2022年01月30日

すでにある

心の安らぎを分かち合いたくてこうして書いています。

愚かさを生きてきたからこそのアドバイスです。


いまのままでは何かが足りないという思いに突き動かされて、全力で遠くまで走ったつもりが、実際にはどこにも行っていませんでした。

唯一のリアリティである「いまここ」は、動いてなどいなかったのです。


動いていたのは自分の心でした。

心がどこかに向かっているつもりになっていただけです。



この人生がどこにも向かっていないことを知れば、いつもあるがままの自分がいるだけだと分かります。

あるがままの自分とは他でもない、まさにいま感じているあるがままの自分です。

これ以外は存在していませんし、これからも存在しません。



多くの人は、いまこの自分ではなく、本来あるべき自分でなければいけないと信じています。

あるべき自分になった暁には自分を認めることができるというわけです。


しかし、たぶんこの先も同じことでしょう。

将来を心配している人は10年後も将来を心配し、自分を克服しようとしている人は、いつまでも自分との戦いを続けていることでしょう。







これらの不毛なゲームを手放すのは「いま」です。

求めている安らぎはすでに「ここ」にあるのです。

ここ以外のどこにあると言うのでしょう。


完全に安らいだ時に、あらゆる戦いが終わっています。

人生を思い通りにしようと、戦うことはなくなります。

人生の流れを信頼しだすのです。


でもまだ先があります。

自分が流れを信頼すると言うときには、まだ「自分」と「流れ」が別々に存在していますが、しだいに流れだけがあるようになります。



個が全体に戦いを挑んで勝てるはずがありません。

こざかしさを使って、波が海をコントロールしようとしているのと同じです。

全体のことは全体に任せてはダメですか。


この全体は、あなた自身なのですよ。





今夜は日曜瞑想会です。

https://youtu.be/5en6ECj6QCQ









  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(19)

2022年01月24日

瞑想賛歌

昨夜の瞑想会。

いつも瞑想中は「ただいま瞑想中」という静止画に切り替えるのですが、昨夜は僕自身が瞑想している姿をしばらくの時間流してみました。

たまにこういうのもいいですね。


自分が瞑想している姿をじっくり見ることはないので、アーカイブを見て面白かったです。

短い時間でしたが完全に入っていましたね。


マントラを使用した瞑想の特徴は、究極のリラクゼーションをもたらすことです。

最も深い睡眠以上の休息が取れていて、研究結果によると30分間の瞑想で約2時間分の睡眠と同じ効果が得られているそうです。


その状態はまるで眠っているみたいで、白河夜船みたいなコックリさえ起きています。

でも意識があるのです。

これを眠っているのかいないのかわからない状態と報告する人がいますが、まさにこの状態こそが瞑想が上手くいっている証です。


坐禅の場合は微動だにせず、ましてやコックリなどは言語道断ですが、マントラ瞑想は疲れたら背もたれに寄りかかってもいいし、姿勢を変えても構いません。

正しい姿勢が重要なのではなく、完全に力を抜くことが目的だからです。

そのような意味で、昨日の僕の瞑想中の様子は参考になるかと思いました。


マントラ瞑想師匠のボブさんと初めて会った時、向かい合って一緒に瞑想したんです。

途中で薄目を開けて彼を見たら、完全に上半身が前に倒れて、頭が床についていました。

「ありゃ?寝ちゃったの?」

って、タイの奥地まで遠路はるばるやってきて、これは失敗だったかと思ったのですが、これこそがボブさんが言う空(くう)の状態だとわかるまでに、時間はかかりませんでした。

そして、「これだ!」と確信し、次の講演会からこの瞑想法を広く紹介するようになりました。


その後7年ほどしてボブさんから暖簾(のれん)分けしてもらったのがN I K E瞑想です。

一口に瞑想と言ってもたくさんの種類がありますが、T M瞑想から発展したこのマントラ瞑想は、ストレスが多い現代社会における至極のリフレッシュだと思っています。


僕の話をすれば、特に最近の瞑想効果は著しく、肌に艶が出てきたり、身体が軽くなったりと、年齢を忘れて青春気分で暮らしています。

と、宣伝のようになってしまいましたが、改めて瞑想の大切さを感じる今日この頃です。





時代の変化の真っ只中で、旧世代との価値観のギャップを一身に浴びている子供たちにも、この瞑想は役に立つのでは思っています。

ポールマッカトニーは、マントラ瞑想を子供たちに普及させるための資金集めコンサートを開いたそうです。

ビートルズの思想に最も大きな影響を与えたのも瞑想でした。

僕も微力ではありますが、子供たちが経済的な負担を最小限にして、楽しんで瞑想できるような場を構築しようと準備中です。


イギリスの天才教育の学校でも瞑想の授業があると聞きましたが、日本でも取り入れたらいいのにと思います。

昔は禅文化が日常に浸透していたので、日本人は知らず知らずに瞑想的生活(いまここ)を営んでいたのでしょう。

いずれにせよ、思考が作りだすフィクションを現実だと思ってしまった人たちをニュートラルに戻すことは、この世から精神的苦痛を減らすダイレクトな道だと思います。


日々是好日







  


