2022年01月23日

反逆のススメ

多くの人が自分ではない誰かになろうとしています。

それは成長する過程で、自分自身でいることを許されなかったからです。

あるがままの自分は非難され、社会に順応する、あるべき姿を刷り込まれてきました。

親兄弟、教師や世間、あるいはマスコミなどによって、じわじわと刷り込みが繰り返されたのです。


社会は、できもしないことを強制します。

たとえば性への衝動も、表面的には抑制されます。

結婚相手以外との恋愛もご法度です。


でも人間はそのようにはできていません。

したがって社会の裏側では決して人には言えないような秘密事が渦巻いていて、それが個人に罪悪感を持たせます。

その結果、自分に後ろめたさを持ち、自分を否定し、自分ではない誰かを目指すのです。


このような生き方は、世間からはそれなりに評価されても、心の内側では決して幸せにはなれません。

むしろ内側に残るのは惨めさです。

これはいまに始まったことではなく、人間社会が誕生して以来、古今東西で繰り返されてきたことです。



ここで明らかにしたいのは、社会や国家というものは実体ではなく、人間が作り出した共同幻想に過ぎないということです。

そんなものは人々の頭の中にしかありません。


そして僕もあなたも、そのような共同幻想よりはるかに価値があります。

なぜなら僕たちは「存在の一部」だから。



反逆のススメ




真に自分自身を生きること以上に大切なことがあるでしょうか。

人の生き方には二つあると思っています。

一つは、社会を敵に回しても本当の自分自身を貫く生き方。

もう一つは、あるがままの自分を抑えて、社会から認められる生き方。


自分ではない誰かを生きるということには、あまりにも大きな代償が伴います。

ありもしない世間からの評価は得られても、実際の喜びは失うことになるからです。



先日のサンガ講演でも言いましたが、サンガはサンガの価値を学ぶ場所ではなく、人に合わせる場所でもなく、自分自身に立ち戻る勇気を育む場所です。


このような生き方は反逆的ですが、この反逆の中にこそ本当の愛が潜んでいます。

社会が繕う善ではなく、本当の意味での誠実さです。



しかしいまとなっては、自分が自分自身を生きるには、途方もない勇気が必要になります。

したがってこれからのメッセンジャーの役割は、真理の解説だけではなく、その人がその人自身を生きられる勇気を与えていくことだと思います。


宗教だとかスピリチュアルだとか、そんなストーリー(共同幻想)に自分を合わせようとする時代は終わりです。

このような反逆的な姿勢こそが、有史以来の意識変革につながると思っています。




今夜21時の日曜瞑想会はこちらです。

どなたでも無料で参加することができます。

https://youtu.be/8cNKAfD22NE













Posted by Toshiro Abe at 09:46│Comments(11)
この記事へのコメント
それが「教育」というものなのかな
時代に則した倫理や基準(普通)があって、それに乗らないと村八分になるのが島国日本なのかな…
LGBTが浸透する中、どんどん大きく変化しているのが分かります
自分の心を平和に保つには、原点に戻り自分に正直に生きるのが得策ですが、やはり周りの気持ちを考えますと「忖度」や「普通」を選択する自分がいます
Posted by ako at 2022年01月23日 10:05
これまでの時代は周りに自分を無理やり合わせて生きる時代でした→(>_<)←

苦しみながら周りに自分を合わせて自分を押し殺していく時代でした→(>_<)←

自分の外にあるものを重要視する時代でした↑

自分の外に幸せを見出す時代でした↑

これからの時代は自分に合っている生き方をする時代です←(*´▽`*)→

楽しみながら自分に合わせて自分を活かしていく時代です←(*´▽`*)→

自分の中にあるものを重要視する時代です↓

自分の中に幸せを見出す時代です↓

自分の中に幸せがあります◎

自分の中に幸せを見出すのが中道です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2022年01月23日 10:07
自分は、ただ自分に素直に生きたいだけです。
子供の頃から、そういう意味で「みんないっしょ~♪」と思ってました。
でも、そうして『素直に生きてる』と、
どうやら『周り』からは『反抗している』とか思われがちみたいですね。
不思議です。
Posted by ただの「自分」 at 2022年01月23日 10:46
ステキなメッセージありがとうございます。
とてもとても嬉しいです!
今夜、瞑想会でお会いできるのを楽しみにしております!
Posted by きよみ at 2022年01月23日 11:36
いつもありがとうございます、自分自身を生き切る為の反逆なら大賛成です。

