2008年10月13日

六道輪廻

今日は休日ですね。

ゆっくりブログを読める人もいるかもしれませんね。



今日はちょっと興味深い話をしてみましょう。




以前、五蘊(ごうん)という考え方を説明しましたよね。

僕たちの自我が形成されていく5つの段階のことです。

少し難解だったかもしれませんが、その五蘊の最終段階が、識蘊(しきうん)というもので、簡単に言えば「意識」のことです。


それは思考と感情を操りながら、様々な世界を作り出しているのです。


その世界は大きく分けて6つあります。


それが六道と呼ばれる世界で、僕たちはその世界をぐるぐる廻っていて、そのことを六道輪廻と言います。



それは地獄界から天界まであるのですが、今日はその世界の説明をしてみます。


きっといまあなたがいる世界があるはずですよ。


上からいきます?

下からいきます?



あはは、下がっていくのもなんだから下からいきましょう。



まずは地獄界。


ワオッ!・・・ちょっと強烈かもしれません。




【地獄界】


本来自分という存在は、広々としたスペース、宇宙の開放感そのものなのに、それが極限にまで縮まった世界がここです。


開かれた大地の上に、わざわざ小さな小屋を建てて、その中で押しつぶされそうになっている状態です。


壁と自分との隙間がないくらいに、周りの世界が自分に圧迫しているんです。

しかも、壁は自分に敵対しています。

すこし油断したら、すぐに飲み込まれてしまいそうです。



地獄界にある感情は、罪悪感、自己嫌悪、劣等感、怒り、憎しみ、嫉妬・・・


「俺はなんてひどい奴なんだ!」

「皆俺を軽蔑しているに違いない!」

「俺のいつもやっている演技が全部見抜かれている!みんな敵だ!」

しかもその敵に対する余裕がなくなっていて、目の前に迫って来ています。


「こうなったら、目の前の壁を破壊するか、自分を破壊するかどっちかだ!相手を殺すか、自分が死ぬかだ! 」


時々、何でこんな事件を起こしたのか?そういう事件が起きるでしょ?

その人の意識はこういう世界にはまり込んでいる場合が多いんです。

無差別殺人とかね。


あるいはそれが内側に向くと、自殺をしたり、自分を刃物で傷つけたりします。



もちろん【地獄界】の人みんなが犯罪を起こしたり、自分を破壊したりするわけじゃないですけど、中にはそんな人が出てくるのです。



たとえば小学校に乱入して子供たちに次々と襲いかかったあの事件。

あの犯人が住んでいた世界はまさにこの【地獄界】です。


だから逮捕された後も、自分には殺すしかなかったって開き直るのです。

人を殺して自分を殺すしかなかったって言い張ります。


被害者の皆さんにとっては、怒りのやり場もないような、まことに痛ましい事件でした。

最近警視さんと親しく話す機会が増えましたが、被害者の皆さんは僕たちの想像を超えた苦しみを一生背負っていかれるのです。


そんな犯人たちを擁護する気持ちはさらさらありませんが、罪を犯したのは彼らの魂自体というよりは、第五スカンダ(五蘊の章を復習してください)における想像力が、【地獄界】にどんどんはまりこんでいって、周囲がそんな人間を助けきれなかったというような見方もできるのです。


