まるまるさん
>坐禅では 思考を抑えるのに 静かになるまで数息観を使いますが、マントラ瞑想では 静かになるまでマントラを唱えるのではないんですか?
TM瞑想では、マントラを繰り返し唱えることで精神統一を起こし、空の意識に入っていこうとします。
しかしボブさんが提唱するマントラ瞑想は、マントラを一度しか唱えません。
いや、唱えもせず、単にイメージするだけで同じ効果が現れます。
なぜなら、本来のマントラとは、マントラの言葉自体のことではなく、それをイメージした後に発生してくる微細な波動(量子のようなもの)だからです。
ヒンズーの経典には、万物はマントラから生成されていると記されているそうですが、マントラを量子と置き換えるとその意味がよく分かります。
このボブさんの革命的な方法は、瞑想をさらに深く、そしてさらに容易くすることに成功しました。
僕はこの瞑想法に出会ったとき、これこそが現代人にとって最も効果的で簡単な瞑想法だと直感しましました。
一度そう確信すると、良いも悪いも突き進むきらいがあって、まるでボブ瞑想の伝道師みたいな役割になりましたが、ボブさんがマントラ瞑想に与えた功績は、もっと評価されていいと思います。
ちなみにNIKE瞑想もボブさんの瞑想法を踏襲しています。
ボブさんからは瞑想について多くを学びましたが、こうして独立した理由は、ボブさんがサイキックに関心を持つ人で、瞑想の構成にも神秘性やインドの神々の香りが強かったからです。
禅的な環境で生きてきた僕たち夫婦には、霊とか超能力とかいったスピリチュアルに関することを生徒さんに伝えるのが苦手でした。
瞑想とは特別なことではなく、誰にでも備わった自然な質であり、そのあたりのムードを一新したかったのが理由の一つです。
そこで、この瞑想の素晴らしさを保ったまま、身体や精神の改善といった現実面にフォーカスした構成に組み替えました。
>マントラ瞑想では、思考が静かになるまでマントラを唱えるのではないんですか?
マントラの波動が、瞑想者を思考から離してくれます。
無心になろうとしなくても、思考が湧き続けていたとしても、深い境地に誘われます。
そのことを信頼して身を任せるのがボブさんのFF瞑想であり、NIKE瞑想です。
FF瞑想とNIKE瞑想の違いは、大きく分けて三つあります。
ひとつは、使用するマントラの違い。
マントラは古代から伝わるものであり、ボブさんも自分の直感でイメージしたマントラを、必ず古代の文献に照らし合わせ、一致しているものを使用すると言っていました。
NIKEでは各チャクラの調整を促すために、チャクラに対応したマントラを使用しています。
ただ、すべての基礎となるのはハートチャクラ用のハートマントラであり、これだけはFF瞑想もNIKE瞑想も同じものです。
二つ目の違いは、マントラを機能させる方法。
マントラは文字にすれば単なる言葉ですが、その本質は波動(量子)です。
瞑想者のエネルギーを動かすことでマントラを機能させることが出来ます。
その時間帯を伝授と呼んでいます。
伝授と言ってしまうと、AさんからBさんに手渡すというイメージがありますが、実際には元々その人の中に眠っていたものを動かすことです。
そのやり方がFF瞑想とNIKE瞑想では違います。
FF瞑想の場合はグルプージャを斉唱しながら儀式を行います。
受講してくれた人の中には、ちょっと驚いた人もいたことでしょう。
瞑想に対して宗教チックな先入観を持っていた人は
「やっぱりか」
と思ったはず(笑)
実はこの儀式は、受講する人のためにするのではなく、教師が自分のエネルギーを高め、場のエネルギーを動かすために行うものです。
その中で最も影響を与えるのは、教師の「声」です。
身内で恐縮ですが、智子さんは声だけで人を癒す力を持っていて、ボブさんが心底認めるくらい、その力は突出しています。
本人は気づいていませんが、生まれながらのヒーラーなのだと思います。
若いころはシンガーとして華々しい活躍をしていましたが、それも全部、いまの活動のためだったのではと思うくらいです。
したがってNIKE瞑想では儀式を行わず、ガヤトリーマントラの唄の力だけでエネルギーを動かします。
エネルギーの動かし方は他にもありますが、彼女の「声」は、NIKE瞑想の最も大きな特徴です。
三つ目の違いは、受講費の改定と、毎週のWeb瞑想会によるフォローです。
これによって、マントラ瞑想を実践する人の層が広がればと思っています。
じゅんちゃんさん
>以前どなたかが、FF瞑想は受けられますか?と言った質問をされていて、暫くお待ちください。と言うような回答だった記憶があります。
> 私もFF瞑想に興味があるのですが 待ち・・・の姿勢でよろしいでしょうか。
FF瞑想(フルフィルメント瞑想)もNIKE瞑想も、最初のマントラは同じです。
その後のFF瞑想のコアオブライフプログラムは、我々がFF瞑想時代にハートマントラを受けてくれた人に対して、続きとしてたまに伝授しています。
料金が違うので、これから受ける人に同じプログラムを提供することは控えています。
FF瞑想はとても優れた瞑想法であり、そのプログラムに興味がある人は、「フルフィルメント瞑想」で検索すれば、各地の教師を見つけられます。
zensouさん
>性欲を克服しきれないヨギも多い。
あはは、そりゃそうです。
そもそも性欲は克服すべきものではないし、修業して性欲がなくなったという人は、たぶん他の理由で性的不能になったのでしょう。
もちろん、あらゆる欲に対する表現の仕方は、その人の人間性の成熟度によって変わりはしますが、そのことと精神霊的な進化とは関係ありません。
なぜこのような誤解が蔓延したのか、ここには歴史的に複雑な理由があり、このことは重要なので、たびたび講演でお話しさせてもらってきました。
「性欲を克服した高い精神的境地」
この誤解によって、どれだけ多くの人が惨めな人生を送ったことでしょう。
いずれにせよ、性欲と闘っても勝ち目はありません。
>禅でも30年座れというでしょ?
>そして、瞑想法ですが、やっぱりミックスしちゃうと「混ぜるな、危険」になるようですね。
禅で30年坐る。
この言葉は、人間のマインドの落ち着きのなさを示すものだと思いますが、実際には30年どころか、一瞬で十分です。
「いまここ」に入るのには時間は要りません。
時間がかかるのは、マインドの中に様々なこだわりや、傷、劣等感、罪悪感などが無数に溜まっているからです。
それらを長期の坐禅によって解放していくことは可能ですが、時間がかかります。
そのことを早めてくれるのが瞑想です。
むやみやたらと各種の瞑想を乱用するのはお勧めできませんが、真実を理解した指導者がいるならば、併用の効果は確かにあります。
究極たる坐禅を、現代人がどう活用していくか。
このあたりのことを、白隠によって完成したいまの修業体系に取り入れることを、各派の管長にも話してきましたが、伝統の壁は厚いというのが率直な感想です。
僕は常々、伝統を原理主義のように守るのではなく、伝統が保持してきた本質を、いかにその時代に翻訳するかが大切だと思って活動してきました。
今日の話はこのくらいにしておきます。
今日もあなたを信じて、さりげなく置いておきます。
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12月11日
博多講演会
詳細とお申し込みは
コチラから
Googoleに瞑想を定着させた、ピョートル氏とのコラボ講演会。
「スパービジネスマンとの対話」
は、残り席わずかです。
コチラから