2022年05月31日

流れに乗るには

piyo さんの質問

『淡々と』

 これ難しくないですか?

 悲しい,苦しい,の渦中にいるともちろん逃げ出したくなります。

 とてもそのままでいることは難しい。

 (自分の場合)強引に,このままでいい,ざわめくままに流れに乗っていれば良い,そのうち過ぎ去るとも思うことも可能です。

ただ,この『強引』が,不自然に感じてしまうことがあるんです。
 
『淡々』って,どんな感じでいればいいのでしょう?



「無為の最奥を極める」

これは2500年前の老子の言葉です。

老子がこの言葉を伝えたのには訳があります。

彼は無為の時間を奨励していたのです。


無為とは何か。

それは何もしないことであり、瞑想の本質です。

ところが人は老子にこう尋ねます。

「何もしないためには、どうしたらいいですか?」


どうしたらいいかだって?

何もしないことさえもしようとするのが人間(自我)なのです。


だから老子はこう言いました。

「何もしない事さえしないようにしなさい」


それが

無為の最奥を極める

ということです。


何もしないと言っても、お腹が減ったら食べますし、眠くなったら眠ります。

必要であれば、木を伐り、畑を耕し、水を運びます。

そのような活動をすべてやめろとは言っていません

活動と共に、一切の活動をしない時間も大切にしなさいと言うのです。


そんな練習によって、必要な行動さえも自然に行われるようになります。

それが流れと共に生きるということです。


しかし自我がひとたび流れに乗ることの大切さを聞けば、流れに乗ることを努力し、自分に強制さえするかもしれません。





さて、頂いていた質問です。

>(自分の場合)強引に,このままでいい,ざわめくままに流れに乗っていれば良い,そのうち過ぎ去るとも思うことも可能です。

>ただ,この『強引』が,不自然に感じてしまうことがあるんです。



強引さほど不自然なことはありません。

そして強引に流れに乗ることなど絶対にできません。

流れに乗ることは、一切の力を抜くことによって可能になるからです。


完全に力を抜いても流れは続いていきます。

そこに必要なのは流れに対する信頼です。

たとえ目の前の現実がどう見えようとも、起きることが起きていることを知っているのです。


そのとき初めて、起きることを淡々と見ることが可能になっています。

そしてあなたは何一つ影響されていません。


無為の最奥を極める


流れに乗るためにも、瞑想習慣は大切です。

瞑想によって、起きている出来事と自分の間に距離ができます。

それによって「淡々」という態度が可能になるのです。


これは全ての人に備わっている能力ですが、実践しないで評論家になってしまうのが自我の何たるかです。

実践によって自我は、自分が無くなってしまうことを恐れているからです。

そうやって自己を頑なに握りしめ、信頼ではなく警戒を生きてしまいます。


大丈夫。

この流れはあなたの敵ではなく、あなたに試練を与えようとしているのでもなく、あなたを本来の祝福の中に連れて行ことしています。


流れを信頼すること。

それはあなたを生かしている源を信頼するということです。







  


Posted by Toshiro Abe at 08:32Comments(12)

2022年05月29日

陽だまりの中で

こんにちは。

天河の空気を浴びながら、庭の陽だまりで戯れる猫たち。

車の往来を気にすることなく、食事も睡眠も保証されて、まるで天国の住人です。





でも彼らは自分が幸せなことに気づいていません。

不遇な環境になっても、自分の不幸に気づかないことでしょう。

たぶんその時も、目の前のいまを生きています。


物語や判断を持ち運ばない生き方は、僕たちに何かを教えてくれているようです。


何事にも固執せず、ただこのいまを淡々と生きていきましょう。

起きることが起きているだけであり、それらは必ず消えていくのだから。



今夜の日曜瞑想会はコチラです。

https://youtu.be/kg4-eU8ukm4


見逃した週も全部アーカイブされているので、好きな時間に見て下さい。







  


Posted by Toshiro Abe at 11:04Comments(21)

