2019年06月03日

前後を断ち切る

来てくれてありがとう。







昨日、向禅師が天河神社の講話の中で話していたこと。


「人生の全ては、この一呼吸にあり」


まさにいま呼吸をしている、これだけが真実。


次の呼吸のことは分からない。


いまのこの呼吸だけがリアルな人生であり、これ以外はすべて思考が作りだした仮の世界の話だ。


前後裁断


昨日と明日を断ち切って、今日一日を生きる。

一瞬前と一瞬後を断ち切って、いまこの瞬間を生きる。


あーじゃ、こーじゃの考えにハマることなく、いまこの一呼吸を生きたとしたら、その時、問題はどこにあるだろう。


いまを生きよう。


いまを強烈に生きよう。


強烈に生きられないのは、性格でも年齢でも環境でもない。

単に、いつもエネルギーがダダ漏れしているから余力が残されていないだけ。


あーじゃ、こーじゃの思考こそが、エネルギーを漏らしている張本人だ。


このような生き方を

有漏路(うろじ)と言う。


一方、この一呼吸を生きる生き方を

無漏路(むろじ)と言う。


この一呼吸に全身全霊が投入されているのでエネルギーの漏れがない。


前後を断ち切る



だからいざという瞬間が来たときは、いつだって対応するだけの力を温存している。

それを知っているから、先のことをいたずらに心配したり不安がることもない。


不安や心配は、あーじゃこーじゃの思いの中にしかないのだから、有漏路から無漏路にシフトした時、「何でも来い」の心境になれるのだ。



一休禅師はこのことをそのまま歌に残している。


そしてこの歌が、一休という名前の由来だと言われている。



有漏路より無漏路に帰る

一休み

雨降らば降れ 風吹かば吹け




今日一日、考えの世界に暮らすのは止めよう。


無漏路の世界で一休みだ。



「人生の全ては、この一呼吸にあり」


これによって、後悔(過去)も心配(未来)も一瞬にして消えてしまう。



理屈はいらない。


まさに、この一呼吸を生きるのみ。



知識としてでなく実践が大切だ。


このような生き方に馴染んでくれば、生きることは容易くなってくる。


何ごとも習慣から。


その習慣を修業と呼ぶ。


こういう修業は楽しいし、人生がスムーズになってくるからやりがいがある。



今日一日、このことを何回思い出せるだろうか。


「人生の全ては、この一呼吸にあり」
















Posted by Toshiro Abe at 09:15│Comments(22)
この記事へのコメント
ありがとうございます。
Posted by アーサー at 2019年06月03日 09:41
無漏路、してみます(^人^)
Posted by フローレント at 2019年06月03日 09:44
「心を感じながら息を吸おう、心を感じながら息を吐こう」と修習する。
「心を喜ばせながら息を吸おう、心を喜ばせながら息を吐こう」と修習する。
「心を集中しながら息を吸おう、心を集中しながら息を吐こう」と修習する。
「心を解放しながら息を吸おう、心を解放しながら息を吐こう」と修習する。

~ 仏陀の言葉 原始仏典「アーナパーナサティ・スッタ」より ~

「これは苦しみである」とあるがままに知る。
「これは苦しみの生起である」とあるがままに知る。
「これは苦しみの滅尽である」とあるがあままに知る。
「これは苦しみの滅尽に至る道である」とあるがままに知る。

「これは漏れである」とあるがままに知る。
「これは漏れの生起である」とあるがままに知る。
「これは漏れの滅尽である」とあるがままに知る。
「これは漏れの滅尽に至る道である」とあるがままに知る。

~ 仏陀の言葉 原始仏典「沙門果経 サーマンニャパラ・スッタ」より ~
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年06月03日 09:47
阿部さん、いつもありがとうございます。
最近、私宛て?というようなブログが続いていて感謝です。
成人した子供たちが小さかった賑やかな頃のこと、生前の母の笑顔、引っ越す前の暮らし、さまざまな過去が切なくて、思い出すたびに涙が出ます。
今目の前の鮮やかな新緑、野の花、小鳥のさえずり、さわやかな風に幸せを感じようとしても、過去に引きずり込まれてしまうのです。
失ったものから、今あるものに意識のフォーカスを変える…修行が必要ですね。
今日は何度もこの記事を読み返すことにします。
Posted by あまがえる at 2019年06月03日 10:05
お釈迦様につぎのような逸話がある。

