2022年10月16日

目覚めの時

誰もが夢を見ています。

それは誰もが悪夢を見ているということを指しています。

夢は必ず悪夢になっていくからです。


人生とは一連の悪夢。

人は、その悪夢の行列の中に潜んでいる幸福という束の間の宝を探して生きているように見えます。


何故でしょう。

それは人が他の生き方を知らないからです。

夢から覚めるのが可能だということを忘れてしまったのです。

と言うより、自分の生活が単なる夢だということを忘れてしまいました。


しかも、すでに悪夢には慣れてきた。

これくらいの惨めさや苦悩なら、何とか乗り切ることができそうです。

でももしこの先、大きな変化が起きたとしたら(夢から覚めたとしたら)、どんな大変なことが待っているか分からない。

今度こそ対処できないかもしれない。

であれば、いまのこの慣れ切った苦悩の方がマシじゃないか。

そんな気持ちもあるようです。


しかも人は、人生の一部になってしまった苦悩を正当化します。

たとえば

「これは前世からのカルマだ」

「この世で成長するための試練だ」

「これが天命だ」

「苦悩は私に何かを教えようとしている」

そんな理由を考えつくのです。


でも悪夢は繰り返され、やがて疲弊して死ぬまで続きます。

そんな人生を無数に見てきたのではないでしょうか。

いつか、いつかと言いながらの人生です。


混乱した問題だらけの人生に、いつか穏やかな陽が差し込み、あらゆる問題が解決し祝福が降り注ぐ。

夢の中でそんな夢を抱えながら生きるしかありませんが、決してそんな日は来ません。

塩をなめながら、いつか砂糖に出くわすことを望んでいても無理です。



目覚めの時


でも夢から覚めることは可能です。

そのためには、いま現実だと思っている生活が夢そのものだということに気づくこと。

何もかも思考が作り出している自分本位の物語だということに気づくこと。


その気づきがきっかけになります。

あとは同じ仲間がいる環境に身を置いて、目覚めへの道を歩み、道を見つけたら素直にその道を歩みだすこと。


最初は慣れない世界に骨が折れますが、すでに新しい生き方を始めた同胞は沢山います。

地味な変化に見えますが、極めて稀なことが起きていて、このような流れが時代の大変革の礎になっていくと信じています。



今日も秋晴れの空が広がっています。


今夜の瞑想会のアドレスはコチラです。

https://youtu.be/_esLaB7Iy4s











Posted by Toshiro Abe at 10:20│Comments(15)
この記事へのコメント
これほどの悪夢があるだろうか?と心底感じた出来事(現象)も、“すべて過ぎ去る”という自然の摂理(ダルマ)には逆らえ(?)なかったようで、時間はかかりましたが、綺麗サッパリと失せ、その時の悪夢でさえ、今は、懐かしい思い出となっています。
ましてや、あの時、悪夢が起こらなかったら、必死で、そこから抜け出そうと発奮することも起こらなかったことは明らかで、運命の不思議を痛切に感じています。(もちろん、ここに、こんなコメントを投稿することも起こらなかったでしょう)

“すべて夢だ”と言われても、ピンと来なかったでしょうし、反撥する気持ちが芽生えていたかもしれません。(こんなに苦しいのに、夢だなんて!という具合に)

人間という生物が、宿命的にかかっている集団的な幻想(マーヤ)は、自分の力で打ち破ることは不可能と言えますので、通常、私たちは、“本当は自分は誰なのか?”をすっかりと忘れて、マーヤの中で、“〇〇✕✕である”という夢を見ています。

肉体に働いているすべての機能が停止する時、生まれて初めて、マーヤから抜け出せるわけですが、出来たら、その前に、マーヤの性質を知り、自分という存在に秘められた真実に気づけると、その時から、人生の意味が変わり、より気楽に生きることができるようになることでしょう。

起こることに、善悪はないのですが、不利益を被ると感じることは、個人にとっては、悪となるのが、一般的です。
自分にとって、益になること、益にならないことが起きるのが人生ですが、それらすべてが夢なのです。

起きて欲しくないことは起き、起きて欲しいことは起きない、かもしれませんが、それでも、また日は昇り、夢の続きが展開していきます。

人生は、このことの繰り返しと言えますが、宇宙全体が、このことの繰り返しなのです。

この繰り返しの中で、私たち人間は、夢を生滅させることはできませんが、夢を楽しむことはできます。

今この瞬間に起きていることを、映画を観るように、観客席から眺めることは、誰にでも可能なはずです。
画面上に、自分の姿も眺めることができれば、“観照者”としての視点を持ったと言えます。

観照者は、個人の“わたし”の視点ではありません。
観照者は、真の自己である“真我”(アートマン)の視点と言えます。

人間の意識は、善悪を超えた処には行けませんが、真の自己である真我は、常に、善悪を超えた処、判断を超えた処にいます。

観照者の視点を持てれば、起こることが、人生でさえ、森羅万象の一つに過ぎず、常に変化し、形を変えて、永続する、一つの大きなストーリーで構成された夢だと完全にわかることでしょう。

