2022年01月14日

永遠の愛

流れゆく雲を観察してみましょう。

雲は絶え間なく形を変え、どこへともなく消えていきます。


同じように内なる思考を観てみましょう。

それは雲より早く、しかも絶え間なく形を変えながらどこかに消えていきます。


ある時は慈愛に満ち、ある時は怒りに震え、ある時は正義を振りかざし、ある時は罪悪感に苛まれます。

しかも人はそのことに気づいていません。

いつも無意識に思考と同化していて、その度にその思考に振り回されているのです。


永遠の愛


人が集中するのは至難の業です。

集中するには思考の形が一定でなければならないからです。

それなのに思考は雲のように動き続け、変わり続けます。



しかしよく見てみると、雲は変化しますが、その背後にある大空は不変です。

同じように、思考は変化しますが、その背後にある純粋意識も不変です。


ここに瞑想の真の目的があります。

瞑想とは何かに集中することではなく、自らの純粋意識と一つになることだから。


純粋意識には形がありませんが、形なきものに出会う時、最初に人は戸惑います。

なぜなら人は形あるものしか知らないからです。


形なきものは初めは空虚に見えることでしょう。

それが怖くて、それ以上進むのをやめてしまう人もいます。


でも怖れずにその中に入った人は、皆一様に安心を得ます。

人生でずっと探し求めていた本当の安心です。

形あるもの、変化するものの中にそれを探していましたが、見つかるはずもありませんでした。


人の気持ちも、人の思考も、物もお金も、全ては変わりゆくのに、変わらないで欲しいと願ってきました。

愛する人の気持ちが変わらないようにと、どれだけ願ったことでしょう。

思考の性質を知れば、永遠に愛することなどできるはずがないことがわかります。


でも永遠の愛は実在します。

永遠の愛とは、まさに形なきものの中にあり、不変なる純粋意識の別名です。

ヒンズーの人々は、それをアートマン(ブラフマン)と呼んできました。

そこには一切の思考も判断もありません。


純粋意識において人は永遠とは何たるかを知ります。

その結果、生死を超えた本当の自己を知ることになるでしょう。


これは経験的に知ることであり、純粋意識との出会いによってもたらされます。









Posted by Toshiro Abe at 11:02│Comments(14)
この記事へのコメント
ずっと欲しいと思っていたものが手に入ったのですが幸せにはなれず結局失ってしまいました。

もう幸せになるために何かを求めても無駄だと悟ると、未来に希望を持つことがなくなり今に自然と気持ちを向けることが出来ました。

以前阿部さんが『今以上幸せになることはない』と仰られたときは反発心?を持ちましたが、あれは良い知らせだったんですね。

希望とは聞こえは良いけど誘惑する悪魔のようなものでした。本当の福音は失望の方にあったのに…。

失ったものはあるけれど、『ここにいていいんだ♪』と言う軽やかな気楽さはかけがえがありませんね。


阿部さんが以前からお話くださらなかったらスルーしてまた未来に希望を繋げてしまうところでした。理解できなくても聞き流すだけでも大切ですね。


いつもありがとうございます。
Posted by サンガもるーぱ at 2022年01月14日 11:27
>同じように、思考は変化しますが、その背後にある純粋意識も不変です。

自分が信頼しているのは、正にこれです。
Posted by ただの「自分」 at 2022年01月14日 11:49
これまで10年近く、阿部さんのブログを読んで来ましたが、アートマン(ヴェーダ聖典の中で使われている言葉です)と言う単語が使われた記事を読んだことは、殆どなかったように感じています。
同様に、ヨーガやヴェーダ、ウパニシャッドを元にした記事も読んだことはありませんが、日本では、北伝仏教が浸透しているので、仕方がないことなのでしょう。
ヨーギーではない人が、ヨーガについて書くことはないように、アートマンは、仏教に否定されましたので、仏教の教えを説くことが多い阿部さんも、同じ理由で、アートマンについては書かないのだろう、と思っていました。

しかし、ブログのタイトル「かんながら」の前は「リーラ」(リーラという考えは、ヒンドゥーのものです)でしたし、記事の多くは、仏教や禅をベースにしながらも、時には、仏教では説かれていないアドヴァイタ的な教え(非二元)や、純粋意識(チット)というヴェーダンタ的な言葉を使われることもあったり、また、マントラ瞑想のマントラは、似たものは、ヨーガ、或いは、シヴァ派タントリズムの影響を受けたチベット仏教の一派などで実践されていたりと、阿部さんが発信している情報は、まさにカラフル、一色でなく、多岐に渡り、パッチワークのように、いろいろな考えや教え、方法を、その時々の阿部さんの意識が赴くままに選び、織り交ぜて、一つの世界を創り上げていらっしゃるかのように感じています。