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2022年01月23日

反逆のススメ

多くの人が自分ではない誰かになろうとしています。

それは成長する過程で、自分自身でいることを許されなかったからです。

あるがままの自分は非難され、社会に順応する、あるべき姿を刷り込まれてきました。

親兄弟、教師や世間、あるいはマスコミなどによって、じわじわと刷り込みが繰り返されたのです。


社会は、できもしないことを強制します。

たとえば性への衝動も、表面的には抑制されます。

結婚相手以外との恋愛もご法度です。


でも人間はそのようにはできていません。

したがって社会の裏側では決して人には言えないような秘密事が渦巻いていて、それが個人に罪悪感を持たせます。

その結果、自分に後ろめたさを持ち、自分を否定し、自分ではない誰かを目指すのです。


このような生き方は、世間からはそれなりに評価されても、心の内側では決して幸せにはなれません。

むしろ内側に残るのは惨めさです。

これはいまに始まったことではなく、人間社会が誕生して以来、古今東西で繰り返されてきたことです。



ここで明らかにしたいのは、社会や国家というものは実体ではなく、人間が作り出した共同幻想に過ぎないということです。

そんなものは人々の頭の中にしかありません。


そして僕もあなたも、そのような共同幻想よりはるかに価値があります。

なぜなら僕たちは「存在の一部」だから。








真に自分自身を生きること以上に大切なことがあるでしょうか。

人の生き方には二つあると思っています。

一つは、社会を敵に回しても本当の自分自身を貫く生き方。

もう一つは、あるがままの自分を抑えて、社会から認められる生き方。


自分ではない誰かを生きるということには、あまりにも大きな代償が伴います。

ありもしない世間からの評価は得られても、実際の喜びは失うことになるからです。



先日のサンガ講演でも言いましたが、サンガはサンガの価値を学ぶ場所ではなく、人に合わせる場所でもなく、自分自身に立ち戻る勇気を育む場所です。


このような生き方は反逆的ですが、この反逆の中にこそ本当の愛が潜んでいます。

社会が繕う善ではなく、本当の意味での誠実さです。



しかしいまとなっては、自分が自分自身を生きるには、途方もない勇気が必要になります。

したがってこれからのメッセンジャーの役割は、真理の解説だけではなく、その人がその人自身を生きられる勇気を与えていくことだと思います。


宗教だとかスピリチュアルだとか、そんなストーリー(共同幻想)に自分を合わせようとする時代は終わりです。

このような反逆的な姿勢こそが、有史以来の意識変革につながると思っています。




今夜21時の日曜瞑想会はこちらです。

どなたでも無料で参加することができます。

https://youtu.be/8cNKAfD22NE










  


Posted by Toshiro Abe at 09:46Comments(11)

2022年01月22日

Revolution

昨夜の講演で、これからの新しい世界は、過去との完全な断絶によって誕生すると語りました。

なぜならその世界を建設する者たち自身が過去を持ち運んでいないからです。



世界は何度も革命を試みて、人間を幸福にするという点においてはことごとく失敗してきました。

権力はそのつど移譲されましたが、それを運営する人間の意識レベルが変わっていなかったからです。


その意識レベルこそが自我です。

自我という、全体からの分離幻想を見抜いた者たちこそが、新しい世界を作り出していきます。



幻想を見抜いたとき、人は初めて愛の何たるかを知ります。

愛とは感情ではなく、特定の対象に向かうものでもなく、愛とは自己が消えた後に残る全体意識、すなわち神の別名なのです。


したがって新しい世界とは、愛を生きる者たちによって建設されることになります。

その者たちは心を自由に解き放った者たちです。






キリスト教が言う「天の王国を地上に」というスローガンは、神の化身などという特定の人物によって実現するのではなく、我々一人一人が自らの本性を見抜いたときに無理なく実現されていくのだと思います。


