2016年01月31日

オープンキャンパス

こんな話を思い出しました。

昔、とある修行者が、村はずれの庵に暮らしていました。

そんな彼を慕い支援を続けているスポンサーが、突然、彼の庵を訪ねてくることになりました。

彼は、支援者のために庵を片付け庭を掃除しましたが、完全に整った庵を見て思いました。


「自分はなんてことをしているのだ。これでは正直ではない」


そこでこんどは、ゴミやら枯れ葉やらを、あたり一面にぶちまけました。

すると今度は見る影もなく、とても汚れた部屋に変わりました。

これは行きすぎたと思っていたところに、支援者が現れました。

来客は、そのあまりの惨状に困惑して、こう聞きました。


「なにがあったのですか?」


そこで修行者は、自分の心の動きや、ことの経緯を正直に告げました。

その時、支援者と修行者が同時に大笑いし、心が開き合い、そこに偉大な瞬間が訪れたという話です。


僕はこの話が好きです。

難しい修行の果てではなく、偉大な瞬間は、完全に心を開いたときに訪れるのです。



さて今日から、THE禅サンガ第2期生募集に伴い、オープンキャンパスを実施します。

冒頭の動画は僕のWeb講演ですが、ここのブログ記事を補足することもしばしばなので、ぜひ見てください。


THE禅サンガ・オープンキャンパス


そしてTHE禅サンガに興味を持ってくれた人は、2月11日からの第2期にご参加ください。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:10Comments(31)

2016年01月29日

禅サンガのこと

人間界というところは、それぞれの人間の中に、それぞれがこしらえた観念による世界があって、その世界同士が出会っている場所です。

それぞれの人は、自分の世界しか見えないので、他の人は自分の世界での登場人物となります。

世界は、それぞれの中で作られているのですが、個々は自分が作ったその世界の中で生き、その世界だけが客観的で唯一の世界だと思っています。


人は観念を通して物を見るしかないので、ひとつの現実に対して、人それぞれの解釈が生まれています。

あらゆることがそのように起きていることを、まずは理解することが大切です。


世界は自分が作っているというのは本当ですが、それは目の前の物資や現象のすべてを、自分の意識(あるいは大いなる意識)が作ったという意味ではありません。

起きていることは確かに起きていても、我々はそのことを自分本位に解釈し、あらゆることをその解釈によって作りだしているのです。


相手があなたをこう見ているだろうと思っているようには、相手はあなたをそう見ていません。

相手のなかには全く違うあなたがいて、相手はそのあなたと関わっているのですから。


さて一から万事そんな調子で、何から何まで思いこみで作った世界なのですが、あろうことか人はその世界に固執して、巻き込まれ、埋没しています。

それが苦しみを作っているのです。

そこから連れ出したいという思いがあり、こうして活動していますが、それは、もうひとつの存在の可能性を示すことです。

世界への思いこみの強さが深刻さを生み、思いこみが薄まれば、その分だけ気楽さが現れてきます。



「禅」というとなんとなく厳しいもので、厳しくなければならず、その厳しさを通して人は彼方に誘われるみたいなイメージがありますが、ここにおいてのポイントは厳しさではなく、誘うことです。

厳しさは誘うための、ひとつの型、手段に過ぎません。


禅とは、いまここにおいて、なにに囚われることなく、自由に生きている態度です。

そうなるには、自分と自分が作りだした世界から自由になることしかありません。

ただし、そうなったからといって、理想的な人格になるわけではなく、ただあるがままにあります。


禅の伝統の枠の中ではなく、その精神だけをいまの時代に抜き出したのが、僕たちが提案する「THE禅サンガ」です。

ここは、一般に思われている「禅を学ぶ」ための教室ではなく、阿部と向という生き方や在り方や考え方に触れてもらうことで、結果的に禅を学んでいるというサンガ(真理を基にした集まり)です。

ネット上ですが、とても有機的な場です。


社会の中での役割に埋没するのではなく、誰でもない素の自分に戻ってくる時間であり、霊性とのつながりを取り戻す時間です。


オープンするサイトはこんな感じです。





いよいよ明後日からオープンキャンパスとして一般公開します。


さて、昨日お話した、さとうみつろう君から、たったいま電話がありました。

みなさんのおかげでデビューアルバムが、オリコン初登場28位だとのことです。

わー!パチパチパチ!


メジャー全体で28位というのは、こういうジャンルからのアーティストとして快挙ですね。

誰かも言っていましたが、みつろう君は楽器も歌も下手だというイメージは、なんとなく持てしまった印象であって、実際は独自の世界を持つアーティストであり、その完成度も決して低くありません。

ですから、これだけ売れたというのも彼の実力です。

これからも応援したいと思います。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:25Comments(52)

2016年01月28日

時間を超えて

強く願ったことが、いつのまにか実現していることってありますよね。

ただ起きることが起きているのに、自分の努力とは関係ないところで、願望が成就するように全体が動き出すみたいな現象です。

願ったから叶ったのか、それともそうなることを知っていたから願ったのか。

もしかしたら後者かもしれないと思うことがあります。


なぜ禅に惹かれたのかわからないけれど、高一の時、「禅とは何か」という鈴木大拙の本をいつも持ち歩いていました。

まったく解らなかったにもかかわらず手放すことができませんでした。


さらにもっと昔になりますが、小学校2年の遠足に、先生が「今年は奥山半僧坊に行きます」と言ったとき、なぜか胸がドキドキしました。

いまでもはっきり覚えているくらい、なんとも言えない高まりでした。

半僧坊(はんそうぼう)というのが何処なのか、そして何なのかも全く知らなかったのに、なぜか懐かしい響きがして胸がときめいたのです。

後になって、半僧坊というのは、方広寺の別名だったことを知ります。


やがて大人になり、人生で大切なものは見えている世界だけではないことに気づいたとき、誰に教わったわけでもないのに、自己流で坐禅を始めていました。

その後OSHOのメッセージに惹かれ、食い入るように本を読み続けるのですが、世界の伝統の中で、日本の禅だけが純粋性を保っていると繰り返す彼の言葉に、ますます禅への感心が高まっていきました。

と同時に、自分が感じている真実は、すべて禅の世界で語り継がれていることを知りました。


そして天河神社での奉公が終わった日、神殿の前で強く願ったことが、

「どうか本物の禅僧に会わせてください」というものでした。

本物の禅僧とは、職業で僧侶をしているのではなく、道を求めて修行し、大悟を認められた僧のことです。

いまは修行とか、大悟とか、そのようなことへの認識が変わりましたが、当時は真剣でした。


その後、運命に導かれるようにして、再び方広寺半僧坊にたどり着きます。

すでに空の世界は体験済みで、個人という幻想の先にある全体性も確信していましたが、そういうことを話せる人が誰もいない中で、初めて何から何まで一致したのが向禅師でした。

