2020年01月28日

1月28日の記事

先日のWeb瞑想会でのチャットで、瞑想を始めると思考が湧いてくるというコメントがありました。

その時もお話ししましたが、思考が湧くのは瞑想を始めたからではなく、一両日中ずっと湧いているのを、瞑想することで初めてその現象に気づいただけです。



思考は夢のようなもの。

人は眠っている時だけでなく、起きている時間なにをしていてもずっと夢を見続けています。

車の運転中も、歩行中も、仕事中も、食事をしている時も・・・


そして睡眠中はその夢がよりはっきり見えます。

ちょうど映画館で館内が暗くなった時に映像がクリアに見えるのと同じです。


瞑想時にも同じようなことが起きます。

目を閉じて暗くなったので、映像(思考)をはっきりと見て取れたのです。


そして言います。

「瞑想を始めると思考が湧いてくる」



人は絶えず夢を見続けています。

その夢の構成要素が思考です。


人はいつも無意識に夢を見ていて、それが真理を見出すのを妨げています。

真理はいつもいまここに、あるがままの形でむき出しにありますが、夢がそれを直接見ることを妨げるのです。

真理の上に夢が投影され、何が訪れても夢によって解釈されてしまいます。



たとえば一人の女性がそばにいるとしましょう。

その女性はただあるがままにそこにいます。

でも人はその上に、自分本位の夢を重ねるのです。


「妻がいる」

というわけです。



女性の側も同じように夢を見ています。

「夫がいる」


そして二人の間に共有する夢が持ち運ばれていきます。



夢は最初はいいのですが、時間と共に悪夢になっていく話はしてきましたよね。

これは夢の宿命のようなものです。



最初は互いに素敵な夢を相手に投影していました。


その夢が変わり始めた時は、理由を相手のせいにします。


「私は騙された。相手が本性を隠していたのだから」



1月28日の記事



これは完全に間違っています。

相手がだましていたのではなく、互いに相手の周りに夢を投影していただけのことです。


やがて別れて、違う人に夢を見ます。


「この人なら大丈夫だ。今度こそ本当のパートナーに巡り合えた」

そうやって同じことが繰り返されていくのです。



このことは男女間だけでなく、ありとあらゆる事象に対してやっていることです。

これが惨めさの正体です。


解決方法は、まずは自分が夢の中を生きていることを知ること。

そして夢を投影せずに、あるがままの真実を生きることです。


違う言い方をすれば、思考と同化して生きるのをやめてみる。

せめて一日の内の数分間でいいから、無心の時間を作ることです。


これが瞑想や坐禅の存在理由の一つです。







Posted by Toshiro Abe at 08:07│Comments(28)
この記事へのコメント
無常の現象(五感と想念)を認識している自分は常に存在しています。

無常の現象に巻き込まれるほど
常に存在している自分を見失っていき、苦しくなります→(>_<)←

無常の現象から常に存在している自分に向かうほど
常に存在している自分を見出していき、楽になります←(*´▽`*)→

常に存在している自分とは胸の中心から宇宙全体に広がっている永遠の愛の光です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2020年01月28日 08:26
阿部さん、今日もblogをアップして下さってありがとうございます。
今日は、凄く腑に落ちました。今ここ。とにかく、なむびゃくだぎょう・・・。
Posted by とまと at 2020年01月28日 09:54
ほんとにね 阿部さんのいう通りだった
あーあーあーって
悪夢が夢から覚めるに繋がるんだから良く出来てるよね

それでも愛しいは湧くから素敵(^^)
そもそも誤解に誤解を重ねて誤解を続けさせる
結婚という制度、なくなると思うな
(ここでしか言えないけど())

ありがとう
Posted by とくめい at 2020年01月28日 10:21
>そして夢を投影せずに、あるがままの真実を生きることです。

旦那をみて「私の旦那だ」と認識しないで夫婦生活送れるんですか?
そういうことを言っているのではないようなきはしてるんですが。。。
Posted by りょう at 2020年01月28日 10:41
阿部さん、

毎回、愛のある気づきのメッセージをありがとうございます。

禅サンガの中で していただいてる、毎日のワークをすることで、
今までわからなかったことが、
どんどん、 腑に落ちて 剥がれていってます。

ミラクルです〜(^^)

