2020年02月29日

暴風に影響されない台風の目の如く

天河にいると財界や各界の著名人など、いろんな分野の人と会えるチャンスがあるのも面白い。

その誰もが、これから先の大きな変化を予感している。


コロナ問題が大きくなる前から、世界規模で起きてくる大変革について予言めいたことを言ってきたが、この騒動はその導火線になるのだろうか。


大変革の本丸は、金融システムだと思う。

日本銀行が政府機関ではなく独立法人だということや、それを牛耳る国際銀行家を頂点としたピラミッド型の支配体制の中で世界が動かされてきたことなど、いまや多くの人が知る事実となった。

そのことから、お金とはいったい何なのかということを考え始めた人も多い。


みんなが一生懸命に働いて、

みんなが幸せになりたいと願っているのに、

多くの人たちが苦労を抱え、

幸せとは言えない生活を送っているのは何故なのか?


そんな素朴な疑問が、来るべき新世界へのビジョンに繋がっていくのだと思う。



いま激震とも呼べるような事態が世界を覆っているけれど、その中心にあって何ら影響されない静かな境地を保ちながら、このいきさつを見守ることにしよう。

すべては、よりよくなっていくための流れなのだから。



起きることが起きる

起きること以外は決して起きない


この真実に徹すれば、迷いも恐れも消えていく。



思召すまま 流れのままに


かんながら たまちはえませ


  


Posted by Toshiro Abe at 08:25Comments(31)

2020年02月27日

変化の時 2

いままで宮司さんの家で話をしていました。


大先輩に対して恐縮ですが、宮司さんは僕と全く同じビジョンを持っておられます。

いつも親子のような情愛をかけてくれますが、これからは同志と呼ばせてください(^^)


もう時は来たので、これからは何事も率直に発言し、率直に行動していくことにします。

サンガのみなさんはもちろんのこと、多くの人にビジョンを分かちあっていきたいと思います。


人を幸せにしないいまの社会システムから、人を真に幸福にする社会の建設に向けて歩き出しましょう。


世界のどんでん返しです。


新しい世界では、お金の存在理由も大きく変わっています。

お金は必要を満たすためのものであり、誰一人そのために自由を奪われることはなく、もちろんお金に苦しむ人もいない。

法律も、道徳も、社会通念も不要です。


ただ「愛」があれば全てうまくいく。



言葉にすれば気恥ずかしいくらいの話ですが、僕はいたって真剣です。


いまは想像もできないようなことでも、最初は誰かの頭の中でイメージされ、ゆくゆくは現実となっていくのです。


なぜそう言い切れるのか。

その根拠は、世界中に同じビジョンを持つ大勢の仲間がいるから。


このインスピレーションは、僕だけでなく無数の人たちに届けられているはずです。


後は行動するだけ。




  


Posted by Toshiro Abe at 15:01Comments(50)

2020年02月26日

変化の時

いま時代が音を立てて揺れているように思います。


世の中が大きく変わるときは、往々にして想定外のことが起きるものですが、このウィルス関連の騒動にも同じような性質を感じます。


このことが引き金になって、本来は関係ないと思われた分野にまで飛び火し、すべての土台が揺らぎ始めるのかもしれません。

でもそれは単に変化を加速する現象であって、変化そのものの方向が変わることはないと考えています。


僕はいまの変化を予感しながら生きてきました。

もう30年以上にもなります。


まさにいまがその時なのですが、実際にそうなってみれば、この変化はあまりにも多方面にわたっていて、世界がひっくり返るというのは凄いものだなという武者震いと、その目撃者になれる時代に生まれた幸運を噛みしめています。

なんとなく、この時代を狙ってこの世に出てきたような気さえするのです。

同じようなことを感じている人もいるのではないですか?


今回の変化は人類史上初めてのことであり、人々が目覚めの連鎖反応を起こし、有史以来の縦社会が崩壊し、愛に基づいた新社会秩序が構築されていくのだと思います。


比較、競争、苦悩、不信、見せかけ、の世の中が終わり、

理解、協調、幸福、信頼、真実、の世が始まっていくのです。


この変化の波に乗じた活動や生き方を選べば人生はとてもスムーズに展開していきますが、反対にいままでの価値観ややり方にしがみついていると、摩擦と抵抗によって消耗していくと思います。


変化自体は中立ですが、それをどう生きるかによって各自の経験は大きく違ってきます。



「恐れから愛へ」

世界全体から個人まで、これがあらゆる変化のキーワードです。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:30Comments(67)

2020年02月24日

2月24日の記事

目覚めるというのは、全体の目をもって、すべてを超然と見渡しているというようなことではありません。

まったく違いますが、そのように期待している人を時折見かけます。


そうではなく目覚めとは、まさにいまここにある「これ」

あなたの目の前にある、あるがままのいまと完全に仲直りし親密になることです。


たいていの人は、「いま」はまだ十分ではないと感じていて、たとえばお金が安心できるだけあればとか、抱えている問題が解決すればとか、自分がもっと完成された自分になれればとか、そうなったときの「いま」は、きっと目の前の「いま」よりいいはずだと思って生きています。

