あるがままを生きるってどういう意味?

Toshiro Abe

2016年01月07日 10:44

先日、向老師と話をしていて面白い話になりました。

向さんの今年のテーマは「ありのままを生きる」とのことです。

この言葉はよく耳にしますが、本当の意味を知っている人は少ないと思います。


ありのままって何だろうって考えたことないですか。

ありのままでいようとすると、いったい何がありのままなのか分からなるし、自然体であろうとすることの不自然さは、まるでジョークのようです。


我が家の同居者たち(猫族)は、誰を見てもみんなあるがまま。

いや猫だけではなく、考えてみれば人間以外の動植物はみんなあるがままを生きています。


いったい彼らと何が違うのか・・・ここに「あるがままを生きる」という言葉のヒントがあります。


あるがままとは自分を意識していない状態、自分を忘れた状態、自分という感覚が消えた状態で初めて起きてくることなのです。

したがって

あるがままの「自分」

という言葉はちょっと的外れの表現になります。


「私」という感覚の消滅というと何だかすごく難しい気がしますが、我々は日常的にそれを経験しています。


たとえば睡眠中。

その時はまさにあるがままであり、時間感覚も消えています


あるいは、何かに熱中しているときもあるがままで生きています。

そういう時も時間を忘れています。


あるがままとは、時間を超越した「いま」の中で起きることなのです。


で、ここまで書いてみて、なぜ向さんが「あるがままを生きる」ということを、あえてテーマに選んだのかわかりました。

禅とは時間を超えた「いま」を生きることなので、要するに禅を生きるということなんですね。


それではなぜあるがままを生きようとするのか。

一つは、それが真実の生き方だから。

もう一つは、我々が探し求めている幸福は、その状態の中にしかないからです。


なんでも少しずつ新しい習慣を身につけていくことで自分のものになっていきます。

まずは自分がどれくらい不自然な自分を作り出して生きているかを知ること。

その不自然さの分だけ不快感と苦悩を抱えています。


幸福を求めて生きるのは人間の常ですが、いままで一生懸命にそれを求めて生きてきて、どれくらい実現したでしょうか。

欲しいものを手に入れて、どれくらい幸せになりましたか。


まだまだだと感じているとしたら、求める方向が間違っていたということです。

それなのに、いままでのやり方を手放せないのが、これまた人間の性(さが)です。

そろそろ事実を認めて、方向転換してみませんか。


そうしたくたって、できないって?

そりゃそうです。

いままでのやり方は物ごころついてからずっと繰り返してきたのだから、急には無理です。

でもチャレンジする価値はあります。


確かに普段の心がけが必要かもしれないけれど、いままでの人生で頑張ってきたことに比べれば、ずっと簡単。

いったい自分が、いままでどれくらい頑張ってきたか知っていますか。

多くの人は、信じられないくらいの努力と忍耐を使って生きてきています。


それに比べたら・・・・ね(^^)



・・・・・・・・・



記事をアップしたあと、頂いたコメントを読んでみて、文章で伝える難しさを感じました。

「あるがまま」

あるがままでないことさえも、あるがままなので、この言葉はどのようにでも使うことができますね。

すごく大事なことだと思うので、また違った説明を工夫してみます。