愛と平和に基づいた新しい世界は、人類共通の夢ですが、それは革命や改革によってもたらされるのではなく、まずは自分自身の幻想を見抜くことから始まります。

新しい世界は、その結果です。


革命家や運動家に伝えたいのは、世界のことはいったん横に置いて、まずは自分自身に取り組むことが大切だと言う事。


50年以上前に発表されたビートルズのレボリューションという歌は、すでにこのことを歌っています。



社会の構造を変えてやると君は言う

へぇ、そうかい

自分の頭から変えてみなよ


それが社会の為になると君は言う

へぇ、そうかい

自分の心を自由にしてやりなよ



Revolution







  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(7)

2022年01月20日

幸福のメモ

欲しいものは手に入れたらいい。

理由を付けて我慢するより、本当に欲しければ手に入れたらいいのです。


本当に欲しいものが近くにあると気分が良くなるし、気分がいいのが一番です。


でも、それに執着すると苦しくなります。

何事も変わっていくので、去っていくものには執着しないことです。


したがって端的に言えば、欲しいものに囲まれながら執着しない。

そんな生き方を推奨します。



そして正反対に聞こえるかもしれませんが、いま満たされているという思い、すなわち足るを知り感謝の気持ちを持つことが幸福を運んでくれます。

小さなことに喜び、身近な人と愛しみあう。

これにはお金がかかりません。



違和感があるものからは単純に遠ざかります。

無理して受け入れようなどというのは、わざわざ不快感を選んでいるだけだから。


そして違和感がある相手を批判したり心の中で罰したりもしません。

その人がその人であることに何も言うことはないからです。

ただただ距離を持ちます。


すると人生の流れがスムーズになっていきます。

やることなすことが、何の努力もなくプラスに展開していくのです。


なにより自分が幸福だと周囲のみんなが幸せになっています。



ありがタイガー


人はそんなあなたを見たいように見て、言いたいように言うかもしれません。

でもそのこととあなたとは何の関係もありません。

人はその人の世界の中で生きていて、その人が作り出したあなたに向かって何か言っているだけだから。


だから周囲の意見に合わせるのではなく、自分の思いを生きるのです。



こうして書いてみると、すでに言い尽くされた当たり前のことばかりですが、自分の幸運と幸福を分析するとこんな感じです。


メモのようにして書いてみましたが、誰かの役に立つかもしれないので、このまま載せることにします。









  


Posted by Toshiro Abe at 09:30Comments(21)独り言

2022年01月18日

真如実相

いくつか質問をいただいていたようです。


>自己の不在を見抜いた時、本当の自分が全体であることを悟る。 阿部さんの仰りたいことはこのことですか?


その通りです。

少し補足してみます。


自己の不在を見抜くのは誰でしょう

自己の不在を自己が見抜くのでしょうか。


もしそんなことができるなら、自分が自分の靴ひもを引っ張り上げて、身体を浮かすこともできることでしょう。

でもそれは不可能です。


したがって自己の不在を自分が見抜くことはできません。


それでは誰が見抜くのか。

せいいっぱい言葉にするとしたら、全体が自己という夢から覚めるということになります。

そのとき、全体こそが真の実在であり、徹頭徹尾これしか存在していなかったことに気づきます。


この気づきも全体に起きるわけで、したがって全体こそが本当の自分という言い方になるのです。


言葉での理解が難しい点は、「全体である自分」をいまの自分が想像することです。

結局は自分が理解しようとしてしまうことを知るのは重要です。

でもそれでは的を外します。

ポイントは「ただ在る」という状態に寛ぐことであり、何かを学ぶのではなく、ただ黙して坐るという瞑想の実践しかないと思っています。


考えても分かったつもりになるだけですが、それでもこのメッセージは、人生で過度の負担を抱えた自己にとっては救いになります。

何一つ自分の責任ではなく、何一つ過失も罪も負っていないことに繋がるからです。


マインド(自己)は、判断や批判を繰り返しながら合理的な答えを求めます。

このようなマインドのアプローチは何千年かけてもどこにも行き着きません。

やはり黙して坐ることです。






>人はなぜ生きるのでしょうか


その答えは、野に咲く花がなぜ咲いているのかと同じです。

「何故」はありません。

このこともヒンズーの人たちは「リーラ」と呼んできました。

リーラとは無目的な戯れのこと。


このブログの旧タイトルも「リーラ」でした。

いまこうして記事を書いていることも質疑応答もリーラだからです。



>一人一人が愛の世界を思い出し、その世界を生きたとしても、やはり殺人という行為は生じるのでしょうか?


