2021年06月14日
輪廻転生の新解釈
いままでにあなたが感じてきた感情のすべては、まさにいま地球上の誰かが感じている。
いままでにあなたが考えてきたことのすべては、まさにいま誰かが考えている。
巡り巡っているのは「私」ではなく、思考や感情ではないでしょうか。
そう思うと、輪廻転生の意味もずいぶん変わってきます。
輪廻転生は時間の中で起きることではなく、いまという中で起きていることになります。
これは持論ではあるけれど、何度かそのような洞察を得てきました。
必死に夢を追い求めていたあの頃の僕は、いま誰かの中を生きている。
あの頃の僕がいまの僕になったのではなく、それは同時に起きている。
僕という単独の生き物がいるのではなく、全員が僕だということです。
そう思うと、人間が経験するあらゆる可能性に、そしてあらゆる人に対する愛しみが出てきます。
と言うことは、あなたがこの先するであろう経験を、いましている人がいるということ。
開かれた視野、人生への深い理解、あるがままへの寛ぎなど、遅かれ早かれあなたもその境地を生き始めることでしょう。

昨日は黒斎君との瞑想会でした。
本当にあっと言う間に終わってしまい、すごく楽しかったという連絡を本人からも貰いました。
動画はそのまま残していますので、時間があるときに参加してください。
コチラから
7月のハートマントラは満員になってしまったので、今回も新しいクラスを増設しました。
7月22日(祝)の17時からです。
詳しくはコチラ
いままでにあなたが考えてきたことのすべては、まさにいま誰かが考えている。
巡り巡っているのは「私」ではなく、思考や感情ではないでしょうか。
そう思うと、輪廻転生の意味もずいぶん変わってきます。
輪廻転生は時間の中で起きることではなく、いまという中で起きていることになります。
これは持論ではあるけれど、何度かそのような洞察を得てきました。
必死に夢を追い求めていたあの頃の僕は、いま誰かの中を生きている。
あの頃の僕がいまの僕になったのではなく、それは同時に起きている。
僕という単独の生き物がいるのではなく、全員が僕だということです。
そう思うと、人間が経験するあらゆる可能性に、そしてあらゆる人に対する愛しみが出てきます。
と言うことは、あなたがこの先するであろう経験を、いましている人がいるということ。
開かれた視野、人生への深い理解、あるがままへの寛ぎなど、遅かれ早かれあなたもその境地を生き始めることでしょう。

昨日は黒斎君との瞑想会でした。
本当にあっと言う間に終わってしまい、すごく楽しかったという連絡を本人からも貰いました。
動画はそのまま残していますので、時間があるときに参加してください。
コチラから
7月のハートマントラは満員になってしまったので、今回も新しいクラスを増設しました。
7月22日(祝)の17時からです。
詳しくはコチラ
Posted by Toshiro Abe at 11:24│Comments(11)
この記事へのコメント
輪廻転生は存在するのでしょうか、存在しないのでしょうか?
輪廻転生に関しては大きく分けて三つの視点があります。
第一の視点は
「輪廻転生は存在しない。
なぜなら人間は肉体存在そのものであり、生まれる前は存在しておらず、死んだ後も存在しないから。
精神・意識・心といわれているものは肉体や脳によって生み出されているにすぎないから」
というものです。
第二の視点は
「輪廻転生は存在する。
なぜなら過去世を思い出す人たちがいて、過去世の記憶と事実が一致するケースや、他の人の過去世の記憶と一致するケースが多数報告されているから。
魂は肉体や脳を超えて存在しているから」
というものです。
第三の視点は
「輪廻転生は無常の現象である。
意識(光)は輪廻転生という無常の現象を超えて存在している。
永遠に存在している意識(光)が肉体を持ったり失ったりするという無常の現象を体験している。
意識(光)は生まれることも死ぬこともなく、永遠に存在している。
輪廻転生は無常の現象として存在していて
意識(光)は永遠に存在している」
というものです。
「肉体や脳が自分だ」という視点は第一の視点につながり
「肉体や脳を超えて、個別の魂がたくさん存在している」という視点は第二の視点につながり
「肉体や脳を超えて、宇宙全体に広がっている意識(光)が存在している。すべては意識(光)としてひとつである」という視点は第三の視点につながります。
第三の視点に気づく人たちがどんどん増えているすごい時代が来ています◎
輪廻転生に関しては大きく分けて三つの視点があります。
第一の視点は
「輪廻転生は存在しない。
なぜなら人間は肉体存在そのものであり、生まれる前は存在しておらず、死んだ後も存在しないから。