同時に、もっと幸せそうに見えたり、刺激的に見えたりする何かに向かおうとします。


いずれにせよ、「いま」はまだ十分幸せではないという不満や不快感を内在させているわけです。


しかし、あなたが持つ不快感は、あなたの人生の状況とは関係ありません。

その不快感の正体は、自分が全体から切り離されて個として存在しているという「分離感」です。


その分離感が、他者を作り、世界を作り、それをリアルな世界だと思って生きているのです。

それを夢、あるいはストーリーと呼びます。


したがって目覚めとは、「いまここ」に完全に戻っている状態のこと。


するとまた人は、完全にいまここに戻ったゆるぎない人を想像し憧れます。

固体化した自分という存在があるように、固体化した他人もいるように思ってしまうわけです。



いいですか。


この世には、あんな人も、こんな人もいません。

あんな自分も、こんな自分もいません。


そのように決めつけることができるものは、この世には何一つないのです。

だってすべては流れている(展開している)のですから。


このことが完全に分かったとき、周囲の幻想のすべてが崩れ落ちます。

そしていままでに味わったことのないような解放感と幸福感が訪れるのです。



その幸福感が、目覚めていることの証です。


幸福ゆえに「いま」と親密に仲良くなっています。

幸福ゆえに流れを信頼し、流れに任せているので、静かな安心感が漂っています。


だから、いまにいられるわけです。



僕の言い方をさせてもらうと、人は、


いま幸せなのか、

それともそれ以外の何かなのか


ということが、いつもいま問われているだけのことです。


どんな自分もいませんし、なれる自分もありません。



いまどうなのかが全てです。



  


Posted by Toshiro Abe at 17:21Comments(47)

2020年02月24日

瞑想

Web瞑想会を始めて4年になります。

ということは、100回以上やってきたということですね。


瞑想は副作用もなく良いことばかりですが、ただ一つの弱点は、その人の意思がなければ続かないということ。


Web瞑想は、そんな人の役に立ちたいという思いでスタートしました。

その時だけは瞑想するという人もいますが、それでもまったくやらないよりはずっとマシです。


瞑想はこれからの時代に大きな貢献をしていくと思いますし、それぞれの人生をスムーズに豊かにしていくことにも繋がっています。



さて昨夜みなさんからチャットにいただいた質問で、読めなかったところを読み直してみました。


yさん

朝晩の瞑想を続けるようになってから、未来の不安が押し寄せています。

瞑想中もそのことが次々と浮かんできます。

浮かんできてるなぁとも思いながら、苦しいです。

それでも続けるうちに変わってくるものでしょうか?

ふんばりどころでしょうか?



未来の不安は瞑想を始めたからではなく、いままで無意識に抑え込んできたものが、瞑想によって解放され浮上してきています。

これはあなたが言うように、ふんばりどころです。

思っている以上にたくさん溜め込んでいるかもしれません。



>浮かんできてるなぁとも思いながら、苦しいです。


その調子で観照していましょう。


ただし、ふんばるというのは苦しさを我慢することではありません。

苦しさが湧いてきたら、その苦しささえも、ただ見ているのです。


するとあらゆる思考も感情も、どこかから現れてどこかに消えて行ってしまいます。

それらは、あなた自身ではないからです




まいまろさん

何年も前に、ロータスマントラの瞑想伝授を受けました。ロータスの瞑想はどんな影響があるのかもう一度教えていただけますか?


ロータスマントラは女性のために用意されたマントラです。

はしょって言えば、女性の中心である子宮は命を育む神域であり、ものすごいパワーを携えています。

子供を産む産まないに関わらず、これはすべての女性に与えられたものです。

その偉大なる力を自分のために使っていこうというのが、ロータスマントラの基本となります。


と、智子さんから聞いています(^^;)



Chuyospaceさん

今日は子供の結婚式でした.

祈念、記念すべき瞑想会でした 

ありがとうございました



あなたの心が伝わってきて僕もうれしいです(^^)




ウリ坊さん

ボブさんのハートマントラを受けました。NIKE瞑想では次は何マントラを受ければ良いですか?


チャクラマントラはハートを含めて全部で7つあります。

それぞれのチャクラの特徴をお読みになって、興味があったり必要だと思うものがあればいらしてください。

NIKE瞑想




Bobbさん

瞑想は音楽をかけながらしてもいいのでしょうか?


マントラを使用する瞑想については、無音を奨励してます。

生活音は聞こえてきますが、そうやって起きている外界のことに一切かかわらず、社会の役割からも手を引いて、ただ、いまここに存在する純粋意識になっていくのです。

マントラを使用しないときは、波動の高い音楽は心を休める効果もあるので使用するのもいいかと思います。

30代のころの僕は、いつも喜多郎を聞いていました。




日日是好日(^^)




  


Posted by Toshiro Abe at 12:41Comments(9)

2020年02月23日

お知らせ

一昨日、いろんなインスピレーションが降りてきて、その中にはこのブログに関することもありました。


いままでは一人でも多くの人に届けたいという思いでやってきましたが、そのような姿勢が必要だった時期はもう終わったよと告げていました。


おそらくこの先もブログを書き続けるでしょうが、この点一つが変わっただけで、僕にとってのブログの意味がまったく違うものになります。

同じ行為でも、目的が変わると違う行為になるのです。



そんなわけで、


新生「かんながら」


これからもよろしくお願いします(^o^)



