2015年12月29日
役に立ちそうで立たない、ちょっと役に立つ話
「この世は夢のようなもの」
そんな話をよく聞くでしょ。
夢とは、夢を持ちますというような希望の夢のことではなく、睡眠中に見ている夢のことです。
「この世は夢のようなもの」というのは、こうして目覚めているつもりのこの現実も、大いなる次元から見れば、睡眠中の夢と同じように夢だということです。
睡眠中の夢が夢だったことを知るのは目覚めてからですが、現象界の夢を夢と知るのも、やはり目覚めたときです。
さてここで基本的なことを押さえておく必要があります。
それは、夢を見ているのも夢から覚めるのも、夢の中の自分ではないということです。
夢を見ていた者が、夢から覚めるのです。
現象界という夢から覚めるのも、あなたではありません。
もっと大きな何かが、「あなたという夢」から目覚めるのです。
その何かは、大いなる意識とか真我とか呼ばれていますが、夢の中の自分からは想像もつかない異次元の存在です。
昨夜見た夢も、あなたが作り出したのではなく勝手に見ていたはずです。
現象界も同じです。
目の前の現実に見える夢も、あなたが作っているのではありません。
そもそもあなたという存在が夢そのものなのだから。
にもかかわらず、自分は個人だという感覚が強いので、なんでも個人である自分が作り出しているように感じるのです。
同じようなことは輪廻転生を語る人たちにも言えます。
彼らは、 何かの記憶をキャッチしたのでしょう。
そしてその記憶を自分の記憶と思ったのです。
「自分という個人」が確実に存在するという観念は、輪廻転生という壮大なドラマまで描きます。
今生にさえ存在しない自分が、どうやって前世で存在したというのでしょう。
もう一度言います。
「この世は夢のようなもの」
その夢を見ているのは自分ではありません。
自分という存在は、大いなる意識が見ている夢の登場人物です。
そう、僕たちは単なる登場人物なのです。
何が起きても夢の中の登場人物に責任はありません。
せめてこのことを知っていれば、余計な苦しみから逃れられますね。
何一つあなたのせいではないのだから。
これは気休めではなく事実なので、しっかり受け止めましょう。
このようなメッセージは存在の根幹を覆してしまうので、人生に何の役にも立ちませんが、執拗に自分を責め続ける傾向には、待ったをかけることができます。
さてそれじゃ、みんなで正月の夢でも見るとしよう(^ ^)
そんな話をよく聞くでしょ。
夢とは、夢を持ちますというような希望の夢のことではなく、睡眠中に見ている夢のことです。
「この世は夢のようなもの」というのは、こうして目覚めているつもりのこの現実も、大いなる次元から見れば、睡眠中の夢と同じように夢だということです。
睡眠中の夢が夢だったことを知るのは目覚めてからですが、現象界の夢を夢と知るのも、やはり目覚めたときです。
さてここで基本的なことを押さえておく必要があります。
それは、夢を見ているのも夢から覚めるのも、夢の中の自分ではないということです。
夢を見ていた者が、夢から覚めるのです。
現象界という夢から覚めるのも、あなたではありません。
もっと大きな何かが、「あなたという夢」から目覚めるのです。
その何かは、大いなる意識とか真我とか呼ばれていますが、夢の中の自分からは想像もつかない異次元の存在です。
昨夜見た夢も、あなたが作り出したのではなく勝手に見ていたはずです。
現象界も同じです。
目の前の現実に見える夢も、あなたが作っているのではありません。
そもそもあなたという存在が夢そのものなのだから。
にもかかわらず、自分は個人だという感覚が強いので、なんでも個人である自分が作り出しているように感じるのです。
同じようなことは輪廻転生を語る人たちにも言えます。
彼らは、 何かの記憶をキャッチしたのでしょう。
そしてその記憶を自分の記憶と思ったのです。
「自分という個人」が確実に存在するという観念は、輪廻転生という壮大なドラマまで描きます。
今生にさえ存在しない自分が、どうやって前世で存在したというのでしょう。
もう一度言います。
「この世は夢のようなもの」
その夢を見ているのは自分ではありません。
自分という存在は、大いなる意識が見ている夢の登場人物です。
そう、僕たちは単なる登場人物なのです。
何が起きても夢の中の登場人物に責任はありません。
せめてこのことを知っていれば、余計な苦しみから逃れられますね。
何一つあなたのせいではないのだから。
これは気休めではなく事実なので、しっかり受け止めましょう。
このようなメッセージは存在の根幹を覆してしまうので、人生に何の役にも立ちませんが、執拗に自分を責め続ける傾向には、待ったをかけることができます。
さてそれじゃ、みんなで正月の夢でも見るとしよう(^ ^)
Posted by Toshiro Abe at 08:40│Comments(59)
この記事へのコメント
おはようございます。
阿部さんいつも心が楽になるメッセージをありがとうございます。
どうせ夢見ならやりたいようにやってみます。
それも起きていることですね(^^)
阿部さんいつも心が楽になるメッセージをありがとうございます。
どうせ夢見ならやりたいようにやってみます。
それも起きていることですね(^^)
Posted by はるみ at 2015年12月29日 08:47
役にたったように思います。
Posted by 桔梗 at 2015年12月29日 08:48
阿部さん、いつもありがとうございます。
そして、今年一年、多々ありがとうございました。
そっかぁ。「前世」は「何かの記憶をキャッチ」したものなんですね♪
気楽に、そんな在り方を教えて頂き、以前よりもずっと気楽にいられるようになった1年でした。
来年もまた宜しくお願いいたします。
☆感謝☆
そして、今年一年、多々ありがとうございました。
そっかぁ。「前世」は「何かの記憶をキャッチ」したものなんですね♪
気楽に、そんな在り方を教えて頂き、以前よりもずっと気楽にいられるようになった1年でした。
来年もまた宜しくお願いいたします。
☆感謝☆
Posted by 黒崎顕 aka たこぴゃろ at 2015年12月29日 09:22
>人生に何の役にも立ちませんが
・・・って (笑) 根幹を覆して、後の人生には、夢として 見抜いて生きられるという 特典がついてきますが、根幹を覆すところに 自力の及ばない体験が必要とされますので、誰もかれもが目を覚ますことには ならないようですね。目を覚ました・・・って 思っているのが まだ 夢だったりしますね(笑)
今年もコメントを書かせて頂き、ありがとうございました。
良い お年を お迎えください、あにぃ。。。
・・・って (笑) 根幹を覆して、後の人生には、夢として 見抜いて生きられるという 特典がついてきますが、根幹を覆すところに 自力の及ばない体験が必要とされますので、誰もかれもが目を覚ますことには ならないようですね。目を覚ました・・・って 思っているのが まだ 夢だったりしますね(笑)
今年もコメントを書かせて頂き、ありがとうございました。
良い お年を お迎えください、あにぃ。。。
Posted by AQU@ at 2015年12月29日 09:22
家の大掃除もせず
心もゴミの山
それも
私のせいじゃない
心もゴミの山
それも
私のせいじゃない
Posted by つきよ at 2015年12月29日 09:30
以前は早くこの夢から覚めたいと思ってましたが、
最近、この夢を楽しんでからで、いいかなと思えるようになりました。
あべさんのおかげです。
ありがとうございます。
最近、この夢を楽しんでからで、いいかなと思えるようになりました。
あべさんのおかげです。
ありがとうございます。
Posted by みたろう at 2015年12月29日 09:43
するってぇと、阿部にゃん
あれかい
ヤツの夢の登場人物の我々は
するすべなし
ヤツが、よだれを流しながら見てる夢の、中で あーでもない こーでもないと
ワラワラしてるアリンコかい
ヤツの脇の下でも こちょこちょしたら
ちょっとは楽しい夢になるんやろうか
いや、待て ヤツの脇の下がどこにあるのかもわからん
わからんから、ヤツのお任せフルコースディナーに舌鼓でも打つことにしますかにゃ
(ヤツとは。以前阿雲で,コクサイさんが言うとりました表現ですΨ( ̄∇ ̄)Ψ
最後に夢は、異目(いめ)と、きいたことがあります。
するってぇと、ヤツの目で見ていることやん
ガッテン承知の透けやん\(^^)/
ヤツ様、今日も良い夢をたのむにゃ
あれかい
ヤツの夢の登場人物の我々は
するすべなし
ヤツが、よだれを流しながら見てる夢の、中で あーでもない こーでもないと
ワラワラしてるアリンコかい
ヤツの脇の下でも こちょこちょしたら
ちょっとは楽しい夢になるんやろうか
いや、待て ヤツの脇の下がどこにあるのかもわからん
わからんから、ヤツのお任せフルコースディナーに舌鼓でも打つことにしますかにゃ
(ヤツとは。以前阿雲で,コクサイさんが言うとりました表現ですΨ( ̄∇ ̄)Ψ
最後に夢は、異目(いめ)と、きいたことがあります。
するってぇと、ヤツの目で見ていることやん
ガッテン承知の透けやん\(^^)/
ヤツ様、今日も良い夢をたのむにゃ
Posted by 今年の夢は今年のうちに at 2015年12月29日 09:44
前世も、この人間システムを楽しむためには、おもしろいツールのひとつだと思います。
前世に気づくことで、この世といわれているいまの状態が、楽になることもたくさんあります。
いろんな楽しみがあるから、満喫すればいいだけだと思います。
前世に気づくことで、この世といわれているいまの状態が、楽になることもたくさんあります。
いろんな楽しみがあるから、満喫すればいいだけだと思います。
Posted by てんてん at 2015年12月29日 09:51
おはようございます。
つまり「自分」は「ドラクエ」や「スパロボ」の主人公で、PSを操作している存在は別にいるという認識で良いということなんでしょうか。
ゲーム中のキャラクターは「」自分が他の存在に操作されている存在だ」としらないですし。
つまり「自分」は「ドラクエ」や「スパロボ」の主人公で、PSを操作している存在は別にいるという認識で良いということなんでしょうか。
ゲーム中のキャラクターは「」自分が他の存在に操作されている存在だ」としらないですし。
Posted by 郭 奉孝 at 2015年12月29日 09:51
おはようございます
23日のサットサンで
私達は夢の中に出てくる登場人物と同じ
というお話しがありましたね
あらためて記事にして下さりありがとうございます
僕なら
夢の中に出てくるキャラと同じというより
アニメに出てくるキャラと同じと言います
ルパン三世が存在していると本当に信じていることと
自分の名前が存在していると本当に信じていることは同じ
ということですね
もちろん
ウルトラマンが存在していると本当に信じていることと
自分の名前が存在していると本当に信じていることは同じ
とも言えるわけです
ウルトラマンが存在していることを本当に信じている
幼児をみると可愛いものですが
誰もいない愛の星からやって来た宇宙人からみると
自分の名前が本当に存在していると信じている地球人は
めちゃ可愛いし!
