2020年08月31日

いまがその時 2

昨日のお昼に、zoomを使ってサンガの皆さんと懇談会をしました。

ネット上での大勢の人とのフリートークは、最初は不慣れゆえの違和感がありましたが、時間とともにすぐに馴染んでいきました。

話のテーマは、サンガ自体をもっと躍動的な集まりにしていこうということで、ITが進歩して画期的なツールが登場するたびに新たな可能性を探っていこうというものでした。

1時間ほどの短い時間でしたが、多くのアイデアが形になり、終わってみれば新鮮な驚きが残りました。


すでにzoomを使っての瞑想伝授は、対面でやっていた時以上の結果が出ていて、それは伝授後の皆さんからの反響で明らかですが、そのことでオンラインというものへのイメージが変わってきました。

所詮はデジタルということで有機的なつながりは望めないと思っていたのが、全くそうではなく、実際に会うのと同じように、あるいはそれ以上に魂のレベルで影響を与え合うことが可能だということがわかってきました。

という事は、医療や教育など、人間としての交流が求められる場面でも十分に活用していけるということです。

社会全体がそのことに気づくのも時間の問題でしょう。


コロナの影響がなければずっと遅れていたであろう社会生活のオンライン化は、これから益々進んでいき、各分野において利便性はもちろんですが、むしろいままで以上の成果が生まれてくると思っています。

これは社会生活の根本が変わるということで、この先の人類の意識変容と同時に起きてくる外側の分かりやすい変化例です。


もちろん課題もあるでしょうが、人間はこのような大変化も難なくこなしてしまう柔軟性があると思います。

この10年間にも、どれだけ多くのものが変わったことか。

ほぼ全員がスマホを持つことになるなんて誰が想像したでしょう。

いまは当たり前になっています。



そして昨夜はいつものように瞑想会の配信をして、その後は来月に迫った秋分の日のワークショップイベントの内容を練り上げていました。

2年前の「天空の祈り」では宇宙的な次元を開くために、日本古来の伝統に則って天之御中主神を降臨させての神事を執り行いました。





みんなが気がついているかどうかは別として、すでに次元の扉は開いています。

そんないま多くの人に起きているのは新しい世界に対する不安や戸惑いではないでしょうか。

意識をリセットし、誰もが安心して新しい世界を生きていけるようにするのが今年の秋分の日イベントの目的です。

今年の秋分点は22時31分

近々、詳細をご案内します。


子供の頃から漠然と予感していた人類規模の大変革が、まさにいま起きているということにワクワク身震いしながらも、いまがその時だという自覚を静かに定着させています。

同じ時代を生きているあなたも、なぜこの時代に生まれてきたのかを再確認する日が来ると思います。


僕の物語は、そのように展開しています。





  


Posted by Toshiro Abe at 11:29Comments(22)

2020年08月30日

いま幸せか否か

昨日の夜Netflixで、アメリカの自己啓発トレーナーのドキュメントを見ていました。

人の行動を妨げる心理的な支配からどう抜け出すか。

素晴らしい内容でした。


でもこの数年で、そのようなアプローチが急に前時代的なものに見えてきました。

自己を観念から解放して成功に向かうという姿勢そのものが、魅力的ではなくなってしまったのです。


解放するのはいい。

でも実は解放そのものがゴールではないでしょうか。





成功者と言われる人たちが、いま幸せかどうかはわかりません。

むしろ、さらなる苦悩を抱えている人が多いように見えます。


人生を、何かを成し遂げるための道のりだなどと思わないこと。

いま幸福か否か。

いつもいま、それだけが問われているのです。



それを知ったうえで何かを目指していくのは悪くありません。

そんなゲームも人生の色彩を豊かにしてくれます。


ただし目的志向の生き方は、「いまはまだ十分ではない」という感覚になってしまいがちだということも忘れてはいけません。


ここの見極めは大きいですね。



今夜21時からの瞑想会はコチラです。

(日曜日の瞑想会のアーカイブは残りません)






  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(21)

2020年08月29日

ディッピングポイント

この活動をしてから、同じ理解を有する仲間と出会えたことは収穫でした。

仲間というより友人と言ったほうがいいかもしれない。


特に雲黒斎君とさとうみつろう君の二人は、一生付き合っていける同志だと思っています。

二人とも元はと言えば僕の講演に来てくれたことがご縁で、と同時に、彼らのブログを読んで感動したことが急接近に繋がっていきました。


黒斎君とは「阿雲の呼吸」

みつろう君とは「絶対他力」

というユニットをやらせてもらっています。


絶対他力としては2014年から毎年秋分の日イベントを開催し、今年で7年目になります。

以前から「2020年の秋分の日」は、少しずつ変化しだした流れが一気に進みだすディッピングポイントの日になると言われてきましたが、いま世界を巻き込んでいるこの現象を見ると、本当にそうではないかと思います。

人知を超えた大いなる計画が粛々と進行していると感じるのは僕だけではないでしょう。


そんなことを踏まえて、今年の秋分の日は誰もやったことがないスペシャルイベントを考えています。



2年前の秋分の日の「天空の祈り」は、見えない力の協力で想像を超えた舞台が実現しましたが、今年はさらにご自分自身を主役にした画期的な一日になると思います。


参加条件は、9月22日の18時~24時まで、一人きりの時間とスペースを確保できること。

その日はオンラインとはいえワンデイワークショップなので、他のことをやりながら半身で参加する人にはお勧めできません。


ここまでの半生を生きてきた自分へのご褒美として、そしてこれからの人生のスタートとして、その日は少し贅沢してでも一番過ごしたい場所(憧れのホテル・温泉旅館)を自分のために用意できたら最高です。

