2021年05月21日

開経偈

一見すると残念なお知らせですが・・・

「あなたの人生は、これ以上よくなりません」


これは何度となく繰り返してきたメッセージです。

当然反発を生むと思いきや、納得してくれる人が多いのは、ここが変わり者の集まりだから。

いや、人生への洞察が深まった人たちが集まってくれているからだと思います(^^)

でなければ「人生はこれ以上良くならない」なんていう言葉を聞いて、またここに戻って来るなんてことはないでしょう。


たいてい人が惹きつけられるのは、自分の夢や希望を強化してくれる話です。

「きっといつか良くなる。だから、私の言う通りにしなさい」

ってね。


開経偈


でもどこまで行っても、あるがままのいまがあるだけです。

将来を心配する人は、あいかわらず将来を心配しているだろうし、もっと成果を上げたいと思っている人は、その時も同じように頑張って生きていることでしょう。


年間の売り上げが100万円だろうと、1億円だろうと、やっていることは同じ。

さらなる売上に向かって奮闘しているのです。


活動の規模が大きくなれば、むしろ問題が増えています。

たしかに生活の快適さはお金で買えますが、マインドの質は変わりません。

人生の舞台装置が豪華になっても、そこで繰り広げられるドラマは同じなのです。

言っていること解りますか。



もしあなたが、自分の人生はこれ以上よくならないということを認めることができたら、それは自分への最高のプレゼントになります。

不毛の繰り返しから抜け出ることに関心を持つからです。

それが六道からの解脱です。


六道とはマインドが作り出す世界であり、きわめて多くの人がこの夢の中にいます。


夜見る夢も同じで、やっぱり六道の世界を繰り広げることになります。

だから心底幸せな夢を見ることは少ないのです。

夢の中で幸せだと思っても、それは夢の中で夢を見ているからであり、時間の問題で落下していきます。


阿修羅、人間、畜生、餓鬼、地獄

もう十分です。

この無限の繰り返しから抜け出る知恵に出会ったとしたら、それは何万年もの時間の節約になることでしょう。


開経偈はそのことを言っています。


無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)

百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)

願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)



根底からの救いをもたらす、この上なく深い仏の教えには

永遠の時を経ても出会うことは難しいことです

でもいま私は、その教えを受けることができました

この真の意味を理解したいと心から願います




これは本当の話で、それくらい私たちは六道のマインドの世界に取り込まれたまま、気の遠くなるような歳月を生きてきました。

もう十分だと思える人が増えてきたのが、この大変革の時代の本質だと思っています。


より良い夢を生きるためではなく、夢から覚めるために生きるのです。


いまがその時。








Posted by Toshiro Abe at 09:00│Comments(18)
この記事へのコメント
模察と申します。

六道を私なりの言葉で表現すると、"いまここ"の心模様です。
心模様には6パターン(天界、阿修羅、人間、畜生、餓鬼、地獄)あります。
でも、6パターンの複数が"いまここ"に同時に現れることはありません。
心が天界の時、阿修羅、人間、畜生、餓鬼、地獄は存在しません。
地獄が現れた時、天界は滅します。

心というのは、人間が創造した概念に過ぎず実体はありません。
6パターンの心模様が生じたり滅したりして、常に移り変わります。
心模様を"対象"として観察せず、生滅する様子を手放すと"楽"です。

誰しもの根幹は"楽"です。
根幹が"楽"だから、これ以上良くはならないのです。
根幹が"楽"であることを見失って、心模様を"対象"として取り扱ってばかりの様子のことを"輪廻"と称します。
Posted by 模察模察 at 2021年05月21日 09:48
外に向かって喜びを求め続けて
外の喜びが大きくなるほど
外の苦しみも大きくなります。

水面に高い波が出るほど低い波が出て
水面が激しく波立つように~~~

中に向かって安らぎを求め続けて
中の安らぎが大きくなるほど
外の苦しみと喜び両方が小さくなっていきます。

水面に高い波が出ないほど低い波が出なくて
水面が穏やかに平らになるように―――

常に平安な心、平常心が幸せの基本です―――
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年05月21日 10:01
  同じ意味で今以上よくなることはないって心底当たり前だと思えたら(思うこともないほど)一見そのときの状況が地獄の底にいるように見えても、どこか自由で安心だよね。自由って概念があてはまらない。自由さえもない。
Posted by ナッツ&コーヒー at 2021年05月21日 11:01
観念をカガミにうつして

