2010年04月30日

意識変革に向けて

今日もたくさん伝えたいことがあるのですが、それは立体的で、言葉を超えていて、いまこの瞬間には、どうやって整理していいかわかりません。

とにかく書き始めてみます。


自分が「個」として存在しているという錯覚は、とても強く深いところからのものなので、おいそれと、それを錯覚だと見抜くことはできません。

どんなに言葉を紡いでも、読む側が「個」の自分であれば、そこには何かを知ったという満足感が残るだけで、意識の変化が起きるわけではありません。


やはり、なんらかの霊的な経験、自己を超えるという経験が必要になります。

いままで自分だと思っていたものが、単なるイメージの束であり、そんなものは最初から存在していなかったという気づきです。



「個」である自分が、気づきの光の中で消えた時、そこに残るのが本当の自分です。

それはもはや「自分」とも呼べないもので、むしろ「全体」とか、「大いなる意識」としか呼びようのないものです。


そう、「あなたがすべて」なのです。

この宇宙には、あなたしか存在していません。



それが唯一の真実です。

それがわかれば、全てを理解したことになります。


自分=宇宙

個=全体


この感覚を持つこと、それがアセンションと呼ばれる現象です。


個々に分裂した意識が、大いなる一つに統合された時、個別意識が宇宙意識にシフトし、新しい次元の生命活動が始まるというのが、本来のアセンションの発想です。


このことは、最初の霊的体験をした時から漠然と予感していましたが、あるとき一冊の本と出会い、そこに赤裸々に描かれていた内容に共鳴しました。

1995年のことですが、その本のタイトルは、ズバリ「アセンション」でした。

著者は、アメリカの有名チャネラー、ボブ・フィックス氏。

日本でアセンションという言葉が流行り出す、さらに10年前のことです。


この時の影響が自分の中に残り、それから4年後の1999年に書いた「随(かんながら)神」の物語の主要テーマが、このアセンションでした。

著者のボブ氏に敬意を払い、物語中にもこの情報を与えてくれた人物として、ボブ氏を登場させました。

もちろん本人そのものではなく、NYから天河を訪れたスピ系の青年という設定にしました。


しかし、運命とは面白いものですね。

僕が、とある瞑想法に興味を持ったことがきっかけで、実際に去年、ボブ・フィックス氏と会う事になったのです。

しかも彼は、僕と出会う事を予め知っていて、僕の役目もすべてお見通しだったそうです。

僕自身はそのような能力にあまり関心はありませんが、ご本人といると、なんとなくそんな気になってくるから不思議です。

いずれにせよ、「随(かんながら)神」を書いたときから、彼との出会いは決められていたようです。


物語に登場する、もう一人の主要人物「シャンタン」も、そのモデルになった男性が、20年ぶりにひょっこりと僕の前に現れたのが先月です。

そして来月、「随(かんながら)神」が発売になります。


これって、変くない?(若者風に)



やはり事の全体はすでにプログラムされていて、そこに向かって粛々と世界が動いているような気がします。

小さな個人的なことから、世界情勢に至るまで、それらは全て関連しているので、何一つ偶然はなく、何一つ間違いも無駄もなく、ただ起きることが起きているのでしょう。


僕自身に起きていることを冷静に見つめ直してみると、そう思わずにはいられません。

あなたもそんな予感を持っているのではないですか。



さて、そのボブ・フィックス氏が、初めて沖縄にやってきます。

彼の強い要望で実現したことで、彼はこの時期、どうしても沖縄の皆さんに会いたかったようなのです。

急遽決まったことですが、僕と対談形式の講演会と、チャネリングを行います。



5月11日(火)、18時半開場 19時開演

那覇市てぃるる(098-866-9090)、第1第2・合同研修室

3000円

当日券のみで、予約は不要です。(満員で収容不能の場合はご容赦願います)




思わぬことが次々と、そして急展開で起きていると感じる、今日この頃です。




今日もここに来てくれてありがとうございました。





このブログは、僕たちの意識変革を促す目的で綴っています。

一人でも多くの人に届きますよう、ご協力よろしくお願いします。

   



・・・・・・・・・・・



先日、ti-daブロガーを対象に、抽選で当たった人20名の前で、講演をさせていただきました。

その時の模様が詳しくアップされましたので紹介します。

アセンションについても語っています。


コチラからお入りになれます。  


Posted by Toshiro Abe at 08:57Comments(27)

2010年04月29日

Enlightenment 2

数日に一人くらいのペースで、僕と同じ体験をしたという人からメールが入ります。

それも、最近したという人がほとんどです。


これは一昔前では考えられないことでした。

僕は、まるで歴史の証人のようにして、この二十年間の変化を報告することができます。


昔はこのような情報発信手段がなかったので、仲間を探すのも一苦労でした。

自分がした体験は、あまりにもリアルだったので、疑いようがなく、であれば僕以外にも、同じ理解に至った人はたくさんいるはずだと考えました。

そこで、真実を体現した可能性のある人を探して、積極的に会いにいきましたが、「自分」との自己同化を離れて、万物とひとつなる自己(本当の自分)を、体で知っている人はいませんでした。


7年くらいして、あきらめかけた頃に出会ったのが、向禅師でした。

何ひとつズレルことなく、すべての理解が一致した初めての人です。


もしあの時代にネットがあれば、このようにして多くの仲間に巡りあったでしょうか。

僕はそうは思いません。

やはり、時代が急に変化していて、霊的な成長が一気に加速しているのだと思います。



目覚めとは自我の消失です。

それまで自分だと思っていた限定的な自己が消えて、万物と一体のあるがままの自分が現れます。

まるでビッグバンのように、結晶化された自己が、宇宙大に拡大するのです。

それは衝撃的な体験です。

黒斎クンが言う、ひっくりかえりの体験と言ってもいいでしょう。

通常の人間には理解不能な、とてつもない叡智が顔を出し、それまで信じていた価値観が全部ひっくり返ります。


その時、思わずこう言います。

「あー、そうだったのか」


そしてこんな感覚もあります。

「このことは知っていた。ずっと前から知っていた。でもあまりにも当たり前すぎて見落としてきた真実だ」


だから目覚めた人たちは、異口同音に、

「悟りを達成したわけじゃない。元々悟っていたことを思い出しただけだ」

と言うのです。



悟りというと、凄いことのように思ってしまうので、悟ったなどと公言する人間は、胡散臭く見えてしまいます。

でも悟った人は、その体験が、何一つ自慢できるようなものではない事を知っています。

だってそれは、全ての人がすでに持っているものだからです。


もし誰も持っていないものを得たのなら、少しは達成感がありますが、全ての人が持っているものを、自分も持っていたと気づいただけなので、どうってことはないのです。



しかし、そのどうってことない体験が、苦しみの人生を根底から癒す力を持っています。

目覚めと共に、過去と未来という思い込み(時間の幻想)が消え、あらゆる苦悩が消え去ります。

何故なら苦悩とは、終わってしまったことへの後悔か、これから先の心配だからです。

それは「いまここ」には存在できません。



そんな報告が、急に増えている今日この頃です。


まだ、そのような体験が訪れていない人も、もしあなたにその準備が出来ていなければ、このブログに引きつけられることはありません。



思っている以上のスピードで、目覚めの連鎖が始まっています。



そのうち、世界中の人が言いだします。


「あー、そうだったのか」






今日もここに来てくれてありがとうございました。





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Posted by Toshiro Abe at 09:39Comments(35)

