2009年07月05日

無我と真我

阿部さんに質問があります。「いまここ真我」が事実なのでしょうか?

それとも「いまここ無我」が事実なのでしょうか?

ヒンズー・ヨーガ系では「真我」ですし、初期・上座仏教系では「無我」ですし、一体どちらが真実なのでしょう?


Posted by Walter





どちらも真実です。

ただし、「いまここ真我」と「いまここ無我」では、我の意味が違います。



真我は文字通り真我(真実の自分・究極の自分)ですが、無我の我は、自我、低我、俗我というような、いわゆるエゴを指しています。

自我が消えた時(無我になった時)、そこに現れるのが真我です。



僕たちが普段自覚している自己は、過去の記憶を束ねて創り出した作品のようなものです。

それは思い込みの産物であり、実在していません。

でも、それが自分だと信じているので、存在していないと言われてもピンときません。


一方で真我は、いつでもどんな時でも「いまここ」にあって、永遠に存在し続けています。

僕たちはその存在をすっかり忘れてしまっているので、それが実在だと言われてもピンときません。



自我と真我は同時に存在することができないので、自我が消えた時に真我が現れます。

というよりは、真我が現れた時、自我が消えると言ったほうがいいかもしれません。


それはちょうど、光と闇の関係によく似ています。

光が現れた時、闇は消え去ります。


そもそも、闇とは光の不在のことです。

「闇」というものが存在しているのではなく、光がない状態を「闇」と呼んでいるだけです。

存在しているのは光だけです。


同様に、実際に存在しているのは真我だけです。

それは唯一のリアリティーであり、唯一の存在です。


真我が見失われた時の闇の状態が自我なのです。



僕たちにとって幸いなのは、どんなに長く真我を忘れたとしても、決して無くすことができないことです。

それはいまも、本当の自分として心の奥に鎮座しています。


それは、途方もない歓喜に包まれた存在です。

本当の自分を発見した時、そのあまりにも偉大な姿に、人はみな涙することでしょう。


それまでちっぽけな自我を自分だと信じていたというのに、本当の自分がこんなにも素晴らしい存在であったなんて。


それが祝福の瞬間です。


そして思わず手を合わせて、この宇宙が仕組んだ壮大なゲームに感謝し、祈りが始まります。


人生とは、本当の自分を見つけるための、幻想の旅だったのです。






『いまここ』を完璧に体感し、理解をしたなら『輪廻』の循環から脱出できるというのは本当ですか?

Posted by たま





本当です。

その瞬間、輪廻は煙のように消え失せてしまいます。

朝目覚めた時に、夢がたちまち消え去るのと似ています。


この質問も、最初の質問と同じような性質を持っています。


「いまここ」は実在であり、輪廻は幻想です。



この先も、僕たちはどこにも行きません。

ずっと「いまここ」にいるだけです。


いまも、そしてこれからも永遠に。




今日もここに来てくれて、ありがとうございました。



Posted by Toshiro Abe at 08:15│Comments(22)
この記事へのコメント
おはようございます。


最近特に、夕焼けを見ると(包まれると)「ジ〜ン…」とします。
頭がシビレてボーっとしてしうんです。

時には泣きそうになってしまいます。
ほんとはちょっと泣いてます。


せっかくこの星にいるのだから、もっともっと見たい。
と、なぜかこんなこと思ってしまいます。

今日は夢でもそんな風景を見ました。
夢の景色はいろんな色(青や紫やピンク)でした。


その「ジ〜ン…」は、いまここ塾で初めて阿部さんに会ったとき
に似ています。


突然関係ない話をスイマセン、ちょっと聞いて欲しかったんだと思います。
毎日、ブログ楽しみにしてます。

ありがとうございます。
Posted by カーミ at 2009年07月05日 08:48
「闇」というものが存在しているのではなく、光がない状態を「闇」と呼んでいるだけです。



あやや!?
私、今までちょっと勘違いしていたかもしれません。
何も無い闇の状態の方が基本であり、そういった状態の中に光が差し込んでくるものと思い込んでました。でも違ったんでせね〜。光に満たされた状態の方がもともとの状態(基本)だったのですね。それを遮りさえしなければ闇なんていうものはもともと存在なんかしていなかったのですね〜。
これ、もしかしてものすごい目ウロコかも!?


