2021年09月13日

人間の価値

昨日、何気にT Vをつけたら大阪西成地区で古紙回収の仕事をしている中高年の男性たちの共同生活が紹介されていました。

元々はホームレスだったり行き場をなくした人たちで、長期の人は廃屋のような家での共同生活を40年以上続けています。


一生懸命に生きても、そのような生活に流されていく。

これは一つの現実であり、「自己責任」などという言葉で決めつけられるものではありません。


そして彼らを敗者として見る風潮。

ましてや彼らは汚いから死んでもいいというような考えは、人間の価値が行為やその成果によって決まるという誤解から来ています。

これは完全に幻想の中を生きている人たちの考え方です。


人間の価値とは行為によって測られるものではなく、存在自体に初めから無条件に備わっているものです。

そんな話を昨日の瞑想会のトークでさせてもらいました。


行為は人間の周辺的な現れに過ぎません。

人は行為や思考を総計したより、もっとずっと偉大なものなのです。

それをダイレクトに感じるためには、あらゆる行為を止めて、さらには精神的行為である思考も止めて、それらの背後にある実存に出会うことしかありません。

そこにとてつもない価値が潜んでいるのですが、これは例外なく全ての人に言える事です


あらゆる命への共感。

この感覚が見失われてしまったことが、歪な社会を作り出したと感じています。



人間の価値


まずはあるがままの命に落ち着くこと。

するとそこから展開するものがあります。

何をするにも幸福感が影のように寄り添ってくれるでしょう。

これが生きる極意だと思います。


・・・・・


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大人数での伝授はパワフルな体験になりますので、ご都合がつく方はいらしてください。

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Posted by Toshiro Abe at 16:13│Comments(8)
この記事へのコメント
あべさんこんにちわ。
北海道は豪雨&雷の昨日が打って変わって!
秋晴れの寒いお天気に。
山ではきのこが大量にとれました。感謝。晩御飯はきのこのお味噌汁。
阿部さん録画動画配信ありがとう。
昨日、なぜか・・?歌だけ2曲とも間に合って。
とっても良かったのですが、お話も、ぜひ聞きたかったのでラッキー☆
ディードリームとてもかわいい曲
阿部さんの声もきれい。
音楽はいやしですね。さださんも大好きです。
ホームレスの方のお話も聞けて良かった。
ダイゴでしたっけ?あの考え方は私も嫌いです。
高級ワイン片手に上から目線、なぜに若者に人気??
人を排除する(差別)する人はきっと自分が嫌い・・恐れがあるのでしょう。
人にとじ。自分にとじ。
心が開かれる、いいですね―。祈ります。
瞑想は苦手ですが、お祈りします。
歌はいやし。ミュージシャンあべっち。
素敵なタラント。私にも何かないかなー。。
Posted by さつき姫 at 2021年09月13日 17:25
お金があろうがなかろうが
深い眠りに入って↓
深い安らぎに入れば↓
みんな同じです―――

地位があろうがなかろうが
深い眠りに入って↓
深い安らぎに入れば↓
みんな同じです―――

男だろうが女だろうが
深い眠りに入って↓
深い安らぎに入れば↓
みんな同じです―――

若者だろうが老人だろうが
深い眠りに入って↓
深い安らぎに入れば↓
みんな同じです―――

意識を保ったまま
深い眠りに入っているように↓
深い安らぎに入るのが瞑想です―――

深い瞑想に入って↓
深い安らぎに入れば↓
みんな同じです―――
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年09月13日 17:42
>あらゆる命への共感。

>この感覚が見失われてしまったことが、歪な社会を作り出したと感じています。

『歪な社会』であっても、その全ての人が、その根本に
>まずはあるがままの命に落ち着くこと。
こう在る・・・・・『既に』こう在ることに気付けること。
ただそれだけでいいですよね・・・・・。