一つ言えることは、

あなた自身が愛の世界を思い出し、その世界を生きることが全てだと言う事。

「もしこうなったらどうなるか」というお馴染みのマインドにフォーカスするのか、あなた自身がそうなるのか、どちらかだと思います。



今日も穏やかな気持ちで過ごしましょう。

日々是好日








  


Posted by Toshiro Abe at 10:36Comments(16)

2022年01月16日

愛の予感

from M-onlineさんや、大空さんなど、何年間も常連でコメントをくれる人たちがいますが、なるほどそうなのかと学ばせてもらうことも少なくありません。

サンガの中でも何かを始めたくて必要な人材がいる時、こんな人いますか?と尋ねると、各界を代表するような人が名乗り出てくれて驚くこともしばしばです。


こうして生意気に言いたいことを言っていますが、多くの識者に見守られながらの活動なのでしょう。

ありがタイガー!!(寅年にちなんで向さんが言った、すぐには笑えない洒落)



さて昨日の、りゅうぎんロボさんからの質問。


>いろいろな違う考え、個性、都合などが氾濫する中で本当に阿部さんが言うように人類は一つになるのでしょうか。 だとしたら何が契機になりうるのでしょう。


この質問を見たとき、言葉は難しいと思いました。

僕自身は人類が一つになるという発想は危険だと思っているからです。


むしろ表面的にはもっとバラバラになるべきです。

本来自然界においては同じものは二つとしてなく、それぞれに唯一無二の個性が与えられています。


ところがそれらの個性が、社会という人工的秩序によって一色に染められてしまう。

何が正しく、何が間違っているかの社会正義やモラルに、誰もが従わなければならないという無言の圧力があります。

それによって自分らしさを生きられる人は限られてきて、この世から色彩と喜びが奪われているように見えます。


僕が「人類が一つになる」と言ったとしたら、それは元々一つだったことを思い出すという意味だと思います。


社会がそれぞれの個性を二の次にして、一定の人工的基準を設けようとするのは、秩序を優先するからでしょう。

愛のない世界では、人工的な秩序を設けなければ混乱しかないからです。


でも人間一人一人に深い理解が訪れたら、そこに初めから備わった宇宙的秩序を見出すことになります。

深い理解とは、我々が大元では一つであり、その一つこそが「愛」だという真実の発見です。


愛があれば人工的な秩序は必要ありません。

愛こそが秩序だから。


そうなれば人々の個性はさらに際立ち、同時に、共有する愛によって「ひとつ」を感じている、それが新しい文明の礎になると信じています。





新しい世界を予測することはできません。

予測とは過去の素材を新しく組み立て直したものに過ぎないからです。


新しい世界は、過去とは完全に断絶した文字通り新しい世界です。


でも多くの人の心に予感が疼き始めているのも事実です。

それこそが愛の予感だと思っています。


僕たちはみな、大きな歴史的転換の証人であることに間違いありません。



・・・・・・・・・・・・・・


2月のハートマントラ瞑想伝授の日程が出ました。

詳細はコチラです。



☆今夜の日曜瞑想会のアドレスはコチラ








  


Posted by Toshiro Abe at 09:27Comments(11)

