2021年07月01日

地平に根を下ろす

昔、天河神社で短期間ご奉公していた時のこと。

いつも自分が神様と繋がっているような気がしていました。


神の僕(しもべ)として働く喜び。

ますます清々しく魂が磨かれていく感覚。

あーありがたい。


と・・・ここまではいいんだけれど、これで終わらない。

心の底では、

「社会の中で生きている人たちは可哀そうだな。

それに比べて、神の近くにいる自分は幸運だ。」

みたいなのが出てくる。


いわゆる精神世界の特別意識。


そんな自分を発見したときに、神職とか僧侶とか、宗教団体の人とかは、落とし穴がたくさんがあって危ないと思いました。

神とか仏とかいうシンボルを実体化して、まるでそこに近いほうが優れているみたいな、完全なエゴトリップです。


地平に根を下ろす



もしかしたら精神世界に携わる人間が一番微妙な自我を育てているのではないか。

そんな気づきが、その後の人生にとても役に立ちました。


長くメッセンジャーをやらせてもらってきたので、勘違いする機会には事欠きませんでした。

人より自分のほうが優れているみたいな感覚は、もっとも当たり前な自我の側面です。


これは精神世界を学んでいる人にも言えることです。

このような真実に関心を持たない人たちを内心見下したりするのです。


でもね、どのように見えようとも、あらゆる判断は己のマインドが作り出したものであり、すべてはマインドの投影だということ。

この世のすべては仮想現実でありマインドゲームです。


だからまずは、この当たり前のあるがままに寛ぐこと。

何一つ特別なもののない地平に根を下ろすこと。


そこから真実の旅が始まります。



お互い気をつけて歩みましょう(^^)



そういう意味では、昨夜対談させてもらった向禅師は、突き抜けた当たり前さを持っていて心が安らぎます。


誰もがそのようにあれるはずだと思いました。











Posted by Toshiro Abe at 08:40│Comments(22)
この記事へのコメント
阿部さん、昨夜の向さんとの対談本当に最高でした。今までにも何回もお二人の対談はお聞きしましたが、昨夜のはすごく心に直接響きました。私の体調が良かったのかも知れませんが、それだけではなかったように思えてなりません。
新しい素敵なスタートをきらせていただいて本当に有り難うございました。今期もよろしくお願い致します。
Posted by 雲腰帯 at 2021年07月02日 00:26
>でもね、どのように見えようとも、あらゆる判断は己のマインドが作り出したものであり、すべてはマインドの投影だということ。

>この世のすべては仮想現実でありマインドゲームです。

リーラなので、仕方ありませんね。
それが、ダルマ(自然)であり、人間の自然な在り方なのでしょうから。
夢の世界で、誰でも”なりたい自分”を演じている、或いは、演じようとしているのでしょう。
リーラなのですから、やりたい人は、やればいいのです。
そんな「個人」はいませんので。
徹頭徹尾、その位置にあって世の中を見渡せば、映画のスクリーン上に、喜劇ともとれるような劇が上演されているような感覚になりますね(笑)。
他者から見れば、自分もそうなのでしょう。
そこは、お互い様なので、見たくない劇は見ないという立場を貫くことが可能ですし、関わりたくなことに関わりを持たなくても、世の中、何事もなく進んで行きますので、傍観者にとっては、有り難いです^^;
参加を強制されている訳ではないというところに、自由を感じます♪

>何一つ特別なもののない地平に根を下ろすこと。

本当に実在するのは、神だけなのですから、それが心底わかれば、個人的には、もう充分かな、という感覚があります。

フツーのオバサンとして、何でもない日常の背後に、変化のない真の実在を感じて、生きていきたいと思います。

これまでと同様、自分に起こること、世界に起こることを、観客席に座って、眺めながら、神が見せて下さるストーリーを楽しみたいと思います♪

>お互い気をつけて歩みましょう(^^)

メッセンジャーでも何でもない一般人なので、日々の生活態度の中で、気を付けたいと思います。

精神世界ではなくても、何の世界でもそうですが、驕り、慢心、特別意識などは、当たり前のように見受けられる光景ですよね。
それも、その人がしている訳ではない、という視点に立てば、個人に非があるわけではないので、謂わば、チンパンジー型人間社会構造の一つの表われなのでしょう。(ボスを頂点としたピラミッド型社会では、ボスは威張っているのが自然な姿ですから、笑)