なぜなら、どんな悪人も、その本質は仏だからです。

だからキリストは「罪を憎んで人を憎まず」と言うのかもしれません。


ちょっと極端な例を出してしまいましたが、これは他人ごとではなく、僕たちも油断したらそこまで低い世界にはまりこむ可能性があるのです。


僕の観察では、他者を破壊しようとする人間よりも、自分を破壊する人のほうが多いようです。

自殺が後を絶たないのも、そんな世界にはまりこんでしまったことが原因の一つだと思います。



でも、そんな状態の魂のことも救うことができるのです。

繰り返しますが、本来は等しくみな仏だからです。


彼らを救うためには、何かを教えるのではなく、その人と同じ苦しみにまで下りて行って、共に苦しみ、呪い、悪戦苦闘することから始まります。


僕は自分の人生の中で、自らもその世界にはまったことがあります。

その時は3日3晩のたうちまわって、幸いにも僕の意志の力が勝ったことで、自力で脱出しました。


その経験を生かして、実際にその状態の人を何人か救ったことがありますが、その時はものすごいエネルギーを消耗しました。



やれやれ、地獄界だけでも、まだまだ言いたいことがたくさん出てきてしまいます。


明日は次の世界に上がってみたいと思います。


この六つの世界を理解することは、今自分が何処にいるのかを知る手がかりになり、やがては六道輪廻を超えていく手助けになると思います。



休みの日に、こんな読み物はいかがでしたか。




Posted by Toshiro Abe at 11:32│Comments(17)
この記事へのコメント
>なぜなら、どんな悪人も、その本質は仏だからです。

このことを誰もが思い出せば、すこしは

世の中が地獄界より上にいくかもしれません。

あのヒトラーでさえ、その本質は仏ですから、

どんな犯罪も仏がしているのだと思えたら、

その出来事はシナリオどおりといえるのでしょう。。

しかし、犯罪にあわれたかたの気持ちは目の前の

現象にとらわれてしまいます。それすら体験だと

いつかわかるのかもしれません。神であったとき

には体験できない体験を今していて、相手は自分だと

気づけているなら、少しはその体験を受け入れることが

できるのかもしれません。誰だって犯罪にあわないまでも

なんでこんな出来事が起こるのかと天に怒りをぶつけたく

なるときがありますが、その時にすこしでも阿部さんの

言われていることを思い出せたら気持も軽くなるかもし

れません。

すべては戯言ですね。

これからの話も楽しみにしています。

いつも感謝。
Posted by ネオ at 2008年10月13日 11:58
こんにちは
また、おじゃまさせていただきました。

「地獄」は、嫌だわ~なんて思っていますが、それぞれの方々がある意味
自分で作り上げた地獄の中で生きているような気がします。

同じ人間(仏)には変わりないのに、皆さん個々の色つき眼鏡で世界を見て
いるのでしょう・・・その眼鏡には人それぞれで色の度合いが違うから、
真っ黒で世界の本当の色が何も見えない方もいるのでしょう・・・

見えてる世界は、心のありようで景色が一変するのではないでしょうか?
そのためには、自分が色つき眼鏡をかけていることを知ることからはじめなくては・・・

私のかけてる眼鏡も結構な色がついておりますので(笑)

三連休明け、目覚めですよね(笑)

眼鏡はずせるようにがんばりま~す!!

六道輪廻の続きのお話も楽しみにしております!!
Posted by ものぐさ at 2008年10月13日 12:11
安部さん、こんにちは お久しぶりです(^-^)

最近、私はつくづく思うのですが~考えるべき「答え」やメッセージは
 目の前にあるものなんだなぁ~と・・

私は去年11/11ある種の覚醒をしたようなのですが、それを抹殺する事のできる先生が友人の知り合いにたまたま居て~消してもらいました。
自分では霊能力などない為に それが、果たして「龍」だったのかなんなのか・・・

抹殺してもらったにも関わらず・・今年の2/23 少し前にたまたま見つけた、ある絵本の作者(霊能力者)のブログの練成陣(魔法円)のマークを見て・・
又 11/11の時のような感覚が蘇り~その日から数日は左手のヒトサシ指が私の意思とは関係なしに次々と文字を指してしまいました。

その能力者の方曰く・・龍とは己の契約の意味だということです。
スサノオの剣に何が映っていますか?と記事に書かれてていました、ぱっと脳裏にひらめいたのが~龍に乗ってる観音様でした。

ちなみに私はそれまで宗教や精神世界にが興味なく、なんとなく~・・
龍+仏というのは・・イチゴ大福の如く以外な組み合わせでした。
ちなみにある種の覚醒とは、「先読み」の能力らしいです。たしかに・・自分では自覚しておりませんが、たびたびリンクしてたりします(*_*)

私にはアセンションやフォトンベルトなどの小難しいことは分かりません

又指が動き始めたりしました。
指の主は役小角さんのようです。私は指の事を100%信じるのは危険だと思っています、なぜなら これは あくまで役小角さんの意見だと思うからです。


