2008年11月14日

目覚めの時 余談

そもそも、常日頃から自分が夢見状態で生きているということを実感している人は少ないと思います。


「あなたは夢の中に生きている」と言われても、何を言っているかわからないか、あるいはおかしなことを言って人を惑わそうとしているのではとか、そのように考えるのが普通です。

でもここに集まってくれる皆さんは、そこに何らかの真実を感じてくれたり、あるいは感じようとしてくれる人達だと思います。


そういう意味から言えば、ブログというツールは不特定多数に向けてのものではなく、特定少数に向けているのかもしれません。


だからこそ言える話があるし、だからこそ僕にはブログが大切なのです。




ヒンズー教徒の人たちは「現実はマーヤ」だと言ってきました。

マーヤとは幻想という意味です。


彼らも同じように、現実だと思っているものは全部幻想だと言います。


だからと言って、目の前の世界が存在していないのではありません。

誰かが覚醒して目覚めても、目の前の現実が消えるわけではありません。


<その人が目覚める前に認識していた世界>が消えるのです。


そして超客観的な、何ひとつ解釈や判断が入り込まない、ありのままの世界が顔を出します。


僕たちはそのありのままの世界に自分の夢を投影して、その映像の中に生きているのです。

ありのままの世界は、ただのスクリーンのようなもので、僕たちはその上に自分の夢を投影した映画を見ていると言ってもいいでしょう。


したがって人によって見ている映画は違います。

スクリーン(現実)は一つなのに、映画は人の数だけあるのです。


人はそれぞれに、自分の周りに独自の世界を映し出して、その中で生きています。

あなたとあなたの隣人は、同じ世界に住んでいるわけではないのです。

もしその人の世界をつぶさに見ることができれば、あなたは驚くことでしょう。


あまりにも違う世界だからです。

そこに登場するあなたは、あなたが思っているような自分ではなく、そこに登場するその人自身も、あなたが見ているその人ではありません。


それは全くの別物です。


だからぶつかるのです。

実は人間同士に生じる軋轢は、人と人ではなく、それぞれが持つ世界と世界との衝突なのです。


それを理解すれば、「なぜあの人はそんな言い方をするのか」「なぜあの人はあんなやり方をするのか」といった疑問も解けてきます。



自分の世界に固執しないことは、生きる上での大きな知恵です。

だって世界は人の数だけあるのですから。



Posted by Toshiro Abe at 11:50│Comments(30)
この記事へのコメント
阿部さん、こんにちは。

自分が夢見状態であることは察しがつくのですが、夜に見る夢と違って比較の対象がないので、「これは夢だ」と決定的に気づくことができません。
「夢じゃないかしら」なんてほっぺたをつねって、「痛いから夢じゃないわ!」なんて・・

この人生が夢だとすると、ここまでリアルに感じさせられているのは何故なんでしょうか。
そこで起こる人間同士のぶつかり合い・・皆が夢を見ているのなら、誰が正しいとか間違っているとかも、きっとないんですよね。

でも、世の中には嘘をつく人というのがいます。
私は少し前に出会ってびっくりしたんですが、大きいことからほんとにささいなことまで、その人の言っていること、大体が嘘というか作り話なんです。
それも人を陥れようとか、嫌な気持ちにさせようとかそんな意図が感じられるものです。

すべてが1つで、みんな自分で、だからみんなを愛する状態が自然なのだと思うのですが、こういう「なんで~!?」という人に、どう接していったらいいのでしょうか。

結局私は、深入りすればするほどその人の嘘が大きくなるように感じたので、もう関わりを持たないという道を選択しました。
でも今でも、これでよかったのかな?あの人にきちんと関わって愛する道はなかったんだろうかとか、考える時があります。

その人は全く違う映画を見ているのだと思えばそれで解決するのでしょうか。
でも他の人たちとは、それぞれの見ている映画の擦り合わせをやって、あ、大体一緒だねって感じで納得し合える気がするのですが。

こういう小さな疑問が解決できないと、阿部さんのいつも書かれている大きい視点からのお話が、なかなか理解できないような気がして、長々とご質問してしまいました。

いつもコメント欄に書き込みなさっているどなたかでもいいです、どうか教えてください!
Posted by れいこ at 2008年11月14日 12:19
阿部さん。

