2021年01月07日

いまを生きるための条件

いまを生きるというのは、いまのあるがままを受け入れるということ。

いまを否定し戦っていたら、いまにいることはできません。


いまあるがままを受け入れる。

難しく感じるのは、「受けいれる」という言葉のニュアンスにあるように思います。


受け入れるというのは、好きになるとか、許すとかとは違います。

好きだろうが嫌いだろうが、いまのあるがままを認めるだけです。

だっていまをどう判断し評価しようと、いまはいまのままだから。


まずはこの事実を受け入れましょう。

これが、いまを生きるための条件になります。



自我は、いまのあるがまま以外を求める傾向にあります。

これはある種の癖のようなもの。

長年の習慣です。


この習慣さえあるがままにあります(^^)


変な言い方ですが、まずはあるがままを認められない傾向を、あるがままに認めるところから始めましょう。


大丈夫。

この傾向はいずれ無くなっていきます。


ここで提案している内容は、多くの人がいままでやってこなかったことだから、すぐにできると思わないでください。

スポーツクラブに一回行っただけで体形が変わらないように、心の訓練も同じことです。


いまを生きるということが定着すると、人生は大きく変わり始めます。

僕が伝えてきたあらゆるメソッドは、すべてここに行き着きつく為のものです。


もしこのことに関心が持てればしめたもの。

急がば回れとはよく言ったもので、遠い道に見える地味な練習こそが、最も近道なのです。

誰にでもできることなので、勇気をもって進んでいきましょう。


いまを生きるための条件


話は変わりますが、伊勢神宮で感じたことがあります。

老若男女、大勢の人たちが本宮に向かって歩いているのを見た時です。


そこにいたすべての人から見えない「ヘソの緒」が、神様と繋がって上空に延びていました。

神様は我々の内側にも外側にもいるというイメージを持ちました。


究極的には内も外もないのですが、それでも肉体を持っている以上は内外両側に神様がいて、その両側で我々一人一人と繋がっているという感じです。

なんだか嬉しく思いました。

外見がどう見えようと、みんな同じように神様のアバターなのだと思いました。

全ての人の心が平穏でありますように。


・・・・・・


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Posted by Toshiro Abe at 09:30│Comments(14)
この記事へのコメント
なんとなくメールを覗いたら、ちょうど記事の更新のお知らせメールが届いていて、
そして、ちょうど最近、この記事のようなことを考えてました。
で、まず『何』を『受け入れる』かというのも、ちょうど

>変な言い方ですが、まずはあるがままを認められない傾向を、あるがままに認めるところから始めましょう。

このように↑思ってました。

「二の矢を受けず」という教えがありますが、
「常に二の矢を受けている」と思っとく方が良さそうだと思ったんです。
なんでって、そもそも「常に二の矢を受けている」から、
「二の矢を受けず」という教えができたんだろうと思うからです。

で、その『二の矢』とは何かって、

「他でもない『この自分自身』」

なんだろうな、と思っているところです。
ちなみに『一の矢』は身体感覚とかだろうと思ってます。
で、「他でもない『この自分自身』」が、身体感覚とかの『一の矢』を『認識して』、
認識したものをあーだこーだと『解釈して』、『苦しみ』とかになっている、
そう認められたり、気付かされると、
「あ。」て感じで『苦しみ』とかが解放されていくのは確かです。
Posted by ただの「自分」 at 2021年01月07日 09:46
「みんな神様のアバター」
最高の表現ですね!
Posted by 瞑想者 at 2021年01月07日 10:01
とても嬉しくなって思わずニコニコ☺してしまいました。
いつもありがとうございます。
この数年ほど阿部さんのブログを読んでいますが、最近の1年くらいは気分が下がりきることが少なくなっています。
たぶん少しずーつ洗脳、、、いや、☺夢に気付いたのかな?生きるという事に楽になったみたいです。
朝、天河さんの御札を見上げては感謝のような嬉しい有り難い気持ちが湧いてくる感じで。
Posted by うみそら at 2021年01月07日 10:09
「いつかどこかで幸せをつかむ↑」と遠くに向かって幸せを追いかけるほど↑
遠くに向かって幸せが逃げていきます→(>_<)←

幸せは追いかけるほど逃げていきます↑

「いまここで幸せを感じる↓」と自分の中心に向かって幸せを迎え入れるほど↓
自分の中心に向かって幸せがやって来ます←(*´▽`*)→

幸せは迎え入れるほどやって来ます↓

いま心から安らぐほど
自分も周りも安らいでいきます◎

←(*´▽`*)→←(*´▽`*)→←(*´▽`*)→
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年01月07日 11:04
毎日色々な事があります
仕事上での人間関係や自宅での母親との喧嘩

全ては、高次元の私が試している

日常で起こるあらゆることにどう対処するか

相手に対して同じステージに立ってやりあえばアウト

相手の攻撃をスルーできたらセーフ

今、私達は試されています

これからの時代にふさわしい人間かどうか

なにか嫌な事があったら、「あっ試されてる!」って思うようにしています

みなさんは、相田みつを氏を知ってますか?

