自然な自分
もし生まれた時から、自分一人だとしたらどんなだろう。
この世に自分一人しかいないとしたら。
現実には、人間は誰かの世話にならなければ育つこともできないけれど、それでも、もし自分しかいなかったとしたら、その時はどんな自分だろう。
最初から誰もいないのだから、寂しいなんて発想もないことだろう。
裸を隠すこともない。
誰もいなければ恥ずかしいなんて気持ちも湧かない。
どんな見せかけもいらないし、作り笑顔など問題外だ。
こういう人になりたいなんていう理想も持たない。
自分を作る必要がない。
完全に自然な状態だ。
そのとき、そこに自我はない。
自我とは他者に対して持つものだから。
そんな自分と、いまこうして社会の中で生きる自分との違いは大きい。
もし一人の時の自分が自然だとしたら、社会で生きる我々は実に不自然だ。
生きるために多くの仮面を付け、人格を身にまとい、面白くなくても笑い、泣きたくても我慢する。
社会で生きる自分は、偽の自分だ。
偽の自分が生きる人生が、真実であるわけがない。
偽の自分と、偽の人生。
しかもそれを維持するために沢山の努力を必要とするのだから、人生は悲しい冗談のようなものだ。
やれやれ、一休みするとしよう。
一日の中で数分でもいいから、誰でもない自分に戻ってみる。
この世に一人しかいないようなつもりで、社会に対する構えを捨ててみる。
そうすれば、そこにくつろぎが現れるだろう。
くつろぎとは、自然の状態に起こることで、不自然さが緊張を作りだしていた。
昨夜の禅サンガでのWebトークは、このくつろぎがテーマだった。
成るべき自分を持たずに、未来への理想を持たずに、いまの中に佇むということ。
人生の重荷を降ろして、一休み。
瞑想とは一休みすることであり、そのくつろぎの中で新しいエネルギーがチャージされていく。
そしてまた活力を取り戻したら、社会に入っていくんだ。
思い切り偽の自分を生きて、楽しんだり傷ついたりしながら、やるべきことをやっていく。
それでいいよね。
今日もよろしくお願いします。
所要時間は約10秒。
あなたの10秒を私に使ってくだされ。
まずは左のお猿の温泉をポチっとして、行った先にある「リーラ」をクリックして戻ります。
次に右のボタンをクリックして、同じくそこにある「リーラ」をクリックして戻ります。
それで完了です(^^)