2008年10月15日

畜生界

【畜生界】


名称だけ読むと、まるで動物に生まれ変わるかのようですが、実際にはそうではありません。

動物の特徴が顕著に表れる世界です。


とは言うものの、動物の中にも人を癒したり、盲導犬のように人を助けたりする存在がいます。

これは畜生という表現には当てはまりません。


一方で、飢えた野犬の群れにエサを与えれば、我先にと貪り食うことでしょう。

畜生という表現は、動物そのものを指すのではなく、自分さえよければいいという頑固な姿勢のことです。




【畜生界】


畜生界は、餓鬼界よりはやや苦痛が減ってきていますが、それでも空腹感は強烈に残っています。

そこで周りを省みずに、何でもかんでも自分のものにしようと突き進みます。


目の前に障害物があろうと、沼地が待っていようと、お構いなしに一直線です。

そして気に入ったもの(権力・金品・異性など)があれば、自分に引き寄せるために何でもやるのです。

後先を考えず、目の前の快楽を貪り食う姿は、まるで畜生そのものです。


その結果、人に迷惑をかけようが、人を傷つけようがお構いなしです。

この世界においても、自分だけが正しく、自分の夢を実現するのが何が悪いといった独善的態度が見られます。

そこには他者に対する配慮や、おかげさまという感謝が微塵もありません。


その結果、一時的に裕福になったり、権力を手に入れたり、満たされた生活を送る場合があるのですが、当人の顔には幸せな光は射していません。

むしろ、固まった仮面の下から、人を見下した尊大な態度が見えるだけで、品性に欠け、人間性を感じることはありません。


それが畜生界と呼ばれる世界です。


世間で成功者と言われる人たちの中にも、このような存在がいます。

そんな人たちに媚を売ったりへつらったりする人間も、同類と言わざるを得ません。


畜生界の特徴は、分別のなさ、自分本位、愚かさです。



ここまでの三つの世界(地獄界・餓鬼界・畜生界)を三悪道と言います。

しかし、それは悪いことをした人間が死後に赴く世界のことではなく、まさにこの世において我々が陥ってしまいがちな苦しみの世界なのです。



こんな話に興味を持ってくれましたか。



残り三つの世界があります。


そしてこの六道が我々の可能性の全てではありません。



そこを超えていくことが可能なのです。




Posted by Toshiro Abe at 08:19│Comments(22)
この記事へのコメント
 いつも ありがとうございます。

 「 しかし、それは悪いことをした人間が死後に赴く世界のことではなく、

  まさに

  この世において我々が陥ってしまいがちな苦しみの世界なのです。」


 こころから納得できました。

 今までは 「悪いことをした人間が死後に赴く世界のことではなく」

 こう思っていましたし・・・

 生まれ変わってきた人にも ランクがあって

 何度も人間として生まれ変わってきた人と・・・・

 上の文章のように 悪いことをして地獄にいた人は

 今回生まれてきても 同じようなことを繰り返すのだと

 思っていました。

 
 でも なぜ? この畜生道に落ちる人と 落ちない人がいるのでしょうか?


 もし お時間があったら 教えてください。

 申し訳ありません。
 
Posted by ひとみ at 2008年10月15日 09:16
自分の事を言われているようで…反省しますねぇ。まだベジタリアンにもなってないし、人に譲る事も少ないし…。これに気づけただけでも進歩なのかなぁ。地道にコツコツやっていこうと思います。
Posted by マミィ at 2008年10月15日 09:23
そもそもこの六道は、己を守ろうとしている世界です。

実際には、すべては一つであって、守らなければいけないものは何一つないのです。

全部が自分だとしたら、何から何を守ると言うのでしょう。

六道の世界は、自己という幻想をリアルに持ってしまった僕たちが、思考と感情を織りなして作り出す夢の世界です。

守ろうとする強さ(自我の強さ)によって、六道を上がったり下がったりしています。

必要なのは上の世界に上ることではなく、六道全体が幻だと気づくことです。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2008年10月15日 09:36
六道は己を守ろうとしている世界。

自我の強さによって、六道を上がったり下がったりする。んですね。

わたしは、極端な話、一日の中でも、この六道を行ったり来たりしているなぁ・・・

と思っていました。ある時間は「餓鬼界」ある時間は「畜生界」・・・という様に。

そういう事ですか・・・?

