2007年12月17日

気楽にいこうね

気楽にいこうね

え?また月曜日?

おかしいな、昨日が月曜日だと思ったのに、また月曜日だなんて。




さてと、ブログに瞑想の事を書こうって決めたおかげで、今まで以上に瞑想をする時間が増えている。

瞑想ってコツみたいなもので、いったんそれを掴めば、すぐに深い状態に入る事ができる。


そのコツは、自分のものにしてみれば、たいして難しいことじゃなくて、誰にでもできる事だって分かるんだけど、そうなるまでにけっこう練習が必要だったりする。




自転車に乗るのと似ているかも。

自転車も乗れる人にしてみたら簡単なことだけど、乗れない人には高等技術に見える。


乗るのはちょっとしたコツだよね。

ちょっとした感覚を掴めば、誰だって乗れるようになる。


でもそのコツは、人に教えることはできない。

何故人が自転車に乗れるのか、なぜ2輪が倒れずに前に進むのかの理論を、何十時間も講義しても、聴いた人が乗れるようになるわけじゃない。


やっぱり実際の練習が必要でしょ。


瞑想も同じで、自分であれこれ試してみるしかない。


そして一度でも「自分の不在性」を見て取ることができれば、次からは簡単にそこに行きつくことができる。

コツをつかめばこっちのものだ。




その境地に入れば、たちどころにして全ての悩み苦しみは霧のように消えてしまう。

そして腹の底から笑えてくる。


ことの全体があまりにも馬鹿馬鹿しくて、しかも自分もその世界に参加していて、普段はそこにのめりこんでしまっているから、真の姿が見えなくなっていて、そんな自分がまた悲しくもおかしい。


この馬鹿馬鹿しさは、ある一定の距離を持たなければ見えてこない。

その距離を作り出すのが瞑想だよ。



そのときに理解する事がある。

あらゆる不幸や苦しみは自分が作り出していたんだって。



なのに人は、自分の不満や怒りを世界や周囲のせいにするんだ。


ある人は評論家になり、いかに世界が間違っているかを論じる。

ある人は運動家になり、様々な集会に出かけていって平和を叫ぶ。


ある人は妻を夫を変えようとして、あれこれ試みる。

ある人は他人を批判して、自分はそんな人たちの犠牲者だと言う。


「私は幸せになりたい。私が幸せになるためには世界を周囲を変えなくてはいけない。世界がしかるべき姿になったとき、私は幸せになれるはずだ」



だけど、その「私」が幸せになる事は絶対にない。

だって「私」こそが、多くの不幸を作り出している根源なのだから。



僕らには世界を救うことなんかできない。

そもそも、そんなことは自分の仕事じゃない。


僕らの仕事はただ一つ、自分を救うことだ。



そのための処方箋が瞑想なんだと思う。






この先も、いろんな角度から瞑想の必要性を話していきたいと思っています。


実際には瞑想のやり方は人の数だけあるんだけど、いろんな具体例も紹介していきますね。




最後まで読んでくれてありがとう。





Posted by Toshiro Abe at 10:31│Comments(5)
この記事へのコメント
本当ですね 何でも他者のせいにして・・・・・
反省の日々です。

阿部さんの本を読み直して気持ちが楽になる自分がいました☆
阿部さんて改めてすごいなぁと思いました☆
益々の発展をお祈り致します。 m(__)m
Posted by ヴィーナス at 2007年12月17日 11:54
昨日の書き込みを拝見してレベルの高さに感動しました。それに後押しされてマスター安部の冴えも行き着くとこまで行きそうな勢いですね。
ところで、私の夢は「ここはドコですか?」って聞くと、素直に「まるで天国ですね」って答える人達に囲まれて過ごす事です。その環境をととのえるために汗と泥にまみれて死にそうになってても、
その時に「ここはドコですか?」って聞かれれば、
「はい。天国です。」って答えて(o~-')b
ここのブログもまるで天国( ^_^)人(^_^ )
Posted by 神ng soon at 2007年12月17日 12:52
阿部さん 人が人を変えることはおろか、自分を変えることだってむずかしいですよね。
で、わたしはこんな私を変えてくださいと祈ることがあるのですが、祈りと瞑想とはまた違うんですか?
Posted by vivi at 2007年12月17日 12:58
今晩は。
落ち込んだ時期がありまして。
ある方から、瞑想してみて!おきた事柄には意味があるから…と お教えいただき、意識して…やってますが、自然には瞑想に入ってない自分がいます。 でも、人工的にでも、やってますが、自然に出来てない私は、素直じゃないか…また…我が儘なのかと、それも溜め息ついてしまって。
何でなんでしょうか。せっかく教えてもらったのに、まだ自然に出来ないのは、無の気持ちになってないからでしょうか。難しくて…自身にはがゆい気持ちにもなったりします
Posted by Yっ子 at 2007年12月17日 23:41
コメントありがとうございます。

祈りと瞑想についてですが、「~してください」はお願いであって祈りではないと思います。

祈りとは、自分と周りの世界とがひとつに溶け合ったとき、そこに流れる言いようの無い連帯感のようなもので、瞑想が深まった際に心の奥底から湧き上がってくるものだと思います。

それは愛がさらに高まったものという感じです。

Yっ子さん

深い瞑想に入る前に、感情を解決していないと、なかなか集中できないと思います。

まずは自分を癒すことなので、現代社会に生きる我々にとっては、瞑想の前段階でやるべきことがあると思います。

このことについてはあらためて詳しく述べます。


こうやってわかったようなことを書いていると、気恥ずかしさがありますが、言うまでもなく、僕自身は取るに足らない人間ですが、お役目だと思ってこれからも書き続けていきます。

よろしくお願いします。
Posted by Toshiro Abe at 2007年12月18日 00:56
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。