・・・・・・・




今夜Web瞑想会にご招待します。

21時になったら

https://www.ustream.tv/channel/rh5rrpCfAuq

にアクセスしてください。



  


Posted by Toshiro Abe at 14:35Comments(29)

2020年02月22日

ハッピーラッキーミラクル大仙人

3月8日に東京で行われる

運命を変える日 地球が変わる日


というイベントに出演します。


FBを経由して、主催の金子慎司さんが誘ってくれました。

ハッピーラッキーミラクル大仙人と自らを名乗っている人です。

元気で幸せそうな方なのでお受けしました(^^)


準備して話すわけではないから、当日も何をしゃべりだすかはわかりませんが、僕でいいと言ってくれたのでストレートに話してきます。



量子学者の保江邦夫さんとの再会も楽しみです。

保江さんとは会ったその日に、大昔からの知り合いだったみたいな感覚を持ちました。

そういう人ってたまにいます。



もし来られそうな人は来てください。

運命を変える日 地球が変わる日



  


Posted by Toshiro Abe at 11:11Comments(36)

2020年02月21日

ベネチアングラス

昨年の暮れ、ベネチアに行ってきました。

ベネチアングラスの工房があるムラノ島に渡って、ギャラリーの中でもひときわ精彩を放っていたこの作品に一目惚れ。

天河に奉納したいと直感しました。

ギャラリーに入って数秒後のことで、

「これ下さい」

と言ったら、店の人が本当に買うのかと驚いていました。


というのも、これは売り物というよりは、ギャラリーの格を表す象徴のような作品だったからです。


その作品がはるばる海を渡り、いまは天河神社の宝物殿に安置されています。

いつか皆さんに見てもらえる日も来るかも知れません。




クリックして拡大



宮司さんも大変気に入ってくださり、見てすぐにオリオンを感じたそうです。

陰陽、二つのオリオン星座。



あ、そう言われてみれば、たしかに・・・



僕と宮司さんの共通点は、子供の頃からオリオン星座が気になって仕方なかったこと。

どんなタイミングでも、見上げるとそこにあるのです。

そして同時に、曇り空でもオリオンがどこにあるのか分かったりします。

何かの電波が出ているのかもしれないと思うことさえあります。


宮司さんとは2人きりになったときに時折この話をするのですが、なぜオリオンが気になるのかということになると2人とも黙ってしまいます(笑)

どんな説明も思考の物語であり、そんなものがなくてもこの実感は揺るぎようがないのです。



さてこのベネチアングラス。

保管のために地震対策までしてくださるとのことで、もしかしたら何百年後の人も見ることになるのかもしれませんね。



とてつもなく重くてデリケートな作品でもあり、移動させる時は大人9人がかりだそうです。


  


Posted by Toshiro Abe at 11:45Comments(39)

2020年02月20日

愛 2

昨日は愛について書かせてもらいましたが、まず自覚するべきは自分が愛のない世界に生まれ育ち、いまもなお、その世界を生きているということです。


もちろんこの世界には、秩序や、正義や、悲喜こもごもの生活ドラマがあります。

愛と感じたこともあったでしょうし、愛し愛されたこともあったでしょう。

でもこの世界が存在のすべてではありません。



キリストが天の王国と言った、

釈迦が涅槃と言った

まったく違う世界、愛の世界があるのです。


それはどこにあるのか

実際にはもうすでにあなたはそこにいます。

でも周波数がこの社会(現象界)に合っているので、見えなくなっているのです。



愛とは定義できることではなく、波動のレベル、意識のレベルのようなもの。

自らのエネルギーの状態です。


愛についてコメントをくれた人もいましたが、その内容が正しいかどうかではなく、それを書いているあなたが愛の世界にいるのか、それともそうでないのかというだけの話です。


それはあなたが知っています。


チェックするようなものではありません。

もし自分がどちらにいるのか少しでもチェックが必要なら、あなたは愛ではない世界から愛を語っているだけです。


愛は自らが知っています。

それは状態であって、行為によって証明するものではないのです。


少なくとも言えることは、愛を生きている人の周囲はみんなが幸せです。

なによりもまず、その本人がこの上なく幸せです。



さあ恐れから愛へのシフトの時です。


夢から覚めて真実の世界に目を開く時です。

苦悩から安らぎへの移行です。



じゃ、どうすりゃいいんだよって、そんな声が聞こえてきそうです。



まずは、生きているこの世が、愛のない恐れの世界だということを見抜くこと。


そして自分も恐れの一人として、この世界を生きてきたことに気づくこと。



そこからだと思います。


  


Posted by Toshiro Abe at 17:53Comments(38)