上に登ろうとするのではなく、大切なのは六道全体が幻だと気づくことなんですね。
Posted by ななこ at 2008年10月15日 10:01
阿部さん
おはようございます。

先週の「いまここ塾」有難うございました。
ひさしぶりに、生の阿部さんの声を聞けて幸せでしたよ。
実を言うとあの次の日の朝、うるま市の倫理法人会のモーニングセミナーに出かけました。
その時、カバンに収めていた阿部さんのライブのチラシ(顔がドアップの)をみて、なぜか涙が溢れてきました。
早朝から、不思議な愛に包まれた気分で感謝の気持ちでいっぱい・・・
これからも、いっぱいのいいお話よろしくお願いします。

11月14日の「ライブ&トーク」は場所の最終確認をしています。
おって連絡いたしますのでご了承ください。
Posted by むーねー at 2008年10月15日 10:13
あっ、先ほどのコメントは、ひとみさんの質問に答えたものでしたが、名前を書かなくてごめんなさい。

六道全体が夢のようなもので、そこから目覚めることが目的だということは重要です。
ななこさんがおっしゃる通り、僕たちは一日のうちにこの六道全ての世界を巡ることがあります。

正確に言うと、ひとつの世界に根付きながら、その中で小さな六道を巡るのです。



むーねーさん、楽しみにしていますよ。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2008年10月15日 10:25
もがいてみたり、開放感にひたってみたり。

少しでも上へいきたいと願っていたことも、間違いだったってことですか?


はちゃー。ぐるぐる巡っております。身を守ろうと必死になってみたり

(こころが壊死しました)

阿部さんの生の声、聞きたいです。話を聞きたいです。

東北の入り口にいらっしゃる予定はありませんか?

やれればいいんですよね。私が!!

阿部さん!いつかきっとお会いしましょう。
Posted by 花畑 at 2008年10月15日 11:32
あべさんお返事ありがとうございます。

一日のうちに六道全ての世界を巡ることがある。
そして、正確に言うと、ひとつの世界に根付きながら、その中で小さな六道を巡る・・・

了解しました。

この「根付いているひとつの世界」が大いなる力と永遠に繋がっている、すべてとひとつ。という世界・・・という事になるのですね?
Posted by ななこ at 2008年10月15日 12:58
毎日ありがとうございます。
かんながらも拝見いたしました。

今のかたちでも十分ありがたいのに、
ブログのありかたが変わるなんて・・・、
うれしいです。
もう、すでに楽しみで、ワクワクしてます。
Posted by みなべ at 2008年10月15日 14:13
ウヒョー、阿部さん。

一週間ぶりにPCが復活したと思ったら、

いわゆる人間生命の十界論でございますね。

以前、創価学会の人からも同じ話を聞きましたが、

阿部さんの十界論は、これまた読み応えアリですね。

人間の憎しみや怒り、そして悶々とした感情があらわに表現されて、

キタァー!!! ウヒョー!!! って感じです。

修羅、人、天界だったかな、続きの講義を楽しみにしてます。
Posted by スナックふれあい at 2008年10月15日 14:25
マミィさん、僕も完全なベジタリアンじゃないですよ。
ラーメンのスープも飲みますし・・・
無理せず、少しずついきましょう。



花畑さん、きっと会えますよ(^o^)



ななこさん

確かに僕たちは夢を見ながらも、大いなるものとひとつに繋がっています。

しかしここで僕が言った「ひとつの世界に根付きながら、」というのは、大いなるものとではありません。

通常僕たちは、六道のうちの一つの世界に根付きながら、その中で小さな六道を巡っているのです。


たとえば畜生界にいながらにして、「畜生界の中にある天界から地獄界」を巡っているという意味です。

まぎらわしい表現でしたねm(_ _)m
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2008年10月15日 14:32
みなべさん、これからもよろしくお願いします。


スナックふれあいさん

そうです。
その残り三つです。

ただし僕は、人間、阿修羅、天界の順で説明します。

この順列には諸説ありますが、僕の感覚ではこちらのほうがピンときます。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2008年10月15日 14:38
いつか横浜でも公演会をして頂きたいです。
でも、あんまり阿部さんが全国を飛び回ってしまうと、ご家族と猫君たちがさびしい思いをしてしまいますね。

 私は前は、パワースポットと言われる所に、行ってみたくて仕方ありませんでした。きっとそこへ行けば、何か自分を変えてくれると思ったからです。
でも、今は自宅で猫とくつろぐのが、一番パワーを感じられることに気がつきました。心を見つめると、「ここではないどこかへ」ではなく、「いまここ」にすべてあると思えてきました。

 もちろん、旅や新しいことをするのも、人生を豊かにしますし、何かを教えてくれます。でも、だからといって、外側のものが自分を良く変えてくれるかもという、過剰な期待がなくなりました。
また、ダメな自分を変えようと躍起になるより、軽やかに楽しくしている方が、気づきのきっかけになる教えも、スッと心に受け入れられるような気がします。
Posted by ルビナ at 2008年10月15日 15:13
あべさん丁寧に再びのお返事ありがとうございました。

根付きながら。は六道のうちのひとつの世界に根付きながら小さな六道を巡っているのですね。

イメージが更に、よくつかめました。^^

いつもありがとうございます。
Posted by ななこ at 2008年10月15日 15:38
阿部さん。

こんばんは。

じつはですね。

恥ずかしい話なんですが・・

今日の夕方仕事の指示のしかたが横柄だということで60歳を過ぎた男二人が怒鳴りあいの喧嘩をはじめまして・・

たまたま隣に居た僕が仲裁させて頂きました。

「みっともないからやめましょうよ・・」とか言って。



心の中で想いました。

「あんたらの心は今地獄界(蓄生界)をさ迷ってますよ~!」って。

僕は彼等よりずっと年下ですが心のコントロールはいつもこのブログを見てるおかげで少なくとも彼等よりできます!?