こんにちは。

れいこさんのコメントを見て感じたんですが、僕の周りにもいます。

例えば磁石のNとNをくっつけようとしても引っ付きませんよね。

対人関係もやっぱり相性があって当然なんですが相性の悪い人と接していると

「この人は苦手だ」

という先入観があるのでささいな事でもはらがたったりしますよね。

この先入観が自分の作った幻というか思い込みなような気がします。

少々の嫌なことは笑い飛ばすくらいの器量がというか余裕が欲しいです。

これは当面の僕の課題でもあります。

これは僕の思い込みの感想なんで参考にしないでね。
Posted by 大工見習い at 2008年11月14日 13:35
夢から目覚めた時、初めて世界はひとつだったと思いだすのかなって思いました。
今日も沢山のメッセージありがとうございました(^-^)v
Posted by ターコイズブルー at 2008年11月14日 14:02
すごくわかりやすかったです。今日の話は。

それで、れいこさんに私なりの解釈を・・・。
とんちんかんだったら、どなたか、もっとわかりやすくコメントお願いします!


その嘘ばかりの方は、小さな小さな世界に住んでらっしゃるのではないでしょうか。
その小さな世界の小さな価値観でものをみたり考えたりするので、自分をもっとよくみせようと発した言葉が「嘘」になってしまっているのではないでしょうか。
あるがまま以上に自分を大きく見せようともがいているとでもいいましょうか。


誰かが何をいっても、自分の考えが正しいので、受け入れようとはしないタイプの方だったりしませんか?

で、人と意見が違うと、自分の意見の正しさを主張したりしませんか?

私は私で構わない。どう言われようが、構わない。という心境になるともっとらく~にいられると思います。私がそうでした。体験でしかものがいえませんのでこれくらいしか言えないのですが、全く全然参考にならなかったらごめんなさい!
Posted by 花畑 at 2008年11月14日 14:17
れいこさん、こんにちは。
私の考えでは質問の答えにはならないかもしれません。なぜなら、れいこさんとは、違う映画をみているから…。でも、近い考えは持てると思うんです。ここに集まる皆さんのように、同じ志を持つとか…。

>すべてが1つで、みんな自分で、だからみんなを愛する状態が自然なのだ

私もそう考えるのですが、やはり目覚めの体験がないので、そう思えない人も確かにいます。
そういう態度をとるのは煩悩が原因だと考えて、やっぱり私も距離を置くと思います。
どう対処するかは、やっぱり、その都度違うのではないかと思います。れいこさんは正しい対処したのだと思います。
頭で考えると、矛盾が沢山出てくるんです。でも、この矛盾の中に真理があるんじゃないかな…と感じます。
自分は尊い存在だ…と言い聞かせていますが、ここにコメントすることにもビクビクしてます(^_^;)
それでも、ここでは言いたい事を遠慮なく言えるんです。少しでも、皆さんと考えを分かち合いたいし、力になれたらいいなぁ…と。
Posted by マミィ at 2008年11月14日 14:53
れいこさんへ
<私>の認識を変えることが必要だと思います。
心身脱落という言葉があります。私は身体だ、私は心だと人間は限定された自然現象を私だと認識しているのです。私は生きていると言う時普通は身体や心をさしています。それは真実の広大なる宇宙生命体である<あなたに起こっている>一番身近な自然現象なのです。阿部さんが映画に例えているのは分かりやすいと思うのですが、映画の中の主人公と一体になってしまった時に彼の痛みを自分自身だけの<特別な苦しみ>へと変換しているのです。実際は観客全体が同じ<痛み>という事実を見られるのですが限定性がそれを排除しています。他人は私には関係がないと感じるわけです。事実、身体や心は私ではないそれは<私自身ではない>としてしまうとどうなるでしょう。<それ>はリアルに在る世界や嘘をつく他者と区別する特別なものではないのです。<それ>を知ることが必要だと思うのです。事実(リアル)は存在するのですが3次元空間を認識する5感では認識できずに在るために夢として事実の一部分を認識しているのですから、意識の広がりを持たないといけないともいえると思います。これは<エゴ>の問題です。阿部さんの言う<愛する>ということは普通の意味である恋愛感<情>や情け、執着、自己愛とは区別する必要があると思います。生物、無生物の区別なしにすべての感情を分け隔てなく<感じる>ことなのです。<私>という孤立した自然現象が夢なのです。普通はそれを<私>は生きていると言っています。私が身体である、私が心であるという意識を自然の一部として見なし、それから離れ去ることによって何者でもなくすべてである私への道がはじまっていくのではないでしょうか。