と同時に、禅サンガの中の” 特別動画 阿吽の呼吸 十牛図の世界 ” を

今改めて見ると、すごくよくわかるようになりました。

本当にありがたいです。

ますます、生きるのが楽になってきています。

感謝です。
Posted by charo at 2020年01月28日 11:06
阿部さん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
数日前に阿部さんの過去ログを少し読み直ししました。
向さんの見性体験のお話が裏ブログにあって、それを読んでクックックって笑ってしまいました。飛行機が離陸するときのお話です。
阿部さんの数年前書かれたメッセージが
以前読んだ時とは違った感覚で明らかに入ってきました。

昨日、模察さんが書いてくれていた事がその通りだと納得できました。

完全に夢の中からメッセージを読み取っていたと思います。

今まで、すみませんでした。

それでも今日のメッセージもまた夢を通して解釈して読んでしまってる所もあります。それに気づけるようになっただけでも、ありがたいです。

阿部さんの書かれるメッセージは空即是色の配分がバッチグーで読んでいて楽しいです。

あきません。物語風が心地よいです。

家族との生活の中で暮らしてると阿部さんがメッセージに書いてくれてることが役にたってます。
「そう言うことだったのかあ」って、いま分かることもあって新鮮な驚きです。

いま気付いても、なんもかんも忘れてしまって、また色々やり合うかもしれないけど、それも安心して任せます。

次は何が起こるか分かりません。

ドキドキです。

瞑想します。

ありがとうございました。
Posted by すみません。 at 2020年01月28日 11:27
模察と申します。

高学歴、高収入、高身長のいわゆる3高世代です(笑)

いまは3高は古くて3優なんだそうですね。
家族に優しい、私だけに優しい、家計に優しい

3NO(ノー)というのもあるらしく、
暴力をしない、借金をしない、浮気をしない

はたまた"高"ではなく"4低"だと
低姿勢(家族に威張った態度をとらない)
低依存(家事や子育てを妻にまかせっきりにしない)
低リスク(リストラにあうリスクが少ない)
低燃費(無駄なお金をつかわない)


いつの時代でも、無条件の愛ではなく、条件付きの愛なんですね。
これでは少子化も止むなしですが、誰のせいでもないのですよね。
どんな条件を相手に付けるのも自由ですが、そんな人どこにも居ないのに...
Posted by 模察模察 at 2020年01月28日 11:50
阿部さんのブログは、

いいねボタンがあったら何度でも

押したいと思える記事ばかりですね。

いつもありがとうございます。
Posted by asunaroghA at 2020年01月28日 12:20
阿部さんのブログは、

いいねボタンがあったら何度でも

押したいと思える記事ばかりですね。

いつもありがとうございます。
Posted by asunaroghA at 2020年01月28日 12:20
心配を考える時間が多いと、心配があるがままの上に投影される気がしました。心配という画を投影して、それを通して無意識に相手をみたり、請求書をみたりしちゃってた。
だから、そのまんま心配したとおり現れるのかな、。
坐禅と瞑想の時間?をとり、少しでも心配と言う思考から解放された無心の時間?を設けてみます。

心配の思考からや、夫と言う役割からのフィルターを通して観てたら、それにすぐ気づけるようになれたらなと思います。

あるがままにみると、何も起きちゃいないっすね、。

阿部さんのブログを読んでて、まじ命びろい。、助かった。
何を考えてるかに気付いているといい感じ。
世界にまきこまれずにすんでます、。

でも、テレビであの感染のお話をずっと聞いていたら、
モヤモヤしだしたので、テレビのつけっぱなしもよくないなって思いました。

子供はニュースを聞いたり、YOUTUBUで恐い話を観たり聴いたりさするのが好きみたいで、。

でも、阿部さんちの息子さんはゲーム三昧だったけど、阿部さんと智子さんの愛をちゃんと引き継いで存在していらっしゃるので、あまり心配せず子供と接していきたいです。

子供は子供で生きてく力があることを忘れないようにしたいと思います。

いつもごじゃごじゃ、すみません。

失礼いたしました。

ばいばいきんである。

そろそろ、高校生が帰ってくる。

郵便で~すって帰ってくる。

ゴロゴロ寝てても

文句も言わず笑ってる子供に感謝です。
Posted by すみません。 at 2020年01月28日 12:21
阿部さん毎日ブログ書いてくれてありがとうございます。
無心の時間とります。
Posted by すみません。 at 2020年01月28日 12:24
「あるがままの真実を生きること」とは「あるがままを認めること」です。

それは瞑想がもたらしてくれます。
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2020年01月28日 12:24
https://ayukablog.wordpress.com/2017/12/14/「この世は幻想」の二つの意味、二つの夢♪/

