Kさんの場合

Toshiro Abe

2016年02月13日 14:54

昨日、ひょんなことからメールをもらいました。

このブログの長い読者で、ここの記事だけでなく、みなさんが寄せてくれるコメントによっても、大いに助けられたとありました。


きっとコピーして保管していたのでしょう、その中のKさんからのコメントを送ってくれました。

読んでみて、確かにこういうことってあると思いました。



・・・・・・困り果てたわたしは、来る日も来る日も思案に明け暮れました。

そして、あきらめたのです。

もう起こる事と戦うのをやめよう。自分はもう死ななければならないなら死のう。

いや、積極的に死を選択するのではなく、そうなるのであれば受け入れよう。

世界が有るなら、それを現している元の、なにか偉大な力が存在するはずだ。

それに自分の全てをまかせよう。生きようと必死になるサバイバルを捨てよう。

そうして、その偉大な力、いわば源泉に、または神に。

わたしはわたしの人生だろうが、身体だろうが、命だろうが、魂だろうが、ありとあらゆる自分に関わる一切を差し出したのです。

そうするとどうでしょう!なんと。

自分の苦悩から解き放されたような解放感に浸れたのです。

そして、ここに!

この胸の、ここに!
説明のつかない、ふくらみのある何かが現れたのです。

それは今まで味わったことのない幸せ、喜び、条件を必要としない愛と共に現れました。

わたしはその至福の故に喜び、その感謝の故に泣き、溢れ出るその愛の故に、酔いました。

それは今でも、ここに。この胸のここから溢れてきます。

それが現れてから数日後、生活も、家のローンも、治療費も出してあげよう。返さなくてもいい。

そんな人が出てきたのです。

まさに神が、わたしの人生の主導権を引き受けた瞬間です。・・・・・・




勇気を与えてくれる文章ですね。

たった一瞬でも内なる愛を味わえば、その人は同じままではいられません。

真実(愛)は人を根底から変えてしまう力があります。

ほんの一瞬でいいから、地球中のすべての人にこの次元が顕わになれば、その瞬間に問題の多くは消えてなくなることでしょう。

そんなストーリーを夢見て、ずいぶん長い時が経ちました。