遊びと仕事

Toshiro Abe

2016年09月05日 08:52

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瞑想中に湧いてくる思考と、睡眠中の夢との類似性に気がついている人もいるでしょ。

どちらも大抵の場合、終わった後に霧の彼方へ消えていってしまって、いったい今までなにを考えていたのかを思い出すことが出来ません。


でもそれを見ている間はとてもリアル。

中にはかすかに覚えている夢もあって、後になってみると何でそんなことをリアルに捉えていたのかって思ったりもします。


我々が日常に持ち運んでいる物語も同じで、覚めてみれば、無数に描くことができた世界観の中で、たった一つを採用して、そこにしがみついていたことがわかります。

それを見抜くのが解放の瞬間ですが、人は誰でも死の瞬間にそれを経験するのではないかと思います。


それまでは、人生とは基本的に闘争と葛藤の物語。

誰かにそうさせられている訳ではなく、深いところで自分が選んでいたことにも気づきます。

何から何まで自作自演の一人舞台。


それじゃ、いったいなんの為にそんな夢を見ているのか。

たぶん理由などなく、そういうことが起きている。


我々はなんでも理由があるように思うけれど、森羅万象は存在全体の遊戯です。

遊び戯れと、仕事の違いは、遊びには目的がないけれど、仕事には目的があるということ。


人生がいつの間にか目的を持った仕事になってしまったから、生きている理由は何だと問いかけるわけです。

遊び戯れている子供達に、その遊びの目的はなんだと聞いても答えはありません。


僕が何を言っているのか分かりますか?

うまく言えている自信はありません(笑)






自作自演の物語に気づいた後も、夢の人生は続いていきます。

個人的な夢から覚めても、社会全体の夢が続いていくからです。

そうやってことは起き続けます。


違いがあるとしたら、基本的な深刻さが消えて、気楽になっているということ。

何かの瞬間に遊び心を忘れたとしても、深刻さに浸ることはなくなります。


人生全体を、さほど大したことじゃないと思えたらいいですね。

ムキになるようなことは本当は何もない。


「なんだっていいじゃない」っていう言葉。

この言葉は一生懸命に生きている人には無責任に聞こえるけれど、そんなことより、まさにいま、柔らかい気持ちでいられたらいいね。


達成すべきものもなく、なるべき自分もなく、「これでいいのだ」ってね。

この感覚を底辺にして、あとは生きたいように生きればいいという話でした。



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