2020年02月19日

人間には、「愛」か「恐れ」の二つのあり方しかありません。


そしてこの世は恐れが作り出しています。

法律も、倫理道徳も、社会の仕組みも、すべては恐れが生み出したものです。


制度もそうです、

結婚制度も恐れから作られています。


しかし恐れしか知らない人たちは、これが現実だからと受け入れて自分を適合させようとして生きています。

その集合体が社会であり、みんながそうだから自分の生き方を疑いません。



中には恐れの強い人もいます。

無意識の警戒心が、いつも人や出来事を見張っています。


「油断してはいけない

悪いことが待っているかもしれないから」


何も信じることができず、孤独の中で疲れ果てながら、なんとか生き残ろうと奮闘しています。




もしかしたら私は愛されているのかもしれない、ということが信じられないのです。

世界は自分のマインドの投影なので、愛を忘れた人は、決して愛を見ることができません。


せいぜい役割の中で、例えば家族を大事にすることが愛だと思っています。


実際には愛があれば、大事にしようという意図もいりません。

大事にしようと意図するのは、たいていは義務か役割からです。


そしてそれは、愛ではありません。



僕はあなたを愛の世界に誘っています。

恐れが消える道はそれしかないからです。


恐れは解決できるようなものではないのです。

恐れは取り組むことができません。


なぜなら恐れには実体がないから。

恐れとは単に愛の不在のことで、実体ではないのです。



愛は何も求めません。


愛はただ与えるだけです。



愛に計算はありません。


ただ起きることです。



愛に理由はありません。


愛を受け取る側の資格もありません。



それはただ、そのように起こるのです。


しかし恐れは理由をつけて、その愛を受け取ろうとしません。





ノックの音が聞こえますか。


今日も誰かが、あなたの扉をノックしています。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(53)

2020年02月18日

無題

今日の記事は、なるべく時間をかけて、ゆっくり一つ一つの問いに心の中で答えながら進んでください。


それではまず、あなたがよく知っている人を誰かひとり思い出します。

その人を心に描いてみます。


描けましたか。

そしてその人のことを感じてみます。


あなたがよく知っているその人は、あなたのことをどう思っていると思いますか。

・・・・・・・

・・・・・・・

どういうつもりであなたと付き合っているんでしょう。

・・・・・・・

・・・・・・・


もしあなたが、その人のことを聞かれたら、どんな人だと言いますか。


・・・・・・・

・・・・・・・




あなたがよく知っているその人のことを感じてもらいました。



で何が言いたいかと言うと











あなたがいま答えたことは全部間違っています。




全部です。




これは何を意味しているかと言うと、たとえばあなたが人に何かを言ったとき、相手がそれをどう考えたか、どう感じたかは、あなたには絶対にわからないということです。


それをお互い分かっているつもりで関わるところに、あらゆる人間関係の危うさと難しさがあります。



あの人はこう思っているに違いないという思い込みが、どんなに自分を悩ませたり混乱させたりしていることでしょう。



問題はそれが自分の中で、現実になってしまう点です。

人の現実は、そんな思い込みの束のようなものです。


そうやって自分で作った世界で苦しんでいます。




いいですか。


自分が思い込みの世界の中で生きているということを、いさぎよく認めることです。

それが解決に繋がります。


根っこからの解決です。



心の負担と闘うために人生があるのではなく、

心の負担を消すために人生はあるのです。


それを最優先することは、人生で最も大事なことです。


ところが人は、自分が思い込んでいる人や出来事に対する対策のほうが大切になってしまうのです。




今日の話はとても大切なことなので、わかるまで読み直してください。




あなたを愛しています。







  


Posted by Toshiro Abe at 17:31Comments(28)

