2007年01月30日

思考を超えて

思考を超えておはよう。
今朝はずいぶん早く目が覚めてしまった。

3時頃から起きている。

やっとこの時間。
みんな今頃何しているのかな。

出勤前の忙しい時間かな。

もし5分間くらいでも自分の時間が作れたら、ゆっくりとこれから話すことを聞いてね。





方広寺で心の研修会を開いていたころ、2日目の朝に必ずやってもらった事がある。

それは境内を散策してもらうこと。


方広寺は一つの山がそっくり庭になって美しく整備されている。

急斜面の杉の木立の間を小川が流れ、鳥のさえずりがあたりをこだましている。



散策する時には、二つのルールがあった。



一つは必ず一人で行動すること。

もう一つは言葉を使わないこと。



一人で歩いていたら言葉は使わないだろうって?
とんでもない。

僕たちは朝から晩まで言葉に取り囲まれて生きているんだよ。

頭の中は言葉の渦だ。


とりとめのない会話がずっと鳴り響いている。

あーでもない、こーでもない・・・ごちゃごちゃごちゃごちゃ・・・




そして花でも見ようものなら
「おっ綺麗だな」


心の中で綺麗だと言った瞬間、そこに解釈を持ち込んでしまい、花そのものの実体から離れてしまう。


花はただそこにある。

綺麗とか汚いとかは人の解釈であって、現実はただあるがままにあるだけなんだ。



言葉を使わないというのは「考えない」ということ。

「考え」とは過去の知識や経験でできているから、いまここをダイレクトに味わう事ができなくなる。



いまここにあるものは何だろう。

それは「感じる」ということ。

感受性はいつも「いまここ」にある。


だから境内の散策では、ただ見る、ただ感じる、ということを練習してもらったんだ。



一本の木でもじっと見ていると、そこに普段は感じ取れない深みや味わいが出てくる。

木の中で木をやっているのは、自分とまったく同じエネルギーだという事がわかってくる。



その時自分は一本の木になる。



すべての存在は自分と同じエネルギーによって生かされている。


全ては自分だ。




そう・・・「僕」は「あなた」だ。




Posted by Toshiro Abe at 07:30│Comments(0)心のメッセージ
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