ということでしょうね(笑)
☆
阿部さんは私達が存在していることを前提に話しをしてくれます
菜穂さんはもうすでに誰もいないところから話しをしてくれます
たったひとつの全体が
阿部さんを表現し菜穂さんを表現している…
いずれにしろ愛
全部が愛
愛☆愛☆
ありがとうございます
23日のサットサンで
私達は夢の中に出てくる登場人物と同じ
というお話しがありましたね
あらためて記事にして下さりありがとうございます
僕なら
夢の中に出てくるキャラと同じというより
アニメに出てくるキャラと同じと言います
ルパン三世が存在していると本当に信じていることと
自分の名前が存在していると本当に信じていることは同じ
ということですね
もちろん
ウルトラマンが存在していると本当に信じていることと
自分の名前が存在していると本当に信じていることは同じ
とも言えるわけです
ウルトラマンが存在していることを本当に信じている
幼児をみると可愛いものですが
誰もいない愛の星からやって来た宇宙人からみると
自分の名前が本当に存在していると信じている地球人は
めちゃ可愛いし!
ということでしょうね(笑)
☆
阿部さんは私達が存在していることを前提に話しをしてくれます
菜穂さんはもうすでに誰もいないところから話しをしてくれます
たったひとつの全体が
阿部さんを表現し菜穂さんを表現している…
いずれにしろ愛
全部が愛
愛☆愛☆
ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2015年12月29日 09:56
( 質問者 )
真我を実現した人にとって
目覚め、夢見、眠りの三つの状態は存在しないといわれています。
それは事実なのでしょうか?
(ラマナ・マハルシ)
何があなたに
「実現した人は三つの状態をもたない」と言わせるのだろうか?
「私は夢を見た、私は深い眠りの中にいた、私は目覚めた」
と言うことで、あなたは三つの状態すべてに存在していたのを認めることになる。
それは、あなたが常にそこに存在していたことを明らかにしている。
(質問者)
目覚め、夢見、深い眠りの三つの状態にあっても
それらが私に影響を与えることはないのでしょうか?
(ラマナ・マハルシ)
その通りだ。
これらの状態はみな来ては去っていく。
だが、真我は惑わされない。
それはただひとつの状態なのである。
~ 「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」より ~
真我を実現した人にとって
目覚め、夢見、眠りの三つの状態は存在しないといわれています。
それは事実なのでしょうか?
(ラマナ・マハルシ)
何があなたに
「実現した人は三つの状態をもたない」と言わせるのだろうか?
「私は夢を見た、私は深い眠りの中にいた、私は目覚めた」
と言うことで、あなたは三つの状態すべてに存在していたのを認めることになる。
それは、あなたが常にそこに存在していたことを明らかにしている。
(質問者)
目覚め、夢見、深い眠りの三つの状態にあっても
それらが私に影響を与えることはないのでしょうか?
(ラマナ・マハルシ)
その通りだ。
これらの状態はみな来ては去っていく。
だが、真我は惑わされない。
それはただひとつの状態なのである。
~ 「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」より ~
Posted by 大空(おおぞら)
at 2015年12月29日 09:57

阿部さん、いつも有難うございます。
ほんとにそれしか言えません。
うれしいいです。
ほんとにそれしか言えません。
うれしいいです。
Posted by taruto at 2015年12月29日 09:59
はい、大賛成です。
これも思考がかんがえてるのかなぁ(^_^;)
それでもいいや。
これも思考がかんがえてるのかなぁ(^_^;)
それでもいいや。
Posted by ラベンダー at 2015年12月29日 10:21
教えて下さい!!
死後の世界=目覚めたときは、
どんな感覚になるんですか???
死後の世界=目覚めたときは、
どんな感覚になるんですか???
Posted by 章記 at 2015年12月29日 10:41
阿部さん、皆さん
おはようございます。
阿部さんが、伝え続けて下さっていることが、頭での理解ではなく、細胞レベルで腑に落ち、「そうだったのかー、思い出して良かったぁ。」と、ほっとして、安らぎ、静けさを感じています。
2015年、阿部さん、大和田菜穂さんからのメッセージで、私が変化したことです。
ありがとうございました。
今一瞬一瞬を大切に楽しんで夢を見て生きます。
おはようございます。
阿部さんが、伝え続けて下さっていることが、頭での理解ではなく、細胞レベルで腑に落ち、「そうだったのかー、思い出して良かったぁ。」と、ほっとして、安らぎ、静けさを感じています。
2015年、阿部さん、大和田菜穂さんからのメッセージで、私が変化したことです。
ありがとうございました。
今一瞬一瞬を大切に楽しんで夢を見て生きます。
Posted by taeko.love at 2015年12月29日 11:05
>それは、夢を見ているのも夢から覚めるのも、夢の中の自分ではないということです。
>夢を見ていた者が、夢から覚めるのです。
>現象界という夢から覚めるのも、あなたではありません。
>もっと大きな何かが、「あなたという夢」から目覚めるのです。
>その何かは、大いなる意識とか真我とか呼ばれていますが、夢の中の自分からは想像もつかない異次元の存在です。
”夢”と例えると、その”夢”を見ている存在が在るように想定してしまいますが、
”現象”と言う”夢”を見ている存在はいません。
敢えているとしたら、それは”人間”(自我意識)です。
(人間が寝ている間は、現象を見ている存在はなくなるので、そう言えるかと思います)
”真我”は、”ただ在るだけ”の存在なので、
”真我”は、まったく”夢”(現象)の内容には、関与していません。
ですから、”夢”(現象)を観ている、という表現は当たらないと感じます。
どちらかと言うと、”夢”(現象)そのものを創り出している”源”のような存在、と言えるかと思います。
”真我”なくして、この世界(現象界)は、存在することが出来ません。
”夢”(幻)という”現象”を根底から在らしめている”大きな力”ですから。
”それ”が、私たちの”本質”なのですが、
”夢”見ている”わたし”(自我意識)が消えると、真の実在(真我)だけが露わになります。
”夢”(現象)という非実在(アサット)な幻が消えた時に、真の実在(サット)である”真我”が現れます。
それを”目覚め”とか”覚醒”と呼びます。
”真我の目覚め”は、”夢”見ていた存在(自我意識)の消滅を意味します。
(昨日の記事のコメント欄にも、同じ内容のコメントを書きました)
”真我”そのものは、”夢”と表現されるような顕れては消えて行く現象を観ている存在ではなく、
”夢”そのものを創造している”源”なのです。
ですから、昔のインドでは、この現象界を”夢”というより、
”リーラ”(神の戯れ)とか、マーヤ(幻)と呼んだのでしょう(^ ^)
人間にとっては、人生は”正夢”という”夢”なので、
良い”夢”を見たい、というのは、人情だと思います(^ ^)
一富士、二鷹、三茄、
良い正夢となりますように(^ ^)
>夢を見ていた者が、夢から覚めるのです。
>現象界という夢から覚めるのも、あなたではありません。
>もっと大きな何かが、「あなたという夢」から目覚めるのです。
>その何かは、大いなる意識とか真我とか呼ばれていますが、夢の中の自分からは想像もつかない異次元の存在です。
”夢”と例えると、その”夢”を見ている存在が在るように想定してしまいますが、
”現象”と言う”夢”を見ている存在はいません。
敢えているとしたら、それは”人間”(自我意識)です。
(人間が寝ている間は、現象を見ている存在はなくなるので、そう言えるかと思います)
”真我”は、”ただ在るだけ”の存在なので、
”真我”は、まったく”夢”(現象)の内容には、関与していません。
ですから、”夢”(現象)を観ている、という表現は当たらないと感じます。
どちらかと言うと、”夢”(現象)そのものを創り出している”源”のような存在、と言えるかと思います。
”真我”なくして、この世界(現象界)は、存在することが出来ません。
”夢”(幻)という”現象”を根底から在らしめている”大きな力”ですから。
”それ”が、私たちの”本質”なのですが、
”夢”見ている”わたし”(自我意識)が消えると、真の実在(真我)だけが露わになります。
”夢”(現象)という非実在(アサット)な幻が消えた時に、真の実在(サット)である”真我”が現れます。
それを”目覚め”とか”覚醒”と呼びます。
”真我の目覚め”は、”夢”見ていた存在(自我意識)の消滅を意味します。
(昨日の記事のコメント欄にも、同じ内容のコメントを書きました)
”真我”そのものは、”夢”と表現されるような顕れては消えて行く現象を観ている存在ではなく、
”夢”そのものを創造している”源”なのです。
ですから、昔のインドでは、この現象界を”夢”というより、
”リーラ”(神の戯れ)とか、マーヤ(幻)と呼んだのでしょう(^ ^)
人間にとっては、人生は”正夢”という”夢”なので、
良い”夢”を見たい、というのは、人情だと思います(^ ^)
一富士、二鷹、三茄、
良い正夢となりますように(^ ^)
Posted by H at 2015年12月29日 11:16
>どんな感覚?
