ダイヤモンド
インドにこんな話がある。
ある男が世界一のダイヤモンドを探して世界中を旅して回った。
それは苦難に次ぐ苦難に見舞われた大変な旅だった。
心身ともにぼろぼろになり、結局見つける事ができなかった男は失望のうちに帰国した。
そして我が家にもどり、息を引き取った。
それからしばらくして、その男の家が取り壊され、新しく家を建設するためにその土地を掘り返した。
すると、なんということだ。
その男の家の地中から、世界一のダイヤモンドが発掘されたのだ。
この話は、僕たち一人ひとりの状況と同じだ。
今日はそんな話をしよう。
僕らは幸せを外の世界に求めて、人生という果てしない旅に出た。
出会いと別れ、希望と失望、成功と挫折、彼方に見えた理想郷もたどり着いてみたら、今までいた場所と変わりない。
そんなことを繰り返しながら、やがては傷つき、汚れ、疲れ果ててしまう。
でもとことん疲れ果てるのは幸いだ。
足を止めて自分の中に帰ってくることができるからだ。
探す方向を逆転する事ができる。
その時、旅人は見出すんだ。
その宝が自分の中にあったことを。
「悲しむものは幸いだ。天の王国は彼らのものだ」
イエスキリスト
長い歴史の中で、外側の世界を探し続けて宝に出会った人は一人もいない。
その探求の先にあるものは失望と敗北だ。
そして同じく長い歴史の中で、自分の内側深く入っていって宝を見つけられなかった人も一人もいない。
内側に入っていくんだ。
するとそこに、何度も転生を繰り返しながら探しに探し求めてきた至高の宝を発見する。
なんとそれは最初から、自分の本質の一部として、自分として存在しているものだった。
答えは内側にある。
それを見つけたとき、自分も全ての人も、最初から救われていたことに気づくことだろう。
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
白隠禅師 坐禅和讃
あまりにも近すぎるから見えないんだ。
僕らは、ほんの僅かでも距離がないと見ることができない。
あまりにも自分に近すぎて、というよりは自分そのものなので、僕らは取り逃がしてしまう。
抱える問題を、ひとつひとつ取り除く必要は無い。
問題は一瞬にして全部消え去ってしまうから。
僕らが我が家に帰ってきたとき、そこに世界一のダイヤモンドを見つけたとき、まったく新しい感覚が生まれ、そして二度と元に戻ることは無い。
遅かれ早かれ、僕らは全員そこにたどり着くことになる。
それが宇宙の計画だから。
そこには髪の毛一筋ほどの狂いもなく、今も粛々と計画は進んでいる。
だから、大丈夫だからね。
本当だよ。
大丈夫だから。
だから微笑んでごらん。
後のことは天にお任せして、微笑めばいい。
はい、チーズ(^o^)
関連記事