完璧じゃないのに、どうして完璧だって言うの?

Toshiro Abe

2017年05月26日 10:39

よく言われるメッセージの中に

「すべては完璧」

というのがあるでしょ。


この言葉を聞いてどう思いますか?


なんだか無理矢理、完璧って言い聞かせているみたいな、上辺だけの言葉に聞こえるかもしれません。


何を見ても不完全さにあふれているし、世界は問題をたくさん抱えているというのに、そこに目を向けることなく

「全ては完璧」

だなんて言われたら、腹が立つ人さえいることでしょう。



このようなズレにはいくかの理由があります。


まずは、完璧という言葉の意味です。


普通我々は、何の不備もなく、何の欠陥もなく、すべてが完全で完成された状態を完璧と呼びます。

そこにマイナス要素はありません。



一方で僕なども時々口にする「完璧」は、人間の目からは不完全に見える全ての事象は、いまあるがままに起きていることであり、これ以外に起きる可能性はなく、変えられる余地が無いという観点から、完全、完璧と言うのです。


前者は全体から分離した個人の目線からの意見であり、後者は全体としての見え方です。


分離した個人からは、すべてのものがバラバラに存在しているように見えます。

人々のこともみんな個人に見えます。

そのバラバラな個人が絡み合って、仲良くなったり、いろんな問題を起こしたりしているわけで、いつもすべてが完璧なわけではないと考えます。



ところが全体から見ると、分離したものなど何一つありません。

すべてがいまという唯一の時の中で、同時に起きている表現です。


すべては全体の表現なのであって、誰かが何かをしているわけではないのです。

この視点は、個人には理解することはできません。


本当はすごく単純なことなのですが、すでに心の奥深くで、すべてが分離しているという信念を持ってしまっているので、伝わることは稀です。



ありとあらゆることは、全体の表現。



この「全体」という言葉も改めて理解する必要がありますね。


また明日にでも書いてみます。










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