2016年06月28日

「人は死なない」ということについてのエッセンス

四方から聞こえてくるセミの声。

沖縄はすっかり夏模様です。


さていきなりですが、死について書いてみます。


あなたは死なない


以上です(笑)


心の源の静寂を知っている人は、その静寂の感覚を思い出してみてください。

その感覚は10年前も、そしていまも、何も変わらないことがわかるでしょう。

そして思い出してみれば、その感覚は物心ついてからずっとあなたとして在り続けていました。


活動に埋没しているときも、見失っているだけでその静寂はいつも底辺にあります。

いついかなる時も、あなたとして存在している存在感。

年齢を重ねても、自分が何も変わっていないような気がするのは、その存在が時間や出来事に影響されていないからです。


その存在は、実は我々が物心つく前からありました。

もっと言えば、身体が生まれる前からありましたし、身体が朽ちた後も、何も変わらずいまここに在り続けています。

そのことをもって、人は死なないと言うのです。


同じように「人は死なない」という人の中には、死んでも自分という個(自我)が残り続けて、あの世に行ったり生まれ変わったりすると言う人もいますが、そうではありません。

自我は精神と肉体から生じているので、肉体の消滅と共に消え失せます。

でもあなたは残ります。


そこに残ったあなたは、分離した個としての存在ではありません。

そのあなたこそが本当の自分であることを、あなたは心の深いところで知っているのですが、表面的な自己感覚をリアルなものとして馴染んできたので、ピンとこないだけです。


偽物の自分が消えて、本物の自分が残る。

消えるのが偽物なので、実際には何も失わないということです。


それでも日々の出来事は続いていきます。

一喜一憂する夢を見ながら、今日もこの現象界を生きています。



なにか書こうとすると、浮世離れした言葉がつらつらと出てきますが、結局のところ、あいかわらずいまがあるだけですね。


僕は違う夢を見ているあなたであり、あなたはあなたの夢を見ている僕です。


・・・・・・・・・・


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Posted by Toshiro Abe at 11:28│Comments(45)
この記事へのコメント
「こんなこと思っている自分はいつ生まれたんだろ?」と考えるクセが子どもの頃からあります。一方で、過去の自分に関する記憶はほとんど他人事のような気もしています。今日のメッセージがその答えなのでしょう。最後に残る「あなた」つまり本当の自分の実在が、腹のそこから解る日がくるのでしょうか。今の私にには謎です。
Posted by Ally at 2016年06月28日 11:41
いつも更新ありがとうございます。
わたしが命
わたしは死ねない
夢中な時って自分はいない気がします。
夢の中なの?
という思考が湧いてきました。
なんでだろ~
Posted by 尚 at 2016年06月28日 11:46
Body is gone.

Mind is gone.

But

Consciousness remains.


Consciousness is eternal.


肉体はなくなります。

精神はなくなります。


しかし

意識は残ります。


意識は永遠です。


とボブさんが語った言葉が

心にとても残っています。


永遠の静寂の意識が

肉体・精神というダイナミックな現象を体験しています。


永遠の静寂の意識が

「わたしの人生」という映画を体験しています。
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年06月28日 12:04
そっかあ、わかりやすいです。

いつもありがとうございます。
Posted by 章記 at 2016年06月28日 12:06
大きな自分が、小さな自分をいつも見守っていたんですね。
Posted by ヘッドロココ at 2016年06月28日 12:08
阿部さんが以前から言っておられる「それ」というヤツですね。
しかし私は今までに、「それ」が別のものに置き換わるということを経験しています。
意識がグルんと反転するというヤツです。
ま、17年前の「それ」に戻るだけなんですけどね。
Posted by とん at 2016年06月28日 13:04
いま、こんな思考が沸き起こりました。前回の帰国でほんの少しだけ阿部さんと握手をして話ができた。いつ帰国できるかわからないし、もう二度とないかもしれないけど、もう一度だけでも、阿部さんと笑顔で握手ができる日が来てほしいなぁ。

所詮は分離した自我の夢想。私はその分離した自我の感覚とともに、これからも娑婆を生き続けます。そのなかで、阿部さんや黒斎さんと胸襟を開いてお話しできる日がくればいいのになぁと、海の向こうで夢想しております。
Posted by クゥ at 2016年06月28日 13:08
人は死なない、ではなく、意識体は死なない、永遠だ、でしょうね。

