2021年03月31日

春爛漫

時代の大変化の行き先が、人々の人生観がひっくり返ることだったら面白い。

時間や分離という幻想を前提に作りだしていた物語を、みんなでやめてしまう。

そして、いかにいまを生きるか、それはめいめいに、いつも繋がっているという感覚をもたらしてくれる。

その実感は深い安心感につながっているから、人生がとても気楽になる。

優しくなって楽しくなる。

というような人生観にみんながシフトしてしまう。


誰もの人生が、戦いでも挑戦でも義務でもなく、安らぎと調和の機会になる。


AIやロボットやITの進化は、いまの我々の想像を超えた、まったく新しい文明をもたらすと思っています。

そこに人類の知性と洞察が加味されれば、人々の苦しみを最小限にする社会システムが構築されていることでしょう。


春爛漫


そのためにも、一人一人が、自分が何者なのかを思い出すこと。

本当は何の問題もないことを知っていくことです。


無明の混沌から、光の秩序へ。


そんな予感と期待を持っています。










Posted by Toshiro Abe at 10:28│Comments(28)
この記事へのコメント
創造の世界は、想像の世界でもあり、夢の世界でもありますね。

私たちに、認識が起きているからこそ、体験があり、喜怒哀楽があります。

多くの人の夢の実現の場、地球。

誰もが、心が描く夢の実現に向けて、地球生活を、心から楽しめると良いですね♪
Posted by 地球生活 from M-online at 2021年03月31日 10:48
光☆光☆
Posted by 甲賀忍者 at 2021年03月31日 11:06
肉体はたくさんあります。

「わたしは肉体だ」と感じるほど
宇宙全体との分離感が強くなり、孤独感が強くなり苦しみます→(>_<)←

「わたしは小さな肉体に閉じ込められている→←」と感じるほど
束縛感が強くなり苦しみます→(>_<)←

宇宙全体はひとつあります。

「わたしは宇宙全体だ」と感じるほど
宇宙全体との一体感が強くなり、安心感が強くなり安らぎます←(*´▽`*)→

「わたしは大きな宇宙全体に広がっている←→」と感じるほど
解放感が強くなり安らぎます←(*´▽`*)→

大きな宇宙全体との一体感は大きな解放感です◎

大きな宇宙全体との一体感は大きな安心感です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年03月31日 11:07
阿部さんは、日々、奴隷のように働いていないから、私達の日常の苦しさの半分くらいしか分かってないと思いますよ。

阿部さんの言葉で癒されて癒されて、また癒されて。

毎日、みんながここを訪れるのは少しでも奴隷生活を忘れたいから。


私達だって、吉野にこもって、桜見て、のんびり生きていたら笑顔、笑顔の毎日ですよ。

日中は食うために、奴隷やって、、、

阿部さんの言葉がちらついても、奴隷は続いていく。

実は、私も、ずっと瞑想やってます。

頭の中で、般若心経唱えながら。

現役を生きている人には、阿部さんの言葉が、涙が出るくらい嬉しいはずです。

この世は、地獄でしょうか⁉️

自死(リタイア)って駄目な事なんでしょうか⁉️

私は知らないうちに地球にいて、いずれは消えていく。

しかし、魂は永遠に、、、

残されたものは悲しむでしょうが、なにが正解かわからない。

自死した瞬間に「正解です!」ってコトバが飛んでくるかもしれない。

この世は、仕組まれています。

私達は、歯車のひとつ。
Posted by 近藤博文 at 2021年03月31日 11:36
阿部さん、こんにちは。自分は何者なのか。「本当は何の問題もない」

僕もこのことは最近気がついている様な気がします。

きっと今までも何のまちがいはなかったのでしょう。

そう思えろ事がうれしいです。
Posted by 永井新吾 at 2021年03月31日 11:52
『無明の混沌から、光の秩序へ。


そんな予感と期待を持っています。』



そうですか。。。


私も、その方向を見ていたいです。



これからも、一緒に旅をしていただけますか。(^_^)
Posted by おいも at 2021年03月31日 12:08
最近、
「本当は『良い』『悪い』、『光』『闇』、『善』『悪』とかすべてが、
 勝手にそのように決めているだけなんだなぁ。」
としみじみ思ってます。
すると、般若心経を思い出して、
「あ~、ひたすら言われてる『不』とか『無』とかは、
 やっぱり『否定』じゃなくて、『そこ』が全て、てことなんだなぁ~。」
と思いました。