その夢を支えているのが、マーヤという集団幻想なのです。

宇宙では、何も起きておらず、何も存在していません。

真に実在するのは、“大いなる一つ”のみ。

マーヤを楽しむ時間が費えたら、存在の源である“大いなる一つ”へと還って行きましょう。

自分が観ることになった夢は、自分には選べませんが、それでも、観た夢に関する感想は、自分で選べます。

どのような夢を観ることになったとしても、最後まで、マーヤの中の自分と世界を、幻想であるリアル感覚の世界を、心から楽しめると良いですね。
Posted by リアル感覚はマーヤ from M-online at 2022年10月16日 13:52
こんにちは。
いつもありがとうございます!
全てを委ねると決心してもまた自力で答えを出そうとしています。それに気づきまた間違えてしまったと笑っている私。
今夜も瞑想会に参加します!
Posted by くろなな at 2022年10月16日 15:24
>でも夢から覚めることは可能です。

>そのためには、いま現実だと思っている生活が夢そのものだということに気づくこと。

>何もかも思考が作り出している自分本位の物語だということに気づくこと。

・・・・・そして、これ↑すらも、『自分が目覚めるため』に活用しようなどと、
『たった今自分本位に思い込んでいる、他でもない、この自分自身』
に気付くこと・・・かなと、勝手に思っています。

もっと言ってしまうと、
例えば思考や感情を邪魔と感じている時は、
『たった今邪魔になっている』のが、
『たった今思考や感情を邪魔と感じている、
 他でもない、この自分自身』
↑のように気付けると、
『こう↑気付いた、他でもない、この自分自身』ごと、
解放されて楽になれますね。

要は、いかに『たった今の、他でもない、この自分自身』に気付くことで
解放されるかだと、勝手に思っています・・・・・
Posted by ただの「自分」 at 2022年10月16日 15:29
夢の中の夢。

あーだから、こーだから、と理由をつけて
やり過ごす生き方は、もういいじゃないですか。私たち人間は、じゅうぶんに経験したと思います
Posted by シリウス at 2022年10月16日 16:05
阿部さんこんにちは。

もしOSHOが日本で漫画家になってたらこんな作品なんじゃないかなと思える、令和版火の鳥とも思える衝撃漫画に出会いましたので紹介させてください。

ジャンプの漫画家さん、藤本タツキ著【ファイアパンチ】(8巻完結)です。

善悪、愛憎、生死、昼夜、男女、優劣、正誤、批判と称賛、終わりと始まり…あらゆる価値基準が、ひとつの両極でしかないさまの描き方が、天才的な漫画でした。

タブー視されてる片方の極にも躊躇なく踏み入るのでコントラストが見事で、恐ろしく面白いです。
それでいて体験は主人公のストーリーに過ぎず、スクリーンに映る映像が本質ではない示唆も出てきてやばかったです。え…悟り本?て思いました。

チェンソーマンアニメ化で今話題の漫画家さんなのでご存知の方も多いと思いますが、この「ファイアパンチ」はゼンサンガの方にはドンピシャな漫画だと思いました。

「すでに新しい生き方を始めた同胞は沢山います。極めて稀なことが起きていて、このような流れが時代の大変革の礎になっていく…」ほんとそうですね。
このレベルの漫画が普通に世に溢れてて若い世代に評価されてる時点でもうすごい世の中だ。私時代遅れかも。
Posted by hama at 2022年10月16日 17:03
>何もかも思考が作り出している自分本位の物語だということに気づくこと

あべさんこんばんわー☆
北海道も秋晴れの、ほんにいいお天気の日曜日でした。
今日もまた落葉キノコさんを探して中秋の秋の森へ。
キノコさんはわずかでしたが・・
秋の森は静かで美しく、枯葉の落ちる音だけで虫もいなく
きっと天河さんもこんな感じでしょうか
極楽浄土のような風景。

それでも午前中に担当した礼拝当番で
来訪された地方の牧師先生の接待がいまいちだったな―汗
とか、またいらんことをふと考えていてぐるぐるしている私がいます。

人が集まるとどうしてこう余計なことを考えて?しまうんでしょう。。
キノコさんを塩水につけて、さんまさんを焼いて
おかゆさんをいただいて夜の阿部さん瞑想会に参加し
秋の森のように澄んで明るい心持ちになりたし・・です。
きっとあの森のたたずまいの方が真実なのでしょうと。
Posted by さつき姫 at 2022年10月16日 17:45
今日は何事も無いけれどなんだか悲しくて、泣くほどの何かがあったわけでもなくて、なんとなく生きてるのめんどくさいって気分なので、21時から阿部さんの瞑想会があることを、いつも以上にありがたく思います。
「真 かんながら」は昨夜コンビニで料金を支払ったので、今週中には届いて読めると思います。
阿部さん、毎週無料で素晴らしいお話をありがとうございます。
Posted by まほ at 2022年10月16日 19:32
今日もありがとうございます。

