2021年07月26日
「自分を生きる」ということの真実の意味
何を指針にして生きていますか。
親や教師や人の目が指針になっていませんか。
刷り込まれた倫理や道徳が指針になっていませんか。
これらに主導権を渡してしまうと、決して心の満足は得られません。
何かが違うという感覚を持ちながら生きることになります。
なぜそうなってしまうかと言えば、本当の自分を見失ってしまったから。
自分という存在を、他者の意見によって作ってしまったからです。
これが昨日の瞑想会でお話しした「偽の中心」です。
瞑想の本来の目的は、本当の自分の中心を再発見すること。
それは自分が宇宙全体だったことの気づきです。
そのとき初めて人は自らの直感を指針として生きることができます。
誰に命令されることも支配されることもありません。
社会全般がどんな正しさを持っていようと影響されません。
自らの光が、そして自らの真意が拠り所となります。
これが釈迦が最後に伝えたという
「自らを拠り所にせよ」(自灯明)
の意味です。
「自灯明」という言葉を聞いて、多くの人は偽の中心を持ったまま自分を拠り所にしようとします。
その自分は他者の意見の寄せ集めであり、迷いと怖れに翻弄されていて定まるところがありません。
だから拠り所になどできるわけがないのです。
全体としての自分を発見して初めて人は、自灯明を生きることができます。
そしてその時、本当の個性が開花します。
偽の中心を持った状態は、真の個性ではなく借り物の個性、すなわち社会用の仮面を生きることになります。
繰り返しますが、そのような状態では、いかに社会的に成功しようと決して満足を得ることはできません。
満足とは本当の個性を生きることだからです。
社会人の生き方は、みんな似たように見えます。
目には生気がなく、まるでロボットのようです。
本当は一人一人が極めて個性的なのです。
それが総じて、宇宙的秩序による人類の開花に繋がります。
イミテーションからリアリティへ。
これが人生の究極目的であり、喜びに至る唯一の道です。
親や教師や人の目が指針になっていませんか。
刷り込まれた倫理や道徳が指針になっていませんか。
これらに主導権を渡してしまうと、決して心の満足は得られません。
何かが違うという感覚を持ちながら生きることになります。
なぜそうなってしまうかと言えば、本当の自分を見失ってしまったから。
自分という存在を、他者の意見によって作ってしまったからです。
これが昨日の瞑想会でお話しした「偽の中心」です。
瞑想の本来の目的は、本当の自分の中心を再発見すること。
それは自分が宇宙全体だったことの気づきです。
そのとき初めて人は自らの直感を指針として生きることができます。
誰に命令されることも支配されることもありません。
社会全般がどんな正しさを持っていようと影響されません。
自らの光が、そして自らの真意が拠り所となります。
これが釈迦が最後に伝えたという
「自らを拠り所にせよ」(自灯明)
の意味です。
「自灯明」という言葉を聞いて、多くの人は偽の中心を持ったまま自分を拠り所にしようとします。
その自分は他者の意見の寄せ集めであり、迷いと怖れに翻弄されていて定まるところがありません。
だから拠り所になどできるわけがないのです。
全体としての自分を発見して初めて人は、自灯明を生きることができます。
そしてその時、本当の個性が開花します。
偽の中心を持った状態は、真の個性ではなく借り物の個性、すなわち社会用の仮面を生きることになります。
繰り返しますが、そのような状態では、いかに社会的に成功しようと決して満足を得ることはできません。
満足とは本当の個性を生きることだからです。
社会人の生き方は、みんな似たように見えます。
目には生気がなく、まるでロボットのようです。
本当は一人一人が極めて個性的なのです。
それが総じて、宇宙的秩序による人類の開花に繋がります。
イミテーションからリアリティへ。
これが人生の究極目的であり、喜びに至る唯一の道です。
Posted by Toshiro Abe at 08:40│Comments(11)
この記事へのコメント
阿部さん、おはようございます!
阿部さんが本当に目覚めていることが分かり嬉しくなりました!
そしたら今朝、眼横鼻直・花紅柳緑の本当の意味が体験として
分かりました。ありがとうございました!
阿部さんが本当に目覚めていることが分かり嬉しくなりました!
そしたら今朝、眼横鼻直・花紅柳緑の本当の意味が体験として
分かりました。ありがとうございました!