すみません、私が書くと死ぬ程堅苦しくなってしまいますwwww
<いまここ>の味わいを深めれば考える必要なく体験としての理解が深まるのだと思います。しかし私は、自分自身の体験から阿部さんには<愛>と<情愛>の区別を書いて欲しいと思っています。

えらそうにすみませんでしたあああああ!
Posted by マーティン at 2008年11月14日 15:15
阿部さん、こんにちは。

きょうも、分かり易く話して下さって、ありがとうございます。

れいこさんに参考になるか分からないのですが。

わたしの経験では、そういう時は避ける方が良いと思います。
普通の苦手な程度なら何とかなるとおもいますが。

わたしは、その時避ける事が出来なくて、本当にこころが痛くて
悲しい体験をしました。今でも思い出すと切なくて涙が出ます。
まだ、人と関わる時に、すごく慎重になってしまいます。


きっと、わたしが阿部さんの言われるような境地を体験すれば
そういう方とも、勇気をもって関われるのかなと思います。
Posted by らぶ at 2008年11月14日 16:26
社会に出てびっくりしたのが、「オレは正しい。アイツは間違っている」とみんなが言い合っているということです。昔は善の人と悪の人がいると思っていました。または正しい人と間違っている人。

ヒーローものの悪の軍団なんて「我々は悪だ」と自認している点では潔い気がします。

ぼくは自称「正しい人」の間の板挟みになるタイプです・・・。
Posted by ゆーきー at 2008年11月14日 16:29
こんにちは。

日に日に秋色を濃くして、紅葉の美しい季節になりました。

昨夜の満月.....本当に綺麗だったですね。

れいこさんへ☆

相手の言葉や行動が気になった時・・・・

私の場合は・・・・・・(自分を含めて)世の中には色々な人がいて面白いなぁ~とまずポジィティブに思う様にしています。

相手が何を云いたいのか自分なりに感じて理解出来なければ、無理して取り繕うことはないと思いますよ。

ただ、れいこさんが優しい人だから、自分の寂しさをあなたに見せているだけなのかも知れないし・・・・。

憶測で色々なことは云えませんので、やはり、れいこさんの思うとおりに進め、あとは何も想い煩わないことだと思います。

相手の状況を受け入れられた時、気にならなくなると思います。

誰しも何かは?ありますものね。

表裏一体の見方を善い方に捉えたら良いと思いますが・・・

参考になるかどうか分かりませんが、いつも自分の心の奥の声に従うことが一番かと思います。

みんな愛されていることを思い出しました☆★
Posted by 一草一花 at 2008年11月14日 16:43
こんばんは(*^_^*)
そうか!道と思うからわかリにくい。世界と言葉を変えていただいただけでちょっと納得できました。
ありがとうございます^^
なんか、意味不明のコメントで申し訳ないです<(_ _)>
Posted by 松元です at 2008年11月14日 17:41
目の前の現象に 解釈や判断は(なるべく)しません。
事はただ起きている と 少しずつですが捉えれるようになりました。
自分の価値観・概念・思い込みなどを物差しにして
解釈・判断をしても 全ての事を納得することは出来ないし 
それをしていると自分がしんどいと感じたから。
そして『事はただ起きている』 と、教えていただきました。
自分がやらないことをやる人は 
自分がやらないことをやる人。善でも悪でも。
相手に価値判断を置くのでなく 私はこうありたい と考えるようにしています。
人の数だけ世界があるなら 違って当然 が前提ですよね。
人に感情を乱されたとしても 乱れた自分がそこにいるだけ。
相手はもうそこにはいません。
嘘をつかれたとしても いろんな解釈ができるわけで
相手が嘘をつきたかったのか 嘘をつかずにはいられなかったのか
嘘をつく事で結果自分を守りたかったのか つい口が滑ったのか
・・・・・・解釈は無限ですね。
違う角度から考えると 本人の意思と行動があっただけです。
意味づけは本人にお任せです。
本人が そう行動した が事実ですよね。
それでも解釈をつけるなら 自分に好都合で建設的にします。
嘘をつくしかなかったんだわ 可愛そう。
苦しかっただろうに 後悔してるはず。
あ~みえて傷ついているのは本人だわ。
今度は 嘘をつかなくて済むように接してあげよう。
・・・みたいな。 ほんのほんの 例えです。
そして 罪を憎んで人を憎まず。
あたしだって 事は違っても もっと罪深い事してきてるし
それでも神様は裁かないんだから
私が人を裁けるわけがない。・・・みたいな。 