『自分とは起きていて、起きていないことの目撃者であって、同時にその幻想そのもの。

まずは、自分の心が生み出した夢から目覚め、そして、今度は自分という夢から目覚める』


『私たちは二つの夢を見ていて、一つは自分の投影の夢。それぞれ違ったユニークな夢。

そして、もう一つは“個の自分がいる”という夢。それは人類に共通した夢。

でも、まずは自分の夢から目覚めてみるのも悪くないですよね♪』

by溝口あゆかさん
Posted by ともこ at 2020年01月28日 12:58
今日の記事、『思考』だけでなく、どうやら『感覚』もそうだったらしい、と
つい最近気付きました。

自分の・・・『肉体感覚さん』、ずーっと、不思議がってたんですよ。
「どうして、こうバランスが悪いんだろう?」
「どうして、硬いんだろう??」
そして『精神感覚さん』も、不思議がってたんですよ。
「どうして、こう緊張感が続くんだろう?」
・・・・・・・・・・
いつの間にか、そう不思議がることも、『感覚さん』たちは、忘れてしまってました。
「こんなもんだろう」
って。

でも、気付いてしまいました。
「そもそも、『根本的』に、体が『ゆるみきった状態』を『知らない』かも?」
だって『この体』、知らないうちに作られて、知らないうちにいろんなDNA的な?
『仕様』が組み込まれていて、知らないうちにいろんな『概念』とか吸収していって、
「その『仕様』だか『概念』だかで『この体』を使ってるだけじゃん?
 てことはさ、『体本来の能力』は、実は『知らない』んじゃね?」
という『可能性』に、気付いてしまった感じなんです、『感覚さん』がっっ!!!!!

「こんなもんだろう」もなにも、最初っから『知らない』。『この体』の『本来の能力』を。
『この体』の『本来の能力』を知らないまま、使ってるんです、『この体』を。
「こんなもんだろう」という『夢』を見続けながら。

そう気付いて以降、 なんと言うか、『感覚を隔てる膜』?みたいなものが
無くなった、そんな感じがしています。
よりダイレクトに、生き生きと感じられるようになったと言うか・・・
薄汚れためがねを外して、ピントが合う範囲を眺めた時の、形や色彩の
生き生きさを感じた際の感動に近いと書くと、わかる人にはわかるでしょうか。

これでも、数年前に、『ありのまま』なんて何一つ『見えていない』という
『無明』には気付いていたつもりだったんですけどね。
なので、なるべく『考えようとする』以前に、素直に感じ、認めて受け入れる
在り方を意識していたんですが、
まさかその『感覚自身』が『無明』に気付いてなかったとは想像もしてませんでした(汗
ほんと、「なにひとつ『知らない』」んですね・・・・・。
『知らない』という言葉が指し示すところに、やっと気付けた・・・気がします。
Posted by ただの「自分」 at 2020年01月28日 13:45
ずいぶん昔に読んだ本の中に、ある僧がほうきで庭を掃き掃除している時に、小石が竹に当たってカーンと音が鳴ったのを聞いて大悟したと書いてありました。

当時は何で音を聞いただけで悟れるのか不思議で不思議でたまりませんでした。
今でも正直謎です(・・?)
瞑想中や坐禅中ではなく、全体とひとつになって自分がなくなったとゆー訳でもなく、音を聞いてってねぇ…(*_*)


阿部さんや、最近見始めた金森さんのブログを読んでいると、なんとなくわかりそうな気がするのだけどやっぱわからない…!
この僧はあるがままの真実に気付いたということなんでしようか。

言葉で表現するのは難しいのかもしれませんが、わかる方がいらっしゃれば教えて頂けませんか?
Posted by グレース at 2020年01月28日 14:12
今日の記事は、ZENサンガのメールレッスンと同じことかなと思いました。

レッスンをした直後は思考停止状態になり、何も背負っていない感覚で軽くて嬉しくなります。



今日の記事を読み、コメントも読んでいたら同じお名前の方がいらしたので、次回以降は改名いたします。
とりあえず、阿部さん、皆様、いままでお世話になりました!
Posted by りょう at 2020年01月28日 14:43
確かに瞑想を始めるまでは、自分が四六時中ものを考えてることに気付いていませんでした。

目の前のものに勝手に反応してぐるぐると悩みだす・・・

今は反応してしまっても気づくようになりましたが、こんなことを四六時中やってたら、そりゃ人生が混乱しますよね。
Posted by taka at 2020年01月28日 14:55
思考は、ただ自然と湧いて来る雲のよう。