他者はどうであれ、自分はどうであるのか?ということが重要なのですから、極力気を付けたいと思います^^

>そういう意味では、昨夜対談させてもらった向禅師は、突き抜けた当たり前さを持っていて心が安らぎます。

最終的には、人間性、なんだと思います^^
柔和な心、大切にしたいですね♪
Posted by 地球劇場 from M-online at 2021年07月02日 01:21
誤ってこの時間に更新メールを送ってしまったのかな?と思ってスルーしようと思ったんですけど、

お話が浮かんじゃいました(^^)

見下す?について。


あべさんいつか「魂はみんなタメ」って動画で話してくださったと思うのですが、それは真理からするとそうだと思うのですが、輪廻転生があるとする次元からは、魂年齢ってあるんじゃないのかな?って思ったんです。

魂の転生回数が多いと…オールドソウル!たしかそんな風に呼んでたよねって懐かしくなりました(^^)

じゃあなに、転生回数の少ない、若い魂はなんて呼んでた?ヤングソウル??なんかピンとこないと思って検索したけど、やっぱりヤングみたいでした(^^)


そうそう、そんな感じで、魂年齢を意識することは日常でありますね~

その時は、見下すというより、若いなって感じかも。逆に大人とか出来てるとか、そんな風に感じることもありますね。

あれを思い出した!いつか向さんが仰っていた、「我以外みな師」でしたっけ?

思い出してないし(笑)

みんな自分に教えてくれる人ってこと?

なかなかそう思えないこともあるけどね…

思えないときは思わないマイペースで~す(^^)

深夜に失礼しました☆
Posted by すずめ at 2021年07月02日 01:23
輪廻転生だとか、魂年齢だとかは、過去や未来や個人が存在しているという人の発想です。

確かにマインドの中にはこれらの要素があるのですが、マインドの外側にはありません。

マインドと同一化していれば、これらは真実になりますが、マインドが消えれば一緒に消えます。

我々の意識は多次元にわたっているので、何でも作りだすし、その人にしてみればすべて真実になります。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2021年07月02日 01:46
>でもね、どのように見えようとも、あらゆる判断は己のマインドが作り出したものであり、すべてはマインドの投影だということ。
ということは、いつも肝に命じている・・・つもりです(笑)
忘れる時だって多いだろうと思うので。
そんなこんなも含めて、皆『同じ』だろうと思ってます。
Posted by ただの「自分」 at 2021年07月02日 03:30
>人より自分のほうが優れているみたいな感覚は、もっとも当たり前な自我の側面です。


これは精神世界を学んでいる人にも言えることです。

このような真実に関心を持たない人たちを内心見下したりするのです。


でもね、どのように見えようとも、あらゆる判断は己のマインドが作り出したものであり、すべてはマインドの投影だということ。

これはたぶん学者の世界にも?
本当の大学者になれば、たましいの普遍性を持つのでしょうが。
難しい国家資格保持者や難関大学卒業者にもあり得るような。
もちろん自分の中にもあるあるー。すぐ人と比べるところ。。

阿部さんや、向さんのような心境になりたいなー
まずは瞑想・・なのですね。
Posted by さつき姫 at 2021年07月02日 06:14
そうなんでしょうね…

お忙しいなか、お答えいただきありがとうございます(^^)

その多次元の中でも、「究極」を伝えようとしてくださっているのが「阿部さん」と思っちょります☆
Posted by すずめ at 2021年07月02日 09:21
ただ深く眠れば↓
ただ深く安らぎます←(*´▽`*)→

ただ深く集中すれば↓
ただ深く安らぎます←(*´▽`*)→

ただ深く瞑想すれば↓
ただ深く安らぎます←(*´▽`*)→

自分が深く安らげば
周りも深く安らぎます◎

無常の苦しみと喜びを超えて
常住の安らぎである自分が存在しています◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年07月02日 09:22
あべさん

話は全く変わるのですが、コロナワクチンを接種した場合、瞑想は行ってもよいものなのでしょうか?
Posted by すずめ at 2021年07月02日 10:22
パンマンさん

