2019年08月28日

人は死なない

来てくれてありがとう。







今日の話は中級者コースです。

解りにくいかもしれませんが、ざっと読んでみてください。


読んでも解らなければ、僕の文章がいまのあなたに合わないだけで、実際にはあなたはこの真理をご存知です。



ちょっと立ち止まってみましょう。

いままでやっていたことを横に置いて、何をするでもなくじっとしてみます。


いま何がありますか。


何が見えますか。


何か聞こえますか


身体に触れているものは何ですか?


何か考えていますか。


どんな感情ですか



いまあなたが認識している、外側内側のすべてがあなた自身です。


通常は、見たり聞いたりしているものは自分の外側にあって、考えや感情は内側にあると思っています。

でも実際には内側も外側もなく、あなたが意識できているもの全てがあなたなのです。


その意識は死んだ後にも残ります。


死と同時に、五感とマインドの機能は止まります。

それまでは五感とマインド(記憶や判断)を自分だと思っていましたが、それらが消えることで、自己からの解放が起きます。

そして形なき無限の純粋意識としてのあなたが残るのです。


いまもその純粋意識はあなたとして在ります。

繰り返しますが、見たり聞いたり考えたりしていることを認識している意識がそれです。


あなたはいまも、その純粋意識を感じています。

でもマインドが作り出すストーリーの登場人物が自分だと思ってしまっていて、その登場人物の自分を認識している本当の自分を忘れてしまったのです。

ちょうど人生という映画に登場していた主人公を自分だと思ってしまって、映画を見ている本当の自分を忘れてしまったのと同じです。


人は死なない


死ぬときはそれらのストーリーが消えますが、それが消えたからといって本当のあなたは影響されることなくあり続けます。

余計なものが無くなった分、あなたはもっと強くあなたを感じることでしょう。


これが「人は死なない」と言われていることの意味です。



なんだかよく解らない文章でしたね。


解らないとしても、それは僕の表現力の問題であって気にすることありません。

だってあなたはこのことを知っているのだから。



そんなわけで、










Posted by Toshiro Abe at 10:07│Comments(20)
この記事へのコメント
大切な存在が亡くなったとき、安堵感に包まれるのは、このことです。

悲しみや寂しさよりも強烈にそれは在ります。

「人は死なない」

このことを私達は知っているのです。

阿部さん、大切なメッセージをありがとうございます。
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2019年08月28日 10:21
>人は死なない

素の意識は消えようがないですね。今もそうですし、肉体が無くなれば、その故郷を思い出しますね、阿部さんのように肉体を持ったままに思い出す人は「稀」でしょう。ですが、私達の存在は稀でもないし、神に到達することでもありませんw

肉体意識の道化に生きて気が付けることは「稀」でしょう。
・・・そのことは人としての優劣には「無関係」ではありますが、人の社会にとっての「力」となることは間違いないでしょう。

そんなひとりに私もなりたいと、記事を読んで思いました。
Posted by チームtheドラゴン at 2019年08月28日 10:31
連投申訳ありません。「稀」という認識を「さきがけ」に変えます。
つまり近未来においては、総ての人の意識が「すべてをわかって」生きる時代となっていくのでしょう。こちらでの学びや情報の吸収は「その前段階」の役割であると認識しております。
Posted by チームtheドラゴン at 2019年08月28日 10:40
映画のスクリーンとスピーカーは
肉体の外にあります。

肉体の外にあるものは
「これはわたしが認識している対象だから、わたしではない」と気づくことは簡単です。

五感と想念が展開されている脳は
肉体の中にあります。

肉体の中にあるものは
「これはわたしが認識している対象だから、わたしではない」と気づくことは困難です。

頭蓋骨の中にある脳から
胸の中にある光に向かい続けていると
胸の中にある光が強くなっていき、存在感を増していきます。

脳の中の五感と想念より
胸の中の光の存在感が大きくなっていくと
「脳の中の五感と想念はわたしが認識している対象だから、わたしではない」と気づけるようになります。

「わたしは胸の中にある永遠の光だ」と実感できるようになります◎
「わたしの肉体や脳は死ぬが、わたしは永遠の光だから死なない」と実感できるようになります◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年08月28日 10:46
 おはようございます。
今日も有難う御座います。
Posted by たかやん at 2019年08月28日 11:10
"中級者コース"に反応してしまいました〜(笑)
記事の内容によって、初級、中級、上級という難易度をつけるなんて、ホント、阿部さんて、面白いですよね〜(笑)
しかし、確かに、今日の記事は難しいかも?^^;
となると、上級者コースは、どんな内容になるのかな?
今度、上級者コースも紹介して下さい。
とても、勉強になります(^^)/
Posted by 聴講生 at 2019年08月28日 11:13
質問ですが、

>いまあなたが認識している、外側内側のすべてがあなた自身です。
これは、その時々で五感やマインドで認識『できていない』ことも含むでしょうか?
それとも、その時々で五感やマインドで認識『できない』ものは、
そもそも、その瞬間は『存在していない』のでしょうか?
五感やマインドで認識『できる』『できない』関係無く、
『存在している、外側内側のすべて』が『あなた自身』だとわかりやすいのですが。

>繰り返しますが、見たり聞いたり考えたりしていることを認識している意識がそれです。
これは、五感やマインドで『認識できる内容』が『それ』でしょうか?
それとも、五感やマインドで『認識する内容』は関係無く、
五感やマインドで『認識できる』ということ『そのもの』が『それ』でしょうか。
後者だと、そうなんだろうなぁ、と思います。
Posted by ただの「自分」 at 2019年08月28日 12:31
あべさま

こんにちは。

>でも実際には内側も外側もなく、あなたが意識できているもの全てがあなたなのです

>その登場人物の自分を認識している本当の自分を忘れてしまったのです。


>死ぬときはそれらのストーリーが消えますが、それが消えたからといって本当のあなたは影響されることなくあり続けます。余計なものが無くなった分、あなたはもっと強くあなたを感じることでしょう。

なーるほど!
本日のメモメモ^^

それにしても あべさんの文章力!