ありがとうございました。
Posted by 教えて下さい(本物)♂ at 2009年07月05日 08:54
阿部敏郎様

おはようございます。

自我は真我の存在のもとに生じてくるもので

真我は自我がなくても存在しているものですよね。

”自我と真我は同時に存在することができないので”

という表現は、誤解を与えそうですね。


全てのものが幸せでありますように


黒木元広 拝
Posted by 黒木元広 at 2009年07月05日 08:54
おはようございます♪♪♪

>真我が現れた時、自我が消えると言ったほうがいいかもしれません。

瞬時に自我が消えたとき・・・とてもとても驚きました。
物足りないというか、空っぽで、広がって、よく書けませんが、
「えぇぇ~~!!??わたしが居ない~~~!?? 笑ワハハ」
とういう、感じだったなと、思い出しました。
今はしっかり!と自分がいますけど・・・笑
メイチョー(瞑想)しましょうか・・・(^^♪(^^♪(^^♪
Posted by tomatoma at 2009年07月05日 09:43
敏郎さん、みなさん、おはようございます♪

ただここに在るだけ。
それが真の生きている意味。

神の仕掛けた壮大なゲームは
一生懸命に何かを掴んだり、追いかけたり
素晴らしいものになろうと頑張ったり。

まさに人生ゲームみたいに、いろんなアクシデントに見舞われたり
お金ががっぽり手に入ってウキウキ喜んだり。

本当の私たちは、そんなことに踊らされる存在ではないんだよ。
元の場所にただ居ればいいんだよ・・
そのことを思い出すためのゲームなのでしょうか。

以前テレビで、小学生にして心臓病のため亡くなってしまった
岡田貴司くんという少年のドキュメンタリーがやっていました。

彼が言っていた言葉。

「前は、人の役に立ちたい、立ちたいと思っていたけど・・
人のために何かやってあげるのではなく
《生きているだけで》それをやってるのと一緒なんだ」

躍起になって、何かをしようとしなくてもよい。
そのままで貴方は尊いのだよ・・

そんな風に聞こえました。

「何もしなくてもよい」 の意味がイマイチわからず
額面通りに受け取ると、それこそ生きてる意味がないじゃあないかっ、と
最近、なにがなんだかわからなくなっちゃって
とても無気力に陥っていた私。

そうではなくって、その時々、目の前にあるものに全力を尽くす。
全力を尽くしたら、あとはお任せ風任せ~

一見、矛盾しているように思える 「何もしなくてもよい」

言葉を、言葉通りに受け取ると、こういう誤解が生じますね。(苦笑)

ようやく闇から抜け出せそうな気がします。

やっぱり。
闇があるから気づきがある。

その渦中にある時は、どんより悶々としていますが
後になって考えてみると、それはやっぱり神さまからの贈り物なのだと
思わずにはいられません。

素敵な日曜をお過ごしくださいね♪
Posted by Luna at 2009年07月05日 10:12
今日もありがとうございます。

今日のお話も、心の向け方が腑に落ちるお話でした。
Posted by MARVELOUS at 2009年07月05日 10:14
 カーミさん

>せっかくこの星にいるのだから、もっともっと見たい。
と、なぜかこんなこと思ってしまいます。

 まったく同じこと、夕日を眺めていて感じたことがあります・・。

 とってもせつなくなって、でもものすごく感動しててもっともっと
 みたいと思うんですよね。その為にここにいるといってもいいぐらい・・・。

 おんなじ気持ちの人がいて、ウレシイです!\(^ ^)/
Posted by yui at 2009年07月05日 11:12
昨日は過去のブログを拝見させて頂いて興奮&阿部さんも昔は私と同じ悩み抱えてたんだっていう安心感で心が穏やかでかつテンションアゲアゲ↑↑の変な感じでした(*^。^*)
日々行動して体感して気づいていけたなら人生の旅も刺激的で楽しそうなものだって思えてきます。
旅を続けていつか私も阿部さんと同じ景色見てみたいな♪
Posted by アユミ at 2009年07月05日 11:12
はじめまして~
いつも素敵なメッセージありがとうございます。