期せずしてGo to トラベルキャンペーンも実施されているので、利用されるのもいいでしょう。


みつろう君も今日のブログで紹介していますが、僕がよく利用する宿泊予約サイトの「一休」で、あなたの地域のホテルを探すのもありです。

一休サイトは各ホテルにGo to キャンペーンが設置されていてわかりやすいです。


もちろんそこまでしなくても、一人住まいの方や、家族の協力を得てその時間のプライベート空間を確保できるならそれでも構いません。


2020年9月22日が、あなたの新しいスタートになりますように。

募集は来月からです。






話は変わりますが、退陣を表明した安倍首相に対しては様々な意見があるかと思います。


僕は一貫して彼を評価してきましたが、その気持ちは今も変わりません。

難しい国際情勢の中で、この国の安全を高めてくれた安倍首相に敬意と感謝を表します。


マスコミ報道によって、まるで殺人者や詐欺師のようなイメージを浴びせられながら、そして大変な病魔を抱えながらも頑張ってくれたあなたの功績は、歴史が評価してくれることでしょう。

他国での安倍さんの評価は極めて高いのに、自国での評価がここまで低い原因がどこにあるかは明らかです。


安倍さんだけでなく、日本がこれから世界人類に果す役割は小さくありません。

そのためにも、まずは戦後の自虐史観から目覚めて、日本人が本来の自信を取り戻すことです。


選民思想で言うのではないですが、日本という国がいかに特殊な国なのかを知れば、どう世界に貢献していくのかが見えてくると思います。



世界中のすべての人たちが、互いに認め合い助け合いながら生きられますように。

すべての生命の尊厳が守られますように。



かんながら たまちはえませ







  


Posted by Toshiro Abe at 14:04Comments(12)

2020年08月29日

いまがその時

空(くう)の話は異論の余地がない。

異論があるとしたら、言葉にとらわれているからであり、空(くう)は言葉を超えているがゆえに異論の余地がない。


色(しき)の話は人の数だけ意見を生む。

色とは現象界、人間社会のこと。


安倍首相に感謝の念を送ったのを読んで、少なからず抵抗感を持った人もいたはずだ。


僕の見方が正しくて、抵抗する人の見方が間違っているとは思わない。

僕が知らないだけかもしれないから。

それはみんなに言えること。


だったらそんなことを主張しあって対立することにどんな意味がある?

そんなことより、いま人間としての温かみと理解を与え合ったほうがずっといい。


そうすれば、この世は少し生きやすくなるだろう。

正しさと正しさのぶつかり合いはもうたくさんだ。


時代は変わる。

いまがその時だ。






さて30日も一緒に瞑想しよう。

意見のない世界に入って、一つを感じあうんだ。

真の平和は、そこにしかない。


それは平和を目指すことでも、平和を論じることでもない。

いま平和であることだ。



1000人に一人が理解してくれたらそれでいい。

それだって上出来だ。



30日21時から瞑想会。

アドレスはコチラ








  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(9)

2020年08月28日

目覚めの原点

何十年も同じことを話しているのに、これからも同じことを話し続けていくだろうことは容易に想像できます。

人によって持っている感性や、いま人生で迎えているシーンが違うので、僕の話を必要とする人はごく一部だと思いますが、でもその一部の人の役に立てればという思いで続けてきました。


