放浪記 2

Toshiro Abe

2012年07月27日 11:42

一筋の光が差しこんだとき、暗闇が消え失せていました。


何十年にわたる闇も、わずかな光の前では無力でした。

まったく抵抗することなく、すみやかに闇はその姿を消し去ったのです。


そのとき思いました。

闇とは単に光がなかったことの状態であり、実体ではないと。

ということは、本当は闇など存在せず、光だけがあるのだと。


たとえば部屋には照明のスイッチがありますが、あれは光を付けたり消したりするものであり、闇を操作するものではありません。

僕たちは闇に対して何かをすることはできないのです。

光に対してだけ、そのことが可能です。


長い間、どのようにして心の闇を消し去るのかばかり考えていましたが、本当に必要なのは光だったのです。



光とは何でしょう。

それは理解とともに現れる「愛」です。


理解は愛となり、愛は光となって、心の闇を消し去ります。







そうか、すべては愛なんだ。

この世には愛しか存在していなかったんだ。


それを僕は長い間見失っていたのです。



「すべては愛」

この言葉も理解と共にあれば、深い意味を持ちます。

しかし理解がなければただの言葉、綺麗ごとの言葉に過ぎません。


すべては愛、すべては理解・・・僕たちは人生の苦悩を経験することで、愛を発見するようにできているんです。



それまでの自分が、無知ゆえにどれだけ多くの人を傷つけてきたのか。

自分が受けた傷にばかり目が行き、その傷が人を痛めてきたことには無関心でした。


「ごめんね、ごめんね」

その夜は朝まで自分の無知を懺悔していました。


懺悔するというのは自分を癒すということでした。

それは自分を責めることとは違います。

むしろ自分を肯定することであり、自分の本質の素晴らしさを認めることです。


まるで布巾で心の壁を磨くようにして、その夜を過ごしました。


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