願いが叶ったのです。


やがて二人は、方広寺で「奥山ZENスクール」を立ち上げます。

20年ほど前のことです。

考えてみれば、ズブの素人が、禅のエキスパートと対等にコンビを組むのですから、このような例は珍しいのではないかと思います。

伝統に固執せず、門外漢を受け入れる度量の大きさが向さんにあったのと、当時すでに毎年ドイツに赴き、現地のリーダー層に参禅指導をしていた向さんだからこそできたことだと思います。


思えば長い付き合いをさせてもらってきました。

僕は自分勝手でワガママなところがありますが、向さんは当時からそんな僕を「いいよいいよ」という態度で受け入れてくれました。

あはは、それはいまも変わりません(^^;)


さてそんなコンビが時を経て、舞台をインターネットに移して始まったのが「禅アカデミー」です。

多くの人に貢献できる可能性を感じながらも、見当違いや失敗もあり、少しずつ形が整えられていきました。

いらないものを排除し、必要なものを取り入れ、体制を一新して、いまの「禅サンガ」に繋がります。


失敗は全て僕の責任であり、やってみて初めてわかることも多く、この一年間に学んだことは計りしれません。

そんなストーリーの中で、コツコツと心を込めて作ってきた禅サンガを、みなさんに紹介します。


新しいサンガの特徴は、ユーストリームを多用していることです。

月・火・水・日と行われる向禅師の朝の坐禅会、

隔週夜に行われる僕のWeb講演会、

月に一度の向禅師の臨済録講話、

そしていまは毎週のWeb瞑想会にも参加できるようになり、そのすべてが生配信されます。


生で見れない人には、動画がストックされているので、いつでも見たい時に繰り返し見てもらうことができます。

これが新しく生まれ変わった内容です。


百聞は一見にしかずで、どうぞ日曜日からの3日間、禅サンガのサイトで宝探しをしてみてください。

きっと何か見つけてもらえると思います。


強い願いは叶う。

あるいは、そうなることを知っているから強く願う。

その両方が、時間を超えて「いま」、同時に起きているのだと思います。



さて話はガラリと変わりますが、昨日、みつろう君が家に遊びに来てくれました。

現在ブレイク中の、さとうみつろう君ですが、彼と話すのは面白い。

「そうきたか」という視点が多くて、とても新鮮です。


そんな彼がメジャーレーベルからCDデビューしました。

やったね、みつろう!!

君がメジャーデビューすることは、宇宙が誕生したときから決まっていた(笑)

それを君は知っていた。

実際そういうことです。


彼はこう歌います。


♪不安の正体は「未来」

♪僕らの正体は「いま」


うん、いい、いい(^^)


この「スターライダー」という曲を「居酒屋阿部家 第6話」で聴かせてもらったんだけど、とても良かったです。

歌はメッセージの残りかたが違いますね。

その模様はココに収録してあります。

サンプルなので無料で聴けますよ。


みつろう君のCDは、昨日発売で、すでにオリコンチャートで30位に迫る勢い。

すげー!!

ぜひお買い求めください。

CDはコチラで購入できます。


Youtubeで試聴もできます。

https://youtu.be/ifDkT31IlAY


こういうメッセージが世に出るのは、素晴らしいことですね。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:36Comments(54)

2016年01月27日

コミュニケーション

昨日のコメント欄はとても有意義でした。

質問や、あるいは僕の言動に対する違和感を率直に言ってくれると、僕も何が問題なのかが見えてきて、そのことに対応することができます。


人間関係の問題の多くはコミュニケーション不足だと思います。

お互いが相手を決めつけ、互の真意が見えないまま、それぞれの中で事実が作られていってしまうというものです。

「話せばわかる」

という言葉がありますが、たとえ違う意見を持っている同士でも、対立を目的にするのではなく、相互理解を目的に話し合えば、たいていの問題は解決するのではないでしょうか。


ただ、もう一つの問題として、人間は己の中に様々なこだわりや古傷を抱えていて、素直になれなかったり、あるいは相手の物言いに傷ついたりすることも起きます。

相手がそんな思いで言ったのではないのに、勝手に傷ついてしまうこともあります。

そうなると、せっかく相互理解を目的にしたのに、知らぬまに互の主張をぶつけ合う対立へと変わってしまいます。


ですから正確なコミュニケーションには、相手が何を感じているのか、何を伝えたいと思っているのかということを、十分に感じながら進めることも大切です。

ブログのような文章でのやりとりは、最も難しい部類に入りますが、それでもいま言ったようなことに留意してやりとりすれば、とても効果的な結果が作れると思います。


昨日のコメント欄では、それができていたのではないでしょうか。

昨日はみなさんからたくさんの愛を送ってもらいました。


そして昨夜のWeb講演会でも、同様の質問が寄せられたことで、さらに詳しい意思の疎通ができたように思います。

やはり動画は実際の声や表情が届くので、文字情報以上に何を伝えたいのかが届きやすいと思いました。


Web講演会は禅サンガの中で隔週でやっていますが、31日の日曜日からの3日間、オープンキャンパスとして公開しますから、昨日の模様もみなさんに見てもらうことができます。

どうぞ楽しみにしていてください。


出会ってくれてありがとう。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:58Comments(53)

2016年01月26日

「愛」について

さむさんへ

心の込もったコメントをありがとう。

さむさんのコメントの全文はあまりに長いのでここに転載するのはやめますが、昨日のコメント欄にあるので、そちらをご覧下さい。

その文章を読んだ率直な感想を述べてみます。

失礼な表現があったら許してください。


たぶんあなたは一時期、非二元とか、悟り、とか呼ばれている現象を求めて奮闘し、それが得られないことから、非二元という言葉自体に抵抗を持ったのではないでしょうか。

もし最初に関心を持たなかったら、抵抗が出てくることもありません。

僕はそんなあなたの元々の関心に向けて文章を書きます。


>阿部さんの視点では、阿部さんという「わたし」が消失したところに非二元という名の大きな愛があるのだ、という観点ですね?



非二元という大きな愛があるのではありません。

愛としか呼べないのです。

言葉遊びではなく、非二元は愛としか呼びようがないのであって、我々が想像する愛があるのではないのです。

この視点の違いが、そのあとのあなたの文章の礎になっているので、その部分へのレスは省きます。


>阿部さんの読者が例えば一万人いたとしたら、一万人の中でそれぞれ異なる「非二元とは何ぞや」が発生していきます。

>またそれが一万人の中で思考の堆積物となり、その蓄積はやがて潜在意識にまで沈殿すれば動かし難いカルマとなり、本来自由な魂を呪縛していく訳です。



ここにあなたの非二元アレルギーを見ました。

これは一万人に訪れていることではなく、あなたに訪れていることです。

たしかに思考では捉えきれないものではありますが、一部の人がこのメッセージに惹かれるのは、いまも真理に対する微かな記憶があるからです。

あなた自身も同じです。

でなければ、当初の探究心さえ起きなかったことでしょう。


>阿部さんが、非二元や禅や、空や悟りというオモチャを見つけてしまい、夢中になって遊んでいる幼い子のように見えています。


あはは、たしかに何事にも夢中になる性格ではあります。

オモチャかどうかは別として、そのことにしか本当の価値を感じていないのは事実です。


>いま悩み苦しむ人を見て、改めて何とか力になりたいとの思いは阿部さんのハートからの愛に違いないですよね?