感覚は言葉には なりませんが、そのトキの感想なら 言葉にすることができます。勿論 その感想を 持つのは誰?なんて、マニアック(理知的)で意地悪なつっこみも 覚悟すればね(笑)
思い出すこと。何故 その記憶が残っていたかは判りません。
ですが、正確に思いだせました。私は この状態である。と。
自我体験以前の自己。でも 前世とかの記憶はなかったです。
生きて 今の自我が体験したこと以外には ない。
そう 思いました。(私はですが)
神の仕組み・・・これを 感じました。
ですから ある種の可笑しさと 自我個性が体験できることへの
熱烈な感謝の感情が入り組みまました。
自作自演を仕組む 存在が 神の正体であると、
そして 自らが創造した意識に 自らが 創造した実際を忘れて
乗り込んでいるという 想像する範囲の外側にあるような仕組みであり、
その不可思議さを 「自我意識が理解」しきるには
相当に困難では ありました。阿部さんは これを簡単に行えたようです。
何も 起きてなどいないこと。私の内側には、思考も感情も意志さえも
何も 起きていませんでした。それが実感されます。
私という 個性は、根本の意識にとっては 単なる 肉体を経験するトキに
起きている 感想が 誤解され、誤認されているだけということが
真理意志が、「自我意識の私を」 見破ってくれます。
私には 何も できません。
彼が 私を見抜いてくれるのが、総ての 終わりです。
感覚は言葉には なりませんが、そのトキの感想なら 言葉にすることができます。勿論 その感想を 持つのは誰?なんて、マニアック(理知的)で意地悪なつっこみも 覚悟すればね(笑)
思い出すこと。何故 その記憶が残っていたかは判りません。
ですが、正確に思いだせました。私は この状態である。と。
自我体験以前の自己。でも 前世とかの記憶はなかったです。
生きて 今の自我が体験したこと以外には ない。
そう 思いました。(私はですが)
神の仕組み・・・これを 感じました。
ですから ある種の可笑しさと 自我個性が体験できることへの
熱烈な感謝の感情が入り組みまました。
自作自演を仕組む 存在が 神の正体であると、
そして 自らが創造した意識に 自らが 創造した実際を忘れて
乗り込んでいるという 想像する範囲の外側にあるような仕組みであり、
その不可思議さを 「自我意識が理解」しきるには
相当に困難では ありました。阿部さんは これを簡単に行えたようです。
何も 起きてなどいないこと。私の内側には、思考も感情も意志さえも
何も 起きていませんでした。それが実感されます。
私という 個性は、根本の意識にとっては 単なる 肉体を経験するトキに
起きている 感想が 誤解され、誤認されているだけということが
真理意志が、「自我意識の私を」 見破ってくれます。
私には 何も できません。
彼が 私を見抜いてくれるのが、総ての 終わりです。
Posted by AQU@ at 2015年12月29日 11:30
正にです。
この世が夢だと気づくとは、どなたかが言われてたように、自分が演じていたと気づくことでしょうか。
我々は自分から行為してるように思ってますが、実は行為させられているようです。
この、演技してると思えた時が自己観照状態だと思います。
その人は自然にその様になったようですが、もしそうならなくっても、実際にやってみれば分ってくると思うのですが、湧いた感情を間髪を入れずに演じてみるなら、脳はそれが自分の演技だと錯覚してしまうのだと思います。
最初は本当の自己観察では無いのかも知れませんが、どなたかと同じように感情(怒り)に翻弄されることは無くなる分けです。
そして、常に感情の湧いた瞬間を見て演じる分けなので、やがてそれは自己観察という状態に発展するのだと思う分けです。
怒っている時には怒りを演じ、苦しい時には苦しさを演じ・・・・・。
いくら演じ切っても、演じている自分は傷付かない分けです。
その人がそれを証明してくれたことは、たいへん有意義なことだと思ってます(^^)v
汝のごとく
この世にあって所業を為し
自ら行為者と信じつつ
百年の寿を願う者
その人にあっては
己の業に染まらず生きること
これより他に道はなし
(イーシャ・ウパニシャッド)
OSHOはこれにたいして、役者として振る舞うことだと言ってます。
http://furuzo68.blog.fc2.com/blog-entry-326.html
http://tamo.thd-web.jp/e8578.html
上の言葉の〝自ら行為者と信じつつ〟
とはつまり、どなたかが言われてた
>日々、心身をすり減らしてまで
>自分を演じていますね。
これですね、自分を行為者(無自覚に演技している者)だと理解されたようです。
この世が夢だと気づくとは、どなたかが言われてたように、自分が演じていたと気づくことでしょうか。
我々は自分から行為してるように思ってますが、実は行為させられているようです。
この、演技してると思えた時が自己観照状態だと思います。
その人は自然にその様になったようですが、もしそうならなくっても、実際にやってみれば分ってくると思うのですが、湧いた感情を間髪を入れずに演じてみるなら、脳はそれが自分の演技だと錯覚してしまうのだと思います。
最初は本当の自己観察では無いのかも知れませんが、どなたかと同じように感情(怒り)に翻弄されることは無くなる分けです。
そして、常に感情の湧いた瞬間を見て演じる分けなので、やがてそれは自己観察という状態に発展するのだと思う分けです。
怒っている時には怒りを演じ、苦しい時には苦しさを演じ・・・・・。
いくら演じ切っても、演じている自分は傷付かない分けです。
その人がそれを証明してくれたことは、たいへん有意義なことだと思ってます(^^)v
汝のごとく
この世にあって所業を為し
自ら行為者と信じつつ
百年の寿を願う者
その人にあっては
己の業に染まらず生きること
これより他に道はなし
(イーシャ・ウパニシャッド)
OSHOはこれにたいして、役者として振る舞うことだと言ってます。
http://furuzo68.blog.fc2.com/blog-entry-326.html
http://tamo.thd-web.jp/e8578.html
上の言葉の〝自ら行為者と信じつつ〟
とはつまり、どなたかが言われてた
>日々、心身をすり減らしてまで
>自分を演じていますね。
これですね、自分を行為者(無自覚に演技している者)だと理解されたようです。
Posted by 茶呆り~ら♪ at 2015年12月29日 11:50
そうは言うものの、、、
人にしたことは、自分にしたことである。
自分から出たものが、そのまま自分にかえる。
自分が持って行ったものを、そのまま持ってかえる。
といったような法則のようなものがある、夢の世界だから楽にはおもえない。
人にしたことは、自分にしたことである。
自分から出たものが、そのまま自分にかえる。
自分が持って行ったものを、そのまま持ってかえる。
といったような法則のようなものがある、夢の世界だから楽にはおもえない。
Posted by mubon at 2015年12月29日 11:54
☆私が★私にお礼を言うのは変な感覚を覚えますが、それは、
ある私(バージョンの)が、別の形(バージョンの)私に言うことなので、
△色々と、▼世間では、▼他では、▽言えない、▽問えないことを、たくさん、たくさん、▲書かせていただき、◎ありがとうございました。
また、重ね重ね、○許容や○容認をして下さり、ありがとうございました。(_ _)
◆意識の居場所の「とんぼ返り」の現象は、まだ勝手に起こっているようですが、あまり、それらに、▽くっついたり、▽離れたり、○“される”ことに、気にならなくなって参りました。
しかし、肉体的な反応や、五感の不快感や、痛みや。。。頭や、胸や、腹、それぞれの共感・反応、その振動/バイブレーションには、
やっぱり、▼瞬時に同化されてしまって、○“しまう”ので、困りものです。(--;)
○そういう仕組みなのだと、分かっては、いますが‥苦しみの▽感覚が派生してしまいます。
しかし、それでも、この割り当てられている“もの”が、“意識”が、
例えて言えば、「家政婦のミタさん」風に、意識のあり方や認識が、なって来ましたので、
深刻さや、苦しみが、継続しなくなって参りました。(意識のとんぼ返りが起こっても)
ですから、あべさんのおっしゃられたことに、◎「承知しました。」
ある私(バージョンの)が、別の形(バージョンの)私に言うことなので、
△色々と、▼世間では、▼他では、▽言えない、▽問えないことを、たくさん、たくさん、▲書かせていただき、◎ありがとうございました。
また、重ね重ね、○許容や○容認をして下さり、ありがとうございました。(_ _)
◆意識の居場所の「とんぼ返り」の現象は、まだ勝手に起こっているようですが、あまり、それらに、▽くっついたり、▽離れたり、○“される”ことに、気にならなくなって参りました。
しかし、肉体的な反応や、五感の不快感や、痛みや。。。頭や、胸や、腹、それぞれの共感・反応、その振動/バイブレーションには、
やっぱり、▼瞬時に同化されてしまって、○“しまう”ので、困りものです。(--;)
○そういう仕組みなのだと、分かっては、いますが‥苦しみの▽感覚が派生してしまいます。
しかし、それでも、この割り当てられている“もの”が、“意識”が、
例えて言えば、「家政婦のミタさん」風に、意識のあり方や認識が、なって来ましたので、
深刻さや、苦しみが、継続しなくなって参りました。(意識のとんぼ返りが起こっても)
ですから、あべさんのおっしゃられたことに、◎「承知しました。」
Posted by Y-be at 2015年12月29日 11:54
動物、例えば猫なども
レム睡眠時間帯のようなものがあるらしく、
規模の大小、緻密さの程度はあれ、
脳内の整理というか、シミュレーション的な作業は
人間に限らず行われているようで、
