2017年10月10日

天河神社

平成元年、神社に関心がなかった僕が、背中を押されるようにして天河神社に向かった。

正直に話せば、その時はこの社会で生きるのがほとほと嫌になっていた。

内側に大きな変化が生じてから4年が過ぎていて、その4年間は社会の中で活動しながらもいまと同じメッセージをことあるごとに人に伝えていた。

どうやったら「このメッセージ」を多くの人に届けられるかにしか関心がなく、バブル経済の真っただ中ということもあり投資してくれる人はいくらでもいて、そのお金を湯水のように使ってメッセージバンドを作ったんだけど、商業的には大失敗。


お金なんて所詮は人間界のものという考えは、現実面において通用しうるはずもなく、その責任としわ寄せが一気に襲い掛かってきていた。

自分のお金も使い果たし、明日をも知れぬ毎日が続いていたが、不思議と落ち着いていられたのは、やはり内なる気づきが大きかったと思う。

天河を訪れたのはそんなころだった。


山の中なのに、まるで海の底みたいで、いままでに感じたことがない静かなる優しい「気」を感じた。


できるだけ長く滞在したいと思ったら、宮司がやってきて

「アンタはここに縁がある人だから、4か月後にある240年ぶりの大祭の準備を手伝ってくれないか」

と言ってくれた。


どんな縁なのかは知る由もなかったが、当時から伝説的人物だった柿坂神酒之祐宮司からそう言ってもらえて何となくうれしかった。

なぜ宮司がそう思ったのかはいまも知らない。

きっと理由などなく、ただその時そう思ったのだろう。


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ある日突然、内側に生じた変化によって、我々を生かしている命はひとつのものだと確信していた。

そのひとつなる命を各自が「私の命」だと信じているということもわかった。

その命は同時に意識体でもあって、したがって各自が「私の意識」だと思っているものは、実際には大いなる意識の現れということだ。


したがってこの肉体が死を迎えても、命は消滅せず、意識も消滅せず、そのような意味から我々に死は存在しない。

だってそれまでも「私の命」「私の意識」だと思っていたものが、そのまま残るのだから。

失くすものは何もない。


いつも繰り返し

「大丈夫だよ」

と言い続けるのはこのことからきている。


そんな「大いなる命」、「大いなる意識」のことを、人は神として崇めてきたのだろう。

これが、僕が感じている神の概念だ。


にもかかわらず神社に行けば、そこにおわすであろう神に祈りを捧げるのは何故だろう。

自分の源に手を合わせているという説明もできるけれど、それでもそこに何かがいるような気がするのも事実だ。


それが何なのかは分からないけれど、それはとてつもなく大きな愛であり、無条件に全ての人を受け入れてくれるそんなエネルギーに満ちている。

人間界の善悪や判断を超えて、ただ優しさで迎えてくれる場所が僕にとっての天河だ。


行くたびに何かがリセットされて、そこから新しい人生が流れだす。


実際にいままでにも、不思議な巡り合わせが何度もあった。

いまの人生は天河から始まったと言っても過言ではない。


4か月間の奉公が終わり天河を下りる時、神殿に向かって

「この身体と命を、お好きなようにお使いください」

と祈念してから28年が過ぎた。


最近になって、また行ってみたいという思いが強くなり、なぜか禊殿(みそぎでん)が気になっていたところ、今回の特別神事の運びとなった。

やっぱり呼ばれたんだと思う。


この数年間、天河詣でをした人達から、

「宮司さんが阿部さんによろしくと言っていました」

という言葉を何回聞いたことだろう。


当日はどんな人が集まってくれるのかは知らないけれど、見えない仕組みの中で起きているこの流れを大切にしたいと思う。



禊殿での特別神事は11月19日11時。

前日の18日の夜には、本殿にて特別神事が執り行われます。


それも含めて、明日には詳細のご案内と先行予約が開始できる予定です。



かんながら


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Posted by Toshiro Abe at 12:38│Comments(33)
この記事へのコメント