2010年04月28日

Enlightenment

一度蔓延してしまった誤解を解こうとすれば、多大なエネルギーが必要となります。

しかもそれが、何千年にもわたって受け継がれてきた観念の場合、尚更です。


たとえば、「悟り」に関しても、間違った観念が受け継がれてきています。

「悟り」という言葉が、「神」同様、様々なニュアンスを含んでしまっているので、使うのが難しいのですが、誤解を恐れずにストレートに書いてみます。



「悟れば聖者になる」


それは違います。

悟れば聖者になるのではなく、もっと自分自身になります。


人は自分を生きていません。

こうあるべきという姿を生きています。

人の目の中に映る自分を想定し、そんな自分を無意識に演じているのです。


そのようなゲームが必要なくなります。

人に好かれる必要もなく、人に評価される必要もなくなるので、その瞬間の感応を生きることができるようになります。


多くの場合、悟った人達は尊敬されるというよりは、変わり者として見られるようです。

社会の価値観を生きるのではなく、自分独自の道を歩み始めるからです。




「悟れば高潔な人格になる」


それも違います。

悟っても、あるがままの自分でしかありません。


誰もが自分の中に、影の部分や、満たされない部分を持ち、それを内心自覚しています。

陰と陽、光と影、プラスとマイナスは、両方でセットなので、どんな人の中にも両方が存在します。

ところが思考は、プラスの面だけを自分に引き寄せ、マイナス面を克服しようと考えます。

そうやって、決して勝ち目のないゲームに挑むのです。


ちょうどそれは、自分の指を見て、こう思ってしまったのと同じです。

「私には5本の指がある。しかし両側の2本はあまりにも短すぎる。いつかこの2本を長く立派にしよう。この問題を克服すれば、もっと私は素晴らしくなるはずだ」


しかし、どこまでいっても親指は親指であり、小指は小指です。

それはそもそも、克服すべき問題ではなく、単に人間の一部に過ぎません。

そうであるところを認めて、そうであるところにくつろぐこと。

それが悟りです。


悟れば人格が高まり、高潔な人間になるという誤解が、人々を悟りから遠ざけてきました。

実際には、いまあるがままのあなたで悟っていいのに、自分にはまだその準備が出来ていないような気がしてしまうのです。

もっと正確に言えば、いまあるがままのあなたですでに悟っているのに、自分が悟っていることを宣言するのを躊躇(ためら)ってしまうのです。


何になろうとしているのですか。

あなたはこれからもずっと、あるがままのあなたでしかありません。


そして、それでいいのです。


いかに自分が、自分以外の何者かになろうとしているか、そのことに気づいて下さい。

そこには長年にわたる自己否定と、周囲との比較がもたらした劣等感があります。

そのどちらも、あなたの誤解です。


あなたはあなたのままで、まさにいま、あるがままのあなたでOKなのですから。

たとえそれが、どのように見えたとしてもです。




「悟れば全ての問題が消えてなくなる」


問題は残りますが、問題を問題として見なくなります。




「悟れば性欲が消える」


悟ってもビンビンです。

僕の場合は、最近ちょっと歳ですが・・・そんなことはどうでもいいですね。




「悟れば金銭欲が消える」


お金はあればあったでよし、なければないなりに生きるだけです。

貧乏も豊かさも両方知っている人間としては、豊かさのほうが快適なので、どちらでも選べるなら豊かさがいいです。

でも執着はなくなります。

起きることが起きていて、それでいいということを知っているからです。



以上、ざっとですが「悟り」について書いてみました。


自分にくつろぐこと、思考の罠に振り回されないこと、すでにそうであるところのものと同調すること、それが入り口です。


くどいようですが、そのためには静かに瞑想することです。

ニールさんも、エックハルトさんも、ディーパック・チョプラさんも、瞑想のことばかり奨励しますが、簡単な話、それしかないからです。



ま、気楽にいきましょう。


秘訣はリラックスすることです。





今日もここに来てくれてありがとうございました。





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Posted by Toshiro Abe at 08:57Comments(48)

2010年04月27日

神との対話

昨日、お世話になっているアウルズ・エージェンシーさんが、新しく発売されたDVDをくれました。

それは「神との対話」の実写版映画と、作者のニール・ドナルド・ウォルシュさんのインタビュー映像の2枚組です。

(ちなみにニールさんは、5月に来日し、黒斎クンとも対談します)



さて昨夜、その映画を観たのですが、大変素晴らしい出来でした。

神と対話するというだけで、多くの人は引いてしまいますが、彼の場合はその対話内容があまりにも素晴らしく、真実を突いているので、もしかしたら本当かもしれないと思う人達もいます。


僕自身は、自らの体験から、彼が言っているのは全て本当だと分かります。

ただしそれは、彼という存在が体験し解釈したものであり、実際にはあらゆる人に起きている現象です。


その現象を、あそこまでクリアーに認識したのは、苦悩のどん底でのことだったようですが、これは僕とも一致します。

ただし僕の場合は、彼のように何カ月にもわたってメッセージが降り続けるということはなく、一瞬にしてすべてのメッセージを受け取ってしまい、それを何十年もかけてこうしてダウンロードしています。


しかしどちらの場合も、「いま」それが起きているわけで、映画の中でも神は「私はいまここにいる」と言っています。



印象的なセリフとしては、


「映画俳優やプロスポーツ選手が巨万のギャラをもらうのに、ヒーラーや精神世界に携わる者は無償で働けという風潮がある。

しかしそれは逆で、本来人を癒したり、気づきを与えたりする人間こそが豊かになっていくべきだ。それ以外にも母親業や、愛を与える者たちにも多くのギャラが必要だ」

(ニールさんの見解)




「私(神)は、いついかなる時も、あなたと共にある。

私があなたを罰することはあり得ない。

私の望みはあなたが幸せであることだけだ。

何故なら、あなたは私自身だからだ」


(神の言葉)




あれ?2番目のこのセリフどこかで聞いたことがある。

僕がダウンロードしている情報と同じだ(笑)


なーんだ、同じ神だったのか。


そりゃあそうだよね。

真実も神もひとつきりだし、そういう僕たちだって究極的にはひとつなのだから。



このDVDは「ザ・シークレット」と同じ販売元(アウルズ・エージェンシー)から出ています。


「ザ・シークレット」引き寄せの法則は、願望実現の面ばかりが強調されてしまっていますが、伝えたいメッセージは「すべてはひとつ」なのだそうです。


この会社は、これからも目覚め関連のものだけを吟味して発売していくそうですが、そのほとんどが輸入物です。



ところが来月、日本人による、純日本版が発売されます。


それがなんと・・・


ジャジャジャーーーン!!!



阿部敏郎 & 雲 黒斎 コラボ講演会DVD

「阿雲の呼吸」

です。


僕たちのDVDも完成し、先行予約が始まりました。

凄い予告編も見れますよ。

詳しくはコチラから。



いつか書籍も含めて、日本から欧米や世界各国に輸出する時代が来ることでしょう。




さて、ニールさんが言っていることを、僕なりにまとめたいと思います。



神は意思を持ってあなたを見守っているということ。

意思を持っているというのが、とても大きなポイントです。


あなたの運命が、気まぐれな成り行きではなく、大いなる意思によってしっかりと見守られているということ。


そしてその意思は、100%あなたの味方だということ。



したがってその意思は、あなたが幸せであることだけを望んでいるということ。



それを信頼することが、いまあなたに求められている、最も重要なことです。





今日もここに来てくれてありがとうございました。




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今日から次回「大阪いまここ塾・講演会」の受付を開始します。

お申し込みはコチラから。



これからの予定を掲載します。


仙台 5月9日

大分 5月16日

東京 5月23日

大阪 5月30日




黒斎クンとのコラボ講演会「阿雲の呼吸」は


広島 5月29日

東京 6月6日

名古屋 6月12日



詳細は上記都市名をクリックしてください。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(47)

2010年04月26日

天の声と、かんながらの道

大阪と東京と、連日のいまここ塾講演会、お忙しい中を会場に足を運んでくれてありがとうございました。

まさに一期一会、僕も満喫させていただきました。



僕は人生を、比較的自由に生きてきました。

その時その時の心の声に従って、人生を選んできたように思います。


考えた結果導き出された結論ではなく、瞬間的なアイデアや、新しい衝動のようなものです。

それは突然やってきます。



今日は母の家から書いているのですが、この2Fの部屋には、昔僕が制作に関わったレコード盤が何枚か置かれています。

旧LP版です。


目の前にあるのは、小林明子の「Fall in Love・恋に落ちて」です。

このアルバムは百万枚のヒットを記録し、当時としては「ルビーの指輪」以来の快挙でした。


もう一枚は、三田寛子の「少年のように」。

これはアイドル歌手だった寛子さんに、「チャクラ」というスピリチュアル系ロックバンド(当時はまだ極めてめずらしかったジャンルです)のアレンジで歌ってもらった一枚で、多分に僕の趣味を反映したものです。


