2024年03月11日

瞑想の極意

昨夜の瞑想への導入で、ボブさんがサラッと

「期待しないこと」

と言いました。

ともすれば聞き逃してしまいそうな言葉でしたが、実はこの一言はとても重要です。


何度瞑想しても実感が湧かないという人の多くが、これを理解できていません。

良い瞑想、深い瞑想、静寂の瞑想、無の境地、といったイメージを追いかけることで、それらを損なっているのです。


ボブさんが言うように、「期待しない」ということを徹底すれば、知らないうちにそれが実現しています。

期待を持てば、何とかそれを実現したいと無意識に頑張りだすことでしょう。

何度もマントラを言い続けたり、集中しよう、深く入ろうと力が入るのです。

なぜなら、なんでも自力で成し遂げるということが癖になっているから。


でも事実を言えば、瞑想は自分がやることではなく、彼方から起きてくることです。

手に入れようとすれば遠ざかり、期待せずに諦めた時に手に入っています。


何もしないで、一切を手放す。

これを老子は

瞑想の極意

「無為の最奥を極める」

と言いました。

これこそが瞑想の極意です。


風の時代と呼ばれる現代は、瞑想だけでなく自力でがんばらないことを通して何事も成就していくことを学ぶ時代です。

そもそもあらゆることは「起きている」のであって、誰かがやっているのではありません。

究極の真実を言えば、誰もいないのだから。


でもそこに「わたし」という自我が現れ、自分が現象をコントロールすれば、よりよい現実を作れると信じます。

したがって今の時代は、いかに流れを信頼して任せるかを学ぶ時代と言えるでしょう。


もちろん自我は抵抗します。

そんなことをしたら大変な事になってしまうと騒ぎます。


いかに自我をスルーして、全体に任せられるか。

瞑想は、何もしないということの基礎レッスンです。


・・・・・・・・・・・・


2日前に案内を始めたスーパーパゴダマントラですが、とても多くの人たちが申し込んでくれて身が引き締まります。

ここにも時代の変化を感じます








Posted by Toshiro Abe at 09:31│Comments(6)
この記事へのコメント
インドでは永遠に存在している本当の自分を
アートマンと呼んでいます。

アートマンには
最奥、最も奥にあるという意味と
呼吸という意味があります。

アートマンは胸の最奥にある永遠の愛の光です◎

呼吸に集中しながら↓
胸の最奥にある永遠の愛の光に集中していると↓
胸の最奥に光が宇宙全体から集中しながら宇宙全体に広がっていきます◎

インドでは宇宙全体にある永遠の愛の光を
ブラフマンと呼んでいます。

胸の最奥にある永遠の愛の光であるアートマンと
宇宙全体にある永遠の愛の光であるブラフマンは一体です◎

宇宙全体との一体感は大きな解放感です◎

宇宙全体との一体感は大きな幸福感です◎

宇宙全体との一体感は大きな安心感です◎

宇宙全体は常に完全に一体です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2024年03月11日 09:49
13年前の3月11日に起きた東日本大震災は、その約1年前に、被災地から離れた土地に引っ越していたこともあり、直接的な影響はなかったのですが、まだ引っ越しが完全に完了していなかったこともあり、原発事故も起きた後でしたが、10日後に、元の家に残っていた家族を支えるために、まだ混乱が収まっていない状況でしたが、17年住んだ思い出の土地へ足を運びました。

21際の時に、突然クンダリニーが目覚めたにも拘らず、その後、いろいろあって、霊的な探求の道には進まず、本当の意味での究極の真理とは何なのか?を追求することもなく、一生を終えるつもりでいましたが、この日に起きた震災がきっかけとなり、それからというもの、このままで終わってもいいのだろうか?と、真剣に考えるようになりました。

それは、所謂、真理というものが、クンダリニーが目覚めたことで、ある程度は明らかになっていたのですが、究極的なことは、まだ薄いヴェールに包まれており、他者に言葉で説明できるような形を持ったものではなく、曖昧模糊としたものでしかないことは、本人が一番良く自覚していました。

それは、クンダリニーが目覚めた時に、クンダリニーが脳天を突き抜かなかったことからも明らかで、チャクラで言えば、第三の眼のアジナーチャクラまでは上がったのは確かなのですが何故なら、クンダリニーが上がった数秒後に、急に意識を失ってしまったのですが、長時間意識のない状態の後に、再び意識が戻った時には、それまで経験したことのない不思議な力が目覚めていたからです。(後でヨーガの本を読んだ時に、それがシッディであることを知りましたが、それはそのことが起きてからかなりの年月が経ってからでした。)

それに、本当にクンダリニーが頭頂のサハスラーラを抜けて、”大いなる一つ“と融合したなら、そのことが意識に残るはずで、それが起きなかったために、”大いなる一つ“が、一体どのような存在なのか?具体的には、掴めていない状態でした。

