放浪記 2
一筋の光が差しこんだとき、暗闇が消え失せていました。
何十年にわたる闇も、わずかな光の前では無力でした。
まったく抵抗することなく、すみやかに闇はその姿を消し去ったのです。
そのとき思いました。
闇とは単に光がなかったことの状態であり、実体ではないと。
ということは、本当は闇など存在せず、光だけがあるのだと。
たとえば部屋には照明のスイッチがありますが、あれは光を付けたり消したりするものであり、闇を操作するものではありません。
僕たちは闇に対して何かをすることはできないのです。
光に対してだけ、そのことが可能です。
長い間、どのようにして心の闇を消し去るのかばかり考えていましたが、本当に必要なのは光だったのです。
光とは何でしょう。
それは理解とともに現れる「愛」です。
理解は愛となり、愛は光となって、心の闇を消し去ります。
そうか、すべては愛なんだ。
この世には愛しか存在していなかったんだ。
それを僕は長い間見失っていたのです。
「すべては愛」
この言葉も理解と共にあれば、深い意味を持ちます。
しかし理解がなければただの言葉、綺麗ごとの言葉に過ぎません。
すべては愛、すべては理解・・・僕たちは人生の苦悩を経験することで、愛を発見するようにできているんです。
それまでの自分が、無知ゆえにどれだけ多くの人を傷つけてきたのか。
自分が受けた傷にばかり目が行き、その傷が人を痛めてきたことには無関心でした。
「ごめんね、ごめんね」
その夜は朝まで自分の無知を懺悔していました。
懺悔するというのは自分を癒すということでした。
それは自分を責めることとは違います。
むしろ自分を肯定することであり、自分の本質の素晴らしさを認めることです。
まるで布巾で心の壁を磨くようにして、その夜を過ごしました。
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