2022年01月14日

永遠の愛

流れゆく雲を観察してみましょう。

雲は絶え間なく形を変え、どこへともなく消えていきます。


同じように内なる思考を観てみましょう。

それは雲より早く、しかも絶え間なく形を変えながらどこかに消えていきます。


ある時は慈愛に満ち、ある時は怒りに震え、ある時は正義を振りかざし、ある時は罪悪感に苛まれます。

しかも人はそのことに気づいていません。

いつも無意識に思考と同化していて、その度にその思考に振り回されているのです。





人が集中するのは至難の業です。

集中するには思考の形が一定でなければならないからです。

それなのに思考は雲のように動き続け、変わり続けます。



しかしよく見てみると、雲は変化しますが、その背後にある大空は不変です。

同じように、思考は変化しますが、その背後にある純粋意識も不変です。


ここに瞑想の真の目的があります。

瞑想とは何かに集中することではなく、自らの純粋意識と一つになることだから。


純粋意識には形がありませんが、形なきものに出会う時、最初に人は戸惑います。

なぜなら人は形あるものしか知らないからです。


形なきものは初めは空虚に見えることでしょう。

それが怖くて、それ以上進むのをやめてしまう人もいます。


でも怖れずにその中に入った人は、皆一様に安心を得ます。

人生でずっと探し求めていた本当の安心です。

形あるもの、変化するものの中にそれを探していましたが、見つかるはずもありませんでした。


人の気持ちも、人の思考も、物もお金も、全ては変わりゆくのに、変わらないで欲しいと願ってきました。

愛する人の気持ちが変わらないようにと、どれだけ願ったことでしょう。

思考の性質を知れば、永遠に愛することなどできるはずがないことがわかります。


でも永遠の愛は実在します。

永遠の愛とは、まさに形なきものの中にあり、不変なる純粋意識の別名です。

ヒンズーの人々は、それをアートマン(ブラフマン)と呼んできました。

そこには一切の思考も判断もありません。


純粋意識において人は永遠とは何たるかを知ります。

その結果、生死を超えた本当の自己を知ることになるでしょう。


これは経験的に知ることであり、純粋意識との出会いによってもたらされます。






  


Posted by Toshiro Abe at 11:02Comments(14)

2022年01月13日

全国行脚

もともと家の中でじっとしていることが好きな性分なので、コロナ禍での生活はあまり苦になりません。

でもさすがに少し変化が欲しいと思うようになりました。


最近は、コロナがおちついたら全国行脚に出てみようかなんて考えています。

東名阪はもちろんのこと、普段あまり行かないような地方にも行って、数人でもいいから膝を詰めて語り合ってみたいななんてね。





沖縄で活動していた僕を最初に県外に誘致してくれたのは、秋田県横手市の女性でした。

ブログを書き始めて1年目くらいだったと思いますが、僕は沖縄のファンの人たちにブログを書いていたので、県外の人が読んでくれていたのが意外でした。

ブログもラジオ放送と同じでローカル向けだと思っていたのです。


次は石川県七尾市。

七尾の講演会は市長さんが開会のあいさつをしてくれて驚きました。

たぶん何かのイベントの一環だったのでしょう。

地方ならではの温かい会でした。


そして次は札幌。

そこにお忍びで来てくれたのが雲黒斎くんです。

お忍びだったのに、なぜか壇上から彼を見たときに、「あっ、来ている」と思ったのは不思議でした。

彼自身はもっと驚いていました。



次は鹿児島。

シンガーソングライターの女性が主催してくれて、僕も調子に乗って何曲も歌いました。

その時来てくれた一人の男性が、自分が神隠しにあったときの話をしてくれて、彼の話しぶりから本当のことのように感じたのを覚えています。


その後、東京でマンスリーの講演会を自主開催するようになり、コロナ禍直前まで毎月欠かすことなく続けました。

150人くらいの会場でしたが、いつも満員だったことを思うと、延べにしたらどれくらいの人が来てくれたのか。


そして、大阪、名古屋、博多がレギュラー化し、仙台、金沢、松山、長野など、10年以上に渡り数えきれない数の講演をしたことになります。

こんな思い出話を書くということは、よほど生で講演をしたくなったのかもしれません。



ZENサンガの会員数も2000名近くになってきたので、きっとどの地方に行っても誰かと出会うはずです。

そんな全国行脚をしてみたい。


あとは、天河でのリトリートも再開したいし、ハワイかタイで長期合宿もやってみたいです。


いままでの人生を完全に忘れて、まったく新しい存在軸を定着させるには、生活の匂いがしない場所で真理の情報に触れながら暮らす期間が、最低一か月は必要だと思います。


僕自身もチェンマイで40日間の瞑想リトリートに参加しましたが、心の隅に残っていたトラウマの残骸が綺麗にお掃除されました。

人生で一度くらいは、それくらいの覚悟を持ってもいいのではないでしょうか。


そんな時が来たら、ご一緒しましょう。



今日も天川村は雪の中。

久しぶりに読書でもして過ごします。



人の心が平安でありますように。



かんながら たまちはえませ







  


Posted by Toshiro Abe at 13:07Comments(16)

2022年01月11日

振り子

仕事が立ち行かなくて困っているという相談を受けますが、今日はそんなあなたに何か書いてみます。


ピンチはチャンスって言葉、聞いたことあるでしょ?


♪雨雨フレフレ もっとフレ

蛇の目でお迎え 嬉しいな

ピンチ ピンチ チャンス チャンス ランランラン♪

のピンチとチャンスです。


そんなわけで今日は幻想界、すなわち現象界の話です。





ピンチはチャンス

すでに何度も聞いたことがある言葉だとは思いますが、すごく大切なことなので、いま一度自分に落とし込んでみましょう。

この考え方が心底身についていると、たいていの人生はスムーズに流れていきます。


先日の講演で、出来事はただあるがままにあり中立だという話をしました。

ということは、出来事にマイナスを見たときは、その分だけ裏側にプラスが隠されているという事です。

二元の世界の法則は、どちらか一方だけでは存在できないからです。


美しさは醜さがなければ存在できません。

正義は悪がなければ存在できません。

幸福は不幸がなければ存在できません。

言っていること解りますか?