みんなつながってひとつって言いますが
違う感覚で表現すると 目の前の人は 私の世界にいるだけで
この人の世界は全然違うところにあって 
私の世界とは違うことをして楽しんでるんじゃない?
って 感じたことがあります。笑いました。
だとすると 私の世界をより楽しく創造しなきゃ。
ミスキャストはゴメンだわ。ってね。

当然 私もたっくさ~ん 人の事を怒ってみたり 判断したりしましたよ。 
あっ! いまもします。
私は愛に生きたいのに~。 何よ!私は間違ってないわ!
社会というものは・・・。・・・・常識よ!考えられない!在りえない!・・・・・!!!!!
いまは 以前に比べれば解釈や判断は減りました。
阿部さんのメッセージをいただきながら繰り返し繰り返しいまここ です。
当初は 阿部さんのメッセージをどうにか理解したいって焦っていましたが 
それでも日々のブログを欠かすことなく拝読していたら
結果 なんだか随分と楽になっている自分がいます。
そんな自分がいまここにいるだけです。
阿部さんやここにこられる方々のお陰により 
随分と楽に生きられるようになりました。
これは 私の事実です。
以前に比べるととても穏やかで平安です。
妙な安心感や自信が地に足を付けてくれてます。
大丈夫・・・ のようです。
ただ起きているだけ・・・ みたいですから。
だから 大丈夫です。
ただ ただ 大丈夫です。
Posted by kayoko at 2008年11月14日 17:55
阿部さん、こんばんは。

私も人それぞれが自分に見える景色の中を
生きているのだと思っています。

同じ現実の中にありながら、人それぞれ感じることも
思うことも様々です。

誰かとぶつかった時、私は相手の見えているだろう景色を
想像します。それは私の想像の域を出ないものかも
知れませんが、相手には相手の深い思いがあることを
想像することで相手の中にある、同じ思いの自分を見つけることが
できるような気がしています。

そうすると「あなた」=「私」の感覚も深まる気がするのです。

もちろん合う合わないはあるので、合わないと思ったら早々に
退散して、近づかないようにしますが(^^;)

何だかまとまりのない文で失礼致しましたm(_ _)m

阿部さん、どうぞ体調に気をつけて北海道の旅と出会いを
楽しんできて下さい。
お土産話を楽しみにしておりますね。

今日も、大切なお話をありがとうございました。
Posted by ものぐさ at 2008年11月14日 19:43
はじめまして。
いつも深く考えさせられるブログ記事をありがとうございます。

2~3週間前にこのブログを読み始めたばかり
(そして即翌日の「いまここ」塾に参加させていただきました。終了後に阿部さんとも「静岡出身なんです」って
ことばをかわす事ができてうれしかった、沖縄に来ていてよかったです。)
なので、まだまだよくわかっていないかもしれませんが、
人によって現実の認識というか、解釈がすごく違う、
同じことを経験しているはずなのに、生きてる世界が違う!というのは
びっくりした実体験もあるのでわかるなあ~と思いました。


私がそのとき思ったのは、その、見ている世界にはその人の内面が投影されているんだな~ってことでした。
鏡の法則、って聞いたことがあります。その人の周りの出来事は(つまりその人の世界観は)その人の内面を鏡のように映し出している、って。
だからその時は、まずは自分のショックをやり過ごした後で、そうか、そんな風に思ってるってことは自分の中にこんな種を抱えてるんだろうな~、つらいだろうな、って思いました。


でも、その世界の見え方を変えるのは本人の気づきしかないんだろうと思って、
そのときの自分には、特に相談されたわけでもなかったので、感情的に落ち着いてからオブラートにくるんだ言い方をする事くらいしかできなくて、
あとはその人の内面が本質に向かう力を信頼するしかないな、と思いました。