今日の記事のようなことも、そういうところから始まってくるのでしょうか・・・・・
Posted by ただの「自分」 at 2021年03月31日 12:22
>無明の混沌から、光の秩序へ。

トランプとQ米軍がいまやっていますね。
もうすぐ。ワクワクしてます。も、
全体がしてる。ですね。
Posted by きなこ at 2021年03月31日 12:43
ただの「自分」さん

ひたすら『不』とか『無』とか言われてますねw
中身はまるっきり知りませんが、それだけが伝わってきますね(笑)
あると思ってるもの全て無いよ、「あなた」さえ無いよと言われている気がして清々しさを感じます。そこからなんでしょうかね。
共感所が似ている気がしました。違ってたらごめんなさい。
Posted by 美佳 at 2021年03月31日 14:21
>一人一人が、自分が何者なのかを思い出すこと。

・・・これね、たぶんハードルが高いと感じさせますよ。
思い出す・・・ということが記憶からでなく「場に在る」ことなので、瞑想でいけてます。
瞑想中に何も問題がなくなりますよね?誰もが。
そこでいいのだと、何故思えないのかが不思議ですよ(笑)
Posted by AQU@ at 2021年03月31日 17:31
いつもありがとうございます

ここ一年ほど精神世界と距離をおいて生活していました

病気やお金や将来の事など、問題ととらえれば問題なのかもしれません

持病も今のところ発症していない「今」を感じれば心は平安です

昔にくらべて「少しは賢くなったかなぁ」と思う時もあるのですが、すぐに不安や心配の波に飲み込まれる自分は「進歩なし」と落胆します

何となく「内側と外側に境界線はないよなぁ」とか「ならば、やっぱり自分はすべてなのかなぁ」なんてバクゼンと思う時もあります

ここに来ると皆さん覚醒されてるような感じがするので羨ましいかぎりです

たゆまない変化の中で今の自分が「まぁ、それでいいじゃん」と、言ってます

少し暗い世の中ですが、せめて自分の周りだけは笑いあるように生活したいと思います
Posted by さんとる at 2021年03月31日 17:53
こんばんわ、30年前を知るものからすれば、世の中間違いなく変わってます。このようなお話を伺うことが出来るのも奇跡です。皆さんいい時代に生きているのだと思います。
Posted by makotoazuma at 2021年03月31日 18:35
>無明の混沌から、光の秩序へ。

幻想から叡智へ

魚座の時代から水瓶座の時代にシフトするイメージが湧きます^_^
Posted by ロータス at 2021年03月31日 19:04
AQU@さん

非二元は役に立たないじゃないか、思う人と同じだと思いますよ。

瞑想から戻ると、現実に戻り、楽なのは瞑想してると時だけ、だと感じているからではないですかね。
その場合は、禅が教えが役に立つと思われます。
禅は、いまここ。

瞑想中は、どうしても光に包まれたりだとか、一種の恍惚状態で、現実とのギャップがありますが、禅には恍惚状態はないですよね…?
阿部さん、違いますでしょうか?
Posted by ロータス at 2021年03月31日 19:39
阿部さんの言葉に癒やされています。いつも、マイナスな、くだらない事を、考えている、自分がいます。自分は、宇宙全体エネルギーです。パワーがあります。プラスエネルギーに、変えられます。元気を出して、行ってきます。
Posted by ミンミ at 2021年03月31日 21:12
私は運良くこのブログにたどりついてもう2年以上になりますが、いっこうに心が苦しいままで覚醒ももちろんないしバリバリ義務の中で生きてて違和感を持ちながらもこの生活から抜け出せず・・何をやってんだか、と思いながらも非二元の関心はやむこともなく・・どうして私みたいなのが非二元に興味津々なのかが謎です。
Posted by ゆりこ at 2021年03月31日 21:28
色即是空はわかる。
空即是色って思えないんですよね。
そこが!って気がします。
Posted by 匿名希望 at 2021年03月31日 22:22
これまでと全く違う環境での生活を送ることになりました。最初は凄くショックでどうしようかと苦しんでいました。しかしその体験をたくさんの人が経験してきたことが解り、大分落ち着きました。まだ寛げる環境では無いですが少しずつ意識が変化してるのがわかります。自分がやってるのでなくやらなきゃどうしようもないなとある意味諦め意識が湧いてきてます。これからどうなるのか楽しんでみます。
Posted by 尚太郎 at 2021年03月31日 22:45
季節が巡って来ると、桜が咲き、タンポポが咲き、菜の花が咲き。。。