「非二元は愛としか呼べない」という愛を愛とするなら、何とか力になりたいというのは、愛というよりは同胞への共感であり慈しみです。

愛の種類がまるで違います。

もう一度言いますが、非二元は愛としか呼びようがないのですが、それは我々個人が発揮する愛とはまったく別のものです。


>2、3ヶ月ほど「論理の先の非二元」みたいなのをうっちゃって、ただ「阿部敏郎という愛」を表現するってのはいかがですか?

>そんな阿部さんを読者も見たかろうと思うのは僕だけかな?(笑)



いえ、あなただけではないと思います。

それくらい、自分ではどうしようもない世界に対してウンザリしている人は他にもいることでしょう。

でも僕は僕の感性でしか生きられず、これからも唯一の真実を指し示しながら、個としての同胞への共感を表現していきたいと思います。



言葉にできない世界を言葉にすることの難しさを抱えながら、4000もの記事を書いてきました。

きっとこれが人生で一番やりたいことなのでしょう。

ブログを始める前にやっていた活動も、このことを伝えたい一心からでした。

何十年たってもこの思いは色褪せることがありません。


そんな中で大和田菜穂さんという現象に出会ったことで、さむさんも指摘するように無邪気なまでの熱心さで突き進んできたと思います。

このような態度に反発した人も少なくないのは知っています。

非二元については言葉で説明するしかありませんでしたが、完全にそうなった状態と出会えたことで、具体的な現象としてみなさんに紹介できることに興奮した感は否めません。

たくさんのメッセンジャーに会い、国内外の多くの動画も見てきましたが、彼女の存在は突出していると感じたことに、いまも変わりはありません。


さむさんは、読者が持ってしまったかもしれない思いを代弁し、僕をサポートしてくれたように思います。

多くの人たちに支えてもらっていることを改めて感じた次第です。


その上で、このことに関心を持ち、僕の方向性を信じてくれる人は、長年の活動の中で見つけた禅と瞑想に触れてみてください。

この二つは、個人にはどうすることもできない彼方への道への、個人ができるギリギリのアプローチです。

より多くの人が、この基礎固めに参加できるように、料金体系を含め抜本的な改革をしました。

禅サンガは1月31日から3日間、オープンキャンパスとして一般公開します。



今日はいくぶん暖かいね。

週末は春の陽気が訪れると聞きました。


寒暖差が激しいので、どうぞみなさん風邪などひかぬようご自愛下さい。


今日も読んでくれてありがとう。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:43Comments(106)

2016年01月25日

TAO

昨日のWeb瞑想会で、人間関係が苦手でどんな会社に入っても長続きしないという人の相談メールがありました。

昨日は昨日で答えたけれど、今日は違った観点から書いてみます。

阿部の放浪記の一部、勤め人時代のストーリー。


僕は人生で一度だけ、会社勤めらしきことをしたことがある。

民放の音楽出版社に入社したときで、後にも先にも自分のデスクが与えられたのはその時だけ。

人生で大きな気づきを得た直後で、いくら真理に触れたとしても、食べるためにはなにかしなくてはならないわけで、バイトを探そうとした矢先に訪れた就職話がこれだった。

思い切りハイになっていたから、なんだってよかったし、なんでもできる気がしていた。


最初の頃は10時出社で、終わるのは23時ころだった。

なんでそんなに遅かったかというと、最初の2年間は見習いだと言われ、制作部長のアシスタントみたいなことやらされて、その部長が家に帰るのが嫌いで(笑)、遅くまでダラダラ社内に残っているわけ。

それで僕も帰ることができずに、まったく無駄に付き合うということになった。

僕は彼とは反対に、好きな子がいて早く帰りたいのにね。


で、その部長、業界ではちょっとした有名人で、みんなも知っている当時のヒット曲を量産していたわけ。

とは言っても、テレビ局が親会社なのだから、ものすごく有利な条件なわけで、それをフルに利用してのヒットメーカーだった。


その部長、外面はいいんだけど、社内ではイジメに近いことを繰り返していたみたいで、その話はすぐに耳に入ってきた。

大の大人が泣きながら退社していくというんだから、いまでいうパワハラだ。

もっともそのおかげで、入社できたんだけど。


でどうしたかというと、完全に成りきった。

完全なイエスマン(笑)

それだけじゃなくて、僕はあなたを尊敬しているっていう態度を一貫して取り続けた。

彼はいいセンスしていたし、探せばいいところもあったから。

上辺だけじゃなくて、本当に彼を愛そうとしたと思う。


人は自分を嫌っていることはすぐに見抜く。

自我は開いた傷口みたいに敏感だからね。

いったんそう思われると、ろくなことがないのは知っているよね。


でも反対に、人は自分に好意を向ける人間を嫌うのは難しい。

ましてや周囲から疎まれている人間が、自分を心底認めてくれる人間を離すわけがない。

だからすぐに可愛がられるようになった。


とにかく成りきる。

郷にいれば郷に従えというけれど、これはそのとおりだ。


君たち男の子 郷!郷!

(一度受けると何度も使いたくなる)


考え方や、やり方の相違なんてどうでもいい話。

相手に合わせたって何も失くさない。

完全に成りきるんだ。


水の如くあれ。

水は自分の決まった形を持たない。

丸い容器に入れられれば丸くなるし、四角い容器に入れば四角くなる。

「本来の私の形はこうだ!」なんて主張しない。


それなのにどんな形になってもH2Oとしての本質は失われていない。


さらに水は、いつも低いところを目指して流れようとする。

決して上に向かおうとしない。

だから誰からも戦いを挑まれない。

これがTAO思想。


TAOは仏教と結ばれて「禅」になった。


後日談だけど、彼に気に入ってもらったおかげで、担当した新人の楽曲をドラマの制作会社に紹介してもらえた。

一度はボツになった曲なのに、そこまでしてくれたのは彼が僕を気に入ってくれたからだ。

ここがポイントで、能力を気に入ったのではなく、自分を尊敬している部下だから気に入ってくれたのは間違いない。

だって僕はただのアシスタントで、能力を発揮する場など与えられていなかったのだから。


で、その曲がミリオンヒットになった。

そのおかげで、入社半年目にしてアシスタントから解放されて、独自の活動が許され、自由出勤という待遇に変わった。


最後は自慢話のようになってしまったが、人生は能力の問題ではなく、周囲を愛することで展開していくという、いかにもスピリチュアルらしい話(笑)