自分の世界観を根拠に、人の世界観を「裁く」・・・というか、そこまで強い言葉を使わなくても、「判断する」ことの難しさを感じます。

自分も、勝手な世界観で生きることを、周囲の人や、もっと大きな存在に、実は、許されている・・・
そして、成長していくことを信頼されている(←たぶん)・・・と思うと、
お互いさま、それぞれ、がんばって行こうね、という気持ちになれます。

人間は多分みんな、本質では「幸せ」な方向に、目覚める方向に向かおうとしていることを信頼して、
判断を手放し、愛情のメガネをかけて見ることかな、と、今のところ思っています。

これからもブログ楽しみに読ませていただきます。
これから過去ログも読んで学ばせていただきますね!
Posted by Millie(みりい)Millie(みりい) at 2008年11月14日 21:17
敏郎さん、こんばんは!
毎日、敏郎さんのメッセージや皆さんのコメントが心にビシビシ伝わって感動してます。

有難うございます!

れいこさんへ、私からもコメントします。

嘘をつく人は、愛が欲しくて欲しくてたまらないように私は思います。嘘を言う事でしか自分を表現出来なくなっちゃってる本当はただ愛して欲しいだけの淋しがり屋さんが多いような気がします。自分の中に愛を見つけられずにもがいているんじゃないでしょうか?
いつかはきっと気が付く時が来ますよ‥

長い目で見守ってあげましょうね。

心の中で愛を送ってあげましょうね☆

あまり参考にならないかもしれませんがf^_^;
Posted by みか at 2008年11月14日 21:39
こんばんわ☆

れいこさんのお話に反応して
コメントしにやってまいりました☆

私もれいこさんと似たような経験を職場で
しました・・・・・私の前任者もそのいじめ
のようなものにあって精神的にまいってしまい
辞めてしまったのです。


人を陥れる為に嘘とわかることを堂々と
発言する他者に初めて出会いそれを見て

私は呆然と立ち尽くし言葉を失うことも
何度もありました☆

しかし相手にしてみれば私がショック状態
に陥れば陥るほど愉快になるようでした☆

当時の無知の私は彼らの嘘を暴こうと必死で
彼らと同じ土俵に立ち必死に戦ったものです・・

しかし闘えば戦うほどに己のエネルギーが消耗し
波動の質がさがり あらゆる災難を引き寄せている
ことにふと気付く瞬間がありました・・・・

そんなどん底の時に阿部さんの存在と出会ったのです。

その時の私はれいこさんが仰るように阿部さんが
全く次元の違う(高い)話をしていて今の私の現実には
何の解決にもならない・・・・
そんなことも確かに感じました

しかしその時は本当に地獄にいるような毎日でしたので
藁にもすがる想いで必死に阿部さんのお話を聴いて
いました。。。。大袈裟に言えば お守りのように
ラジオの録音テープを繰り返し 繰り返し聞き
本をはなみはなさず持ち 今はブログがあるので
一日に何度も記事をひらきますが その当時は
録音テープで阿部さんの高い波動に触れて
いました・・・・

その中で即効果があったのが

「息を吸って私は静か 息を吐いて私は微笑む」

これは効果てき面でやってる自分が驚いたものです


そうやって感情の落ち着きを取り戻し 
ゆったりとした気分で考えると・・・・
嘘をつく相手の気持ちがみえてきたのです・・

一言で言えば・・・「恐れ」 です
相手も自分を守ることに必死でやられる前に
相手を潰すの鉄則で生きていたのです

それがわかればこっちのもんです(笑)

ガタガタと震えて怖がっている子供に更に恐怖を
与えようとするでしょうか?

私は相手の土俵から外に出て逆に相手の懐に
とびこんでいきました・・・・
相手のいいところを見つけて誉めて誉めて
誉めまくります(心からですよ)

