輪廻転生の意味
前世など無いと言い切ってしまうより、それがあるということを前提にした方が、生きる意味が深まってきますね。
苦難によって魂が磨かれ、より高く進化するために何度も生まれ変わっていると考えれば、いまの苦しみにも耐える力が湧いてきます。
結局のところ人生は、どんなストーリーを採用して生きているかなので、輪廻転生を認めて生きるのもありだと思います。
ただそれも使い方であって、身障者に対して前世の報いだとか、不運な出来事は過去の因縁だとか、そういう見方をする人が出てくるので、僕はこの考え方には慎重に臨むべきだと考えています。
なぜなら、どんな現象にも、真逆からの解釈が可能だから。
見方を変えれば、身障者はすでに高い魂であり、だからこその苦難を選んで生まれてきたかもしれず、不運が続く人生も、そのことに立ち向かえるだけの進化がすでになされているから、それを試すために生まれてきたとも考えられます。
乗り越えられない苦難は与えられないという言葉がありますが、そのように考えれば、難易度が高いゲームのステージには、それなりの熟練度が求められるというわけです。
どう考えるかによって現象の見え方が変わってきますね。
やっぱりこうして書いていると、人生というストーリーから抜けた時、初めて安らぎが待っていることを伝えたくなります。
それを解脱と呼びますが、このことを見抜くために、輪廻転生という何本もの映画を、うんざりするほど見続けているのかもしれないですね。
そして、まだ飽きていないのでしょう(笑)
解脱と言うととても難しいことみたいに考えてしまいますが、ただ足を止めるだけの話です。
ストップ瞑想は、それをしている最中に解脱しています。
たまに思い出してやってみてください。
これが個から全体へのアプローチになります。
あれ?
個に徹したメッセージを書こうとしても、ついいままでと同じになってしまうのは、これも僕の業(カルマ)かもしれないですね。
誰もの人生が、何かの方向性によって突き動かされている。
これって何でしょうか。
ただの習慣かなァ。
それとも大いなる計画?
大いなる計画だと思ったほうが気が楽だね。
全部、計画者のせいにできるから(笑)
幸せな出来事は、ただ嬉しい。
不幸な出来事は、魂を磨くため。
そう考えると、なんでもどんと来いだ。
あなたがこれをクリックするように計画されていたらいいなァ。