というのも、僕自身が必要とした30年前には、このような情報を伝えてくれる人がいなかったからです。

もしいてくれたら、どんなに心強かったことでしょう。


これは目覚めを求めだした人へ8年ほど前に書いた文章ですが、関心がある人は読んでみてください。



・・・・・・・・・


思いは実現するという言葉があります。

僕はこの言葉が真実だということを何度も経験しています。


その中には、意識の究極体験も含まれています。


僕たちの念が、現象界に影響を与えていることは疑う余地がありません。

それなのに、いくら願ってもうまくいかない人がいるのはどうしてでしょう。


それは、普段の人間の思考というものが散漫で、一つの願いに徹することができていないからです。

何かを願えば、それを否定したり疑ったりする思考が生まれ、また同時に、あっちも欲しい、こっちも捨てがたいと言った具合に、心の中で引っ張りあいが起きています。


実はこれこそがマインドの習性で、決してひとつのことだけを願い続けることができないのです。


そこで、マインドを超えるくらいの信念が必要となります。

欲しい一つのものために、あらゆる代償を支払ってもいいくらいの、強い覚悟です。

そのような思いを持った人は、山をも動かすのです。



さて、目覚めや悟りを求める人が増えていますが、本当に一心不乱にそれだけを求めているでしょうか。

安全な生活や、快適な暮らしや、愛する人間関係や、その他すべての大切なものを失ったとしても、悟りたいでしょうか。


その大切なものの中には、自分自身も含まれています。

信用が地に落ち、人から嘲笑され、揶揄され、たった一人で飢えと寒さの中で野垂れ死ぬかもしれません。

それでも悟りたいでしょうか。


信じた導師が「崖から飛び降りろ」と言われたら飛び降りる覚悟があるでしょうか。


いまとなっては滑稽なほどですが、当時の僕は、そこまでの気持ちを持っていました。

完全に身を捨てていました。



1985年3月4日、その日は精神霊的な道を歩み始めた者たちと、マンションの一室で車座になり、自分が体験したことや、宗教的知識を披露しあっていました。


その集まりは、僕からすると、とても生ぬるいものでしたが、少しでも学びになることがあればとの思いで足を運んでいました。

しかし結局は、欺瞞に満ちたその会をぶち壊したくなったことが、次元の扉を開く瞬間に繋がりました。


理解する者はいないのに、理解だけが脈打っています。

宇宙の秘密が、なにひとつ隠されることなく顕わになっています。

いままでもずっとそうだったように、これからもずっとそうであり続けていることは、なんて素晴らしい祝福でしょう。


あらゆる人は、あらゆる命は、この永遠の祝福の中にあり、最初の最初から救われています。

現象としての世界が、たとえどのように見えようと、根っこにはただ歓びだけが流れています。


いままで、いったい何から何を守ろうとしていたのか。


外側もなく、内側もなく、たったひとつの大いなる意識が、自身に仕掛けた巧妙なゲームでした。


完璧なトリック。


壮大なる冗談。


誰も見ていない劇場で、観衆の目を意識して舞い続けている踊り子のように。

地面に張った縄から落ちないように、懸命にバランスを取っている綱渡りのように。


その姿は、哀れさを通り越して滑稽に映ります。

その滑稽さは、蔑(さげす)みではなく、愛ある憐れみです。


幼子が演じる見え透いた嘘に腹が立たないのと同じで、ひたむきに一生懸命に演じてきた、無知なる自分のいじらしさが愛しくもあり、不憫でもあります。


そしていま、そんなゲームが終わりを遂げました。


おつかれさま。

長い旅だったね。

君は夢の中で遠く遠く旅をしていたんだ。


いつでもどんなときでも、大いなる私は、一瞬も君を見失うことなく、限りない愛で君の存在を丸ごと包んでいたよ。


君を罰しようと思ったことなど一度もない。

ただ君が幸せであることだけを願っていたんだ。


そしていつの日か、君がここにたどり着くことを、いつも、いつも、待ち続けていたよ。


やっと振り向いてくれたね。

そう、まさに「ここ」が君の家だ。


最初からそうだったように、これからもずっとね。


おかえり。




いままで人生で起きたあらゆる出来事は、すべてこの目覚めの瞬間のために用意されていたことでした。

憎んだあの人も、優しくしてくれたあの人も、みんなこの気づきを起こすために存在していてくれていたのです。


何一つ偶然はなく、何一つ無駄もなく、完璧な筋書きの中で全てが進行していました。


自分が生きていたんじゃなくて、生かされていたんです。

自分がやっていたんじゃなくて、事は起きていたんです。



人生には、こうでなければならないことなど一つもなく、こうでなければならない自分もありません。


罪もなければ、徳もありません。

地獄もなければ、天国もありません。


神に罰せられないように、自分を正しさの鎖で縛りつけて不自由な世界を生きてきたけれど、完全な自由を知ることこそが、神そのものだったのです。



完全なる自由・・・それは愛と知性によって生じているエネルギーの脈動です。



探していたものが、こんなに近くにあったなんて。

近いどころか、全く距離がなかったなんて。


これは見つからないわけだ。

探求者の中に隠れていたなんて、神はかくれんぼの名人だ。



我に返った直後、笑いがこみあげてきました。

宇宙的な気づきは、宇宙的な笑いを誘います。


あっはははは、あっはははは・・・


覚者の伝記に書かれていた笑いとは、このことだったのか。

こりゃ、確かに可笑しい。

誰もが真理のすぐ近くにいるのに、近すぎて見えないなんて。


見るためには対象物との距離が必要ですが、距離がなければ見ることは不可能です。


それは発見することではなく、体験することだったのです。



・・・・・・・・・・・


追記


この文章の最後に

>それは発見することではなく、体験することだったのです。

と書いています。


でもひとつ書き足しておきます。

正確には「体験すること」ではなく、「体験ing」なのです。


体験すればそれで終わりではありません。


目覚めとか、悟りとかいう言葉も同じですが、これらの言葉はまるで到達地があるように見えてしまいます。


そんなものはありません。

だって何事も展開しているのだから。


したがってすべては現在進行形であり、「目覚めing」、「悟りing」、「体験ing」が実際に起きていることです。




今日はこれくらいで。








  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(25)

2020年08月27日

何もしないということ

昨日の瞑想会の案内に、実践者の皆さんへ出したメールをここにも転載しておきます。

何もしないということについて書きました。

・・・・・

いきなり極端な話に聞こえるかもしれませんが、本当は何もしなくてもいいんです。

ところが人は何もしないということができません。

我々の分離した自我は、何かをすることに毒されているからです。


何もしないという事さえなんとかしようとします。


何もしないということさえしないこと、それが瞑想です。


今夜も何もしない時間を共に過ごしましょう。



・・・・・


短い文章だけれど、瞑想の秘訣はこれに尽きます。

それは、いい瞑想をしようとしたり、集中しようとしたりしないということ。

何もしないことです。


人間(マインド)には何もしないことはできないということをよく感じてみて下さい。


どうやったら何もしないようにできるのか工夫してしまうのです。


このことを老子は

「無為の最奥を極める」

と説きました。


人は無為さえも成し遂げようとするからです。



何もするなといいながら瞑想を奨励するのはおかしいとよく言われますが、瞑想は行為ではありません。


完全に受け身に回る。


サレンダーする。


秘訣はリラックスすること。


ただただ寛ぐこと。


すると瞑想が起き始めます。



それは睡眠と同じ質です。


睡眠も行為ではありません。

完全に心身を委ねたときに起きてくる現象です。


実は意外ですが、睡眠とは何なのかを説明できる科学者はいません。

それは彼方なる現象だからです。


瞑想も同じです。



話は変わるけれど、瞑想会の最後に登場した赤ちゃん猫のプーちゃん。

可愛すぎ。


あの子からは不思議なオーラを感じます。


不思議の国のアリスのチャシャ猫かも。


♪偉さが違う~






プーちゃん、ようこそ(^^)/







  


