2008年04月20日

チベット問題と日本国憲法

昨夜ライブが終わった後、沖縄の仲間たちと歓談しましたが、まっさきに話題に上ったのがチベット問題でした。

僕のブログの影響もあったかもしれませんが、そういう話題が自然に出てくるのは嬉しいです。

それだけ多くの人たちが関心を持ち始めたわけです。



チベット問題と日本国憲法



GWの中国旅行の予約も半分くらいだそうで、煮え切らない日本政府の対応に民意が静かな抵抗を見せ始めた気がします。

ある調査によると、中国のやり方に反対する国民が80%以上で、容認するという10%余りの人たちをはるかに上回っています。


このムードは政府首脳にも伝わっているはずで、来月の胡錦濤(こきんとう)国家主席の来日が、延期になるか変更されることを期待します。

今回の来日は、チベット騒乱以降初めての外国訪問ですが、これを受け入れるということは、チベット問題に対する中国政府の対応を、日本が暗に承認したことに繋がりかねません。



一部のメディアも、起きていることの重要性をやっと認識しだした感があります。
やはり我々が事実を学び、自分たちの意見を持つことは重要なことだと思います。



中国(漢族)には中国の考え方があることは認めます。

でもそれが国際社会の中ですべてが通用するわけではなく、お互いに妥協点を見出そうとする歩み寄りがなければ、共に付き合っていけないのだということを、はっきりわからせる必要があると思うのです。

もしこのことを許してしまえば、中国政府は自分たちの強硬なやり方が国際社会に通用すると自信を深めるでしょう。

共産党独裁政権と中華思想が結び付いた時の怖さを、我々はもっと知らなければいけません。





今回のことで、ひとつだけプラスなことがありました。

それは日本国民の多くが、今の中国政府の実態を正確に見つめ出したことです。

ガス田問題や毒入り餃子事件の時でさえ、中国の本質に迫ろうとしなかった人たちが、今回のチベット問題とその後の中国政府の対応を見て、やっと闇の深さを感じだしたと思います。

彼らが平気で嘘をつくという実態を知り始めたのです。


その同じ政府が、確たる証拠もなしに南京で日本兵による大虐殺があったと主張しているわけですが、彼らの主張をこれからも鵜呑みにして土下座外交を続けていくべきなのか、やっと中立的に検証できる環境が整ってきたと思います。




最後にもうひとつ、踏み込んだ考えを話させてください。

平和憲法と呼ばれる日本国憲法についてです。


「日本以外の国は善良なのだから信用しなさい。
人の国に攻め込み・殺害し・強奪・強姦などする国は日本だけなのだから武力を持ってはいけません。」
という前提の下で作られているのが日本国憲法です。


善良な中国や北朝鮮の核ミサイルが、日本を射程距離に入れている現在、本当に憲法がこのままでいいとは思いません。

そのような国を相手に、対話によって問題が解決するなど夢物語だということが、今回のことで少しはわかってきたのではないでしょうか。

力しか信じていない相手には、それなりの備えをして、初めて交渉が成り立つのです。


力で脅してくる人間ほど、力に屈しやすいのです。

それは相手が力だけを信じているからです。



手遅れにならないうちに、相手に応じた対策を取る時が来ています。


国境が存在しても、人間は究極的にはひとつの同じ存在です。

我々が手を取り合って、共存していくという理想は捨ててはいけません。


その一方で、現実を軽視してもいけません。

我々は霊的存在であると同時に、肉体的存在でもあるからです。



もっと多くのことを語りたいのですが、長くなってしまったのでやめておきます。

憲法問題のようなものは、言葉が足りないと誤解を受けるかもしれませんね。


またの機会に考えを詳しく述べたいと思います。


今日もここに来てくれてありがとうございました。






共感してくれた人は押して意思を示してください。

チベット問題と日本国憲法   チベット問題と日本国憲法



Posted by Toshiro Abe at 10:19│Comments(12)
この記事へのコメント
沖縄で育ち、世界に誇る平和憲法との教育を受けてきた私にとって、今日の阿部さんの解説に、はじめ正直、違和感を覚えました。
それと同時に、自分の子供時代…いじめられっ子だった時の事を思い出しました。けんかはいけない事、そう言われて育った私は、いじめっ子にされるがまま…ある時、おばに「いやなものはいやでしょう?、けんかをしてもいいんだよ」と言われました。
ある日、いつものようにいじめられていた私は、その子を髪をひっぱり取っ組み合いの喧嘩…。
その後、はじめて対等に接する事ができました。

個人と国と言う大きな違いですが、強・弱、上・下の関係では話し合いにはならないのは同じだと思うので阿部さんの話されている事は理解することは出来ます。
理解出来るけれど、まだ納得は出来ない。

私たちは、日本人として、人として、どのようにしていけばよいのだろうか…。

考えていきたいと思います。


難しいけれど大切なテーマに直視するきっかけを作って下さりありがとうございます。


世界が平和でありますように…
Posted by シャンティ at 2008年04月20日 13:51
こんにちは!