どちらにも、Produced by Toshiro Abe と記載されていて、人生の一コマを見る思いがします。



いわゆるメジャーの世界で、順風満帆な生活をしていたある日の朝、突然「7」という数字が心に浮かびました。

うまく言葉で言えませんが、とてもインパクトのある瞬間でした。

しかも、その数字が何を意味しているのかまで、はっきりとわかるのです。


その数字は、「もういいんだよ」と言っていました。

やりたいことをやれよ、ということです。


すでに2年前に究極体験(目覚めの体験)をしていたのですが、流れの中でこのような仕事に携わっていたのです。

本当にやりたいことは、自分の気づきを人に伝えること、それだけでした。

それはいまも、いささかも変わりません。


でも当時は、自分が講演家になるとか、執筆家になるとか、そのような発想はまったく持てませんでした。

僕はミュージシャンであり、音楽業界以外で活動するなんて、考えられないことだったのです。


その「7」の意味はこうです。

異なるジャンルのミュージシャンを7人集めて「七福神」というバンドを作り、あなたのメッセージを直接歌にしなさい。

そして、同じようなことを感じ始めた仲間たちに、「ここに目覚めた男がいる」という宣言をしなさい。

そうやって旗を振って、仲間と出会っていきなさい。

そんなようなことでした。



僕は翌日、それまでの仕事を再びやめる決心をし、お告げのとおり、「七福神」を作りました。


で、どうなったか。


結果は惨憺(さんたん)たるものでした(笑)

作るなら最高のものをと、NYの録音スタジオ(当時世界最高のスタジオ)を数十日間借り切り、投資してもらった3000万円を2カ月で使い果たしました。

ところがその直後、メインのボーカルが脱退したり、作品が斬新過ぎてどこのレコード会社も敬遠したりと、いっこうに前に進まないのです。


結局は商業的にも大失敗でした。

天の声は当てにならないのです(笑)


しかしそのことが新しい流れを作り出し、天河神社と出会い、そこから「かんながらの道」が始まっていきました。

経済的成功や社会的成功は、もうどうでもよくなっていたので、それ以降、表舞台からは姿を消しましたが、「メッセージを伝える」ということに関しては、まったくぶれることなく生きてきました。

そしていま、また何かが始まろうとしています。



さて、心の声や天の声と呼ばれるものが、すべてうまくいくわけではありません。

むしろ、状況としては何歩も後退する結果になるかもしれません。


しかし、起きることはすべてプロセスであり、一時的な結果に過ぎません。

それがあるから、次があるのであって、何一つ無駄はなく、必要だから起きています。


それを信頼できたら、もう怖いものはありません。

本当の自分の思いを生きることができます。

どうなっても天の思召すままということを知っているからです。



自分の目覚めを宣言し、同じようなことを感じている仲間たちにメッセージを送り、旗を振る。

これはいま僕が、このブログでやっていることですよね。


20年もかかってしまいましたが、やはりあの声を聞いて良かったと思っています。

自分を生きることができたから。




今日もここに来てくれてありがとございました。

あなたに真意が届きますように。




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よろしくお願いします。

   




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明日の沖縄いまここ塾は中城村吉の浦会館です。  


Posted by Toshiro Abe at 09:44Comments(51)

2010年04月25日

ハートの声と頭の声

昨日は大阪いまここ塾にお越し下さりありがとうございました。

会場とのやりとりに終始した新しい形のいまここ塾、一人ひとりを間近に感じることができました。

僕自身にとっても、新鮮な体験でした。


それから、有志のみなさん、素敵なプレゼントをありがとうござました。

あんなに高価なものを頂いて、ただただ恐縮です。

大阪いまここ塾1周年記念とのこと、改めて感慨深く思いました。


1年前、四天王寺の会場で開催した時は、予約なしで何人が来てくれるのかもわからず、ふたを開けてみたら、椅子を次々と増設する大賑わいでした。

廊下ですれ違う人達も、誰一人僕を知らず、みんな緊張していたのを覚えています。

あれから1年。

僕も多くの人達の顔を覚え、いまではすっかり仲良くなりましたね。

出会ってくれてありがとう(^o^)



これも元をただせば、このブログのおかげです。


こうしてブログを始めるようになったのは、当時住んでいた沖縄の村に、豪雨による土砂災害が起こり、被災者を救済するためのチャリティーコンサートを企画したことがきっかけでした。

その宣伝のために各所を足り回っていた時、ある方が、「ブログサイトのトップページで宣伝してもらったら?」と言ってくれて、それをブログ運営会社にお願いしたら、「阿部さんも自分のブログを作ってみたら?」となり、そうして立ち上げてくれたのが、このブログです。


それは僕の意思ではなく、起きたことです。


チャリティーコンサートは大成功で、このブログの役目も終わったのですが、その時自分の中で、とあるアイデアが浮かびました。

いままでの人生で学んできた知識や、自分の気づきをここに書いたとしたら、道を求める人や、苦悩の中にいる人たちの役に立つのではないかと。

そして内容をガラリと変えて、いまのようなメッセージを書き連ねることになりました。

書き始めたのは2006年7月19日で、現在このブログは その記事から始まっています。


それを始めたのは100%「自分の意志」です。


でもその時、僕の中にもうひとつの声がしました。

一歩間違ったら宗教的な内容になってしまうこのような記事を、ミュージシャンである自分{ちなみに僕は沖縄ではプチ有名なミュージシャンです(^o^)}が書くのは、多くの人を戸惑わせるのではないかという声です。

毎週「いまここ塾講演会」を地元公民館でやってはいましたが、それは無料だったので、当時の収入のメインはライブコンサートと、学校や自治体からの依頼を受けての講演でした。

そこに影響が出たらどうしようというのが、正直な気持ちだったのです。

少し迷いはしまいたが、結局はいまの内容に切り替え、それが現在に至っています。


さて、このようなことは僕たちの人生でよく起きていることではないでしょうか。

僕たちの中には、2種類の声があるのです。

それは、ハートからの声と、頭からの声です。


ちょうど昨日の大阪講演会で、ある男性から質問がありました。

「ハートの声と、頭の声を聞き分ける方法を教えてください」


ハートの声は天からの声であり、頭の声は思考の声、自我の声です。

ハートの声はかすかですが、頭の声は騒がしく大きなものです。

だからつい僕たちは、頭の声を優先してしまいがちです。


その見分け方ですが、頭からのアイデアは結果指向です。

何か自分にとって都合のいい結果を求めています。

したがって、もしその結果を得られなかったらどうしよう、そうならないためには、あーしてこーして・・・


結果を求めれば、そこに深刻さが生まれます。

深刻さは緊張をもたらし、遊び心が消えてしまいます。

あれこれと判断し、いい悪いを決めつけ、独善的になりがちです。

それは怖れを基盤にしているからです。



一方、ハートの声は、結果を心配していません。

結果ではなく、「やりたい」という思いが基準になっています。

そしてその思いは、やわらかく温かいものです。


そこから生じるアイデアは、周囲を幸せにし、自分も幸せにします。

打算がないので深刻さがありません。

それは愛を基盤にした声です。



一見すると、頭からのアイデアのほうが、成功するように見えるのですが、実際には逆です。

ハートからの声を選んだ時、そこには見えない力が働きだし、しばしば自分の想像を超える結果をもたらします。

なぜでしょう。

それは、ハートからの声が天の声だからです。

天が自分に変わってやってくれるので、ものごとがスムーズに展開しだすのです。


その流れに一度乗ってしまえば、ことはうまく運びます。

しかし人間とは弱いもので、時折そんな流れが信頼できなくなり、再び頭の声を聞き始めます。

情けないことですが、僕も時折、そんな声に振り回されそうになる時があります。

「このままで大丈夫か、もっと疑いを持って慎重になるべきだ」

そして自分(自我)が介入し、せっかくの流れを邪魔してしまうのです。



天からの声は、リラックスの中で聞こえてきます。

それは、いまもあなたに呼びかけています。





午後から東京いまここ塾です。

あなたに、たくさんの恵みと祝福がありますように。



今日もここに来てくれてありがとうございました。





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よろしくお願いします。

   



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次回の大阪いまここ塾は5月30日です。

4月27日から受付開始します。  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(38)

2010年04月24日

続・唯一のメッセージ

「あなたは誰か」

今日もこのことを理解するために、昨日頂いた質問に答えることから始めてみます。



三瀬鳥さんからの質問です。


「いま」は認識できるのでしょうか? 