Posted by Toshiro Abe at 17:33Comments(12)

2020年08月26日

瞑想讃歌

言葉は人間社会の道具として作られたものなので、世俗を超えた存在の真理を表すには無理があります。

にもかかわらず言葉を使う以外それを解説する術はなく、したがって世界中の聖典も経典も本来不可能なことを記録しているわけです。


したがってそれらのほぼ全ては、例え話によって表現するか、詩として表現するかになるのですが、文章として表せば、どうしえも矛盾を抱えることになります。


マインドは矛盾を指摘することによって自らの価値を証明しようとするので、マインドには真理を理解することはできません。

このようなブログに対しても開設当初は矛盾を指摘する書き込みが続きましたが、最近はその数もめっきり減りました。

言葉をひとつの拠り所として真理をイメージできる人たちが増えたのだと思います。


いまこの文章は音声入力によって書いていますが、もしいま喋っている僕の顔や声のトーンがそのまま伝われば、また違った情報として届くのかもしれません。





生意気ではありますが、宗教の枠を超えたところから真理を伝えたいと言う衝動が止まないので、これかも活動を続けていきますが、本当を言えば情報の提供ではなく、実際に体感することでしかないと思っています。

そのためには瞑想だというのが僕の経験からくる真実です。


いま日曜日と水曜日の21時から開催しているweb瞑想会も、このまま継続していきたいと考えています。

アクセスするアドレスはシステムの都合上、毎回変わります。

今夜のアドレスはコチラです。


・・・・・・・・・・


【お知らせ】

毎年開催している秋分の日イベント。

7回目となる今年は、自分自身にご褒美を与えるためのオンラインワークショップを考えています。

なんのご褒美かと言えば、ここまで生きてきたことへのご褒美です。


時代の大きな変化の中で、それぞれに新しいスタートを切れる日になればと思います。

また近日中にご案内します。









  


Posted by Toshiro Abe at 10:52Comments(17)

2020年08月25日

シンプルライフ

さて今日もまた何か書いてみましょうか。

いまはまだ何も浮かばないけれど、もし必要なら言葉が次々と出てくるはずです。


人生はそれほど考えなくても自動的に展開していきます。

成るものは成るし、成らないものは成らない。

この宇宙の計画は一寸のぶれもなく起きることが起きているのです。


ところがマインドは起きていることについて想像を膨らませて、存在していない問題を作り出します。

作り出しておいて、それを解決するのは私だと言わんばかりに、さらなる思考の活動を始めるのです。

操縦を手放してしまえば、人生はとてもシンプルなのにね。


手放すと言っても何もしないということではありません。

あれこれ思考をめぐらさなくても、何をしたらいいかは根源的知性が誘導してくれます。

簡単な話、お腹が減れば食べ物を探しだすのです。


実はいままでの人生も、あなたが過剰に心配してもしなくても起きることが起きてきました。

そして何とかなってきたから、いまもあなたはこうして生きています。


これからも同じこと。

なのにどうしてそんなに考え続けるのでしょう。







マインドは言います。

「私の言うとおりにしていればきっと上手くいく。

油断するな。

どうしたらいいかは私が教えよう

私は幸せになる方法を知っている」


そんなマインドの言うとおりに生きてきて、約束された幸せはどれくらい実現しましたか。

もしかしたら、そうやって考えること自体が苦悩をもたらしてきたのではないですか。


多くの人に必要なのは、そんな思考を疑ってみることです。

なんども裏切られてきたのに、まだ思考を信頼している態度を改めてみるのです。


もしかしたら考えぬいた挙句に、いい答えが見つかったというような経験があったのかもしれません。


でもそれは思考が導いたのではありません。

思考は堂々巡りするだけで、新しいことを生み出す力はないからです。


新しいアイデアや解決策は、思考のはざまに生じる直感によってもたらされてきました。

それは考えた結果ではないのです。



マインドを信頼するのではなく、すべてを起こしている全体を信頼しましょう。

その全体を神と呼ぶ人もいます。


その時々のアイデアや洞察をもたらす力も含めて、全体(神)を信頼すること。

それがサレンダーです。


すると人生がシンプルになります。

生きることが容易くなるのです。



今日もお互いの物語を生きるとしましょう。


あなたの人生に行ってらっしゃい。



・・・・・・・・・


9月の瞑想伝授のスケジュールはコチラです。

瞑想は心身を整えるための彼方からのプレゼント。

誰もの中に備わっている作用なので、ちょっとしたエネルギー感覚をつかめば見違えるように上達します。

エネルギーセンターである各チャクラに働きかけることで、瞑想の効果も早まります。


瞑想も努力ではなく、自力を手放すことで起きてくるので、何事もみんな同じですね。






  


Posted by Toshiro Abe at 08:46Comments(17)

2020年08月24日

変わるわよ!

昨日も話したように、人間も世の中も否応なく変わっていくのです。

もう後戻りはできない。

する必要もない。


躊躇せずにみんなで流れに乗って変わっていこう



イヤよ イヤよ

イヤよ 見つめちゃイヤ


変わるわよ!!







