2021年06月17日

目覚めの瞬間

昨日のコメント欄に、まるまるさんから投稿がありました。

藤田一照師という方の言葉が載っていましたが、まさにその通りなのでここに掲載します。


「無我」に関する誤解の最たるものは、それを「端的な事実認識」ではなく、あたかも倫理的・道徳的な要請であるかのように、誤認してしまうこと。
と言われていて、わかりやすかった。

仏教のさわりの部分に「謙虚」があるからか「殴られても怒らない人格者」や「何を言われてもヘラヘラ笑っているウスラボケ」が「無我」なり「覚者」なりという事になってしまうようだ。

禅を習っていくと それまで私の考えていた無我と「無我」は違っていたし、それまで私の考えていた謙虚とも違う「謙虚」だった。

それらは「一から十まで」私(個我)の想像を外していた「想定外」だった。

「私が想像してきた事」は 習う度にちょこちょこと「事実に改定・修正」され、ある時を境に「一気に全文 事実に上書きされる」時「ドンデン返し」「回心」が起きる。

今まで蓄えてきた「想像、想定してきた事のすべて」が「ぱー(意味がなくなる)」になるので、そこからみる世界は「今 生まれたばかりの赤ちゃん」のごとく「新世界」だ。

「赤ちゃんのごとく」と書けば、相変わらず想像力は「無法地帯」を想像するわけだが、そこは「真理(全体。仏)」に守られているので安心だ。



よくぞ言ってくれました。

ずっと伝え続けてきたことではあるけれど、他の人から聞くことができて魂が喜んでいます。


悟りとか無我とか目覚めとか呼ばれるものは、倫理も道徳も越えた世界です。

高潔な人格育成のためのゴールなどではないのです。

藤田さんが言うように、無我とは単なる事実認識に過ぎません。


思想や哲学を語っているのではなく、本来の事実はこうですよという表明です。

あなたという個人が生きているのではなく、あなたを含んだ全体が生きている。

個人から全体への意識シフトなのです。


その結果どんな人格になるのかなどは、迷いの世界を生きる人々の想像に過ぎません。

彼らは、自分自身の認められない側面をすべて解決した人がどこかにいて、それが悟った人だと思っています。

金銭欲も性欲も感情の起伏も無くなっているというわけです。


人々がそんな覚者に憧れていることを知った似非覚者は、自分がそのような人物であることを演じ始めます。

精神世界や宗教界を見渡せば、そんな人はすぐに見つけられます。


でも実際に起きることは、そのような人為的な演出を捨てて、あるがままの自分になることです。

こう言うと、自分のあるがままを全部発揮したら大変なことになると思ってしまう人もいます。

そのように思うのは、たくさん自分を抑圧し矯正してきたので、そのタガが外れてしまうと大変だという理由からです。


しかし実際には、本来のあるがままの中には宇宙的知性が宿っているので、計らうことなしに秩序が保たれます。

そして共通しているのは気楽になるということ。

何事も個人的に受け止めなくなり、全体の流れを完全に信頼し始めます。


「すべて事もなし」

です。


人間の真の幸福はここにしかありません。

そして私たちは全員、ブッダ(目覚めた人)予備軍なのです。


目覚めの瞬間



あなたが目覚めた時、人生のどんでん返しが起こり、いままで起きたことをすべて肯定できるようになります。

そしていままであなたに辛く当たってきた人も含めて、全ての人に感謝することでしょう。


いつも言うように、このような情報に少しでも関心を持った人は、すでにこの道の途上にいます。

生きるのに忙しすぎて、つい後回しになってしまいがちですが、この道を行くことを最優先する時代に入りました。


その結果、一気にすべての問題が消え失せてしまう世界、個人としての自分からは想像もできなかった世界が広がっていくのです。

実際には、いまも全員その世界に存在しているので、人生とはまさに宇宙的な冗談です。



調べてみたら藤田一照さんとZENサンガ講師の小出遥子さんとの対談が公開されていました。

藤田さんは小出遥子さんを「恐るべき仏教女子」と呼んでいます(笑)


ちなみに今月末からサンガの12回目の募集が始まりますが、早期申し込み特典として、向禅師、阿さん(仏教学者)、小出遥子さん、そして阿部敏郎の座談会の動画をプレゼントします。