夢を見ているのかもしれませんね。
ただ彼らの場合
これらの時間帯と目覚めている時間帯との
深刻な質の差はないのでしょう。
これが単に起きていることで済まないのは
「それは夢だ」という夢の何たるかを知る
人間特有の事情なのでしょう。
レム睡眠時間帯のようなものがあるらしく、
規模の大小、緻密さの程度はあれ、
脳内の整理というか、シミュレーション的な作業は
人間に限らず行われているようで、
夢を見ているのかもしれませんね。
ただ彼らの場合
これらの時間帯と目覚めている時間帯との
深刻な質の差はないのでしょう。
これが単に起きていることで済まないのは
「それは夢だ」という夢の何たるかを知る
人間特有の事情なのでしょう。
Posted by 内村周真 at 2015年12月29日 12:00
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Posted by オペルパパ at 2015年12月29日 12:15
そう考えれば楽になるという時も確かにあります。
ま、あんまり気にしない。夢というか、舞台での配役を演じるとでもいうか。
ま、あんまり気にしない。夢というか、舞台での配役を演じるとでもいうか。
Posted by ひよどり at 2015年12月29日 12:16
<つづき>
夢もまたこれと同じで、目覚めてから夢(ストーリー)を自覚する分けかもです。
夢だと認識しないで夢を見ている時もあり、この時こそ手の平を見る夢が有効に成るのですが、でもたいがいは目が覚めてから夢を思い出します。
つまりそれは、目覚めてから手の平を見ていた夢を思い出すことに成りかねません(笑)
もしも夢で手の平を見ているのを自覚できれば、それはアハ体質になったと言えるでしょうか。
僕の言ってることは活字にするから長く感じられますが、簡単に出来る事であり、どなたかが言ってる様な思考の狭間を見る方がよっぽど僕には難しい分けです。
それと、ゴチャゴチャ考えるなと言う人もいるようですが、それは追及を放棄することであり、追及の放棄は自ずとおとずれるものであれば、故意に放棄しょうとするのは単にその様に言わたからでありエゴの駄慢ではないかと、このように思う次第なのです。
単に我々は食わず嫌い(実践嫌い・めんどい)なのかも知れません。
長々と失礼しました(汗)
キリが無いです、ほんに嫌に成っちゃいます(爆)
そろそろ止めないと(自爆)
夢もまたこれと同じで、目覚めてから夢(ストーリー)を自覚する分けかもです。
夢だと認識しないで夢を見ている時もあり、この時こそ手の平を見る夢が有効に成るのですが、でもたいがいは目が覚めてから夢を思い出します。
つまりそれは、目覚めてから手の平を見ていた夢を思い出すことに成りかねません(笑)
もしも夢で手の平を見ているのを自覚できれば、それはアハ体質になったと言えるでしょうか。
僕の言ってることは活字にするから長く感じられますが、簡単に出来る事であり、どなたかが言ってる様な思考の狭間を見る方がよっぽど僕には難しい分けです。
それと、ゴチャゴチャ考えるなと言う人もいるようですが、それは追及を放棄することであり、追及の放棄は自ずとおとずれるものであれば、故意に放棄しょうとするのは単にその様に言わたからでありエゴの駄慢ではないかと、このように思う次第なのです。
単に我々は食わず嫌い(実践嫌い・めんどい)なのかも知れません。
長々と失礼しました(汗)
キリが無いです、ほんに嫌に成っちゃいます(爆)
そろそろ止めないと(自爆)
Posted by 茶呆り~ら♪ at 2015年12月29日 13:11
すみません肝心な事を言い忘れてまして(汗)、では熟睡状態つまり我々の日頃の意識から抜け出るにはどうすれば良いかと、自分の新たな考えをまたまた懲りずに駄弁ろうと思ったのですが・・・(笑)
AQU@ さんには関係なかったです('◇')ゞ
AQU@ さんには関係なかったです('◇')ゞ
Posted by 茶呆り~ら♪ at 2015年12月29日 13:20
<またまた、三コメの最初のコメが抜けてました(笑)>
>思い出すこと。何故 その記憶が残っていたかは判りません。
>ですが、正確に思いだせました。私は この状態である。と。
AQU@ さん、貴重な体験談ありがとうございます。
この世はあの世(広義の意味に於いて)の現われだと言われてますが、まさにそうかもで、この世に夢が有るということは、現実もまたあの世(真理の世界)では夢だと言える分けでしょうか。
では夢見を分析するのは、それを解明する為のたいへん有効な手段だと思えます。
夢の中で手の平を見るなら、夢なのでぼやけているはずです。
なので、ぼやけているゆえにそこが夢の中だと自覚できます。
しかし、夢の中で手の平を見る行為はなかなか来ないはずです。
夢ではそんなことはきれいに忘れ去っているからです。
ゆえに普段から常に手の平を見る様にして、それを無意識に植えつけないといけないかもです。
この、夢の中で手の平を見る行為は、いわば自覚を促す(意識を高める)行為であり、夢の中でボーとしてるのを鞭打つ行為でもあるでしようか。
格闘家が殴られたショックで意識が飛んだ状態(熟睡状態?)なのに、それでもなお戦ってたということが多々あるようです。
これは一般に云われてるような、前後(過去 未来)不覚状態だったと思われます。
この言葉の意味するところは、その時は意識は「いまここ」にあるということであり、決して消えてた分けではないのだと思います。
おそらくその時彼らは、脳にショックを受けたが為に前後不覚状態(いまここ)に陥り、それは意識が無くなったのではなく、元々そうである状態、つまり「いまここ」に落ち着いた(戻った)のかも知れません。
「いまここ」なるゆえに前後感覚が失せていて、ストーリーとしての記憶が成り立たなく成ったのかも知れません。
それゆえ戦っていたという記憶(ストーリー)がないのでしょう、おそらくですが。
>思い出すこと。何故 その記憶が残っていたかは判りません。
>ですが、正確に思いだせました。私は この状態である。と。
AQU@ さん、貴重な体験談ありがとうございます。
この世はあの世(広義の意味に於いて)の現われだと言われてますが、まさにそうかもで、この世に夢が有るということは、現実もまたあの世(真理の世界)では夢だと言える分けでしょうか。
では夢見を分析するのは、それを解明する為のたいへん有効な手段だと思えます。
夢の中で手の平を見るなら、夢なのでぼやけているはずです。
なので、ぼやけているゆえにそこが夢の中だと自覚できます。
しかし、夢の中で手の平を見る行為はなかなか来ないはずです。
夢ではそんなことはきれいに忘れ去っているからです。
ゆえに普段から常に手の平を見る様にして、それを無意識に植えつけないといけないかもです。
この、夢の中で手の平を見る行為は、いわば自覚を促す(意識を高める)行為であり、夢の中でボーとしてるのを鞭打つ行為でもあるでしようか。
格闘家が殴られたショックで意識が飛んだ状態(熟睡状態?)なのに、それでもなお戦ってたということが多々あるようです。
これは一般に云われてるような、前後(過去 未来)不覚状態だったと思われます。
この言葉の意味するところは、その時は意識は「いまここ」にあるということであり、決して消えてた分けではないのだと思います。
おそらくその時彼らは、脳にショックを受けたが為に前後不覚状態(いまここ)に陥り、それは意識が無くなったのではなく、元々そうである状態、つまり「いまここ」に落ち着いた(戻った)のかも知れません。
「いまここ」なるゆえに前後感覚が失せていて、ストーリーとしての記憶が成り立たなく成ったのかも知れません。
それゆえ戦っていたという記憶(ストーリー)がないのでしょう、おそらくですが。
Posted by 茶呆り~ら♪ at 2015年12月29日 13:35
はい、登場人物ですね(^^)言い聞かせようっと。
罪を憎んで人を憎まず。というのも、それに通じるんでしょうかね(^^)
輪廻に関しては、自分という個人が存在すると思っている間は、あり得るのではないかと思ってしまいます。
自分という個人は存在していなかったということを知るまで、
何度も生まれ変わりながら魂の成長を目指していると。
という考えが法華経と似てる??(笑)
ここが自分にとってネックに思えます(^^;
私は仏教が何を伝えようとしているのか知りませんし、知りたいけど難しいし、それに、混沌とした感じがしますです。
だからなのか、阿部さんの話しがおもしろいし、聴きたいし、自分でも確かめたい?のだと思いました(^_^)
今夜は実家で過ごしま~す。
話しが噛み合わないかもですが(笑)
罪を憎んで人を憎まず。というのも、それに通じるんでしょうかね(^^)
輪廻に関しては、自分という個人が存在すると思っている間は、あり得るのではないかと思ってしまいます。
自分という個人は存在していなかったということを知るまで、
何度も生まれ変わりながら魂の成長を目指していると。
という考えが法華経と似てる??(笑)
ここが自分にとってネックに思えます(^^;
私は仏教が何を伝えようとしているのか知りませんし、知りたいけど難しいし、それに、混沌とした感じがしますです。
だからなのか、阿部さんの話しがおもしろいし、聴きたいし、自分でも確かめたい?のだと思いました(^_^)
今夜は実家で過ごしま~す。
話しが噛み合わないかもですが(笑)
Posted by ようこ at 2015年12月29日 14:13
お陰様で1日1日を、緩やかに過ごしております、青い鳥は、確実に内に安住していらっしゃるようです
ブログ~
ありがとうございます
感謝!!合掌,
ブログ~
ありがとうございます
感謝!!合掌,
Posted by ゆきやなぎ at 2015年12月29日 15:14
《大いなる次元から見れば夢》も、
《この次元から見れば現実》ですね〜
《物理的な生存を維持する必要がある》
からでよん♪
……違うって方いますかね?