人が肉体を指すなら、肉体という物質には終わりがあり、
それを3次元では、人の死という訳ですし。

私とかあなたとかという表現方法が、ごっちゃになって、
混乱してしまう気がしますね。

静寂の境地は、空であり無であり、空っぽ。
そして全体意識の片っ方でしかない。

かんながらもリーラも、命がないと体験できないんですよ。
命があってこそ、空と共振し、ゼロポイントから、現象化が起きる。

肉体の死は、残念とも言えるし、意識体の次のステップなんでしょうね。
Posted by カララ at 2016年06月28日 13:33
あべっち、今日もバッチグーなメッセージありがとうヾ(@⌒ー⌒@)ノ
スッキリ爽やか嬉しいなあ
「あべっち」だって...
でもそんな表現がピッタリしたんだな
阿部さんすみませ〜ん(≧▽≦) 
Posted by プリン at 2016年06月28日 13:35
スピリチュアルテレビのテディさん(小泉義仁さん)が 亡くなりましたね。
あっという間の出来事でした。
テディさんは あの大きな体が無くなった今も ここにあり続けるのでしょうか。
テディさんには スピリチュアル界の色んな方と出会わせて頂き
黒齋さんや大和田さんや向さんやあゆかさんの動画も簡単に見ることができる環境を作って頂きました。

なんか外に求める時代が終わりを告げた感じがしました。
Posted by 矢車菊 at 2016年06月28日 13:58
阿部さん毎日毎日お疲れ様です。
今回、死についてですか?
ブログには何を書いてもいいのでしょうが、どうも今回はなんだか、オウム真理教みたいですね。(汗 聖書も、聖書を解釈する人も、仏典も、宗教書のなにもかも、【見てきたような嘘を書き(つき)】といつも思っていました。 理解している方はいい気持ちなのかもしれませんが、どうもイライラします。 死んだ人がいうならまだしも、死んでもいないのに、おわかりとは恐れ入ります。 私も同じ人間なのでしょうか?
Posted by アイザック at 2016年06月28日 14:08
いろんなことを考える思考や いろんなことを感じる感情や、
そこから出てくる個性や性格 というものは ほんっとに表面的なものにすぎないんだなと 今日のお話を読んでいて感じました。

ほんとは根っこではつながっているという意味で すべてひとつのものなんですね。それをこうして感じられるのもブラボーなことだなぁと思います。この感覚を人と分かち合えたとき、心がブワッとあたたかくなります。
Posted by 薄茶色 at 2016年06月28日 14:13
いつもありがとうございます。
 
今日も善きいちにちになちますおうに
Posted by ほったん at 2016年06月28日 15:24
矢車菊さん

そうですか、テディさん急でしたね。

まったく知りませんでした。

前回動画対話したのが僕にとっての最後でした。

また動画を見てみます。


アイザックさん

>死んだ人がいうならまだしも、死んでもいないのに、おわかりとは恐れ入ります。

僕も、あの世や転生について語る人を同じように思います(笑)

それなのにお前は何で断定的に語るのかということですが、内なる体験が古今東西で語られてきた記録と一致していることから、その報告をしています。

科学の発見は万人で共有できますが、内なる発見はそうはいかないことが、同じテーマを何千年も語り続けることになっているのだと思います。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2016年06月28日 15:29
アイザックさんのコメントと薄茶色さんのコメントが対照的なのが興味深いです。
Posted by ken at 2016年06月28日 15:29
\(^^)/
Posted by ともこ at 2016年06月28日 15:29
♡ブログの更新ありがとうごさいます。

今日も、感心を起こさせ、自我に活動をさせる機会を頂き、ありがとうごさいます。

☆この産み出された“自我”に成り代わる意味での、御礼を申し上げます。(_ _)

もう、大概の日常茶飯事的な、刺激が訪れようとも、“波立たぬところ”に、いつでも戻れるような、

意識の(焦点の)習慣が、ついていらっしゃるように、お見受け致しますので、

探求心などは、ほとんど起こらないと思いますが・・


>>「人は死なない」という人の中には、死んでも自分という個(自我)が残り続けて、

>>あの世に行ったり生まれ変わったりすると言う人もいますが、

>>そうではありません。

なぜ、そのように公然と発表することが出来るのでしょう?

阿部さんが、波立たぬ「本質」や、「私」の発信元を、直の感覚として、いつでも、味あわれ、確認でき、自覚されていらっしゃるように、

幽体離脱、体外離脱、意識拡大など、日頃の感覚として合われ、確認でき、自覚として、現実として、体験してる人や、“自我”もあるのではないでしょうか?

