじめまして、いつもワクワクするブログありがとうございます。

もう何年も読ませて頂いてるのですが初めてコメントします。

今日の文面(昨日の文面)をいつものように仕事の休憩時間に読んでたら、なんか急に自分が消えていく感覚?回りに溶け込む感覚?になって、訳もなく焦って心の中でヤダヤダヤダて気持ちが沸き上がってきてしまい、消えていく感覚みたいなのが止まりました。

ヤダヤダヤダと思いながら気持ちいいなぁ~て感じてたりとか、なんか言葉では説明できませんが、全てが自分という感覚が、なんか腑に落ちました。

でもなんで気持ちいいのにヤダヤダヤダって思ったんだろう?不思議な体験だったので思わずコメントしてしまいました。




もしこのとき、じゅんたまさんが恐れの気持ちを持たずに、起こることに身を任せていたら、とても素晴らしい感覚に包まれたことでしょう。

それまでの自分が消えて、本当の自分に意識がジャンプしたのです。


たしかにその瞬間は、自分が消えて無くなるような気がしますが、ジャンプした後は、もっと強烈に自分を感じるようになります。

その時初めて感じる本当の自分から見れば、それまでしがみついていた自分は、まるで思い込みの束のような、偽物の寄せ集めみたいな代物に見えてくることでしょう。


これは魂にとっては祝福の瞬間であり、自我にとっては死(消滅)を意味します。

したがって自我は最大限の抵抗をします。

「訳もなく焦って、心の中でヤダヤダヤダて気持ちが沸き上がってきて・・・」

となるのです。


だから昔から、そのような段階に達した人に、ガイド役の必要性が説かれてきました。

ガイドとは、あなたが安心してすべてを預けられるような相手であり、別名を「マスター」と言います。


マスターとは、人が真理の次元に再誕する際の、お産婆さんのようなものです。

マスターに対しては、自分自身を差し出すことが求められます。

それを帰依と言います。

もっとわかりやすく言えば、全面的な信頼、降参です。

ですから禅寺にも、老師と呼ばれる存在がいて、師と弟子の全面的信頼の中で、さとりという現象が受け継がれてきています。

このあたりは向和尚に聞いてみたら、いろいろ教えてくれるかもしれません。


それでは、マスターの存在が絶対不可欠かと言えば、僕はそうは思いません。

真理の存在を確信し、命を捨てるくらいの覚悟で、自分が消えて無くなるような恐怖に飛び込んでいければ、ジャンプした先で、存在全体(万法)があなたを抱きかかえてくれます。

そして「そうだ!その通りだ」と、あなたを全肯定してくれます。



最後に、道元禅師の有名な言葉を載せておきます。



仏道を習うといふは、自己を習うなり。


自己を習うといふは、自己を忘るるなり。


自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。









   


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3月の講演会は以下の通りです。


10日大阪(満席)

17日東京(残り席わずか)

24日札幌(残り席わずか)

31日仙台

  


Posted by Toshiro Abe at 09:56Comments(38)

2013年03月03日

本当の自分

前回書いた、「世界から完全に手を引いている」という感覚、これは伝えたい感覚の中でも代表的なものです。

「自分がいなくても世界は完璧に回っている」というのも同じです。


このとき、「私はいない」ということを完全に理解しています。

「私」はいないけれど、「私以外のすべて」が、「本当の私」として在るのです。

「本当の私」は、私というパーソナリティではなく、時空を超えた意識、いまここにある永遠の命、存在のすべてです。


この永遠の命(意識)は特別なものではなく、本来の我々全員の姿です。

誰一人例外なく、この状態が底辺にあり、その上に様々なキャラクターを重ねて、自己という名の自分を作り出しています。

その自己は肉体と同化しているので、肉体が死ねば自分も死ぬと思っています。


でも、僕もあなたも死にません。

僕たちは、永遠の命なのです。


命が永遠に続けば、苦しみも永遠に続くような気がしますが、そうはなりません。

苦しみは時間という錯覚の中に存在し、永遠の中には悦びしかないからです。

だから正確には、「永遠の命」は「永遠に祝福された命」ということになります。

それが僕たちです。


人生とは、時間という錯覚から、時間を超えた永遠という真実に目覚めるための機会なのだと思います。

本当の自分を思い出せば、たとえこの人生で何一つ得られなくても、その人はすべてを手にしたことになります。


反対に、本当の自分を思い出せなければ、たとえ世界中の富を手にいれたとしても、その人は何も得ていないのと同じです。

死がすべてを奪い去っていくことでしょう。



今日も分かりにくいことを書きましたが、この感覚を、たった一人の人にでも伝えることができたら大成功です(^o^)


「本当の自分」・・・この使い古された言葉の中に、すべての真実が含まれています。




またもっとうまく書ける日があると思いますが、沖縄にいると気持ちが良すぎて頭が働きません。

ここは不思議な島だと思います。


そういえば、もうスピ系のメッセージは飽きたはずなのに、今日の記事を読み直してみれば、思いきりスピ系ですね(笑)


もう飽きているのに、伝えたいことはこれしかないから仕方ないです。



それでは、よい日曜日を。







   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:13Comments(52)