「人生の長さがどのくらいあるか、お前達は知っているか?」

あるとき、お釈迦様が弟子たちにこう尋ねた。

「五十年くらいでしょうか」

弟子のひとりがこう答えると、お釈迦様は首を振った。

「では、四十年くらいですか」

別の弟子がそう言うと、お釈迦者はまた首を振った。

弟子たちは「三十年」「二十年」「十年」「一年」と答えていき、
さいごに「一時間」と答えてもお釈迦様はまだ首をタテにふらない。

そしておもむろにこう言った。

「一呼吸の間である」

http://www.ishiki-level.com/shakyamuni1.htm
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年06月03日 10:09
模察と申します。

人生とは、オギャーと泣きながら最初の一呼吸から、臨終間際の最後の一呼吸まで。
人として生きているとは、まさに呼吸のことですよね。

雨が降ることは決まってます。雨が止むことも決まってます。
しかし、人は「いつ雨が止むの?」、「どこで雨が降るの?」と時間と場所(距離)に思いを馳せて心配します。
雨が降るのも止むのもあるがままなのに....

呼吸することは決まってます。呼吸が止まることも決まってます。
しかし、人は「いつ呼吸が止まるの?」、「どこで呼吸が止まるの?」と時間と場所(距離)に思いを馳せて心配します。
息を吸ったり吐いたりするのもあるがままなのに....

人生のストーリーがどんな中身であろうが、雨も呼吸もあるがまま。
雨も呼吸も生そのもの。
なのに、あるがままの生を無視して、あぁでもないこぉでもないと頭の中をいつもフル稼働させて、いまここを生きてない。

仕事している時でも、勉強している時でも、家事をしている時でも、常に呼吸に気付いているよう、今日も修行に精進して参ります。
Posted by 模察模察 at 2019年06月03日 10:20
理屈はいらない…
人生のすべてはこの一呼吸にあり…
…はいっ!!
Posted by ハル at 2019年06月03日 10:54
以心伝心のような、メッセージでした。

お蔭様さまです。

仕事上の問題がさき程までありましたが、

こちらを読んで迷いが消え即行動をして
迷いから抜けられました。

ありがとうございます。
Posted by たけした at 2019年06月03日 11:20
天河にいる阿部さんへ、

夜明けを伝える鳥のさえずりさえない東京砂漠で生きてます。
東京砂漠ですっかり一呼吸を見失ってました。

思いっきり一呼吸に意識を向けたい。
すーハー思いっきりしたい!
阿部さん達、いいなあ。
天河で。

東京砂漠で一呼吸の大切さ噛みしめてます。
Posted by 東京砂漠 at 2019年06月03日 12:24
ゆっくり呼吸、気持ちいいよね♪


アーシングも最高よ~♡

土や砂や岩の上を裸足で歩くの。

一体感がたまらない(≧▽≦)
Posted by えんじぇる at 2019年06月03日 12:29
前後裁断して、一呼吸して、今すぐにでも天河へ行きた~い。

干からびて、死にそうです。(笑)
Posted by 東京砂漠 at 2019年06月03日 12:43
>雨降らば降れ 風吹かば吹け


阿部さん、これって、やけっぱちの意味じゃないですよね。

どっちかってえと、内側の信頼の中に在る状態なのかな?

外側に何が起きてたって、内側は安心の中ってことなのかな。

ずっと今まで、雨降らば降れ 風吹かば吹けの意味を
思いっきり体当たりすることなんだと間違って捉えてました。

今日初めてそれは違うって気づきました。

それだけで収穫あり。
Posted by たあこ at 2019年06月03日 13:21
前後断ち切って、一呼吸したら、あら、びっくり。
何もないやんけ。
明日の自分と周りを信頼してなかったんやな、きっと。
何をあんなに四苦八苦して悩んでたのか。
今となっては意味分かりません。
Posted by しょうこ at 2019年06月03日 13:47
ダダもれでした~。
修業!
Posted by つきよ at 2019年06月03日 14:52
呼吸を感じていれば、澄み渡ります。
状況、環境、名前が吹っ飛びます。
本当に一日のなかでどれだけ呼吸を思い出せるかですね。
Posted by 風 at 2019年06月03日 15:11
あーじゃこーじゃ失礼します。