2022年05月24日

思考は鼠小僧

思い出したとき、こんなゲームをしてみませんか。

それは思考との取り組みゲームです。


人は目覚めた後も、お馴染みの思考に巻き込まれることがあります。

そんな自分を、「まだまだだ」と判断するのも思考であり、思考はジャッジも含めて実に巧みなやり方で、意識を乗っ取っていくのです。

それはそれは見事としか言いようがない。


目覚めが訪れていないと思っている人も、思考を客観視している時と巻き込まれている時との違いを知っていると思います。

したがってこのゲームは、自分がどんな状態であれ始められますし、どちらにせよある種の気づきを養ってくれます。


やりかたは簡単。

坐禅スタイルは効果が分かりやすいですが、そのようなスタイルを取らなくても、いつでもどんな時でもできます。


たとえば坐禅なら、目を半眼にして1mほど前の畳目を見て、「いまは畳目を見るという事だけが起きている」と自分に言い聞かせます。

実際に、起きているのはそれだけなので、これができている間は、我々は真実と共にあります。


しかし僅か数秒もしないうちに無意識になって、思考が作るお馴染みの物語の中を生きている自分を発見することでしょう。

発見できないまま坐禅を終えてしまうことさえあります。


「次に思考に巻き込まれそうになったら、どの思考がきっかけだったか見届けるぞ」

そんな気持ちを持ってみて下さい。


一回くらいだったら見届けられるんじゃないですか?

一回でもいいから、巻き込むきっかけになる思考を捕まえてみましょう。


すばしこい鼠小僧をお縄にする感じです。

誰に教わったわけでもなく、いつのころからやりだした一人遊びですが、「鼠小僧ゲーム」とでも呼んでみます。


思考のすばしこさに巻き込まれるか。

それとも気づきの縄で捕らえるか。







これが上手くいかない時の他のやり方は、出てくる思考に対して

「以上!」

と言って切り捨てる方法です。


たった一つの思考が、何時間もの物語への導入になることはよくあることなので、ことごとく切って捨ててしまいましょう。

これは思考を単なる思考として位置付けるのに効果的ですが、これさえもほんの少し無意識になると、いつのまにか物語に吸い込まれていたりします。


たとえば嫌いな人が思考として現れた時

「以上!」

と言って捨ててしまえばそれで終わりですが、気が付いてみるとその人とのイヤなエピソードを思い出し、心の中でその人を罰していたり怯えたりしながら、そうやってまた夢の中です。



今日の話がどこまで伝わったか分かりませんが、このことを単純なゲームとして取り組むと、とんでもなく価値があることが起きたりします。

でもたいていの人は、頭の中でシミュレーションして終わりでしょう。

そうやってやったつもりになって、夢(物語)が続いていくのです。



だからと言って悪いのではないですが、自分がいかに夢の重力圏から出られずにいるのかの再認識にはなることでしょう。

それが分かるだけでも凄いです。

だって大方の人は、ぐっすり眠りこけているのだから。




21時から阿純章さんと対談講演です。

それまでの時間、鼠小僧ゲームでもして過ごします(^^)







  


Posted by Toshiro Abe at 18:46Comments(18)

2022年05月22日

新しい時計

新しい時代の新しい時計は、こうなることでしょう。

こうやって真実を生活の中に定着させれば、夢から覚める日も近づきます。





まずは時間という幻想から目覚めること。

それが「自分」という夢を終わらせます。

時間と自分は同じ幻想の両側面だからです。


そんなことを長きにわたって伝えてきましたが、時代はますますこの方向に変化し、活動は極めて簡単になってきています。

様々なスピ的ファンタジーを見聞した後、またここに戻ってくる人が増えているのも想定内です。

この先も多くの人が時間を超えた真実を生き始め、目覚める人の数も増えていき、この世の中全体が生きやすくなっていくことでしょう。

怖れに基づいた世界観が、光にとって代わろうとしています。

有史以来初めての大変革が、まさに「いま」起きています。


この流れの基礎作りに、わずかではありますが貢献できたことを嬉しく思っています。

子供の頃に予想した通りに、世界や人心が変化していることを考えると、すでに幼少のころからこの流れを知っていたことになります。

たぶん僕と同じような人が各地にいるのでしょう。



日々是好日




只いま




日曜瞑想会

https://youtu.be/-MPxMJ1eahw



















  