全部はまだ見れてませんが、もうひとつの安部さんのブログを見ました
天川神社・・安部さんと色濃く関係がありそうなので~・・
このように 勝手ながらお伝えしております。(おまけに指に書けと催促されてるようで・・→なぜか今ピンピン動いてます)

安部さんのおっしゃるとおり ですね、全ての命が愛しい!!
覚醒した者はそのような感覚に涙するようですね・・

どんな魂も生まれてきた時は皆美しい魂だったハズなのに・・
本当に学びのない魂は救われないのだろうか。。。

だけど自分の快楽のみで、犯罪を起こす輩がいて 被害者の方の気持ちを考えると憤りを・・

おとつい、昨日と久しぶりにTVを観ました、2日続けて映画をみました。
あるメッセージを感じました。「フラダンス」愛と「コマンドー」憎しみの連鎖


人の世もピラミッドの如く、ゆっくり、しっかりと丁寧に作らなければ・・

 理解した瞬間 それが愛~❤→勝手に他者のブログに書いてしまった
                    
                     ソーりー(^_-)-☆

個人的意見ですが、「かんながら」は人として、すばらしい生き方だとは思いますが~急な弥勒の世の移行や、いきなり神聖に近づこうなどの考えは危険だなぁ・・なんて思ってます

人の世もピラミッドの如く、ゆっくり丁寧につくらねば~・・


私はメッセンジャーの役目があるようなのですが、自分の生活がまず きっちり出来てる上で~無理のないように頑張ろうと思ってます♪
ここ数日は頑張りすぎました・・(^_^;)
安部さんも あんまり頑張りすぎないよう お体ご自愛下さいませ♡


                     
Posted by K I at 2008年10月13日 16:44
自分も中学や高校のときにそういう状態に陥ってた気がします。

ほんとにあの時は八方塞がりだと思い込んでいて、その気持ちが内面に向かかったり、外へ向かったりして始末の悪い問題を起こしてしまいました。

それでもそんなギリギリの状態になった時に家族の愛や、自分の中に気付いた心に助けられてきた気がします。

次回のちょい上の段階が楽しみです。
Posted by ボンジン at 2008年10月13日 17:10
阿部さん。

こんばんは。

精神的に追い詰められて心の中が地獄界に逝ってしまってる人って
以外と沢山いると思います。

僕の身近にも多額の負債を抱えて家族がばらばらになった挙句自らの命を絶った友人が居ました。

ここで精神をコントロール出来る人はやっぱりなんらかの信仰を持ってる人だと思います。

生きる目的を良い家に住みたいとか皆から尊敬されたいとか美男美女と出会いたいとかに持って行くとその先にはきりのない欲望の道しかないんですよね。

多分このブログに集う人達には解りきった道理だと思いますが、まだまだ僕達の廻りには圧倒的に地獄界でさまよってる人たちの方が多いと思います。

僕も含めて。

この事は世の中で起きている事件を見ていると一目瞭然です。

あとこの国の自殺者は年間3万人を越えています。



ただ僕は自分の精神がこの世のシステムに囚われている事を知っています。それだけでも救われている様な気がします。

僕はこのブログに出会って1年も経って居ませんが半信半疑で始めた朝の瞑想で心に余裕が出来たことに自分自身驚いています。

日常のトラブルにパニックになる癖がかなり改善されてます。

少しずつですが精神が成長してます。

次回の記事楽しみにしています。
Posted by 大工見習い at 2008年10月13日 19:23
私も、【地獄界】…はまり込んでいた時期がありました。
わざと自分を傷つけるようなことをしたり…。
一番身近な人が自殺した時は、…救いようのない苦しみでした。
やっと這い上がってきて、今、生きています。

「いまここ」は何界なのかなぁ?
今夜はお月さまが奇麗なので、ベランダに出て瞑想しようと思います。
明日、「明け」…ですし…(^^♪
Posted by てるね at 2008年10月13日 21:03
ありがとうm(__)m