他にも奥平亜美衣さん、雲黒斎さん、阿部敏郎の鼎談、「人生の楽しみ方マニュアル」も用意しています。


今日のまるまるさんの書き込みで、真実の情報が各所から聞こえてくる時代に入ったことを嬉しく思いました。









Posted by Toshiro Abe at 10:50│Comments(17)
この記事へのコメント
自己を帰依処としなさい。

私は自己に帰依することを成し遂げた。

~ 仏陀釈迦牟尼の言葉 ~


あるがままの自分でありなさい。

それで十分だ。

~ ラマナ・マハルシ ~


心臓の中にある光がアートマン(自己の本質)である。

宇宙空間がブラフマン(宇宙の本質)である。

アートマン(自己の本質)はブラフマン(宇宙の本質)である。

それは光そのものである。

~ ウパニシャッド最大の聖者 ヤージュニャヴァルキヤ ~
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年06月17日 11:31
模察と申します。

>人々がそんな覚者に憧れていることを知った似非覚者は、自分がそのような人物であることを演じ始めます。

この文章は、悟りの"あるある"ではないでしょうか。

悟りや目覚めの体験があると、誰からも尊敬される人格者に成ったり、何事も恐れない精神状態に至るというイメージを抱えていると、(他人の目から見て)そういう人物を演じようとすることがあるようです。

逆に、そういう人物に「私は成れてない」から、悟りや目覚めの事実を思考・考えで否定してしまうようなこともあるようです。

歴史上の覚者と称される人の中には、長い間、こうした思考・考えの病にかかっていることに気付かず、苦労された方もいらっしゃるようです。

悟りや目覚めとは、悟った人間に成ることでも、目覚めた人間に成ることではないのです。
総じて言い切ると、○○な人間は存在しないのです。
"ただ いま"の目の前の事実だけしかないことに気付き、"ただ いま"の目の前の事実に生きることが、悟りや目覚めです。

"ただ いま"の事実に生きると、
「あなたは前とは変わった。何事にも動じなくなった」
「あなたは以前は怒ってばかりだったのに丸くなった」
などの回りの声が聞こえるかもしれませんが、"だた いま"に生きる「あなた(=私、人間)」に対する声(評価)に左右されず、"あるがまま"に聞き流していることでしょう。
Posted by 模察模察 at 2021年06月17日 11:43
>それらは「一から十まで」私(個我)の想像を外していた「想定外」だった。
全部こうかも、とは思ってます。
ついでに、「想定外」と決めてかかってみたものの、
「あ、この感覚前から知ってる」て意味での「想定外」もあったりしますね(笑)
自分の場合、子供の頃の感覚を思い出したってだけなんですけどね。
これ↑にしたってまだまだ『枠の中』だろうとは思ってますが、
そんな感じでちょこっとづつ「想定外」を経験して、
その度楽になってってる気は、確かにしています。
Posted by ただの「自分」 at 2021年06月17日 11:51
>真実の情報が、各所から聞こえてくる時代

本当に、良い時代に生きていると感じます♪

情報化時代になったことで、混沌が増した部分もありますが、透明性が広がって、真実が隠されることが少なくなったこともあるように感じています。

私に最初に、精神世界に興味を持たせてくれた人は、精神世界の人ではなく、マクロビオティックの大先生である久司道夫先生です。
先生は、不思議な人で、地球人ではなく、宇宙人?と感じることが多々ありましたが、お亡くなりになる前に、2035年まで今の混沌の世界は続くが、その後は、真実が次々と明るみに出て来て、この世界は変わる、とよく仰っていました。
何を根拠にそう仰っていたのか?は、わかりませんが、あと15年後の世界が楽しみでもあり、今は、それまで生きられるか?は、非常にビミョーですが(笑)、今もうすでに、世界は、その方向へ向かっているように感じています。
昔だったら、知ることはなかった世界の片隅に起きていることでさえ、ネットを通して、世界に開示される時代なのですから、真実も、言葉を通してですが、同じように、多くの人に共有されることでしょう。
言葉を通しての理解であっても、知らないよりは、知っている方が、無知は少なくなります。
正す必要があるのは、無知だけなのですから、無知が少なくなれば、仏教で言う悟り(覚り)に近づくことになるのでしょう。