これを問うている私が「いま」を理解することはできますか?




この問いは、とても鋭い点を突いています。

少し遠回りしながら説明してみましょう。



「いま」とは何か。


「いま」とは、過去と未来の中間にある、この瞬間のことだと思っている人がいます。


でもそれは違います



そもそも、瞬間とは何でしょう。


0、1秒のことですか、0、01秒のことでしょうか。


0、01秒だとしても、それは時間の長さです。

0、0001秒から見れば100倍の長さです。


0、0001秒とて同じことです。

それさえも時間の長さです。



「いま」とは時間の長さではありません。


したがって、通常考えられているような認識はできません。

それに、「いま」だと思ったとたん、もうそれは過去になっています。



ちょっと難解かもしれませんが、ゆっくり読んでみてください。



「いま」とは、そもそも「時間」など存在しないということを理解した時に訪れる、始まりも終わりもない永遠です。

時間とは、人間が道具として編み出した概念なのです。


それを見抜くことが「いま」を認識することなのですが、思考にはそれができません。

なぜなら、思考そのものが時間の中に存在しているからです。

「いま」を認識できるのは、思考が消えたときです。


したがって、「これを問うている私」には、「いま」を認識することはできません。




Imakokoさんからの質問


私は、最愛の人を亡くしました。

過去の思い出を愛しく思うことは、今を生きていないことなのでしょうか?




その最愛の人も、「いま」の中に在ります。

あなたが「いま」に帰ってくれば、あなたはその人のすぐそばに在ります。

そしてすべては、自分の意識が作り出していたことを知ります。

その時、彼があなたの中で供養されます。


本当の供養とは、真理への理解によってもたらされる、心の浄化です。




今日の最後に、nobuさんからのコメントを抜粋してみます。


今年の二月、会社帰りに駅構内を歩いていて、ふと、いまこうやって自分という者を意識している感覚は、例えば違う時代にもう一度生まれることがあったとしたら、全く今感じている感覚と寸分変わらず、いままさに感じているままなのかという問みたいなものが浮かび、何故かすぐに「全く同じだ!」ということを確信しました。

さらに、すべての人が、今感じている感覚を共感している、同じものを同じところから得ているとも感じました。




その通りです。

あらゆる過去も、あらゆる未来も、「いまここ」に存在し、いままであった命も、これから生まれ来る命も、すべては同じひとつのものです。



それが「あなた」です。





今日もここに来てくれてありがとうございました。





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よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:53Comments(38)

2010年04月23日

唯一のメッセージ

昨日はありがとう。

何も書くことが出てこなくて、ただそのことを伝えてみたら、多くのものを与えてもらいました。



今日はたくさんのメッセージが湧き出しています。

でもそれが指し示している方向はひとつです。


それは、「あなたは誰か」ということ。

それを知ることだけが、あなたに求められています。

人生で唯一大切なことです。

このことが最も大切なことだということに気づいた時から、意味ある人生が始まります。

人生での他のすべての活動は、まさにこの理解を得るためのものに過ぎません。


しかし人の多くは、副次的な活動に囚われ、一喜一憂しながら時間を費やしてしまいます。

この世で何を得ようが、何を達成しようが、すべては死と共に消え去っていく砂上の楼閣だと、心のどこかで知っていながら、あいかわらずその世界に価値を感じてしまうのです。


でも何度でも伝えます。

人生で唯一大切なことは、自分が誰かということに気づくことだと。



このような情報は、いままでにも耳にしたことがあると思います。

でもそれを学んだ時も、そしていまも、あなたはどれくらいこの情報を受け入れましたか。


「そうかもしれない」と思いながらも、相変わらずいつもの繰り返しの中に埋没していないでしょうか。


これはあなたを責めているのではありません。

ただ、もう一度、深く感じてほしいだけです。

「あなたは誰か」

それを知ることだけが、人生の真の目的だということに。



それでは、あなたは誰でしょうか。

あなたの名前ですか。

そうじゃないですよね、だって他の家に生れたら他の名前だったでしょうから。

同様に、あなたを表すどんな条件も、全部取り去ることが可能です。

出身地でもなく、仕事内容でもなく、経歴でもなく、経済状態でもなく、知識でもなく、見てくれでもなく、性別でもなく・・・

あなたは、それら全てを取り去った後に残る「私は存在する」という純粋意識です。


それを「大いなる自己」とか「大いなる意識」とか言いますね。


ここで重要なのは、あなた以外の場所に「大いなる意識」があるのではないということです。

自分がそれと繋がっていると思った瞬間、自分と「大いなる意識」とを微妙に分けてしまっています。


そうではなく、「あなたがそれだ」ということです。

そして「それ」は、一つしかありません。


僕の「それ」とあなたの「それ」は、全く同じもの、ひとつのものです。


あなたが自分だと思っている「私は存在する」という感覚は、すべての人の中にある「私は存在する」という感覚と同じものです。

人だけではなく、植物も動物も、みな「それ」を生きています。


あなたが全てであり、あなたが地球そのもの、宇宙そのものなのです。


絶え間なく流れ続ける思考が、その存在とあなたとを隔てています。

思考を鎮静化させ、存在そのものに帰ること、それが瞑想の何たるかです。


あなたが作り出した人生というストーリーとは別に、もうひとつの現実が存在します。

それはただ静かに満たされた、あるがままのスペースです。

それは、いまもここにあります。


何度も見失ってしまうのは、僕たちが「いま」にいないからです。

たとえいま、あなたの人生がうまくっていようと、いまいと、そんなこととは関係なく、あなたは完ぺきにして素晴らしい存在なのです。

その完璧さを言葉にしたものが、「愛」です。


秘訣はリラックスすることです。


起きている現象に一喜一憂することなく、あなたがあなたであることにくつろいで下さい。

それが「私は誰か」を発見する入口です。



僕が伝えたいこと、解ってもらえましたか。


人生で最も大切なこと、それは「あなたは誰か」という理解です。


それを一番に求めてください。


僕があなたに与えることができるのは、何度でもあなたにそのことを思い出してもらうことだけです。




今日もここに来てくれてありがとうございました。





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それによって、多くの人を引き寄せることになり、この情報を必要とする人との縁が生じます。

よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 09:31Comments(49)

2010年04月22日

今朝は・・・

こうして毎朝パソコンの前に座り、ほんの少しでも誰かの心が軽くなるようにという思いで、ブログを書き続けてきました。


でも、メッセージが何一つ浮かんでこない日があります。

今朝はまさにその典型です。

いろいろ試してみましたが無理でした。

こんな日もあることをわかって下さい。


ここには2000近いメッセージが残されています。

今日は新しい情報に出会うのではなく、過去の記事の中から、あなたに必要なメッセージを探してみてください。

もしかしたらそれこそが、あなたにとって新しい記事かもしれません。



ここに書き記してきた情報を、必要としている人がいると信じています。

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よろしくお願いします。


   



・・・・・・・・・・・・




黒斎クンが一昨日、退職しました。

その祝辞(?)を、阿雲の呼吸に書きました。  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(48)