植物は、自ら咲こうとする「自己」がないにも拘わらず、その時が来れば、自然と開花します。
太陽光の日照時間など、ある一定の条件が揃えば、花は自然と咲くようになっています。

これは、自然現象であり、自然現象は、自然の中に内包している自然法則であるプログラムによって展開しています。

展開を意図し、コントロールしている「自己」は、いません。

それでは、動物はどうでしょうか?

動物は、植物と違い、自由意志があり、それにより、自分自身も対象物にも影響を与えたり、コントロールすることができる「自己」があるとされています。
しかし、一方で、自分に起こる現象も、すべて自然現象だと見ることもできます。
植物の生長の展開は、その植物の固有の種子の中のプログラムにあり、ある条件下で、プログラムの通りに、生長して行きます。

動物にも、植物と同じような種子があり、それは、DNAを担体とする遺伝子です。
肉体が、遺伝子の発現であることは、よく知られていますが、精神的、心理的傾向(ヴァーサナ)までもが、遺伝子によって決まっているということは、確証されてはいませんが、その可能性を示唆する研究報告はあるようです。

人には、一日に数え切れないほどの経験が起きています。
その中でも、特に、印象的だった出来事を記憶します。
つまり、ある人には、どうでもいいことが、ある人には、特に気になることであったり、ということは、日常ではよく起こることですが、ヨーガでは、その印象の違いは、その人に働いている精神的傾向、心理的傾向(ヴァーサナ)が起因である、と言われています。
思考や嗜好、志向、感情が起こるポイントなども、人により千差万別ですが、その人に働いている種子である精神的傾向、心理的傾向であるヴァーサナが異なるために、心の反応である感情や気分、そして行動としての現れに違いが生じます。
それらは、すべて自然現象であり、人においては、そのヴァーサナが、無意識では、そのまま顕現してしまうために、人生の展開(植物では生長)が、種子であるヴァーサナが色濃く反映されたものとなり、人の心は、同じような場面で、同じような体験をすることになり、同じような印象が、強く記憶に刻み込まれることになります。
これが、負の感情と結びつくと、トラウマになったり、心身に大きな影響を及ぼすようになり、その後の人生にフィードバックされ、ますます人生に影響を与えるようになります。

自分の心に湧き起こる感情や願望を丁寧に調べて見ると、ある傾向があることに気づきます。
そして、この精神的傾向、心理的傾向(ヴァーサナ)によって展開している人生は、自分が意図して生きているように本人は感じていても、実は、ヴァーサナによって自動的に起きている反応であるに過ぎないという見方もできるのです。
特にハッキリとした理由なく、過食、タバコやアルコール(時には、薬物)、嗜好品や、賭け事、快楽の耽溺、好き嫌いや善悪の基準、依存症、自己過大や自己過小など、ありとあらゆる心に起きることは、すべて「自分がしている」ようで、実は、先天的、生来の精神的傾向、心理的傾向であるヴァーサナの発現であるに過ぎず、その発現を、発現した瞬間に、後から認識するという脳の認知作用が起こるために、「自分がした」というという認識が起こり、この認識は脳に起きたにも拘わらず、その自動反応として起きた脳の認識と、「わたしがした」という認識のすり替えが自動的に起こるために、あたかも、脳内に「わたしという主体」が実在するかのような誤認識(錯覚)が、連鎖反応式に起こっているのですが、これは自然現象として起きているがために、「錯覚」そのものである「わたし」が、この「錯覚」の正体に気づくことはありません。