人に起こる変化が、世界を変えていくのですから、人間の無知が少なくなることで、世界は、基盤から変わることでしょう。

表面上の世界は常に変化していますが、太古より、もう一つの何も変わらない世界があります。
それは、永遠、無限の世界です。
誰でも、そこからやって来て、最終的には、そこへ還って行く訳ですから、それまでは、この夢の世界を楽しみましょう♪
Posted by 夢幻宇宙 from M-online at 2021年06月17日 11:53
全ては一つでこの世は幻想だと知り、そのように生きることの大切さ。でもあるがままに生きられなくても大丈夫だということ。
多分、あまりにあるがままなので分からなかったんです。
目覚めたらどれだけ素晴らしい世界に住めるようになるのだろうと期待していましたので。
そのあるがままが素晴らしいと、やっと気づきはじめましたが、やっぱりたまに分からなくなります。言葉になったとたんにどこかで「?」を感じています。どれだけ私は馬鹿なのだろうと思います。
Posted by ゆき at 2021年06月17日 12:28
皆さん、コメントありがとうございます♪

ゆきさん

あるがままとは、何かを自分からそぎ落とすことではなく、ましてやあるがままでいることを自分に強いることではありません。

もしそれらをしているとしたら、それも含めてあるがままです。

単に事実を事実として認めている状態だと思えば良いと思います。

そして自分が馬鹿だと認める事は、真理への最短距離になります。

個人としての自分は何も知らないということを知ることが大切です。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2021年06月17日 13:34
ウスラボケですみません

悟りを求めて9年
何にもありませんでした
ただ悪化しただけだった
私は、私は本当は夢を強化したかった 夢を楽しみたかった
なのに部不相応に悟りを求めた
夢を楽しむなら夢に没頭しなさい
悟りを求めるならそれに没頭しなさい
Oshoのいう一番よくない中途半端を生きてしまった

本当に馬鹿だ
Posted by 自分 at 2021年06月17日 13:47
先のコメすみません

こういう思考が自分ではないって勉強してるのに
同化してやんの()

9年とかなく、いまここしかないや
ただそういう思考が湧いただけ

瞑想直後のいまは気付けるんだけどなあ、、

すみませんでした。。
Posted by 自分 at 2021年06月17日 16:05
さすが、まるまるさんだなぁ〜♪
Posted by はなこ at 2021年06月17日 16:16
阿部さん、ありがとうございます。
最近おかしくなっています。
どんな状態でもそのままがあるがままだと分かってはいます。頭では(笑)。
何も否定していないでいる時は幸せです。
言葉にできないのですが、真理についての話を読んだり聞いたりした時に何だかスッキリできず不安になります。
…それも含めてあるがままでしょうね。
Posted by ゆき at 2021年06月17日 17:14
30年前、アメリカを旅行中の学生だった私は、ボストンで藤田一照さんにお会いしました。
時が流れ、阿部さんのブログでまた一照さんのお名前を聞くとは...。
人の縁の不思議さを感じています。
Posted by センチメートル at 2021年06月17日 18:26
マクロビオティックの大先生である久司道夫先生に、十数年前にお会いした時、「あなた方は、地球に何をしに来たのか?知っていますか?」と、何回か、聞かれました。
当時は、その質問に、即座に、明確に答えられる人は、いませんでした^^;
その様子を見て、先生は、笑いながら、言われました。
「あなた方は、この地球に遊びに来たのですよ。遊び終わったら、また悠久の世界に還るのです。」
久司先生によると、小学生の時、瞑想をしていた時に、所謂、光の体験(enlightenment)が起きたそうで、スピリチュアルなメッセンジャーではありませんでしたが、精神的には、目覚めていらしたのでしょう。
世界には、このような目覚め体験が起きた人は、知られていないだけで、案外いるのでしょう。

今なら、久司先生が仰った意味が、よくわかります♪

誰もが、遊んでいるんですね。

リーラ(神の戯れ)なのですから(^^)

ニセ覚者が現れても、それも遊びなのですから、なりたい人は、なればいいのです。
ニセ覚者とつながりを持たなければ、自分の世界には、何の影響もないでしょう。

独裁者、政治家、大富豪、救世主、カルト教主、ドンファン。。。
誰もが、なりたい者になって、思いっきり遊んで、悩み苦しみ、絶望し狂喜し、泣いて笑って、そして、現れた源へと還って行けばいいのです。
あらゆる経験のために、この世という夢の世界があると言っても過言ではないのですから。

阿部さんが仰っていたように、人生とは、地球での一泊二日の旅行のようなモノなのですから、思いっきりエンジョイして、思い残すことなく、悠久の世界へと還って行きましょう♪
Posted by 永遠のリーラ from M-online at 2021年06月17日 18:48
性欲…

肉体レベルのセックスのエクスタシーは一時的…
それでは、永遠のエクスタシーとは何か?
それは神とひとつであること。

神とひとつになるにはどうすればいい?