遊んでるだけですもんね
Posted by あそびせんとや at 2021年05月21日 12:23
開経偈、知りませんでしたが、その通りですね♪
体験が起きた時、何をどう考えたら良いのか?全くわかりませんでした。
体験したままを口にしたら、頭がおかしくなった!と、周りの者を心配させてしまいました。
それ以来、これは通常の常識を持った人達には通じないと諦め、当時はネット社会ではなかったので、同じような体験をした人がいても、探しようもなく、また、体験を説明してくれそうな情報を探すこともできず、体験した世界のことは、心の中に封印して生きることにしました。
この世ではない世界を体験してしまったことは確かで、それを言葉で説明してくれるモノがあるとは、思ってもいませんでした。(仏教のイメージは、お寺とお坊さん、お葬式だけで、教えに触れる機会はありませんでした^^;)
オカルトや所謂スピリチュアル的な情報には、ファンタジーしか感じませんでしたので、起きた体験を説明してくれるモノではなく、興味は湧きませんでした。
しかし、それから何十年も経って、阿部さんのブログに出会い、目からウロコが落ちました!
阿部さんが、この世ではない世界を体験したことは、直ぐにわかりました(笑)
阿部さんのブログがきっかけとなり、その後は、怒涛の如く、必要な情報がやって来て、体験の説明をしてくれました。
主には、ウパニシャッドでしたが、仏教やヨーガの教えも、とても役に立ちました。
ドンピシャリな表現に出会うと、歓びが湧いて来ます♪
そうそう、そう!
言葉に変換すると(観念化すると)、そういうこと!
六道輪廻のことも、阿部さんのブログで知りました(笑)
マインドの世界?
あ〜人間界のことね、という具合に、体験の中に知識を落とし込んでいます♪
人間が、この世と言っているのは、エゴの世界のことなので、いろいろありますね。
六道は、感情、思考の世界なので、マインドを自分だと思っている限りは、そこから抜け出ることは難しいかもしれません。
誰もいませんし、何も起きていない、何もない世界を体験してしまうと、この世のリアリティは形骸化しますので、六道も形骸化してしまいます。
すべての形と名前の背後に、唯一の実在を見るので、物質界であるこの世は実質性を失い、夢の世界になります。
個我には、マーヤという魔術のような神の力が働いているので(その結果、錯覚が生じています)、リーラ(神の戯れ、幻想)を見て、それを現実だと思い込んでいますが、それは、目には見えない水蒸気が、冷えて固まると、氷になり、温めると、溶けてまた水蒸気になるように、霊的なエネルギーが物質化して、この世になっているというのがマーヤとリーラのカラクリで、実際には、この世に、実体はありません。

私たちは、本来は、霊的な存在であり、永遠の実在、永遠の純粋意識なのです。
ただ、そのことをすっかりと忘れてしまったために、この世に、この肉体と心に、完全に囚われてしまい、それらから抜け出せなくなっています。
肉体を離れるまでに、自分の本性を思い出した人は、本性である源に一直線に還って行くことができるでしょう。
しかし、自分は人間だと思って、肉体を離れると、また新たなに肉体を手に入れようとするというのが、輪廻転生という生と死の繰り返しの大まかな仕組みのようです。
仏教やヒンドゥー教、ジャイナ教では、この輪廻転生から抜け出る方法論を展開しています。
生きている間は、六道輪廻、死後も輪廻転生に束縛されている私たちにとって、唯一の救いは、解放(解脱)があることかもしれませんね。
あらゆる束縛からの解放へと至る道を説いてくれている教本があるのは、解放されたい個我にとっては、本当に有り難いことです。
釈迦だけではなく、私たちがあらゆる束縛から解放されるようにと、真理の言葉を遺して下さった多くの聖人たちに、心から感謝したいと思います♪
Posted by 自由への道 from M-online at 2021年05月21日 12:56
お葬式で何度となくこの開経偈を、意味も分からずに唱えてきたように思うけど、こんな意味だったとは!
人生を通して六道輪廻、今日という1日の中にも六道輪廻、一連の短い思考の中にもジェットコースターのように浮き沈みの思考が様々に浮かんできて、振り回されっぱなしの時があります。
外の風に吹かれたり、ほっとしたときなど、ふとした時突然、こういう輪廻のようなのから抜けてたりします。
Posted by shiro at 2021年05月21日 13:31
>「あなたの人生は、これ以上よくなりません」
を読んで、正直
「いやたまたま今苦しいけど、楽な時あったし、
 てことは楽になれるから。
 『この苦しいまま』が本当に続くだけならとっくに死んでますから」
と反発してました。