2010年04月21日

現実は思考が作り出している

現実は思考が作り出しているという言葉を聞いたことがあるでしょ。

有名なナポレオンヒルなども、「思考は現実化する」と言っています。


これはまぎれもない真実ですが、この言葉の意味は、一般に思われているような願望実現の基本だけではありません。

もっと、シンプルにして深い意味があるのです。

このことをしっかりと受け止めれば、多くの苦悩を捨て去ることができます。

今日はその話をしてみます。



現実は思考が作り出している。

その通りです。

もし、その出来事について考えなければ、そのことは現実として存在しません。


たとえば、あなたの大切な人が遠く離れた場所で亡くなったとしましょう。

昨日の朝でした。

そのころあなたは、ゆったりと朝食をとり、ベランダの花に語りかけ、とても優雅で満たされた時間を過ごしていました。

それが今日になって訃報が届き、あなたの現実は一変しました。

その人との楽しい思い出が頭を駆け巡り、何もしてあげられなかったことが後悔となり、失った悲しみと、罪悪感とが心を占めて行きます。


起きた出来事そのものが現実を作り出したのではなく、その出来事が想念になった時点で、現実になりました。

すべては思考が作り出しています。

逆を言えば、その出来事を意識しなければ、何一つ影響されないということです。



違う例を出してみましょう。

時折相談を受けることがあります。


先祖に対して、ある特定の拝み方を始めてしまい、それをやめたいのだが罰が当たるような気がしてやめられない。どうしたらいいかというものです。

これなどは典型的な例です。


そもそも先祖供養という考え方自体が、世界規模から見れば一部の地域のものです。

そのような考え方を持たない文化圏の人は、供養をしようがしまいが影響されません。

でも一旦その考え方を、自らの思考が受け入れてしまうと、それはその人の中で現実となります。

知らなければ影響されませんし、知ってしまえばそこに縛られてしまいます。


お墓の向きだとか、引っ越しの方角だとか、姓名判断だとか、ありとあらゆるものが、思考によって作られていることを知らなければなりません。


真理は、そんな範疇をはるかに超えています。

実際のところ、あなたが何をしようが、しまいが、何を考えようが、考えまいが、真実のあなたは何の影響もされていません。

だから、安心して下さい。

自分が何かに縛られてしまったと気づいたら、早く忘れることです。

そのことで悪いことが起きると思わなければ、何一つあなたに影響を与えることはできません。

すべては、あなたが作り出しているからです。



本当のあなたは、そのような現実を超越した「大いなる意識」です。

いままでも、これからも、そしていまこの瞬間も、それ以外ではあり得ません。


その大いなる意識が、ちっぽけな思考の世界を楽しんでいます。

文字通り楽しんでいればいいのですが、いつしかそれが深刻になり、たくさんのルールに縛られ、怖れと不安に満ちた世界になっているとしたら、それを変えることが可能です。


自分がこうあってほしいという方向に、意識をフォーカスしましょう。

そのような思考を持てば、やがてはそれが現実となり、物質化し始めます。


でもそれさえも、単なる遊びだと言う事を忘れないで下さい。

実際には何を得る必要もなく、何を学ぶ必要もなく、あなたは存在するすべてなのですから。


自由な翼で、大空にはばたいてください。

この大空は、すべてあなたのものです。





今日もここに来てくれて、ありがとうございました。





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それによって、多くの人を引き寄せることになり、この情報を必要とする人との縁が生じます。

よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:41Comments(56)

2010年04月20日

何一つ偶然はなく、そして無駄もなく

昨日のコメントを読んで、同じような悩みを抱えている人が、いかに多いかわかりました。


世の中には、なんととたくさんの苦しみが蔓延していることか。

その苦しみが、無意識に人を傷つけ、それが伝染していきます。

少しでも、その苦しみを少なくすることに役立てたらと、そんな思いでブログを書いています。



その一方で、人は苦しむために生まれてきたと思っている自分もいます。

心の葛藤や、苦悩が、生きている証だと思うのです。

もし、何の軋轢もなく、いつも思い通りに事が運んでいたら、それはもはや生きているとは言えないのではないでしょうか。

苦しんで初めて見えてくるものがあります。



そんな山のような試練が花開き、人はいつの日か、この存在の仕組みの全てを知る日が来ます。

そのとき、荒涼としていた心の砂漠に、癒しの泉が湧き出してきます。


そしてその時、いままで起きた全てのことに、心から感謝することになるのです。

自分を愛してくれた人、与えてくれた人、そして自分を苦しめた人、どうしても嫌いだった人、そんな人にも心からありがとうを言います。

何一つ無駄はなく、自分がその境地(悟り)に至るために、他でもない自分自身のために存在してくれた人たちだということを知るからです。


僕たちは、例外なく、その理解に向かって生きていて、例外なく、その理解に行きつきます。

それが今生なのか、来世なのかはわかりませんが、すでにあらゆる人にプログラムされた宿命です。

どうせなら、今生で終わりにしたいですね。



そのチャンスが、いまこの時代に訪れています。


このような出会いも、いまあなたに起きている感情も、何一つ偶然はなく、そして無駄もなく、大いなる計画のもとで粛々と進行しているのです。


せめて、そのことを信頼して下さい。

誰ひとり見捨てられていません。

誰ひとり間違った道を歩いていません。


いま必要だからその事が起きているということを、お伝えしておきます。



いまこの瞬間も、必要なことが起きています。





今日もここに来てくれてありがとうございました。




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よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 09:53Comments(36)

2010年04月19日

仕事の人間関係

昔、方広寺で企業の研修をしていた時、参加者の悩みで一番多かったのは、仕事自体の悩みではなく、人間関係の悩みでした。

いまも全国での講演の質問コーナーで、よく寄せられるのが、この問題です。


問題は個々が作り出しているので、その解決策などのアドバイスは人によって変わります。

たとえば、相手の感情を解らずに、ずけずけと思ったことを言ってしまうタイプと、好かれようとするあまり、みんなにいい顔をしてしまうタイプとでは、解決策が違ってきます。

したがって、ここに書くことも、すべての人に当てはまるものではないと思いますが、少し書いてみます。


昨日も名古屋で同様の質問がありました。

とても苦手な人がいて、仕事上その人と一緒にいるしかなく、それがいつも頭から離れないと言うのです。

相手を受け入れられない自分を責め、相手は自分の鏡だと自分に言い聞かせ、相手を愛するべきだと考え、それができない自分をまた責めているといった具合です。

精神世界から学んだ、新しい「ねばならない」が、二重三重にご本人を傷つけているのがわかりました。


人を受け入れなければならない。

自分は高潔でなければならない。

自分を成長させなければならない。

人を責めてはいけない。

みんなを好きになって、愛を与えていくべきだ。


そのほかにも、たくさんのことを学んだことでしょう。



さて、僕はその人にこう伝えました。


もしその相手と距離をとれるなら、速やかにそうして下さい。

もしどうしても距離をとれないなら、心の中でその人を切り捨ててください。

そして表面上、相手に対して無礼がないように、相手を傷つけないように、精一杯演技して対応して下さい。

そこに、自分の本当の感情や魂を投入しないことです。



このようなアドバイスをすると、人によっては、それは逃げではないかと考えてしまいます。

逃げてはいけないと思っているのです。

成長するために、自分を矯正して、弱点を克服し、みんなを愛せるようになるべきと、心のどこかで考えているのです。


そうやって、袋小路にはまってしまう人も少なくありません。


まずは、自分を成長させるなんて考えずに、自分を大切にしてください。


意外かもしれませんが、人はこのようにして成長するのではありません。

まずは自分を大切にして、リラックスしてください。

そして自分を許して、状況に対して過度に抵抗しないことです。


そんな中から見えてくるものがあります。



社会は、あなたの魂まで求めていません。

表面的な対応だけを求めています。


苦手な相手には無理をせず、心の中で切り捨てて、そしてナイスに振舞ってください。

相手の横暴な態度も、あなたに向かっているのではなく、単にそういう人だというだけです。

あなたの価値とは何の関係もありません。


ありゃりゃ、飛行機の時間があるので、今日はこれ以上書けません。


みなさんの意見や、みなさんが置かれている状況などありましたら、教えて下さい。



今日もここに来てくれて、ありがとうございました。




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よろしくお願いします。

   




明日の沖縄いまここ塾は、那覇市てぃるるです。  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(70)

2010年04月18日

痛みと苦しみと喜びと信頼と

昨日は山川紘矢さん、亜希子さんご夫妻との、コラボ講演会にお出かけ下さり、ありがとうございました。

沖縄の人達は、直前になって行動を決める人が多くて、昨日もどれくらいの人が集まってくれるのか少々不安な面もあったのですが、ふたを開けてみたら超満員。

最初から最後まで、場内は笑いと神気に包まれ、とても楽しく有意義な会でした。

遠方まで来てくれた山川さんご夫妻には、心より感謝申し上げます。



僕がコラボ講演会を好んで企画するのは、まったく違う経歴と、まったく違うキャラクターを持った者同士が、同じ理解を持って、同じことを伝えているという事実を、間近で見てもらいたいからです。