すると徐々に相手の嘘が減りだし・・・・・

今は完全に嘘をつかなくなりました☆

阿部さんのお話は次元が違うように感じる時
もありますが実際には一番効果的面なお話が
多々あると思います・・・・・

何度救われたことでしょう・・・・・


長々とくだらぬことを記してすみません☆

迷惑なら削除をお願いします☆
Posted by ヴィーナス☆ at 2008年11月14日 22:07
おっしゃること、全部安達さんとシンクロしてますわ。

面白いですね。

ありがとうございます。
Posted by sawa at 2008年11月14日 22:11
こんばんは。

います…。

私のまわりにも、嘘をつく人。
人を陥れようとするためとか、
自分をアピールするためとか、そんな理由のように感じます。

関わらないですむのなら、それでいいのかもしれませんが、
どうしたらいいんでしょうね…。

すみません、答えになっていなくて。
Posted by みぃ at 2008年11月14日 22:29
うそをつく困った人が 自分の人生に、登場してくること、そしてそれが、自分の心を、悲しくさせてしまう存在になること、そこに、自分の今の状態を、見つめ、考えるチャンスがあるように、感じました。。。
Posted by momo at 2008年11月14日 23:45
れい子さんへ
人は、その時に起こるいろんな出来事に、自分の中のいろんな感情で巻き込まれますよね 私は、その時に自分の中に自我が一杯ある事に気づきます。自我を落としたら、その時に見えてくる答えも違ってくると思います。れい子さんの話すその人がズート付き合って行かなければ、いけない人なら、その人の事好きになれれば良いですね
その人にもある良い所を見つけてあげて下さい。
Posted by 林檎 at 2008年11月15日 00:23
こんばんは(*^_^*)

「嘘」かあ・・・
みなさんのコメント、とっても興味深くて参考になります!

うちの子も「嘘」をつくので私は悩んでいます・・・

でも、うちの子を通して「嘘」をつく心理を私なりに
解釈できたかな?と思うのは「自己防衛」だということです。

結果的には防衛になっていないんだけど、「嘘」を
つくことで守れると思っちゃってる・・・
いくら違うと説明しても、自分の心で実感できていないから、
ついつい「癖」で、「嘘」をついちゃう・・・

でもそれって、よく考えてみたら・・・
私たちもよくやっているんじゃないかな?と思ったの。

「辛いこと」を「辛くない!」と心に言い聞かせて我慢したり・・・
認めたくないことは、目や耳に入らないフリをしたり・・・

自分自身を自分がだましていないと、辛くてやっていけない・・・

人は誰でもそういう部分を少なからず持っている気がします。

意外と、自分の「本心」を自分自身が知らない、気づいていない、
自分が自分をごまかして生きている、ということにさえ、
気づいていない人って、とても多いんじゃないのかな?って気がします。

自分の「本心」を見つめて認める、というのは、とても苦しいことだと
思うから・・・

私も先日、自分では想像できなかった「本心」にたどりつき、
ビックリしたことがありました。

そして、そのくらい、人間の「心」というものは。弱いものなのだと
思いました・・・

なので、私は、人は弱いから「嘘」をつくのだと思います。

その「弱さ」も・・・ 人により大小があって、大きい人ほど人に
迷惑をかけるような「嘘」をつくのではないのかなあ?って思います。

確かに、そのせいで迷惑したり、嫌な気持ちにさせられるのは、
やっぱり腹が立つものだと思います。
そんな時は、聖人ぶらずに怒っていいと私は思いますよ(*^_^*)

でも、自分と同じように「弱さ」を持つ人間だから、そういう行動を
とるんだ・・・と、思ったら・・・ それだけで、少し、気持ちが変わりませんか?

怒りの感情から、徐々に同じ「人間」だから弱いのだ、と・・・

(自分と同じ部分を相手に感じると、ひとつである、自分の一部である、
という感情に少しはなれるのではないでしょうか?)

話を戻しますが、うちの子の「嘘」も、うちの子の「弱さ」から
きているんだと思います。
なんとか、その「弱さ」に打ち勝って、「嘘」をつかなくて
済むようになってほしいと願いながら、日々、言い聞かせています。
正直、どう指導したらいいのか、悩むこともありますが、
逃げずに向き合うことしかない、と、思い、がんばっています。

れいこさんの知り合いも、勇気を出して、「嘘」と戦ってくれれば
いいですね(*^_^*) そして、れいこさん自身も、他人の「嘘」
に振り回されたり、嫌な思いをせずに済むような心の状態になれば
いいですね!