21歳まで、探求の道を志したことはなく、知識も心構えもゼロの人間に、神さまは、最後の階段を上る余地を残して下さったのでしょうが、その後何十年と、知りたいという気持ちも起こらず、宗教や哲学や瞑想や修行としてのヨーガを実践することもなく、ごく普通の日常生活を送っていましたが、東日本大震災がきっかけとなり、それまでの自分の取ってきた態度を改めて、生まれて初めて、心の底から、究極の真理を知りたいと思うようになりました。

クンダリニーが目覚めても、クンダリニーがサハスラーラを突き抜けない限り、究極の真理は明らかにはならないでしょう。

最後はOshoと称してこの世を去ったラジニーシは、彼の講話集の中で、“クンダリニーは、クンダリニーの源、クンダに還る(融合する)”と、弟子たちに語ったそうで、最終的に、目覚めたクンダリニーは、クンダに還るまでは、この旅は続くということなのでしょう。

東日本大震災が起きてから約1年後に、阿部さんのブログに出会い、それから約1年半後に、クンダリニーが、クンダに融合する体験か起きました。

梵我一如。

21歳から約45年後のことでした。

2つの体験は、異なるもので、きっかけも異なりますが、一回目は、人間の想像力を超えた超常的な現象で、青天の霹靂、二回目は、結末を心の底から願っていましたが、それでも、プロセスは、予想外の展開の連続で、偶然が重なり、長年の苦しみが昇華した形で起きた奇跡としか思えないようなストーリーでした。

展開のプロセスを期待したことはありませんが、すべてを神の計らいに任せていたら、プロセスは、この小さな頭で考えられる範囲の想像を超えていました。

神は、その人に合った形で、個人が辿るプロセスを用意してくれている、と確信しています。

この世にも、個人にも、起こることが起こるだけですが、その起こることには、創造主の深い深い愛が働いている、ということ。

神への信愛は、バクティ・ヨーガの道ですが、探求の道においては、これなくして、最後まで、道を辿ることは、難しいでしょう。

期待しなくても、信愛は必要だと感じます。

神に期待せずとも、信愛していれば、自ずと、道は開けて行き、完全自動運転の乗り物に乗っているかのように、ゴールへと運ばれて行くことでしょう。
Posted by 魂の源への帰還の旅 from M-online at 2024年03月11日 17:46
自分の場合、

何かがうまくいかないと思い感じている時、
『↑と思い感じている、他でもない、この自分自身』
に気付けると、『たった今の、この自分自身』『ごと』解放されます。

↑と思ってしまうと、
『↑と思い感じている、他でもない、この自分自身』
『↑にもハマってしまいがち』で、そんな時は、
『↑とかなんとかハマっている、他でもない、この自分自身』
に気付けると、『たった今の、この自分自身』『ごと』解放されます。

それは『他でもない、この自分自身』に『2度』気付く感じですね。
それが先日コメントした、
『認められる自分』と『認められない自分』な感じです。

『他でもない、この自分自身』すらも、期待したり批判したりと、
あれこれ意識してしまい、そのことにより、
『他でもない、この自分自身』すらも『分離させてしまっている』、
そのことに気付いて『統合』される、
それが『たった今の、この自分自身』『ごと』解放される秘訣だと、
勝手に思い感じているところです・・・・・
Posted by ただの「自分」 at 2024年03月11日 18:06
>何もしないということ

これが先にあるわけでなく。悟られた人達が「何も起きていない」とわかるわけです。何もしないから「悟っている」ことではありません。
何もしない練習からは「悟りません」怠惰な人間ができるだけです。
考えない練習からも「悟りません」むしろ真逆自我への内観が滞ります。

自我と言う「雲」を取り払うトキなんです。ぽよが姿を現すのは。
ですから、自我を総括卒業させる、自助努力なしに悟り、つまり全体ぽよの意識はスガタを顕わすことが・・・「ありません」

あなたが自我でありたいなら。ぽよはスガタを顕わす「必要はありません」
自我にとって「都合のいい」悟りは・・・ありません。。。


ぽよぽよ~~~。
Posted by ぽよあくあ at 2024年03月11日 19:40
自我・マインドは、誰でもない人になる或いは全体に任せきるきるというある意味すっぽんぽんにされることが一番怖いみたいですね。
せめてパンツだけでも履かせてくれといつも抵抗してきます(笑)

私みたいに瞑想歴が浅い人でも阿部さん&ボブさんのような第一人者とリアルタイムで瞑想できる良い時代になりました。

一つのマントラだけだと気分によって選ぶという事が出来ないで、今回春分の日という切り替わりのタイミングと特別料金という事で増やすタイミングかなと思い申し込んでみました☆

変化が早い時代だと浮ついたような気分になりますが、ここはもう一度しっかり腹を据えて「無為の最奥を極める」レッスンに集中したいと思います。
Posted by とっと at 2024年03月11日 20:38
「無為の最奥を極める」
ありがとうございます。
Posted by おにぎり太部留 at 2024年03月11日 22:15
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