湧いて来た瞬間は、その形(思考)を認識できるけれでも、消えてしまうと、どんな形(思考)だったか?直ぐに忘れてしまう。

いつまでも同じ形で在り続ける雲が無いように、思考もいつまでも湧いたところにその形で在り続けることはできない。
次から次へと湧き上がっては消えて行く雲のように、思考も次から次へと湧き上がっては消えて行く。

その様子を静かに観察していると、思考がポッ、ポッと湧き上がる空間のような広々したスペースがあり、それはまるで、雲と大空のような関係に似ている。

その空間は、思考という雲の影響を受けることなく、心の最奥にいつも在り、まるで大海原の海底のように、静かで不動の領域のようで、大空のようにどこまでも広がっている自由な空間(スペース=場)のようだ。

瞑想して、何が楽しいか、何が心地好いかと言うと、(個人的には)この広大で不変の空間(スペース=場)に触れ、そこに留まり、そこで寛ぐことができることだ。

昔も今も、人間なら誰一人例外なく、心の最奥の領域は、何にも影響を受けず、今この瞬間だけに存在するこの自由で歓びに満ちたスペース(場)だけなのだろうと思う。
このスペース(場)からすべてが、自動で湧いて来る。
それを私たちの心がキャッチし、心の中に心象を形成し、やがて中には外界に形となって現れるモノもある。

この世界を体験しているのは、私たちの心なのだが、この心を通して、心の最奥の領域につながることができる。
今この瞬間も、私たちが心を通して外側の領域を体験しているのは、誰でも異論がない当たり前の常識だが、一方、心を通して内側の領域も体験できるということは、あまり知られていない。

外側の世界と心をつないでいる糸のようなセンサーは太いので、外界を感じ取ることは簡単だが、内側の世界と心をつないでいる糸のようなセンサーはかなり細いので、心の最奥の領域を感じ取ることは外界ほど容易ではないが、訓練によりその糸が太くなり、その結果、内側の領域を感じ取ることは可能となる。

そして、心の最奥のスペースは、個人的な領域ではなく、何も起きていない永遠不変の唯一の場であり、瞑想はそこにつながることができる人間だけに開示されている唯一の糸なのだと思う。

この最奥の領域に留まることで、いろいろなことが見えてくる。
一つには、何度も何度もそこに留まることで、物事の表面を覆って真実を見えなくしている余計なモノが何であるか?が、自ずと明らかになり、いろいろな洞察や気づきが自動で起きてくること。

内側の世界がどんな世界なのか?頭で理解しようとするのではなく、自らの感覚を通して掴むには、瞑想が一番ダイレクトで、誰にでも開かれている道だと思う。
Posted by 瞑想のススメ at 2020年01月28日 17:50
語る→( ´ ▽ ` )←
 聞かない( ̄▽ ̄)
  懲りない( * ? )
    New3K…か(ロ-口阿)

Before
いいトコしか見せない男子と
  いいトコしか見えない女子
After
それに慣れてしまった男子と
 アバターもエクボが終わった女子

相手ではなく
 恋に恋しちゃったんだ♪←たぶん
気づいてないでShow?チェリー♪
諸図星あたる←うる星やつだ
Posted by Ciel at 2020年01月28日 18:02
一日数分の瞑想・・やってみます。
思考ちゃんがグルグルしそうですが・・。
少しでもクリアになれたらうれしいなあ。
出来そうなお仕事をさがしていて2.3月は少しアルバイトが入りました。
4月からの事務仕事の面接を声かけてくだる方がいて
受けてみようかなと思っていますがPCが苦手で特にエクセルが嫌いで
そのことをかんがえるとだんだんに気持ちが重くなります。。
瞑想して気持ちが楽になりたいです。
Posted by さつき姫 at 2020年01月28日 18:29
阿部さん

ブログのメッセージにいつも救われています。
ありがとうございます。
Posted by あまぐり at 2020年01月28日 21:25
この投影がやめられない!止まらない!
投影に次ぐ投影を重ね「重苦しい人生」を引きずっている、と絶賛錯覚中です。

そんな「重苦しい人生」の中にあっても阿部さん流奇跡のコースを実践すると
引きずっていたはずのお馴染みの重苦しさは何処へやら?「プププッ」とズッコケてしまいます^ - ^

そのようにあらわれているだけ!
こ、これが命!!←お笑い芸人さん風で!