いたらサインしてください(笑)
輪廻転生の記憶だけではなく、
今生の記憶にしても、
ストックしているのは頭脳ではなく、
個々の細胞です。
より正確には、
細胞を構成している、
最小単位の物質が内包している意識が、
レシーバーとして記憶をダウンロードしているのです。
記憶を認識できるのは意識があるからです
ね?
…違わないはずです汗
移植を受けた人にドナーの記憶が移る場合の理由です。
無くした手脚が痒くなるのは、
知覚は五感だけに依存しないからです。
見え・ないのにあるわけです(笑)
人それぞれに外見が異なるのは、
身体を構成している細胞の意識に、
個性があることの反映です。
意識は不生不滅で消すことができません。
帰還(融合)したとしても、
個性は消滅しないのです。
死後=消滅するなら、
この《嘘》ないし思い込み(笑)に対し、誰も確認ができません意識が消滅するからです(追求を免れました)
死とは形態が変わるだけのことです。
変換して認識できなくなっただけです。
見えなくなっただけなんですね。
先に逝った人達はね(微笑)
《この次元から見れば現実》ですね〜
《物理的な生存を維持する必要がある》
からでよん♪
……違うって方いますかね?
いたらサインしてください(笑)
輪廻転生の記憶だけではなく、
今生の記憶にしても、
ストックしているのは頭脳ではなく、
個々の細胞です。
より正確には、
細胞を構成している、
最小単位の物質が内包している意識が、
レシーバーとして記憶をダウンロードしているのです。
記憶を認識できるのは意識があるからです
ね?
…違わないはずです汗
移植を受けた人にドナーの記憶が移る場合の理由です。
無くした手脚が痒くなるのは、
知覚は五感だけに依存しないからです。
見え・ないのにあるわけです(笑)
人それぞれに外見が異なるのは、
身体を構成している細胞の意識に、
個性があることの反映です。
意識は不生不滅で消すことができません。
帰還(融合)したとしても、
個性は消滅しないのです。
死後=消滅するなら、
この《嘘》ないし思い込み(笑)に対し、誰も確認ができません意識が消滅するからです(追求を免れました)
死とは形態が変わるだけのことです。
変換して認識できなくなっただけです。
見えなくなっただけなんですね。
先に逝った人達はね(微笑)
Posted by ココには何もありませんシエル☆ at 2015年12月29日 15:24
あにぃのコメント欄は いつも 盛り上がっていて うらめしい(笑)
夢っていう言葉は 生理的に肉体を 休めている間に それまでの精神が
記憶の整理をつける 為に あるかと思います。
これと 混同して 欲しくないのが、
肉体に関わらない 私達の意識の根源たる部分なのです。
意識は はっきりとしています。昏睡状態でも 夢うつつでもなくて
しっかりとした 実在の感覚が伴いますので、安心して 下さいね。
朦朧として、焦点の定まらない 意識は、違う 状態であると認識しています。
で あと「意識」と書いたことで 自我じゃないかと 疑うかもですが、
これ以外には 書く 言葉がないのです。
夢っていう言葉は 生理的に肉体を 休めている間に それまでの精神が
記憶の整理をつける 為に あるかと思います。
これと 混同して 欲しくないのが、
肉体に関わらない 私達の意識の根源たる部分なのです。
意識は はっきりとしています。昏睡状態でも 夢うつつでもなくて
しっかりとした 実在の感覚が伴いますので、安心して 下さいね。
朦朧として、焦点の定まらない 意識は、違う 状態であると認識しています。
で あと「意識」と書いたことで 自我じゃないかと 疑うかもですが、
これ以外には 書く 言葉がないのです。
Posted by AQU@ at 2015年12月29日 15:25
Hさん
10月の大阪サットサンで菜穂さんも
夢を見ている存在はいない
と言っていました
僕の場合は
夜の夢も昼の夢も幻で
それを眺めている自分が真実なのだ
と思っていましたが…
それを眺めている自分というのは幻でいない
ということですね
☆
意識は何かについての意識であって対象物を必要とする
何かを眺めていることは
何かを眺めている自分と対象物に分離していること
何かに気づいていることは
何かに気づいている自分と対象物に分離していること
ですから
何かを眺めている必要はない
何かに気づいている必要はない
ただ在るだけ…
そうすれば分離は消え去る
自我の自分は消え去る
目覚めをキープしようとする自分は消え去る
何もない静寂がただ在るだけ…
静寂☆静寂☆
ありがとうございます
10月の大阪サットサンで菜穂さんも
夢を見ている存在はいない
と言っていました
僕の場合は
夜の夢も昼の夢も幻で
それを眺めている自分が真実なのだ
と思っていましたが…
それを眺めている自分というのは幻でいない
ということですね
☆
意識は何かについての意識であって対象物を必要とする
何かを眺めていることは
何かを眺めている自分と対象物に分離していること
何かに気づいていることは
何かに気づいている自分と対象物に分離していること
ですから
何かを眺めている必要はない
何かに気づいている必要はない
ただ在るだけ…
そうすれば分離は消え去る
自我の自分は消え去る
目覚めをキープしようとする自分は消え去る
何もない静寂がただ在るだけ…
静寂☆静寂☆
ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2015年12月29日 16:02
”それ”しかない
”それ”でしかない
起きてることが起きているだけ。
「あ〜!夢で良かった!」→嫌な夢を見た場合
「あ〜、もっと見ていたかった!」→いい夢を見た場合
お正月、いい夢起きるといいですね (←?笑)
いつもありがとうございます。☆
”それ”でしかない
起きてることが起きているだけ。
「あ〜!夢で良かった!」→嫌な夢を見た場合
「あ〜、もっと見ていたかった!」→いい夢を見た場合
お正月、いい夢起きるといいですね (←?笑)
いつもありがとうございます。☆
Posted by 薄茶色 at 2015年12月29日 16:11
> 人生に何の役にも立ちませんが、
言いかえれば、社会的責任からは逃れられない。
それを考えると、また自分を責めてしまうか。
以下は、話の本筋からずれますが、輪廻転生について勝手な妄想。
この夢は、階層構造になってるかもしれない。
幻想世界には現象界、霊界という幻想の階層があるかもしれない。
この世の夢が終われば、あの世の夢が続く。
幻想世界の階層は二層ではなく、何十層、あるいは無限かもしれない。
同じように、自分という分離意識も、階層を持ってたりしないか。
死んで、現在の鈴木太郎から覚めても、魂という個の幻想が続くのではないか。
死んでも、幻想の魂としては、次があり、次の誰かとして夢を見続ける。
物理法則は、夢のなかで、夢のあり方の法則としてある。
輪廻転生もストーリーなんだけども、幻想のなかの、
幻想のつらなりとしての法則ではあるまいか。
幻想世界、分離意識が幾重に重なっていたとしても、
一瞥体験は、すべてを幻想だと見抜く。
言いかえれば、社会的責任からは逃れられない。
それを考えると、また自分を責めてしまうか。
以下は、話の本筋からずれますが、輪廻転生について勝手な妄想。
この夢は、階層構造になってるかもしれない。
幻想世界には現象界、霊界という幻想の階層があるかもしれない。
この世の夢が終われば、あの世の夢が続く。
幻想世界の階層は二層ではなく、何十層、あるいは無限かもしれない。
同じように、自分という分離意識も、階層を持ってたりしないか。
死んで、現在の鈴木太郎から覚めても、魂という個の幻想が続くのではないか。
死んでも、幻想の魂としては、次があり、次の誰かとして夢を見続ける。
物理法則は、夢のなかで、夢のあり方の法則としてある。
輪廻転生もストーリーなんだけども、幻想のなかの、
幻想のつらなりとしての法則ではあるまいか。
幻想世界、分離意識が幾重に重なっていたとしても、
一瞥体験は、すべてを幻想だと見抜く。
Posted by rakuni... at 2015年12月29日 16:14
阿部さん、新刊読みました。最高です。でも、こんな感動している私も大いなる何かが見ている夢の中のキャラクターなんですね。体の力が抜けて良い新年を迎えることができそうです。一年ありがとうございました。イベントを名古屋を飛ばさないでくださいね(^o^)
Posted by 名古屋の中年 at 2015年12月29日 17:57
子供の頃、「夢」に興味を持ち、夢の中で夢だという事に気づいてやろうと試みたことがありました。
眠る前に決意して眠るのですが、夢の世界に入ると、ついつい決意を忘れて夢の世界に埋没してしまいました。
しかし何度も試みている内に、ついに夢の中で「コレは夢だ!」と気づく事ができました。
そして「どうせ夢だから、好き勝手に無茶苦茶してやろう!」と好き放題したことがあります。
しかし、しょせん夢であり目が覚めれば、何か空しい気がして来ました。
今では、例え夢であろうと現実であろうと関係なく、「ありのままの自分で居よう」と思い、夢でも現実でも変わらない自分で居ます。
夢であろうと現実であろうと、「全ては完全ありがとう!」ですからね。^^
眠る前に決意して眠るのですが、夢の世界に入ると、ついつい決意を忘れて夢の世界に埋没してしまいました。
しかし何度も試みている内に、ついに夢の中で「コレは夢だ!」と気づく事ができました。
そして「どうせ夢だから、好き勝手に無茶苦茶してやろう!」と好き放題したことがあります。
しかし、しょせん夢であり目が覚めれば、何か空しい気がして来ました。
今では、例え夢であろうと現実であろうと関係なく、「ありのままの自分で居よう」と思い、夢でも現実でも変わらない自分で居ます。
夢であろうと現実であろうと、「全ては完全ありがとう!」ですからね。^^
Posted by 近藤 at 2015年12月29日 18:41
今年は、(ホントはいない)菜穂ちゃんの登場でエキサイティングな年でしたね。今年ももうすぐ終わろうとしている今、私はとてもシンプルになりました。
「わたし」という夢の中でただ、流れていこう。
これはただダラダタと「流されていく」ということではなく、その根底には”信頼”があります。心地がいいです。(誰が信頼して、誰が心地いいの?という質問はナシね)
阿部さん、楽しい一年をありがとうございました。
来年はもっと楽しくなりそー!