このことを徹底的に知っていれば、マイナスが見えた時、その裏にあるプラスを探すことができます。


もちろんその逆も起きえます。

上手くいったからと有頂天になっていると、見えない落とし穴がちゃんと出現してくれます。


でも落とし穴に落ちたら、それはチャンス到来という事。

だからどちらも同じです。


そういえば何年か前に、不思議な力を持つという霊能者さんが、僕が人生最大のピンチを迎えていたころのことを言い当てました。

そんな状態を速やかに回復できた理由は、自分に被害を与えた人を恨むではなく、一切の復讐心や反撃心を持たなかったからだそうです。

自分では当たり前になっていることも、あえて指摘してくれると、なるほどと思いました。


その時の僕は、この最大のピンチに見える裏側に、どんなチャンスがあるのかに目が向いていました。

そのような態度でいれば被害者になることはありません。

被害者でなければ復習も反撃もあり得ません。


その結果、決してお金では買えない貴重な宝を得ることができました。

いまも沢山の人から気持ちが楽になったと言ってもらえるのは、そのときの経験が身になっているからだと思います。





いつかまたマイナス側に人生の振り子が向かうかもしれません。

振り子がマイナスに振れる時は、プラスに向かう力を蓄えているのだから、むしろワクワクしますよね。


いま人生のピンチだと言う人。

今日書いたことは当たり前の話ですが、心の向きをこのように変えた瞬間、あなたはすでに違う世界にいます。


どんな状態からでも、成功も幸福も一瞬で手に入れられますよ。







  


Posted by Toshiro Abe at 10:45Comments(13)

2022年01月10日

黒猫物語

最初はやせ細った黒猫が、屋根裏で一匹の子供を産んだのが始まりでした。

これではお乳も出ないだろうと、屋根裏への入り口にご飯を置いてあげたらとても喜んだ。


やがて母子共にどこかに移っていってしまい、その後は母猫だけがご飯を食べにきました。

食べるとすぐにどこかに行ってしまったので、まだ子育てをしていたのかもしれません。


警戒心が強く、決して人になつこうとしませんでしたが、そのうち僕の声は覚えた様でした。

この子には「クレハ」と名付けました。



少しずつ玄関の近くでご飯を上げるようにして、ある日玄関の中に置いたら恐る恐る入ってきました。

でも戸を閉めようものなら大騒ぎ。

出口を探して上へ下へと走り回る始末です。


そんなところから徐々に慣らしていきました。


少し慣れてきたころ、玄関前にいたこの子を見た村のお婆ちゃんが、

「黒猫が居つく家は繁盛するんだよ」

と言ってくれました。



業者さんに頼んで、裏の戸に猫の出入り口を付けてもらうと、自由に出入りできることが分かり、ずいぶんと安心して入って来るようになりました。

そして少しずつ家の中で暮らすようになっていきました。



それからしばらくすると、また黒猫が一匹やってきました。

この猫は少し人に慣れているようにも見えました。

いつの間にかクレハと双子みたいに、一緒に家を出入りするようになりました。

新しい子の名前は「モミジ」にしました。

この二匹は女の子だったので、避妊手術をすることになりました。



ある日、二匹目のモミジと家の前にいたら、天河神社の反対側に住む村の女性が、

「あら?ミーコじゃないの??」

って。

瞳がエメラルド色だから一目でわかったそうです。


なに?!お前ミーコって言うのか?

とその子を見たら、少し気まずそうに顔を背けました(笑)


その女性の家では外でエサをあげていたそうですが、僕の家で快適に暮らしていることを知ると大層喜んでくれて

「ミーコ、よかったね、よかったね」

って。

事情で家の中では飼えなかったそうなんです。



そんな生活がしばらく続いたら、またまた新しい黒猫がやって来るようになりました。

今度は男の子です。

同じように最初は警戒心が強かったのですが、この子もやがて居つくようになりました。

名前は付けなかったのですが、またまた神社裏の奥さんが通りかかって


あれ!?、あんたもここに来ていたの?