これは、精神作用として自然に起きていることなので、何がしらのアプローチなしに、自然に明らかになることはありません。

自然現象の仕組みは、これまで、科学という分析的、客観的な視点から、自然を解明していく姿勢の下で、明らかになって来たように、この世を体験している自分の心も、分析的、客観的視点から眺めて、初めて、その仕組みが明らかになるのです。

釈迦は、この心の仕組みを明らかにするアプローチにおいて、実に、示唆に富んだ啓示を後世に遺してくれました。

>そのためにも、一人一人が、自分が何者なのかを思い出すこと。

>本当は何の問題もないことを知っていくことです。

それには、先ず、現状の「自分」について、知ることです。
今の「自分」を知ることは、瞑想や黙想、内観の実践によって、もたらされます。
瞑想中に、特に頭の中に浮かんでくる思考や過去の感情があれば、それを自覚することで、サンスカーラ(潜在意識)に潜んでいる精神的傾向、心理的傾向(ヴァーサナ)を知ることができます。
自分に生じている心の傾向がわかると、対処方法がわかるようになり、必要な修正や書き換えが可能になります。(これは、とても重要です)

因果律が働いている世界観では、次の生を決定づけるのは、因であるサンスカーラ(潜在意識)だと、言われることがあります。

「自分」を知ることは、「自分」が何者であるかを思い出すことにつながっていきます。
偽の自己と真の自己の区別(識別智)がもたらされるには、「自分」だとしている者を、分析し、客観視することが、必要なのです。

両者に対する識別智が生じると、偽りの自己は、真の自己に、主の座を明け渡すことができるようになります。

>無明の混沌から、光の秩序へ。

無明(無知)から、光明(明知)の世界へ。

偽の自己から、真の自己へ。

これからも魂の旅は続きますが、「自分」を知ることで、肉体を超え、心を超えて、魂の源、自分の本当の源へと還って行きましょう♪
Posted by 魂の源への帰還の旅 from M-online at 2021年04月01日 00:09
トランプ大統領(です)が近々、世の全てを開示します。
全体がしてる事を、不埒な愛が明かされます。
春爛漫です。
楽しみにしておいて下さいく。
Posted by かるた at 2021年04月01日 08:34
阿部さんいつもありがとうございます。

近藤博文さんのコメントに同調して
メッセージを書いています。

僕は今、無職で貯金を崩しながら
生活していますが
そのお金も底を尽きかけて
毎日不安の中に生きています。

その不安から逃れるため阿部さんの
ブログを読んでいますが
一時、楽な気持ちになりますが
また元の不安に飲み込まれて
しまいます。

ハートマントラを伝授して頂き一年程
瞑想も続けてみましたが自分には
あまり効果が感じられませんでした。

100%自分が設定したシナリオとはいえ
この辛さに耐えかねて
死にたくなる時が多々あります。

それぞれが、それぞれの役割を生き
神がそれを体験したかったというのは
何となく分かりますが
もうこの辛い現実は勘弁してほしいです


ただここで自ら命を絶ってしまったら
また同じ事の繰り返し?
という事らしいので
この苦しみは今世で終わりにしようと
何とか生きている状態です。

この恵まれた日本に生まれて
生き辛さを感じる自分は
未熟すぎるとも思いますが
もうそろそろ、いい加減
世界から争いが無くなり環境問題や
動植物達との共存
全てとの調和が始まっても良いと
思のですが、やはりそんな世界は
訪れないのでしょうか?

最後に...
あまりにも上手くいかない現実に
つらつらと不満を吐いてしまい
すみませんでしたm(_ _)m

できれば皆さんの本音が聞いてみたいです。
Posted by jun at 2021年04月01日 23:15
私達は僅か数十年、制限のある色という世界を経験するために、わざわざ空から分離している。
あらゆるものは無常。
借り物の肉体が無くなれば空にもどるだけ。
もしかすると色でのあらゆる出来事は貴重な体験なのかもしれない。
遊園地のお化け屋敷、ジェットコースターなどのアトラクション。