Posted by 神様大好き at 2021年07月26日 09:37
自己を帰依処としなさい。法を帰依処としなさい。他を帰依処としてはならない。
私は自己に帰依することを成し遂げた。
心を集中して、自己の心をしっかり守りなさい。
~ 仏陀の言葉 原始仏典マハーパリニッヴァーナ経より ~
私は自己に帰依することを成し遂げた。
心を集中して、自己の心をしっかり守りなさい。
~ 仏陀の言葉 原始仏典マハーパリニッヴァーナ経より ~
Posted by 大空(おおぞら) at 2021年07月26日 09:50
パーリ語で書かれている原始仏典の
「アッタ ディ―パ」という言葉が
「自帰依」
「自灯明」
と訳されました。
サンスクリット語で永遠に存在している本当の自分を
アートマ、アートマー、アートマンといいます。
パーリ語で永遠に存在している本当の自分を
アッタ、アッタ―、アッタンといいます。
アートマ、アートマー、アートマン
アッタ、アッタ―、アッタンは
「真我」
と訳されました。
ディ―パには中州、島という意味、そして光という意味があります。
「アッタ ディ―パ」という言葉は
「自己を中州としなさい」
「自己を島としなさい」
「自己を帰依処としなさい」
「自己を光としなさい」
「自己を灯明としなさい」
と訳することができます。
アッタ・自己・真我は生まれて死ぬ肉体を超えて
永遠の光として存在しています◎
自己が生まれて死ぬ肉体ではなく
永遠の光であることを悟ることを
「不死を悟る」と仏陀は言いました◎
「アッタ ディ―パ」という言葉が
「自帰依」
「自灯明」
と訳されました。
サンスクリット語で永遠に存在している本当の自分を
アートマ、アートマー、アートマンといいます。
パーリ語で永遠に存在している本当の自分を
アッタ、アッタ―、アッタンといいます。
アートマ、アートマー、アートマン
アッタ、アッタ―、アッタンは
「真我」
と訳されました。
ディ―パには中州、島という意味、そして光という意味があります。
「アッタ ディ―パ」という言葉は
「自己を中州としなさい」
「自己を島としなさい」
「自己を帰依処としなさい」
「自己を光としなさい」
「自己を灯明としなさい」
と訳することができます。
アッタ・自己・真我は生まれて死ぬ肉体を超えて
永遠の光として存在しています◎
自己が生まれて死ぬ肉体ではなく
永遠の光であることを悟ることを
「不死を悟る」と仏陀は言いました◎
Posted by 大空(おおぞら) at 2021年07月26日 10:07
おはようございます。昨日はお疲れさまでした。講話を聴いている間は安心してくつろげるのですが、すぐに恐れや心配が襲ってきます。少々心もとない自灯明です。
Posted by makotoazuma at 2021年07月26日 10:48
>親や教師や人の目が指針になっていませんか。
>刷り込まれた倫理や道徳が指針になっていませんか。
子供の頃から、こういうこと↑がなんとなく『違う』と感じていたので、
あーだこーだと抵抗していましたが、
『あーだこーだと抵抗する』『という指針』にハマって苦しんでしまうという、
皮肉さを知った時には・・・・・それはもお、ビックリしましたねぇ~・・・・・。
↑とかなんとか気付いたところで、そういう抵抗とかも、起こる時には起こってくるし、
じゃあ『抵抗』に『抵抗』すればいいのかって・・・そうなってもすぐ疲れ果てますね。
そうそう、元々あーだこーだ思っていても、すぐ疲れて止めてしまうんでした。
「なんかイロイロと起こってきてんなぁ~」て感じで。
その・・・『起こってくるものごと』を『ただ眺めている』状態で居ると、
それでも起こってくる、あれこれ考えたり、行動したりが・・・不思議とスムーズに
いく感じがしたんですよねぇ~。
>「自灯明」という言葉を聞いて、多くの人は偽の中心を持ったまま自分を拠り所にしようとします。
そうなんですよね・・・・・なんでか自動的に、『起こってくる物事』を『中心』と
してしまうんですよね・・・・・。
『↑とかなんとか思ったり感じている、他でもないこの自分自身』も含めて。
今のところ、
『↑とかなんとか思ったり感じている、他でもないこの自分自身』に『気付けた』時、
『その気付きの元』が『本当の中心』な気がしています。
『そこ』・・・気付いてみれば『ここ』だけは、
いつどんな状況でも、全く変わっていないので。
>刷り込まれた倫理や道徳が指針になっていませんか。
子供の頃から、こういうこと↑がなんとなく『違う』と感じていたので、
あーだこーだと抵抗していましたが、
『あーだこーだと抵抗する』『という指針』にハマって苦しんでしまうという、