アートマン(真我)という概念は、人間には、とても理解し難いものなので、正しく語っている人は少ないですが、その中でも、ラマナ・マハルシが、とてもわかりやすい口語で、詳しく語ってくれています。
そして、アートマンの素晴らしい点は、ただの概念ではなく、真の自己として、私たちの最奥の領域に実在している、ということです。
ですから、私たちは、己の真の自己であるアートマンに、体験を通して、触れ、アートマンそのものを識ることができる、ということになります。
アートマンの体験は、ニルヴィカルパ・サマディ(無分別三昧)よりも微細な領域に意識が入る必要がありますので、そう簡単ではありませんが、不可能という訳でもありません。
本当に在るのであれば、体験することは可能ですし、体験した人の中には、描写不可能なことを、可能な限り、言葉で語ってくれている人もいますので、手がかりになることもあるでしょう。
それらを纏めたモノが、ヴェーダ聖典の中のウパニシャッド(奥義書)と呼ばれている部分に書かれています。
ウパニシャッドは、実践の書ではなく、哲学的な要素が濃い内容なので、とても難解で一般的ではありませんので、読む人は少ないでしょう。
伝統的なヨーガでは、ヨーギーは、ヨーガの実践をしながら、師よりウパニシャッドを学びます。
私たちは、自分の本質、本性について、何も知らないので、最初は、概念的に学ぶ必要があるのでしょう。
しかし、ひとたびアートマンの直接体験が起これば、概念的な理解は、もう必要ありません。
真我実現、梵我一如。(仏教では、ニルヴァーナ)

それが、ヨーガ(合一)の究極のゴール(目的地)なのです。
Posted by Atman Jnana from M-online at 2022年01月14日 13:39
この場をお借りして感謝と感動をお伝えしたいと思います。
一昨年あたりから私が最も尊敬する大学の恩師から阿部敏郎さんのお名前を聞いていました。禅サンガの話も聞いていましたがその時は自分には関係ないと聞き流していました。
その後程なくして精神世界に関心を持ちネット検索をしていたら偶然にもこのブログに行きつき、オーナーが阿部敏郎さんだと言うことを知りました。

そして瞑想の伝授を受け半年くらいで心身が改善され去年の暮れに禅サンガに入会し、そこで出会った阿部さんの動画集で一つの真実を縦横無尽の言葉で繰り広げる奇跡に恩師の言葉が蘇りました。そしてナビゲーターの皆様のぶれないレクチャーと阿部さんへの信頼が伝わり感動した次第です。
ついに本物に巡り合った。まだ二週間ですのに揺るがぬ確信を持ちました。
どうぞ多くの人たちの迷いにピルオドが打たれますように禅サンガの発展を応援しています。

今夜のサンガ瞑想会もありがとうございます。
本日の活動の励みになっています。
乱文ですが感謝をお伝えしたくコメントさせていただきました。
Posted by Kiyomizu Yuka at 2022年01月14日 14:36
沖縄ではこの一週間に1万人近くが新たな感染者と認定されました。 もとをたどれば基地からの感染でありやりきれない思いが続いています。

以前阿部さんがラジオの特番で日米地位協定についてお話しされていたと思います。 あのときやっと本当のことを言ってくれる人が現れたと感心しましたがほどなくして辞めてしまわれ、その後は講演やらブログやらを追っかけさせていただいています。

いろいろな違う考え、個性、都合などが氾濫する中で本当に阿部さんが言うように人類は一つになるのでしょうか。
だとしたら何が契機になりうるのでしょう。
よければ解説お願いします。
Posted by りゅうぎんロボ at 2022年01月14日 15:03
アートマン(自己)は認識される対象(五感と想念)ではありません。

アートマン(自己)は認識する主体です。

アートマン(自己)は心臓内部にある光です。

アートマン(自己)は愛です。

アートマン(自己)は永遠不滅であり、永遠の至福です。

ブラフマン(神)は宇宙空間です。

アートマンはブラフマンです。

このアートマンはブラフマンであり、光そのものです。

~ ウパニシャッド最大の聖者 ヤージュニャヴァルキヤの言葉 ~
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2022年01月14日 20:46
阿部さんこんばんわ。
北海道は、暖かい冬です。
数年間、在宅介護していた高齢の家族が、とうとうここ数日
体調を崩してしまい、今日の午後に救急車で緊急入院しました。
病院は、暖かく完全看護なのでホッとしましたが
長い長い間おうちにいた家族がいないのは、やはり寂しい。
またおうちに戻ってこれるのかな
元気にしてるかなと、心がしみじみします。
最近は家族の心配で、瞑想もなかなかできませんでしたが
また参加したくおもいます。
明日もきっといい一日に。
Posted by さつき姫 at 2022年01月14日 21:03
阿部さんのお話はいつもほっとさせられます。
ありがとうございます。
Posted by 紫陽花 at 2022年01月14日 22:41
本日の瞑想会有難うございました。サンガ内の瞑想会はまた一味違ってとても安心できました。
陰謀論者や平和運動家の話、そうだなあと納得しながら自分にもそんな傾向があると自らを振り返る契機にもなりました。
思いきって会に入って本当に良かったです。
Posted by レオ at 2022年01月14日 22:57
わたしは両親も兄弟もなぜか亡くなってしまい、わたしだけが生き残っています。ただ、死そのものに関しては怖さを感じていません。
阿部さんに出会ったり、意味があるかないかは自分で決めることなのですが、わたしの人生には意味があるのかなとも思います。
Posted by 悠太 at 2022年01月14日 23:09
生まれて初めて、アートマンとブラフマンという単語に出会ったのは、ヒンドゥー教徒の聖典ともされている”バガヴァッド・ギーター”の中です。
(バガヴァッド・ギーターは、古代インドの宗教的叙事詩、マハーバーラタの中の一節で、聖典そのものではありませんが、難解なウパニシャッドの要点をわかりやすい言葉で伝えてくれているため、ヒンドゥー教徒に最も読まれている書物となっているようです)