>>自我は精神と肉体から生じているので、肉体の消滅と共に消え失せます。

この肉体の五感、六感や、ましてや、個人的肉体の特性の範囲での、

気づけて、感じられて、理解出来る物事、“現象”なんて、

森羅万象の中ては、極々、僅かですよね。

たとえそれが、「夢」と命名する「思考・思い込み」、「観念」、「概念」だとしても、

それが、ノンデュアリティ信奉者の間で、“属に言われている、”表面的に起こっているすべての現象の、原因や創造の元でもありますよね。

自分・自我が、見えないから、聞こえないから、感じられないから、

知らないから、難しいから、解らないから、

面倒だから、不快だから、不愉快だから、難しいから、

狼狽えさせるから、不都合だから、忌々しいから、辛くなるから、悲しくなるから、頭にくるから・・って、

自分やその自我が、知ることが出来ない現象だって、その仕組みだってあるはずではないでしょうか。

しかし、無くなりなりたい経験をしている人・人間の自我だって
、たくさんいるでしょうに・・

死なない、無くなれないなんて、酷い現実だし、不自由ですね。
Posted by y-be at 2016年06月28日 16:54
>消えるのが偽物なので、実際には何も失わないということです。

うわぁ、いなずまがはしりました(笑)そういうことですよね。激しく同意です。

個が残る説は、説であって、その個が消える 体験が一瞥です。

これは、阿部さんでも 私でも自分で確認できたことですから、動きませんね。

いつまでも ご健勝にて お過ごしくださいね。にぃ。
Posted by Ryuji at 2016年06月28日 17:28
大空さんのコメントが
スーッと入りました。
何だかうれしいです。
ありがとうございます。
Posted by モルゲン at 2016年06月28日 17:43
肉体を離れた後の存在にとって、
肉体に付属していた自我意識が認識していた"時間"の観念が、肉体と共に消失するのは、
理屈から言っても、当然であるように感じます。

このことをもう少し押し広げて考えると、
"いま"も"ここ"も、人間の意識が認識する限定された世界にのみ存在する、と言えるのではないでしょうか?

人間だからこそ、"いまここ"は大切な"形ある世界"だと思いますが、
人間の本質を生と死を越えた存在として考えた場合、
真の実在は、"いま"も"ここ"をも越えた普遍的な存在であり、
だからこそ、時空間のない次元の存在として、
永遠、無限という表現でしか言い表せない、ということなのだと思います。

いろいろ理屈を書きましたが、
阿部さんも私も、そしてすべての人は、"いまここ"で、たったひとつの真実に向かって前進しています。

自覚がなくてもあっても、そこに違いはありません。

自分の本質が、すべての存在の源である"それ"である、と完全に思い出すまで、
そして、"それ"のみが、この宇宙で唯一の実在であるとわかるまで、
個の道は、生と死を越えて延々と続いていくことでしょう。

個の魂の旅は、全体へ帰還した時に終わります。
その時には、真の実在である真我が目覚め、個はその役割を終えます。

ひとりひとりのプロセスは違いますが、ゴールは一つであり、
それそれが時空間の中で、顕れたり消えたりして、プロセスを進め、
カルマを通して学び、個を卒業していく、そんなイメージで考えると理解しやすいと思います。
Posted by 抽象的な言い方ですが at 2016年06月28日 17:45
> y-be さんへ

厳密に言えば生まれてないから死ぬこともないということですよ。体は生まれてますけどね。世界から切り離されて独自に動く「自分」というものは生まれてない。

体は世界と連動してしか動く事ができなくて決して独自に動く事はないんだげと切り離されて独自に動くと錯覚しているために「自分が居る」、「他人が居る」、「自分とは関係なく個別にバラバラに動く世界がある」等の分離幻想に繋がる。
しかしその認識自体が間違いなんです。その間違った認識から派生して考えられた「霊がある」という考え方もまた間違いです。

ただし分離幻想を持っている限りそれは自分が居る他人が居ると感じられるのと同じぐらいのリアリティーを伴って存在しているように感じるかも知れません。
催眠術でないものをあると思い込まされた人のようなものです。居ると信じるのならそれは本当に居るようにしか感じられません。
Posted by N at 2016年06月28日 18:09
父が死んだばかりだったので、このタイミングで読めたことに感謝します。
阿部さん、ありがとうございます。
Posted by トサオ at 2016年06月28日 18:51
y-beさん