皮肉さを知った時には・・・・・それはもお、ビックリしましたねぇ~・・・・・。
↑とかなんとか気付いたところで、そういう抵抗とかも、起こる時には起こってくるし、
じゃあ『抵抗』に『抵抗』すればいいのかって・・・そうなってもすぐ疲れ果てますね。
そうそう、元々あーだこーだ思っていても、すぐ疲れて止めてしまうんでした。
「なんかイロイロと起こってきてんなぁ~」て感じで。
その・・・『起こってくるものごと』を『ただ眺めている』状態で居ると、
それでも起こってくる、あれこれ考えたり、行動したりが・・・不思議とスムーズに
いく感じがしたんですよねぇ~。
>「自灯明」という言葉を聞いて、多くの人は偽の中心を持ったまま自分を拠り所にしようとします。
そうなんですよね・・・・・なんでか自動的に、『起こってくる物事』を『中心』と
してしまうんですよね・・・・・。
『↑とかなんとか思ったり感じている、他でもないこの自分自身』も含めて。
今のところ、
『↑とかなんとか思ったり感じている、他でもないこの自分自身』に『気付けた』時、
『その気付きの元』が『本当の中心』な気がしています。
『そこ』・・・気付いてみれば『ここ』だけは、
いつどんな状況でも、全く変わっていないので。
Posted by ただの「自分」 at 2021年07月26日 11:15
釈迦を始め、インドにおける多くの聖者と言われる人々は、一時期は、社会や家庭から距離を起き、托鉢しながら、修行に集中しています。
イエスも、預言者として現れた後は、生活の基本は、托鉢でした。
三年という短い時間でしたが、イエスと共に過ごした弟子たちも、家を離れ、托鉢生活をし、イエス亡き後も、伝道に一生を費やしました。
世俗との関わりを持ちながら、真理に目覚めることは、不可能ではないとは思いますが、それなりのエネルギーが必要でしょう。
スワミ、シヴァナンダは、6年間、集中して修行しなさい、と仰っています。
何故、6年なのか?は、わかりませんが、ある一定の成果を得るには、退路を断って、集中して取り組む必要があるということなのでしょう。
究極の真理は、世俗的な考えとは相容れないため(真逆と言えるかもしれません)、世俗に身を置き、世俗と接触がある中で理解することは、両者には開きがあるので、充分に達せられないで終わってしまうか、他方を手放さないで、もう一方を得ようとして無理をし過ぎると、心身のバランスを崩しかねないからでしょう。(阿部さんも、一時的に、社会からかなり距離を置いて離れた時期があったのではないでしょうか?)
昔は、お寺や修道院が、そのような場を提供してくれていたのでしょうが、今は、そのような場はありませんし、托鉢も現実的ではありません。
情報化時代の恩恵で、スピリチュアルな情報に触れる機会が増えて、頭に知識が増えても、真の理解が起こるとは限りません。
むしろ、その情報が邪魔になる場合もあることでしょう。
そういう現代的な条件の下でも、阿部さんのように、真理に目覚め、そのことを人生に反映させて生きている人がいるということは、真理探求の途上にいる人間に、希望の光を与え、良いお手本として、多くの示唆を与えてくれることでしょう。
すべては自動運転、本当は、操縦席に座っている"わたし"はいないのですから、展開は全体に任せて、人生という大海原の航海を、心から楽しみましょう♪
最後に心に浮かぶ想い、それが、自分が歩んだ人生のすべてを物語ることでしょう。(阿部さんの場合は、今が一番幸せ、かもしれませんね♪)
時間限定の地球劇場、一回限りの上映なので、誰もが心から楽しめると良いですね♪
イエスも、預言者として現れた後は、生活の基本は、托鉢でした。
三年という短い時間でしたが、イエスと共に過ごした弟子たちも、家を離れ、托鉢生活をし、イエス亡き後も、伝道に一生を費やしました。
世俗との関わりを持ちながら、真理に目覚めることは、不可能ではないとは思いますが、それなりのエネルギーが必要でしょう。
スワミ、シヴァナンダは、6年間、集中して修行しなさい、と仰っています。
何故、6年なのか?は、わかりませんが、ある一定の成果を得るには、退路を断って、集中して取り組む必要があるということなのでしょう。
究極の真理は、世俗的な考えとは相容れないため(真逆と言えるかもしれません)、世俗に身を置き、世俗と接触がある中で理解することは、両者には開きがあるので、充分に達せられないで終わってしまうか、他方を手放さないで、もう一方を得ようとして無理をし過ぎると、心身のバランスを崩しかねないからでしょう。(阿部さんも、一時的に、社会からかなり距離を置いて離れた時期があったのではないでしょうか?)