って。

モミジの子供だそうです。


猫たち同士の様子を見ていてもまったく分かりませんでした。

むしろクレハと仲良しに見えたので意外でしたが、名前は「長男」にしました。



それでは終わりません。

さらにさらに4匹目の登場です。

しかも今度も黒猫の男の子。


長男に比べるとガリガリに痩せていて、骨が飛び出して見えます。

この子も警戒心が半端なかったのですが、ずいぶん時間をかけて家の子になっていきました。

この子は「サクラ」と名付けました。


もしかしたら屋根裏で産まれたあの時の子供なのではと思ったりもします。

顔がクレハに似ているのです。


知らない人が見れば、みんな同じ黒猫に見えるかもしれませんが、それぞれに性格が全く違い、もちろん僕は一目で見分けることができます。


いまでは全員、丸々と太ってごらんのとおりです。



今朝の写真



みんな天河生れの天河育ち。

出張するときは村の人にご飯をお願いしています。


「黒猫が居つく家は繁盛するんだよ」



今日の午後4時から天河神社で、新春から始まった13期ZENサンガ会員の皆さんの、無病息災、良縁成就、商売繁盛のご祈祷をしてもらってきます。


今期は1915名の皆さんとご一緒します。

生配信しますから会員の方はモニター越しにご参列ください。


第1期が始まる時は天河神社で発足祭をしたのですが、何か大きな力に見守られて発展してきたような気がします。


この4匹の黒猫たちは、その使いなのかもしれません。








  


Posted by Toshiro Abe at 11:46Comments(16)

2022年01月08日

幻想と真実

昨夜の禅サンガ。

何かが乗り移ったかのように2時間近く話し続けましたが、話している自分はいませんでした。

そこで話したことが伝えたいことのすべてです。

ということは、中空の竹になることだけが、その場において適切な表現を引き出す唯一の方法だと思います。


伝えたことを要約すると

「恐れの世界から愛の世界への変容」

こうして文字にすると、読み方次第では陳腐で在りがちな言葉になってしまいますが、実際の話、これしかありません。



この世には、恐れと愛という2つの可能性しかありません。


恐れ(幻想)の世界とは、苦しみの世界。

愛(真実)の世界とは、安心と調和の世界。


そして救いは、この宇宙には実在だけが実在し、それ以外は存在していないという事。

すなわち恐れや苦しみは幻想であり、実際には無いということです。


こうして書いていて、やはり文字情報の限界を感じます。

読み手が読みたいように読んで終わってしまうから。



この三日間、パソコンから離れていましたが、とてもいい時間でした。

僕はこのところ、自分が何をしたいのか、これからどうしていくかがどんどん明確になっています。

気がついてみたらすでに多くのことが進行しています。


でもそこに費やす時間もエネルギーもごくわずかです。

他の時間は瞑想をしているか、瞑想的な時間を過ごしています。

やはり天河に暮らしだしてから変化が著しい。


天河自体にその力があるというよりは、この人生の流れがこのような時節に入ってきたということでしょう。


35年前の初心に戻った気分です。

あのころとの違いは、いまは二元の世界のことも難なくこなせていられること。

そう思うと、こうなるまでにずいぶん時間がかかったものです。






明日は日曜瞑想会。

瞑想は最も重要なので、これからは瞑想に関することだけを扱っていこうと思います。

ですから瞑想をしたい人だけ来てください。

あたりまえか(笑)


明日21時からのアドレスです。

https://youtu.be/iw1CbggytqA







  


Posted by Toshiro Abe at 09:12Comments(11)