精神・意識・心といわれているものは肉体や脳によって生み出されているにすぎないから」
というものです。
第二の視点は
「輪廻転生は存在する。
なぜなら過去世を思い出す人たちがいて、過去世の記憶と事実が一致するケースや、他の人の過去世の記憶と一致するケースが多数報告されているから。
魂は肉体や脳を超えて存在しているから」
というものです。
第三の視点は
「輪廻転生は無常の現象である。
意識(光)は輪廻転生という無常の現象を超えて存在している。
永遠に存在している意識(光)が肉体を持ったり失ったりするという無常の現象を体験している。
意識(光)は生まれることも死ぬこともなく、永遠に存在している。
輪廻転生は無常の現象として存在していて
意識(光)は永遠に存在している」
というものです。
「肉体や脳が自分だ」という視点は第一の視点につながり
「肉体や脳を超えて、個別の魂がたくさん存在している」という視点は第二の視点につながり
「肉体や脳を超えて、宇宙全体に広がっている意識(光)が存在している。すべては意識(光)としてひとつである」という視点は第三の視点につながります。
第三の視点に気づく人たちがどんどん増えているすごい時代が来ています◎
Posted by 大空(おおぞら)
at 2021年06月14日 13:33

>巡り巡っているのは「私」ではなく、思考や感情ではないでしょうか。
自分も、正にそのように感じています。
マインドレベルの経験だけでも、
自分が誰かに対して感じて思った文句とかが、
誰かから自分に言われたことだった、と気付いたとかありますし。
相手が自分に怒ってると『感じた』時、
どうして『相手が怒ってる』と『自分が感じること』が『できる』のか?
ということもありますし。
そんな経験があり、感じていると、
「本当は『自分』と『相手』は『分かれていない』のだろう」
くらいは、誰でも気付くだろうと思ってます。
「いやそう感じてるのは自分だろう」
みたいに言う人も多いかとは思いますけどね。
こう思い、感じていることが『自分だけで完結している』なんて、
自分はとても思えないし、感じられないんですよね・・・・・。
自分も、正にそのように感じています。
マインドレベルの経験だけでも、
自分が誰かに対して感じて思った文句とかが、
誰かから自分に言われたことだった、と気付いたとかありますし。
相手が自分に怒ってると『感じた』時、
どうして『相手が怒ってる』と『自分が感じること』が『できる』のか?
ということもありますし。
そんな経験があり、感じていると、
「本当は『自分』と『相手』は『分かれていない』のだろう」
くらいは、誰でも気付くだろうと思ってます。
「いやそう感じてるのは自分だろう」
みたいに言う人も多いかとは思いますけどね。
こう思い、感じていることが『自分だけで完結している』なんて、
自分はとても思えないし、感じられないんですよね・・・・・。
Posted by ただの「自分」 at 2021年06月14日 13:57
お二人の お話しは、自分に起きた事がパズルのピースが はまる感じなので大好きです♪
Posted by ひろみぃ at 2021年06月14日 16:09
大空さんのコメントに書かれている第三の視点、共感します♪
ただ、今生があまりに無惨で悲惨な場合、無念な死に方をした場合、果たせなかった願望などがある場合など、個として現れた人生が、単なる現象であると言われると、納得できない場合もあるように感じます。
不平等感、不公平感がある場合には、特にそうでしょう。
そこには、個としての人間的な感情が働いています。
この個人に起こる人間的な感情に、どのように対処するか?それも起こることですが、この個人に起こる人間的な感情が、輪廻転生を生み出す因であると、考えることもできます。
すべての人の頭の中が、肉体の中に、この世を経験する主体はいない、すべては起こる現象であるだけ、という思考であるならば、この世は、今とは違った世界になることでしょう。
生きて死ぬ主体がいなければ、輪廻転生する主体もいません。
そして、この世を認識する主体がいないのですから、この世もありません。
何も起きていないし、誰もいない。
すべての存在の原初の状態であるこの世の始点にあれば、輪廻転生はありません。
但し、願望や実現の夢がある限りは、その始点にあることはできません。
心が、願望や実現へと、少しでも動き出すと、原初の状態は直ぐに失われてしまうからです。
原初の状態の均衡が崩れると、時空が生じます。
時空に、微細エネルギー、プラーナの動きが現れ、この微細エネルギーは、死後、潜在しますが、潜在期間を終えると、また動き出し、物質次元において、個の世界を創り出します。