2020年02月17日

不安と心配で夜も眠れない

昨日の名古屋での瞑想伝授で、参加した一人の女性が

「不安と心配で夜も眠れない」

と言っていました。

何が不安なのかと問うと、将来のこととか、いろいろだそうです。


こういう状態のときは、思考の世界に完全に埋没している時です。

何が現実で、何が想像なのかの区別がつかなくなっています。


想像と言うよりは妄想と言ったほうがいいのですが、自分の中ではリアルな世界として現れています。


それでは何が現実で、何が妄想なのでしょう。


答えは簡単です。

現実は「いま目の前に起きていること」だけであり、それ以外はすべて思考が作り出した想像、妄想です。


目の前に起きていることというのは、部屋の景観、空気感、いま聞こえる音や香りです。

それ以外は、いま他の場所で起きていると思っていることも想像、妄想にすぎません。


その妄想の世界を現実の世界と混同してしまうところに、人生の難しさがあります。

本当は生きるということはシンプルで簡単なことであり、人間以外のあらゆる生き物はシンプルに生きています。



このことに気づいているだけでも、人生の風味は大きく変わってきます。

いまを生きることに慣れてくると、あらゆる苦悩から抜け出すことができるのです。


それでも不安や心配の思考は沸いてきます。

しかしそのネガティブな思考も「いま湧いている現象」にすぎません。


思考が問題になるのは、思考の中身に取り込まれたときです。

思考の中身は決していまではなく現実でもありません。



このように解説すれば分かったような気になるのですが、ことはそう簡単ではない。

何故かと言えば、人がいまにいることは極めてまれで、他のほとんどの時間は思考の世界に暮らしていて、しかもその自覚がないのだから。







それではどうするのか。

やり方はいくつかありますが、どれにしても新しい習慣作りが必要です。

この習慣作りを修行と呼ぶ人もいます。


その代表が坐禅と作務。


坐禅は動きを止めていまここにいるためのレッスン。

作務は動きの中で、いまここを見失わないレッスン。


最近有名になったマインドフルネスは、このことを日常に取り入れようとする試みです。


以前に、目覚めた後にもある種の修行が必要だと書きました。


それがまさに坐禅であり、作務と呼ばれる生活習慣です。


完全に「いまここ」という真理を見抜いたあと、それを定着させるための時間になります。

これを「悟後の修行」と言います。


一方で多くの人は「いまここ」という言葉とニュアンスは知っていても、この言葉が意味する時空を超えた真理を知りません。

こちらの方が大多数であり、基本的に不安の世界を生きています。


では目覚め前の修行は何かと言えば、坐禅と作務が一番ということになります。

これを「悟前の修行」と言います。


早い話が、悟前の修行も悟後の修行も同じことをするのです。



思考の世界(夢の世界)の中で命を消耗するのではなく、目を覚まして本当の人生を生きること以上に大切なことはありません。

このアプローチを心理学的に完成させたものが奇跡のコースと言っていいでしょう。


ZENサンガの人たちへのメッセージになりますが、これがサンガの中に奇跡のコースを取り入れた理由です。

誤解を恐れずに言いますが、人生の中には目覚めること以上に大切なことはないからです。

あとのことはすべて、夢のストーリーの中で一喜一憂しているだけの話です。


坐禅や作務は日本人にとってとてもなじみが深い習慣なのですが、いまの我々はすっかり西洋マインドに取りつかれてしまったので、むしろ奇跡のコースのほうが目覚めに直結して馴染みやすいのかもしれません。


それとともに、思考を単に思考だと見極めて、いまを生きるレッスンもしていきましょう。


あらゆるストレスも、心配も、不安も、迷いも、入り込む余地はありません。

あなたの本質はいまもこれからも、完全無欠でしかないのだから。


だからあなたがいま、目覚めようと夢の中にいようと、大丈夫であることに変わりはありません。


せめてこのことだけでも覚えておいてください。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:48Comments(34)

2020年02月16日

だからなんなのよ

今日も、真実ではあるけれど何の役にも立たない話をします。

いきなり理解しようとしても難しいですし、ましてや自分に言い聞かせて納得しようとする類の話でもありません。

ただ、「ふーんそうなんだ」くらいに落とし込んでください。


さて、それではもう一度基本を押さえておきましょう。


あなたの人生の運転席には誰も座っていないことを思い出してください。

運転席は空席です。

自分が運転しているような気がしているだけのこと。

その自分自体も、思考が作り出したイメージです。


そもそも運転自体が起きていません。

あなたはいつもいまここにいるだけで、どこにも動いていないのです。

いままでも、この先も、動いていないのだからどこにもたどり着きません。


まさにいま、目の前にあるがままの「これ」があり、これからも同じことです。

いま起きていることの解釈と印象をつなぎ合わせてストーリーを作り、そのストーリーがまるで現実であるかのように一喜一憂して生きているのが、極めて多くの人の生き方です。


しかし何かの拍子にあなたが深い洞察を得た時、

いまではないどこか別の場所にたどり着くための計画が消え、

初めていまここのリアリティーに関心を持ち始めます。


人生というものを哲学や思想として理解しようとする試みが終わり、いまここに落ち着くのです。


遠くまでやってきたつもりでも、結局はいまもここにいますし、人生はまさにいま起きているようにただ起きているということを受け入れ信頼することができます。

いまはまだあるべき姿ではないとか、

私はまだたどり着いていないとか、

もしこうだったらいいのにとか

そのような思考は、どこまでいっても同じように続いていくだけです。


もし自分が変われば、もし自分が完璧に近づけば、全てが解決するなどという希望を捨てて、いまにくつろぐこと。

そして信頼し委ねること。

これが生きる基本です。




な〜んてことを書きながら、いつの日か慢性鼻炎が完治する日を夢見ている僕であった。


だから最初に言ったでしょ。

何の役にも立たない話だって。



  


Posted by Toshiro Abe at 10:21Comments(43)

2020年02月15日

内なる光

他者の中に光を発見することで、自らの内なる光を再発見する。

これは一昨日の香咲弥須子さんとの対談の中で彼女から出てきた言葉ですが、まさにその通りと思いました。


彼女は来月来日するので、その際に彼女のワークショップを受けてみたいと思いました。

予定している日程は、東京が3月22日、大阪が4月4日です。

また詳細が決まったらご案内します。


ZENサンガの存在理由も、そしてこのブログもそうですが、

どのように生きるべきかとか、

どうやって人生の苦悩を減らしていくかとか、

それも大切ですが、

最も大切なことは、

自らの中の光(神)とつながること。

もっと正確に言えば、本当の自分は何者なのかを知ることだと思います。

そのことによって他の全ては解決してしまいます。


香咲さんはそこに徹底してるので話をしていて小気味良いです。

西洋の文化を背景にしたアプローチと、東洋の思想が全く一致することの快感も得させてもらっています。





あらゆることには意味がなく、と同時にあらゆることには深遠な意味と目的が隠されている。

その目的はとても緻密で、一切の失敗もなく、刻々と大いなる計画として、あらゆる人の人生として進んでいると感じています。

瞬間瞬間のこの現象には、とてつもない意味が内在しているということです。



すべての人に神の恩恵が訪れますように。

あはは、急に西洋チックな表現になってしまった。



それではいつものように


かんながら たまちはえませ


  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(15)