なんだかんだ言っても、それ以外に無いだろうと、自分も思います。
Posted by ただの「自分」 at 2021年09月13日 17:56
こんばんは、いつも貴重な体験させていただいています。ところであのフェンダーはいつ火を噴くんですか。
Posted by makotoazuma at 2021年09月13日 19:01
皆んなしあわせに憧れ

誰もが自分のしあわせに急ぎ

開発という破壊の結果

昭和のスーパースター タガメもゲンゴロウも

まもなく絶滅する

蚊も 蜂も 白蟻も ゴキブリも 山から降りてきた猪も猿も

駆除殺傷処分じゃなくて 生きながらお里へ返せないものか

夢見心地の神様にLINEしよう

10円玉の赤電話 神様にダイヤル回してみよう

氷水ぶっかけちゃうぞ

遠くの山を見つめてみよう

たまには星を数えてみよう
Posted by かまちゃん at 2021年09月14日 00:01
>人間の価値とは行為によって測られるものではなく、存在自体に初めから無条件に備わっているものです。

人間の価値に関する個々人の考え方は、良いとか悪いというような道徳的なモラルが基準となって形成されている訳ではなく、むしろ、その個人の人生観や世界観、はたまた意識の在り方が反映されていると見る方が妥当だと感じています。
そして、個人の人生観や世界観、意識の在り方というのは、人生で起こる体験によって、大きな影響を受けています。

>そして彼らを敗者として見る風潮。

>ましてや彼らは汚いから死んでもいいというような考えは、人間の価値が行為やその成果によって決まるという誤解から来ています。

そういう世界観を持っている人たちにとっては、そのように考えることは自然であり、当然なのでしょうが、世の中には、異なる考えの人々もいます。

しかし、いくら両者が意見を言い合っても、お互いに、けっして、相容れないことでしょう。

同じ地球の人間同士でありながら、観ている世界の解釈が全く異なるので、お互いに、別の世界にいるように感じることもあることでしょう。

生まれた背景や育った環境、人生における体験の一つ一つが、人格や性格、思想、性癖などを形成する要素として働くので、この世に誰一人同じように考え、行動する人はいません。

価値観の異なる人間同士は、何処まで行っても平行線であり、マインドの世界におけることなので、ある意味、仕方のないことだと感じています。

>それをダイレクトに感じるためには、あらゆる行為を止めて、さらには精神的行為である思考も止めて、それらの背後にある実存に出会うことしかありません。

>そこにとてつもない価値が潜んでいるのですが、これは例外なく全ての人に言える事です。

昨日の記事のコメント欄に、

>己の中(最奥の領域)に、至高の宝である「永遠の命」という秘宝を発見することで、自己に対する価値観が一変することでしょう。

>「永遠の命」は、別名、「神」(真我)です。

>Tat Tvam Asi  ソレが、あなたである。(チャーンドーギャ・ウパニシャッド)

と書きましたが、これは、私にとっては真理ですが、そうは思えない人もいらっしゃることでしょう。

21歳の時に起きた体験は、正に、私たちの背後に実在する「リアルな神」に出会うというもので、当然、頭がおかしくなった!と周囲の人間には、全く理解されず、受け入れてもらえませんでした。
つまり、クンダリニー・シャクティが突然目覚めてしまい、超越意識体験が起こり、そのことにより、それまで知らなかった世界を知ってしまった人間と、そういう体験が無い人間とは、何処まで行っても、平行線だということを、この時、自らの体験を通して痛感したのでした。

その後、二度目の霊的体験が起きた後、人間に対する見方や観念が、完全に換わりました。
「永遠の命」に目覚めることによって、個人の中にもたらされた新しい人間像は、もはや、元に戻ることはないでしょう。