でもこれは事実だ。

いまはまったく活動内容が変わったけれど、基本は同じだと思う。


いかに人を愛せるか。

それがそのままブログに反映された分だけ、受け取ってくれた人が支持してくれるのだろう。

同時に失敗もたくさんあって、その根本原因は愛がなかった事だと改めて思う。


こういう話は夢の中での生き方だけど、夢とはいえ切実な問題だと思うので、僭越ながらこの先も僕なりのメッセージを伝えていこう。


そして、とりあえずスムーズに生きられるようになったら、それでも問題はまたたくさん出てくるから、そのときは根本的解決に目を向けるといい。

ホントはいますぐ方向転換するのが早道なんだけど、まだ、今の問題が解決すればこの苦しみから脱出できると思っているうちは、それをやったほうがいい。

僕もサポートするから。


昨日誰かが

「二元と一元の橋渡し」と言ってくれたが、違う言い方をすると、

「現象への問題解決」と、「根本的問題解決」の橋渡しかも知れない。


根本的問題解決には「やり方」がないだけに、本当に関心を持った人しか付いてこれないと思う。

僕はそんな関心を高めていきたい。

だって本当の救済はそれしかないから。

  


Posted by Toshiro Abe at 12:02Comments(53)

2016年01月24日

いまさら思ったこと

昨日のブログを書いた後で思ったことがある。

そのことで自分が所有していたストーリーが少し変わったので、今日はその話(^^)


やはりこの世界(精神世界)に関心を持つのは、何らかの苦しみの結果だと思う。

その苦しみが、自分のやり方ではどうしようもなくなった時、救いを求めるようにして、いろんな情報を探し出すのだろう。

すべてが順風満帆で、なんの悩みもなければ人はここに関心を持つことはない。


その辺を少し違って捉えていたような気がする。

というのは、人生でほとんどのことをやってみて、それでも満足しない人たちが、最後の喜びを求めてやってくるような気がしていた。

たとえばあらゆる知識を得た学者が、悟りという究極を知りたくて入門するみたいに。


たしかにそんな人もいるのだろうけど、多方は苦しみからの救済が目的だと思った。

かくいう僕も、よくよく思い出してみれば、それまでやっていた仕事が尻つぼみで、毎日が不安の連続で、そんな落ち込みの中で最初の気づきが起きたのであって、もしあれがイケイケの頃だったら、たとえ気づきがあったとしても、大した価値は感じなかっただろう。

そんなことで仕事への情熱を失いたくないと思ったはず。


ところが僕の中でのストーリーでは、やりたいことは全部やったのに、それでも残った欲求不満が求道心の始まりだったと信じていた。

たしかにやりたいことは全部出来たし、人生にはこれ以上の何かがあるはずだという思いはあったけれど、でもそれが直接原因じゃなかった。

どこかで自分のストーリー(半生のストーリー)を美化していたのかな。

まったくもう(笑)


大抵の場合は、何か困ったことが起きても自力でなんとかしてしまうけれど、その可能性も見えなくなった時が、法門の入口なのかもしれない。

八方塞がりの苦しみこそが、社会を超えた真実への関心につながるのだ。

そのための苦しみかもしれない。


そういえば僕のところに来てくれる人たちの中にも、子供を亡くしたり、不治の病にかかったりという人がいた。

そういう苦しみが前提にあることを、僕はどれくらい意識してきただろう

真理への情熱が先走りしていた面も否めない。


だから精神世界は、人の苦しみにかこつけているみたいに見られるのだろう。

そんな気は全然なかっただけに、むしろそう言われても仕方がない側面があったと、いまさらながらに思う。

これは活動のスタンス全体に関わることかもしれない。


だからといって、表面的に何か変わるわけじゃない。

真理は変わりようがないから。

たぶんそこに誘おうとする自分の立ち位置が変わるのか。

やっと何か大切なことに向き合うことができたのかもしれない。


そんな思いで迎えた冬の朝です。


・・・・・・・・・・・・・


さて話は変わるけど、うちの息子と、雲 黒斎くんが、いつの間にか繋がっていて、二人でネットラジオを制作したそうだ。

「居酒屋阿部家」に黒斎くんが来た時の内容が好評で、それで黒斎くんが息子に声をかけてくれた。


タイトルは「わかりかけのRadio」

精神世界に無関心な息子が、黒斎くんに一から教えてもらうという内容だそうだ。

もういちど一から学んでみたいという人には、とても打って付けの番組だろう。


一週間は無料だそうだから、いまのうちに聴いてみよう(^^)

スピタメ!」

にアクセスして、初めての人は新規登録(無料)してから進んでください。


それじゃ楽しんでね。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:38Comments(46)

2016年01月23日

窮地の中で

昨日の、さまよえるものさんからのコメント。

すぐに探せるから読んでみてね。


一人で頑張ってきて、誰にも弱音が吐けなくて、本当に辛いんだと思う。

いま僕はあなたを抱きしめて、思い切り泣かせてあげたい。

よく頑張ってきたねって言ってあげたい。


そんな気持ちを込めて、僕があなたに伝えられることは、僕自身が窮地に陥ったとき気持ちを切り替えた対処法くらいかもしれない。


もうずいぶん昔の話になるけれど、僕は何度も「今度こそもうダメだ」と思ったことがある。

真理への予感はあったけれど、まだそのことに確信が持てなかった頃だ。

いくら自分に「すべては夢だ」と言い聞かせても、実感が伴わなかった。

苦しみのほうが圧倒的にリアルだったから。


しばらくは何もする気になれずに、ただ堂々巡りの思考のなかに浸っていたけれど、あるときちょっと閃いた。

このまま最悪な状況が進んだとしたら、最悪の最悪はどんなだろうって。

僕の場合は全てを失って野垂れ死にすることだった。

そしてそうなることが僕の人生ならば、それを甘んじて受けようと思った。

本当にそう思えたときは、気持ちが随分楽になった。

それを止めていたプライドや、人間は本来こうあるべきだという考えや、人からの評価や、家族を救えない無念さも、そうなるしかないならそれでいいと思った。

それはそれだという割り切りができた瞬間だ。

文章にすると変な感じだが、それを「覚悟」というんだと思う。


覚悟すると人は強い。

もう失うものがないからだ。


そのうえで、昨日と明日を断ち切って、少しでも最悪の状態を回避できるよう、目の前の現実に対処していった。

人間ができることは、いつだって目の前のことだけ。

しかも一つのことだけだ。


覚悟ができていると、その分エネルギーのロスが減ってくる。

いい人やりたいとか、人から後ろ指さされたくないとか、そんなこともどうでもよくなってくる。

だってできないものはできないのだし、少なくとも自分は善処しようと頑張っているのだからそれでいいじゃないかと思った。


覚悟は割り切りに通じている。

割り切って、善処して、あとは天にお任せする。

ありきたりのメッセージだけれど、知っているのとやるのとは違うと思う。

もう一度、そこに戻って生きてみないか。


でね、そのことも含めて起きることが起きている。

いままでのことはそうなるしかなかったし、誰のせいでもなくそうなってきたっていうこと。

そしてこれからのことは、自分しだいで作り出していけるって、そんな立場で生きてみる。

それさえも起きることだけどね。


間違っても自分が失敗しているなんて思わないこと。

それをストーリーって言うんだ。

そして、それこそが「夢」。


人間は不平等だけど、いまを生きていることだけは平等だよ。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:26Comments(44)

2016年01月22日

(続) 0.6秒

AQU@さんからのコメント

>私は思うのですが、総てが夢と見抜くのは 自我。

>そこからは 総てが 現実(リアル)に 真我が 受け止めるのではないかと。



もしそうだとしたら、すべてが夢だったという夢を自我が見たことになります。

自我には夢を見る能力しかないからです。

夢を見抜くのは、なんだかわからないけれど何かです。

自我(自分という全体からの分離意識)が消えたとき、そこに残ったあるがままのいま自体に、何らかの認識力(?)があるとしか言いようがありません。

それをスピリテュアルでは「真我」と呼びますが、たとえ「真」にせよ、そこには「我」が残ってしまいます。

真我さえ、個から見たアイデアに過ぎません。

全体は「ただ在る」のです。


あまりにも単純明快。

単純すぎて見逃してきたこと。

そこをダイレクトに生きようというのが、本来の「禅」です。




さむさんからのコメント


> 0.6秒前に決定説ってのは、

>時間は幻想で「今」しかない、ってのとどういう関係性と受け止めてます?