コメント読ませていただきました。

y-beさんの言わんとしていることを、分かっていないかも知れないのですが、浮かんだことをお話しさせてください。

・・・・・


人は、ぐっすり眠ると「あ~よく寝た~☆」って
気分爽快じゃないですか。


逆に、頭が冴えたまま眠ったようなときって、あんまり眠れなかった感じがして。。


何が言いたいというと、人はぐっすり眠ったときに幸せを感じると思うんです。

頭をしっかり休めるというのでしょうか…


それは、普段の暮らしのなかでは、日中にあまり考えすぎずに、目の前のことに取り組んでいくことでもあるかなと思うんです。


そして、考えすぎないことや、ぐっすり眠って考えないことは、すごく休まることだと思うんです。


y-beさんに、コメントを控えて休めって言ってるわけじゃないですよ。


ただ、このぐっすり眠った時のような感覚を日中に持ち込めると、物事がどうあってもいい、こだわらない感覚が存在するようになる。と、自分の体験から思います。


それは、生きていく上で楽です。



以上です。失礼いたしました(^^)
Posted by ようこ at 2016年06月28日 18:55
肉体は、この世界を楽しむ乗り物ではあるが、楽しむ「本質」は個人ではないので、乗り物が壊れても本質には何ら変わりは無い。

テディさんの肉体は無くなりましたが、本質はまったくそのままですね!^^
Posted by 近藤 at 2016年06月28日 19:04
「すべて」に戻る

「すべて」に成る

でよろしいっすか?

「自分」が消えたらすべてが残るので
Posted by 本当の自分である「無」に成る= at 2016年06月28日 19:44
y-beさん

阿部さんに意見する役割を、姉御さん、AQU@さん、y-beさん、とバトンタッチしてるように見えます。

自分の思い描く真理と噛み合わないと、そんな気持ち悪いですか。

それとも、阿部さんのメッセージを、皆が鵜呑みにするのを危険視されているんでしょうか。

(姉御さんやAQU@さんのもそうだったけど)言葉は丁寧でも、メッセージ全体に固さを感じることがあるので、

正しさの追求は、ほどほどに、気楽に優しい気持ちでコメントして欲しいです。
Posted by rakuni... at 2016年06月28日 20:37
ようこさんの、

>ぐっすり眠って考えないことは、
>すごく休まることだと思うんです。

が、胸にずきゅーん!てきました((o(^∇^)o))

改めて、考え過ぎないって大事なことだと思いました。

ようこさん阿部さん、
ありがとうございます(*^^*)
Posted by じゅーじゅ。 at 2016年06月28日 20:53
◑Nさん、ようこさん、遅くなりました。コメントありがとうごさいます。

お二人の言わんとしていることは、逆にお二人と違ってなのか・・?(分かりませんが)

理解していますし、自分の身体での、確認もしています。

また、日頃、他人を観察していても、やはり、(外側からですが)、確認していますし、実感として、確かめられます。

大空さんの信奉する偉大な方たちだって、(トニー・パーソンズさんは別です)色々な言葉を書き取り、或いはコピーし、スマホに残して、必要な時に、よく噛みしめておりました。

すべてが、個人の意志とは、関係無く、起きている(自動的)とは、本当でしょうか?

別の言い方をするなら、あらゆる可能性を秘めた、全ての現れ、現象の背後にある共通の「本質」、喩えや、限定や、概念付けが一切出来ないであろう(推測しか出来ない)“実在”は、

私たち?の本質でも、ある事ですよね。


そして、“いまここ”は、そういう実在(わたし)を忘れ、或いは最初から判らず、経験する現象、創造の場所、界隈ですよね。

意識を・認識体験をしているわけですよね。

阿部さんも、純粋な意識から、認識の違いが起こることを、「乗り物の違い」という表現で、話された事は、つい最近のことですよね。

何よりも、こうして、“互いの感性”でのコメントを交わしているのが、実証ですよね。それが、

★「錯覚というカテゴリー」にされても、人間だけでなく、たの生き物、自然界でも、起こっていますよね。

だから、色々なものが、見えるし、観えるし、知ることが出来るし、感じることが出来るし、

違いや、知ること(体験できる)の限界もありますよね。

それも、その働き(自動的)も、自然に起こっていますよね。

現実感も、人間に限らず、個体(乗り物)数だけ、ありますよね。

面倒くさい、読むのも、理解するのも、辛いというのも、そんな事は、関係なく受け入れよう、愛そうとすることも・・

その選択をするとき、好きか?嫌いか?コメントをしようか?しまいか?となるとき、

そこに、人間の場合、選択の自由が与えられてませんでしょうか?

