役に立ちそうで立たない、ちょっと役に立つ話

Toshiro Abe

2015年12月29日 08:40

「この世は夢のようなもの」

そんな話をよく聞くでしょ。

夢とは、夢を持ちますというような希望の夢のことではなく、睡眠中に見ている夢のことです。


「この世は夢のようなもの」というのは、こうして目覚めているつもりのこの現実も、大いなる次元から見れば、睡眠中の夢と同じように夢だということです。

睡眠中の夢が夢だったことを知るのは目覚めてからですが、現象界の夢を夢と知るのも、やはり目覚めたときです。


さてここで基本的なことを押さえておく必要があります。

それは、夢を見ているのも夢から覚めるのも、夢の中の自分ではないということです。

夢を見ていた者が、夢から覚めるのです。


現象界という夢から覚めるのも、あなたではありません。

もっと大きな何かが、「あなたという夢」から目覚めるのです。

その何かは、大いなる意識とか真我とか呼ばれていますが、夢の中の自分からは想像もつかない異次元の存在です。


昨夜見た夢も、あなたが作り出したのではなく勝手に見ていたはずです。

現象界も同じです。

目の前の現実に見える夢も、あなたが作っているのではありません。

そもそもあなたという存在が夢そのものなのだから。


にもかかわらず、自分は個人だという感覚が強いので、なんでも個人である自分が作り出しているように感じるのです。


同じようなことは輪廻転生を語る人たちにも言えます。

彼らは、 何かの記憶をキャッチしたのでしょう。

そしてその記憶を自分の記憶と思ったのです。

「自分という個人」が確実に存在するという観念は、輪廻転生という壮大なドラマまで描きます。

今生にさえ存在しない自分が、どうやって前世で存在したというのでしょう。


もう一度言います。

「この世は夢のようなもの」

その夢を見ているのは自分ではありません。

自分という存在は、大いなる意識が見ている夢の登場人物です。

そう、僕たちは単なる登場人物なのです。


何が起きても夢の中の登場人物に責任はありません。

せめてこのことを知っていれば、余計な苦しみから逃れられますね。

何一つあなたのせいではないのだから。

これは気休めではなく事実なので、しっかり受け止めましょう。


このようなメッセージは存在の根幹を覆してしまうので、人生に何の役にも立ちませんが、執拗に自分を責め続ける傾向には、待ったをかけることができます。


さてそれじゃ、みんなで正月の夢でも見るとしよう(^ ^)