この指摘面白いですね。

そのことへの僕なりの答えを今日のブログに書こうとしたら、こんなコメントが寄せられていました。



ゆりかさんからのコメント


『今』というのは、過去現在未来の時間で考えると私はちょいと違う気がします。

どちらかと言えば、今この瞬間にあらゆるものに気づいている意識という事です。

この意識をよく観察してみると常に今この瞬間しか捉えておらず、そのすぐ後に思考が働き、捉えたものに名前を付けたり、これまでの記憶や経験から、これはネガティブだポジティブだと仕訳をしているのが分かります。

通常は意識と思考を同化してるけど、瞑想や禅をしていると、意識で捉えたものに対して思考があれこれ働いてくるプロセスが、スローモ―ションで見えてくるのです。(私の場合)

0.6秒前に云々のしくみはよく分からないけれど、自分の経験から、なるほどね!と納得しています。

あらゆるものは幻想であり真実です。

幻想と断定するには、その言葉から受け取るニュアンス故に少し誤解が生まれるかもしれません。
勘違い、私はこの言葉の方がしっくりきちゃいます。

ゴチャゴチャ書いたけど、本当はとぉ~~~ってもシンプルなこと。

まんま、まんま、本当にそのまんま。

今まで見た事もない、聞いた事もない、名前も分からない、そんなア―トを見た時のような、ポジティブもネガティブも名前も何も全く沸かない時のような、その純粋な意識、それが瞬間瞬間起こっているのです。




いやあ、楽チン楽チン(^^)

みなさん、いつもありがとう。


今日の僕は活動モード全開。

オープンキャンパスの準備をしています。

あなたにとっても、今日が好い日でありますように。


・・・・・・・・・・


THE禅サンガのオープンキャンパスまであと9日。

31日の正午から一般公開されます。

手前味噌ですが、僕のWeb講演を見るだけでもお得(笑)

そこに向禅師の真実一路の動画も用意されています。

3日間だけの公開ですから、お見逃しなく。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:22Comments(33)

2016年01月21日

0.6秒

何から何まで自分とは関係なく、意思さえも0.6秒前に決まっているとしたら・・・

やっぱり僕たちは映画を見ているんだと思う。

映った瞬間から、それを認識する間が0.6秒だというわけだ。


映画を見るというのは、よく使われる例えだけど、人生の映画は3Dだというところがミソ。

しかもそれを外から見ているんじゃなくて、中から見ている感じ。

だから生々しい。


そして自分が、映像が映ってから0.6秒後に認識しているなんて思えないから、やっぱり登場人物と同化してしまう。

もし同化しなければ、どれだけ気楽になれると思う?

何一つ誰の責任でもないことが分かってくる。


このことを思い切り自覚して行動してみると面白いよ。



でもさ、何を考えるのかは、その気になれば選べるよね。

もちろんそうやって選ぶことも0.6秒前に決まっているということになるわけ。


あはは、どこまで考えてもキリがないし、どうしようもない・・・という思考も0.6秒前か。

0.6秒前に全てをやっているお前は誰だ??



今日はさすがの沖縄も肌寒くて、外出せずに依頼された原稿を書いていました。

そしたらこんなこと書き始めて、依頼されていたのとは全く違う世界だから、新鮮なうちにアップしてみます。

って、やっぱりこれも0.6秒前のこと?


もう考えるのやめて、真面目に原稿書く。
  


Posted by Toshiro Abe at 19:04Comments(29)

2016年01月21日

THE禅サンガ

禅サンガの前身は、「奥山ZENスクール」です。

20年ほど前に、意気投合した禅僧、向禅師とともに奥山方広寺で始めた禅の学校です。


時が経ち、ITの進化に伴って、ネット上で広く一般の人達に禅の心を紹介し、日常で禅を生きることを目的に昨年「THE禅アカデミー」を立ち上げました。

そして二期目の開始に伴い、名称も「THE禅サンガ」と改めました。

禅アカデミー開催中は、こちらの至らなさから一部の方々にご迷惑をおかけした場面もありましたが、二期生の先行募集には引き続き340名が再入会してくれて現在に至ります。


禅は学問ではありません。

禅は実際の生活の中で自他一如を生きようとするものです。

それをやっていくのは参加者自身ですが、僕と向禅師はさまざまな角度から、ある時は解説をし、ある時はエールを送るという具合に、動画を配信し続けています。

禅のイロハを学ぶだけなら、ネット上で言葉を検索したり、近くの禅寺で坐禅を組んだりすれば事足りますが、禅は禅を超えて初めて禅となるというのが僕たちの考えです。


人間は衣食住だけで生きるのではなく、そこに霊性とのつながりが求められます。

現在我々が暮らす文化は、西洋合理主義の影響を強く受けていますが、もともと日本人は、神道とともに禅の精神を生活の中に取り入れ、見えない世界を大切にして暮らしていたのです。


「玄関」

「挨拶」

「無事」

「主人公」


意味は変わっていますが、我々が日常的に使っている言葉の中には、元々は禅語だったものが多数見受けられます。


たとえば「玄関」ですが、これは「法門」のことであり、根本的真理への入口を意味します。

僕の解釈ですが、玄関(真理の入口)に入って、

「ただいま」

と言うのは、真理においては過去も未来も消え失せ、ただ・いまだけが残るということだと考えています。


さて、このようなことは活字でも学ぶことが可能ですが、THE禅サンガでは禅を学ぶと同時に、普段は見失いがちな真実と気づきを、日常の中に取り入れ、共に仏道を生きることを目指しています。


仏道を習うというは自己を習うなり

自己を習うというは自己を忘るるなり


すなわち仏道とは、自己という幻想を超えて生きる道なのです。


いまは伝統的な言葉で説明しましたが、昨日も述べたように、同じ真実を昔からの伝統にだけ求めるのではなく、いまの言葉で、いまを生きる我々が、仏教や禅という枠組みを超えて真理への門(玄関)に入っていこうというのが、THE禅サンガです。


禅と表記するよりZENと表したほうが、伝統を超えたニュアンスが出ると考えています。

しかもひと目で禅とわかるようにと、THE禅サンガのロゴマークを作りました。





経験豊かな僧侶の皆さんも、示し合わせたわけではなく、全国各地から自らの意思で参加してくれています。

仏教は仏教という枠を超える時代が来たなどと、常日頃から生意気な発言を繰り返してきましたが、こうして実際の形にできたことは大変ありがたいことだと思っています。


具体的には何をしてきたのか実際に見ていただくために、1月31日から2月2日までの三日間、会員サイトを一般公開し、オープンキャンパスとすることにしました。


サイトには1年間かけて少しずつ配信してきた膨大な量の動画があります。

その一部が見られるようになっていますので、どうぞ覗いてみてください。

そして興味を持ってくれた人は、僕たちの仲間に入ってください。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:40Comments(14)

2016年01月20日

真理は明白。次行ってみよう!