そのことで真実が立体的に表現され、より説得力を持つと考えています。

黒斎クンしかり、向禅師しかりです。

そのような仲間と出会えて、こうして仲良くしてもらっていることは、とても幸運なことだと思っています。



さて、僕も山川さんも、こう伝えています。

いますでに僕たちはみんな幸せそのもので、そのことに気づけば瞬時に幸せになれると。

本当はあるがままで、みんな幸せなのだと。


しかしこのような言葉に違和感を持つ場合もあります。


事故や犯罪に巻き込まれた人はどうなのか。

病や激痛に苦しむ人たちはどうなのか。

それでも幸せなのかと。


この問いかけは何度も繰り返されてきました。

そしてこれからも繰り返されていくことでしょう。


人間は数学や物理などを学ぶことをとおして、物事には決められた答えがあるような気がしています。

誰にでも通用する、普遍的な答えがあると思っているのです。


確かにそれはあります。

ただ一つだけあります。


それは、僕たちが最も深いところで、神そのものであるということ。

宇宙はたったひとつの意識(それはあなた自身)によって作られているということです。


しかしその真実さえも、聞く側の成長段階や、精神状態、洞察力、理解力によって、どのようにでも解釈されてしまいます。

実感を伴った理解でしか、正確な意味を捉えることはできません。



少し話が逸れてしまいましたね。

病に苦しむ人や、事故や災害によって傷ついた人たちは、それでも幸せだと言えるのかという話に戻ります。


答えはYesであり、Noです。


究極的には、どのような状態であれ、我々の存在が絶対的幸福の中にいることに変わりありません。


しかしだからといって、いつも幸福を感じているべきかといえば、そうではありません。


僕たちにとって、この現象界では、幸せを感じるだけではなく、痛みや苦しみを感じることも目的の一つなのです。

何一つ無駄はなく、起きることが起きています。


僕もいずれは病に苦しみ、痛みにのたうちまわるかもしれません。

しかし、その時は、そのことがただ起きているのです。


苦しい時には苦しむだけです。

僕たちの本質が幸せであるからと言って、いつも幸せを感じようとする必要などありません。


苦しむ時は、苦しむのがよろしい。

死ぬ時は、死ぬのがよろしい。



何が起きても、それを起こしている大いなる意思を信頼していれば、その時その時、ただそれを経験するだけの話です。


激痛の中で、その「信」が揺らぐこともあるでしょう。

そんな試練を真正面から受けながら、もしそれを乗り越えて、再び天への信頼を取り戻したとしたら、その信頼には、とても強く確かなものがあります。

それ以上素晴らしいものが、この世にあるでしょうか。

試練は、その大きさに比例した宝を必ず含んでいます。

そして乗り越えられない試練は、僕たちにやってくることはありません。

僕たちは自分が自覚する以上に、とても大きな力を持っているのです。



確かに、僕たちの本質は、喜びであり至福ですが、現象界においては、様々な感情を経験しながら成長していきます。

いつも幸せでいようとすること自体が不自然です。

新しい「べきだ・ねばならない」を持つだけの話です。



傍目からどう見えようが、起きることが起きていて、それは悠久の魂の流れから見れば、ベストなことです。

人間の善悪の観念を超えたところの、絶対的な完璧さが存在します。

その完璧さが神です。


何が起きようと、その完璧さの中に存在していることを、忘れずにいたいですね。




うまく説明できたでしょうか。





今日もここに来てくれてありがとうございました。



いまから名古屋に向かいます。

みなさんにお会いできることを楽しみにしています。





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よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:34Comments(46)

2010年04月17日

一瞬で幸せになる方法

昨日はちょっと変わったイベントがありました。


TI-DAブログという沖縄のサイトを運営する会社の施設で、ブロガーを対象にした僕の講演会があったんです。

と言っても、ブログの作り方講座ではなく、「一瞬で幸せになる方法・いまここ塾の教え」という本のキャンペーンを兼ねた講演でした。

もうみなさん、読んでくれました?


この本は毎週沖縄で続けている「いまここ塾講演会」の、第1回目から6回目までの模様を活字にしたもので、伝えたいメッセージがぎっしり詰まっています。

実は昨日、久しぶりに読み直してみたんですが、すごく面白かった。

あはは、自画自賛。



これは自我爺さん
   ↓




昨日講演会に来てくれた人には、この本がプレゼントされて、ただし読んだ感想を自分のブログに書くことが条件なんです。

ブログにアップしたら僕にも教えてくださいね。

ここから飛べるようにするから。



ちょうど沖縄に着いたばかりの、翻訳家の山川紘矢さん亜希子さんご夫妻も来てくれて、紘矢さんも、この本読んでくれたそうで、凄くいいって言ってくれた。

「『一瞬で幸せになる方法』っていうタイトルどおり、本当に一瞬で幸せになりますよね。だって自分が幸せだってことに気づくだけだから」って笑って言ってました。


僕はこのタイトル、ちょっと臭いかなって思っていたけど、そう言ってもらえて、これで良かったと思いました。



そんなわけで、ずいぶん気を良くした僕としては、今日は大サービスで、本の内容の一部を紹介します。


どの個所にしようか。


どこを抜粋するかは、目を閉じてページをパラパラっとめくって・・・えい!!




・・・・・・・・・


 
人間というのは欲深なもんで、いつも足りないことばっかりに、意識が行ってしまうんですね。

たとえば、あなたの大切なパートナーにしても、長年一緒に暮らしていると、そのパートナーの嫌な面や足りない所に意識が行ってしまうんですよ。

他にも生活のいろんな条件とか、足りないものばかりが見えてしまうんですね。その足りない物以外は、全部僕たちにプレゼントされてるんですけどね。

そしてそっちの方がはるかに多いんです。足りない物より、得ている物の方がはるかに多い。実は僕たちには、すべてがあるんですよ。すでに、すべて得ている。

いまここで呼吸を許されていて、ありがたいなっていうこの瞬間、実はもうすべてを得ているんですよ。


だけどそこに、また僕たちは「未来」を持ち込んで、いまはまだ不十分だって、もっとよくなんなきゃいけないって、すでに与えられている物を見ようとしない。

いま与えられている物を見たときに、それはもうすでにゴールなんですね。あなたがいつか幸せになろうと思っていたそのゴールが、「いま」あったということなんですね。

発想の転換です。

これが唯一幸せになる方法です。幸せっていうのは「いまここ」にありますから。

あなたが発想の転換をしない限り、いつまでたっても今まで通り、「いつかいつか」って言いながら、いつも足りない物を見ながら、足りない物を何とかして補わなきゃって、そんなことを考えながら、前に前に進まなきゃなんない。

馬の顔の先に、人参をぶら下げてる。

食べたら美味しいだろうって思ってる。

その人参には「幸せ」って書いてあるの。

それは絶対食べられないんだな。

いつまで行っても、ずっと目の前にぶら下がってるんだよ。
 

そのことに気付いて、そして根本的に発想を転換する。

そうだ、立ち止まってみよう!

ね、食べようよ。

明日じゃなくて、いま食べよう。食べてみれば、あらビックリ。

その人参は無尽蔵、食べても食べても無くならないんです。

あなたの幸せは、感じても感じても減らないんだ。だから今すぐに、ケチらないで今すぐに感じていいんだよ。

保証します、あなたはいまここで、100%幸せになれます。

何、その反抗的な目は(笑)。

あなたはいまここで、100%幸せになれますって保証しますよ。


じゃあ、今度僕から質問です。

あなたが今100%幸せじゃないとしたら、残りの数十%は何?何がどうだったら幸せになるの?