ヨーガ・ヴァーシシュタ 至高の真我

明日届きます。

有り難うございます。

じっくり堪能させていただきます。

しかし、高かった~
Posted by 近藤博文 at 2021年07月02日 11:29
今日の記事はまさに「我が意を得たり」ということで、日頃神に囚われし言動のエ○バな家内に読ませたい…と思うのも優越感を欲しがる自我が混ざる…ああ難しい(笑)
Posted by zendayu at 2021年07月02日 12:21
近藤さん

なんか中古でもすでにプレミアついてましたね。
でも絶対にモトがとれる内容ですよ!
Posted by パンマン at 2021年07月02日 15:38
凄っ
Posted by Nobu at 2021年07月02日 17:34
連投申し訳ございません。
何かー凄すぎて、、、なるほどなー
Posted by Nobu at 2021年07月02日 17:36
自我って奴はホントーに比較や判断が好きですよね。

昔から精神世界に惹かれ、色々な本を読んできましたがその中に
「現世で生まれつきの障害をもって生まれてきた者は、現世で受ける差別や生きにくさなどあらゆる不利益を承知の上で生まれてきた高級霊である」
みたいな事が書かれてあって「へ〜そうなんだ。見かけで判断してはいけないんだなぁ。」と思った記憶があります。まさか自分が重度の知的障害者の親になるとは夢にも思わず…。
でも実際の話、日々子供の問題行動に振り回されていると「どこが高級霊やねん!」「どこが天使やねん!」とツッコミを入れたくなる事ばかりです。

阿部さんのお話を伺っていると、高級とか低級とかそもそも霊にそんな等級はなく皆等しく素晴らしい存在なんだなと思い直しています。
インディゴとかクリスタルとか○○チルドレンと呼ばれる子供達もそうなんだろうけど、何故障害を持って生まれてくるのかという疑問は解けぬままです。
Posted by グレース at 2021年07月02日 17:40
「何一つ特別なもののない地平に根を下ろすこと」
ああ、常にこうあれれば(笑)
気をつけます(^^)/
Posted by コンドウノリカズ at 2021年07月02日 18:15
こんばんわ、禅サンガのサンガを調べてびっくり、とうとう歩き始めた感があります。なので今日の言葉も肝に銘じます。
Posted by makotoazuma at 2021年07月02日 20:44
「輪廻転生」について、阿部さんのコメント欄で書かれていることは尤もだと感じますが、なかなかそうは思えない人々もいらっしゃることでしょう。

インド発のバラモン教の影響を受けたヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、そしてシク教などは、その教えの中で、「輪廻転生」からの「解脱」を教えの中心に置いていると見ることができます。

ご紹介しました「ヨーガ・ヴァーシシュタ 至高の真我」も、書いてあることは、「解脱」についてです。
つまり、「輪廻転生」が前提としてあり、その前提の元に、話が進められています。

最終的には、個人が、阿部さんがコメントに書かれたような理解に至れば、輪廻転生はないことになりますので、なかなかそうとは思えない人々に対しては、エゴを納得させる手段として、時には、こういう本も必要なのでしょう。
ラマナ・マハルシが語っているように、読んだだけでは、輪廻から解脱できるわけではありませんが、生と死の仕組みやカラクリを知るだけでも、闇の中を手探りで進むよりも、進むべき道がハッキリする利点はあるかと思います。

ヨーガ・ヴァーシシュタは、「輪廻転生」という大海を渡るための四つの門番を提示していますが、「解脱」へ至るための四つの方法とは、
①自己制御、②真我探究、③知足(満足すること)、④サットサンガへの参加
を挙げています。

①も②も瞑想などの実践による自己努力が必須であることを言っていますので、本を読むだけ、人の話を聞くだけでは、「解脱」は起こらないということになります。
③は、心の持ち方次第では、すでにその域に達している方もいらっしゃることでしょう。(要するに、自分の人生に満足していれば、いい訳です。)
④は、禅サンガも、一種のサット・サンガと見なすことができますので、禅サンガに参加することで、真理への理解が促進されることもあるでしょう。