すでに真理は明白。

それ以上でも以下でもなく、白日のもとに明らかにされています。


こんな単純なことを、どうしていままで大層なものとして伝えてきたのか。

そしてなぜ真実らしい顔をしたメッセージが、あれやこれやと出回ってきたのか。

そのほうが不思議なくらい、真理は単純明快です。


仏教の真髄も「非二元」に尽きるのだけど、釈迦を拝んだり、神格化された宗祖を崇めたり、経文をありがたがったり、果ては地獄だとか天国だとか、悪魔だとか天使だとか、人間のイマジネーションの豊かさには敬服するけれど、もうそろそろ終わりにしてもいいころです。

だってすでに、まさにいまここに、真理は明白だからです。


拙著「かんながら」にも書きましたが、あれから15年たって、同じことを新刊の「覚りの道の歩き方」にも書きました。



もし仏教が釈迦の覚りを自らのものとする道であるのなら、仏教という枠を超えて歩む時代がきているように思うのです。

なぜなら、2500年も前の異国のメッセージに真理を求めなくとも、まさにいまここにおいて、すでに真理は明白だからです。

釈迦を追いかけるのではなく、一人一人が釈迦を生きる時代になったというのが、ぼくと堀澤祖門さんの主張です。




仏教は仏教を超えなくては、いつまでたっても釈迦の亜流に甘んじてしまいます。

なぜ人は、何千年も前の異国の人物をありがたがるのか。

人間には、どこかに自分よりすごい存在がいるはずだというファンタジーを捨てきれない、自信のなさのようなものがあるのだと思います。


このような発言は、とても傲慢に聞こえることでしょう。

ましてや僕のような一介の門外漢が口にすれば、たんなる暴言、妄言、戯言になってしまいます。

それでも真実は明白だと言い切っておきます。


さてその上で、僕のような者にできることは何か。

僕はどこまで行ってもただの普通の男なので、真理のシンボルは、向禅師や堀澤大僧正や大和田菜穂さん達に委ねながら、その一歩手前の、いかに苦しみを減らして、この世を生ききるかというサポートに徹することだと思っています。

その中に真理への道がいつも示されている・・・それが目指すところです。


南国の島でのんびり暮らす日々もいいけれど、結局は飽きてしまって、また現象界で活動し出したくなるのは、きっと僕の業(ごう)なのでしょう。

ほんとうに業が深い(^^;)

でも業のおかげで、だれかの役に立てるなら、そんなに幸せなことはない。


これからもみんなで思い切り業を生きよう!!


君たち女の子 業!業!

僕たち男の子 業!業!


いつも古くてスマンm(_ _)m
  


Posted by Toshiro Abe at 11:23Comments(39)

2016年01月19日

日日是好日

いま、ユーストリームにはまっています。

リアルタイムに誰でも動画が配信でき、スマホやPCで簡単に受信できるというのは、昭和の男にとってSFの世界です。

実際にやってみて、その思いはますます強くなりました。


いつかこのようなブログも、動画生配信になれば、僕も楽だし、見る側ももっと立体的にメッセージが受け取れると思います。

いまも技術的には可能ですが、実際にリーラブログを訪れてくれている人たちが毎回見てくれるとなると、あまりにも維持費がかかってしまうので現実的ではありません。

この先、配信分野に多くの企業が参画することで価格競争が始まり、さらにはITのさらなる進化で、もっと身近なものになっていけば、そのときはいち早く切り替えていくか、併用していきたいと思います。


いまは瞑想を習ってくれた人たちと、禅サンガのメンバーに向けて、定期的にユーストリームで講演をしたり、瞑想会をしたりしています。

これが面白い。


瞑想は多人数でやると、とても深く入ることができます。

最初は単なる先入観かと思いましたが、いまは疑いようのない事実だと確信しています。

なぜそうなるのかはいずれ科学が証明するでしょうが、我々の意識が空間を超えて遍在していることと、智子さんのマントラ音楽の作用だと思います。


瞑想の合間の夫婦漫才?もなかなかの好評です。

別に笑いを取ろうとしているわけではないのですが、長年ともに暮らしてきた男と女の会話は、多くの人の笑いを誘うようです。


そして禅サンガでのWeb講演会。

これがまたやっていて楽しい。

目の前にカメラしかないことの安心感でしょうか、実際の講演会とは違うノリで、次から次へと言葉が飛び出してきます。

自宅からというのがまたいいのかもしれません。

これからは実際の講演会も自宅でやろうと考えたくらいです。

その時は、お茶くらい出しますね(^^)

そういう脱力モードで、昼下がりの時間を一緒に過ごせたらと思います。


そしてどちらの配信もチャットで瞬時にみんなの声が聞けるので、この世にこんなに面白いことがあったのかというくらい楽しんでやらせてもらっています。

時期を見て一般の人達も参加できる日を作りますね。


禅サンガですが、2月11日から第二期をスタートします。

すでに一期から引き続き340名の方たちが一足早く申し込んでくれていて、実際に活動が始まっています。

禅サンガとは一体何なのか、百聞は一見にしかずなので、今週末くらいに3日間無料公開し、オープンキャンパスを提供しようと思っています。

アットホームな場所ですから、どうぞ遊びに来てください。



さてWeb瞑想会の中では、智子さんのマントラソングが場を作り出しています。

そんな彼女と、2月13日(土)に、初の弾き語りコラボコンサートを開きます。

僕たちのパフォーマンスを見に来てください。

彼女のマントラはもちろんのこと、いつものメッセージを直に肌で体感してもらえると思います。

実はこれが一番得意な分野です。

  


Posted by Toshiro Abe at 13:33Comments(16)

2016年01月18日

そのときあなたは

その時、あなたから出てくる言葉は









「愛している」





それだけ。






誰かに対してだけじゃない。

すべての存在に対してあなたは宣言します。




「愛している」








いまはそんな気がしなくても、そのときはこう言います







「愛している」








ああ、なんて素晴らしいんだろう。


What a Wonderful World







マインドは言います


世界は悲惨なことで溢れているのに、何をきれいごとを言っているんだと。





でもいつかあなたはきっとこう言う。











「愛している」



  


Posted by Toshiro Abe at 09:55Comments(83)

