受蘊と行蘊
僕のブログに訪れる超マニアックな皆さん、おはよう。
さっそくだけど、やり始めたことだから五蘊(ごうん)の解説を片付けちゃおうね。
今日の話はうまく表現できる自信がない。
もしかしたらはずすかもしれない。
自我が生まれる前の僕らの意識は、自由と開放に満ちた、流れるような状態だった。
何の先入観も持たずに、あるがままをあるがままに感じ取る純真無垢な存在。
ちょうど川の水のように、瞬間瞬間、新しい感覚が流れている。
自我とはその流れを凍りつかせて、固定化してしまう自意識のことだよ。
「自分」という確固とした存在があると思ってしまった。
そして同時に固定してしまった「他」に手を伸ばして、その感触を確かめようとする。
「他」が確実に存在すれば、それを認識する「自分」も確実に存在すると思えるからね。
受蘊(じゅうん)とは、本来は存在していない「自分」の存在を確認するための、トリックのことだ。
そうやって作り出した「他」に対して、僕らはいくつかの態度で接するんだ
その状況に魅力を感じれば自分に引き寄せ、脅威を感じれば向こうに押しやり、どちらでもなければ無関心になるというようにね。
自分が映し出した世界に対して、自分が反応するこの段階を行蘊(ぎょううん)というんだよ。
そうやってますます「自分」という存在が確かなものとなっていく。
ねえ、もしかしたら僕が何を言っているかチンプンカンプン?
これらは、僕らがあまりにもあたりまえのようにやっていることなので、あえてそのことに対する自覚が持てないんだ。
ここまでが、色蘊、受蘊、行蘊、の3段階。
残りは想蘊(そううん)と識蘊(しきうん)。
この5つが五蘊(ごうん)と呼ばれるものだよ。
残りの解説はまた後ほど・・・
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