昨日の瞑想会をもう一度見たいという声が多いので、今回は公開して残すことにしました。


コチラから






  


Posted by Toshiro Abe at 14:25Comments(21)

2020年08月23日

クライマックス

一昨日のweb講演の最後に、もし自分一人では抱えきれない問題や苦悩がある人は、僕か向禅師にメールをくださいと伝えたら、数名の方からメールが届きました。

どの文面からも、とても真剣に生きている様子が伝わってきました。


それを読ませてもらって、それぞれの人生に起きた出来事は、まさにこれからの人生のためにあったのではないかと思いました。

もちろんそのすべてはストーリーですが、今日もストーリーの視点で分かち合いたいことがあります。


いつも言うように、この現象界は一瞬たりとて留まることはなく、刻々と変化し新しく生まれ変わっています。

ただそれに対する各自の判断や観念が同じなので、一つの現象が固定されたまま持ち運ばれているのです。



いま世界規模で、時代が大きく変わろうとしています。

この変化に乗って一人一人の生き方や考え方も否応なく変わっていくことでしょう。


何がどう変わるのか、いくつかのポイントを次回の講演で話そうと思いましたが、その一部は今夜のWeb瞑想会でお話ししようと思います。



人生いろいろですが、そのすべては独自の花を咲かせるためにあると経験的に知っています。

その開花が秒読みになってきた。

何十年も言い続けてきたことが、まさにいま起きだしたことに、人生最大のワクワクを感じています。






まさにクライマックス。

この時のために生まれてきたとさえ思っている今日この頃です。



・・・・・・・・・・


Web瞑想会

2020年8月23日21時

今夜のアドレスはコチラです。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(18)

2020年08月22日

世代間ギャップ

最近、家族に対する悩み相談をよく受けます。

家族は仲睦まじいのが当たり前みたいな捉え方が、よけいに苦しさを作っているようにも見えます。


人間はみんな同じと言いながらも、やはりこの世にはジェネレーションというものがあって、世代によって見聞きしている情報や、共有している価値観が大きく違います。

物理的には同じ国に暮らしていても、実際に住んでいる世界は違うと思ったほうがいい。


価値観が違えば話も合わないわけで、違う世代が同居するというのは、お互いに相当な無理を強いられるということです。


関係がうまくいかないと自分の性格が悪いみたいに感じてしまいがちですが、そんなことはありません。

そこに生じる愛憎劇は、自分のせいでも相手のせいでもないと思ったらいいです。


特に近しい間柄になればなるほど、憎しみが大きくなるのは当然なのに、その事実は封印されているように見えます。

親が大嫌いである自分を責める人もいますが、大好きな人ほど大嫌いになるのは仕方がないのです。

愛憎の振れ幅が大きいというだけのことです。



たいていの場合、世代が違えば心の底からの交流は無理なので、表面的にうまく合わせながら、それ以上の期待をしないというのがいいのではないでしょうか。

だって違う世界を生きているのだから。



僕が子供のころから

「最近の若い者はしょうもない」

という大人たちの声を聞きながら育ちました。


昔の人はさぞかし立派だったのだろうと思いがちですが、そんな彼らが若いころも、そのまた親の世代から同じことを言われていたのです。


何千年も前のエジプトの洞窟の落書きに

「まったく近頃の若い奴らは」

というのがあるそうです。

人間は世代とともに劣化しているのではなく、価値観や世界観が違うということの表れなのでしょう。




今日伝えたかったのは、世代が違えばうまくいかなくて当たり前という話。

同居せざるを得ない人はそのことを前提にして、過剰な期待は持たずに、程よい距離間で付き合うことだと思います。



とにかく自分や人を責めないこと。


住んでいる世界が違うんだ、以上!!

で生きてくださいね。



たいしたアドバイスじゃなかったけれど、最近いただいたメールを見て感じたことを書いてみました。



人生は、いま何を感じているのかが全てです。

いま幸せな気持ちを持つこと。

これ以上何があるというのでしょう。


それではみなさん、よい週末をお過ごしください。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(20)

2020年08月20日

幸せって 2

昨日は、幸福というものは何かとの比較によって生じていると書いたけれど、不幸も似たようなものです。

片方の手をお湯に、もう片方を冷水に入れておいて、その両手を同時にぬるま湯につけると、片方は冷たく、片方は温かく感じるのと同じこと。


美しいとか醜いとかいうのも、それぞれに補い合っていて、どちらか片方では存在できません。

この世のすべては比較によってできていると言ってもいいでしょう。


人生の物語は、意識的あるいは無意識的な比較によって彩られている。

「比較をするな」と言うけれど、比較しなければ判断できず、経験を解釈することもできないわけで、比較しないなんてことは無理な話です。

二元の世界(現象界)を生きるというのは比較を生きるということだから。





さて、昨日もどなたかが書いていたけど、相対的な幸福以外に、絶対的な幸福もあるのではないかという話。

確かに幸不幸を超えた境地は存在します。


実際にはそれだけが存在しているのだけれど、二元の世界に生まれた我々は見失ってしまって見えません。

これが非二元の世界。


この世界は幸福でもなければ不幸でもない。

だから涅槃だとか至福だとかいう言葉で表現することが多いのです。


実は非二元の世界にも、いい気分や悪い気分は訪れては消えていきます。

このムードは全体の表現として起きているのですが、それらを味わって一喜一憂する自分がいないのです。


その時のあなたは人生物語の主人公としてのあなたではなく、そのすべてを見通している目覚めた純粋意識です。


この境地こそが、本来はあらゆる人が目指している終着地なのでしょう。

皮肉なことにこの終着地は、出発地と同じ場所だということ。

いまも我々の心の奥に静かに佇んでいて、一瞬も消えたことがありません。


ということは、最初からどこにも動いていないということです。



この不動の真実が「至福」です。

「愛」という言葉で表現する人もいます。


存在の基盤は愛そのものだと言うのはこのことです。


ま、人生いろいろありますが気楽にいきましょう。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(11)