より良くなるために、変えていく必要があるものもあるのだなと思いました。
日本国憲法には、盤石の平和主義が必要なのかなと思います。

チベット問題では、フランスでの活発な抗議活動が取りざたされている中で
日本は何をやっているのだろう…と考える機会が多くなりました。
中国とは、同じアジアのご近所同士、最大の輸入相手国になります。
アメリカの傘があるとはいえ、EUという後ろ盾のある遠くのフランスと同じように
抗議活動をしていくというわけにはいかないことも、良く分かりますが
日本には、先進国、同じアジアの仏教国として果たす役目があるはずだと強く思います。
先人達が残していった「武士道」の惻隠や仁にのっとり
チベットや中国に対して、具体的に協力することができればと思います。
胡錦濤首席が来日する際には、餃子問題も含め、日本人として誇りの持てる話し合いをしてほしいと思います。
他国の目や中国の機嫌、世論を気にした「大変、遺憾である」発言ではなく。
Posted by ニーナ at 2008年04月20日 14:05
わたしも、シャンティさんと同じ感想です。
理解はできますが、納得は・・・難しいです。

沖縄に生まれ育ったわたしたちは何者なのか?って深く考えさせられます。
琉球も、島津の侵略の際、武器をもって戦った方がよかったのでしょうか・・・? 菊隠和尚をして和を乞わしめたのは、尚寧王の失策だったのでしょうか? 尚寧は何度も菊隠和尚を島津に送りましたが、結局侵略を防げませんでした。民を守れなかったことで、泉下の父祖に相まみえることをはばかり、遺命をもって、今も別の場所に葬られています。

私は、尚寧のやり方が失策だったとは思いたくないです。
私も、日本人ですし、沖縄人ですから。
尚寧が武力に打って出ていたなら、今頃わたしたちは中国人だったかもしれません。そう考えると・・・。
私は日本人でよかったと思っていますので・・・何ともいいようがありません。


・・・と、これは、私の感想ですが、ちょっと刺激的な文になってしまいましたので、このような影響力のあるブログにUPされるのがとても怖いです。阿部さんの意見は伺いたいですけれど・・・。
Posted by nao at 2008年04月20日 18:41
コメントありがとうございます。

>シャンティさん

まったく違う論理を持った人が、武器を持って威嚇している場合、僕なら家族や仲間の命を守るために、それなりの準備をし、そのうえで平和的なアプローチをとります。

相手は決してこちらを襲ってこないだろうという予想を前提に、自分に手かせ足かせをすることはしません。

でもあなたの気持ちや考えはよくわかります。

僕の意見が正しいと押しつける気もありません。

ただ、僕ならそうするという考えを述べたまでです。


>ニーナさん

日本人としての歴史と民俗性に対する、良い面を学び、足りない面を反省するという、あたりまえな考察が欠けてきたように思います。

日本人は悪かったという観点からのみ昭和史をとらえてきたツケが、今の世界貢献への妨げになっていると思っています。



>naoさん

勇気をもって書いてくれてありがとうございます。

反対意見があって初めてお互いの考えを深めることができます。


僕が沖縄に来て驚いたのは、自分たちの歴史についてあまりにも知らない人が多いことです。

深く掘り下げて考えないのは、問題を作らないといういい面もありますが、こと政治や歴史に関しては、まちがった判断を下す危険があると思います。


僕のウチナーの友人の中には正しい歴史認識を持った人たちもいますが、それは少数です。



琉球王朝が平和の為に自ら武器を放棄したというのは、伝説であり、誤りです。

八重山諸島の統合も3000名の兵士による武力攻撃です。


琉球が武器を持たなかったという説は、16世紀初頭に書かれた「百浦添欄干之銘(ももうらそえのらんかんのめい)」が根拠とされますが、そこにはまったく違うことが書かれています。
(いずれ詳しく述べます)

さらには、1609年の島津軍の侵攻の際も、4000名の兵が戦い、一旦は島津の攻撃を阻止してさえいます。

皆さんの先祖は、そんな無策な政府を持っていたわけではないのです。


このことについては、現代の沖縄の人たちの考え方にも影響を与えている重要なポイントなので、いつの日かこのブログでも扱いたいと思います。


コメントありがとうございました。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2008年04月20日 20:30
チベットに独自の武威(戦力)がなく中国軍に占領蹂躙されました。

北朝鮮に中国軍が入り、韓半島北部は共産主義政権になりました。
ベトナムにアメリカが応援に入り中国軍は諦めました。
沖縄にアメリカ軍が駐留しているので・・・中国軍は・・・。

日本国領土ははアメリカ軍が日本戦力(軍事力)の主体です。

いつまでも主体をアメリカ軍に任せていてもいいのですか?
日本軍よりアメリカ軍のほうを信頼しますか?