よくご自身を、いやいや、ただ“在る”としか表現できない、

静かなる我々共通の純粋意識?を観察して下さい。

そこから、「~しよう」、「~やめよう」との、“表現”を、“選択”できる”自由意志”が、ありませんか?

そして、それは、我々共通の、「わたし」ではないでしょうか?

テディさんの動画配信がなければ、菜穂さんや、阿部さんと巡り会えませんでしたし、

他にも、探求を短く推し進める上で、とてもお世話になりました。

倒れられる前に初めて、チャットですが、話しを交わしましたが、

今の自分の意識や、認識があるのも、テディさんのお働きがあったればこそでも、あり、

極真理の観点からは、立場からは、意味は、無いですが、

人間として、自然に錯覚している、もとい、現れているので、、

テディさんの、肉体の死を、この乗り物なりに、考えてみたいと、味わってみたいと、

「リ~ラ♪」してみたいと思います。

ほら、ここにも、他人を識別したり、悼むことが、自然に起こっている。

それを選択することも、しないことも、感心が起こらないことも、
 
自分・自我の世界観に浸ることも、閉じこもることも・・


☆真面目にコメントする機会を頂き、ありがとうごさいます。<(_ _)>

また、お願い致します。♡

この静寂の場から、シヴァの立場を連想しながら(無理ですが)、楽しい会話を交わしたいと思います。

阿部さん、掲載して頂き、ありがとうごさいます。<(_ _)>
Posted by y-be at 2016年06月28日 21:29
あべさんの著書は全て読み、講演会にも参加しました。
また、ブログもリーラの前から時々読んでいます。
いまある感覚、いまここ、静寂についての説明は、わかりやすく、的確なので、なにも知らないビギナー向けでは、あべさんが日本では1番ではないかと思います。
が、時折、ナルシスト的な発言を感じがして、げんなりします。
お会いして話したときも元芸能人っぽい話し方、ふるまいがなんともアンバランスで、、、
いろいろ誤解をうけるのはこのあたりがはなにつくからなんだろうなあ、と感じました。
大物なのに、ちっさくまとまっていてもったいないです。
Posted by るるぶ at 2016年06月28日 21:57
あべさん。ありがとう。
12年家族として共に生活をしていた、犬が死にました。阿部さんの伝えたいことはすごくわかるんですが、すごく、すごく寂しいです。
今私のこの現実での夢は犬をなくして、さみしい。とても悲しを夢みています。これから眠りにつく前にこのブログを読めて良かったです。眠りにつくと、見る夢はなんなんだろう
Posted by のばら at 2016年06月28日 22:26
rakuniさん、よくぞ!言って下さいました。

♡止めて頂き、ありがとうごさいました。

そうです。おっしゃる通りです。

非二元は、すべてを含むことを表す“言葉”だとの、私・個人(どちらも、いないのですよね)の理解から、

ノンデュアリティを理解して、その境地、或いは、その意識の出発点から、物事や、

あらゆることを観る人たち(いないのですよね)は、

すべてを受け入れられるはずだ。

理解が、本当に達しているなら、気にならない「心」になっているはずだ。との思いが、

このコメントをさせているのです。

結局、見方によっては、すべての現れの人たちが、何をやっても、一つのものの、気晴らしで、茶番でも、ありますが、


私は、

知らぬが「仏」よりも、

知っても「仏」が、ノンデュアリティを、

お釈迦様が理解した「心」だと思いますので、

このような、誰からも、忌み嫌われる体現を表しているのです。

でも、Nさん、ようこさん、rakuniさん、止めて頂き、ありがとうごさいました。

阿部さんも、理解頂き、ありがとうごさいました。

★関心や、コメントは、もう、控えますよ。(^_^)v

♡お幸せに~
Posted by y-be at 2016年06月28日 23:07
つらいつらいつらいなあ。
うぎゃあ。
Posted by T at 2016年06月28日 23:11
結局のところ、死後の世界は分からない。
分からないもんだから、それを語るいろんな人の本やブログを読んだり、講演会に行ってみたりもする。そしてますます分からなくなる。
だから、自分の思うところで良いのではないか。
自分に取って良いと思えるところだけを集めておけばいいかと…
昨年、大切な人と死別した者としてはそのように思っております。
Posted by ななみん at 2016年06月28日 23:11
いろいろな人がいて、いろいろな考え方があり、
それぞれが、それぞれのフィルターを通して、世界を解釈する。