「わたし」という夢の中でただ、流れていこう。
これはただダラダタと「流されていく」ということではなく、その根底には”信頼”があります。心地がいいです。(誰が信頼して、誰が心地いいの?という質問はナシね)
阿部さん、楽しい一年をありがとうございました。
来年はもっと楽しくなりそー!
Posted by こめこ at 2015年12月29日 19:53
生まれてから ずっと夢の中です。(^^)
ずっと自分を演じています。
最近上手く演じきれませんが
でも それもそのままで そのままが
ありのまま。
みんな ありのまま。
ずっと自分を演じています。
最近上手く演じきれませんが
でも それもそのままで そのままが
ありのまま。
みんな ありのまま。
Posted by 打ち水 at 2015年12月29日 20:23
えぇーかげん、目ぇさませぇー!。
ツレに言われた。
.....
どっちに?
って、応えた。
よ。
ツレに言われた。
.....
どっちに?
って、応えた。
よ。
Posted by 日和る at 2015年12月29日 20:25
阿部さん、ありがとう! これ、その言葉ですっと気が楽になりました。もっと、もっと、阿部さんの話を聞いていたいです。いつかきっと会いに行きます!
Posted by Candle at 2015年12月29日 20:39
甲賀忍者 さん
お声かけ、ありがとうございます(^^)
>10月の大阪サットサンで菜穂さんも
夢を見ている存在はいない
と言っていました
へぇ~、そうなんですか。。。。
そう言われると、私が書いたコメントは、
菜穂さんが言われたことと同じ内容だったかもしれませんね。
偶然の一致ですね~(笑)
彼女は、ノン・デュアルティ(だと言われている?)、
私の立ち位置は、アドヴァイタ(一応^^;)
どちらも訳すと、”非二元”なので、立ち位置としては、変わらないかもしれませんね^^;
しかし、菜穂さんと同じでも違っていても、
阿部さんと同じでも違っていても、
それは、それぞれの世界観なので、だからどう、ということはない、と感じています。
たまたま同じだと、一瞬嬉しくなりますが(笑)
菜穂さんの本も読んだことがありませんし、
動画も見たことが無いのですが、
サットサンには、数回参加しましたので、彼女の世界観は知っています。
その中で、一番印象に残ったのは、
”いまここ”はない、と言われたこと。
私の世界観と一致していたので、本当に嬉しかったことを覚えています。
(あとは、あまり覚えていません。。。何故なら、サットサン会場では、思考が止まってしまうので。。。^^;)
>僕の場合は
夜の夢も昼の夢も幻で
それを眺めている自分が真実なのだ
と思っていましたが…
>それを眺めている自分というのは幻でいない
ということですね
そうなんですよ!
そこ、です!
言いたいのは、そこなんです!(笑)
それだけわかれば、もう十分だと感じています(^^)
第一段階は、人生は、”夢”だということを見抜くこと。
これでさえ、そんな馬鹿な、と思う人は多いでしょう。
第二段階は、その”夢”を観ている存在はいない、ということを見抜くこと。
よって、”夢”は、”夢”を観ている”わたし”が創り出している世界である、ということになります。
この”わたし”が消えると同時に、”夢”は消え、真の実在(真我、本当のわたし)だけが残ります。
しかし、これを心底から理解、納得するには、それなりの”体験”が必要だと感じています。
そして、この”体験”は、自分で起こすことが出来ないため、
”非二元”の世界観は、昔から、極一部の人のみが識る”神秘”とされてきました。
それ故、”非二元”の世界観は、ほとんどの人に理解されず、誤解されることが多いと感じています。
>自分という存在は、大いなる意識が見ている夢の登場人物です。
”大いなる意識”が”真我”であるなら、真我は夢を観たりしませんので、
”大いなる意識”も、夢を観るような存在ではないと思います(^^)
真の実在(サット)とは、そのような存在ではありません。
夢を観ているのは、”わたし”という自我意識だけです。
”わたし”を夢の登場人物と見做すことは、それぞれの方の世界観なので、自由だと思っていますが、
しかし、そう設定すると、”夢”(現象)を観ている存在が、まるで存在しているかのように考えがちです。
この地球で起きていることを観ている存在が、この宇宙(次元が違っても)の何処にいて、というのは、完全なる二元の世界のお話しです。
非二元においては、そんな存在は存在しません。
ですから、このことも、こう表現した方が、より誤解がないように感じます。
”わたし”という存在がすでに、”夢”なのです。
ですから、”夢”を観ている存在は存在せず、”夢”だけが在ります。
もし、70億人の人間が一瞬にして消えれば、”夢”も消える、ということになります。
(宇宙を、今人間の自我意識が認識している形で認識している存在は、
人間以外この宇宙には存在しないため、人間が認識している形の宇宙も消滅します。)
もちろん、これを識ったからと言って、人生、どうということはありませんが、
”自分とは誰なのか?”という問いへの答えにはなるのでは?と感じています(^^)
>何一つあなたのせいではないのだから。
細かく言えば、いろいろありますが、
阿部さんの結論には、同感しています(^^)
お声かけ、ありがとうございます(^^)
>10月の大阪サットサンで菜穂さんも
夢を見ている存在はいない
と言っていました
へぇ~、そうなんですか。。。。
そう言われると、私が書いたコメントは、
菜穂さんが言われたことと同じ内容だったかもしれませんね。
偶然の一致ですね~(笑)
彼女は、ノン・デュアルティ(だと言われている?)、
私の立ち位置は、アドヴァイタ(一応^^;)
どちらも訳すと、”非二元”なので、立ち位置としては、変わらないかもしれませんね^^;
しかし、菜穂さんと同じでも違っていても、
阿部さんと同じでも違っていても、
それは、それぞれの世界観なので、だからどう、ということはない、と感じています。
たまたま同じだと、一瞬嬉しくなりますが(笑)
菜穂さんの本も読んだことがありませんし、
動画も見たことが無いのですが、
サットサンには、数回参加しましたので、彼女の世界観は知っています。
その中で、一番印象に残ったのは、
”いまここ”はない、と言われたこと。
私の世界観と一致していたので、本当に嬉しかったことを覚えています。
(あとは、あまり覚えていません。。。何故なら、サットサン会場では、思考が止まってしまうので。。。^^;)
>僕の場合は
夜の夢も昼の夢も幻で
それを眺めている自分が真実なのだ
と思っていましたが…
>それを眺めている自分というのは幻でいない
ということですね
そうなんですよ!
そこ、です!
