2019年04月13日

怖れと指輪

来てくれてありがとう。







サガリバナさんからの質問

ある会への奉仕活動が生活を圧迫するのでやめたいのですが、

本当に悪いことが起きたらと思うとやめられません。

古参の人たちも私を思って言ってくれる気持ちが伝わるのでどうしていいかわからない。

やめたいのが自我の判断の場合どれくらい悪いことが起きるのでしょうか。それは家族や子供にも及びますか。




最近は少なくなりましたが、同じような質問を何度か受けたことがあります。

いまあなたの身に何が起きているのかもよくわかりました。


以前ここに書いたショートストーリーを思い出したので、再掲してみますね。

同じようなことで悩んでいる人にも役立つかもしれません。


以下のような話です。


・・・・・・・・・・・・


幼い男の子が毎日、外で遊ぶことに夢中で、日が暮れた後も家に帰ろうとせず、両親はいつも心配していました。

そこで町で評判の霊能者のもとに相談に行きました。


霊能者は言いました。

「その子を私のところに連れてきなさい。もう夜まで遊ぶことがないようにしてあげよう」


両親は喜んで、さっそく息子を連れていきました。


霊能者は子供に向って、とつとつと怖い話を始めました。

夜になって日が落ちると、外には口の裂けた幽霊が出没して、背後から人を襲い、むしゃむしゃと食べてしまうと。


それを聞いた男の子は、その日以来、日があるうちに家に帰るようになりました。

両親はたいそう喜びました。


怖れと指輪



時が経ち、その子は成人し、仕事を持つようになりました。

とてもまじめな男に成長し、周囲も大きな期待を寄せていました。


しかし問題が一つありました。

それは、どんなに仕事が忙しくても、日暮れ時になると仕事を放りだしてさっさと家に帰ってしまう事でした。

なぜなら、彼は口が裂けた幽霊が怖かったからです。


年老いた両親は心配して、また霊能者のところに連れて行きました。

すると霊能者は、自分の名前を彫った指輪を授けました。

これを身に付けて、三度私(霊能者)の名前を念じれば、けっして幽霊に会うことはないと告げました。


成人した男はその指輪のおかげで夜も外出できるようになりました。

それ以降、幽霊に一度も会わなかったことから、男は霊能者と魔法の指輪への信仰心を篤くしていきました。


・・・・・・・・・


偽物の教えは、いったん相手に恐れを抱かせて、その恐れを緩和する方法を授けます。

魔法の指輪と正しい祈り方がそれです。


本物の教えは、幽霊などいないことを教えます。



これをしなければ罰が当たる。

あれをしたら地獄に落ちる。

そんな情報が古今東西伝えられてきています。


でも恐れることはありません。

だいじょうぶ、何も起きないから。

何かが起きるとしたら、自分がそうなると信じて、その結果を引き寄せただけです。


心からの祈りは美しいものですが、恐れからの祈りは、恐れている迷信を強化するだけです。

思考が現実を創り出しているのです。。



いまの環境が負担に感じたら自己犠牲は止めて、義務的な活動から身を引きましょう。


この話はサガリバナさんだけでなく、意外に多くの人が違う形でやっていたりします。


何が真実で、何が刷り込まれた拘束なのか。


自分にも似たようなことがないか調べてみましょう。












・・・・・・・・・・・



【お知らせ】


東京瞑想伝授

4月20日

詳細はコチラから



東京ソロ講演会

4月21日

お申し込みはコチラから









Posted by Toshiro Abe at 10:10│Comments(21)
この記事へのコメント
今日の記事に関連して…
ある日突然、「神様は絶対にバチなど当てないし、罰など課さない。」と思うようになりました。何故か理由はわかりませんが。
Posted by ムジャ at 2019年04月13日 10:31
心が外側に向かって散らばるほど
心が外側にある無常の苦しみと無常の喜びを体験します。
心が頭の中の無常の五感と想念に巻き込まれます→(>_<)←

心が内側に向かって集中するほど
心が内側にある永遠の平和を体験します。
心が頭の中の無常の五感と想念から解放されます←(*´▽`*)→

心がもともと内側にある永遠の平和を体験します。

外側には無常という現実があります。
内側には永遠という真実があります。
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年04月13日 11:08
>何が真実で、何が刷り込まれた拘束なのか。

クゥ~かっくいい(。>д<)

ある意味全てかな(^^)刷り込まれたの♪
お陰さまでこの世界の豊かである分別が身に付いた(^-^)

今そこに、気づいて感謝と喜びと生は生でしかない事(^^)生を授けてもらえてる事に合掌です!