究極の真理からすれば、人間には、敗者も勝者もありません。

この宇宙のすべてが、「永遠の命」である宇宙我(神)の無限の顕れであり、顕れは、常に変化し、永遠の存在ではありません。

今は、自分が勝者に思える人も、敗者だと思うこともあるでしょうし、その逆もあることでしょう。
相対的な価値や判断は、一時的なものであり、この世のすべては諸行無常、必ず、変化します。
絶対的なモノなど、何ひとつありませんし、人間的な価値判断や論理解釈が通用するのは、人間社会(人間界)の中だけで、他の動物界では通用しませんし、地球を離れた宇宙でも通用しませんし、もちろん、実在である「神」は、それらを超越していますので、神の創造の世界であるこの地球に棲息する人間のマインドに関することは、人間自身が、対処していくしかない人間に課せられた課題であると感じます。

自分の価値を自分で創造する自由を、神は公平に平等に、私たちにお与えになっています。

他者のことよりも、先ず、自分のことに専念しましょう。

自分の価値を、無条件で認められるようになれば、他者の価値も無条件に認められるようになり、自分の中に、無限の価値を発見すれば、他者の中にも、同じモノを発見することができるでしょう。(もちろん、逆もまた起こることではありますが)

他者は変えられませんが、自分は自分で変えることができます。

その自由は、誰にでも、公平に平等に、私たちを創造された神により、与えられているのです。

>まずはあるがままの命に落ち着くこと。

>するとそこから展開するものがあります。

>何をするにも幸福感が影のように寄り添ってくれるでしょう。

>これが生きる極意だと思います。


同感です♪

「あるがままの命」は、万人に共通であり、その源は、「永遠の命」。

「永遠の命」とは、永遠の実在、永遠の純粋意識、永遠の至福。

我ら、ソレなり!
Posted by 永遠のわたし from M-online at 2021年09月14日 01:22
阿部さん、瞑想会 ありがとう♪

私達は「無条件(=愛)に生かされている」
それさえわかれば いつも「開いて」居られる。

勿論 閉じた理由は 傷ついたからだ。
閉じたまま 偽りの見せかける自分を生きている時間の方が長いので、そっちが当たり前にもなっている。
閉じ込めた自分の窮屈さはストレスとなり、自由を謳歌するモノを叩く。
自由を謳歌するモノが叩かれ傷つけば 自分の規制は正当化される。
「やっぱり閉じたまま生きなければ 大変な目に合う」と。

正直に生きれない方が ずっと「大変な目に合っている」という事に気づかないまま。
事実に偽物は存在できないのだから。

私達は それぞれ誰とも違うたった一つの個性なのに「同じじゃない」「違う」とたたき合うのは もういい加減にしようよ。
どんなに叩いて黙らせても 媚びへつらいそっくり真似しようとしても 同じにはなれないんだから。
その誰でもない個性が 無条件に生かされているんだ。。
Posted by まるまる at 2021年09月14日 07:16
はい、ありがとうございます。

すごく濃密なお話で、というのもすごく核心を突いている感じなんだと思います。

ただ、それにまつわる、そこにまつわる想いが、溢れる想いがある感じで、考えたいことではあるけど、考えるより泣いてた?

いえ、唄に笑ったり、瞑想で鎮まったり、とにかく短い時間に濃厚な内容が詰まってる感じですよね。

それでやっぱりというか、眠る前に泣いてました。。

心理カウンセリングは、カウンセリングの時間外に癒しが訪れることがある。みたいな話が記憶にあるのですが、

瞑想もそういうところがあると思っていて、瞑想を終えたあとに、癒しがもたらされることがあると思います。

心にしまいこんだまま忘れられていた想いなのか、まだ吐き出し足りない想いだったのか、なんか、昔の、子供の頃の想いを感じる想いでした。。

とても言い表せないけど、そのままのお前でいいんだよってメッセージ、

言葉を介さずにね。ただそのままで愛されているみたいな、どういうことか言葉では表現することの出来ない感覚かもしれないけど、

そういうそのままの私がまるごと愛されているという感覚は、ものすごく大事なんじゃないかって思います。

精神的に満たされること。物質的に満たされることを目標に生きてきた時代が長かったと思うけど、そのなかで失われてしまった、もしくはまだ得たことがなかった、心が満たされるということ。

それを求める時代に入った。。
Posted by すずめ at 2021年09月14日 15:43
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