輪廻転生の意味

Toshiro Abe

2017年01月30日 11:00

前世など無いと言い切ってしまうより、それがあるということを前提にした方が、生きる意味が深まってきますね。

苦難によって魂が磨かれ、より高く進化するために何度も生まれ変わっていると考えれば、いまの苦しみにも耐える力が湧いてきます。

結局のところ人生は、どんなストーリーを採用して生きているかなので、輪廻転生を認めて生きるのもありだと思います。



ただそれも使い方であって、身障者に対して前世の報いだとか、不運な出来事は過去の因縁だとか、そういう見方をする人が出てくるので、僕はこの考え方には慎重に臨むべきだと考えています。

なぜなら、どんな現象にも、真逆からの解釈が可能だから。


見方を変えれば、身障者はすでに高い魂であり、だからこその苦難を選んで生まれてきたかもしれず、不運が続く人生も、そのことに立ち向かえるだけの進化がすでになされているから、それを試すために生まれてきたとも考えられます。

乗り越えられない苦難は与えられないという言葉がありますが、そのように考えれば、難易度が高いゲームのステージには、それなりの熟練度が求められるというわけです。


どう考えるかによって現象の見え方が変わってきますね。


やっぱりこうして書いていると、人生というストーリーから抜けた時、初めて安らぎが待っていることを伝えたくなります。

それを解脱と呼びますが、このことを見抜くために、輪廻転生という何本もの映画を、うんざりするほど見続けているのかもしれないですね。

そして、まだ飽きていないのでしょう(笑)



解脱と言うととても難しいことみたいに考えてしまいますが、ただ足を止めるだけの話です。

ストップ瞑想は、それをしている最中に解脱しています。


たまに思い出してやってみてください。

これが個から全体へのアプローチになります。




あれ?

個に徹したメッセージを書こうとしても、ついいままでと同じになってしまうのは、これも僕の業(カルマ)かもしれないですね。


誰もの人生が、何かの方向性によって突き動かされている。

これって何でしょうか。


ただの習慣かなァ。

それとも大いなる計画?


大いなる計画だと思ったほうが気が楽だね。

全部、計画者のせいにできるから(笑)







幸せな出来事は、ただ嬉しい。

不幸な出来事は、魂を磨くため。


そう考えると、なんでもどんと来いだ。






あなたがこれをクリックするように計画されていたらいいなァ。