Posted by Toshiro Abe at 11:23Comments(11)

2022年05月15日

いいところを見つけよう♪

おはよう。

今日も何か書こうと思ったけど、この人が全部歌ってくれている。


大好きなJason Mrazの「Look for the good」を聞いて、今日も気楽に生きよう。




今夜の瞑想会はコチラ。

https://youtu.be/VggydmVNyF0
  


Posted by Toshiro Abe at 08:26Comments(14)

2022年05月11日

マブダチ

「かんながら」は事実を基にした私小説だが、こうして書いてみると自分の人生物語の特徴が見えてきた。


一番の特徴は、簡単に人生の方向転換をしてしまえることだ。

こうと思ったらそれまでの全てを捨ててしまえるのは性分なのかもしれない。

だから悩んだり絶望したりする暇がなく、新しい何かがいつも目の前にある。


一つの世界で先が見えなくなったら、他にも無数に世界があることを知っている。

いつも見えない何かが自分を守っていることを確信しているから、怖れることがほとんどない。

実際そのようにして人生が展開してきたし、いまもそうだ。


見えないこの力を守護霊と呼ぶなら、この阿部という男にはとんでもないのが付いているように思う。

本当は誰もが同じで、その存在との付き合い方で、運の良し悪しが決まるような気がする。


阿部の場合は、その存在をマブダチだと思ってきた。

何事もやっているのは自分ではなく、そのマブダチだ。

こいつはかなり頼りになる。






多くの同世代が先行き不安を感じている中で、この男はいまが一番青春している。

だから勇気を与えていこうと思う。

それは阿部自身が新しいチャレンジを生きることによって伝わることだろう。


これを見ている愛人たちよ。

これからも沢山の奇跡を見せてあげるからね。

この奇跡が君自身にもあることを思い出す日まで。


実際には自分がやることは何もない。

自分はただビジョンをオーダーして、それを楽しませてもらうだけだ。

後は全部マブダチがやってくれる。


いまも半端なく、奇跡が継続中だ。

任せたよ、神という名のマブダチさんよ。


(^_-)-☆










  


Posted by Toshiro Abe at 10:59Comments(29)

2022年05月08日

只今

なんとなくいい感じ。

みんなで瞑想しよう。

21時から(^^)

https://youtu.be/aQpexExSLDo


起きることが起きる。

それ以外は決して起きない。


泣いても笑っても同じこと。


起きることが起きる。

それ以外は決して起きない。


それが分かれば

すべて事も無し。













  


Posted by Toshiro Abe at 11:49Comments(12)

2022年05月04日

かんながら

好むと好まざるとに関わらず、何事も変わり続けていきます。

その変化と共にあれば問題はありませんが、変化に抵抗すると苦しくなります。

いずれにせよ変化していくからです。


そしてこれからのことは何も分かっていません。

何故なら、誰かがやっているわけではないからです。


実際には人間は何一つ知りません。

もし知っていれば歴史は大きく変わっていたことでしょう。


大抵の場合、知らないことは恐怖なので、何かの意味を付けて分かったつもりになります。

そんな仮の秩序の中に暮らしていても、心はいつも不安の中です。





でももう一つの可能性があります。

それは知らないことを恐怖と感じないこと。

この人生の川がどこに流れていくとしても、その流れを信頼するという生き方です。

それをサレンダー、南無と言います。


全体さん。

アンタに任せたよ。

ってね(^^)




今日は水曜日。

いつもの水曜瞑想会は、マントラ瞑想実践者が対象ですが、今夜は趣向を変えて、みなさんをお招きします。

沖縄から僕と智子さんとフヒト君とプーちゃんでお届けします。


https://youtu.be/iNvkJ2JwP9s







  


Posted by Toshiro Abe at 11:34Comments(13)