昔は、お寺や修道院が、そのような場を提供してくれていたのでしょうが、今は、そのような場はありませんし、托鉢も現実的ではありません。
情報化時代の恩恵で、スピリチュアルな情報に触れる機会が増えて、頭に知識が増えても、真の理解が起こるとは限りません。
むしろ、その情報が邪魔になる場合もあることでしょう。
そういう現代的な条件の下でも、阿部さんのように、真理に目覚め、そのことを人生に反映させて生きている人がいるということは、真理探求の途上にいる人間に、希望の光を与え、良いお手本として、多くの示唆を与えてくれることでしょう。
すべては自動運転、本当は、操縦席に座っている"わたし"はいないのですから、展開は全体に任せて、人生という大海原の航海を、心から楽しみましょう♪
最後に心に浮かぶ想い、それが、自分が歩んだ人生のすべてを物語ることでしょう。(阿部さんの場合は、今が一番幸せ、かもしれませんね♪)
時間限定の地球劇場、一回限りの上映なので、誰もが心から楽しめると良いですね♪
Posted by 地球劇場 from M-online at 2021年07月26日 12:37
私は誰か
身体、五感、心
これらは、私ではありません
これら殻の中にある純粋意識、真我
これこそが、無限の意識
私などいません。
身体、五感、心
これらは、私ではありません
これら殻の中にある純粋意識、真我
これこそが、無限の意識
私などいません。
Posted by ブラフマン at 2021年07月26日 13:59
いつだったか「自ずから」とは
おのずから と聞いた記憶があります。
みずからじゃなくて、おのずから
読み方なんて本当はどうでもいいけど、刷り込まれた観念があるから、ニュアンスの違いで理解は変わりますね。
自分 という個人がやる のではなく
おのずから とは全体から
全体としての自分、、
おのずから と聞いた記憶があります。
みずからじゃなくて、おのずから
読み方なんて本当はどうでもいいけど、刷り込まれた観念があるから、ニュアンスの違いで理解は変わりますね。
自分 という個人がやる のではなく
おのずから とは全体から
全体としての自分、、
Posted by shiro at 2021年07月26日 14:13
あべさん
(*’ω’ノノ゙☆パチパチパチパチ(T-T)
拍手して笑って泣いて、笑って泣いて…ハァ~っと脱力です(-_-)
こんなこと話してくださったんですね。。いえ、夕べ聴いてはいたのですが、てんこ盛り盛りな内容に感じて咀嚼出来ない感じ…おまけに眠くて眠くてといった具合でした。
なのでこうして書き表されていることが有り難いです(^^)
こんなにいい男知らない(笑)
そう呟いてしまうほど、こんなこと言ってくれる人、教えてくれる人、あべさんしかいないよ~&出会えて読めてうれしいよ~☆
まだね、読んでもっと咀嚼したい感はあるのですが、おおよその理解とか道とか、なんか浮かびました。
おおよその理解とは私自身にとってのこと。
道は、悟りを求める段階の道から、悟りを得て現象界を生きる段階。というような。
行く道と帰り道?
またあとでゆっくり読ませてくださ~い☆(*^^*)
(*’ω’ノノ゙☆パチパチパチパチ(T-T)
拍手して笑って泣いて、笑って泣いて…ハァ~っと脱力です(-_-)
こんなこと話してくださったんですね。。いえ、夕べ聴いてはいたのですが、てんこ盛り盛りな内容に感じて咀嚼出来ない感じ…おまけに眠くて眠くてといった具合でした。
なのでこうして書き表されていることが有り難いです(^^)
こんなにいい男知らない(笑)
そう呟いてしまうほど、こんなこと言ってくれる人、教えてくれる人、あべさんしかいないよ~&出会えて読めてうれしいよ~☆
まだね、読んでもっと咀嚼したい感はあるのですが、おおよその理解とか道とか、なんか浮かびました。
おおよその理解とは私自身にとってのこと。
道は、悟りを求める段階の道から、悟りを得て現象界を生きる段階。というような。
行く道と帰り道?
またあとでゆっくり読ませてくださ~い☆(*^^*)
Posted by すずめ at 2021年07月26日 15:18
大変失礼ですがブラフマンさんが仰っていることは何処かの本に書いてある箇条書きみたいなことばかりで、阿部さんは同じ事をご本人の言葉で無数の言葉を駆使して書いてくれています。
あなたの文面からくる私は解っているみたいなトーンも気になります。
ご自分のSNSでやられては如何でしょうか。
あなたの文面からくる私は解っているみたいなトーンも気になります。
ご自分のSNSでやられては如何でしょうか。
Posted by 読者歴13年 at 2021年07月26日 17:43
ブラフマンさんのお言葉は真理だと感じました。
阿部さんの真意を体系的にまとめた内容になっており、
少なくとも私にとっては有意義な要点整理になっておりました。
ブラフマンさんが真理を体現されているか否かは分かりません。
言論の自由が保障されたコメント欄であることを希望します。
阿部さんの真意を体系的にまとめた内容になっており、
少なくとも私にとっては有意義な要点整理になっておりました。
ブラフマンさんが真理を体現されているか否かは分かりません。
言論の自由が保障されたコメント欄であることを希望します。
Posted by 神様大好き at 2021年07月26日 22:27
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