大空のようにわたしたちは永遠です

わたしたちは不死です

わたしたちは永遠の存在です
Posted by 大空 at 2017年10月10日 13:31

>にもかかわらず神社に行けば、そこにおわすであろう神に祈りを捧げるのは何故だろう

なぜでしょう?不思議ですね。
神道は八百屋の神、つまり宇宙にある万物全てに神が宿っているというアニミズムです。
(こんな簡素な説明で良いのだろうか?笑)
神社の御神体は鏡ですが、鏡も万物の一つで神が宿っていますし、その鏡に映っている"私"も神です。

祈るとは、"大いなる意識"から分離した"私意識"が、神である"大いなる"意識へと向かうことですから、それは"帰依"や"還る"と表現できるかな?という思います。
こう考える限りにおいて、神への祈りというのは、日常生活を支配している"私"意識を離れ"本来の私"つまり"大いなる意識(神)"へ帰依することという気がします。

神道は日本土着のアニミズムですが、仏教や老荘思想にとても似通ってますね。
Posted by 模察 at 2017年10月10日 13:47

今日も素敵なお話を有難うございます。
Posted by らら at 2017年10月10日 14:04

阿部さんと一休さん。。
冬の晩は寒いからと言って仏像を燃やして暖をとり、普段は仏像を大事に磨いている。

神などいないと言いながら神殿に手を合わせる。
なんでもありなのに、メッセージがすきふぁかだから私は好きです。
Posted by ガータ at 2017年10月10日 15:29

いよいよ明日、案内予定なのですね(^_^)

今日は、天河神社までの道のりだけみても、「これは全力投球だわ。」と思いました。


導きを信じて。。

どうぞ、宜しくお願い致します(^_^)
Posted by ぶどう at 2017年10月10日 15:31

素敵ですね
あべさんらしい
いいかんじ.。.??*^?^*?・。+゚

*.。.☆
*.+゚




Posted by あべさーん at 2017年10月10日 15:50

>>>自分のお金も使い果たし、明日をも知れぬ毎日が続いていたが、不思議と落ち着いていられたのは、やはり内なる気づきが大きかったと思う。

今となってみれば簡単にそう思えるのでしょうけど、その当時の日記には、もうダメかもしれないみたいな文句が書かれていたと言う過去記事がたしかありますよね。
阿部さんのその身をもってして過去の全ての体験が、
今、阿部さんと縁のある方々へのこころを揺り動かすやさしいメッセージとして現れ、
いまここに愛として存在しているブログなのでしょう。

そんなふうにやってこれたのは絶対他力のなかを生きてきたから、

>>>「この身体と命を、お好きなようにお使いください」

>>>と祈念してから28年が過ぎた。


俗世にまみれているようで、その実は誰よりもまみれていない。

身も心も神仏に捧げていて、

本当の阿部さんは蓮の花のようなお方ではないでしょうか。





※誉めすぎ注意!
Posted by お・すぎと at 2017年10月10日 17:26

>>>>明日には詳細のご案内と先行予約が開始できる予定です。

今日だったら足ケガして仕事休みで先行予約できたのに。

明日は無理だな。スマホいじられない職場だから。

これが、、呼ばれてない、縁がないと言うことか!

天河のかみさまの思し召すままに!