>自分にも似たようなことがないか調べてみましょう。

はいっっ(≧∇≦)/
Posted by ともこ at 2019年04月13日 11:18
子育ても、気を付けなきゃですね。

ついつい脅すような言い方してしまいます。。
Posted by はなこ at 2019年04月13日 12:03
でも、このショートストーリーもめでたしめでたしですね。
結果的に誰も不幸になってないので。
もしかして、何か『オチ』がありますか?
結局その霊能者の『手口』に気付いて、霊能者は詐欺まがいで逮捕されたり、
その男も霊能者を「とんでもない奴だ」と、一生恨み続けたとか・・・・・
て、そんなの誰も幸せになってないですね(笑)

彼の人生は、これで良かった。
そして、このショートストーリーを読んで、そんなの信じる必要無いとか
安心できたら、それでもいいですし。

『どっちだっていい』ですよね(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2019年04月13日 12:20
霊能者のお話、霊能者の言葉を信じていると、霊能者に振り回されてしまうんだなぁと感じました(そのまま?…笑)

また、何か霊能者に言われたら、それを信じるんだろ?この男性はと。
そういうことが自分自身にも起きているわけで、
よく目を凝らして、自分の本当の気持ちを掴んでいかないとですね!
ヤハハハーイ
Posted by 薄茶色 at 2019年04月13日 13:53
クリーック!!
してから来ました!!

「お前は信心深く徳に篤いから商売繁盛家内安全子孫繁栄諸々やってやろう」
「お前は性懲りもなく悪行の数々、死んだら豚の肛門にしてやっからな!(©久住昌之)」
どっちにしろ、そういうことをする「誰か」がいて、その「誰か」は「その私」というものがあることが前提。
こういうことは「私と私以外」の世界があってこそですね。
「私が私と思っているもの」と「それ以外」の世界。
そのカラクリを思うと、天譴もバチも因縁も、「私」が作りだすものだなあ、と思うようになりました。
Posted by 南部鉄瓶 at 2019年04月13日 14:29
>この話はサガリバナさんだけでなく、意外に多くの人が違う形でやっていたりします。

いじめも
ブラック企業の問題もそうですね

学校いかないと一生困るぞ!
お前なんかどこも雇ってくれないぞ!

親、同僚、先生に上司
おためごかしな言霊使いたち

責任?義務?義理?
三十六計逃げるに如かず
逃げましょう。着の身着のまま
さよならなんて言わなくてもいいんです。
Posted by そこ笑うとこ at 2019年04月13日 14:56
長年同じような状況でしたのでわかります。そこをやめるのはとても恐ろしいことだと思って、やめた人のことをみんな「あの人は変になった」と言ってましたが、ただただそこの霊能者の先生から離れるのが怖かっただけでした。
離れても大丈夫だし、何があっても大丈夫だとわかることの方が大切ですね。
阿部さんのブログは、多岐に渡って色んなテーマに触れてくれるので、大好きです!
Posted by めちゃくちゃわかる! at 2019年04月13日 15:32
阿部さんこんにちは。

そしてサガリバナさん、こんにちは。

私も祖父母、両親が新興宗教をしておりましたので、子供のころから
何の疑いも無く参加してました。
言われるまま、素直に活動して来ました。
しかし色々ありまして数年前にきっぱり止めました。

実は私も悪い事が起きるのでは?とか
家族に不幸な事が起きたら?とか
やっぱり、細々でも続けようかな、とか
考えました。
神仏、信じる事は悪い事ではありません。
ただ、後ろから脅迫されているような信仰はいらない気がします。
(上手く言えずにすみませんが)

今はこれで良かったと、心底思っています。
貴方にとって都合の悪い事は大なり小なりやって来ると思います。
私はそれをいつまでも引きずらずに、
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ、せず
ジタバタと1回位で受け止められるように成りたいと思っています。
(実際出来るかは分かりませんが、、、)

お互い様前を向いて歩きましょう!!
桜は咲きましたか?
お元気で!
Posted by クック at 2019年04月13日 15:54
神は愛で実存なり。

エゴは恐れで幻想なり。
Posted by あき at 2019年04月13日 17:57
>いまの環境が負担に感じたら自己犠牲は止めて、義務的な活動から身を引きましょう。

仕事とか、いますぐは無理でも、

生きる極意
https://abetoshiro.ti-da.net/e11001365.html

>本当は、そうしようと決めている個人はいないのですが、我々は自分の選択のように思っています。

>であれば、どう起きてほしいかを作り出していく「つもり」で生きてみようというわけです。

>起きることしか起きないのなら、どう起きてほしいかを自分がコントロールしているつもりで生きてみる。

>本気で自分がコントロールしていると信じて疑わない人と、そのつもりで生きる人とは、生きる風味が違ってきます。

こんな感じで、少しでも余裕を持って生きられるといいですよね。
自分も、今の仕事にイロイロありますけど、
そのイロイロな中で、自分の理想も『できる範囲で』←ここがミソ(笑) 通しつつ、
『結果的に』お客様のお役に立てる・・・『つもり』で、なんとか続いてる感じです。
それすらできなくなったら辞める『つもり』でも居ますが、意外とそうならないようです。、
ということは、

