完璧じゃないのに、どうして完璧だって言うの?
よく言われるメッセージの中に
「すべては完璧」
というのがあるでしょ。
この言葉を聞いてどう思いますか?
なんだか無理矢理、完璧って言い聞かせているみたいな、上辺だけの言葉に聞こえるかもしれません。
何を見ても不完全さにあふれているし、世界は問題をたくさん抱えているというのに、そこに目を向けることなく
「全ては完璧」
だなんて言われたら、腹が立つ人さえいることでしょう。
このようなズレにはいくかの理由があります。
まずは、完璧という言葉の意味です。
普通我々は、何の不備もなく、何の欠陥もなく、すべてが完全で完成された状態を完璧と呼びます。
そこにマイナス要素はありません。
一方で僕なども時々口にする「完璧」は、人間の目からは不完全に見える全ての事象は、いまあるがままに起きていることであり、これ以外に起きる可能性はなく、変えられる余地が無いという観点から、完全、完璧と言うのです。
前者は全体から分離した個人の目線からの意見であり、後者は全体としての見え方です。
分離した個人からは、すべてのものがバラバラに存在しているように見えます。
人々のこともみんな個人に見えます。
そのバラバラな個人が絡み合って、仲良くなったり、いろんな問題を起こしたりしているわけで、いつもすべてが完璧なわけではないと考えます。
ところが全体から見ると、分離したものなど何一つありません。
すべてがいまという唯一の時の中で、同時に起きている表現です。
すべては全体の表現なのであって、誰かが何かをしているわけではないのです。
この視点は、個人には理解することはできません。
本当はすごく単純なことなのですが、すでに心の奥深くで、すべてが分離しているという信念を持ってしまっているので、伝わることは稀です。
ありとあらゆることは、全体の表現。
この「全体」という言葉も改めて理解する必要がありますね。
また明日にでも書いてみます。
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