こうなったら幸せだ、もっと金があったら幸せだ、借金が無くなったら幸せだ、あの人が早く死んだら幸せだ(笑)、いろんなことがあなたの中にある訳ですよ。

あなたは、今幸せにならない理由を持ってるんです。

なれない理由じゃないですよ。

だってその気になればなれるのに、ならないんですから。

なれない人がいるんだったら保証はしないです、なれないんだから。

でもならないんです、理由があって。

「あの人が心を入れ換えるまではやだ」「お金持ちになるまではいやよ」、いろんな事言って、ならないんですよ。

でね、そこにはね、なかなか頭だけでは処理できない、すごく複雑なものが心の中にあるんです。

あなたの気づかない所に。

それはね、今までの人生の中で、少しずつ溜めてきた、恨みつらみのようなもの、あるいは怒りのようなもの。

いろいろな不満や、思い通りにならなかったこと、そういうものが一杯あるから、ここで幸せになれなんて言われたって、「ならないよ!」って言いたくもなるんですよ。

でも何かのきっかけで、それがポーンと取れたら、「ああ、ありがとう、生かされてる。ああ、ありがたい、ありがたい」ってなりますよ。



・・・・・・・・・・・




はい、続きは本屋さんでね(笑)

本だと格段に読みやすいから。



今夜は山川夫妻とのコラボ講演会

お時間がある人はいらして下さい。





このブログを読んで何かを感じてくれている人は、クリックして教えてくださいね。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:22Comments(39)

2010年04月16日

魔法の靴

僕には、あなたを目覚めさせることも、自由を与えることもできません。

でも、あなたには目覚めが可能なこと、あなたはいつでも自由だということを、伝えることはできます。


今日も何か書いてみます。




もともと僕たちは目覚めているし、自由そのものです。

したがって、ここで学んでいることは、何を達成するかではなく、すでに達成されているものを、どのようにして思い出すかです。


すっかり忘れてしまったかもしれませんが、僕たちの本質は「喜び」です。

いつだって、それ以外だったことは一度もありません。

心がどんな状態の時も、その心の奥には、100%満たされた、幸せと喜びにあふれた本当の自分がいます。

もちろん「いま」もです。


その喜びを再認識するために、わざと苦しみという幻想を持つことにしたのが、僕たちの人生ゲームです。



産まれてくる前に計画しました。

一度全部忘れて、現象界で悩み苦しみながら、もう一度この歓喜を思いだそうって。

そう決めた時は、もっと簡単に思いだせそうな気がしたんです。



ところがこの世は一筋縄ではいきません。

思った以上に、難易度が高いゲームなんです。


ほんのちょっと怖いもの見たさで入り込んだ、この人生のラビリンスの中で、いまやすっかり道に迷い、自分が何を求めているのかさえ忘れてしまいました。

もちろん、出口がどこになるかなんて、わかるはずもありません。



出口はどこでしょう。

それは、「いまここ」にあります。


ところが僕たちは「いまここ」以外の全ての場所を探し続けてきたんです。



「いまここ」に意識を向ければ、こう思います。

なーんだ、すでにラビリンスの外に出ているじゃないかって。



それはちょうど、オズの魔法使いの少女、ドロシーのようなものです。

探し求めたものは、すでに持っているものだったのです。

そして魔法の靴をトントントンと踏みしめれば、たちどころに我が家に帰ることができます。



僕にはあなたを目覚めさせることはできませんが、すでにあなたが魔法の靴を履いていることを教えることはできます。


あとは、好きな時に、トントントンってね(^o^)



その魔法の靴こそが「いまここ」です。




今日もここに来てくれてありがとうございました。




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黒斎クンとの交換日記、更新しました。阿雲の呼吸はコチラから。



2人のコラボ講演会


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Posted by Toshiro Abe at 08:24Comments(37)

2010年04月15日

無題

今日は最初にお知らせがあります。


昨日受付を開始した、黒斎クンとのコラボ講演会に、相当数のお申し込みがまとめて寄せられたため、返信が遅れています。

みなさんからのメールは、スタッフがすべて確認作業をしていますから、返事が届くまで、いましばらくお待ちください。

中には、ご自分のアドレスが間違って登録されていたり、パソコンからの送信メールをブロックしている携帯メールもあるようです。

もし一週間経っても返事が届かない場合は、お電話番号を書き添えて、ご一報ください。




さて今の僕の頭の中は、8割がた「かんながら物語」が占めています。

表紙や帯のデザインが次々と出来上がってきて、早くみなさんに見せたいんです。

何人もの才能溢れる人たちが、愛情をたくさん込めてくれて、この本を世に出すのは、大切なことだって思ってくれたんです。

だから、作品に命が吹き込まれ、鼓動が聞こえてきます。

まるで胎児のように。


「これって、もしかしたら、凄くいい本かも」


昔、レコードプロデューサーをしていた時、自信作が出来ると、早くみんなに聞かせたくて、車の窓を開け、カーオーディオを思い切り大音量で鳴らしながら、すれ違う車内の運転手の反応を見たものですが、いま考えてみればただの迷惑ですよね。


発売は、一ヶ月後の予定です。

お楽しみに。





なんだか今日は、これといって気のきいたことが書けません。

数日前から、少し変なんです。



過去も未来も幻想だとか、

起きることが起きているだけとか、

僕たちは最初から救われているとか、

本当はみんな悟っているとか、

偶然はないとか、

目覚めは近いとか、



そういうことは何度も伝えたし、全部その通りだけど、そんなことよりも、ただ、いま、こうして息をしていて、みんなと繋がっていて、これ以上何が必要なんだろうって、ホント、あー有難いなぁ、幸せだなぁって、そんな気分です。


いがみあったり、憎みあったりするのはやめて、みんなで手をつないで踊っていたいね。


深刻な顔している人がいたら、「そんなこた、どうでもいいじゃない」って、ポーンと肩を叩いてあげたい。


どのみち「いま」があるだけで、泣いても笑っても「いま」があるだけで、これからもずっとそうだから、みんなで仲良く生きようって、世界中に言ってまわりたい。

難しいことなんか何もなくて、恐い顔する必要もなくて、みんなでほがらかに笑っていようね(^o^)



だって、みんな根っこは同じ。

だから、みんなで仲良く暮らそう。




わー、なんて素晴らしい世界なんだ。


What a wonderful world!!


I see trees of green, red roses too,

I see them bloom for me and for you,

And I think to myself, what a wonderful world!!





この気持ちを、あなたに伝えたい。







今日はちょっと変ですが、よろしくお願いします。
   ↓
     


Posted by Toshiro Abe at 08:43Comments(35)

2010年04月14日

あの世も、この世も、いまここだ

黒斎クンとのコラボ講演DVDが発売されますが、そのタイトルがこれです。

「あの世に聞いた この世の仕組み」と「いまここ塾」を掛け合わせて


「あの世も、この世も、いまここだ」


このタイトルは、まことに言い得て妙です。

単に言葉遊びではなく、真実を突いています。


世の中を見まわすと、何かをすれば天国に行けるとか、何かをすれば地獄に落ちるとか、まことしやかに語る人がいます。

死後の世界が、どこかにあると思っているのです。

この世ではいいことがなかったが、あの世では幸せに暮らそうというわけです。


でもこの宇宙には「いま」しかなく、「ここ」しか存在していません。

僕たちはこれからも永遠に、「いまここ」に在り続ける意識体なのです。


それでも性懲りもなく、「いつか訪れる、その時のいま」があるはずだと考えてしまうのは、どっぷりと時間幻想にハマっているからです。



徹底的に「いまここ」に帰ってくれば、自分という存在が、体と心を持って時空間を旅する、そんなちっぽけなものではないことが解ってきます。

過去も未来も含んだ「永遠のいま」の中で、全てに遍在する自由なる喜び、それこそが僕たちの真の姿です。

そこに至るには、まずは心を静めることです。

変化が著しいこれからは、ますます瞑想習慣が大切になってくることでしょう。


そしてこれからも、起きることが起きていくだけです。

それでいいじゃないですか(^o^)



ブログ生活も4年近くになろうとしています。

毎日書き連ねてきて、記事総数約2000。

あなたの存在が、活力になっています。


これからもヨロシクお願いします。

   





さて、お知らせです。

黒斎クンとのコラボ講演会を、東京名古屋広島で開催します。


理論派の僕と、感覚派の黒斎クンとの、コラボ講演会です。

あれ?逆?