色では、死んだほうがマシと思える程の辛い体験を沢山する。いや、空から分離して味わっている。

色では空のことは忘れていないと意味がない。

たくさん経験して、喜怒哀楽を味わい、空に帰る。

わざわざお化け屋敷に入ってるのに、あれは偽物とか隣で言われるのはどうかと、、、

遊園地に来て、怖いからと椅子に腰掛けたまま眼をつむっているなんてもったいない。

どんな事があろうと、いずれは空に帰るのだから何のための経験かは解らないが、たった数十年、ボロボロになってもいいんじゃないか。

阿部さんは、常に「大丈夫だから」と言っている。
私は、その言葉を信じている。

「何があっても大丈夫」

喜怒哀楽って人間にしかない。

振り返ると楽しいこともたくさんあった。

分離してなければ味わえない事って意外とたくさんある。

今も、人との関わりの中で、楽しいことがたくさんあるし、辛いこともたくさんある。

どうせ、一瞬の夢なら味わい尽くしても悪くないかな。

「大丈夫、大丈夫、!」
Posted by 近藤博文 at 2021年04月02日 00:27
もう30年くらいになります。
阿部さんと出会っていなかったらどんなに惨めな人生だったことか。最初に見た瞬間にこの人だと思った勘は確かでした。
その後立派な方たちが阿部さんの支持に回ったときやっと時代が来たと思った。
これからもご活躍を楽しみにしています。
Posted by さみだれ at 2021年04月02日 11:09
ロータスさん、そうでしょうね~。

>瞑想から戻ると、現実に戻り、楽なのは瞑想してる時だけ
・・・ですね。何故そうなるのか?

瞑想中にはないものが、現実にはあるからです。
それをなかなか、どけることができないので瞑想は瞑想。
現実は現実として認識していますよね。

何故、瞑想中が静寂で、何の問題意識も持ちようのない澄んだ空間が拡がるのか?
瞑想中にはないけど、現実には起きてくるものは何か?
起きているものは何か?何が違っているか?
答えは書きませんが、明らかです。

その答えを日常で排除したトキに、日常は瞑想の場と変わらずに佇んでいるだけですね。
Posted by AQU@ at 2021年04月02日 11:35
阿部さん

阿部さんは、引き寄せ創造の法則と言ってます。

本当に実感していることは、現象として出現するのですか?

勝手な推測ですが、junさんが一番知りたいのもそこじゃないですか。
いわゆる真理のメッセージを“自分に思い込ませようとする”ことには危険性が潜んでいますよね。

個々の具体的に細かなこと聞いていません。
つまり、心に喜びがあれば、現象に喜びを感じさせることが現れ、
心に安らぎがあれば、現象に安らぎを感じさせることが現れる。
どんな風に現れるかはわからないが、スクリーンに投影されたように現れる。

いまがどんな状況であっても、その法則性に希望を持っていいのですか?
誰もがそのことで確信を得て安心したいんじゃないですかね。
Posted by 匿名希望 at 2021年04月02日 17:58
junさん

>この恵まれた日本に生まれて
>生き辛さを感じる自分は
>未熟すぎるとも思いますが

そんなことはないと思います。
生き辛さも、人々それぞれで、
辛いものは辛いですから…(^^;;

>やはりそんな世界は
>訪れないのでしょうか?

これは、どこを見るかによって変わってくると思いますが、
私も、いい加減、皆、目を覚ましていいはず、と思っています(^^;

全員が目覚めなくても、ある一定数が気がつけば、集合意識に反映し、
その結果、この現実…当たり前だと思っていた常識も変わってくるかと思います。それが物理的にも反映していくのだと思っています。(もっとも、その前に、この現実は何かを知る…気がつく必要があるのだと思いますが…。)



AQU@さん

>答えは書きませんが、明らかです。

その答えを、瞑想中に得られるか、日常で得られるか…の違いは、人によって違うのでしょうね(^^;

お返事ありがとうございましたm(_ _)m
Posted by ロータス at 2021年04月02日 21:03
皆さん

貴重なご意見ありがとうございます!

今の苦しみは変わりませんが...

この不自由な制限された世界に
肉体を持って生まれた事
それは、実践する事だと思うので

辛い時は
時に休み
時に歩き
時に泣き
時に方便を使い
寿命まで時間を稼ぎながらでも
何とか生きてみようと思います。
Posted by jun at 2021年04月03日 14:07
人間はロボット?
https://www.nikkei.com/article/DGXBZO35846920U1A021C1000000/
Posted by 名無し at 2021年04月03日 23:23
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