2020年08月19日

幸せって

先日40年以上勤めた会社を定年退職した妹と会った。

開口一番に彼女の口から出た言葉。


「いま信じられないくらい幸せ」


その理由は、

曜日を気にしないで生きられるとのこと。

毎日の満員電車通勤や、会社そのものから解放されたことも大きいだろう。



曜日を気にしないで生きるのは生まれて初めてだとのこと。

日曜日の笑点の音楽が聞こえると、あーまた明日から会社か・・・となってブルーになっていたそうだ。



とにかく、つきものが落ちたみたいに軽くて幸せそうに見えた。


そう見えると伝えると、会社の最終日に家に帰ってドアを閉めた瞬間、確かに体から何かが抜け落ちていくのを感じたそうだ。



「いまが一番幸せ」


うん?

どこかで聞いたセリフだ。


そう、亡き母の口癖だった。


母もポジティブな気持ちでいるために「いまが一番」と言っていたのではなく、本当にそう思っていたようだった。


2人に共通しているのは、自分の過去との比較から幸せを感じているということ。

幸せとはそういうものかもしれないと思った。







今日はここまで。



・・・・・・・



何もかもを手にした友人は、いまの状況はたいして幸せではないと言う。

彼が一番幸せなのは、瞑想している時間だそうだ。

これだって、日々のわずらわしさがあるからこそ幸せなのだと思う。

幸せって、相対的な言葉ですね。



というわけで、いい流れのまま瞑想会のご紹介。

今夜もご招待します。

アドレスは

https://youtu.be/SRIt9MwqufI


21時からです。






  


Posted by Toshiro Abe at 10:26Comments(12)

2020年08月17日

知ったこっちゃない

「何もかも自動運転だ」

と言うと、真実を学ぶことも、自分を知ることも全部自動的に起きているということになる。


だったらなぜ自分を検証したり、瞑想したりするのか。

それだって自動のはずだ。



この手のツッコミは毎回お約束のように出てきます。


でも答えは簡単です。


自分が考えて行動した、ということも起きていること。

そんなのはおかしいという思いも起きていること。


自分を検証しようということも、そうしたらいいという呼びかけも、すべては起きていること。


自分がいないなんて馬鹿な話は一笑に付すとしたら、それも起きていること。


自分という幻を握りしめるのも、そんな自分は錯覚だというメッセージも起きていること。


ただそれだけのことです。



ラマナ・マハリシは

「あなたは誰か?」

だけを問い続けたそうです。


問われたその人が、自分という構造を調べ上げ、最終的に自分の不在を見抜いたとしたら、それも起きたことです。



自己の不在というのは単に事実の表明ですが、そんなことは受け入れられないとして生きても生きられますし、実際に極めて多くの人が、そうやって自分を生きているつもりでいます。


しかし自分という中心はなく、自分とは単に思考の集まりにすぎません

生きているのは自分ではなく、自分という感覚を含めた全体です。

この全体こそが、あなたと呼べる実体なのです。





これはエネルギー的な変化です。

凝縮していたものが、無限大に広がるような感覚です。

それまでは特定の肉体に閉じ込められていた矮小な自分が、宇宙規模にまで拡大するのです。


すると、それまで自分が背負っていた重荷が消えます。

そもそも背負っていた自分が消えたのだから。


そしてこれから先の心配も消えます。

やっていくのは自分じゃないのだから。



これだけでも人生に対する恐れが無くなり、気楽に生きられるようになることでしょう。

もちろんそうなればなるし、ならなければなりません。



どちらにせよ、知ったこっちゃない。


そう、なにもかも「知ったこっちゃない」のです。


気楽にいきましょう。




このようなメッセージは「自分の人生」に疲れてきた人用です。

この人生に価値や意味を見出せなくなったとしたら、良い傾向です。

初めて真実を学ぶ用意ができてきたということだから。


それまでは無我夢中で生きる時期も必要なのかもしれませんね。


終わってみれば人生無駄なし


全体のゲームは完璧にできている。



だから、知ったこっちゃない(^^)




愛をこめて





  


Posted by Toshiro Abe at 10:07Comments(28)

2020年08月16日

もう一つの世界

>いま直面している辛いストーリーが真実でないと、阿部さんのように本当に実感できたら、どれだけ気が楽でしょうか…。

>言葉を信じるしかないのですね。




自分が見ている世界だけが真実だと信じてしまうと、視野がどんどん狭まって、選択肢が減り、その分だけ閉塞感や被害者意識が出てきて現実が重くなり、それが慢性的な苦しみになってしまうように見えます。