リキんで力が入りそうなので取りあえずお茶を飲みます。(*^▽^*)
Posted by 洲鎌直喜洲鎌直喜 at 2022年01月23日 12:20
社会を敵に回したいくないし、真の自分を生きたいです!
表面上はそれなりにやって、自分を生きる。
有難い事にイイ線いってると思いま〜す♪
Posted by はなこ at 2022年01月23日 12:21
阿部さんいつもありがとうございます♡
感謝しています♡

ずっと自分を否定し憎み 嫌い
このままの自分はダメだから
なんとか這いあがろうと頑張って生きてきました。

いろんな本を読みあさり自分を愛そう
自分を許そうと書いてあったけど、
どうやっても自分を許せない。

人の期待にこたえて生きていけない。
落第者 相変わらず恐怖でビクビクしてる
弱い自分。

どうやっても自分を許せないし憎んでる
私は自分を許せない
どうやったら自分を許せるの?

でも昨日 どうせこんなダメな自分なんだから
こんな自分許さなくてもいい 憎んでいい
自分を愛さなくていい
嫌いでいいって思えたら
少し楽になりました


今日の瞑想会楽しみにしています♡
Posted by 今日は匿名です at 2022年01月23日 14:13
こんにちは♪人間は皆、弱いです!!同じです(笑)なので、そんな弱くさい他者を許してあげたら、自分も許せます。別に憎んだり嫌ったりとかする時間を他者に対する想像力、自分の心を分析する時間のが大事だよ♪し終わったら、どうでもいい。ってなるよ(笑)!阿部さん♪お話聴きに行きまーす♪←生で。←アラームセットか?
Posted by ピエコ at 2022年01月23日 15:32
今日の記事に似たメッセージを、以前にも読んだことがあるように感じたので、過去記事を探してみました。

2021年7月26日「”自分を生きる”ということの本当の意味」
『何を指針にして生きていますか。
親や教師や人の目が指針になっていませんか。
刷り込まれた倫理や道徳が指針になっていませんか。
これらに主導権を渡してしまうと、決して心の満足は得られません。
何かが違うという感覚を持ちながら生きることになります。
なぜそうなってしまうかと言えば、本当の自分を見失ってしまったから。
自分という存在を、他者の意見によって作ってしまったからです。
これが昨日の瞑想会でお話しした「偽の中心」です。
瞑想の本来の目的は、本当の自分の中心を再発見すること。
それは自分が宇宙全体だったことの気づきです。
そのとき初めて人は自らの直感を指針として生きることができます。
誰に命令されることも支配されることもありません。
社会全般がどんな正しさを持っていようと影響されません。
自らの光が、そして自らの真意が拠り所となります。
これが釈迦が最後に伝えたという
「自らを拠り所にせよ」(自灯明)の意味です。
「自灯明」という言葉を聞いて、多くの人は偽の中心を持ったまま自分を拠り所にしようとします。
その自分は他者の意見の寄せ集めであり、迷いと怖れに翻弄されていて定まるところがありません。
だから拠り所になどできるわけがないのです。
全体としての自分を発見して初めて人は、自灯明を生きることができます。
そしてその時、本当の個性が開花します。
偽の中心を持った状態は、真の個性ではなく借り物の個性、すなわち社会用の仮面を生きることになります。
繰り返しますが、そのような状態では、いかに社会的に成功しようと決して満足を得ることはできません。
満足とは本当の個性を生きることだからです。
社会人の生き方は、みんな似たように見えます。
目には生気がなく、まるでロボットのようです。
本当は一人一人が極めて個性的なのです。
それが総じて、宇宙的秩序による人類の開花に繋がります。
イミテーションからリアリティへ。
これが人生の究極目的であり、喜びに至る唯一の道です。』

