僕らは心の中に、ポッカリと空いた穴を持っている。
その穴を埋めるために、一生懸命いろんな活動をしているんだと思う。
愛する人を見つけ、この人と一緒なら穴が埋まるような気がする。
たくさんのお金や財産を手に入れたら埋まるような気がする。
仕事が成功して、多くの賞賛や注目を集めたら埋まるような気がする。
完璧な人になって、みんなから尊敬されたら埋まるような気がする。
僕らはそうやって生きてきた。
少なくとも僕はそうやって生きてきた。
だけど・・・埋まらない。
どこまでいっても、いつも何かが足りない。
それは外側のものじゃ埋まらなかったんだ。
その答えは内側にあった。
多くの人がそのことに気づき始めている。
心のどこかで、探しものは心の中にある事を知っているのに、何故僕らは外側ばかり探しているのか。
そんな姿を表した小話が、イスラム教神秘主義のスーフィズムに伝わっている。
スーフィズムは禅に通じるところがあり、教義経典を学ぶことよりも、ダイレクトに真理を体得することを目的にした宗派だ。
この短い話の中にも、僕らの現状がうまく言い表されている
ある男が、自分の家の中で、宝箱を開ける鍵をしまい忘れちゃったんだ。
それは確かに家の中で失くしたのに、その男は外ばかり捜している。
自分の家の周りにないとわかると、こんどは遠く離れた隣町まで出かけていった。
そこにもないとわかると、男はさらに遠い町を探して歩いた。
そんな姿を見かねた賢者が、男に尋ねた。
「家の中で失ったものを、何故外で探すんだね」
するとその男は言った。
「だって家の中は暗いんですよ。外のほうが明るいから」
これが僕らの姿だ。
自分の幸せを外に求めても、そこにはないことがわかっているのに、それでもまだ外側を探すのにエネルギーを費やしている。
自分の内側は混沌としていて暗いような気がするから、しっかり向き合いたくないのだろうか。
それとも外側は自分を満たしてくれそうな魅力に溢れているからだろうか。
でも答えは内側にある。
いままでに世界中を探し回って、絶対的幸せ(神)を見つけた人は一人もいなかった。
いままでに内側深く入っていって、絶対的幸せ(神)を見つけられなかった人も一人もいなかった。
そのための方法は感謝と瞑想。
内なる神に感謝を捧げ、瞑想により内なる神に近づいていくんだ。
そして最後は、僕らが地球そのもので、ひとつの命だってことに行き着く。
そこにおいて心に空いた穴が埋まるんだ。
そろそろ方向転換してみようよ。