放浪記 25

Toshiro Abe

2012年09月18日 10:21

お金がない、

仕事がない、

何の策もない


それなのに、ほとんど不安や心配がありません。

どうやらこの数か月間で、神(?)を信頼すること、人生の流れを信頼することが身に付き始めたようでした。

すでに預けた命です。

投げやりではないのですが、どうにでもなれという気持ちでした。


その一方で、都合のいい願望もありました。

相手が神ならば、神業(かみわざ)で奇跡を起こして、僕が生活に困らない状態を作ってくれたらいいな・・・突然スポンサーが現れるとか・・・大金が転がり込むとか・・・







平成元年7月の末、東京に帰りました。


家に着いて早々、留守中に届いた手紙を整理していると、一通の支払調書を見つけました。

なんと当時のアイドルが、僕が10年以上前に作った歌をリバイバルしていて、その初回印税が振り込まれていたのです。

しかもウン百万円です。

まさしく、大金が転がり込んでいました。

僕が天河に行った3月に決定され、レコーディングもされ、6月末に発売になったと後で聞きました。

使用権は音楽出版社に委託しているので、僕の許可は要りません。

5小節目を間違えて3度高く歌っていますが、そんなことはどうでもいい。

買わなかった宝くじが当たったような気分でした。



おお、神よ、好き好き、大好き!!

神っていい奴じゃん。

そっちがその気なら、こっちだってあんたを信じて身を預けようじゃないの。

ま、仲よくやろうぜ。


不遜な言い方に聞こえるかもしれませんが、これは長年にわたって持ってきた、神への偽らざる気持ちです。


神も偉大ですが、僕もあなたも偉大です。

僕たちは神がいなければ存在できませんが、神も僕たちがいなければ自分を表現できないのです。

神という存在に謙虚になって、完全に自分を捨て切り、五体投地のような心境も目覚めに有効ですが、同時に自分という存在が神と対等で偉大なものであることも忘れてはいけません。

究極的には神も自分もひとつのものであり、この事実は神のほうがよく知っています。



「神との対話」という本がありますが、あの中で特筆すべきことは、作者と神が友情関係、すなわち対等な立場で関わっていることです。

神との友情・・・素晴らしい表現だと思います。



なにはともあれ、彼が僕を養ってくれていることがはっきりしました。

ますます神への信頼と、人生の流れへの信頼が高まっていきました。

これはただの偶然で、勝手な思い込みの可能性もあります。

でもその思い込みが、僕の人生を引き上げてくれたことだけは事実です。



自分にはいいことが起きていないという人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。

いま必要なことが起きているのです。

それを信頼したとき、ひとつの学びが終わり、次のステップでの展開が始まります。


信頼すればするほど、事はスムーズに流れだし、生きることが楽になっていきます。


このことを僕と黒斎くんは、「降参のススメ」と呼ぶこといしました。


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