人は自分の人生に多くのルールを作り出しています。

自分が一度作り出してしまったルール(価値観)は、おいそれと消えてはくれません。

そのルール(価値観)が自分を縛っているのであれば、どうしてそれを大事にしているのか調べなおすのは有意義です。


我々は多くの正しさを無意識に抱えて生きているようです。

その何もかもが自分で作り出したストーリーであり、そのストーリーをもとにして、壮大な人生ドラマを作り出しているのです。





なにひとつ「べきだ」や「ねばならない」がないということを知るのは、抵抗が伴います。

でもその抵抗の向こうに真実があるのです。


そして真実は自由です。


それは無理に責任を放棄することで得られるものではなく、責任やルールや価値観など自分を縛り付けるものの正体を見抜くことによって得られます。


得られるというよりは、最初から自分のものだったことを知るのです。



・・・・・・・・・



今夜も瞑想会をお届けします。


21時になったらアクセスしてください。

https://youtu.be/2TOPMHJGTVg





  


Posted by Toshiro Abe at 09:57Comments(18)

2020年08月14日

いま

うっかりするとすぐ自分の世界に入り込んでしまう。

そんな傾向はないですか。

これは多くの人に当てはまることだと思います。


もし自分が、自分の世界に入り込んでいることに気づけば、また違ったスタンスから現実に参加できるのですが、それがわからないと自分の世界だけが現実のような気がして視野も狭くなっていきます。


たとえば深刻なこととか、あなたが幸せにならないイメージを背景にしたようなストーリーに巻き込まれていたら要注意です。

そこに何一つ真実はありません。


苦しみは、真実から離れた距離に比例して大きくなります。



とにかく大切なのは、自分の頭の世界にはまってしまったときに、そのことに気づくこと。

それだけです。







またお会いしましょう。


  


Posted by Toshiro Abe at 13:39Comments(26)

2020年08月12日

神という言葉は動詞です

またぶっ飛んだ言い方になりますが、

本当は誰もいないんですよ。

この「一つなる存在」だけがあります。


「一つなる存在」は見かけ上、無数の形に分裂して、自らを瞬間ごとに新しく表現しています。


この「一つなる存在」を神と呼びます。


どこかに神という独立した存在がいて、それが万物を作り出しているというのは、人間のマインドの産物であり誤解です。

人間は自分を独立した存在だと思っているので、本当はいない自分以外のところに、これまた独立した存在を描きます。

こうして分離した神が生まれました。


そしてその神が、全体を創造していると考えます。

その全知全能なる神に見捨てられないように、叱られないように、愛してもらえるように、認めてもらえるように、自らを見張りながら生きているのが人間です。


しかし「ひとつなる存在」は瞬間ごとに、「無数に分裂したように見える全体」を新しく生じさせている力であり、事実はその動きこそが神です。


創造者と創造物は一つです。

神という言葉は動詞なのです。



このことが理解されると、迷信的な宗教はすべて姿を消すことになります。

なぜなら彼らは「神」という独立した存在に依存しているから。


今日伝えたいことは、とても重要なことです。

創造者と創造物は一つだと言いましたが、その一つこそがあなただということ。


あなたは、普段考えているような分離した個人ではなく、「ひとつなる存在」そのものであり、あなたが「それ」です。






この発見こそが、本当の人生の入り口になります。


僕が瞑想をするのは、そんな全体にくつろぐため。


すると神と自分が一つになり、そのどちらも消えて静かなる平和がやってきます。

平和とはこの次元にあるのであって、分離した二元の世界ではありえないことです。



今夜も一緒に平和の中に入っていきましょう。

そのとき僕たちは一つです。



今夜も同じタイミングに瞑想させてもらいます。

21時になったらここにいらしてください。


8月12日 NIKE瞑想会
  


Posted by Toshiro Abe at 11:44Comments(28)

2020年08月11日

ただ在る

おはよう。

今日もブログを書くのをお休みしようかと思ったけれど、いま、昨日いただいていたコメントを読んで、そういえば最近はコメント欄と向き合うことが減っていたなと思いました。


質問も答えられないままのものが多いしね。

読んでみて、「違うんだよなァ」と思うことも少なくありません。

これが文字だけでやりとりする限界かもしれないですね。


ブログを始めてから去年くらいまで、より多くの人にこのメッセージを届けたいというのが目的の一つだったけれど、いまはそれが変わってしまって、ZENサンガの講演を聞けない人のための無料サンガみたいな気持ちでやっています。


十分なことはできないけれど、これからもマイペースでやらせてもらいますね。



昨日のコメントの中に

>中立でもないよ。 中立なんてことも自分の頭で決めてることだからそれは、事実ではない。

というのがあったけれど、これはマインドの解釈の典型です。



>中立なんてことも自分の頭で決めてること


頭で中立を決める?

そんなことはできません。


頭は独自の判断と解釈により、偏った見方しかできないから。


そもそも中立というのはマインド(頭・自分)が介入する以前の状態のこと。

僕がよく使う「あるがまま」という言葉と同義語です。



「いま」「ここ」という言葉と似ていて、

「いま」は時間の一部ではなく、

「ここ」は空間の一部ではなく、

「いまここ」とは時空間を超えたものだということを理解しないとわからない。


アインシュタインも同じことを言っているようだけれど、これは理論でわかることではなく、ある種の内的体験によって明らかになることです。


「中立」という意味も、どんな言葉を使っても解説不能。


でもマインドを介入させずにあるがままを見ることができれば、それが答えです。

その時、見ている自分は消えています。


このことを先日公開したショート動画の中でも語っていますので、一度見た方ももういちど見てみてください。

文字以上に伝わるものがあるかもしれません。


コチラから






このような体験をするための努力は不要で、実はいつも我々はこの真実の次元を生きていて、その上にストーリーやら夢を投影しているだけの話です。


だから我々が取り組むべき最も大事なことは、リラックスすること。

あるがままの命に落ち着くことです。


そこにすべての答えがあります。

というより、すべての問いが消え去ります。

だってあるがままは、あるがままであり、それ以上でも以下でもないのだから。


って、書けば書くほど言葉の世界になってしまう。




今日のような話も、文字情報だと伝わりにくいと思います。


本当は面と向かって話すのが一番なんだけどね。

意識の交流(コミュニオン)はオンラインでも可能だから、いい時代になったと思う。



それでは今日も一日、ごきげんよくお過ごしください。


愛をこめて





  