自分の子どもも満足に教育できずにいるので、
あまりえらそうな事は言えないのですが、一意見として、
申し述べさせていただきました。
Posted by NorthWind at 2008年11月15日 01:15
ブログといまここ塾にはよく行っていますが書き込みは初めてです。

今バイクで事故をして苦痛にもだえています。

これが夢だと気付けたらとてもハッピーなんですけどね。

使い方間違っているでしょうか?
Posted by ほこぴー at 2008年11月15日 02:48
れいこさんのコメントについて考えていたら
一夜明けてしまいました(^^ゞ
思いついた白猫案を書いてみます。

阿部さんは
現実はエゴが見ている夢(映画)と書かれていますが、
エゴを脳に置き換えてみたらどうでしょう。

現実は脳が見ている夢
人生は脳の作り話 ← おまけ(笑)
となります。

パソコンにたとえたら、
脳のハードは同じでも持って生まれたソフトが
みんな違うので夢の内容は人それぞれというわけです。

世の中には理解の範疇を超える言動をする人がいますが、
脳が原因という見方をすると納得がいくような気がします。

私は介護の仕事で認知症のお年寄りと接しているのですが、
突然怒り出したり、泣き出したり、様々な虚言妄想話をされる方がいます。
脳の病気だと思っているので傷ついたり腹は立ちません。

解剖学者の養老孟司先生が、凶悪な犯罪を起こす人などは
性格的な問題というより、脳に問題があるのではないかと
書かれていたのを読んだことがあります。

理解の範疇を超える人に出会ったら、
宇宙人を見るような気持ちで、「ふむ、おもしろい」
そんな見方をするのも一興かもしれません。

いずれにしろ
自分が楽になる見方を採用してみてはいかがでしょう。
夢なんですから…^^
Posted by 白猫庵 at 2008年11月15日 05:52
れいこさんのお話しについて、

私の意見ですが、表に現れている様々なその人の特徴

(ここでは「虚言壁」)は、その人の本質とは関係のないものです。

ので、それと関わることによって、自分が傷付くのであれば、

距離を取る事です。変な同情や、自己犠牲や、そんなものはいりません。

自己嫌悪にならないように、愛深い自分を演じる必要もないと思います。

ただ、距離をとっても、相手の本質は、自分の中にある本質と、

なんら変わりはないのですから、慈悲のエネルギーを送ってあげることです。

自分を傷つける人に「ノー」とはっきり示さなければなりません。

それは相手のためでもあり、自分のためでもあります。

ニュースで殺人者の話など流れていますが、もしかしたら、私もその人と同じ

環境で育って、同じ観念を持って世界を見ていて、同じ苦しみを持ってしまう

環境に置かれていたら、私も人を殺すかもしれないと思います。

自分が殺人者にならずにおられた恵まれた環境にいれることをありがたく思います。

私の職場にも虚言壁の女の子がいました。

その子の家庭環境など聞いていたら、そういう性格になっても仕方がないと思いました。

その子は悪い事をしているけども、そうなったのも、その人「だけ」の責任ではないです。

「ノー」とは言いますが、距離も取りますが、

表がどれだけ汚れていても、本質は光輝く素晴らしい存在であることを忘れないで、

その本質に慈悲の祈りを送ってあげてほしいです。

一歩間違えば、私達もそういう人と同じなんです、

そうならずに済んでいる、境遇に自分が置いていただいているだけなんです。

殺人者も、虚言壁のある人も、浮浪者も、精神病者も、みんな同じ本質を共有している仲間。

それを忘れず、でも、自分を犠牲にして助けなきゃとか思う必要もありません。

DVの夫に、殴られ続けている奥さんと同じになります。

「ノー」はきっちり言いましょう。

自分を守ることを忘れず。
Posted by こう at 2008年11月15日 10:51
2回目のコメントとなります(^o^)/


いろいろ 書きたいのですが・・・

自分を信じること

自分を愛すること 

 わかりはじめると さまざまな 思考は 減り 

受容すること

源が 一緒という思いで 交流すること

で  不思議なのですが さまざまな 人との 交流が できはじめます。

自然とエネルギーの交流が はじまります♪

いろんなこと かんがえなくとも 自然に・・

(まだまだ 発展途中なので・・今の段階で いえることです)
Posted by かっちゃん at 2008年11月15日 10:54
みなさん、ありがとうございました!
誰か1人でもいいから疑問に答えてくれるといいなぁ・・・という気持ちでコメントしたのですが、今日コメント欄を覗いてびっくりしました。

自分1人の視点からしかその問題を見られなかったのが、あらゆる角度からの回答をいただけて、しかもどれも、「なるほど~!」と思えるものばかりでした。

実は最初のコメントをしてすぐ、「現実は自分が作り出している」という言葉を思い出しました。
それなら、あの人が私の人生に登場したのも、自分がそう望んだから?!それなら、そのことに悩んでいるっていうのはレベル低すぎて皆さんに笑われちゃうんでは?と考えたりしました。