その人の意識の開き具合、或いは、理解度が、その人にとってはすべての判断基準なので、
記事の内容を理解できなかったり、無知から来る反論、異論は仕方がないと言えば、仕方ありませんが、
この百花繚乱状態こそが、二元世界の醍醐味とは言え、
多くの無理解の中で、たった一つの真実を伝えようとする阿部さんの粘り強い姿勢には、頭が下がります。

意識の開き具合と理解度は、経験により決定されます。

だからこそ、経験こそが、なかなか承服しない自我意識に対する最も説得力のある教師と言えるのでしょう。

瞑想の実践を積むことで、心が静かに穏やかになり、
意識の闇に光が差し、自己の意識が真の叡智に開かれていけば、
自ずと、真理は明らかになると思います。

長い道のりですが、一歩づつでも進めていくしかありません。

瞑想ばかりでなく、あらゆる霊的探求における実践は、この歩みを加速させると思っています。

いつか究極のゴールに達するために、
この二元世界では、自己努力も多少は必要だということなのでしょうね。
Posted by リーラという夢 at 2016年06月28日 23:20
rakuniさん、よくぞ!言って下さいました。

♡止めて頂き、ありがとうごさいました。

そうです。おっしゃる通りです。

非二元は、すべてを含むことを表す“言葉”だとの、私・個人(どちらも、いないのですよね)の理解から、

ノンデュアリティを理解して、その境地、或いは、その意識の出発点から、物事や、

あらゆることを観る人たち(いないのですよね)は、

すべてを受け入れられるはずだ。

理解が、本当に達しているなら、気にならない「心」になっているはずだ。との思いが、

このコメントをさせているのです。

結局、見方によっては、すべての現れの人たちが、何をやっても、一つのものの、気晴らしで、茶番でも、ありますが、


私は、

知らぬが「仏」よりも、

知っても「仏」が、ノンデュアリティを、

お釈迦様が理解した「心」だと思いますので、

このような、誰からも、忌み嫌われる体現を表しているのです。

でも、Nさん、ようこさん、rakuniさん、止めて頂き、ありがとうごさいました。

阿部さんも、ご理解頂き、ありがとうごさいました。

★私は、肉体や、心や、自我のハートにも、縛られない本当のノンデュアリティストを目指します。(習慣づけます)

興味や関心を惹かれることへの、コメントも、もう、控えるように致します。(^_^)v

♡rakunimaritaiさん、お幸せに。
Posted by y-be at 2016年06月29日 00:00
rakuniさん、よくぞ!言って下さいました。

♡止めて頂き、ありがとうごさいました。

そうです。おっしゃる通りです。

非二元は、すべてを含むことを表す“言葉”だとの、私・個人(どちらも、いないのですよね)の理解から、

ノンデュアリティを理解して、その境地、或いは、その意識の出発点から、物事や、

あらゆることを観る人たち(いないのですよね)は、

すべてを受け入れられるはずだ。

理解が、本当に達しているなら、気にならない「心」になっているはずだ。との思いが、

このコメントをさせているのです。

結局、見方によっては、すべての現れの人たちが、何をやっても、一つのものの、気晴らしで、茶番でも、ありますが、


私は、

知らぬが「仏」よりも、

知っても「仏」が、ノンデュアリティを、

お釈迦様が理解した「心」だと思いますので、

このような、誰からも、忌み嫌われる体現を表しているのです。

でも、Nさん、ようこさん、rakuniさん、止めて頂き、ありがとうごさいました。

阿部さんも、ご理解頂き、ありがとうごさいました。

★私は、肉体や、心や、自我のハートにも、縛られない本当のノンデュアリティストを目指します。(習慣づけます)