言いたいのは、そこなんです!(笑)
それだけわかれば、もう十分だと感じています(^^)
第一段階は、人生は、”夢”だということを見抜くこと。
これでさえ、そんな馬鹿な、と思う人は多いでしょう。
第二段階は、その”夢”を観ている存在はいない、ということを見抜くこと。
よって、”夢”は、”夢”を観ている”わたし”が創り出している世界である、ということになります。
この”わたし”が消えると同時に、”夢”は消え、真の実在(真我、本当のわたし)だけが残ります。
しかし、これを心底から理解、納得するには、それなりの”体験”が必要だと感じています。
そして、この”体験”は、自分で起こすことが出来ないため、
”非二元”の世界観は、昔から、極一部の人のみが識る”神秘”とされてきました。
それ故、”非二元”の世界観は、ほとんどの人に理解されず、誤解されることが多いと感じています。
>自分という存在は、大いなる意識が見ている夢の登場人物です。
”大いなる意識”が”真我”であるなら、真我は夢を観たりしませんので、
”大いなる意識”も、夢を観るような存在ではないと思います(^^)
真の実在(サット)とは、そのような存在ではありません。
夢を観ているのは、”わたし”という自我意識だけです。
”わたし”を夢の登場人物と見做すことは、それぞれの方の世界観なので、自由だと思っていますが、
しかし、そう設定すると、”夢”(現象)を観ている存在が、まるで存在しているかのように考えがちです。
この地球で起きていることを観ている存在が、この宇宙(次元が違っても)の何処にいて、というのは、完全なる二元の世界のお話しです。
非二元においては、そんな存在は存在しません。
ですから、このことも、こう表現した方が、より誤解がないように感じます。
”わたし”という存在がすでに、”夢”なのです。
ですから、”夢”を観ている存在は存在せず、”夢”だけが在ります。
もし、70億人の人間が一瞬にして消えれば、”夢”も消える、ということになります。
(宇宙を、今人間の自我意識が認識している形で認識している存在は、
人間以外この宇宙には存在しないため、人間が認識している形の宇宙も消滅します。)
もちろん、これを識ったからと言って、人生、どうということはありませんが、
”自分とは誰なのか?”という問いへの答えにはなるのでは?と感じています(^^)
>何一つあなたのせいではないのだから。
細かく言えば、いろいろありますが、
阿部さんの結論には、同感しています(^^)
Posted by H at 2015年12月29日 21:55
阿部さん、どうしよう。苦しくて苦しくてしょうがない。
恵まれてるのに。家族も職場の人たちも、ものすごくやさしくて、体も健康で、すむ家もあって、何にも困ってない。
なのに、苦しい
どうしたら救われるんだろう。
悟るしかないのですか。
でも自発的に悟る方法はないんですよね。
助けてほしい。もう今ここで本当は救われてるなんて、思えない。
恵まれてるのに。家族も職場の人たちも、ものすごくやさしくて、体も健康で、すむ家もあって、何にも困ってない。
なのに、苦しい
どうしたら救われるんだろう。
悟るしかないのですか。
でも自発的に悟る方法はないんですよね。
助けてほしい。もう今ここで本当は救われてるなんて、思えない。
Posted by ハート at 2015年12月29日 23:11
「丸うならねば思うことは遂げられまじ。」
折り返し『丸う』。
覚醒(一瞥)は、非二元(精神世界)へ
。
そうして
‥‥
逆覚醒(逆一瞥)で二元(現実世界)に
丸う 戻る。
真は
精神世界に
『価値』を
持たせては
いけないんだ。
二元 現実世界(マーヤー)が あるから
『 今 』がある 。
折り返し『丸う』。
覚醒(一瞥)は、非二元(精神世界)へ
。
そうして
‥‥
逆覚醒(逆一瞥)で二元(現実世界)に
丸う 戻る。
真は
精神世界に
『価値』を
持たせては
いけないんだ。
二元 現実世界(マーヤー)が あるから
『 今 』がある 。
Posted by 愛ラ at 2015年12月29日 23:35
ありがとうございます。
そうなんですよね。
リアルもなければ、幻想もない。思考や、感情、その他、あらゆるものが介在しない。
ソレがあるだけ。チョーSimple。
ソレしかないので、そこに落ち着くので、大丈夫でしかなりえない。
そうなんですよね。
リアルもなければ、幻想もない。思考や、感情、その他、あらゆるものが介在しない。
ソレがあるだけ。チョーSimple。
ソレしかないので、そこに落ち着くので、大丈夫でしかなりえない。
Posted by てつ at 2015年12月29日 23:50
この世は完全に完全な夢。
以上♪
以上♪
Posted by 雪光 at 2015年12月30日 03:20
そこ!
そこなんです!
ええ? これじゃなくて?
そこ、そこ。
そこなしじゃぁ〜。
仕事納めなのにごくろうサン。
今朝、寒すぎ。
そこなんです!
ええ? これじゃなくて?
そこ、そこ。
そこなしじゃぁ〜。
仕事納めなのにごくろうサン。
今朝、寒すぎ。
Posted by 日和る at 2015年12月30日 07:25
何らかの手段(精神行為)で 苦しみから逃れようと 思うと
それは 追いかけてきて、いつまでも 苦しみの体験は
リピートされていきます。
何の手段も 持つことなく、ただ その苦しみを 体験しつくすことの
できる人は、やがて その 苦しみの訳(理由・原則・原点)を
見抜くことが できます。
それは 追いかけてきて、いつまでも 苦しみの体験は
リピートされていきます。
何の手段も 持つことなく、ただ その苦しみを 体験しつくすことの
できる人は、やがて その 苦しみの訳(理由・原則・原点)を
見抜くことが できます。
Posted by AQU@ at 2015年12月30日 07:28
私は怖がりの役を演じているんだなって思うと、少し笑えました。
皆が完璧に役を演じているだけなら誰のことも心配無用ですね。
阿部さん、今年もありがとうございました。
出来のワルい生徒ですが、どうしても惹き付けられてモヤモヤしながらも毎日拝見しています。
コメント欄もすごくてビックリするばかりです。
来年もどうかよろしくお願いいたします。
皆が完璧に役を演じているだけなら誰のことも心配無用ですね。
阿部さん、今年もありがとうございました。
出来のワルい生徒ですが、どうしても惹き付けられてモヤモヤしながらも毎日拝見しています。
コメント欄もすごくてビックリするばかりです。
来年もどうかよろしくお願いいたします。
Posted by モルゲン at 2015年12月30日 07:49
般若心経の
遠離一切顛倒夢想究竟涅槃
って自分が肉体や心だと思っていることが転倒夢想でこの考えから離れ自分の存在は大いなるものだと気づくことで涅槃に至るという意味だったのかな
ってインスピレーションが沸きました
遠離一切顛倒夢想究竟涅槃
って自分が肉体や心だと思っていることが転倒夢想でこの考えから離れ自分の存在は大いなるものだと気づくことで涅槃に至るという意味だったのかな
ってインスピレーションが沸きました
Posted by 高さ基準 at 2015年12月30日 08:11
こだわれるものはなにもない
いしきのなかに確実な‘ ’は実在しないからだ
つかむ主体もなにもない
正確にいえば
夢の外にあるという夢をみる‘私’でさえ、
じつはいない‘ ’
‘私’がいないとき
夢をみる存在も夢も消え去る
‘ ’こだわれないとき ♪
らくだね
いしきのなかに確実な‘ ’は実在しないからだ
つかむ主体もなにもない
正確にいえば
夢の外にあるという夢をみる‘私’でさえ、
じつはいない‘ ’
‘私’がいないとき
夢をみる存在も夢も消え去る
‘ ’こだわれないとき ♪
らくだね
Posted by なう at 2015年12月30日 09:34
AQU@さん、まさしくそれもありなんでしょう。
おそらくそれは、巷で云われてる苦しみを味わうということであり、エネルギーを出し切ってしまえばスッキリする分けでしょう。
では恐怖はどうかですが、恐怖に怯えているばかりでは、余計に恐怖が助長されないかもで。
実はそれは恐怖から逃げているのであり、恐怖に立ち向かってこそ克服できるのだと思います。
そしてまた、人は悲しいから泣くのですが、泣くからいっそう悲しくなるとも言えるでしょうか。
子供のころを思い返せば、止んでは気まずいので辻褄合わせに泣いてるような、惰性でもって泣いてたような気もします(笑)
感情と言うものは数分で消えるのだと誰かが言ってましたが、それでも長引いてしまうのは、おそらくエゴによるわだかまりの性かも知れません。
それを自我が深刻に捉え過ぎて、わだかまりに重要度を置き過ぎてしまのかもです。
けどそこでもし笑うなら、深刻さは薄れるのかも知れません(目の前にヒグマでも現れようなら、何で悩んでたのか忘れてしまうでしょう、というかそれどころではない筈で・・・爆)
まぁヘルスにでも行って^^; 存分に脇コチョコチョして貰えば良いかとも(≧▽≦)ゞポリポリ
OSHOの「役者として振舞こと」や、阿部さんの「登場人物だと自覚する」などは、同じことを言われているのであり、ただ物事に流されてしまうのではなくて、常に意識的であれというか、つまり「私が~を感じている」あるいは「私が~をしている」というふうに、常に私がやってるのだと自覚していることに重要度を置いていれば良いと、一応こういう事だと思う次第なのですが(;゚Д゚)ゞピッ
おそらくそれは、巷で云われてる苦しみを味わうということであり、エネルギーを出し切ってしまえばスッキリする分けでしょう。
では恐怖はどうかですが、恐怖に怯えているばかりでは、余計に恐怖が助長されないかもで。
実はそれは恐怖から逃げているのであり、恐怖に立ち向かってこそ克服できるのだと思います。
そしてまた、人は悲しいから泣くのですが、泣くからいっそう悲しくなるとも言えるでしょうか。
子供のころを思い返せば、止んでは気まずいので辻褄合わせに泣いてるような、惰性でもって泣いてたような気もします(笑)
感情と言うものは数分で消えるのだと誰かが言ってましたが、それでも長引いてしまうのは、おそらくエゴによるわだかまりの性かも知れません。
それを自我が深刻に捉え過ぎて、わだかまりに重要度を置き過ぎてしまのかもです。
けどそこでもし笑うなら、深刻さは薄れるのかも知れません(目の前にヒグマでも現れようなら、何で悩んでたのか忘れてしまうでしょう、というかそれどころではない筈で・・・爆)
まぁヘルスにでも行って^^; 存分に脇コチョコチョして貰えば良いかとも(≧▽≦)ゞポリポリ
OSHOの「役者として振舞こと」や、阿部さんの「登場人物だと自覚する」などは、同じことを言われているのであり、ただ物事に流されてしまうのではなくて、常に意識的であれというか、つまり「私が~を感じている」あるいは「私が~をしている」というふうに、常に私がやってるのだと自覚していることに重要度を置いていれば良いと、一応こういう事だと思う次第なのですが(;゚Д゚)ゞピッ
Posted by 茶呆り~ら♪ at 2015年12月30日 09:51
<つづき>
思い出したんですが、
マハラジでしたかね、常に「私」を意識しているなら、そのうち「私」は破壊されるとか何とかで!?