内容的にはmomoさんのコメントと同じようなことなんですが、そのmomoさんですら、すごく愛と思いやりに溢れた書き方をしてくれていて・・・皆さんの素晴らしさに本当に感謝です。

マーティンさんのおっしゃっていた「愛」と「情愛」の区別ですが、阿倍さんにはきっと、はっきり区別がついているので敢えておっしゃらないのではと思います。
でも、それらを混同しがちな(っていうかしていた)私には、目からウロコでした。

「あの人を愛する道はなかったか」と思うとき、どちらかというとべたべたした「情愛」を思い浮かべて「それは無理!」という結論になってしまっていました。
でもマーティンさんのおっしゃるように、「分け隔てなく<感じる>」ことが愛だとしたら、他のみなさんのコメントのように、「ああいう人もいるのね」とただ感じられるときが、来るような気がしてきました。

ものすごくびっくりするような人の登場って、エゴが巧妙に仕掛けてくる罠の一つなのかもしれませんね。
「あの人と私はすごく違う」「だからやっぱり私は個性を持った1人の人間なんだ」という具合に、自分の孤立感を高めるための。

みなさん、たくさんの真摯なご回答を本当にありがとうございました。
大工見習いさんのように「参考にしないでね」と謙遜された方のご意見も、すべてすべてありがたく、参考になります。
そして阿部さん、こんな素晴らしい人たちが集うブログを毎日続けてくださって、どうもありがとうございます。

今日もみなさんが素晴らしい1日を送られますよう。
ほこぴーさんの怪我が早く治りますよう、お祈りしています。
ありがとうございました!
Posted by れいこ at 2008年11月15日 10:59
れいこさんの質問に対し、皆さんのあったかいコメント、ほんとにここはいい感じですねぇ。
阿部さんがつくってくだっさたこの場所に感謝します。
私には良いアドバイスができないんですが、
嫌な気持ちにさせようとするものに対して、嫌な気持にならないでいられる自分で居たい、と私はずっと思っています。
…なんですが…まだまだ影響受けまくりです(/_;)。
☆ほこぴーさん、事故で大変でしたね。でも生きてて良かったです。
苦痛が無くなって早く良くなりますよう、願って祈ります。(^^♪
Posted by てるね at 2008年11月15日 12:14
阿部さん!皆さん!今日もありがとうございます!!
チラッと見たら、今の状況の私にシンクロしてました!!!
必要な答えが得られて、びっくり。。。

あんなにいらだってたのに、
もうすっかり落ち着きました!!ホッ・・・よかった。
だって今日は、土曜日でみんなでお出かけの予定でした。。。
楽しくいけそうです。

阿部さん、コメントされてる皆さん、本当にありがとうございます。

今日もいい1日をお迎えくださいませ。。。。。
Posted by yumi at 2008年11月15日 12:28
阿部さん、こんにちわ。
とってもお久しぶりです。読谷に引越したりして、今は「今ここ塾」に参加できませんが、阿部さんの活躍いつも応援しています。
きのう、アセンションの話を聞きました。アセンションが、生きながらにして、光の世界を体験するとするならば、とてもわくわくします。楽しみです。いつもアセンションに向けて貢献ありがとうございます。
じゃあ、またねー。
Posted by ひろすけ at 2008年11月15日 13:02
昨日は何か違うことを書いてしまったような気がするので、再び書きます。

ちなみに今はかなり痛みは減ってきています。

何か目的のために(苦痛からの脱出とか)目覚めを使う(語る)のは違うことなんでしょうね。

まさに、今ここでは苦しんでいる自分がいることを見ないといけないような気がしました。


とりあえず地獄道からは這い上がってベッドの上にいます。
Posted by ほこぴー at 2008年11月15日 22:13
ほこぴーさん、お大事になさって下さいね。

バイク事故と聞いて「高木善之」さんの名前が浮かびました。もしも

機会があったならば、この方の本を手に取ってみて下さいね。

この方もバイク事故から生還しています。すばらしい体験なさっているので

ほこぴーさんがシンクロ体験なさるかもしれません。
Posted by 花畑 at 2008年11月16日 08:05
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