永い間、頑固な自我を自分だと思い込んでいました。

だから、自分をあるがまま愛せない、受け容れられない。
そして、誰にも愛されず、受け容れらないと・・・。

本当の自分探しの旅が、人生の目的なんですね~☆

気づきをありがとうございます。
Posted by 愛海 at 2009年07月05日 12:02
えーグーグルアースの地図検索と一緒ではあるまいかな^~?・・

今の自分から宇宙に向け、どんどんぐんぐん、倍率を上げて行くのです、

まず自分が消え、接する他人が消え町が消え、地方が消え・・国が消え、・・
地球が消え、・・太陽系が消え銀河系も消えそのまた隣の銀河系も去り、・・

ちっぽけなりぞ人間なんて!(笑)、その胸の内のその悩みなんて(大笑)、


   「ありのままの今を全て受け容れて抱きしめてみなはれ、・・」

                     自然界があるがままのようにだ、・・・
Posted by いわし雲。 at 2009年07月05日 13:31
 無我超え悟る 妙有尊し

         ですね~♪ 
Posted by ハ~イ♪ at 2009年07月05日 13:58
揚げ足取りのつもりは全くありませんのでご了承ください。

>「闇」というものが存在しているのではなく、光がない状態を「闇」と呼んでいるだけです。

光は常に存在しています。
それを覆い隠し、見えなくしているのが、雲のような自我の存在です。
Posted by 行雲 at 2009年07月05日 14:02
すべてが大いなる“愛”のギフト☆


\( ̄0 ̄)/


ケ セラ セラ〜
(*≧m≦*)ププッ☆


気がつけば、なぁ〜んだ♪だけど自我はそ〜っと近づいてきて、支配しようと機会を窺う…。


“人間”である限りは仕方がないのかな…“人”になるまでは。


今をワクワク、穏やかに暮らし、己を知り、パートナーと感じるままに生きることができれば…間もなくそういう日が来る気がします。(根拠はまったくないのですが、そう感じるんです)


阿部さん、皆さん、今心が歓びに踊っています♪


いつもありがとうございます☆
Posted by 眞穂乃 at 2009年07月05日 14:44
阿部さん、みなさん、こんにちは。

今日は私の質問に対して「無我と真我」というトピックスでお答えを頂き、ありがとうございます。

無我=無エゴ=真我

という理解でよろしいでしょうか?

「エゴが消えると真我が現われる」→「真我が現われるとエゴが消える」

阿部さんのご説明によるとエゴを消そうとするより、真我を現わせば自然にエゴが消えるということですが、やはり「瞑想」の道を進む以外に解決しないようです。

阿部さんの推奨なさる「ボブ・フィックスさんのフルフィルメント瞑想」は、真我の実現に有効でしょうか?

坐禅やヴィパッサナー瞑想、クンダリーニ瞑想、TM瞑想などいろいろと瞑想のやり方がありますが、阿部さんのご体験から「フルフィルメント瞑想」が一番お勧めと言ってよろしいですか?
Posted by Walter at 2009年07月05日 14:56
阿部さん こんにちは

流石ですね 簡潔で・・・

私の今朝のメッセージは こんなでした
テーマがシンクロしていても 説明が下手なので・・・・ナマステ

  視覚と聴覚

                                     21・7・5

・・・其の過去の情報は、言葉や、人間の相手だけではなく、音楽や写真、其れに身に付ける装飾品や家財道具までが、過去・昨日までの情報を伝える存在なのである。

其れに、夜寝る事で忘れて居た自分の記憶は、朝目覚めた部屋の有り様から復活し、歯磨きをする行為や、鏡で自分の顔を見る事で、自分の日常を確認し、昨日の続きを始める事に成るのである。だから、人間は、朝起きた瞬間から、昨日の続きの人間を創り上げて生きている事に成る。

だからこそ、インドの釈迦牟尼仏は「出家」を薦め、イエスキリストは仕事や親兄弟を捨てて、自分に付いて来る様に謂ったのである。其れは、過去の情報・因縁を断ち切る為なのである。其れと同じ目的で、日本では古くから禊ぎ祓いの儀式や、山にお籠りする風習が伝え続けられて来たのである。・・・

全文は 名前のリンクに
http://green.ap.teacup.com/20060818/1197.html
Posted by 礒邉自適 at 2009年07月05日 16:52
阿部パパ、皆さん、今日もありがとうございます|( ̄3 ̄)|キコエマシェーン

「それはいまも、本当の自分として心の奥に鎮座しています」

パパに耳を澄まして、私は聞き上手じゃないことを知りましたよ(笑)
闇も、暗も、音を含むように、私は「ズレた音」のようなものでした。
無我は無音。音がないから沈黙。真我は真音。光の音で静寂。
iPodを停止したときに、決して鳴り止まない静けさに気づくように、
これを読んでいるいまでさえ、神の演奏は永遠に再生中ですが、
私たちが、自然や、動物や、幼子に癒され、魂を躍らせるのは、
天使が神と一緒に光の調べを歌っているからかもしれませんね。