湧き立つ命に乾杯したくなりますね^_^
Posted by きみこ at 2020年01月28日 21:45
ただ在るがままに観ようと意識していると、不思議と感謝の念が湧いてきます。
目の前のすべてが在ってくれてありがとうと思えます。
Posted by はなこ at 2020年01月28日 22:58
未使用の能力を使う
 自らに知的制限を課した人は
  知性より感情に重点を置いた
目の不自由な人は
  文字が読めない
   代わりに音を観る
聴力に制限を課した人の
 耳は聴く事がない
  代わりに身体が聴く
使うと決めたら開きます( ̄▽ ̄)
Posted by Ciel at 2020年01月28日 23:38
グレースさん
>この僧はあるがままの真実に気付いたということなんでしようか。

文中の気づきは 真実ではなく 真理を悟った瞬間を表しています。
一瞥の類ではなく お釈迦様の「無字の公案」が解けた所です。
文字通り「何も書かれていない問いを解き明かす」訳ですが、これは クロスワードパズル方式で解いていきます。
タテの1の問いは ノーヒント(無字)ですが タテ2 タテ3・・ヨコ1 ヨコ2・・の問いには ヒントがあり、他のマスを埋め終えると「タテ1の空欄」は自然と埋まっている というものです。

「小石の当たる音を聞いてや枯れ葉が落ちるのを見て」等は 他のマスを埋めた時「問い無き答えが導かれ、浮かび上がった様子」と捉えるとわかりやすいかと思います。
一見無関係な事、その全てが「真理(ことわり・理由)を解き明かす為のヒントになっている」訳です。
真実は解くものではありませんが 真理は解けるので 修行僧は 修行しています♪
Posted by まるまる at 2020年01月29日 06:12
>解決方法は、まずは自分が夢の中を生きていることを知ること。
>そして夢を投影せずに、あるがままの真実を生きることです。
>違う言い方をすれば、思考と同化して生きるのをやめてみる。
>せめて一日の内の数分間でいいから、無心の時間を作ることです。

・・・膨大な?真理知識を手に入れた?と、思いきや・・・結局は↑こうした行為?に、頼らざるを得ない状況です(笑)・・・何か、大いなる肩すかしをくらったようなwww。

なるほど、人生はうまくできていて、これしかないという場面が起きてくるものだと、思いました。一番ショック?なのは、やる気さえも自分にはどうしようもないということでした(笑)とさ。
Posted by チームtheドラゴン at 2020年01月29日 10:11
グレースさん

模察と申します。

僧侶が竹藪のそばで掃除をしてた時、飛んだ小石が竹に当たる「カーン!」という音で悟ったという話ですね。
掃除をしている時、僧侶は自分を忘れ、時間も場所も消え、無意識(無想無心)でした。
突然の「カーン!」という音で、僧侶は「アッ!」と意識が戻った。
以上が、この状況の僧侶の心の様子です。

無意識→意識と心の様子が変わることをキッカケに、無意識の状態が本当の自己(本来の面目、全体、仏も同じ意味です)であることをスッキリハッキリと確信したのです。

お釈迦様が明けの明星で大悟されたのも、明星がキッカケで無意識→意識と心の様子が変わったからです。
何がキッカケで起こるかは誰にもわかりません。
坐禅や瞑想で、無想無心で五感だけを感じると、何かをキッカケに確信が起こります。

でも、これもあくまで理屈なので忘れてください。
作為的に起こせることではありませんので。
Posted by 模察模察 at 2020年01月29日 10:54
変化・・・・・

今の派遣先が、ここ数年、何故か今更、

・数字重視でガッチガチの管理体制になってきている。
 指示を出すリーダーすら、「こう決まったから」としか言えず、
 皆して首を捻っている。

・お客様からのお問合せ窓口が、ガッチガチの自動音声ガイダンス化。
 それも、べつにご高齢でも電話機操作が苦手で無くても、
 お客様の混乱やご不満が続出するようなガイダンスと操作方法。
 指示を出すリーダーすら(以下同文

そんな中自分は何を買い被られてかリーダーに推薦されましたが、
おかしいと思ったことをおかしいと指摘した結果めでたく落選。
いやーほんと良かったです。リーダーになってたらきっと、心身が動作拒否を
起こしてました。
今はいつクビになってもいいと思いつつ、おかしいと感じることは
正直におかしいと言い、それでも、お客様のためにできる限りのことを
したいという意識を念頭に、この仕事を続けているところです。

そんな訳で、今と言うよりは、これからどうなってくのかに興味津々です(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2020年01月29日 18:42
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