なるようになるさ。

へっちゃらさ。
Posted by りらこ at 2017年10月10日 17:33

神社の厳かな雰囲気大好きです。といいつつ年に何度もは行ってないのですが…(汗)

御縁がある人はきっと集まるのだろうなと思いながら読んでいました。

私も意識は向けてみようかなと思います。
一番最初の神さま、名前は忘れてしまったのですが…神道の話は好きです。名前を忘れしまってるくせになのですが… 笑
Posted by 薄茶色 at 2017年10月10日 17:47

今回使用した天河神社の鳥居前の画像は以前に使用とされたものとご一緒ですね。

この画像があった日のブログの内容で変容が起きたので感慨深いものがあります。

天河神社さんに幸あれ。

いつも、感謝申しあげます。
Posted by 木村 at 2017年10月10日 18:07

>>>『にもかかわらず神社に行けば、そこにおわすであろう神に祈りを捧げるのは何故だろう。』

“帰命”でしょうね。過去に味わった、帰命の感覚を再現したいのでしょうね。

それこそが、本当の自分だし、その合体?感覚、同調?感覚、共感・同化?感覚、、に・・

悟って、今に生きて来たといえども、少なからず、分離感覚の人生を歩んで、それを無意識にでも、感じて来た『意識』が・・

この上なく、有り難がって、いるんでしょうね。

何たって、帰命、同化した(戻った)時は、今まで微力ながらあった、様々な不安や、恐怖、不快感などが、一切無いのですから。

って、、思いました。   
Posted by y-be at 2017年10月10日 18:33


>そのひとつなる命を各自が「私の命」だと信じているということもわかった。
     (中略失礼します)
>そんな「大いなる命」、「大いなる意識」のことを、人は神として崇めてきたのだろう。
>これが、僕が感じている神の概念だ。
>にもかかわらず神社に行けば、そこにおわすであろう神に祈りを捧げるのは何故だろう。
>自分の源に手を合わせているという説明もできるけれど、それでもそこに何かがいるような気がするのも事実だ。

と言いますか・・・・・『神様』も含めて、

ぶっちゃけ、『全て』が

ただの『多重人格』

なんですよね?

・・・・・この広大な空も、そこを行き交う太陽、月、星も、
・・・・・と言うか、『ひとつの星』に見えるものが実は『銀河』って事も多いらしいし・・・・・
それら全てがそうなんだろうと妄想したら・・・・・あまりのスケール感に倒れそうです(笑)

それ多重『人格』違う、のであれば、
『ひとつなる、大いなる命』が、
『別々』に見える『全ての表現』を『同時』に行っていると言えばいいでしょうか?
この体の数十兆の細胞どころではなく、その細胞を構成するまた数十兆どころではない原子という
膨大な数の、しかも全てが違う表現を『同時』に・・・・・うん、妄想し続けてると倒れて死ねそう(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2017年10月10日 19:07

3歳と10歳をつれてってもいいのですか?
Posted by つきよ at 2017年10月10日 19:59

最近は時々近所の神社に行きますが、あの神社の空気感が好きです。
澄み切っていて、静かで、もっといたくなるというのもわかりますね。
私の場合は物理的に無理そうなので、
これからのお話を楽しみに拝見させていただきますね^^
Posted by yun at 2017年10月10日 20:20

このブログに呼ばれているのは確かのようです

(^_-)

感謝☆感謝☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年10月10日 20:48

今日もありがとうございます。
善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年10月10日 21:04

安部さんお疲れ様です。いつもありがとうございます。少し思ったんですか、いまここ、何万年後未來 何万年後の過去 感じると 本当は 地球も太陽も月も ないのかな?生きるものは必ず無くなる。っと思ったしだいです。おやすみなさい。☆
Posted by シシリー☆ at 2017年10月10日 22:01

大いなる意識 神として崇めてきたのでしょう。
平行して偶像化して神として尊いと崇めてきたのでしょうね。

阿部さん自身が両方のエネルギーを使い分けているのが、阿部さんの戯れでは?

