2024年12月29日
フィクションが終わる時
人がこれほど死を恐れる原因は何でしょう。
それはその人が一生をかけて作り上げてきたフィクションが消えて無くなるから。
その人生の全てがフィクションだったことを思い知らされるからです。
長い見せかけは死と共に消えてなくなります。
自分を特別な人だと印象付けようとしたことのすべて。
本当は誰も愛したことがなかったという事実。
それなのに愛を装って生きてきた虚構の日々。
これらの見せかけが死と共にすべて消え去っていきます。
と同時に大きな開放が訪れます。
なぜならこれらのフィクションは自分を苦しめるだけだったから。
この真実に、死を待たずして気づくことも可能です。
それは時間という幻想が創り出していた物語から、いまここの真実に目覚めることによって可能になります。。
これこそが人生で達成すべき唯一のことだと伝え続けてきました。
時代が大きく変わろうとしている今、変わるのはテクノロジーの進化による社会構造だけではなく、人類が集団催眠のようにして見ていた夢からの目覚めです。
その気づきの最短距離として瞑想を奨励しています。
僕が何を言っているか分かった人は、このことを一緒に生きませんか。
ITはそれを現代のサンガとして可能にしてくれています。
今夜の瞑想会はコチラです。
それはその人が一生をかけて作り上げてきたフィクションが消えて無くなるから。
その人生の全てがフィクションだったことを思い知らされるからです。
長い見せかけは死と共に消えてなくなります。
自分を特別な人だと印象付けようとしたことのすべて。
本当は誰も愛したことがなかったという事実。
それなのに愛を装って生きてきた虚構の日々。
これらの見せかけが死と共にすべて消え去っていきます。
と同時に大きな開放が訪れます。
なぜならこれらのフィクションは自分を苦しめるだけだったから。
この真実に、死を待たずして気づくことも可能です。
それは時間という幻想が創り出していた物語から、いまここの真実に目覚めることによって可能になります。。
これこそが人生で達成すべき唯一のことだと伝え続けてきました。
時代が大きく変わろうとしている今、変わるのはテクノロジーの進化による社会構造だけではなく、人類が集団催眠のようにして見ていた夢からの目覚めです。
その気づきの最短距離として瞑想を奨励しています。
僕が何を言っているか分かった人は、このことを一緒に生きませんか。
ITはそれを現代のサンガとして可能にしてくれています。
今夜の瞑想会はコチラです。
Posted by Toshiro Abe at 10:58│Comments(6)
この記事へのコメント
世界中の人達に読んでもらいたい!
みんな仮面を外して
素のあるがままで!ね。
大笑いをありがとう。
みんな仮面を外して
素のあるがままで!ね。
大笑いをありがとう。
Posted by 進藤やよい at 2024年12月29日 11:20
今晩は、宿直仕事のために参加できませんが、
今朝の瞑想会には参加させて頂きました。
ぽよぽよサンガのぽよぽよ瞑想会です。
朝の瞑想会には、やっぱり仕事の都合で
定期的な参加は難しいと見送ってましたが、
一昨日ふと、定期的に参加できるかも?という何かが起こってきたので、
参加することにしました。
そのお陰様か、日々実践している、
『たった今こう思い込んでいる、他でもない、この自分自身』
に気付いて解放される時、いつもよりも軽くなりやすくなった気がします。
日常の実践のみではなく、日常から離れた状態での実践も必要と
実感したので、朝の瞑想会、座禅会も参加させて頂くと思います。
↑とか書きつつ参加できなくなった時は、それもそれで
『起こるがまま』と勝手に思わせて頂きます(笑)
今朝の瞑想会には参加させて頂きました。
ぽよぽよサンガのぽよぽよ瞑想会です。
朝の瞑想会には、やっぱり仕事の都合で
定期的な参加は難しいと見送ってましたが、
一昨日ふと、定期的に参加できるかも?という何かが起こってきたので、
参加することにしました。
そのお陰様か、日々実践している、
『たった今こう思い込んでいる、他でもない、この自分自身』
に気付いて解放される時、いつもよりも軽くなりやすくなった気がします。
日常の実践のみではなく、日常から離れた状態での実践も必要と
実感したので、朝の瞑想会、座禅会も参加させて頂くと思います。
↑とか書きつつ参加できなくなった時は、それもそれで
『起こるがまま』と勝手に思わせて頂きます(笑)
Posted by ただの「自覚」(旧ただの「自分」) at 2024年12月29日 11:49
いつもありがとうございます^^
今夜もよろしくお願いします◎
今夜もよろしくお願いします◎
Posted by 大空(おおぞら) at 2024年12月29日 12:03
ありがとうございます。
Posted by おにぎり太部留 at 2024年12月29日 12:33
>これらの見せかけが死と共にすべて消え去っていきます。
>と同時に大きな開放が訪れます。
>なぜならこれらのフィクションは自分を苦しめるだけだったから。
>これこそが人生で達成すべき唯一のことだと伝え続けてきました。
「個人」に向けられたこのようなメッセージ(言葉)が、何らかの形で、脳内の思考回路に、通常より強い電力を生じさせ、脳のある部分を刺激することもあるかもしれませんね。
人間の心(認識を含む)は、結局は、脳内の神経を流れる電気の働きに因るものですので、脳の機能の全てが停止すれば、「個人」に生じていた全ては停止します。
「個人」が関わって展開していたストーリーは、停止しますが、インド哲学(仏教を含むインド周辺地で生じた哲学的考察)においては、その先のことも取り上げ、解説しています。
それは、「輪廻」「転生」というインド哲学に特有な死生観です。