>何かが起きるとしたら、自分がそうなると信じて、その結果を引き寄せただけです。

なんだかんだありつつも、『結果的に』お客様のお役に立てる・・・『つもり』が
できているし、叶い続けている、ってことですよね。
Posted by ただの「自分」 at 2019年04月13日 18:20
「やめたい」が内なる(本物の)声。

だから何も心配することなく、その声に従えば大丈夫です。

「でも…」の後に続く声は、自我(偽物)の声。

もし今、その一歩が踏み出せなくても、やめたいという気持ちがあれば、必ずそのタイミングがやって来ます。

焦らなくても大丈夫ですよ!
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2019年04月13日 20:37
前に阿部さんが講演会で「恐怖を煽るのが一番人を操りやすい」というようなことをお話されてて、印象に残ってます。
宗教や犯罪など大きなことだけじゃなくて、CMもって。
それからは自分の思考や行動が恐怖からのものでないかと振り返れるようになりました。
(それが恐怖からの選択だと思ってもどうにもならないこともありますが…)

何を選択しても、罰なんか当たりませんよ。
私も世間一般には罰当たりなこと、結構してるかもしれません。でも何も起こりません。嫌なこともいいことも、何もないこともある毎日です。

サガリバナさんが恐れから解放されますように。
Posted by はるねこ at 2019年04月13日 21:57
>夜になって日が落ちると、外には口の裂けた幽霊が出没して、背後から人を襲い、むしゃむしゃと食べてしまうと。

まずは、これがストーリーであることに気づく

そして、心を込めて皿を洗う!

皿を洗うことの三昧に入り、自我の自分が消えたなら

あなたはブッダさん

(^o^)/

禅☆禅☆

おめでとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2019年04月13日 22:19
コメントをアップしてくれただけでなくこうして取り上げてくださって感激しました。この物語も思い当たることがたくさんあり、どうしてここまでジャストするお話ができるのか、ただただ尊敬します。

会の幹部のみなさんは博識な方が多いのですが何かが違います。完全に心を売ってしまったみたいに。
このブログを最初から学んでみたいと思いました。

そしてみなさま、温かい励ましをありがとうございました。
ここを見つけてよかったです。
Posted by サガリバナ at 2019年04月13日 22:39
ちょっと長くなりますが、コメント2つ送らせてください。m(__)m


①『何が真実で、何が刷り込まれた拘束なのか。』


刷り込まれた拘束なんてめっちゃありますがね(^^)

えっと~えっと~、えっとととっと~笑

全部じゃない?\(^^)/


…と思ったけど、いや待てよとしばし考えました。


刷り込まれた拘束とは別に、生まれつきの拘束といえるようなものもある?

生まれつきの拘束とは、肉体的なこと。本能的なこと。

真理からすると全部が拘束になりそうだけど、肉体や思考があるお陰で、現象界の自由が謳歌出来る面もありそう。

生まれつきの拘束である肉体や思考があるお陰で様々な体験が出来る。でも、刷り込まれた拘束の中で生きるのは楽しくは感じないからね~。

やっぱり望みとしては刷り込まれた拘束に縛られずに自由にのびのびと生きた~い(^^)

それには、少しずつでも「のびのび」を導入出来たらいいのでしょうかね(^^)

ほんとはさ、暮らしのなかに「のびのび時間」がもっとあったらいいと思う(^^)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


②『いまの環境が負担に感じたら自己犠牲は止めて、義務的な活動から身を引きましょう。』


う~ん、そうしたい。つい最近も、暮らしの中に仕事があるって感じにしたいなと思った。それは仕事中心ではなく、あくまで暮らしが中心。みたいな。

それなのになぜ引き受けるかって、まだその感覚が通じる世間ではないと感じていることや、上司の恐怖感が伝わってくるからかな。。

上司である人物が、おそらくそのまた上から拘束されているのだろう。いわゆるピラミッド型社会?

それでも上下関係なく、みんなで助け合う姿を感じることが多いから、働きやすい環境だと思う。

でも、古い体制?ピラミッド型社会?を感じることもありますね。あとは私自身の怖れの気持ちもあると思う。
 
お金の仕組みや社会構造ってどうなっているのだろう?って、思うこともありますね~。


以上2つ、ありがとうございました☆


~追伸~

いずれにしても、戦争に費やす労力が無くなることと、理想社会の実現が繋がっていることなのでしょうか??
Posted by ようこ at 2019年04月13日 22:42
こんばんは!