そこに自我の自分の出番はありません。

神がもう既に、
私達全員を神=神の子として創造してくださっているわけですから…

(それは全くの無条件であって、クンダリーニが上昇したらとか、チャクラが開いたらとか、長時間の瞑想とかは全く関係はありません)

本当に私達は神に深く愛されている。。

ですが、この世界に生きている私達はなかなかそれを実感出来ていない。

それはどうしてかと言うと、自分で神とひとつであることを否定しているからなのですよね。

ですから、日常生活で神とひとつであることを否定している想念を訂正、取り消すことが大事。
それらの想念をそれらが幻であることを完全に知っている聖霊と共にただ眺めることが大事。

30分ほど目をつぶり、瞑想をしてそれらの否定的な想念を聖霊と共にただ眺めるのもいいですよね。
(それなら瞑想は神とひとつになる道と言えますな)

至福☆至福☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2021年06月17日 20:02
阿部さん、ありがとう♪

自分さん
>ウスラボケですみません

人格者になれず「ウスラボケ」などという表現を使ってしまい、申し訳ございませんでした。。

>瞑想直後のいまは気付けるんだけどなあ、、

私もそうでした。坐禅後の景色はキラキラと綺麗ですが、段々時間と共に 日常に埋没、というパターンがあり、そのパターンから抜け出すのは 更に禅に習う事でした。ヤレヤレですけど♪
状況が許せば、坐禅会に参加すると 一気に進み始めるという事もあるかもです。

ゆきさん
>個人としての自分は何も知らないということを知ることが大切です

という阿部さんのアドバイスに対して

>どんな状態でもそのままがあるがままだと分かってはいます。

と ゆきさんは「わかっている」と返事をしてしまってる。
ここが「スッキリ」しない原因じゃないかなって思いました。

アドバイス通りに「自分が何をしらないのかな」って所から始めて「これも知らない? あれも知らない?」ってなっていくと、いいかも。
Posted by まるまる at 2021年06月17日 20:26
>金銭欲も性欲も感情の起伏も無くなっているというわけです

(本当は神の子なので、完全に満たされているのですが)
まずは、オレはもっと金が欲しい~と金銭欲があることをそのまま認める。
(本当は神の子なので、永遠の至福の中にあるのですが)
まずは、Hな妄想が沸いてくると性欲があることをそのまま認める。
(本当は神の子なので、傷つくということは無いのですが)
まずは、あの野郎、○○してやる!と怒りがあることをそのまま認める。

そして、(自我の自分ひとりでやろうとせずに)

神の子であることを完全に知っている聖霊(イエス)と共にただ眺める
それが幻であることを完全に知っている聖霊(イエス)と共にただ眺める

あとは聖霊(イエス)にお任せです。

金の亡者のような自我の自分は幻であり、本当は存在していないので、もう気にすることはない。。
Hな妄想をしている自我の自分は幻であり、本当は存在していないので、もう気にすることはない。。正そうとする必要はない。。
怒り狂っている自我の自分は幻であり、本当は存在していないので、もう気にすることはない。。

少しずつ奇跡のコースの学びが深まっている今日この頃であります。

神の子☆神の子☆

おめでとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2021年06月18日 04:03
まるまるさん、ありがとうございます。
せっかく阿部さんにアドバイスをいただいたのに、素直になれていませんでした。
悟りの世界の素晴らしさ、のような表現に触れた時に違和感を覚え、これでいいのだろうかと不安になる事が多いように思います。
あれこれ言わず素直に自分を見つめようと思います。
Posted by ゆき at 2021年06月18日 07:51
>最近おかしくなっています。

ゆきさんへ・・・以前の投稿でも気になったのですが、その症状は私にもありました。自覚がある間は「全然大丈夫です!」このことは後で、おかしく感じることの訳がわかると、なんだぁ~そゆことって笑えます(笑)

精神世界観連の書籍とか、今は吸収しない方がいいですよ。
Posted by AQU@ at 2021年06月18日 08:16
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