まあ、どっちでもいいですよね。

絶妙なアンバランスさをお楽しみください。

でもお互いに伝えたいことはひとつです。

だって、真実は「ひとつ」だから。


詳しくは上記都市名をクリックしてください。




4月24日の「大阪いまここ塾」は満席となりました。

たくさんのご応募、ありがとうございました。


次回大阪は5月30日の予定です。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:38Comments(21)

2010年04月13日

目覚めの時代

昨日も書きましたが、まさにいまが「目覚めの時代」だと思います。


このような時代になることは、25年前から知っていました。

その頃の僕を知る人は、ここに書かれた言葉たちが、当時と何も変わっていないことがわかるでしょう。

真理は変わりようがないからです。



ずっとこう思ってきました。


遅かれ早かれ人はみな、このことを知る日が来る。

それは最初から決められていたことで、変わりようのない宿命だ。

なぜなら、目覚めとは、もともとの姿に戻ることであり、何かに到達することではないからだ。

もし何かに到達するというなら、道を外す者や、迷う者が出てきて、失敗する人と成功する人がいることだろう。

しかし、最初からそうであったものに成るのなら、失敗する人がいるはずがない。


それは「成る」とさえも言えないことだ。

成ると言うからには、一旦そうでない姿にならなければいけないからだ。

でも実際には、そうでない姿(全体から分離した自己)は単なる幻想であって、いついかなる時も我々は、最初からそうであったものでしかあり得ない。

どんなに道を外れても、外れたつもりになっているだけで、どこにも行っていないのだ。



だから失敗はあり得ない。

失敗しているつもりになることはできても、それも時間の問題だ。


真理は永遠に変わることなく真理だが、幻想はいつか終わらざるを得ない。

したがって「最後に愛(真理)は勝つ」わけだ。



どんなに困難で くじけそうでも

信じる事さ 必ず最後に愛は勝つ



おおっ、なかなかいいフレーズが出来た!次の新曲にしよう(笑)



だから、繰り返し「大丈夫」って伝えているわけです。

いまのあなたの現実が、たとえどうであれ、究極的には何の心配もいりません。

それに、いまのあなたや、いまの状況は、一過性のものです。

やがては姿を変えていくことになります。


上がったり下がったり、膨らんだり縮んだり、喜んだり悲しんだり、泣いたり笑ったりしながら、そうやっていつの日か、すべてを超越し、もとの姿を思い出すのです。


このようなことを、小説仕立てで娯楽として伝えたい、そんな思いで執筆したのが「かんながら物語」です。


やっと、99%完成してきました。

構成を大胆に変え、たくさん加筆し、さらに完成度が高まりました。

装丁も、内容も、そして流れるメッセージも、とても強い力があると思っています。

ここまで自画自賛するのも恥ずかしいですが、本当にそう思っているのです。


本来ならば3月発売予定でしたが、僕や関係者たちの熱い思いが、ここまで完成を長引かせてしまいました。

発売日の発表も秒読み段階です。

この本が、時間の問題で書店に並び、あなたのもとに届くかと思うと、それだけでワクワクします。



お楽しみに(^o^)






このブログの応援も、よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:22Comments(30)

2010年04月12日

朝だ元気で

昨日の博多いまここ塾、どうでした?

楽しんでもらえましたか。


各都市で回を重ねるごとに、目覚めは、まさにいま始まっていると感じます。

それは理屈を超えた実感です。

偶然の一致も多く起こり、流れに降参、お手上げ、おまかせ、もうどうにでもして!!

そんな心境になっている今日この頃です。



なんでみんなが目覚め出すかと言えば、それはズバリ、地球意識の朝がやってきたからではないでしょうか。

夜が明けたんです。


だから自然に目を覚ます人が増えてきます。

昔は真夜中だったから、一人二人が目覚めても他の人達は熟睡していたけれど、いまは全体的に眠りが浅くなってきていて、もうそろそろじゃないかって予感がします。


たとえば、人類がまだ小学生で、みんなで林間学校で合宿しているとしましょう。

そしたら、釈迦ちゃんやキリストちゃんが、真夜中に目が覚めちゃって、「やれやれ、こんな時間に目覚めちゃって困ったな、まだみんな起きそうにもないし・・・」なんて言っていたとしたら可愛いですね。



さあ、みんなで元気に歌いましょう♪



「朝だ元気で」

作詞 八十島稔



朝だ朝だよ 朝陽がのぼる

燃ゆる大空 陽がのぼる

みんな元気で 元気で起(た)てよ

朝はこころを きりりとしめて

あなたもわたしも 君らも僕も

ひとり残らず そら起(た)て朝だ



朝だ朝だよ 朝陽がのぼる

今日も歓喜の 陽がのぼる

みんな明るく 明るく起てよ

朝はこころも からりとはれる

あなたもわたしも 君らも僕も

ひとり残らず そら起て朝だ



朝だ朝だよ 朝陽がのぼる

日本国中 陽がのぼる

みんなそろうて そろうて起てよ

朝はとどろく 世界の為に

あなたもわたしも 君らも僕も

ひとり残らず そら起て朝だ



(ところで、この歌知ってる?)




先に目を覚ました人が、

「お~い!朝だぞ~~!!」

って、言ってまわっていますが、その声は、あなたに聞こえていますか。



アラームも鳴り始めています。

でも、そのアラームが夢の中の出来事として処理されてしまい、結局目が覚めなかったなんてこともあります。


あまりにも深い夢の中にいると、そういうことも起きるかもしれませんが、でも大丈夫。

何度も言うけれど、このような情報に興味を持ちだしたのは、自分の目覚めが近づいている証拠ですよ。



さあ、みんなで元気に起きましょう(^o^)




これもアラーム音量を上げるのに役立ちます。
  ↓
   




PS

明日の沖縄いまここ塾は中城村、水曜の会は那覇市です。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:53Comments(53)

2010年04月10日

土曜の朝の独り言(昨日の続き)

昨日の話を、もうすこし補足します。


それを神と呼ぶべきかどうかは別として、僕たちをはるかに超えた何らかの意思が、この宇宙に存在していることは確かです。

しかもその意思は、どこか遠いところにいるのではなく、まさに僕たち一人一人の中に、そしてあらゆる現象の中に遍在しています。


それは漠然とした存在ではなく、僕たち以上にリアルな存在です。

生死を超えた絶対的存在です。


それは意識であり、意思を持っています。

さらには叡智にあふれ、愛にあふれています。


細胞の動きから、惑星の運行まで、ミクロからマクロまで、その意思は行き届いています。

ありとあらゆる現象に対して、集中し、何一つ見逃すことはありません。


わかりやすく言えば、あなた自身の存在はもちろんのこと、あなたの身体に何が起きているのか、あなたの思考がどう働いているのか、全部お見通しです。

あなたの髪の毛の本数もご存じですし、あなたがなぜいま、そこでそうしているのかも全部知っています。

しかも、世界中の全員のことをです。



そんなことが、できるわけがないじゃないか。

一度に全部を集中するなんて不可能だ。


そう思いますよね。

人間はひとつのことに集中すれば、その対象以外は無自覚になります。

それが集中ということです。

ところがその存在は、ありとあらゆるものに対して、人間よりはるかに高い集中力で集中しています。



まるで神業です。



だって神だし。




それが信じられないのは、昨日言ったように、僕たち人間は、自分に似せて神を創造したからです。

あるいは、自分に似せて想像していると言うべきでしょうか。


そのような傾向を性懲りもなく持ち続けているので、神の存在を理解することが難しくなってしまうのです。



圧倒的にして、絶対なる存在・・・それは知的に理解するものではなく、体感するものです


その完璧さの体感が、神です。

僕たちの人生は、それを知るためにあります。




今日も瞑想伝授のために、東京に来ています。

僕は瞑想教師ではなく単なるサポートですが、ひとりひとりと個人的にお会いすることができて、より確かな実感を持つことができています。


こうして、いつ死んでも本望と思えるのだから、幸せ者ですよね。




世界中の魂に、祝福の光が降り注ぎますように。






多くの人の目に留まりますよう、ご協力お願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 09:58Comments(34)