自然な自分

Toshiro Abe

2017年01月14日 10:14

もし生まれた時から、自分一人だとしたらどんなだろう。

この世に自分一人しかいないとしたら。


現実には、人間は誰かの世話にならなければ育つこともできないけれど、それでも、もし自分しかいなかったとしたら、その時はどんな自分だろう。



最初から誰もいないのだから、寂しいなんて発想もないことだろう。


裸を隠すこともない。

誰もいなければ恥ずかしいなんて気持ちも湧かない。


どんな見せかけもいらないし、作り笑顔など問題外だ。


こういう人になりたいなんていう理想も持たない。

自分を作る必要がない。

完全に自然な状態だ。


そのとき、そこに自我はない。

自我とは他者に対して持つものだから。



そんな自分と、いまこうして社会の中で生きる自分との違いは大きい。

もし一人の時の自分が自然だとしたら、社会で生きる我々は実に不自然だ。


生きるために多くの仮面を付け、人格を身にまとい、面白くなくても笑い、泣きたくても我慢する。

社会で生きる自分は、偽の自分だ。


偽の自分が生きる人生が、真実であるわけがない。

偽の自分と、偽の人生。

しかもそれを維持するために沢山の努力を必要とするのだから、人生は悲しい冗談のようなものだ。



やれやれ、一休みするとしよう。


一日の中で数分でもいいから、誰でもない自分に戻ってみる。

この世に一人しかいないようなつもりで、社会に対する構えを捨ててみる。


そうすれば、そこにくつろぎが現れるだろう。

くつろぎとは、自然の状態に起こることで、不自然さが緊張を作りだしていた。



昨夜の禅サンガでのWebトークは、このくつろぎがテーマだった。

成るべき自分を持たずに、未来への理想を持たずに、いまの中に佇むということ。

人生の重荷を降ろして、一休み。


瞑想とは一休みすることであり、そのくつろぎの中で新しいエネルギーがチャージされていく。



そしてまた活力を取り戻したら、社会に入っていくんだ。

思い切り偽の自分を生きて、楽しんだり傷ついたりしながら、やるべきことをやっていく。



それでいいよね。







今日もよろしくお願いします。

所要時間は約10秒。

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