2020年02月13日

目覚まし時計

本当は伝えるべきことなど何もなく、

ましてや教えることなどあるはずもないのに、

自己催眠をかけたまま眠りこけている同胞を見ると、

おせっかいにも何か言いたくなってしまう。



催眠の中で見ている夢は、

それがどんなにリアルに見えようと真実は一つもない。


その一方で本当のあなたの中には、

真実でないものは一つもない。



真実でないものの代表が怖れ。

真実は愛。


怖れは闇のようなもの

そして闇とは単に光の不在だ。


たった一筋の光で、闇はたちどころに姿を消す。

真実でないものは、真実の前では無力だから。



どんなに深い闇の中にいようと、誰もが一瞬で救済される。


ほんの一瞬目を覚ますだけでいい。



愛は真実
Love is real,


真実は愛
real is love,



愛とはあなたのこと
Love is you,


あなたと私のこと
You and me,




この歌が作られて、早50年。

あの頃から人類の目覚めは予告されていた。


だからさ、そろそろ目を覚ましてもいいんじゃない?


もうとっくに夜は明けているのだから。





起きろ~!!







  


Posted by Toshiro Abe at 10:29Comments(50)

2020年02月12日

ここにおいで

人は一人でじっとしている時間を避けたがるようです。

すぐにスマホを手に取ってみたり、見たくもないテレビをつけてみたり、すでに読んでしまった新聞をまた広げる人もいます。


いつも何かをしていないといられないのです。

まるで何かから逃げ出すかのようです。



何から逃げるのか。


それは孤独という名の欠乏感です。

人の心の底には慢性的な欠乏感が横たわっているのです。


そうやって一時的に気を紛らわそうとするのですが、実は人間のあらゆる活動は無意識にこの欠乏感を埋めるためにあります。

あれさえ手に入ればと思って頑張って、それを手に入れても約束された充足感は束の間で、またお馴染みの欠乏感を埋めるために、さらなる上を目指します。


これが多くの人がハマってしまった罠です。

しかもそれらはことごとく失敗に終わります。


このような衝動は、得れば得るほど大きくなるようにできています。

女を数百人抱いたと豪語する者もいますが、彼らはますます女に飢えていきます。

お金を掴んだ者たちは、もっともっとというゲームにはまっていきます。

しかし世界中の富を手中にしても埋まることはありません。


権力も同様です。

異常なまでの権力欲も、得れば得るほど強まっていくから当然の結果です。


トランプのように、考えられる限りの富と権力を手に入れた男でさえ、結局は何も満たされてないことが顔に出ています。

アレクサンダー大王も、ジンギスカンも、スターリンも、毛沢東も、誰一人充足した人はいません。


にもかかわらず人はより良いものを求め続けているようです。

しかも何故求め続けるかの原因を探ることはありません。





そこに釈迦のような人が登場します。

欠乏感や苦しみの原因を探り、充足のありかを明らかにするのです。


その充足には、充足を与えてくれる対象はありません。

何かのおかげで充足するのではなく、対象を持たずに充足するのです。



しかし人は自分を満たしてくれる対象があるはずだと思っていて、その対象こそが幸せだと信じています。

それは幸せを感じた時の記憶が、何かの対象と結び付けるからです。


もう一度繰り返しますが、本当の充足とは対象を持たずにする充足なのです。



ということは、一人でいてそわそわしてしまう時がチャンスです。


何かの行動に逃げてしまうことなく、そんな時こそただ静かに坐ることです。


そのとき、最初から無条件に与えられていた、存在としての充足感に満たされていきます。


求めていたものは、いまここにあったのです。



そのとき 何をか求むべき

寂滅現前するゆえに

当処すなわち蓮華国

この身すなわち仏なり



白隠禅師





  


Posted by Toshiro Abe at 09:41Comments(29)