これが、エネルギー的な視点から見た生と死の仕組みと言えますが、輪廻転生は、微細エネルギーの循環と見ることもできます。
確かに、エネルギー次元で見ると、循環するのは、微細エネルギーであって、"個人の私"ではありません。(人間の意識は、物質次元にあるので、そうは思えない仕組みになっていますが)
"個人の私はいない"とわかっている場合は、もはや、どんな自分もいないのですから、肉体の死や心の消滅、輪廻転生という現象に関して、心が動くことはないでしょう。
(それ故、心の動き、生気プラーナを止めるために、ヨーガとは、心の制御である、と言っているのでしょう)
思考や感情は、生気プラーナの動きであり、風のように変化し、流れて行き、固定したものではありません。
それは、やって来て、去って行きます。
私たちは、心ではなく、心に起こることを眺めている無限の意識なのです。
静かに、微細エネルギー、生気プラーナの顕れを眺めていましょう。
それは、やって来て、去って行きます。
生も死も、同じです。
永遠不滅の真我。
それ以外は、すべて夢であり、非実在なのです。
しかし、プラーナの動きがあると、潜在していた心は、顕現しようとエネルギーを集め、肉体を得て、顕在します。
こうして、"わたし"という夢幻宇宙が誕生し、今、非実在の夢の世界として、顕現しているのです。
ただ、今生があまりに無惨で悲惨な場合、無念な死に方をした場合、果たせなかった願望などがある場合など、個として現れた人生が、単なる現象であると言われると、納得できない場合もあるように感じます。
不平等感、不公平感がある場合には、特にそうでしょう。
そこには、個としての人間的な感情が働いています。
この個人に起こる人間的な感情に、どのように対処するか?それも起こることですが、この個人に起こる人間的な感情が、輪廻転生を生み出す因であると、考えることもできます。
すべての人の頭の中が、肉体の中に、この世を経験する主体はいない、すべては起こる現象であるだけ、という思考であるならば、この世は、今とは違った世界になることでしょう。
生きて死ぬ主体がいなければ、輪廻転生する主体もいません。
そして、この世を認識する主体がいないのですから、この世もありません。
何も起きていないし、誰もいない。
すべての存在の原初の状態であるこの世の始点にあれば、輪廻転生はありません。
但し、願望や実現の夢がある限りは、その始点にあることはできません。
心が、願望や実現へと、少しでも動き出すと、原初の状態は直ぐに失われてしまうからです。
原初の状態の均衡が崩れると、時空が生じます。
時空に、微細エネルギー、プラーナの動きが現れ、この微細エネルギーは、死後、潜在しますが、潜在期間を終えると、また動き出し、物質次元において、個の世界を創り出します。
これが、エネルギー的な視点から見た生と死の仕組みと言えますが、輪廻転生は、微細エネルギーの循環と見ることもできます。
確かに、エネルギー次元で見ると、循環するのは、微細エネルギーであって、"個人の私"ではありません。(人間の意識は、物質次元にあるので、そうは思えない仕組みになっていますが)
"個人の私はいない"とわかっている場合は、もはや、どんな自分もいないのですから、肉体の死や心の消滅、輪廻転生という現象に関して、心が動くことはないでしょう。
(それ故、心の動き、生気プラーナを止めるために、ヨーガとは、心の制御である、と言っているのでしょう)
思考や感情は、生気プラーナの動きであり、風のように変化し、流れて行き、固定したものではありません。
それは、やって来て、去って行きます。
私たちは、心ではなく、心に起こることを眺めている無限の意識なのです。
静かに、微細エネルギー、生気プラーナの顕れを眺めていましょう。
それは、やって来て、去って行きます。
生も死も、同じです。
永遠不滅の真我。
それ以外は、すべて夢であり、非実在なのです。
しかし、プラーナの動きがあると、潜在していた心は、顕現しようとエネルギーを集め、肉体を得て、顕在します。
こうして、"わたし"という夢幻宇宙が誕生し、今、非実在の夢の世界として、顕現しているのです。
Posted by 夢幻宇宙 from M-online at 2021年06月14日 18:45
昨日の黒斎さんとのコラボ動画を見て驚いたのは、お二人とも最初は全くの唯物論者だったという事。
そういえば「奇跡のコース」の作者も確か無神論者の心理学者だったような。
不思議です。
精神世界の反対側にいた人に気づきが訪れ、ずっとそれを求め続けている人(私も含めてですが)になかなか訪れないなんて…!
