2021年05月04日

自由の詩

人は皆、無意識に自分が定めた枠の中で生きようとします。


やっていいことと悪いこと、

できることとできないこと


各自の中でこれらが決定されているのです。

そしてその枠の中で安全に生きようとします。


この枠が自己催眠です。

あらゆる

「べきだ」

「ねばならない」

は、この枠の中での信条です。

とても深いところから信じているので、自分が信じていることも忘れています。


あらゆる信条から目覚めて、そこから自由になったとしたらどんな生き方が始まるのか。

いままでは本当にやりたかったことを封印して、やりたくもないことに神経をすり減らしながら生きてきたのかもしれません。

この枠がそれぞれの人生に与えている影響は膨大だからです。


自由の詩



つい最近、意外な事実を発見しました。

それは、子供の頃から日本の流行歌が大好きだったということです。

特に御三家と呼ばれた、橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫たちです。


でもそれが言えなかった。

ビートルズやローリングストーンズやアメリカンポップスが好きでなければいけないと思ったのです。

音楽仲間はいつも洋楽の話ばかりしていたから。


「僕は舟木一夫が好きだ」

って言ってみたかったな(笑)



取るに足らない例でしたが、こんなものが積み重なって人生が作られているのだと思います。


何をしていいのか。

何をしてはいけないのか。

それらを人生脚本と呼ぶのでしょう。



自我君は生き残るのに必死で、生き残るためには本当の自分ではいけないと思ってしまったようです。

人生そのものが舞台上の見せかけになってしまいました。


その見せかけが少なくなればなるほど生きる喜びが増してきます。

生きる喜びとは、自分らしさをイキイキと生きること。

みんなが自分にそんな許可を出せたら、この世は色彩を帯びて楽しくなりそうですね。



せーの!で一斉に自己催眠から覚めたら、一時は混沌とするでしょうが、またすぐに秩序を取り戻すことでしょう。


それは作られた秩序ではなく、宇宙的な秩序です。










Posted by Toshiro Abe at 10:57│Comments(11)
この記事へのコメント
自分というカゴから飛び出そう。

そのカゴの扉はいつでも開いている。

ただ出るだけでいいんだよ^ ^
Posted by 川村弥生川村弥生 at 2021年05月04日 11:26
いけないことなんてないですよね

自分で決めてる

親を悲しませてはいけない。

最近、母親を泣かせました

情けないって言って私の失態を悲しんでた

でも、私は犯罪をしたわけじゃない

だから、罪悪感は母親を泣かせたこと

これからは、泣かせないようにって考えると親の顔色を伺って行動するようになった

阿部さん、今日の話、タイミングばっちし‼️
Posted by 近藤博文 at 2021年05月04日 12:10
あべさんこんにちわ。
北海道は、今日も寒いです。
みどりの日の宴・・として今日はマカロニグラタンを作ろうと思っています。
舟木一夫、ですか。
渋いこのみですね。
洋楽のほうがなぜかオサレに聞えますよね?なぜでしょうか。
昔から、やはりビートルズやクイーン・レッドツェッペ信者が幅をきかせていて
私もずっと、ふきのとうやかぐやひめや陽水、拓郎とかあまり大きな声では
言えなかった記憶が。西高東低なのかなあ。
懐かしいです。その曲が好きな人たちの人種も違っていた気がします。
うまくいえませんが。。
ではチャリでお買い物に行ってきます。
今日もよき一日をお過ごしください。
Posted by さつき姫 at 2021年05月04日 12:30
頭に向かって生きるほど自我が優位になります↑
自我が優位になるほど我がままになり苦しみます→(>_<)←

ハートに向かって生きるほど真我が優位になります↓
真我が優位になるほどあるがままになり安らぎます←(*´▽`*)→

ハートに常にある光が真我、永遠に存在している本当の自分です◎

頭に向かって生きるほど
頭の中の雑然とした想念に巻き込まれ混沌としてカオスになります↑
カオスになるほど真実が分からなくなり苦しみます→(>_<)←

ハートに向かって生きるほど
ハートの整然とした光に安らいでコスモになります↓
コスモになるほど真実が分かるようになり安らぎます←(*´▽`*)→

光が永遠にハートに集中しながら宇宙全体に広がっています◎
               
抱きしめた心のコスモ
熱く燃やせ!奇跡を起こせ!