地球フィルハーモニー交響楽団♪

うる星やつら☆


サン!ハイッ!! (ノ^-^)ノ ̄ ♪~θ(^0^ )( ^0^)θイマココ~♪
Posted by えり at 2009年07月05日 17:16
とてもわかりやすい解説
ありがとうございます。

忘れているだけといえば、
「呼吸」ですね。

しかし、「呼吸」は「いまここ」
でしか行われていません。

そして「呼吸」をしているのは、
「本当の自分」なんですよね。

幸せの青い鳥(本当の自分)は、
まさにすぐそこにいたわけです。

その「呼吸」に意識を合わせるのが、
瞑想であり、坐禅ですよね。

悟るのは簡単。
でも続けるのは、世界一難しい。

私たちは呼吸していることを、
すぐに忘れますから。
(でもしている。。だから大丈夫)

お読み頂きありがとうございます。
Posted by ネオ at 2009年07月05日 17:24
yuiさんへ

yuiさんも同じ感じ、を体験されてたのですね。
レスいただけて、とっても嬉しいです。

きっと地球ではないどこかで、yuiさんと夕日を見たのでしょうね。

また逢ったら一緒に夕日を見ましょうね。


今日もとてもキレイそうですよ。



コメ欄を伝言に使ってスイマセン、嬉しかったのでつい。
Posted by カーミ at 2009年07月05日 17:41
う~んと、

  >自我と真我は同時に存在することができないので、自我が消えた時に真我が現れます。
 
  とあるのは、真我を体験するときは、こんな感じってことではないかなぁ。



 >「闇」というものが存在しているのではなく、光がない状態を「闇」と呼んでいるだけです。

   というのも、光りを体験したときは、こんな感じだなぁって思うんだけど。


体験したときの感じ、それを客観的に表そうとした表現、どっちも、有りって気がする。

 で、きっと、真我を体験できたら、どっちも、そうだよなぁって思える気が、すごくするんだけど、違うのかなぁ~。
Posted by る~ん at 2009年07月05日 18:27
カーミさん

>最近特に、夕焼けを見ると(包まれると)「ジ〜ン…」とします。
>頭がシビレてボーっとしてしうんです。

>時には泣きそうになってしまいます。
>ほんとはちょっと泣いてます。


それこそが最も偉大な瞬間です。

思考や言語を超えた経験です。

そんな時間をたくさん持つこと以上に大切なことはありません。

yui さんも同じ経験をしているんですね。

お二人のやり取りは、心が温かくなりました。




> 黒木元広さん

>”自我と真我は同時に存在することができないので”

>という表現は、誤解を与えそうですね。


そうですね。

真我はいついかなる時も存在しています。

ここで言いたかったのは、自我にフォーカスすれば真我が見えなくなるということです。

行雲さんも、同じご指摘をしてくれました。


フォローをありがとうございました。




Walterさん


TMもサマタもヴィパッサナーもオショー瞑想もみんな素晴らしいと思います。

好みも違いますので、自分に一番合った方法を探してみるのがいいのではないでしょうか。

時期が来たらブログでも、僕の意見を伝えます。




ネオさん

>しかし、「呼吸」は「いまここ」でしか行われていません。

>そして「呼吸」をしているのは、「本当の自分」なんですよね。

>幸せの青い鳥(本当の自分)は、まさにすぐそこにいたわけです。

>その「呼吸」に意識を合わせるのが、瞑想であり、坐禅ですよね。



まさにその通り。

それが坐禅の技法のすべてです。

真実の方法は、極めて単純なのです。

単純すぎると、ありがたみを感じないのが、自我の悲しいところです(笑)



る~んさん

その体験は、すぐ目の前ですよ。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2009年07月06日 03:31
>本当の自分を発見した時、そのあまりにも偉大な姿に、人はみな 涙 することでしょう。

「上を無浮いて ああ留呼応宇

 南無だがァ こぼれ恵那愛 世緒鬼」

坂本 九さんの歌い方の通りに

キーボードをたたいてみました。

何だか意味深?麻から遊び心で

楽しんで参りましょう。
Posted by 神ng at 2009年07月06日 08:28
神ngさん

こういうセンス、好きです(^o^)
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2009年07月06日 08:33
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