「いま ここ 自分」
「その時になってみなけりゃわかんねぇ その場がきなけりゃわかんねぇ」

ずっと前から知っていた言葉

私が、阿部さんの講演会で「自営に失敗して食べれなくなればどうなる?」の質問に、阿部さんは「その時にになればとなりの人のものを取ってでも食べますよ」って言われました

「いまここ」「その時」

先の事はわかりません

私の体が失くなるまで、いまここ を生きていきます

有り難う

阿部さん
Posted by 近藤博文 at 2021年01月07日 11:39
受け入れる=いまのあるがままを認めるって、とても分かりやすいです。
無理をして好きになるとか、許すとかも含まれているって思っていました。
ただ認めると否定の前にワンクッション挟むので、色々と判断が出来て否定も改善に変わるなぁと、そんな風に思いました。
もちろん、以上!って強制終了する事も出来ますし♪
最近否定的に過ごす事が多く嫌な気分になる事も多かったので意識してみます。
ありがとうございました。
Posted by 風に乗るぽっぽ at 2021年01月07日 11:54
私たち人間が、「神」として拝んでいるのは、人間的な名前とお姿の「神様たち」です。
中には、動物の形をした「神様たち」もいますが。
日本の神社では、神道の神様たちを祀っていますし、お寺にも、仏教の神様が沢山いらっしゃいます。
キリスト教やイスラム教の神は、同じ唯一神ですが、言葉の違いから、呼び名は異なっており、偶像崇拝は禁じられていたのですが、キリスト教では、人々に唯一神について新しい教えを伝えたイエス・キリストを中心に、イエス・キリストを支えた人々が、神様のように礼拝されています。
このようにして、人間は、無形の神に、形と名前を与えて、拝んでいます。
神は、本来は、形も名前もありませんが、それでは、想起し拝みにくいので、今の形となったのでしょう。
人間が、名前と形に拘るのは仕方ありませんが、(それが人間という生物の習性なのでしょうから)そのことで、対立や分裂が起こるのは、本末転倒です。
何よりも興味深いことは、無形であるにも拘らず、名前が与えられているものが、いくつかあることです。
一般的には、"観念"と呼ばれていますが、感情などの喜怒哀楽、愛や平和、平安、慈悲、自由、束縛、有限、無限、幸福、不幸など。
それらは、目に見えるものではありませんが、私たち人間の共通認識、心の中にはあるので、名前がついたのでしょう。
言い換えると、それらの言葉(観念)が意味するものを、形が無いにも拘らず、私たちは"知っている"訳です。
「神」も同様で、多くの人の共通認識、心の中に、「神」はいらっしゃいます。
私たちは、無形の「神」に形と名前を与えて、拝む対象としていますが、それをしているのは人間だけで、他の生物はしません。
その理由は、人間は、潜在的に、「神」を知っているからとも言えます。
人間には、神を創り出すことはできませんし、無くすこともできません。
人間には、そんな力はありません。
それでは、何故、人間は神を知っているのか?
肉眼の目では、見たことがないのに?

この世は、物質の世界でありながら、人間は、この世界にあって、物質以外のものも見ています。
先程挙げた、観念も見ているのです。
幸せな人生、というのがその良い例です。
人間の中にあった目には見えないナニカが、対象として認識しやすいように「神」となり、名前と形を与えられました。
そして、今、私たち人間は、その名前と形を持ったナニカに向かって、手を合わせて拝んでいます。
こうして、「神」は、人間の心の中にも、外側の世界にもいらっしゃることになりましたが、いつの間にか、心の中の「神」は忘れ去られ、外側の神様だけが、拝まれるようになりました。 
形と名前の世界にあっては、その方が、人間にとっては、より実感があるからでしょう。
しかし、それでも尚、神社仏閣に、神様たちがいるように、人間の心の中にも、忘れ去られた「神」は、今も尚いらっしゃいます。

この世は、人間の心の反映とも言えるので、外側の神さまたちを拝んでいるのは、自分の心の中の神を拝んでいるのです。
人間に生じている意識は、神と人間を分離させてしまうので、人間にとっては、偶像崇拝は自然な成り行きなのでしょう。
それでも、"へその緒"でつながっているのなら、完全に分離している訳ではなく、私たちは、神の子ということになりますね。