感謝します。
Posted by 大森 at 2008年10月13日 21:22
人って、面白いですよねぇ~。。。

「苦しい~;;」とか、「悲しい~;;」とかって、言う感情にどっぷり填まって・・・ヒタヒタに浸かってる時って、ドコの誰よりも・・・・一番自分が「可哀想」に想えて・・・・・泣いて喚いて叫んで。

人のせいにしてみたり。。。

そんなコトしても、虚しい~だけなのに、それでも・・・・自分以外のモノに原因を押し付けてる。


亡くなった人に迄、わざわざ・・・・・付回して迄も、消えない「苦しみ」「悲しみ」を、手放せずに・・・・・・・ウダウダ言い続ける。。。。



正直、観てて可哀想~;;;
自分で「苦しみ」「悲しみ」を大事に大事に持ち抱えて歩いている。
それだけのコト・・・・。
いい続けて、楽に成るワケでもなく。
怨み続けて、苦しめてやる!!!なんて、想ってたって???
・・・・苦しむのは、相手ドコロか・・・・自分だってコトにさえ、気付けない。


そんな怨みつらみだけを持ち続けて・・・・生涯を終えるんだろーかなぁ;;;;


なんて、変なコト・・・・想ったり。



休日でも、一般的な連休とは、無縁なアタシ。笑
こんな時間に・・・・記事を読んでみたら・・・・???
「被害者」・「加害者」なんて・・・・誰が、作ったんでしょう~ねぇ~。。。
そんな言葉。



色んな言葉を作って、「感情」を表現するのも・・・・いいけれど~;;;;;;
言葉が独りでに遊んでる気がして・・・・ナリマセン;;;;;;;;

「善」・「悪」何を基準として・・・そう~するんでしょう~ねぇ~。
どちらも「内在」してるのに。
何に、付けても・・・・・・・・・「答え」を欲しがるのは、ど~してでしょう~。
面白いですねぇ~。
ホント・・・人って、生き物は☆




こんな・・・・・気分に成っちまってますが;;汗。

「もぉ~、いいんでネェ???」って・・・・ぽそっと、呟きながらに・・・・・。

さぁ~。
明日も、メリーゴーランド???汗;;;って、コトで。。。。


ぉやすみなさぁ~い(*=0=)/~~~☆
Posted by ☆てぇ~げぇ~なぁ☆ at 2008年10月14日 00:05
こんばんは(*^_^*)体調がよいのと、考えがまとまりそうなので
久しぶりに書いてみようかと思います。

地獄界・・・

まったくの私見ですが、今日の阿部さんのこの記事のみを
読んだ段階では、認めたくはないけど、いまの日本人は、
ここをさまよっている人が多い気がします。

住み着いている人もいれば、ほかのステージと
行ったり来たりを繰り返している人・・・

私もたぶん行ったり来たり彷徨っている人・・・

きっと、そういう人が一番多いのかな?
まったくの悪人なんて、本物の冷酷非道な人間なんて、
そうそう、いないだろうし・・・

確固たる自分があって、地獄界へ戻ってきたことのない人なんて
きっと、一握りしかいないんじゃないのかな? って気がします。

この世に生まれた時は、みんな同じような要素を持ち合わせて
生まれてきているはずなのに、年齢を追うにつれ、なぜこんなにも
方向性が違ってしまうんだろう? それぞれの個性・・・と、一口に
言ってしまうにしては、あまりにも、殺伐とした、無味乾燥な人間が
多くなっているような気がします。

子どもたちと接してみて、最近感じること・・・

母親はとても綺麗にしていて、愛想もよく、子どものために
PTA活動や習い物のサポートをし、他の子どもにも、保護者にも
とても優しく、明るくて、働き者のお母さん・・・

そんな、どこから見ても、非の打ち所のないように見える
お母さんの子どもなのに、笑っていない子どもが多い。
外で会うといつも苦虫を噛み潰したような顔をして歩いている。
ひどい言葉を使いながら・・・

あのお母さんの子どもなら・・・って思う人の子どもが
びっくりするくらい冷たい印象だったり、表情のない顔をしている・・・
(あくまで私のまわりでのことです。)

あと、自分の気に入った人としか話さない、仲良くしない、挨拶さえしない、
気に入らない人間は徹底して無視か、陰口・・・

それから、学校の先生や、親、大人の前で非の打ち所のない行動と
受け答えができるのに、子供同士になると正反対の行動に出ている子。

自分の行動は、見透かされないように、とても巧妙に立ち回るのに
人の失敗やあら探しは大好きで、常にだれか失敗しないか、という
ことにばかりアンテナを張っている子。

こうやって改めて書いてみると、大人の社会と同じような汚さが
子どもの世界にすでにある。

地獄界も低年齢化しているんでしょうかね~???