なんでだろ〜なんでだろ〜
昔のコントみたいな言い方ですが。
求めている人はあまりにも精神世界の知識で頭でっかちになってしまっていて、逆に隙間がないからかなぁ。
そういえば「奇跡のコース」の作者も確か無神論者の心理学者だったような。
不思議です。
精神世界の反対側にいた人に気づきが訪れ、ずっとそれを求め続けている人(私も含めてですが)になかなか訪れないなんて…!
なんでだろ〜なんでだろ〜
昔のコントみたいな言い方ですが。
求めている人はあまりにも精神世界の知識で頭でっかちになってしまっていて、逆に隙間がないからかなぁ。
Posted by グレース at 2021年06月14日 18:46
こんばんわ、このようなお話は楽しいですね。一方向にしか進まない時間って、はたして存在しているといって良いものなのでしょうか。もしないという結論になれば、すべてのものは存在しないことになります。なので今宵は「無」と叫んでお暇します。失礼いたしました。
Posted by makotoazuma at 2021年06月14日 18:47
すごい!新しい感覚を覚えました。意識とは、ただ身体を通りすぎていく風みたいですね。常に巡っている、誰かからまた誰かへと。みんな同じだったんだ。
Posted by 尚太郎 at 2021年06月14日 19:46
なんとなく分かります!
誰かが感じている感情、思考は昔感じたことがあるものだったり。。
横にいる人の感情、思考がポンっと感じられたり。。
ただぐるぐると、いろんな人の間を動いている気がします。
その中で、どうしても受け入れられない感情や思考が、
カルマになるのかな?って思いました。
やっぱりゲームなんですね!
誰かが感じている感情、思考は昔感じたことがあるものだったり。。
横にいる人の感情、思考がポンっと感じられたり。。
ただぐるぐると、いろんな人の間を動いている気がします。
その中で、どうしても受け入れられない感情や思考が、
カルマになるのかな?って思いました。
やっぱりゲームなんですね!
Posted by あこ at 2021年06月14日 20:31
感じさせている人と、
感じている人は
同じものを共有しているなぁと思うことがある。
いじめている人はみじめだし
いじめられているほうもみじめだ。
ただ、いじめられているほうがクリーニングしやすいかな。
いじめられてるほうが立場は上かなぁ。
ノンデュアリティなら、そんなもんはなんもない
ってなっちゃうのかな
感じている人は
同じものを共有しているなぁと思うことがある。
いじめている人はみじめだし
いじめられているほうもみじめだ。
ただ、いじめられているほうがクリーニングしやすいかな。
いじめられてるほうが立場は上かなぁ。
ノンデュアリティなら、そんなもんはなんもない
ってなっちゃうのかな
Posted by せいじ at 2021年06月14日 21:53
『いままでにあなたが感じてきた感情のすべては、まさにいま地球上の誰かが感じている。
いままでにあなたが考えてきたことのすべては、まさにいま誰かが考えている。』
これは全体エネルギーが輪廻転生しているということでしょうか?
ん~なんか集合意識にカルマがあると仮定すると、人類全体で抱えているカルマがあるというか?
全部は全体エネルギーの顕れだから、全部がわたしだとすると、あの人の幸せも、この人の不幸せも、どちらもわたしエネルギーの顕れだとすると、どっちもわたし、どっちも集合意識で繋がっているところ。みたいに思うことはある。
集合意識なんて深そうなところじゃなくても、誰かが大変な思いをしていることは、身近な人であれば影響を感じることあるし、遠い人でもまわりまわって何かしらの影響があるとかね。
逆に、誰かが良い思いをしていることも何かしらの影響があると、そんな風には捉えています。
輪廻転生の新解釈とはズバリ、
全体エネルギーのカルマが輪廻転生しているということでしょうか!?
難しい宿題でした~(笑)
だれも宿題になんてしてませんよね~(^_-)☆
いままでにあなたが考えてきたことのすべては、まさにいま誰かが考えている。』
これは全体エネルギーが輪廻転生しているということでしょうか?
ん~なんか集合意識にカルマがあると仮定すると、人類全体で抱えているカルマがあるというか?