2022年01月04日

幸せのありか

今日は若い頃の自分に宛てて書いてみます。


あの頃の僕の特徴は、心の底で自分を嫌っていたということです。

自分を憎んでいたかもしれません。


そのような自分への態度は、そのまま他者への態度として現れていました。

自分が心の中で感じていることと表向きの言動が一致していないのだから、人もそうやって生きているに違いないと思いました。

自分が裏表を持っていれば、人も同じだろうと考えたのです。

だから人からのアドバイスも身になりません。

だって誰も信用できないのだから。


ましてや人からの愛など受け取れるはずもありません。

そもそも本当に愛してくれるはずなどないと信じているのです。

一体誰がこんな自分を愛せると言うのか。

こんな居心地の悪さはありません。


そこで、自分に寄せられた愛がいかに偽物かを探し始めます。

自分は愛されてなどいないという証拠を見つけ出し、やがてそれを見つけるとホッとするのです。


でもいま思えば、本当はいつも愛の中にいました。

そう言い切れるのは、この世には愛しか存在していないからです。

私たち全員が愛の中にいます。

言葉で言うと軽くなってしまうけれど、これは真実です。


完全に自分を開いた時、初めてこの真実と出会いました。

これが本当の宗教的体験です。


神を信仰しているとか、宗教に所属しているとかではありません。

ポイントは単に、開いているか否かです。


自分を嫌っていたり、憎んでいたりすれば開くことはできないでしょう。

世界は自分の投影なので、そんな対象に開ける訳がありません。

この自分に対する憎しみが、あらゆる虚偽の顔の土台になっていました。

そして喜びも見失っていたのです。


人は自分が幸せでない理由を、お金や、仕事や、人間関係などに見つけますが、本当の理由は自分が偽物だという事実を深いところで知っているからだと思います。


だからこそ私たちが最初に取り組むべきは、あるがままの自分に寛ぐこと。

そこに本当の幸福の香りが漂い始めます。


私たちは何を隠そうとしているのでしょう。

誰から隠そうとしているのでしょう。

そんな偽装に誰が騙されていると言うのでしょう。


やっているのも自分なら、見ているのも自分です。

騙しているのも騙されているのも自分以外にはいません。


それを見抜けば、人はあっさりと偽装のゲームを取りやめます。

そしてあるがままの自分と共に、安らぎを手にするのです。


そのためには、どうすればいいかって?

僕は経験的に瞑想が一番だと思っています。

他にもアロマのような香りとか、自分を芯から癒してくれるものを生活に取り入れたことも功を奏しました。


昔の僕や、いま似たような状態を生きている僕の分身たちに伝えます。

まずは空に向かって大きく胸を広げて深呼吸でもしてみませんか。










  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(15)

2022年01月03日

目覚めの連鎖

札幌の雪まつりに行ったことがあります。

有名建築やアニメのキャラや、まるで実物がそこにあるかのように、リアルかつ堂々とした作品が並んでいました。


でも素材は全て雪。

雪まつりが終われば解体されて、また元の雪に戻ります。


お寺のお堂だった雪も、ガンダムだった雪も、みな同じ素材でできていた。

見かけ上の形として存在していたときは別々の個性を持っていたけれど、解体されれば同じもの。





なんだか、この世界と似ています。

我々一人一人の肉体も、木々や動物たちも、土や岩や鉱物も、みんな同じ量子からできていて、究極的には同じ一つのものです。

この「一つ」を全体、ワンネスと呼びます。


形あるものはどんなものも長い時間の中で解体され全体に帰ります。

我々人間など、まさに束の間の形態であり、稲妻の閃光のごとく、後に何も残りません。

でももともと全体の現れだっただけで、我々の本質は最初から全体だったのです。


ところが「自分はガンダムだ」と言い張ります。

こうして分離した自己を持つのですが、この自己は思考が最初に作りだす錯覚に過ぎません。

あまりにも深いところから思い込むので、形態として生存している間にこの錯覚から目覚めるケースは稀です。


私は山田花子です。

でも自分は名前そのものではありません。

経験でもなく、思考でもなく、環境でもありません。

自分という存在を調べていって、自分を見出した人は一人もいません。

だってそんなものは存在していないのだから。


だから世界中の覚者や禅師は、「お前は誰か?」と問い続けたのです。



いま多くの人が、雪解けの季節を迎えています。

有史以来、極めてまれな目覚めの連鎖です。


絵空事ではありません。

こうして確かに一人ずつ、思考が作り出した悪夢から目覚めているのだから


実は人生でやるべきことはこれしかないのです。

あとのことは、成功しようと失敗しようと、ちょっとした人物だろうが見劣りする人物だろうが、すべては幻想の産物なので、時間がたてば跡形もなく消えていきます。

世の中に対する見せかけの人生はもう終わりにしましょう。



サワリではあるけれど、今年もブログで真実への道を指し示していきます。

そしてサンガのガイドの一員として、みんなに寄り添いながら共に生きていきたいと思います。



目覚めの季節の真っただ中で

2022年正月








  


Posted by Toshiro Abe at 09:16Comments(19)

2022年01月02日

心の奥に初詣

今年も明るく朗らかな気持ちで生きていきましょう。

難しいことなど何もありません。


恐い顔は止めて、優しい気持ちで周囲を見るだけです。

それだけで人生が豊かになっていきます。






すべては「識」が作り出している。

あなたの世界はあなたの作品です。




今夜は新春瞑想会をお届けします。

全ての人の心が平安でありますように。


21時からです。

https://youtu.be/f9wi6MqGo0Y








  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(6)

2022年01月01日

新年




あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


皆様にとって素晴らしい一年でありますよう

心よりお祈り申し上げます。


2022年1月1日


阿部敏郎









  


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