2020年12月09日

「いまここ」と「かんながら」

「いまここ」という言葉にこだわり続けているけれど、この一言にすべてが含まれています。

僕が最初に出した本のタイトルが「いまここ」

このブログも一時は「いまここ」という名前で書いていました。



2冊目の本が「随(かんながら)神」

「かんながら」とは「いまここ」のing形。

いまここは生きているので、正確には「いまここing」となり、それが「かんながら」です。



ingを作っているのは誰でもありません。

あえて言えば全体であり神と呼ばれるもの。

したがって「かんながら」は「神ing」と言うこともできます。


あらゆる存在は「いまここ」にあり、それ以外の時も場もないのですが、人のマインドだけは決して「いまここ」にいることができません。


いまについて思考した瞬間、その思考は「いま」のことではなく「いまについて」のことになるからです。

そこには距離があります。



そうやって「いま」というリアリティから距離を持って離れた現実を人は生きることになります。

その現実を夢と呼んでいます。


マインドは、「いま」から離れて夢の世界に出ていったまま帰ってこない旅人のようです。

その旅がそのまま人生という物語になります。


「いまここ」と「かんながら」



旅人が「いま」に帰ってくることは稀ですが、帰ってみれば旅先で探していた宝のすべてが「ここ」にあったことを見つけます。


そのとき、彼方から声がします。

「おかえり」


真理への知識など必要ありません。

「ただ、いま」に帰るだけ。

「おかえり」



朝晩の瞑想の価値は計り知れません。

でも夢の中では、もっと大切なことがあるような気がしてしまうのです。


だからせめて週に一度は瞑想をしてもらおうと、オンラインの瞑想会を開いてきました。

NIKE瞑想のweb瞑想会も6年目になります。


今夜21時のアドレスは

https://youtu.be/3sl6UYIjfOc



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【ご連絡】

いままでに「ガネーシャマントラ」を受けた人で、今夜のガネーシャマントラフォローアップの案内が届いていない人は連絡下さい。

imadesk@nifty.com








Posted by Toshiro Abe at 11:02│Comments(0)
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