2020年02月11日

幸せになりたい人へ

幸せになりたいと言うのは、裏を返せばいまは幸せではないということです。

それではなぜ幸せではないのか。


大抵の場合その理由は、いま思い通りになっていないことだったり、何かが足りないことだったり、誰かとの関係だったりします。


確かにそれも表面的な理由ではあるのですが、それらが直接、幸せではない気持ちを作っているわけではありません。

事実を言えば、それらのことに対する心の態度が幸不幸を決めています。


ここまでは分かりますよね。


もし幸せじゃない理由を一言で表すと、それは拒絶という言葉に行き着きます。

さらには拒絶から生じる攻撃性や、批判、怒り、恨みつらみなどが挙げられます。


大切なことは、このことに関しては自分が直接取り組むことができるということ。


反対に、他人の事を含め、いま自分が見ている世界を変える事は不可能です。

なぜなら自分が見ている世界は自分の心の投影だから。

しかもその投影は事実ではありません。


ここが完全に解れば幸せは目の前です。



多くの人は幸せになるために、映し出された映像に取り組もうとします。

状況を変えようと奮闘し、恨んだ相手を淘汰しようとさえします。

なぜかと言えば、攻撃性を持った瞬間、その対象からの報復を無意識に想像しているからです。


このゲームはどこまでやってもキリがありません。

批判的な映写機(マインド)がある限り、それに応じた世界しか見ることができないからです。






一日に数分間でいいから、心の中を覗いて、批判的な思いや攻撃的な思いが湧いて来たら、それを手放していくのが幸せへの近道です。

キーワードは「愛」

これが本当の奇跡であり、西洋で「救済」と呼ばれるものです。


前にもお話ししましたが、いまサンガでは「奇跡のコース」を導入しています。

まさにこのようなことを毎日少しずつレッスンしているのですが、これが実に面白い。


かいつまんでブログでもご紹介しますね。


今日もいい一日をお過ごしください。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:05Comments(27)

2020年02月10日

だるまさん

昨日は近藤さん宛にたくさんの励ましコメントコメントをいただきありがとうございました。

ネットとは言え、我々の気持ち次第で時空を越えて繋がることができるんだなと実感しています。


近藤さんが正直に包み隠さず経緯を書いてくれたことで、僕自身も思うところがありました。


一つは真理に基づいたメッセージの危うさです。

内容が間違っているとは思っていません。

世界中が否定しても真理は変わりようがないからです。


しかしメッセージの受け手が、そのことをどう解釈して、どう消化するのかまで見届けるわけにもいかず、場合によっては混乱させてしまうことがあります。


実は混乱するのはいい傾向で、信じて疑わなかったそれまでの生き方を見直すときには多かれ少なかれ出てくることです。

本当はこの時点でマンツーマンのガイドが必要なのですが、それが十分にできていないことの不備を感じています。


真理にまっしぐらに向かうために一番いいのは、ガイドや同志との集団生活であり、それが僧院(サンガ)ができていった所以です。

でもいまの時代に出家や集団生活は非現実的であり、このことをそれぞれの生活基盤の中でどう学んでいくのかを工夫するのが課題です。


南無の精神

瞑想と坐禅の大切さ

覚醒

愛と創造性


大きく分けて言えば、これが分かち合いたいことの全てです

たいへんおこがましいことですが、既存の宗教が成しえなかったことや、時代錯誤になっていることを是正して、21世紀型の真理への道を構築していきたいと思って生きています。







さてもう一度近藤さんの話に戻ります。

ご自身も書かれているように、いま近藤さんはご大変な状況を迎えているようです。

詳しくは昨日のコメント欄をお読みください。


そのことが原因で落ち込んでいるというようなことも書かれています。

でも実際には、近藤さんがいま感じている不安や辛い気持ちと、いまの状況は関係ありません。

それは本当の理由ではないのです。


これはあらゆる人のあらゆる現象に言えることで、人が落ち込みや怒りを感じている理由は、その人が思っているようなことではありません。


この先、近藤さんの状況が変わりだしてお金も仕事も順風満帆に展開していったとします。

でもそうなった後も、いまとは違う理由で心に何かしらの憂鬱を抱えている可能性があります。


そしてその時の理由も、本当の理由ではありません。

裏を返せば、その気になればいまの状況でも生き生きとした感覚を持つことは可能だということです。




今日の最後に伝えたいことがあります。


近藤さんも、そして似たような状況にある人も、

「すべてはよくなっていく」

ということを信じて、いまできることをやっていってください。


大丈夫!

なんとかなります。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(31)

2020年02月09日

番外編

今朝方いただいていたコメントが一つ消えてしまいました。

神様大好きさんの投稿で、内容は、自分はうつ病で苦しんでいるけれど、苦しんでいる自分はいないという信念を持つことで苦しみは消えるかと言うものでした。

非二元のメッセージを伝えることの難しさを改めて感じました。


非二元のあり方はあらゆる苦しみの根っこを断ち切るので、言ってみれば唯一の完全なる救済だと思います。

しかしその一方で、メッセージを頭で理解して自分に言い聞かせても役に立ちません。


あなたは、「苦しんでいる自己は存在しない」という信念を持てばいいのかと尋ねますが、信念を持つのはいったい誰なんでしょう。

我々は非二元のメッセージを自分という存在の上で理解しようとするのです。


例えば

「分離した自己は存在しない、存在しているのは全体だけだ」

と聞いた時

「確かにそうかもしれないが、自分はまだその境地に達していない。

もしかしたら一生成れないかもしれない。」

と考えてしまいます。


あるいは

「自由意志を持った自己はなく、すべては起きていることだ」

というメッセージを聞けば、

「それが真実だとしたら、これからどうやって生きればいいんだろう」

と考えたりもします。


いずれにせよ、自己の不在を自己が案じているわけです。

これがメッセージを頭で理解する人の限界です。


さて僕はあなたのコメント読んだとき、結局は何もしてあげられないということを痛感しました。

せめてあなたが、絶え間なく訪れるであろう思考から離れて、わずかでも静寂に寛げるように祈っています。






そして、いつも実名で投稿してくれる近藤さん。

あなたがいま苦しいのは、収入が安定していた公務員の職を離れて、自分がやりたいことを始めたものの、それがうまく展開していかないことが原因ではないかと勝手に思いました。