いんや、どこか深層で信仰心が残っているのでは?と、何かよこぎりました。
Posted by みちばた at 2017年10月10日 22:01

信仰心ってDNAの記憶って事ね 
Posted by みちばた at 2017年10月10日 22:10

おわすのは「気」エナジー?です( ̄▽ ̄)ネ
(阿部さんは神気を感受したのです)

「気」に人格と(特有の)力を付与したのは人間の側の「概念」です( ̄▽ ̄)
要するに、
神(概念)が力を持つに至るのは、
信仰の対象になったからなのです( ̄▽ ̄)YO

人形の髪が伸びるケースと同じです( ̄▽ ̄)ネ
大勢の人が長期に渡り信仰するのですから、
念が入る「規模が違う」のです( ̄▽ ̄)

古の故人が現代にまで力を保持するのと同じです( ̄▽ ̄)
将門公=神田明神? 道真公=天満宮?
神格を与えられ、信仰の対象になったので、
とうの昔に世を去ったにも関わらず、
現代においても「在る」のです( ̄▽ ̄)YO

上記の両者は無念の感情が強烈だったので、貶めた者の思い込み(祟られるかも?)と相乗したので「残る」ワケです( ̄▽ ̄)ネ

心霊スポット=特定の場所で幽霊が目撃されるのも同じメカニズムです( ̄▽ ̄)ゾ? 

Posted by シエル   at 2017年10月10日 23:09

砂の上の足跡という物語を思い出しました。

ひとつなる命を各自が「私の命」と感じている。とは以前にもおっしゃられていた、個人の意識と思っているのが「全体意識」だということと等しいのかなと思いました。

自分が全体意識であるという記事を読んだ時、後ろから肩を叩かれた時の様にハッとしました。


天河神社は死ぬまでに一度は伺いたいです。

この前、近くの江島神社に行ってきました!

僕にも阿部さんくらいの気づきが訪れたならば、バンドでやりたいです。

コメントするのは気が引けますが、ついやってしまいました。失礼致しました。

いつも、ありがとうございます。
Posted by しんや at 2017年10月11日 00:57

「呼ばれる」という響きは
どこか「選ばれた」「特別だ」という風に聞こえるので
誤解されないように自分は気を付けています。

「行きたくなった」「惹かれた」という言い回しは
なかなかいいなと思いました。
Posted by よのすけ at 2017年10月11日 02:26

天河神社のかみさまへ
わたしはどうなってもいい。
もし、いま、孤独の中で悲しみにくれてる人がいたら、
愛と変容の中へ、めざめをもたらして下さい。

天河神社のかみさまへ、
わたしはどうなってもいい。
どうか、全ての人の悲しみが愛へと昇華しますように。

天河神社のかみさまへ
信仰心のうすいわたしをお許し下さい。
わたしがいま、こうしていられるのは過去の人のいのりのお陰です。
あなたを苦しめて、ごめんなさい。
あなたを、、守ってやれなくてごめんなさい。
あなたがいてくれたこそ、いまのわたしがある。
あなたを憎んでこめんなさい。
そして、憎ませてくれてありがとう。
あなたがいてくれたお陰でその気持ちあじわえたよ。
なかまはずれにしてくれてありがとう。
その思いがわたしには必要だった、それを知れてよかった。
生まれてきてくれてありがとう。
でも、幸せ与えてあげられなくてごめん。
これから先にどうかチャンスを。
起こることの全てに感謝。
わたしの出会う人、どうぶつ、etc.なにひとつかけたって、わたしは存在せず
にはいられない。
その気づきが信仰心となって現れるのかもしれない。
手を合わせずにはいられなくなるのかもしれない。
無限大の感謝がわきおこる、その瞬間が信仰心の元なのではないのでしょうか。
Posted by tasaki at 2017年10月11日 03:26

わたしのこの身もいのちも
どうぞあなたさまにおあずけいたします
おすきなようにおつかいください。
Posted by r at 2017年10月11日 03:43