「自分」という存在に元々ある、内在している本当の価値を見い出すのは、社会や世間や他人ではありません。

エゴは、他者から言われたことや社会的評価の方に判断基準を置いて、自分自身を評価し、「自分」の価値を決めてしまっていますが、それが否定的なら、「自分は価値のない人間である」と思い、それが肯定的なら、「自分は価値のある人間である」と思い込むことは、多くの人が持っている精神的傾向(ヴァーサナ)です。
しかし、この精神的傾向(ヴァーサナ)は、誰をも幸せにしません。
そのことに一日も早く気付くことで、真の幸せへの道が開けて来ます。

私たちは、自分のことは、自分が一番よく知っていますが、それでも、神があなたを知っている以上に、自分自身のことを知っているわけではありません。

このことは信じられないかもしれませんが、神は全知全能なのです。
自分が、自分自身の価値について疑いを持っていても、社会が価値のない人間だと評価しても、それはすべて、エゴの声であって、神のモノではありません。

神が、私たちの創造主であるならば、その創造主の中にこそ、この世のすべての存在の価値があるのであって、被創造物であるエゴが決めることではないのです。

そして、この世を創造した創造主なる神にとっては、この宇宙に存在するあらゆるモノに、何の価値のないモノなどあるはずがありません。
私たち人間には、能力に限界があるため、全知全能ではありませんので、すべてを知ることはできませんが、それでも、この世の存在、この世に起こるすべては、必然なのです。
ですから、すべてには、意味があり、そして存在する価値があるからこそ、存在するのです。

しかし、自分の中に、何にも影響されない無限の価値を見い出すためには、ある程度の、「闘い」を経験しなくてはならないかもしれません。

多くのエゴの声は、人間の尊厳の否定、価値の否定に偏っているからです。

自らが、自らの価値を認めることができれば、他者の価値を認めることもできるようになります。

私たちは、元々は”同じ一つのモノ”から生まれて来たのです。
表面的な違いは、一時的なモノであり、永遠ではありません。

>しかしいまとなっては、自分が自分自身を生きるには、途方もない勇気が必要になります。

>したがってこれからのメッセンジャーの役割は、真理の解説だけではなく、その人がその人自身を生きられる勇気を与えていくことだと思います。

エゴの声に耳を傾けないということは、社会的には、「反逆」を呼ばれるかもしれませんが、「自分が自分らしく生きる」ことは、「自分に嘘をつかないで生きる」ことであり、「真の自分を生きる」ということでもあります。
そして、これは、人間として生まれて来た誰もが、本来持っている「生きる権利」とも言えるものです。

「真の自分を生きる」ことは、誰にでも内在している「魂」の真の喜びです。
私たちは、いまここで、人間としての「生」を体験しているのは、この真の「魂」の喜びのためであり、それが、本当の「生きる歓び」なのです。
Posted by 真の自分を生きる from M-online at 2022年01月24日 01:32
すごい事書かれるなあと思いました。1つも社会に忖度する言葉がない。
私も勇気を出そう。
Posted by はる at 2022年01月28日 19:58
こちらの記事、読み応えがあるなあと想うのです。。

特にここ↓


『人の生き方には二つあると思っています。

一つは、社会を敵に回しても本当の自分自身を貫く生き方。

もう一つは、あるがままの自分を抑えて、社会から認められる生き方。』


どっちも究極的で笑っちゃうのですが(笑)

これどっちも嫌ですよね??

本当の自分自身を貫いて社会から認められる生き方、あるがままの自分で社会から認められる生き方という、第三の生き方はないのでしょうか(笑)

ない。いまのところない気はする(笑)

または、なんとなく近づく生き方はある?なんとなく?(笑)


笑っちゃうけど、すごく考える価値がある感じがする☆

それに、こういうことこそ考えたり話し合ったりしたいよ~的な感じもします(^^)


だから阿部さんのお話って面白いんですよね。

刺激に感じることが尽きないというか、「生」全体をとても愛することに繋がるというか…

いまの私には言葉に出来ないけれど、素晴らしいなと想います(T_T)


そういえば先日の瞑想会で智子さんとお話されていたことも、これに通じる内容でしたよね。(教育を例に取り上げて、社会システムを考える必要があるというお話)

あのお話もやはり楽しかったです(^^)

またお話聴かせてください☆

ありがとうございます(^^)
Posted by スズメ at 2022年02月26日 00:55
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