今日もありがとうございます。
Posted by じゅんちゃん at 2019年08月28日 12:52
死んだ後、"わたし"はもっと強く"わたし"を感じる?

同じ"わたし"でも、self(自我)じゃなくてSelf(真我)のことを指しているのかしらん?
だって、人間の脳の働きが停止したら、感じることは不可能なはずだから。。

などと、???なメッセージをあれこれ頭で考えられるのも、人間だから!

今この瞬間を楽しみます♪
難問をありがとうございます(^^)
Posted by ありがとうございます♪ at 2019年08月28日 14:03
中級者向けというかもう知識でおっかける内容じゃない気がする
むしろ分かった気になったら余計あかん気が

坐れば解かるし読んだって知識になるだけで解らない

僕は、って言葉いいかわからないけど僕はわからないけど坐っていると考えや意思と思っていることさえ自動操縦であると解かる時節がある
それが阿部さんのいってることなのかも知れないが気付くとまたわかっていない、もしくは分かった気になれるだけの僕に戻る

そんな感じ だから坐る というか何もしない そしたら解かるというかそれしか解らない

いつもありがとうございます
Posted by 匿名 at 2019年08月28日 14:12
実は、この話が大好きです!

お通夜並びに告別式に参列しても、自分だけは不死身ではないか?人の死を他人事のように感じているのです。

誰もが、心の奥の奥でそうだと気が付いているのだと思います。

目が覚めると、両手を見るのが癖になって、手だけではなく身体って凄いな~完璧だ~と飽きもせず感心しているのです。

後ろを振り向くと、一緒に暮らしているうさぎ君がウインクをしました。
眠たいだけなのかもしれませんね
Posted by TOMO at 2019年08月28日 18:08
>通常は、見たり聞いたりしているものは自分の外側にあって、考えや感情は内側にあると思っています。

おぉ~(*´ー`*)
Posted by ともこ at 2019年08月28日 18:33
そうですね。ハンディキャップレースをしているわけですね。
Posted by Lone Ranger at 2019年08月28日 19:22
ん〜…

なぜ、わざわざ違う言い回しをするのだろうと不親切さを感じてしまいました。

逆に混乱を招く気がします

批判ではなく感想です
Posted by maru at 2019年08月28日 21:10
いつも、いいお話をきかせていただきありがとうございます。死んだ、鳥の羽根が、あるはずもないところにおちていて。動物も、死なないのでしょうか?
Posted by さしすせそ。 at 2019年08月28日 21:13
人間にとって、特に「私」という個人にとっては、死は重大な関心事ですが、
見方を少し変えると、死もこの世界におけるひとつの現象と言えますね。

すべての現象は、真我の中で起きている幻(夢)のようなもので、顕れては消えていく幻影。。。ただ、それだけ。

よって、真我においては、あらゆる物質の消滅、生命体の生も死も、ただの夢。

しかし、本当の私は、消滅を繰り返す顕れを超えた永遠の実在。

「私は心と世界という現象を超越した真我である」
Posted by I am that I am at 2019年08月28日 23:35
あ、同じ名前の方が。 まぁ、かぶりやすい名前ですしね。さん、付けようかな。
このことは、思考で理解だけはめっちゃしているつもりだけど、ただ体感足らず。瞑想は、ただリラックスできたとき、そこを感じている気がする^^ 理解がすごく入ってきているので、やっぱり阿部さんが日々綴ってくれるのは、大きいです。安心や気づき。 ありがとうございます(^-^)
Posted by maru at 2019年08月29日 01:17
二年前、大切な人が目の前で急死するのを体験してから
生きていることの不確かさで
足元がゆらぎ
この世の見え方が変わってしまいました。
生と死、その境界はなんなのか、
大切な人はどこに行ったのか、
私は死んだらどうなるのか、
そんなことばかりを考えている日々でした。

その頃、こちらのブログを見つけ、
「人は死なない」という言葉に
救いを感じたように思います。

それでも、
大切な人の
肉体を含め、自我をも私は愛していたので、
それが失われてしまったことは
やはりとても淋しいです。

私が肉体を離れる時に
大切な人と一体であったと知るのでしょうか。
今、知れたらと思います。
それで少しでも淋しさが減るのなら。
Posted by オカン at 2019年08月29日 02:29
この現実が映画なら、永遠に死なない映画もありということですね。その映画をどうやったら観れるかは知りませんが。
Posted by びばちゃん at 2019年08月29日 16:51
目の前にいるから愛せるし、目の前にいるから会話ができるし、行動も共にできて、しっかりと相手の存在を実感し、確認もできますね。
肉体の破棄と共にカタチある愛すべき人から「実感と在るべき姿」が消え去ります。

想いは我が身に残り、それ以外はどこにも観えなくなります。
一瞬の実体を経験するが為に生まれて、生きて、久遠に帰すのが「いのち」ではないでしょうか?
Posted by チームtheドラゴン at 2019年08月30日 07:38
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