いくら、あんな御願いごとしたからといって、これはひどいよ〜〜。
また、遅刻の夢。

度数濃いめのアル子が効き過ぎて、あんな心にもおもってない
御願いごとしてしまいました。

でも、足が紫色に腫れあがっても、アルケルようにしてくれて
ありがと。こうして仕事に遅刻しながらでも行けること
に感謝せずにはいられない。

でも、シャワー浴びる時間ほしかった。
これじゃ、今日一日中くさくて、仕事に集中できないじゃん。
天河神社のかみさまって本当に願いごと聞いてくれた。
わたしがどうなってもよくなってる〜。
いや、そのお願いキャンセル待ちしていいですか?
わたしもよくなりた〜〜〜〜い。
お願いしまっしゅ!
あたし、いったい、誰と話ししてるんだろ?
いちおう、天河神社のかみさまとのおしゃべりのつもり。
朝から失礼いたしました、

うわ、朝から変な乗客に出会った。
誰かにみえないだれかに恫喝してる。
クスリでもやってるのかな。
トホホ、こんな場面に遭遇したら、違う車両に走れ〜〜。
天河神社のかみさま、逃げてごめんなさい。(-ω-;)
Posted by いや、だから at 2017年10月11日 07:28

シエルさん、

    無限力  EON の『IDE/イデ』を思い出しました。

集合意識、集合意識の個体?化、反応、生き残り願望、量子帯域での思考、想念、感情の発生、残存、生命現象化、エレメント、エレメンタル化など・・。
Posted by y-be at 2017年10月11日 07:51

過去に戻りたい
Posted by 匿名 at 2017年10月11日 07:56

阿部さん、ぜひ教えて下さいませ!

>自分のお金も使い果たし、明日をも知れぬ毎日が続いていたが、不思議と落ち着いていられたの
>は、やはり内なる気づきが大きかったと思う。

「内なる気づき」の体験は、阿部さんが講演でも本でもお話ししている悟りの体験のことと思いました。この悟りの体験が起こらないと、「不思議と落ち着いていられた」という状態にはならないのですか?

「体験」の起きていない普通の人間が、阿部さんのような落ち着きを得るにはどうしたらいいのでしょうか?

体験のない誰もが知りたいことのような気がします。よろしくお願いいたします。
Posted by 百合 at 2017年10月11日 08:12

今日もありがとうございます。良い一日を。
Posted by 林ゆみ子 at 2017年10月11日 11:34

読みながらこみ上げてくるものがあり、なぜだか涙がぼろぼろ出ました。きっと浄化の涙ですね。
Posted by やすよ at 2017年10月12日 12:37

去年くらいから瀬織津姫とアマテルのことが気になり、私なりの答え?分かったことがあります。

瀬織津姫とアマテルはアダムとイブのエデンの園だったのではないか?
その後、イザナギとイザナミは失楽園での国産み アマテラス スサノオなど神を産んで 天皇系統の日本 今現在の日本となったようです。

今年に入ってから私は、瀬織津姫とアマテルを統合して、持統天皇とアマテラスを統合しました。スサノオとアマテラスを統合。
今までとっちらかっていたのを全てひとつに統合したところで、
イザナギとイザナミがアダムとイブの失楽園だったと知り、
瀬織津姫とアマテルはアダムとイブのエデンの園
これからの日本は変わる。皇室をはじめ、日本は愛の国エデンの園へと進化していくようです。そのために今、ツインレイたちが出会い、日本は最初に選ばれたようです。
私もようやく天川神社での御縁が結ばれたようです。
Posted by rose at 2017年10月13日 04:43

阿部さんすみません。 
今朝たて続けにコメントしましたが、他力本願のコメントで 
コメントを場をしめたほうが、スッキリすると今想ったので、
出来れば、私っぽいコメントはアップなしでおねがいかしこみ
かしこみかしこみもうまおす〜〜〜〜
Posted by 阿部さんへ at 2017年10月13日 08:32

せおりつひめの説明は、みつろうさん今日のブログ、あの説明が1番わたしには
しっくりきました。
納得した。
さすがみつさん、うん。
解釈は人それぞれだから、楽しいね。
Posted by たかちゃん at 2017年10月13日 12:34
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