2016年01月17日

自由

人はよく、自由になりたいと言うけれど、それは仕事や家庭といった社会的な自由じゃないよ。

経済的な自由でもないし、ましてやイデオロギーの自由主義なんかじゃない。


お金があって、責任から解放されたら自由になれるような気がしているでしょ。

でもね、自由というのは・・・・


自分自身からの自由

これしかない。

そして人が本当に求めているのも、この自分からの自由なんだ。


物理的な不便を抱えているときは、そんな風に思えないのはわかる。

僕も、お金さえあれば自由になれると思っていた時期があったから


でももう一度言おう。


人が本当に求めているのは自分からの自由だと。

そして人はその感覚をどこかで知ってる。

以前、そんな時期があって、心のどこかでその感覚を覚えているから。

それは遠い遠い記憶かも知れない。

まだ物心つく前の遠い遠い記憶。


人が求める素晴らしい感覚の全ては、一度は味わったことがあるものなんだよ。

でなければ、求めるという動機も生じない。

知らないものは求められないから。


もしあなたが、心を縛り付ける鎖から自由になったとしたら。

言いたいことを言えなくしている喉元のブロックが外れたとしたら、なにを喋ると思う?


僕は知っている。

あなたが何て言い出すかをね。


ちょっと想像してごらん。

なんて言うだろう?



・・・・・・・・・・・・



大和田菜穂さんの沖縄リトリートは満室のため受付を終了しました。

お申し込みありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:23Comments(67)

2016年01月16日

ちょっと嬉しかった話

昨日堀澤祖門大僧正からメールが来て、鎌倉円覚寺の横田南嶺管長が僕たちの本を読んで、

「痛快無比」と言ってくれたそうです。

それですぐに京都三千院にまで祖門さんを訪ねてくることになったって。


あの本(覚りの道の歩き方)は、パッケージがよくありがちな高僧との対談本みたいになっているけれど、内容は仏教界が揺らぐくらいセンセーショナルなものです。


最高位まで上り詰めた祖門さんだからこそ言えたことだと思います。

ここにきてまた誰もが認める高僧が出てくれたことで、「変」がジワジワ浸透してきた手応えがあります。


自分には関係ないと思うかもしれませんが、中身は真理への直球で占められていて、このブログ読者にもぜひ読んで欲しい一冊です。

僕が買い占めてバラ撒きたいくらいです。



今日は土曜日、どんな一日を過ごされますか?

僕はギターの練習します(^^)



3月沖縄リトリートは代金が(税別)と書かれていましたが、(税込)の間違いです。

4日間のリトリート、宿泊、食事、全部で100000です。

素晴らしい環境と部屋が用意できました。


前回より人数枠を大きくしたので、あと10名くらいが参加可能です。

現象界(日常生活)の奥にある、もうひとつの世界に触れに来てください。

ちなみに堀澤祖門さんも申し込んでくれました。


詳細はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:25Comments(23)

2016年01月15日

愛の泡風呂

量子力学の保江邦夫博士が、存在は「愛の泡風呂」だと言います。

突出した学者によくありがちな、ちょっと変わった人ではあるけれど(笑)、愛の泡風呂という言葉は、時間が経てば経つほど深い味わいがあります。


どんな意味かというと、物質の最小単位である素粒子は、実際には素領域という空間の最小単位によって包まれていて、それが物質を構成しているのだそうです。

湯川秀樹博士が提唱した理論ですが、それを継承して完成に近づけた一人が保江博士です。


素領域は愛そのものであると保江さんは言います。

それが全ての素粒子を包み物質を構成していくので、存在は「愛の泡風呂」だというわけです。

もちろん日常の僕たちは気づきませんが、あらゆる存在は愛で出来ているという、ニューエイジの主張とも一致します。


その愛は、昨日僕が述べたような、与えたり受け取ったりする対象に向けた愛のことではなく、まさに存在全体、あるいは真理と呼ぶべきものであり、キリスト教はそれを神と呼びます。


「神は愛なり」

この言葉は、神は愛に溢れているということではなく、「神=愛」という意味です。


ということはもちろん僕もあなたも愛そのものであり、それ以外はすべて人間の思考が紡ぎ出したイメージの産物に過ぎません。


現象界は分離の世界なので、愛からも分離したように感じます。

しかし何かの拍子に高次元の意識に引き上げられたとき、人は必ず全ての存在、すべての時空が、愛そのものであることを知ります。

そのときは分離が消えて、僕が「大いなる一つ」と呼ぶものだけが残っています。


それを日常で生きているのが、ノンデュアリティとして存在している人です。

完全にそこにいる人はまだごく少数ですが、ゼロではありません。

その一人が日本人であったことは僕にとって幸いでした。

やはり日本人には日本人としての感性があり、通訳を介さずともダイレクトに伝わる何かがあるからです。


さて、リトリートとは何かというと、一定の期間、普段の日常を離れて生活をいったん脇に置き、ひとりの人間として自分自身と向き合う時間のことです。

大抵の場合は連続する現実の中で暮らしているので、自分自身というものをじっくり感じ取る時間がありません。

せめて数日間、そのような環境に身を置くことは、命のリフレッシュになります。


ましてやそこにノンデュアリティ(非二元)のメッセージがあれば、普段は決して触れることがない異次元の気配を感じ出します。

これは頭で理解することではなく感じることなのです。

保江博士は菜穂さんの目を見て、完全にその次元にあることを感じたそうです。

そうやって彼女の存在は、この先も多くの人に影響を与えていくことになるでしょう。

かく言う僕も影響を受けた一人です。


3月に半年ぶりのリトリートを沖縄で開催しますが、物理的な事情で参加できない方の方が多いと思います。

そんな方たちにもこのメッセージに触れてもらえたらという思いから「End of Seeking」とうサイトを通して無料動画を配信しています。

これからも続けていきますから、どうぞご期待下さい。



今日から沖縄リトリートのお申し込みを開始します。

どうぞ愛の泡風呂に入りに来てください。


コチラからお入りください。

詳しいインフォメーションも載っています。


・・・・・・・・


1月31日の講演会「7つのチャクラ」は満席のため受付を終了しました。

またキャンセルが出ましたらご紹介します。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:00Comments(70)