天河神社に行ってまいりました。
行けたのが不思議なくらい、簡単ではありませんでした。

桜井駅に、白いコートを忘れた事に気が付きましたが、戻るとバスの時間に間に合わないので、置いて天河に向かいました。
何かに?試されてるような気持ちになりました。

橿原神宮前駅の乗り換えの時、前を走っている男性につられて走り、吉野行の電車に間に合うと、しばし過呼吸( ´ー`)フゥー...
下市口発の天河行バスの最終は13時20分(超満席)
トンネルの長さにも、道の狭さにも驚き、古き良き日本の風景・世界遺産登録の聖地でございます。

満開の桜と、天河大辨財天社の元、大きく深呼吸をしまして、静かに過ごさせて頂きました。古代文字のおみくじは(吉大番三十六第)よく見ると大吉?

天河を後にしまして、桜井駅でコートを受け取り、帰ってきました。

阿部さんにお礼を言わせて下さい!
ピンチになった時、流れを信頼し、他力本願、お任せが出来るようになったのは”かんながら”ブログのお陰であります。
ありがとうございました。
Posted by TOMO at 2019年04月14日 00:39
以前 子供と 話したことを 思い出しました

お墓掃除 を 頼んでも 喜んで 一人で せっせと

やってくれて、とても助かってる 末っ子ですが

先祖 崇拝を 怠ると バチが 当たるぞ って言う

おじいちゃんに ついて 彼が 放った 一言


お父さん お墓に 参らなかった からって

子孫を 恨んだり バチを 当てる ご先祖様 って

絶対に いないと思うけどね。って彼が 言った。

どうして? って聞いたら

バカバカしいよね、バチを当てる 祖先が 居るって

信じる人って、バチを 当てたい人でしょ?

僕は 何が 有ろうと 子孫の幸せは 応援するけど

バチなんか 絶対 当てないもんね。

流石 俺の子。

良い線いってるって 褒めてやった。
Posted by 神生粋流 at 2019年04月14日 01:16
うちの両親は熱心な創価学会信者で、自分も子供の頃から仏壇の前で正座して毎朝毎晩、勤行させられてました。本当は嫌で仕方なかったんですが、狂信的ともいえる両親でしたから、力がない子供にはどうする事もできず耐えるしかありません。ちなみに5歳ぐらいの時に一度だけ嫌だと伝えましたが、魔が来たとか言ってボコボコに殴られました。

反抗期を迎え、信じてないしやりたくないと伝えると、罰が当たるだの魔が来ただの死ぬかもしれないだのと、しつこく散々脅してきたので、血だらけになるまで文字通り半殺しというか、ボッコポコに殴り倒して仏壇も破壊。手足の骨、指、あばらも全部折り原型がなくなるほど親父の顔面を殴り続けたのを思い出します。

その後は当然罰も何もなく(あるわけねー)、むしろ彼らの方が罰当たったんじゃねーの?と思える生活と、あれだけ脅して偉そうに威張り散らしてた親父がヘコヘコと、まるで腫れ物に触るような扱いになって何か残念でしたが仕方ないですね。

どーゆー奴らが周りに居るか知りませんがビビる必要ゼロですよ。
やりたくないことは誰が何と言おうとやらなくていいですし、足引っ張る輩とは縁切った方がいいです。関わらないこと、これが一番。もしくは、「もっともっと関わりたいの」といった態度で、相手が本気で煙たがって嫌がるぐらいイチャモン付けておちょくって、こっちから徹底的に関わって関わって論破する!からかって殴らせて警察呼ぶのもよし。たいていの場合相手は逃げていきます。とにかく偽物で、100%大した奴らじゃないです。

恐怖を刷り込まれてコントロール効かないと思います。
今はただ怖いかもですが、勇気を振り絞る価値はあると思うので。
時間かけずに目をつぶって突っ切る感じ、何とでもなりますし後になって、「あの時何であんなことで真剣に悩んでたんやろ」てなりますよきっと。
Posted by Nobu at 2019年04月14日 03:00
人様に迷惑をかけちゃいけない って呪いがあるなあ

もうこれは取れない だって死のうか本気で考えて方法も考えてもそれが最初に浮かぶもの。。いまのとこと海に身投げが一番かけないと思ってる

生きることが迷惑をかけている現実 この呪いは確実に苦しい
でも呪いだから解けないのよね
Posted by 匿名 at 2019年04月14日 06:52
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。