その中で、アートマン、ブラフマンについて、わかりやすく伝えてくれている一文をご紹介したいと思います。
(400字を超えてしまいますので、承認されないかもしれませんが、理解に役立つと感じますので、投稿させて頂きます)

『全てのものの内にも外にもかれは在り
不動であって しかも動く
はるかに遠く また極めて近く
その精妙なこと とても肉体感覚では認識不可能だ

個々に分かれて存在するように見えるが
かれは決して分かれず常に一(ひとつ)である
かれは万生万物の維持者であるが
一切(すべて)の絶滅者であり 創造育成者である

かれは光るものの光の源泉であり
物質性(グナ)の明暗を超えて光輝いている
かれは知識であり 知識の対象であり
知識の目的であって――全個々(すべて)の心臓(フリディ=中心)に住む

さて物質自然(プラクリティ)と霊魂(プルシャ=生命)は
ともに無始であり
変化作用(ヴィカーラー)と三性質(トリグナ=サットワ、ラジャス、タマス)は
ともに物質自然に属している

プラクリティはあらゆる物質現象の
原因と結果の根源(みなもと=主体)であり
プルシャは物質界の多種多様な
苦楽を経験する原因である

プルシャはプラクリティのなかにあって
その三性質(トリグナ)と関係をもつ
三性質(トリグナ)との係わり方に応じて
善または悪の子宮に宿って誕生する

だが肉体のなかにはもう一つ
根本主である至上霊が住んでいる
それは至上我(パラマートマン)または超魂とも言われ
生者の全活動(すべて)を監督し 許可し また経験する

動くものも 動かぬものも
生まれ出たものはことごとく
用地(体)とその認識者との結合であることを知れ

そして すべての生物のなかに
ひとしく至上主(パラメーシュワラ)が住んでいる
必滅の体のなかにあるこの不滅なるものを
知る人は まことに存在の実相を見ているのだ

すべての行為(カルマ)は物質自然によって
つくられた肉体が行うのであって 
自己の本体(アートマン)とは無関係であると知る者は
存在の実相を見ているのである

物質体の千差万別を見て
差別感におちいらず 生物は全て
一なるものより発することを知ったとき
その人はブラフマン意識に達する

霊魂(アートマン)は不滅であって
物質自然(プラクリティ)の性質作用を超越している
それは肉体のなかに在るが
何事も行為せず 影響をうけない

一つの太陽が
この全世界を照らしているように
霊魂(たましい)は肉体のなかにあって
体の全部(すべて)を意識で照らしている

智慧の眼を開いて
肉体とその認識者との相違を知る者は
物質自然(プラクリティ)の鎖から脱出する方法も知って
至上の目的地に到達する』
(バガヴァッド・ギーター)

正に、コレこそが、アートマン(真我)!
コレこそが、私たちの本質、本性であり、最終的に識ることになる真の自己(本当の自分)です。

アートマンを識ることは、ヨーガ(合一)の完成であり、Atman Jnana(アートマンの智識)は、私たちに、あらゆる宗教、哲学、科学を統合して理解するための叡智や智慧をもたらすことでしょう。
そして、束縛からの自由と永遠に尽きることのない幸福(至福)をもたらしてくれることでしょう。
Posted by Atman Jnana from M-online at 2022年01月15日 01:13
今日も阿部さんの言葉をゆっくり読んでいると心が静かになっていきます  
とても心地よくずっとここにいたいです
Posted by じゅんこ at 2022年01月15日 23:51
人はなぜ生きるのでしょうか
Posted by 洲鎌直喜洲鎌直喜 at 2022年01月16日 03:34
幼少の頃から、永遠に変わらない気持ちは無いのに何故人は結婚したり、恋人同士になったりするのか疑問でした。形を作るから、壊れるし、悲しくなるんだと。

その反面、この社会で生きていくには結婚などの形が普通とされていて、周囲との違いに生きづらさを感じていました。

一瞥体験の際に感じた「自分がそのまま愛だった」は本当に真理だったと答え合わせをさせて頂きました。
いま、やっぱりそうか!!と安心と喜びが生まれました。

ありがとうございます。
14期からZENサンガに参加させていただいています。これからもよろしくお願いします。
Posted by まこみこ at 2022年07月15日 04:00
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