でも読ませて頂いてるのは、
「いったい『何』を言っているんだろう?」
という興味も湧くからです。

>たしかに生活の快適さはお金で買えますが、
↑こうなればそれだけで嬉しいですし、

>人生の舞台装置が豪華になっても、
↑こうなっても(まぁ自分の場合『豪華』ではなく『趣味のもの』ですが)
それだけで嬉しいですし、『その時々の経験を楽しむため』に
人生はあるのだと思えます。

>(前略)マインドの質は変わりません。
とか
>そこで繰り広げられるドラマは同じなのです。
とか思うのは、決まって『苦しい時』『だけ』です。
その時自分は、思い出すようにしています。
『その時々の経験を楽しむため』に人生はあるのだと
『思えていた』という『事実』を。

そう↑思い出してみると、今『苦しい』と『思い込んでいること』も、
ちょびっとくらいは『楽しめること』『楽と感じること』があるはず
と探す気になれて、事実、見つかります。
『苦しみ』も『様々の方向性』が『偏っているだけ』と気付けます。
『その偏り』という『誤解』に気付けるだけで楽になれたりします。
そのように気付けると、

>「あなたの人生は、これ以上よくなりません」

↑の言葉の意味がわかる気がします。

「なんだ、勝手に『苦しみ』に『偏ってしまっている』だけか。
 『そもそも良い』ところに。
 なら、確かに『それ以上良く』はならないね」

↑て感じには思います。
Posted by ただの「自分」 at 2021年05月21日 15:40
「あなたの人生は、これ以上よくなりません」

今まで何度も見たり聞いたりしていても、あまりよくわからなかったこの言葉の意味が、今回の阿部さんの説明でようやく腑に落ちたような気がします。

そういう意味だったんですね。

それなら、もうその通りだなと思います。

これで、ようやくスッキリしました(^^♪
Posted by ヨシヒロ at 2021年05月21日 15:48
阿部さん

深刻度3%くらいはいってますね(笑)


あの日、大笑いしたことを忘れないで下さい。


でも、見渡す限り、、、深刻のちょい上、真剣な人達にあふれていますね。


あはははは。人生の終りは誰もが爆笑ですよね。。。
Posted by AQU@ at 2021年05月21日 20:09
イイ❣️
相変わらずイイ❣️
あなたの人生、これ以上よくならないなんて❗️
そのように言いきってもらって、逆に清々しい気持ちになります。
やっぱ、私は変態か変人かも^_^
阿部さん、いつもありがとう
Posted by 花 at 2021年05月21日 20:23
こんばんわ、今日一日不毛の旅を終え、ここにたどり着きました。真理に向かうことそれで十分なのですが、何故立ちすくむ、何故。
Posted by makotoazuma at 2021年05月21日 20:45
『より良い夢を生きるためではなく、夢から覚めるために生きるのです。


いまがその時。』



夢から覚めるために生きるのです。


夢から覚めるために生きるのです。とは、、、


六道から抜ける為に生きるのです。ってこと?


仏の教えとは、六道を抜けることなのかな?


そのために、声聞の道に入るってことかな?


なんか、迷える霊(たましい)を、六道に墜ちてしまった霊を救い上げる道が示されてるように思えてきました。。



みんなやん(笑)


皆ともに~仏道を~成ぜんことを~♪


この世はリーラ(神々の遊戯)でありながら、救い上げる必要というか、リーラでありながら、救われたいという境地もありますかね。。ありますよね、おそらく。


夢から覚めるとは、いまに目覚める。としてもいいですか(^_^)
Posted by すずめ at 2021年05月21日 23:30
「私の人生は、これ以上良くならない」
これは…昨日の記事にそのまま繋がりますよね。

私たちはみな、既に満たされた「ひとり」だからですね。

あー、なんだかすごく、幸せだぁああっ!!!(笑)
Posted by キビタキ at 2021年05月21日 23:53
ラマナ・マハルシのこの言葉を読んだ時、神の深い慈愛を感じ、心から感謝の気持ちが湧きました。
六道輪廻や、生と死の繰り返しから脱することは、そう容易いことではないのは事実ですが、誠心誠意、心を込めて専心すれば、その願いが見過ごされることはない、ということなのでしょう。