次の記事楽しみにしています。

それと

花畑さん。名前呼んでくれてありがとうございます。
Posted by 大工見習い at 2008年10月15日 18:32
あの頃・・・。
色んな手を使って・・・引き寄せ様と~・・自分のモノにしようって・・・・・。
・・・躍起に成ってたのかぁ~。。。ふぅ~ん。。。

成る程ッ。
今なら・・・理解出来ますねぇ~;;;汗



そんな自分(アタシ)の居る場所は・・・・・・???
何だ!
「そうだったの界!!!」←(長っ!!)


何を?
「ふざけてるの界???」

何が?
「哀しいの界???」

何してても?
「痛いの界???」

何がそんなに?
「面白いの界???」

何したから?
「気まずいの界???」

何が何でも?
「言いたいの界???」

何でもかんでも?
「欲しいの界???」



たくさんの「段界」・・・・有ったナァ~。。。。


何が有ったのかさえ?
「忘れたの界???」


さて、何だったんだろ~。。。。


何だったのかって・・・・;;;;;;;;
「想い出せないの界???」


「はひっ。」・・・・・・・・・・・”L(=v=)」”解んねぇ~。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ☆今日の記事観て☆
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


クエスチョン???が。
びっくりマーク!!!さぁ~~~~っ。笑




って、人。
増えた筈ねぇ~(*^0^)y"

明日もイイ~日で有ります様に~♪♪
Posted by ☆てぇ~げぇ~なぁ☆☆てぇ~げぇ~なぁ☆ at 2008年10月15日 18:37
お忙しいところを 丁寧に答えてくださり

ありがとうございました。

「六道全体が夢のようなもので、そこから目覚めることが目的だということは  重要です。
 ななこさんがおっしゃる通り、僕たちは一日のうちにこの六道全ての世界を 巡ることがあります。

 正確に言うと、ひとつの世界に根付きながら、その中で小さな六道を巡るの です。」

「たとえば畜生界にいながらにして、「畜生界の中にある天界から地獄界」を  巡っているという意味です。」


こころから 納得しました。。。

『 いまここ 』 は聖域ですねぇ・・・

『 いまここ 』 は大安心の ほんとうの自分の居場所ですねぇ。。

自我は 未来と過去にしか 住めないのですねぇ。。。


大安心の中で 生かせて頂きます。

「 いまここ 」という 聖域の中で 生かせていただきます。


ほんとうに いつも ありがとうございます。

心から 感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。
Posted by ひとみ at 2008年10月15日 20:53
敏郎さん、おこんばんは♪

六道。
行ったり来たりしています。

そして周りを見渡してみても、ほとんどの人が
行ったり来たりしているのがよくわかります。

《人間》という存在である以上、この六道は
本来の自分に気づくまで・・いや気づいても
今生が終わるまでずっとついてまわるのでしょうか・・
と、思いきや・・・

>そこを超えていくことが可能なのです。

!!!

『悟りを開く前は、木を切り 水を運ぶ
悟りを開いた後も、木を切り 水を運ぶ』

大切な何かに気づく前に、漠然と行っていた行為を
気づいた後に、今度は意思を携えて
ただ淡々と同じ行為をやり続けることの難しさ。

優しさとか思いやりとか・・・

踏まれても蹴られても-
六道にまみれて生きている人間にもまれて
日々生きていると、そちらの方がリアリティがあるから
そちらの世界にまた引きずり込まれそうで。
(あ。まだまだ六道真っ只中ではございますが ^^:)

とても興味深く、今の自分にとっては
大切なお話だと感じてなりません。

いつもありがとうございます。^^

素敵な夢を~☆
Posted by Luna at 2008年10月15日 21:44
あべさん
こんばんは。

六道の話は、自分で思い当たることが多々あるので耳が痛いです。

六道の中の一つの世界に根付きながら、その世界の六道を巡る。

私は、どの世界に根付いているのかとなと思います。

こういう事をいつも意識していると、客観的に自分を見ることが出来て
いいですね(^^♪

いつも、ありがとうございます♥♥♥
Posted by らぶ at 2008年10月15日 22:07
私も、“生講演”是非行きたいです。

東海地区での講演は予定ありませんか?

まずは、方広寺に出かけてみようかな?
Posted by さくら at 2008年10月15日 22:10
いつもありがとうm(__)m

講演会に行ってみたい!

なんとなく、無理しなくても行けるような気がする…
(^-^)阿部さんに会うのが楽しみ!

あなたが大好き!
Posted by 大森 at 2008年10月15日 23:06
私、今、畜生世界に住んでます。
ここが心地よくて、ここからでられません。
ずっと、ここにいたいです。

駄目ですよね?
Posted by ダンボール at 2018年10月22日 06:55
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