興味や関心を惹かれることへの、コメントも、もう、控えるように致します。(^_^)v

♡rakunimaritaiさん、お幸せに。
Posted by y-be at 2016年06月29日 00:00
じゅーじゅさん、y-beさん


お付き合いくださり、ありがとうございます(^^)
Posted by ようこ at 2016年06月29日 00:09
y-beさん

> rakuniさん、よくぞ!言って下さいました。

あ、いえ、まさか、ご当人から、そんな言葉を頂くとは、思っていませんでした。

本当にそれこそ、コメントを控えて欲しいとは、申しておりませんので、
個人的にはコメントしたいことがあれば、
素直にコメントした方がよいと思っていますが、
書く書かないは、y-beさんのご意思にお任せします。

y-beさんも気楽に生きてください。お互い幸せになりましょう。
Posted by rakuni... at 2016年06月29日 02:09
肉体レベルで死ぬ前であっても…

存在しているすべてのものは現れては消えて行く幻で
存在ではない無だけはそうではないなぁ

ということがわかります

想念が現実化しているこの現象界…

ということは想念=存在であるわけですから
存在ではない無とは無念無想の静寂のこと



静寂だけは不生不滅
静寂だけは生死を越えている…

静寂こそが愛であり
それ以外の存在するすべてのものは愛の顕れであって
本当は幻…夢…

とは言え

いつの日か旅立つ日が来るということを受け入れるなら
この現象界はとても神聖なものになりますよね

なので

毎瞬毎瞬大切に今を生きることにいたしましょう


愛☆愛☆


それではおやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2016年06月29日 02:59
「本当の自分」を探していた時期があります。
自分の中心を取り、それを天地につなぐセンタリングの技術を覚えて、
いつの間にか、それを意識するだけで、地に足が付き、天ともつながってる気がして、
生きてる充実感を感じるようになり、どうやらそれが「本当の自分」という気がする、これでいい、
と思うようになりました。

そのうち、その感覚が、実は子供の頃から全く変わっていないものだとも気付き、
楽しくても辛くても、そう感じていると自覚している「それ」とも同じ感じがするとも思いました。

センタリングから覚え、子供の頃からあったとも思いだした「これ」が、
阿部さんの「それ」でもあり、「全て」でなんでしょうかね?

この皮膚の内側でしか知らないですが、いつか、自分の「これ」が、
全体に広がり(というのは違うんでしょうけど、そうしか表現しようがない)、
全体の中の「この自分」という存在と認識するようになるんでしょうかね?
Posted by ただの「自分」 at 2016年06月29日 04:10
阿部さん、いつもブログを楽しみにしています。
昔と今と自分はそんなに変わっていない、
周りや、姿は変化しているけれど、「時間や周りに
左右されないもの」それが感覚としてある。
これは忘れ去られた真実なのですね。
有難うございます。
Posted by taruto at 2016年06月29日 09:47
阿部さんが書かれている"心の源の静寂"というものが、何を指すのか?は、はっきりとはわかりませんが、
宇宙根元のエネルギーであるプラーナと呼ばれる超微細エネルギーを、肉体に付随する五感で捕らえることは、まず不可能だと思います。

生体エネルギーは、気とも呼ばれ、これは少し敏感な人なら、感じることは可能です。
しかし、この生体エネルギーは、プラーナよりも粗いエネルギーなので、超微細エネルギーであるプラーナとは違います。

心が静かになって初めて、準備が整いますが、静寂=プラーナではありませんので、
どんなに静寂の中に在っても、真我が目覚めているとは言えません。
 
ディアーナの次の段階、サマディに至るには、自己努力では叶わない、所謂、恩寵が必要です。

最後の至福は、神が微笑むかどうか、にかかっていると言えますが、
心の静寂は、自己努力次第で獲得できると思います。

どんな時にも、心が穏やかで静かな状態であると、
それだけでも、人生を生きるのに、とっても楽になると思います。
 
この心の静寂は、瞑想で体験することができますね。
Posted by プラーナである真我 at 2016年06月29日 10:07
答えられる人はいないと思うけど、一応問う。

生まれたばかりの子供に本来本当の自己意識というものは既に備わってるのでしょうか?
これら本来本当の自己意識というものは、母親が妊娠したときに同時に備わるものなのでしょうか?
これらを持たない子供はどのような存在でしょうか?
Posted by 通りすがり at 2016年06月29日 11:37
阿部さん
今日の記事ありがとうございました。
ホットラインへの質問が完結しました。
Posted by MA712 at 2016年06月29日 12:35
毎日のように小泉さんの動画、ベットの中でイヤホーン着けて子守唄のように聴いています、信じられません?ショックです
Posted by ゆきやなぎ at 2016年07月04日 19:09
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