さっき、侮辱されました。
人って表面的に捉えて人を判断して結論を下す。
それでもって、どちら側も自分側が正しいと思ってる。
表面的に捉えてるのはどちらもこちらもそうである。
相手が勝手に判断して放った言葉に傷つき落ち込みました。
こんな時どうすればいいのだろう。
>今日一日、考えの世界に暮らすのは止めよう。
>無漏路の世界で一休みだ。

何もなくて平穏無事が理想だけど、
それも長くは続かない。
だから隠りたくなる。
何かあると大騒ぎしてあーだこーだで振り回される。

『人生の全ては、この一呼吸にあり』

はい!ありがたい!一呼吸から素直に始めます。
Posted by 一清 at 2019年06月03日 17:06
>知識としてでなく実践が大切だ。

一呼吸しても、あっと言う間に
思考に持ってかれます。
繰り返しの実践ですね!
やるしかない。

ひとーつー、ふたーつー、みっーつー、

・・・・理屈こねました。
Posted by トヨタ at 2019年06月03日 17:30
いつも読ませて頂いてます(最近は特に、このブログにご縁があったことが、本当に不思議で奇跡的なことだと感じています)。
正直言って、理屈はわかったと思えても、なかなかそれを生きることができないのでしょっちゅう歯がゆい思いをしていますが、そういうことはさて置いて、今日のは特にわかりやすかったです(結局、エネルギーがダダ漏れしているから生きることがしんどくなっちゃってるんでしょうね)。
また、これからも参考にさせて頂いて、少しでも本当の意味で楽になりたいと思っています。
Posted by ヨシヒロ at 2019年06月03日 18:19
たぶんですが、「呼吸は普通にしてるけど?」とか思う人が
多いんじゃないかと思うのですが、そういうことではないですよね。

自分の場合だと、うっかりすると、呼吸を『感じていない』んですよ。
気付いて呼吸に意識を向けると、最初は『口の中だけ』しか感じられてないです。
息を吐きながら、口から喉にかけてを意識することで、
初めて喉を吐く息が通り抜けていくのを感じることができたりします。

日頃より呼吸が大事と思っている自分ですが、
それでも、日常的に呼吸を『感じて』いないんです。
その時、代わりに感じているのは、思考や感情等の『重さ』です。
その重さに気付いて、呼吸から起こるエネルギーで癒そうとし続けていると、
うまくいくとしばらくは、呼吸も含めて『眺めている』状態になり、

>この一呼吸に全身全霊が投入されているのでエネルギーの漏れがない。

>だからいざという瞬間が来たときは、いつだって対応するだけの力を温存している。

と書かれていることも、確かにそうだと思えます。

ぶっちゃけ、思考や感情にハマるくらい、呼吸にハマれれば、
この記事の通りになると思います。
自分も、対症療法だけではなく、常にその状態で在るように
意識してみようと思います。
Posted by ただの「自分」 at 2019年06月03日 18:50
ほんとに長い間、有漏路を生きてきた

あ~じゃこうじゃの思考ばかりで、行ったり来たりー
エネルギーの無駄遣いばかり。

いまを生きる、知識としては解っていたが、実践出来ていなかった
少しは実践しているつもりになっていたが、何かあると又戻っている、
の繰り返し。

少しずつでもいまこの瞬間を生きる、
という事を意識して行動していたら、
最近、少しは解ってきたのかなとも思える

あまり考えずに直感で行動しているのに、物事がスムーズに運び、何故かミラクルが多くなってきた

「人生の全てはこの一呼吸にあり
知識としてではなく実践が大切」

今日のこの言葉、ピッタリきました!
(^-^)
Posted by かっこ at 2019年06月03日 23:22
はいー!(返事だけはいい。笑)
エネルギーをダダ漏れにして(普段の生活)、また天河でチャージしている、
みたいなことを以前、仰っていたか書いておられましたね。
有漏路 無漏路。このことを言っていたんですね。 なるほど^ ^。
Posted by ばくすい at 2019年06月06日 15:16
「人生の全てはその一呼吸にあり」
ありがとうございます。
Posted by アフェクシァンアフェクシァン at 2019年06月06日 20:06
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