2016年01月14日

愛しかないよなァ

実は今朝から3篇の長いブログ記事を書いたのですが、どれも書き終えてみるとどうでもいい話に思えてしまって、アップする気になれません。

言葉はなんでも理屈だなァと、つくづく感じた次第です。


やっぱりメッセージは愛しかない。

それしかない。


僕もたくさん愛されてきたけれど、どれくらい受け取ってきたかな。

愛することもそうだけど、愛を受け取ることも難しいね。


特に若い頃は自分に自信がなかったから、愛してくれても信用できなかった。

なにかの勘違いだろうとか、本当の僕を知ったら離れていくんだろうとか、そんなふうに感じていた。

自分には愛を受け取る資格はないと、本気で思っていた。

そのことで相手を傷つけてきたと思う。


人は自分が受けた傷には敏感だけど、その傷が知らず知らずに人を傷つけたことには無自覚だったりする。

だからいまは思うのです。

愛の大切さを。


やっぱり愛し合うのが一番だ。

愛しかない。


愛は理屈じゃない。

ただ愛することだから。


中にはどうやって愛したらいいかわからないという人もいるだろうね。

答えにならないけど、ただ愛することしかない。

愛がわからない自分を愛することから始まるのかもしれない。


自分を愛することが一番大切だと思う。

そうすれば愛を受け取れるし、人を愛することもできるしね。


そして深い愛の中では自分が消えてしまう。

だからノンデュアリティのメッセージは、「Already in Love」って言うんだな。

自己が消えれば愛しか残らないから。



1月31日に、アロマの専門家から見た7つのチャクラと、瞑想側から見た7つのチャクラについて、亀岡みどりさんと智子さんの二人による講演が開かれます。

1、 7つのチャクラのシステムを学ぶ

2、 それぞれのチャクラとエネルギーフィールドとの関係

3、 チャクラとエッセンシャルオイルの相乗効果

4、 微細なエナジーを理解し体験する

5、 日常の神聖なエッセンシャルオイルの使用方法


当日は、たぶん誰も出会ったことがない7種類(チャクラに対応)の最高級オイルを、参加者全員に体験してもらいます。

第一線で活躍する亀岡さんが、価格を考えずに一切の妥協を排除してブレンドしたもので、彼女自身初めてのことだそうです。

参加ご希望の方はコチラからお申し込みください。


そしてお待たせしました。

大和田菜穂さんの沖縄リトリートの開催日が決定しました。

詳細はコチラから。

お申し込みは明日午前10時からとなります。
  


Posted by Toshiro Abe at 13:16Comments(38)

2016年01月13日

アロマテラピーと健康の話

僕は柄にもなく、最近はアロマオイルを日に三回使用しています。

加齢臭対策ではありません(笑)

このオイルは行動心理学に基づいて僕専用にブレンドしてもらったもので、とても気に入っています。

その他にもチャクラを活性化させ、各チャクラのバランスを取るためのオイルも調合してもらいました。

これは瞑想と併用することでさらに効果を上げるとのことで、将来は瞑想者にも紹介していこうと思います。


オイルを調合するには、専門知識に精通したアロマテラピストが必要ですが、ハワイにその分野で突出した日本人の先生がいると聞いて、ハワイまで会いに行ってきました。

すぐに意気投合して、彼女が来日した機に我が家で僕専用のオイルを調合していただいたというわけです。

彼女の名は亀岡みどりさんと言い、新しい瞑想プロジェクトの顧問に就任してもらいました。

亀岡さんのプロフィールはコチラから。


その時の調合してもらったオイルが素晴らしかったので、いつか皆さんにもと思っていましたが、1月30日にその機会を作ってもらうことができました。

急な話ですが、興味がある人はどうぞお越し下さい。

どのように調合するかというと、まずは個人的な行動パターンと心の傾向を調査します。

それに基づいて、彼女の指導のもとに各自がオイルをブレンドしていくというものです。


まずはアロマに関する基本知識を学び、そのあとで調合の実習に入ります。

使われるオイルは市販されているものより純度が高いものになります。

時間は約3時間。ちなみに料金は僕の時と同じに設定してもらいました。


会場は東京になります。
定員(60名)満席となりました。キャンセル待ち受付は終了しました



また翌日の31日には「7つのチャクラ」に関するレクチャーも開催しますが、こちらの一般お申し込みは明日以降になります。



さて話は変わりますが、僕が病気知らずでここまで来られたのは、妻の健康管理のおかげも大きいと思います。

今日は柄にもなく健康についての話をしてみます。


僕はサプリメントの類はいっさい使用していませんが、ひとつだけ妻からの勧めで習慣にしているものがあります。

ご存知の方もいるかと思いますが「智通」という乳酸菌生成エキスです。

妻が敬愛する新潟大学の安保徹教授(免疫学)が推薦しているということで、彼女自身が始めて、これはいいということで僕にも勧めてくれたのが始まりです。


乳酸菌を外から摂取するのではなく、元々腸内に備わった乳酸菌(個人によって違いがあるそうです)を増やすためのエキスです。

腸は第二の脳と呼ばれるくらい大切な臓器で、この中を綺麗にすることは健康にとってとても効果があるようです。

ネットで「智通」と検索すると販売店がたくさん出てきます。

どこも同じ製品なので、気に入ったショップで購入するのがいいと思います。


安保教授は西洋医学の限界や問題点を提唱していて、特に薬に対して注意を促しています。

元々、ある種の植物が持つ治癒能力を、ケミカルに再現しようというのが薬なわけで、植物の力をそのまま使うことができたらそれに越したことはないというわけです。

そのような意味から言えば、東洋医学やアロマテラピーなどは、この先もっと注目されてもいい分野だと思います。

医療用大麻が俄然注目されだしたのも、そのような流れの一環なのでしょう。


ずっと健康だったので、いままでこのようなことにあまり関心を持ってきませんでしたが、最近になって、やはり健康第一という言葉が自分ごとに思えるようになりました。

今日も腕立て伏せを20回やりましたよ(笑)


それでは今日もよい一日を。
  


Posted by Toshiro Abe at 13:03Comments(22)

2016年01月12日

ちょっと不思議な光

昨日Facebookにアップした動画、たぶんひとりで何回も繰り返し見ているのだろう、再生回数がでーじ大変なことになってるさ~。(今年は沖縄移住15年目)

こういうのって、一回見るともう一回見たくなるよね。


まずは動画の経緯を簡単に紹介します。

一昨日のWeb瞑想会で、オープニングに智子さんがピアノを弾いていたら、バックを光みたいなものが3つ横切った。

「オーブだろ」とか言う人もいるけれど(僕はオーブの正体も知らない)、とにかく日常ではあまり見かけない代物です。


最初に見た時には少し驚いたけど、何度も見ているうちに当たり前に見えてくるのだから人間の順応は早い。


実はこの数年、僕の周囲でこんなことばかり起きています。

いるはずのない人の顔が写真に写っていたり、この前なんか娘の写真に3日連続でUFOが写っていた(T_T)

心霊写真やUFOなど、まったく相手にしないで生きてきた僕に、「お前、これでも否定する?」って言わんばかりの集中攻撃が始まった感じです。


で、度重なるこのような現象に、あえて意味をつけるとしたら何だろう。

それはたぶん、僕があまりに頑なにこれらのことを認めようとしないから、そろそろ素直に認めろよってことかもしれない。

現象界は夢のようなものなのだから、何が起きたっていいじゃないかというわけだ。


はいはい、わかりましたよ。

これを機に、もっと素直で良い子になります。


言わないだけで、誰の身にも不思議な出来事が起きているんだろうな。


ちなみにFacebookが見れない人のために、Youtubeにこの動画をアップしました。

https://youtu.be/WDD1ig1JjHU


解像度の問題で見えにくいけど、5秒、8秒、14秒のタイミングで現れます。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:42Comments(77)