そして、純真無垢で、まっすぐな子、素の自分を素直に出している子、

こういう、なくしてほしくない部分を、たくさん持っている子が、
上に書いたような子どもたちに攻撃されたり、仲間に引き入れようと
あの手この手で迫ってくる・・・

そんな印象を受けます。

でも、攻撃している子も、親や周りの地獄界に住み着いている
大人たちによって、「これでいいのだ」と、洗脳されている・・・

守る大人が、しっかりしなくちゃいけないと感じる今日この頃です。

わかりやすい、はっきりと特徴の出ている、地獄界のサンプルの
ような人は、近寄らないように、近づけないようにするすべは、
まだあるけど・・・

私は常識人です、人には優しいです、社会的に反するような
ことなんて、絶対にしません。

そんな風に外から見える人、自分でもそう思っている人、
たとえば、被害者の立場でものは考えられても、加害者の
立場では絶対に考えられない人・・・

そういう人にこそ、私は脅威を感じます。

なぜ???

どうして自分は絶対に間違いを起こさない、どんな場合でも!
って言い切れるんだろうか?
(もちろん、そうならないように努力していく、って考えるのは大切。)

私が思うには、自分と自分に関わる人間だけがしあわせであれば、
困らなければ、自分に身近な環境さえ快適ならば、それでいいの!
って考えの人がすごく多い気がします。

自分に関係のないことは、自分と意見が違う人はどうでもいいし、
他人の失敗を許せない人が多い。

子どもに、周りの人に「いい人」や「優しい人」だって
思われればいい・・・

そんな風に考えている大人が、私の周りには多い気がします。
(もちろん聞くわけにはいかないので、あくまで、そう感じると言うことです)

でも、そんなのは、自分のためにやってるだけで、子どものために
やっていることとはとても思えないのです。

(阿部さん、間違っていますか?)

子どもに・・・温かい気持ちをあげようとしても・・・
その気持ちを素直に受け止められない子どももとても多い・・・
(もしかしたら、大人もかもしれない・・・)

こんなに文明が進み、教育だってちゃんと受けられるシステムが
整っている、この国なのに・・・

学校は、大量生産をする工場のよう・・・
みんな同じ形、同じ色に作り上げ、ちょっとでもはみだしていると
無理やり形を整えられるか、失敗作としてはじかれ、出荷されないで
処分される・・・

そんな印象を受けます。
(まったく違う、温かみのある学校もあるとは思います。)

こういう世界をなんとかする方法や手段があるのでしょうか?

みなさんや阿部さんと一緒に考えていきたいです。

今後の六道の解説や、他のお話が、なにかのヒントになればいいなあって
思っています(*^_^*)
(えらそうに書きましたが、かくいう私も、いつも迷いながら、
常に失敗や後悔を繰り返しながら生きております・・・
全然悟ってなどいない未熟者です・・・)

みんながみんな、仲良しこよし・・・ いい人、にならなくても
いいから・・・せめて、みんなが自分以外の考え方や、生き方を
認めることのできる世界、人のあたたかみが、一部の人だけじゃなく
みんなが感じるあえることのできる世界になればいいのになあ
って思います。

一人ひとりの家の雰囲気から、近所や地域の雰囲気、住んでいる土地の
雰囲気・・・というように、あたたかい波動が少しずつ広がって、日本中を
ひいては世界中がやさしい空気に包まれればいいですね!