これもまた過ぎ去る ですね。
そして
やっているのは わたし ではない。

呪文のように唱えています。
体も心も軽くなりますね。

体の痛みでへこたれそうになる時もありますが、全て幻想 夢の中なんですね。

今日も 瞑想会開いて頂きありがとうございます(=^ェ^=)
Posted by かな at 2022年10月16日 22:10
あべさん、瞑想会ありがとうございました(^_^)

すごいすごいすごい楽しかった。と言っても、静かに静かになんですけどね。

久々にあべさんの目が見られました(^_^)あーんど、鼻をかむ姿も。


天河神社のライトアップした鳥居と参道?の姿が美しいと同時に、かんながらの物語りが思い出されますね。

この場所からすべてが始まったのかって、、ちょっとだけどご縁をいただけて、、なんかその事も含め、有り難い夢というか、不可思議な夢というか、、不可思議な夢に放り込まれて、あべさんからしか聴けない話を聴くことが出来て、、ほんとうに嬉しいです(^_^)


今日は、ブログを拝見して、自分なりに向き合うような想いがやってきてました。

こちらも、ありがとうございます(^_^)
Posted by スズメ at 2022年10月16日 22:18
おはようございます!
一人だけれど一人ではない感じ。。。
瞑想会ありがとうございます!
いってきます
Posted by くろなな at 2022年10月17日 08:46
こんにちは♪新秩序の世界( ・∀・)イイ!!楽でしょうね(笑)テレパの一歩手前だね♪M-onlさん←最後Lよね?。素晴らしいです♪もう纏めて括っちゃってるし(笑)本当に同じ道を歩く仲間が在るって嬉しいです♥明日はがんセンターに検査行ってきまーす←転移してたら、大体の余命分かるな(笑)年功序列を守れずに、テレパの世界・・跳ばして行けるところ迄移行します(笑)←?。ま、どっちにしろ、奇跡は起こしてやるぜ!つか、阿部さん歳取らないよね~♪お話してる楽しそうな阿部さんもアーティストな感銘深く感じる阿部さんも夢の世界で夢を持ってカッコいい(≧∇≦)bありがとうございます♪♪♪
Posted by ピエコ at 2022年10月17日 13:17
私は夢から覚めたのかな〜
だって毎日が自由で楽しいんですから
昨日の瞑想会、パソコンがフリーズしていて、40分位瞑想していて、スマホで30分タイマーしてたけど、1時間も間違えてたしー
で、アーカイブで瞑想後の阿部さんのお話聞きました。たっぷり瞑想出来て、良かったです✨
Posted by kkako at 2022年10月17日 17:14
申し訳ございません

まさに記事の通りのことをやってました
動画を観て 瞑想して しにたい衝動から離れました

過ぎ去る、ですね

しにたい衝動 記事に書かれてあるような感情
感情が既に救われたい 愛されたい だから発生した瞬間から苦しみの原因なのですね

ボランティアを必死にやってた頃も ただ発生源が違うだけで 同じことですね いまの ありさまを観ると ただその貯金?で人から助けられていまは生きながらえているので衣食住的には意味があったようです

お金がなく同朋がいる環境には身をおけませんし
はっきり言って心身ともにズタボロで お先も真っ暗も真っ暗

ですが 夢 だと 気付ける時間があるだけで 随分と マシ だと思います

仲間じゃなくてもネットが繋がれば瞑想動画も観られるし

ありがとうございます
重ねて気持ちの悪いコメント申し訳ございませんでした
Posted by 自分 at 2022年10月18日 08:42
主体が自分じゃなく 瞑想時のように そのまま
で あれたら

きっと 死も 優しく迎えてくれそうな

そんな 気が します
Posted by 自分 at 2022年10月18日 08:51
>主体が自分じゃなく 瞑想時のよう

・・・どこかのタイミングで目覚めていますよね。
瞑想時の自分を実体だとわかる。
それ、目覚めです。
おそらくですが、目覚めると死にたい気持ちが消える?ようなことを錯覚してられませんか?
私は一瞥の後に更に辛く苦しく、何度もなり、目覚めて総てが解決できるわけでなく、その後にそれまでの自分と向き合うようなことがあって、そこから瞑想時の静かで問題の起きようのない自分意識に近づいていきました。

目覚めで極楽人が顕われるわけでない。
自分が何に囚われてきて、何に固執をみているのか?そういう心の動向の一切が夢のような一時的、地上経験だと「わかる」のですが、解決はしないのです。

ここから、内観を深めて逃げない姿勢にあれば「晴天はまじかです」
Posted by AQU@ at 2022年10月23日 06:52
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