受蘊と行蘊

Toshiro Abe

2007年05月11日 07:46




僕のブログに訪れる超マニアックな皆さん、おはよう。


さっそくだけど、やり始めたことだから五蘊(ごうん)の解説を片付けちゃおうね。



今日の話はうまく表現できる自信がない。

もしかしたらはずすかもしれない。



自我が生まれる前の僕らの意識は、自由と開放に満ちた、流れるような状態だった。


何の先入観も持たずに、あるがままをあるがままに感じ取る純真無垢な存在。



ちょうど川の水のように、瞬間瞬間、新しい感覚が流れている。



自我とはその流れを凍りつかせて、固定化してしまう自意識のことだよ。


「自分」という確固とした存在があると思ってしまった。



そして同時に固定してしまった「他」に手を伸ばして、その感触を確かめようとする。

「他」が確実に存在すれば、それを認識する「自分」も確実に存在すると思えるからね。



受蘊(じゅうん)とは、本来は存在していない「自分」の存在を確認するための、トリックのことだ。




そうやって作り出した「他」に対して、僕らはいくつかの態度で接するんだ


その状況に魅力を感じれば自分に引き寄せ、脅威を感じれば向こうに押しやり、どちらでもなければ無関心になるというようにね。



自分が映し出した世界に対して、自分が反応するこの段階を行蘊(ぎょううん)というんだよ。

そうやってますます「自分」という存在が確かなものとなっていく。




ねえ、もしかしたら僕が何を言っているかチンプンカンプン?



これらは、僕らがあまりにもあたりまえのようにやっていることなので、あえてそのことに対する自覚が持てないんだ。



ここまでが、色蘊、受蘊、行蘊、の3段階。





残りは想蘊(そううん)と識蘊(しきうん)。



この5つが五蘊(ごうん)と呼ばれるものだよ。




残りの解説はまた後ほど・・・


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