全部は全体エネルギーの顕れだから、全部がわたしだとすると、あの人の幸せも、この人の不幸せも、どちらもわたしエネルギーの顕れだとすると、どっちもわたし、どっちも集合意識で繋がっているところ。みたいに思うことはある。
集合意識なんて深そうなところじゃなくても、誰かが大変な思いをしていることは、身近な人であれば影響を感じることあるし、遠い人でもまわりまわって何かしらの影響があるとかね。
逆に、誰かが良い思いをしていることも何かしらの影響があると、そんな風には捉えています。
輪廻転生の新解釈とはズバリ、
全体エネルギーのカルマが輪廻転生しているということでしょうか!?
難しい宿題でした~(笑)
だれも宿題になんてしてませんよね~(^_-)☆
Posted by すずめ at 2021年06月14日 22:07
ヨーガにおいては、人間を含むすべての存在は、宇宙の五種の微細元素から成っていると考えられています。
(これは、ヨーガを少し深く実践し、理論的に理解している人であるならば、ヨーガの常識として受け入れられている考えです)
万物における五元素とは、地水火風空です。
人間における地元素は、肉体です。
水元素は、血や体液や内臓器官で生産される粘液や分泌液などです。
火元素は、心臓の動き、体温や消化で用いられる体熱です。
風元素は、呼吸、全身の神経系や脳の働き(感情や思考、判断、想像、記憶など)です。(意識ではありません)
空元素とは、微細プラーナ(生命エネルギー)、場(磁場)です。
この中で、空元素以外は、感覚器官を通して、何らかの形で捉えることができますが、空元素を感覚で捉えることは、かなり難しいですが、不可能ではありません(長年修行したヨーギーや、生まれつきエネルギーに敏感な人は、微細プラーナである生命エネルギーを感覚的に掴むことができます)
また、その中心に、五元素からは独立して、魂である真我が内在しています。
地元素には、地元素以外の水火風空の各元素が、水元素には、火風空の各元素が、火元素には、風空元素の各元素が、風元素には、空元素が内在しています。
例えば、地元素である木には、水元素も内在していますし、熱せられれば、内在している火元素が燃え出しますし、燃えると、やがて煙という風元素になり、最後は、空元素だけになり、潜在的な領域の中に消えて行き、そこに潜んだ形で存在し続けます。
形は無くなってしまっても、すべてが無くなってしまった訳ではなく、木を構成していたモノは、原子という形になり、微細エネルギーとして残ります。
木という存在は無くなりましたが、木を構成していた各元素は、それぞれに分解されただけで、総宇宙のエネルギー量には、何の変化もありません。
エネルギー的な変化は起こりますが、何一つ失われることはありません。
人間の肉体が消滅した時も、同じことが起こります。
物質である肉体が各元素に分解した後、それでも、風元素と空元素は微細体として、残ると言われています。
微細体である思考や感情の元となる心は、心を形成するプログラムのような極微細な形で残るため、それは、輪廻転生の種子と呼ばれています。
死後、この種子が、潜在期間を過ぎると、再び目覚め、活動を始めます。
この種子の中には、真我が内包されているので、種子が新しい身体の中に潜り込むと、そこで、真我は、再び新しい生命活動を始め、新しい生命が誕生します。
無限の意識は、真我(魂)であるので、五元素からは、独立して実在しており、五元素に生命エネルギーを送り、人間を含むすべての存在に、無限の意識を浸潤させています。
大雑把ではありますが、これがヨーガで述べられている人間や宇宙構造のあらましです。
各元素自体は、自らの力で存在することはできません。
太陽からの光を浴びて輝く月のように、各元素は、真我からのエネルギーを受けて存在するだけで、すべてに共通する性質は、空元素(空性)です。
空元素は、真我から発せられる微細プラーナでもあるので、すべての存在には、真我である無限の意識が浸潤し、「存在-意識」は結合しているために、同じ一つのモノと言えます。
人間においても、意識と存在は、切り離すことはできません。
(寝ている時に、意識がなくなると、意識が対象物を捉えることができなくなるために、存在するモノもなくなります。そして意識が戻ると同時に、存在も、現れます)
これらはすべて、無限の意識の中で生じていることで、実際には、それを体験する「わたし」はいません。
混乱が生じてしまうのは、「存在-自我意識」となっている場合です。
「わたしが存在する」というのは、誤りです。
実在しているのは、真我だけであり、自我意識は、「錯覚」です。
この「錯覚」が消滅すれば、誤った同一視が正されるので、輪廻転生の種子は消滅すると言われています。