これらは、あくまで、「輪廻転生」があると思っている人にとっての、「解脱」への道しるべとなるものなので、「そんなものはない」と思っている人にとっては、全く意味のないものです。

大乗仏教では、釈迦は、人生は苦であるとし(一切皆苦)、「根本的なドゥッカ(苦)を「生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)」の四苦とし、真理としての「四諦」とそれからの脱却方法「八正道」を説いたそうですが、これは、因果の法則を土台にした教えと見ることができます。(表面に現れている「果」を生じさせている「因」を断つことで、「果」を滅して行くことができるということに論拠があるように感じます。)

インド発の宗教的な世界観においては、「輪廻転生」とセットのように、「因果の法則(カルマの法則)」が、密接に結びついているので、マインドの中に、「因果の法則」が根強く根を下ろしている場合には、何らかの形で、生と死を繰り返すと言われている「輪廻転生」への疑問や漠然とした恐れなどもあることでしょう。

一方が断たれて消滅すると、もう一方も消滅しますが、それは、究極の真理が自分自身に明らかにならないと、完全なる根絶が起こらないので、疑問が残っている限りは、他者から、いかなる話を聞いても、ダルマである因果の法則に従って、種子や根から、「果」は、何らかの形で、生じて来ることでしょう。
それ故、インド発の各宗教では、生と死を繰り返す「輪廻」から「解脱」する方法を懇切丁寧に説いているのでしょう。(神道には、輪廻の考えはないので、解脱のための方法論はないと見ていますが、もし間違っていましたら、教えて下さい。)

これらの宗教で説かれている智慧は、少なくとも、人生に不条理や不平等感を感じている人々にとっては、絶望ではなく、希望の光として、機能することでしょう。

輪廻の大海は、あったとしても、その上を軽々と渡って行くことは可能であり、むしろ、それを望む人々のために、教えや教えを説く経典があり、メッセンジャーやグルや、その他多くの存在が、この世にあって、機能して下さっているのだと思うと、有り難い気持ちが湧いて来ますね♪

サット・サンガの開催は、ある意味、とても限られていますので(サット・サンガを開くことができる主役のグルがいないなどの理由で)、気軽に参加できるサット・サンガがない、というのが現実だと思いますので、その中で、禅サンガは、とても貴重だと感じます。

ヴェーダンタでは、世界にサットワ(善性優位)が満ちれば、自然と、ソレが明らかになる、と言われています。
真の智識は、サットワです。

真の智慧の言葉をシャワーのように浴びて、自分の世界がサットワになると、自然と、その時がやって来る、ということなのでしょう。

始まりあれば、終わりあり。

どんな旅も、必ず、いつか終わります^^

旅の内容は、一つ一つ異なっていても、最終目的地は、同じです。
最終目的地に到着するまでの途中の風景を楽しみ、いまここで、自分の旅を十二分に楽しみましょう♪
Posted by 魂の源への帰還の旅 from M-online at 2021年07月02日 23:06
今年の夏はバター醤油を照らして焼きとうもろこし祭り

枯れゆく秋は焚き火で焼き芋祭り

そして阿部さんの渾身のネギは納豆とお味噌汁にいよいよ投入

いぶし銀的脇役として宇宙的ハーモニーとうま味をもたらすことでしょう

お味噌と納豆ご飯とそよ風と風鈴 

もうそこに言葉は必要ないのです
Posted by かまちゃん at 2021年07月03日 01:22
近藤さん

m-onlineさんが、輪廻転生を信じてない人には本は意味ない、と言っていますが、そんなことはないので大丈夫ですよ。
輪廻転生なんてどうでもよく、近藤さんが大事なお金を出して買った本は必ず近藤さんの役に立ちます。
コメント欄のコメントなど気にせず(ろくでもないのが多いので)、本と阿部さんだけを信じれば良いですよ!
Posted by パンマン at 2021年07月03日 08:31
少なくとも、紹介した本を読んだ人が、読んで良かった、と感じられたなら、紹介して良かったです♪
確かに、高いので^^;
Posted by from M-online at 2021年07月03日 12:54
よくわからないんですけど、
地に足をつけつつ楽しんでいきたいし、新しい毎日がいま起きていると思います

お茶がおいしいです。
Posted by はな 水呑 at 2021年07月04日 04:35
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