https://www.youtube.com/watch?v=KeEzMaQiu78
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年05月04日 13:06
ウゥ~ン、素敵☆


なんか、もし好きな人と一緒になってもね、社会という見えない枠のなかで生きることになるというか、、

それは一見守られているようであり、一見拘束されているようであり、、

ルールというのがそもそも両側面を持つものかもしれないですね。

決まりは個人を守るものであり、縛るものであり、みたいな。


その、自分の中の決まりは、自分を守るものであって縛るものにはしたくないですけども、こう言いながら決まりってあるのかしら?(と思う)

なにか物事に直面しないと、自分が自分にどんな取り決めをしているか見えてこないのかもしれないですよね。

ただその取り決めは、今まで育ってきた環境によって覚えたあくまで仮の姿というか、、仮の取り決め?

仮、幻想であって、ただ一緒に住まう人々と幻想を共有しあって、まさにこの鳥かごではないですが、幻想という鳥かごの中で暮らしているのが我々ですか(笑)


笑い事じゃありませーーーーん(笑)


あべにゃんは、鳥かごから出ておいでって、指し示してくれる人。

出るのは君じゃないけど、鳥かごが、サムシンググレートによって取っ払われるのかなあ?


じゃあ、私たちに出来ることは、鳥かごを外してくださいとサムシンググレートにお願いをすること?


(ここからちょっと、お告げ風なセリフが交じります)


もう、君の上に鳥かごはないよ。どこにでも自由に飛んで行ったらいい。

飛んで行った先で鳥かごに入ってしまうこともあるかもしれない。

それでも、鳥かごは幻想なんだということ。この幻想である鳥かごは、なに?、昨日の話を思い出したけど、思考圏です~~~☆


鳥かごは思考圏を出るってことね☆
Posted by おいも at 2021年05月04日 15:48
続きです。


『鳥かごは思考圏を出るってことね☆』


鳥かごを出るってことは、思考圏を出ること。


これってどういうことが起きてるのか解らないですけど、

思考ではなくてもっと宇宙意識に近い圏内というか、次元で生きられるようになってきているんだと思うんです。

それもこれもサムシンググレートが織り成す奇跡?


その奇跡をね、手助けしたいと思ったら、瞑想をすることなのかしら~って今朝考えた。


このコロナ禍も、瞑想が有効なんじゃないかって思っているのですが、

それはもちろん個人のレベルでもですが、個人を超えた全体にとっても。

そもそも個人は全体の表れですし。

全体を癒すことが、個人の我々の幸福と切っても切り離せない。


なので、その視点からは、コロナ禍を含めた全体エネルギーのために、個人が浄化の働きである瞑想の時間を持つこと。

これが大切になってくるのだろうと想いました。。(^^)



追伸

阿部さんの仰る「宇宙的秩序」。

これの出現にも関わることだと想います。。(^^)
Posted by おいも at 2021年05月04日 15:55
最近思ってきていること。

「人生は、ただの趣味(笑)」

精神的なこと、物質的なこと、分け隔てなく、そうだろうと思えてきています。
にも関わらず「こんなこと趣味でやってるつもりは無い」とか
思ってしまっているなら、
それすら『そういう趣味』なんだろうなと。
なんでかって、気付いた時に、物凄く面白いし、ビックリするし、
感動するので。
どうやら自分は、そうして中途半端に気付いていくという『遊び』が
『趣味』なのかな?て思ってます。
とかなんとか書いたその瞬間に、そうでも無かったと思う瞬間もあるかもですが、
とりあえず今はその時ではないらしいです(笑)

どうせ趣味なら、せいぜい楽しんでいきたいと思います。
Posted by ただの「自分」 at 2021年05月04日 16:17
こんにちわ、私も偶然小学校での友達の言葉を思い出していたのですが、私に初めて会った時友人は私に対して非常に鼻持ちならない人間と感じたそうです。「でも今会ってるとあの頃と変わったよね。」そう、私は意識していい人間になりました。相手を立てて自分は一歩引くそんな処世術を小学校3年生にして会得していました。おかげで、波風の立たない穏やかな集団生活を最近まで過ごすことが出来ました。でもそれはなりたい自分ではなかったんです。そのことが、やっとわかってきました。
Posted by makotoazuma at 2021年05月04日 17:14
ということで