これは、理解しやすいように、形而上的に見た人間構造ですが、実際には、微細エネルギー次元で起こることなので、実証することはできません。
それでも、死は、人間の宿命でもありますので、ヨーガの世界観、人間観ではありますが、頭の片隅にあるだけでも、予備知識として役に立つこともあるかもしれませんので、ご参考までに、ご紹介させて頂きます。
(これは、ヨーガを少し深く実践し、理論的に理解している人であるならば、ヨーガの常識として受け入れられている考えです)
万物における五元素とは、地水火風空です。
人間における地元素は、肉体です。
水元素は、血や体液や内臓器官で生産される粘液や分泌液などです。
火元素は、心臓の動き、体温や消化で用いられる体熱です。
風元素は、呼吸、全身の神経系や脳の働き(感情や思考、判断、想像、記憶など)です。(意識ではありません)
空元素とは、微細プラーナ(生命エネルギー)、場(磁場)です。
この中で、空元素以外は、感覚器官を通して、何らかの形で捉えることができますが、空元素を感覚で捉えることは、かなり難しいですが、不可能ではありません(長年修行したヨーギーや、生まれつきエネルギーに敏感な人は、微細プラーナである生命エネルギーを感覚的に掴むことができます)
また、その中心に、五元素からは独立して、魂である真我が内在しています。
地元素には、地元素以外の水火風空の各元素が、水元素には、火風空の各元素が、火元素には、風空元素の各元素が、風元素には、空元素が内在しています。
例えば、地元素である木には、水元素も内在していますし、熱せられれば、内在している火元素が燃え出しますし、燃えると、やがて煙という風元素になり、最後は、空元素だけになり、潜在的な領域の中に消えて行き、そこに潜んだ形で存在し続けます。
形は無くなってしまっても、すべてが無くなってしまった訳ではなく、木を構成していたモノは、原子という形になり、微細エネルギーとして残ります。
木という存在は無くなりましたが、木を構成していた各元素は、それぞれに分解されただけで、総宇宙のエネルギー量には、何の変化もありません。
エネルギー的な変化は起こりますが、何一つ失われることはありません。
人間の肉体が消滅した時も、同じことが起こります。
物質である肉体が各元素に分解した後、それでも、風元素と空元素は微細体として、残ると言われています。
微細体である思考や感情の元となる心は、心を形成するプログラムのような極微細な形で残るため、それは、輪廻転生の種子と呼ばれています。
死後、この種子が、潜在期間を過ぎると、再び目覚め、活動を始めます。
この種子の中には、真我が内包されているので、種子が新しい身体の中に潜り込むと、そこで、真我は、再び新しい生命活動を始め、新しい生命が誕生します。
無限の意識は、真我(魂)であるので、五元素からは、独立して実在しており、五元素に生命エネルギーを送り、人間を含むすべての存在に、無限の意識を浸潤させています。
大雑把ではありますが、これがヨーガで述べられている人間や宇宙構造のあらましです。
各元素自体は、自らの力で存在することはできません。
太陽からの光を浴びて輝く月のように、各元素は、真我からのエネルギーを受けて存在するだけで、すべてに共通する性質は、空元素(空性)です。
空元素は、真我から発せられる微細プラーナでもあるので、すべての存在には、真我である無限の意識が浸潤し、「存在-意識」は結合しているために、同じ一つのモノと言えます。
人間においても、意識と存在は、切り離すことはできません。
(寝ている時に、意識がなくなると、意識が対象物を捉えることができなくなるために、存在するモノもなくなります。そして意識が戻ると同時に、存在も、現れます)
これらはすべて、無限の意識の中で生じていることで、実際には、それを体験する「わたし」はいません。
混乱が生じてしまうのは、「存在-自我意識」となっている場合です。
「わたしが存在する」というのは、誤りです。
実在しているのは、真我だけであり、自我意識は、「錯覚」です。
この「錯覚」が消滅すれば、誤った同一視が正されるので、輪廻転生の種子は消滅すると言われています。
これは、理解しやすいように、形而上的に見た人間構造ですが、実際には、微細エネルギー次元で起こることなので、実証することはできません。
それでも、死は、人間の宿命でもありますので、ヨーガの世界観、人間観ではありますが、頭の片隅にあるだけでも、予備知識として役に立つこともあるかもしれませんので、ご参考までに、ご紹介させて頂きます。
Posted by 五元素と真我 from M-online at 2021年06月15日 01:49
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