真理を体得した優れた先人達から、知らない間に、数え切れない程多くの恩恵を受けていることを、心から感謝したいと思います♪

『狂人はサンスカーラ(生来の精神的傾向)にしがみつきますが、賢者はそうしません。
二人の違いはそれだけです。
真我の知識(ジニャーナ)は一種の狂気なのです。
教えを受けるにふさわしい時が来ると、彼の心はハートに沈み込もうとします。
そのとき、教えは一瞬にして作用し、彼は真我を実現するのです。
まだ機が熟していない場合は、必ずそこに葛藤があるでしょう。
マノーナーシャ、ジニャーナ、チッタエーカーグラター(心の消滅、知識、一意専心)はどれも同じことを意味しているのです。』(ラマナ・マハルシ)

そう簡単には手にできない宝に出逢った時の歓びは、何にも替え難いものです。

自灯明。

教えを頼りに、我が道を行き、永遠に変わらない宝を手にし、自由になりましょう♪
Posted by 自由への道 from M-online at 2021年05月22日 02:04
>六道とはマインドが作り出す世界であり、きわめて多くの人がこの夢の中にいます。

六つの世界は 私達が「想像できる世界」の全てであるという事ですね。
そして「いま」という「想像」から抜け出した世界は「想定外」という特徴があります。

恐れや心配は「想像(予想。予測)の中にあり」想定外は「恐れや心配の予測が<できない>」訳です。
だから 阿部さんのいう「心配いらない」「なるようになる」をもし「本当に信じてしまえば」
次に起きる事は縁起の法という絶対の真理において「想定外」しか起きない。

想定外は「六つに括られた世界」のいずれでもないわけで「新しい」「初めて」の世界です。
常に初めてを体験する(一期一会)時「解脱」という事です。

私達は「悟れない」「悟れる気がしない」と「想像する」じゃないですか?
でもその想定外が「悟る」となる訳ですよ。
Posted by まるまる at 2021年05月22日 06:43
いつもありがとうございます。

今朝は目が覚めて、サーっと降る雨の音と、部屋から見えるしっとりと濡れた森の景色と、鳥の鳴き声と、雨に洗われた気持ちのいい空気と、膝の上の猫の温かさと、おいしいコーヒー、そういうものがあって、静かで、これ以上のものはないという感覚がありました。
そこには昨日までのことも、やらなくてはいけないことも、何も関係なくて、ただ穏やかで満たされていました。
思考が起きそうになりましたが、それにも関わらないでただぼーっとした幸せな時間でした。
阿部さんがいつも仰っているあらゆる一切のものから手を引いて、ただいまにあるということだろうなと感じていました。
たぶん阿部さんからこのお話を何度も聞いていなかったら、その感覚に意識を留めずにすぐにまたマインドの世界に入っていっていたと思いますが、ただいまにあるということを知っていたのでしばらくそこに寛いでいられました。
瞑想状態とはまた違う、とても穏やかな時間でした。
そしてそこには確かに時間がなく、永遠だったような気がします。
今はまたこちらに戻ってきたのでこうしてお礼のメールを書かせていただいています。
いつも本当にありがとうございます。

その感覚のまま日常を過ごすことができるのか、みんながこの感覚で生きる社会はどのようなものになるのだろうと思いました。
Posted by いつもありがとうございます:) at 2021年05月22日 10:07
昨夜のサンガ講演ありがとうございました。
理不尽な人生を生きてきましたが心底救われました。
サンガは素晴らしいです。理屈ではなく真実が貫かれているのが解ります。

あらためてこの出会いに感謝しています。
早く居なくなりたかったのが、これからのマインドドラマさえ楽しみになってきました。
どうぞいつまでもお元気で私たちのそばにいてください。
Posted by mayumayu at 2021年05月22日 12:55
『より良い夢を生きるためではなく、夢から覚めるために生きるのです。』

こうして阿部さんのブログ等で
真実と出会い随分自分の中が変化しているのは感じます。
でもやはり多くの時間をマインドの中で過ごしがち。

上記の言葉
日に何度も何度も自分に言い聞かせたいです。
そして
「私の人生はこれ以上良くならない」
と言う言葉も。
Posted by Ann at 2021年05月23日 21:15
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