ここで一曲

げら げら げら

バーニラー
Posted by かまちゃんぺ at 2021年05月04日 17:56
僕も、女性の前ではつい気取ってしまうんです。ホントはもっと気軽に話したいんです。でも女好きな人と思われたくないから、つい真面目な顔をしてしまうんです。だからいつも欲求不満な気持ちを抱えて生きることになります。なんでこんなことになってしまったのか自分でもわかりませんが、少しの勇気があれば今すぐにでも変われるんですね。
Posted by 権兵衛 at 2021年05月04日 17:56
人間は、パンのみで生きるにあらず。(イエス・キリスト)
されど、人間は、パン無しで生きるに能わず。(マルクス)

最低でも、生きるのに必要な糧は、自力で得なければならない私たち。
そのために、不本意でも、大切にやりたいと思っていることを、手放さなくてはならない時もあることでしょう。

しかし、それでも尚、自分の幸せに向かって、挫折しながらも、人は歩み続けることでしょう。

学校の教師や親は、人間の生き方を教えてくれるわけではありませんので、私たちは、生きながら、自ら生き方を学ばなくてはなりません。

人生は、ある意味、闘いの場であり、獲得の連続であり、その中で、私たちは、常に、何かを学び、その学びを通して、自分が進む道(人生脚本)の軌道修正をしています。

そして、その道の最終的な終着点は、自由と幸福です。
この二つは、魂である真我本来の本性とも言える性質ですから、私たちは、どんな時にあっても、完全に忘れ去ることはできませんし、人生の目的は、この二つの成就にあると言っても過言ではありません。

そして、パンは、自由や幸福を獲得するためには必要であり、どんな人でも、完全に無視することはできないでしょう。

自分にとって、両者のバランスを取りながら進むことができる道とは、何なのか?

自分を輝かせて、人生を生きることは、誰にでも内在している可能性です。

この可能性に挑戦することで、人生はより一層価値のあるものになり、命の輝きが増すことでしょう。

人間が、まだ目覚めていない内在する自己の可能性に挑戦することで、古い観念に縛られていた自分が、一度死んで生まれ変わることも起こるでしょう。

自己の可能性に挑戦することは、古い自分の殻を脱ぎ捨てることであり、そのプロセスの中で、新しい自分が誕生して行くことになるのです。

古い殻を脱ぎ捨てることを放棄と言いますが、古いモノが放棄されて、人は初めて新しい自分に生まれ変わることができるのです。

キリスト教においては、それは贖罪、或いは、回心と呼ばれ、神から与えられる「第二の誕生」と言われていますが、神に許しを願い出て、本質に還ることを意味します。

しかし、私たちは、誰でも神から出で、神に還る存在ですから、宗教を通さずとも、本質に還ることはできます。

すでに誰でも、本質は神なのですから、己の中に無限の可能性を発見し、それを開花することで、その自覚が芽生え、確かなものとなることでしょう。

人生の進路に立ちはだかる難問との格闘を通して、自由と幸福を己の中に発見することは、自己の再誕につながり、それが真の自己の目覚めをもたらすことでしょう。
格闘するには、エネルギー源としてのパンは必要ですが、パンの獲得が人生の目的ではありません。
そのことをわかっていれば、本当の目的を見失うことはないでしょう。
パンを食べきれないほど持っていても、それが必ずしも、人の自由と幸福に結びつくわけではないこと。
それも学びを通してわかることなのかもしれませんが、人生は長いようで短いです。
人生を通して、自己という存在の本当の目的を知り、その目的の成就に向かって、いかなる道であろうとも、目的を見失わずに歩む人は、たとえ人生のすべてを失っても、お金では買えない自由と幸福という至高の宝を得ることでしょう。
Posted by 自由への道 from M-online at 2021年05月05日 00:05
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