この世は、リーラ、神の戯れ、神の子たちの世界でもあります。
神の子である人間を体験して楽しんだら、源である神へと還って行きましょう♪
Posted by 神の子 from M-online at 2021年01月07日 12:25
「話は変わりますが、昨日伊勢神宮で感じたことがあります。
老若男女、大勢の人たちが本宮に向かって歩いているのを見た時です。
そこにいたすべての人から見えない「ヘソの緒」が、神様と繋がって上空に延びていました。」

誰にも天地を垂直に貫いている中心軸があります  |

誰もが天地から心に光を受け取って光り輝いています申

誰もが中心軸がある光の回転体です申

申という字にしめすへんがつくと
神という字になります◎

神とは中心軸がある光の回転体です申

人々が伊勢神宮という神聖な地と天から光を
天地を貫く中心軸で受け取っているのを心で感じたのでしょうね申
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年01月07日 13:08
以前、わたしなるものを上から見ているような感覚になったことがあります。わたしなるものが勝手に人と話し、食事をし、歩いている、ただわたしなるものが起きているという感じ。
受け入れるも何もただそう起きている。阿部さんがよくただ事は起きていると仰るのがこういうことかなと思ったりしています。
そのときの感覚がどこかにあり、気楽でいられます。
Posted by 美佳 at 2021年01月07日 13:47
時間をとってじっくり読み込みたい記事ですね~(^^)


ああも言いたいこうも言いたい、ああいうことこういうこと様々な理解を伴った思考が湧いていろいろ解る感じで楽しい☆言葉にしたらそんな感じだけど全部は言い表せない☆なんか、瞬時にダウンロードみたいな感じで、阿部さんの話の醍醐味ってそこにある感じ?

阿部さんの話だけじゃない、あらゆる経験からなにか自分なりの理解が発生することが喜び、魂にとっては喜び、存在にとっての喜びなのかもしれません(^^)

もっとゆっくり生きて、こういう細かく感じていることを掘り下げたり向き合ったり共有することが出来たら、もっと楽しいし幸せだと思うわ~☆(^^)


・・・・・・・・・・

…とここで用事を済ませ、また改めて読ませていただいたのですが、すごく何て言うんだろう、阿部さんも書いている通り、日頃やり過ごしてしまっている部分に、意識的に着目しようぜ的な、

噛み締めるように読むと、すごく根幹の部分に踏み込む感じがするというか、

自分の感じていることを感じている通りに感じることもしないで忙しく生きてるってこと?かいな?笑

なんかそんな気がしてきた…だから、いままで着目してこなかったことみたいなことが書いてあったんじゃない?

で、そこを大事に扱って、丁寧に生きるって言うの?自分を大切に生きるって言うの?言葉にしたらそんな感じ?

でもこんな表現じゃ足りないくらい、そう多分もっと実感として理解したいのだと思う(^^)

じゃあ先生~(^^)/よろしくお願いします☆
Posted by おいも at 2021年01月07日 13:58
今期初めて禅サンガに参加する事にして、本当に良かったなぁって思ってます!

なかなかリアルタイムで参加出来てませんが、動画での阿部さんは勿論、香咲さん、阿さん、向さんの貴重なお話を夢中になって聴いています。
私が知りたい事はそれでしかないから。

今朝、阿部さんから初めて届いた奇跡のコースのミッションも嬉しいです!

ありがとうございます♪
Posted by はなこ at 2021年01月07日 14:42
風に乗るぽっぽさんのコメントを何回も繰り返し読む度、何故かしみじみ深い所から笑けてくるというか、笑っちゃいけないのに、何かが伝わってきて笑いが止まらなくなると言う不思議なコメントでした。
なんか元気貰えました。
ごめんなさい。とっても心に響くコメントだと思いました。
ありがとうございます。
Posted by モミの木 at 2021年01月07日 19:27
>外見がどう見えようと、みんな同じように神様のアバターなのだと思いました。

今日のおいちゃんはなんだか…キリストみたい!

(^o^)/

世界は一枚の鏡なので…

人間であると思っている間は、誰を見ても人間にしか見えないが、

ブッダなら、誰を見てもその人もまたブッダなのだとしか見えないわけですよねェ。。

ブッダ☆ブッダ☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2021年01月07日 22:19
皆様コメントありがとうございます。せっかくいただくコメントではありますが本文と関係ないコメントは不掲載にさせて頂いています。
今後も徹底してまいりますのでご理解のほどよろしくお願いいたします。
Posted by かんながらサポート at 2021年01月08日 00:17
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