Posted by Toshiro Abe at 09:51Comments(19)

2020年08月09日

世界への贈り物

奇跡のコースを超訳していて、基本的なことに気づかされることがある。


たとえば、


「あなたがいま幸福であることが、世界への何よりの贈り物です」

というような言葉。



そうか、そうだ。

いま幸福であること以上に、世界への贈り物があるだろうか。



では幸福とは何だろう。


それはいまがどんな状況かではなく、どんな気分を感じているかだと思う。


現実は徹底的にあるがままであり、中立だ。


マインドは言う。


こんな悲惨な状況が中立だと?

世界で何が起きているか知っているのか。

いま人々がどんな苦しみの中にあるかわかっているのか。


でもその傍らで

歩き始めた子供を見て微笑む母親がいる。


これ以上何が必要だというのだろう。


人はまるで、幸福な気分にフォーカスする術を忘れてしまったかのようだ。


ハスの花を見ないで、その根に絡みつく泥水に顔をそむける。

バラの花を受け取れば、その棘の数を数えだす。


運動家は「世界を変えろ」と叫ぶ。


いまの政治が変われば、

経済が変われば、

社会が変わればと言う。


そうやって人は問題に目をやってきた。


それで何が変わったのか。


何も変わらない。

変わらなければ幸せになれないというマインドも同じままだ。






いま、幸せを感じることを優先すること。


やりかたではなく、

感じようとするだけだ。



「あなたがいま幸福であることが、世界への何よりの贈り物です」


そんな人が増えたとき、世界が変わるのだと思う。


・・・・・・・・・・・・・


今夜21時から、一部マニアに好評の阿部のミニ講演と瞑想会があります。


入り口は下のイラストをクリック 













  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(19)

2020年08月07日

阿部の健康法

今日は肉体レベルの話。

ちょっと鼻につくかもしれないけれど、遠慮せずに事実を披露してみよう。

誰かの参考になればと思う。


まず結論を言うと、僕は病気というものを知らない。

だからと言って体調管理をしたこともなく、健康診断とか人間ドッグとかもやったことがない。


運動も嫌いだ。

ましてやランニングなんて問題外の外。

たまに歩きたくなったら歩くのが運動のすべてだ。


食べるものは、食べたいものを食べる。

体はアメーバ時代から何億年も存在しているのに、マインドは数万年の新参者だ。

だから理論をかざすマインドより体のほうが先輩であり、より利口で、そのとき何を食べたらいいのかもよく知っている。


そのとき食べたいものが食べるべきものだと思っている。

いまは野菜が大好きで、ブッダボウルは大好物だ。



行きつけの麻布eat more greensのブッダボウル


肉や魚はあまり食べない。

だからと言って菜食主義ではない。


そもそも○○主義などというものは一つも持ち合わせていない。

主義というのは自分に言い聞かせているわけで、相反する気持ちがあるから主義を持つのだ。

そんなふうに自分を縛るのはまっぴらだから持たない。

肉を食べたくない理由は動物が気の毒だからであり、それでも食べたくなったら食べるだろうから、まったくいい加減な人間だ。



いまでも楽しければ、日本酒を軽く一升は飲める。

お銚子で言ったら18本くらいかな。

そして翌日はケロっとしているし、朝からお腹を減らしている。



ベッドに横になれば数秒で眠りにつく。

そして朝までぐっすり眠れる。



すでに高齢者と呼ばれてもおかしくない年齢だが、自覚としては35歳くらいかな。

3~40代の女性を見ても、同じくらいの年齢に感じ、僕としてはターゲットに入るけれど、相手はまったくそう思っていないのはコチラへの態度を見ればわかる。

完全に勘違いしているのは知っているが、勘違いのまま行こうと思う。



メンタルの話をすれば、人生はこれからだと思っている。

やりたいことはいままで通りとことんやることだろう。


いまやりたいことはZENサンガの仲間たちと、未来を先取りしたコミュニティを作ること。

前例のない成功モデルを作ってみたい。

今夜のweb講演で詳しい話をしよう(業務連絡)



他者からどう見られるとかには関心がない。

他者の意見は他者のもの。

僕の人生は僕のものだ。

この点は若いころから変わっていないが、たぶんこれが病気と無縁の人生に繋がってきたように思う。



これは自由奔放に生きた母親譲りのような気がする。

彼女は僕に、こう生きろという指示を一切出さなかった。


唯一、中学の時に勉強してくれと頼まれただけで、あとは高校を中退して芸能界入りした時も、芸能界をやめてヒッピー生活に入るときも、「あなたを信じてるから」と言ってくれた。



その彼女の口癖は

「いまが一番幸せ」



母は95歳で家族に見守られながら大往生する。

95年間の夢が終わった瞬間だった。


僕もこの先、もう少し夢を見ることになりそうだ。

この健康な体をくれた母に感謝して、これからも好きに生きようと思う。



もうすぐ、そんな彼女の命日だ。

いまごろどこかで、男の人と楽しくやっているような気がする。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:59Comments(23)