まさにこれこそ僕の言わんとしたことです。
実に単純なメソッドだと思うのですが、あまりに簡単すぎて嫌んなっちゃいます(自爆)
思い出したんですが、
マハラジでしたかね、常に「私」を意識しているなら、そのうち「私」は破壊されるとか何とかで!?
まさにこれこそ僕の言わんとしたことです。
実に単純なメソッドだと思うのですが、あまりに簡単すぎて嫌んなっちゃいます(自爆)
Posted by 茶呆り~ら♪ at 2015年12月30日 10:25
>茶呆り~ら♪さん いつも 楽しいコメントをありがとうございます。
もう 少しだけ 論点をまとめてから 書かれて下さい。
つまり どうなんだろう?で 終わらずに 私は こう思う。と 意志を固めてから書かれれば より一層に 素敵な意見になると 思いますよ。
今後も 楽しみに お待ちします。
もう 少しだけ 論点をまとめてから 書かれて下さい。
つまり どうなんだろう?で 終わらずに 私は こう思う。と 意志を固めてから書かれれば より一層に 素敵な意見になると 思いますよ。
今後も 楽しみに お待ちします。
Posted by AQU@ at 2015年12月30日 10:50
はじめまして!
というのが、ふつうですよね。きっと。
不思議なほんとに宇宙の流のなかで、出逢えたようにおもいます。
空とかいて、くう。
私のところに来たチベットメノウ
天珠
この石に、名前をくうとつけました
そして次の日出逢ったカワヒラくん。
表紙の空、くうにいざなうというところに心が引かれた
ほんとにいまここで❗という感じでした。とにかくお伝えしたくて
ここに書き込みました
場違いかなぁとか?
色々ありましたが、思ったときが、その時かなありがとうございます。
というのが、ふつうですよね。きっと。
不思議なほんとに宇宙の流のなかで、出逢えたようにおもいます。
空とかいて、くう。
私のところに来たチベットメノウ
天珠
この石に、名前をくうとつけました
そして次の日出逢ったカワヒラくん。
表紙の空、くうにいざなうというところに心が引かれた
ほんとにいまここで❗という感じでした。とにかくお伝えしたくて
ここに書き込みました
場違いかなぁとか?
色々ありましたが、思ったときが、その時かなありがとうございます。
Posted by さくら at 2015年12月30日 12:46
Hさん
23日のサットサンで菜穂さんは
解放したら
ポジションがなくなるということを言っていました
個が消えたらどこかにいるということがなくなるので
菜穂さんの立ち位置というのはないのでしょうね
自分が存在していると信じている間は
私と世界に分離しているように見えるわけですが
自分が消えたらその分離がなくなる
たったひとつの全体があるだけ…
無が全てを表現している
という感じなのでしょうね
無☆無☆
ありがとうございます
23日のサットサンで菜穂さんは
解放したら
ポジションがなくなるということを言っていました
個が消えたらどこかにいるということがなくなるので
菜穂さんの立ち位置というのはないのでしょうね
自分が存在していると信じている間は
私と世界に分離しているように見えるわけですが
自分が消えたらその分離がなくなる
たったひとつの全体があるだけ…
無が全てを表現している
という感じなのでしょうね
無☆無☆
ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2015年12月30日 13:11
愛ラさん、素晴らしいコメントありがとうございました。
私も何か書いてみたくなりました。
そうなんですよね。
空を知る(体感を持って)ことが悟りだけれども、そこがスタートで、空観にずっといる必要はないというか、対極が反転しているのが、宇宙法則の一つなので、反転し、現象界に戻りますね。
私は禅のことはあまり知らないけれども、十牛図というものでも、空を知ることは8番目だし、
空観にとどまることを戒めていて、驚きました。
ただ反転し、現象界に戻っても、もう周波数帯が違うので、人間ドラマに巻き込まれるというようなことがない感じです。
現象界に戻ることで、空の何もない観照意識から、意識の領域が広がり、全体意識になったという感じ。
現象界は命の表現場。
人間という身体(命)と神がタッグを組んで、命を生ききる。
神の遊び場は、現象界(地上天国)。
もう命がここにあることが、喜びで仕方ないです。
ここで遊んで、できれば多次元意識にもっと意識を広げて、
次の次元も知りたい。
空にとどまっていては、進化できないけど、空はいつも一緒なので、安心ですから。
私も何か書いてみたくなりました。
そうなんですよね。
空を知る(体感を持って)ことが悟りだけれども、そこがスタートで、空観にずっといる必要はないというか、対極が反転しているのが、宇宙法則の一つなので、反転し、現象界に戻りますね。
私は禅のことはあまり知らないけれども、十牛図というものでも、空を知ることは8番目だし、
空観にとどまることを戒めていて、驚きました。
ただ反転し、現象界に戻っても、もう周波数帯が違うので、人間ドラマに巻き込まれるというようなことがない感じです。
現象界に戻ることで、空の何もない観照意識から、意識の領域が広がり、全体意識になったという感じ。
現象界は命の表現場。
人間という身体(命)と神がタッグを組んで、命を生ききる。
神の遊び場は、現象界(地上天国)。
もう命がここにあることが、喜びで仕方ないです。
ここで遊んで、できれば多次元意識にもっと意識を広げて、
次の次元も知りたい。
空にとどまっていては、進化できないけど、空はいつも一緒なので、安心ですから。
Posted by カララ at 2015年12月30日 14:14
甲賀忍者 さん
菜穂さんの言われたことを、わざわざ伝えて下さりありがとうございます(^o^)
たったひとつの真実を伝える多くの表現がある、と理解しています。
わたしにとっては、菜穂さんの言葉もひとつの表現です。
それ以上のものではありません。
真の実在以外は、すべて顕れ(笑)
ありがとうございました(^o^)
菜穂さんの言われたことを、わざわざ伝えて下さりありがとうございます(^o^)
たったひとつの真実を伝える多くの表現がある、と理解しています。
わたしにとっては、菜穂さんの言葉もひとつの表現です。
それ以上のものではありません。
真の実在以外は、すべて顕れ(笑)
ありがとうございました(^o^)
Posted by H at 2015年12月30日 14:34
今年一年ありがとうございました。
来年も楽しみにしています。
今日のお話しは何となく感じてるような、空気を掴もうとするような、、
自分が掴もうとするとそれは離れていくような気がしました。
来年も楽しみにしています。
今日のお話しは何となく感じてるような、空気を掴もうとするような、、
自分が掴もうとするとそれは離れていくような気がしました。
Posted by AYAKO at 2015年12月30日 14:59
AQU@ さんどうもです。
自分ではしっかりまとめて書いてるつもりなんす(小笑)
ただ、僕の主観ゆえに客観的な確信を持てない分けでして、
なので、読んだ人の判断にお任せしてる分けです。
言い切ってしまうと、読んだ人に先入感念を与えかねないので、その辺に気を使かってるんですが、まぁでも僕の話など誰も本気にしないと思いますがね(爆)
ま、難しいことは抜きにして、面白かったらそれで良いかもですねハイ(笑)
ささ (*`▽´)_旦~~ <笑っ茶いましょ>
自分ではしっかりまとめて書いてるつもりなんす(小笑)
ただ、僕の主観ゆえに客観的な確信を持てない分けでして、
なので、読んだ人の判断にお任せしてる分けです。
言い切ってしまうと、読んだ人に先入感念を与えかねないので、その辺に気を使かってるんですが、まぁでも僕の話など誰も本気にしないと思いますがね(爆)
ま、難しいことは抜きにして、面白かったらそれで良いかもですねハイ(笑)
ささ (*`▽´)_旦~~ <笑っ茶いましょ>
Posted by 茶呆り~ら♪ at 2015年12月30日 18:56
ここも、偶然きた。
この記事は私にはだいぶ役にたった。
昨日のコメントとつながる。
でも、この記事を必要としない人もいるね。
この記事は私にはだいぶ役にたった。
昨日のコメントとつながる。
でも、この記事を必要としない人もいるね。
Posted by ふ at 2017年03月23日 11:26
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