叶わぬ夢・・・じゃなく、一人ひとりの、みんなの力で
実現できる現実にしていければいいなあって思っています。

今日もやっぱり長くなってしまいました・・・
(だから毎回の書き込みはできないのです。)

読んでいただいて、ありがとうございました。
Posted by NorthWind at 2008年10月14日 03:02
おはようございます(^-^)

去年、たまたま~ひょんな事から、
      ダライラマさんの講演会チケットをいただきました。

私は着くなり、睡魔に負けて、ウトウトと体を左右にゆらゆら~
   眠ってしまいましたが~・・肝心な事はしかと聞いていたようです!

       人間は誰でも仏の種がある

 それにしても・・横の坊さんなんて、せっせと一語一句を逃すまい・・
と全て細かい事までメモされている中~
体をユラユラさせてる私って一体・・上の方の遠い席でよかった(^_^;)

 2/23も本屋で、本来人間 仏である の部分を指しました。→本のタイトル は忘れました。
  メモ用紙など持っておらず、携帯電話に指す事を記入していました
  なので途中から面倒になり~
  本のタイトルは書きませんでした。(自分の携帯に自分から自分へ
  メールしておきました)
    

     では今日も一日ごきげんよう~♪
Posted by K I at 2008年10月14日 05:34
ここなら当然かもしれませんが、想っていたことを「NorthWind」さんが書き

尽くして下さいました。

同感です。


ありがとうございます。
Posted by 花畑 at 2008年10月14日 09:21
読み応えのあるコメントをありがとうございます。

本来なら、もっと時間を割いてレスしなければいけないところですが、皆様のご厚意に甘えて、このような調子でいさせてもらっています。

このコーナーへのご意見は、僕の記事以上に多くの人たちの関心を得ていると思っています。


これからもよろしくお願いします。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2008年10月14日 12:56
阿部さん、はじめまして。
2010年にこのコメントをするのはどうかとおもいますが・・・・
私は、中学生で、この六道に興味をもったのは、
学校の博物館見学とハマっているマンガから興味を持ちました。
調べていくうち、このブログに行きつきました。
この六道の記事を読んだ後、とても重く感じたのですが、
あとから、よく分からない、もやもやした気持ちになりました・・・・。よく、わからないのですが、なんだか深いと、
思いました。
Posted by FR-ft. at 2010年06月21日 21:53
はじめまして。

雲 黒斎さんのブログから阿部さんの存在を知り、ここに辿り着くことが出来ました。
2010年の春先に新聞の書籍広告で雲 黒斎さんの本を知ったのがきっかけで彼のブログに出会い、2006年6月の開始から順を追って拝読させてもらっております。

「彼らを救うためには、何かを教えるのではなく、その人と同じ苦しみにまで下りて行って、共に苦しみ、呪い、悪戦苦闘することから始まります。」

私は無宗教の人間ですが、この一節にいつか耳にしたキリストの言葉を思い出しました。
Posted by サマリタン at 2010年10月30日 18:44
最近阿部さんを知りまして、過去の記事を読んでいたところです。ですので、今更ですが、過去の記事にコメントさせて頂きます。

昨年、7月に父を亡くしました。父は自ら死を選びました。

生前の父の言動を振り返りますと、父は記事のような“地獄界”の世界にいたのではないか…と思いました。

鬱という病気もあったので、勝手に断定は出来ませんし、父は一生懸命頑張ってくれたので、死についての理由は追求するつもりはありません。

おこがましいお話ですが、父を救いたいなどと思っていましたが、私には到底無理そうです。

でも、自分の至らない点に気づきながら、父の分も一生懸命生きる。これしか出来ないけど、やってみせます。

そのパワーが父にも届くといいな。と思ってます。
Posted by うり at 2012年01月18日 15:40
あなたが救うんじゃない。仏が救うんですよ。吐き違えた宗教に染まっているほうが、地獄界に落ちてします。
Posted by さくら at 2013年07月05日 00:20
救う?仏?地獄界?
それこそ、完全に、宗教の世界だと思うな。
もちろん、宗教が創り出した固定観念の世界に留まるのは自由。
固定観念とは、人間の自我(思考)が創り出したもの。
宗教の限界は、そこにあると思う。
Posted by 知ったかぶり at 2013年07月05日 01:01
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