(キリスト教における死生観は、これとは異なります)
つまり、この死生観からすると、阿部さんが書かれている
『これらの見せかけが死と共にすべて消え去っていきます。
と同時に大きな開放が訪れます。』
という”開放”が、「個人」にとっての”真の解放(開放)”(最終的な終着地)ではない可能性もある訳です。
「死」(肉体の消滅、脳機能の停止)によって、今生において発生していたフィクションは、消え去るかもしれませんが、それが、一時的な「解放(開放)」であるのか、そうでないのかは、次元の異なる現象であるため、簡単には答えは導き出されることは無いと言えるでしょう。
「輪廻転生」の死生観は、否定しようと、肯定しようと、それこそ「個人」の勝手(自由意志)ですので、それによって、「個人」のストーリーが影響を受けることはありません。(ダルマは、万人に例外なく、浸透しており、適用されています)
インド哲学では、”自分”という存在に対する正しい認識だけが、これまで何生も繰り返されてきた「輪廻転生」のサイクルを断ち切り、「個人」に「永遠の解放(解脱=モクシャ)」をもたらすとしています。
真実は、とてもシンプル。
解放(開放)される「個人」は、本当は、いないのです。
「わたし」が「わたし」だと思っていた「わたし」も、「わたし」だと思っている「わたし」も、脳内を流れる電気信号がルール通りに働き、出力された結果であるあるだけで、電気信号が停止すれば、認識は停止しますので、現実という「夢」を見ることは不可能となり、「個人」の「わたし」という一認識主体は、(一時的であっても)消滅します。
この(一時的な)消滅前に、何らかの形で、このカラクリを見破ることができれば、「個人」に、”真の解放(開放)”が起こることでしょう。
何故ならば、「輪廻転生」する「個人」は、いないのですから、もはや、起こりようがないからです。
”自分”という存在は、本当は、誰(何)なのか?”
この問いへの答えだけが、「個人」を真の解放へと導いてくれることでしょう。
>と同時に大きな開放が訪れます。
>なぜならこれらのフィクションは自分を苦しめるだけだったから。
>これこそが人生で達成すべき唯一のことだと伝え続けてきました。
「個人」に向けられたこのようなメッセージ(言葉)が、何らかの形で、脳内の思考回路に、通常より強い電力を生じさせ、脳のある部分を刺激することもあるかもしれませんね。
人間の心(認識を含む)は、結局は、脳内の神経を流れる電気の働きに因るものですので、脳の機能の全てが停止すれば、「個人」に生じていた全ては停止します。
「個人」が関わって展開していたストーリーは、停止しますが、インド哲学(仏教を含むインド周辺地で生じた哲学的考察)においては、その先のことも取り上げ、解説しています。
それは、「輪廻」「転生」というインド哲学に特有な死生観です。
(キリスト教における死生観は、これとは異なります)
つまり、この死生観からすると、阿部さんが書かれている
『これらの見せかけが死と共にすべて消え去っていきます。
と同時に大きな開放が訪れます。』
という”開放”が、「個人」にとっての”真の解放(開放)”(最終的な終着地)ではない可能性もある訳です。
「死」(肉体の消滅、脳機能の停止)によって、今生において発生していたフィクションは、消え去るかもしれませんが、それが、一時的な「解放(開放)」であるのか、そうでないのかは、次元の異なる現象であるため、簡単には答えは導き出されることは無いと言えるでしょう。
「輪廻転生」の死生観は、否定しようと、肯定しようと、それこそ「個人」の勝手(自由意志)ですので、それによって、「個人」のストーリーが影響を受けることはありません。(ダルマは、万人に例外なく、浸透しており、適用されています)
インド哲学では、”自分”という存在に対する正しい認識だけが、これまで何生も繰り返されてきた「輪廻転生」のサイクルを断ち切り、「個人」に「永遠の解放(解脱=モクシャ)」をもたらすとしています。
真実は、とてもシンプル。
解放(開放)される「個人」は、本当は、いないのです。
「わたし」が「わたし」だと思っていた「わたし」も、「わたし」だと思っている「わたし」も、脳内を流れる電気信号がルール通りに働き、出力された結果であるあるだけで、電気信号が停止すれば、認識は停止しますので、現実という「夢」を見ることは不可能となり、「個人」の「わたし」という一認識主体は、(一時的であっても)消滅します。
この(一時的な)消滅前に、何らかの形で、このカラクリを見破ることができれば、「個人」に、”真の解放(開放)”が起こることでしょう。
何故ならば、「輪廻転生」する「個人」は、いないのですから、もはや、起こりようがないからです。
”自分”という存在は、本当は、誰(何)なのか?”
この問いへの答えだけが、「個人」を真の解放へと導いてくれることでしょう。
Posted by アートマン・ジニャーニャ from M-online at 2024年12月30日 02:08
光る君へと虎に翼の総集編をみてから
今年最後の日曜瞑想会に(録画で)参加します。
ケガと病気で汗、それは大変な年でしたが・・
何とか?年を越せそうで、感謝です。
明日もしみじみと紅白をみてから瞑想したいです。
よんさまもよい年末をお過ごしください。
今年最後の日曜瞑想会に(録画で)参加します。
ケガと病気で汗、それは大変な年でしたが・・
何とか?年を越せそうで、感謝です。
明日もしみじみと紅白をみてから瞑想したいです。
よんさまもよい年末をお過ごしください。
Posted by ぽよみ姫 at 2024年12月30日 21:09
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