私は日本軍が主体であるほうがいいと思います。沖縄の方が(たとえば九州でも同じ)独立を希望し、独立をしたら戦力の主体は沖縄軍になるでしょう。

日本軍の主体性を確立する、あるいはアメリカ軍に依存過剰をやめるためにも日本国憲法改正に賛成です。

阿倍さまの存在が100%光かがやきますよう!!その光が多くの人たちをさらに光かがやかせるよう、切に願います。
Posted by アナタ at 2008年04月20日 21:12
いつも読ませていただいてます。ありがとうございます。宇宙の力で中国という最後の大国を新しい次元に引き上げる為には、人類史上最期の「力には力の圧力を」が必要なのかもしれません。なんともこの低波動な争いから、少しでも早く地球が抜け出せることを望んでいます。自分に出来ることを探します。
Posted by ミカエル at 2008年04月20日 21:16
うーん・・・、
島津の攻撃阻止については知っています。
八重山諸島のことについても存じています。
しかし、わたしはもともと本島でも八重山でもない出身なので。自分の島の立場と琉球の立場とがごっちゃになった発言でした。すいません。
けれど・・・そういわれると余計にぐるぐる混乱(@-@)・・・なんともいえない感情になってしまいます。
武器をもたない島もあったのは事実です。刀狩りにあったから。
琉球だって、もともとは島々を侵略してできた国ですから。
ほんの小さなわたしたちの島だって、八重山、そして琉球に攻め入らた歴史があり、長い間差別されてきた歴史があるのです。言葉だって気質だって全く違います。
でも、今ここにいることをわたしは受け止めたいと思っています。

そう考えると、国って、なんの意味があるんでしょう?
わたしたちの世界からは、国という意識は永遠に無くならないのでしょうか?
国意識から脱却しなければ、戦争はいつまでも終わらない。
そう思います。
Posted by nao at 2008年04月20日 21:22
全てを知って、なおかつ能天気でありたい

ばかかとおもわれるくらい能天気でありつづけたい
Posted by な~お at 2008年04月20日 22:38
私達皆 ”日本人” です。
沖縄人でも琉球人でも、何々県人、都、府人でも日本人です。

例えば、日本本島の歴史だけを振り返ってみても、戦争の繰り返しで
一つの日本にまとまりました。

江戸幕府が成立、日本全体を統合しました。東北の蝦夷、北海道のアイヌなどは同一人として存在しておらず、蝦夷征伐等で初めて同じ日本人として治められられるようになったのを知ってますか。

でも、東北、北海道の人間は、沖縄や琉球の人達みたいに中国寄り(?)ではなく日本国人としての誇りを持っているようです。

これを機会に、日本人同士、もっと強いつながりをもっていただきたいですね。

政治家に何もかにも責任を投げかけている無責任な日本人達。国民が団結しない限り、日本の国はいつまでも ”あやふやな” 政治になるのではないですか???
Posted by 日本人 at 2008年04月20日 23:55
阿部さんの意見を押しつけられていると感じているわけではありません。知らない事が多くて、知ろうとしているところです。準備をして平和的アプローチ…私にも大切な人達がいて、それらを守るために命かけて戦える…だから言われている事の意味はわかります。

と同時に、
いつの時代もおなじような形で繰り返され、いつまでも変わらないのはなぜなのか?!
と考えてしまうのです。

これを超えた時にこそ真の平和が訪れるのではないかと…。

私は、
まだまだ認識が足りないので、どんどん学んでいきたいと思います。


本当に世界が幸せで溢れるまで…
Posted by シャンティ at 2008年04月20日 23:58
な~おさん、
そうですよね。
わたしも大いに賛成(^^)!
Posted by nao at 2008年04月21日 06:02
コメントありがとうございました。

>アナタさん
主体的な防衛という点でアナタさんと同意見です。
ところがこのような意見が好戦的に見られてしまう風潮が長く続いています。
敗戦によって奪われてしまったものの大きさを感じます。

>ミカエルさん
宇宙感覚から見たら、今の国家間の波動は、あまりにも低すぎますね。
なぜこのような次元に生まれてしまったのかと戸惑うことがあります。
と同時に、自分の中にも低い波動を発見したりもします。
そんな僕もあなたと同じことを望んでいる一人です。

>naoさん
国って何だろう?・・・僕もよくそのことを考えます。
結局は僕たち人間の意識レベルの拡大が国なのかもしれませんね。
「島」という立場からの意見は、わかりやすかったです。

>な~おさん
短い文章なので全てを理解できませんでしたが、人間の営みの三大要素は、考え方、感じ方、行動様式ではないでしょうか。
能天気の場合、行動はどうしますか?

>日本人さん
日本の歴史を振り返ってみると、国民自らが団結したことはなかったようですね。
近世の場合、国の方針に沿って富国強兵や経済発展という名の下での団結は強固のものがありました。
日本人は、的を射たリーダーの下でひとつになれる気質なのかもしれません。
でもあなたが言うように、お任せの無責任体質では、何も変わりませんね。

>シャンティさん
いつの時代も同じことが繰り返されてきました。
20世紀の人類は何度も、正義と平和のために戦ってきました。

僕はこのネット社会が世界を変える可能性はゼロではないと思っています。
権力の特権だった、情報の独占が崩れてきたからです。

高い意識の民意が増えていけば、どこかで社会の仕組みが根底から変革される可能性があると思います。
それを恐れて独裁国家はネット情報さえも操作していますが、それも時間の問題だと思います。



こうして返答してくれたことで、みなさんの考えがより理解できました。

ありがとうございました。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2008年04月21日 07:26
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