もしかしたら的外れなこと言っているかもしれませんが、当たらずとも遠からずであれば僕自身の経験からアドバイスできることがあります。


いまは一旦、精神世界や真理の探究を横に置き、意識を腹に据えて、昨日までのことと明日からのことをシャットアウトし、今日一日という枠で生きるのです。

そしていまは、経済活動にしっかり取り組みます。


それはもしかしたら、あなたが始めたビジネスとは関係ないことかもしれません。

プライドを捨てて誰かに頭を下げて、ただ今日食べるために働くという事かもしれません。


それをしたところであなたから何か失われるわけではありません。

そうやって、いまできることをやりながら、もう一度やりたい仕事をプランし、あなたのビジョンを実現していってください。



誰でも、いまできる事は一つだけです。

そしてそのできる事の内容に、貴賤も上下もありません。


我々は、いまを生きているということに関して完全に平等なのです。


そして余計な思考を持たないこと。

今やることをやること。


それが僕からのアドバイスであり、もしかしたらこれが、あなたがずっと探し求めている真理につながる道かもしれません。


もし的外れであればスルーしてください。

もしかしたらこのアドバイスは、近藤さん本人ではなく、たまたまこれを読んだ誰かにとって必要だったかもしれません。



みんなの心が穏やかでありますように。



・・・・・・・


【お知らせ】

今夜21時から、Web瞑想会をします。

ご招待しますので、人生というストーリーから離れて、誰でもない人として一緒に寛ぎましょう。

時間になったらコチラからお入りください。





  


Posted by Toshiro Abe at 08:54Comments(32)

2020年02月08日

これ以外のメッセージは戯論だ

結局のところあらゆるメッセージは、全体から分離した個としての「自己」など存在していないと言うことに尽きる。

それ以外のメッセージは全て「自己」が見ている夢に過ぎない。


これは最近になって出てきた新しいメッセージではなく、少なくとも2500年前にゴータマ・シッダールタ(釈迦)というインドの青年が表明している真実である。


彼のメッセージはこの一点に尽きるのだが、歴史の中で彼自身が神格化されたにもかかわらず、この最も重要なメッセージが多くの人に広まる事はなかった。

「自己」が存在しないなどという事を誰が受け入れることができるだろう。



しかし釈迦は、「存在していない」と言っているのではない。

いまこうしてあなたや私が存在しているのは疑いようのない事実だが、この存在は分離した単独の「自己」ではないと言っているのだ。


「自己」とは、ある種のエネルギーの凝縮がもたらしている錯覚であり、その錯覚をもとにマインドが作り出した幻想だ。


森羅万象の全ては、全体が起こしている戯れであり、このエネルギーの凝縮も、その凝縮から生まれる「自己」という錯覚も、全ては全体の表れである。


「自己」が存在していないのならば、一体何が存在しているのか。

そこに名前を付けるのは簡単だが、名前をつけた途端また新しい誤解が上積みされてしまう。

神とか、宇宙とか、全体とか、どんな単語でも表しきれないが、言葉で伝達するための手段として仕方なく全体という言葉を使ってきた。


ここで最も重要なのは、この全体こそが本当のあなただということ。


このあなたであるところの全体を、これからは「意識」という言葉で統一したいと思うようになった。


これまでも

「純粋意識」とか、

「目覚めた純粋意識」とか呼んできたが、

純粋という言葉を使えば純粋でないものを連想してしまう。


しかし純粋でない意識など存在していない。

混乱した意識などありえないのだ。


混乱したマインドは存在する。

と言うより混乱していないマインドなどない。

マインドとは混乱した思考に過ぎないのだから。


それらの混乱した思考、混乱したマインドを知覚している何らかの存在があり、それが意識だ。


意識はあらゆるものを知覚するが、何を知覚したとしても影響される事はない。

それはちょうど、どんな悲惨な映画を上映したとしても、その映像を映し出していたスクリーンが何の影響も受けないのと同じだ。


そしてそのスクリーンこそが実体であり、映し出されていた内容は幻影に過ぎない。


この例えは、存在に関する真実を表す最も近い表現だと思う。





昨夜Web講演をやっていて、あのような形での講演は、実際の会場での講演以上にマンツーマンで真実を共有できる環境だと思った。

テレビのパーソナリティもラジオのパーソナリティも経験したことがあるから分かるが、テレビの場合は「みなさん」を相手にするが、ラジオの場合は「あなた」を相手にする。


Web講演はテレビよりも、むしろラジオに似ていて、やっていてとても楽しい。

見てくれる人が、このブログのメッセージに関心を寄せている人ばかりだからかもしれない。



神(全体)が与えてくれたツールに感謝している。


かんながら





  


Posted by Toshiro Abe at 09:58Comments(23)